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労働の解放をめざす労働者党      

全国社研第三回大会政治決議
U、安保条約及び沖縄復帰問題について

(1) 一九五一年に締結され、五二年に発効した旧安保条約は「占領特権」の継続にもみられるように、日本ブルジョアジーにとって不利不平等なものであった。しかしこれは、無制限な占領軍の権力にかわって日本ブルジョアジーの権力を確認した。日本は「独立」し、日米関係は主権国家と主権国家の関係になったのである。

 こうして日本の民族的課題は基本的に解決され、プロレタリアートがそのようなスローガンを基本的な任務としてかかげることは、現在のブルジョア支配を正当化する反動的なものとなった。日本の支配階級は、当然、日米平等を望んだが力関係において米国におしきられ、不平等な条約に甘んじなければならなくなっため、「占領制度の是正」がこれ以降の彼らのスローガンになった。

 六〇年の安保条約の改訂は、日本ブルジョアジーの政治的経済的力量の強大化に対応したもので、日米関係をそれにふさわしいものに再編、強化した。日本ブルジョアジーは、政治的軍事的同盟をかちとるとともに、東南アジア開発基金、外貨獲得をひきだし、世界的なブロック化傾向(EECの結成など)に対抗した「日米経済協力」を追求したのにたいし、米国ブルジョアジーは日本ブルジョアジーがもっと積極的に「反共」のために闘えるよう軍事力を強化することを強く要求した。

(2) 日米安保条約は、日本ブルジョアジーのプロレタリアートにたいする支配を補完してきた。日米ブルジョアジーの同盟は、日本ブルジョアジーの弱さをおぎなったのである。しかし勿論、これは米帝国主義の日本の植民地化でも、従属国化でもなかったし、「日米一体化」「運命共同体」でもなかった。従って、日本ブルジョアジーの政治的経済的軍事的力量の強大化は、「日米安保同盟」のなかに一定の変化を生みだしてきたし、これからも生み出していくだろう。

 六〇年の安保改訂、六〇年中ごろのドル防衛への協力、「競争的協調」の時代への以降、六七年の自主防衛と沖縄復帰問題の登場、アジアの防衛への米国の肩代り、などはすべてみな、日米同盟の内容が変化してきたのを示す諸指標である。これらの諸指標はすべて、米国のブルジョアジーの後退と日本ブルジョアジーの力量の増大、帝国主義ブルジョアジーへの一貫した歩みを語っている。

 日米安保同盟を固定的絶対的にみなすどんな考えも反動的であり、非弁証法的である。資本主義の矛盾の激化、資本主義的世界秩序の崩壊は、階級的利害からして、日本ブルジョアジーをますます帝国主義ブルジョアジーに転化していかざるをえないであろう。

 日本ブルジョアジーは、アジアにおける資本主義的秩序維持のチャンピオンとして自らを位置づけ、六〇年代後半に入るとともに精力的な努力を開始した。彼らがどれほどアジアとくに東南アジアを重要視しているかは、彼らが東南アジア開発閣僚会議、同農業開発会議を通じ、またアジア開銀、東南アジア漁業開発センターの設立などを通じて、アジア諸国の支配階級との結びつきをつよめ、経済的進出を急ピッチでおこなっていることをみれば分かるであろう。六七年の「援助」の七〇%がアジアにむけられており(とくに政府援助は九九・四%!)、直接投資でも後進国むけの八千五百万ドルのうち五千四百万ドル(約六四%)がアジアに投下されている。彼らはEECのアフリカ、イギリスの英連邦、アメリカの中南米に対抗して、自らの勢力圏を東南アジアに形成するという戦略にむかって一歩をふみだした。

(3) こうした彼らの戦略の一環をしめるものが、彼らのいわゆる「自主防衛」である。「自主防衛」は、一九六七年十二月に佐藤首相によってうち出された。その具体的内容は「核抑止力」では米国に依存しつつも、「通常兵器」は自分で装備し、アメリカの軍事力にかえていくというものである。

 しかし防衛庁の四次防の計画では、「治安状況」につれて自衛隊の配置や装備を変えることがうたわれ、また最近ブルジョアジーは、日本の経済的利益を守るためには「アジアの政治の安定」が必要であり、そのための「自主防衛」であると強調しはじめているのをみれば、これが実際では、アジアと日本のプロレタリア人民の資本主義に反対する革命運動を抑圧するための帝国主義的軍隊の育成である、ということがわかるだろう。

 ブルジョアジーは「自らの国を守る気概をもて」などと民族主義、愛国主義をふりまき、思想面から大衆を帝国主義的に動員しはじめている。日本ブルジョアジーは、「経済主義的」「平和主義的」仮面をなげすてて、帝国主義的軍国主義的ブルジョアジーへと転化しつつある。

(4) 一九六七年一月に佐藤首相が沖縄の本土復帰を口にしてから、沖縄復帰問題は急速に大きな政治問題になって、いまや「七〇年安保」の中心問題とされている。日本ブルジョアジーが沖縄復帰を熱心に追求しているのは、沖縄を帝国主義の「前線基地」と化し、日本プロレタリアートとアジアの民衆にたいする支配を貫徹し、また沖縄返還をかちとって小ブルジョアジーの民族主義を満足させ階級支配を強固にするためである。沖縄返還はすでに、日本ブルジョアジーの帝国主義的軍国主義の戦略・「自主防衛」のなかに位置づけられている。

(5) 安保条約廃棄、日米安保同盟粉砕、日本の中立化、等々の共産党及び革共同(中核派)のスローガンは、プロレタリア国際主義の立場ではなくて、小ブルジョア平和主義の立場をあらわしている。これらのスローガンは、客観的には帝国主義国家アメリカと切りはなされた平和主義国家日本を夢想する小ブルジョアジーの願望を反映している。

 日本ブルジョアジーがますます帝国主義的ブルジョアジーに転化しつつあるときに、国際政治から自立した平和な日本資本主義の幻想をふりまくことは、きわめて反動的である。特に共産党のように、平和な永世中立国というありもしない幻想で労働者人民をたぶらかすことは、労働者の革命的意識をくもらせ、資本主義の革命的変革の任務を忘れさせ、自分たち(もしくは自分たちの国)だけは平和で安逸に暮らしたいという小ブルジョアエゴイズムを助長することである。

 「安保条約があるから、戦争にまきこまれる危険がある」という「社共」や革共同中核派の主張は、帝国主義にたいする小ブルジョア知識人のなきごとであり、悲鳴である。これは安保条約がなくなれば、日本も平和国家になりうるという幻想に帰着するが、日本ブルジョアジー自身が、帝国主義化、軍国主義化しつつある以上、それはありえない夢である。この主張はプロレタリアートの闘争をもっぱら、ブルジョアジーの条約や政策にたいする闘いに制限するかぎり、日和見主義的で反動的である。


六〇年安保闘争の神話

1、六〇年安保闘争への幻想と決別せよ

 一九六〇年の安保闘争が、日本の労働者の階級闘争の一つの歴史的な発展段階を表現したことは、言うまでもないことである。しかし、これは六〇年の安保闘争が、一般に言われているように、偉大なプロレタリア的政治闘争であったことを必ずしも意味しない。むしろ六〇年安保闘争は、日本のプロレタリアートの階級闘争の未熟さと欠陥を全面的にさらけ出したのであった。

 この未熟さと欠陥とは何であったろうか。それはプロレタリアートが小ブルジョアジーの政治闘争にひきずられ、追随したことに象徴的に示されている。六〇年には小ブルジョアジーの政治は、一方では社共よる日和見主義的な平和主義、民主主義として、他方では新左翼系学生による急進主義として、二つの形態をとって現われた。労働者階級は社共と総評を媒介にして、重い腰をあげて、小ブルジョアの騒ぎたてる政治的闘いに追随したのである。彼らが社共の呼びかける「安保反対」の闘いに積極的な戦闘性を発揮しなかったし、しようとしなかったのは、正しい階級本能のなせるわざであった。

 しかし労働者の運動は、社共の日和見主義に対しても、新左翼の急進主義に対しても、独自の政治勢力として結集することはできなかったし、また「反安保」・平和と民主主義の日本、という小ブルジョア的政治に反対して、ブルジョアジーとその国家の全体に対するプロレタリア的闘いのスローガンのもとに団結することもできなかった。労働者は結局、社共と総評の小ブルジョア的綱領――平和と民主主義もしくは民族独立のための闘い――、すなわち小ブルジョア的幻想を実現する一つの道具、一つの勢力の地位にまでおとしめられたのであった。

 プロレタリアートは単にブルジョアジーの政治のあれこれの一側面に反対するのではなくて、その支配そのものに反対する。だからプロレタリアートの政治の基礎は、決して単なる安保改定阻止や安保破棄ではなく――これはブルジョアジーのあれこれの政策の反対したり、それを修正し、別の政策、別の道を取らせようとしたりする小ブルジョアジーの改良主義的政治である――、ブルジョアジーの支配そのものに反対する革命闘争である。

 社共も、また社共を日和見主義と非難した新左翼も、プロレタリアートに単に安保阻止や破棄を呼びかけることによって、実際には真の革命的プロレタリア運動の組織と準備の課題をあいまいにし、おおい隠してしまったのである。共産党は安保破棄・「サンフランシスコ体制」の打破が、日本の真の独立・民族民主革命の実現となるという論拠で安保反対闘争を呼びかけ、新左翼はこれが直接の革命闘争であり、革命闘争につながるという論拠で安保改定阻止の闘争を呼びかけた。このかぎり、両者とも、革命の展望の中で安保闘争を提起したといえるであろう、しかし実際には、彼らはブルジョアジーの個々の政策に対する闘いを革命闘争といつわったのである。彼らは大衆をあざむくためにのみ、そして自らの日和見主義を隠蔽するためにのみ、革命的な空文句をはきちらしたのであった。

 こうした闘われた六〇年安保闘争は、客観的な政治経済的情勢からしても、主体的な革命的プロレタリア運動の未成熟からしても、真の革命的闘いに発展する条件を欠いていた。それは社共と組合主義者による一定の政治的カンパニア闘争として終始すべく初めから運命づけられていたといっても、決して言い過ぎではない。社共や組合主義者は安保反対のスローガンを労働者の中に持ち込んだが、労働者は極めて冷淡であった。それゆえに組合主義者は絶えず、「安保は重い」とぐちをこぼさざるをえなかった。こうして安保闘争は社共と組合主義者によるカンパニア闘争としてだけ組織されたであろうが、まさにこのことによって、社共の政治の空虚さと破産が赤裸々に暴露されたであろう。

 こうした状況を「救った」のが学生の急進主義的闘争であった。学生たちは社共を激しく非難したが、それはただ社共が「決定的闘争」とか「安保を粉砕しよう」と呼びかけながら、実践的には何ら真剣な闘いを組織しようせず、ただお義理なカンパニア闘争を行うだけである、という点に向けられたにすぎず、社共の政治の本当の基礎には向けられなかった。急進派は社共の口先だけの「戦闘性」が大衆を欺瞞するための無内容な空文句てあることを理解しなかった。反対に、彼らはその呼びかけに実質的な内容があると思い込み、日和見主義者が口先きだけで実行しようとしないスローガンを実現し、実践的に貫徹しようとすることで、彼ら自身抜き差しならない非現実的な立場に落ちこんで行ったのである。

 学生たちの急進主義的闘いは、皮相な観察者(例えば、清水幾太郎を見よ)には、社共の指導性と権威の喪失、その反動性の暴露を意味した。しかし他の側面では、学生の闘いは社共の安保反対の政治闘争を「救う」ことによって、同時に社共を救ったのである。プロレタリア的な原則的批判でもって一貫した組織的な闘いを行っていたなら、全面的にその空虚さと反動性が暴露されたであろう社共の小ブルジョア的政治は、急進派の闘いによって救済され、一時的に延命することができたのである。急進派は、自分たちこそ、実践でもって、具体的な行動でもって、社共の日和見主義を暴露したのだと信じた。しかしそれは一面的であり、全体として見れば、急進派が社共の空虚な呼びかけを実践することによって、社共の政治は全面的な権威喪失を免れえたのである。共産党の民族民主“革命”と民主統一戦線をめざす政治は安保闘争の「勝利」によって一層力づけられたが、この「勝利」――すなわち六〇年安保闘争の漠然とした盛り上がり――は、急進主義者の闘いによってのみ、ようやく生み出されたのであった。

 こうして急進主義者は社共の政治が六〇年安保で決定的に破産するのを救ったのである。社会党の政治の破産はそれ以降なし崩しに現われ、他方、共産党の政治の破産は今後の七〇年代にまで持ち越されたのであった。もちろん社共の政治が決定的に破産しなかった主要な原因は、新左翼の社共追随ではなくて、客観的な情勢にあったのだが。しかし新左翼が社共の政治的破産をおおい隠したし、一面ではそれを正当化したということもまた事実であった。

2、社共の補完物の役割果たした新左翼

 六〇年の安保闘争の後、新左翼は「安保闘争に敗北したのは、五月十九日の自民党による強行採決の安保闘争、安保闘争が民主主義擁護の小ブルジョア的闘争にすり替えられたからである」と総括した。彼らは、安保闘争は「反帝国主義」の革命的闘いであったが、他方「民主主義擁護、議会制度を守れ」という運動は小ブルジョアの闘いである、と主張したのである。

 黒田寛一は六〇年に書いている。「プロレタリア階級闘争として闘われるべき安保闘争は、ますます全体として小ブルジョア的な国民運動へおし下げられ、堕落させられた」(「民主主義の神話」二〇〇頁)

 黒田は、安保闘争が「プロレタリア階級闘争として」闘われたのではなくて、闘われる「べき」であったと総括するのである。すなわち sein ではなくて sollen を、現実ではなくて願望について語ったのである! 彼は現実を願望にすり替え、この立場から、現実の運動を「小ブルジョア国民運動」と非難した。

 もちろん、この非難それ自体は正当であった。しかし問題は「階級闘争として闘われるべき」ものが、「小ブルジョア的国民運動に落としめられた」から非難に値するというところにあったのではない。安保闘争は階級闘争して闘われる「べき」だという黒田の主張は、何の内容もなかった。安保条約反対の闘いは初めから非帝国主義的な資本主義を求める小ブルジョアジーの運動として出発したのである。それは小ブルジョア平和主義者の「闘い」を中心課題としてとりあげられたものであった。それ自体として、“プロレタリア的”安保闘争といったものは問題となりえない、というのは、プロレタリアートの階級闘争は安保条約の反対や破棄の運動に一面化されえないし、また彼らの階級闘争が発展したときには、単なる安保条約廃棄、「安保体制打破」の闘いに留まることはできないからである。この意味で、“プロレタリア的な”安保闘争を願望した新左翼は、初めから幻想の中で生きて来たのであり、その願望によって、実質的には社共の「小ブルジョア的国民運動」の補完物の役割を果たしたのであった。

 革共同の北小路は、最近この幻想を再び持ち出し、帝国主義に反対する安保闘争が「国会解散、民主主義擁護の闘いにすり替えられた」と泣き言をいっている(「歴史的選択としての七〇年闘争」、一七頁)。彼らにあっては、帝国主義に反対することは、安保条約に反対することと同じなのである。帝国主義への反対はブルジョアジーの政策や条約に反対し、それを「粉砕する」ことに一面化される。彼らの立場が共産党のカウツキー主義と同じものであることは明らかである。

 六〇年の安保闘争は偉大な階級闘争(もしくは全人民的闘争)であったと、新左翼によっても、共産党によっても総括されている。これはまさに一つの公式となったかの感がある。そして彼らはこの闘いに、それぞれ意義を付与する。新左翼はそれが「反帝反スタの大衆運動」の出発点となったというところに、そして共産党はそれが「民族民主統一戦線」の母体となったというところに。

 しかし六〇年安保闘争は、「偉大なプロレタリア的階級闘争」といったものではほとんどなかった。プロレタリアートは独自の革命的綱領のもとに進出したのではなくて、あくまで闘いのワキ役であり、小ブルジョアジーの政治闘争の付けたしであった。労働者特有の闘いの手段であるストライキは、中心的な役割を果たさなかった。総評のゼネストは名ばかりのもので、形式的な「スケジュール闘争」の一環として行われ、大部分が早朝の時限ストとして打ち切られ、広汎な大衆の高い信念や闘いの必然性の意識と結びついていなかった。労働者はただ漠然と平和や民主主義の危機という、空虚な小ブルジョアがさわぎたてることによって生み出されたムードに左右されたにすぎない。プロレタリアートの闘いはブルジョアジーの支配に反対する革命的な階級的闘いとして発展し、その背後に小ブルジョアジーを従えて行ったのでなくて、反対に小ブルジョアジーに追随し、その後を追っただけであった。そしてプロレタリアートを小ブルジョアの幻想と行動の付けたしの地位に落としめる役割を担ったのが、社共及び総評の組合主義者であった。

 こうした段階のプロレタリアートの闘いを「偉大な闘い」と呼ぶような人々は、プロレタリアートの真の偉大な階級的闘い――ブルジョアジーに対する一般的蜂起――について何事も真剣に考えたことのない人々であろう。急進派は安保闘争の末期に生まれた政治危機を革命的状況であると誤って理解した、そして彼らは「革命的情勢なしには革命は不可能である」というマルクス主義者の信念を理解できなかった。彼らは革命の情勢のないところで、革命を空想し、それを望んだのであったが、こうした立場が破産しかもたらさないのは自明であろう。

 さらに急進主義者が理解できなかったことは、安保闘争は小ブルジョアジーによって提起され、組織された政治闘争であった、ということである。それは社会党にあっては、安保条約が体現する帝国主義同盟、軍事同盟に反対する運動であり、共産党にあっては、帝国主義国家アメリカへの従属を強化する「陰謀」に反対する運動であった。この小ブルジョア平和主義、民主主義者が、安保反対闘争の決定的な意味をわめき、民主主義陣営が統一して闘えば「安保は阻止できる」と強調し、小ブルジョアジーを(そして、労働者をも)煽動したのである。

 こうしたときにあって、プロレタリア的革命家の任務は「プロレタリア的な」安保闘争についての幻想をふりまくことではなくて、ブルジョアジーの政治全体の暴露を引き受け、社共の呼びかける政治の階級的本質を大衆に明らかにすることであった。

 急進主義者の主張によれば、日本帝国主義に対する闘いとして、安保反対を位置づけて闘うことが、プロレタリア的安保闘争である。しかし帝国主義に反対する闘いが安保反対闘争に留まらないことは、七〇年の現在では完全に明らかになった。というのは、ブルジョアジー自身が、日米安保依存から脱却する方向に、帝国主義的政策を転換し始めているからである。日米同盟(安保条約)をブルジョアジーが相対化し、独自の帝国主義的体制へと歩み始めているとき、日米同盟反対を帝国主義との闘いとして闘うという共産党・新左翼の立場は、その無意味さをますます明らかにしてきている。

 新左翼が主観的に、安保闘争はプロレタリア的階級闘争になる「べき」であり、反帝闘争であると評価してみても、客観的には、それは社共による“体制内的な”運動として進められてきた。それは民主主義と議会主義の枠の内での、すなわちブルジョアジーの支配を打倒することなくしても可能な課題であった。共産党はこの闘いを徹底して合法主義から位置づけている。共産党によれば、米国の従属下にある日本では、直接に社会主義革命を勝利させることはできないのであって、まずアメリカから「完全に」独立することが必要であるが、これこそ安保条約を破棄することであり、しかもこれは「民主勢力」が議会で多数派になることによって、全く合法的になされうるのである。すなわち安保条約「粉砕」の政治闘争は、ブルジョアジーの階級支配と矛盾しないのである。こうした安保闘争の位置づけは単なる間違いや裏切りから生まれて来たのではなくて、小ブルジョアの全政治から必然的に生まれて来たのである。安保反対をブルジョアジーの支配そのものに対する革命的闘いと切り離して提起するとき、「安保闘争」はこうしたものとなる以外ない。さもなければ、安保闘争は直接革命闘争であるという急進派の主張になるであろうが、これは社共の安保反対と本質的に同じものである。

 安保反対のプロレタリア的闘争が民主主義擁護の「小ブルジョア的国民運動」にすり替えられることによって、安保闘争は敗北したという新左翼の総括は、インチキであり、彼らの精神的卑劣さを語っている。こうした総括は、彼らが口先での社共批判にもかかわらず、実践的には社共の小ブルジョア政治に初めから屈服し、プロレタリア政治をはっきりと定式化し、そのために一貫して闘って来なかったことをおおい隠し、さらには六〇年における急進主義の破産を隠蔽するためにのみ行われたのである。彼らは、一九六〇年の運動が六月になって初めて「小ブルジョア的綱領」で指導されたと言ったが、実際には、初めからそうだったのだ。彼らはこうした総括によって、自分らが「小ブルジョア綱領」と一貫して闘わなかったし、闘うことができなかったことを告白したのである。

3、学生の闘いしか“必然的で”なかったというのは真実か

 六〇年の急進主義者の闘いを、かつて吉本隆明は次のように正当化した。

「革共同全国委が、共同(第一次ブント)をブランキズムとし、市民主義の運動をプチブル運動として、頭の中の馬フンのように詰め込んだマルクス・エンゲルス・レーニンの言葉の切れっぱしを手前味噌にならべたてて原則的に否定するとき、彼らに資本主義が、安定した基盤をもち、労働者階級が立ち上がる客観的基盤のない時期――言いかえれば、前段階――における政治闘争の必然的な過程を理解していないのだ。プチブル急進主義と民主主義運動しか運動を主導できない段階が、ある意味では必然的過程として存在する」(「民主主義の神話」、六一頁)。

「『小ブルジョア組織』が『運動のプロレタリア的性格』を超える段階が、安保闘争においても、今後おこりうる政治闘争においても、必然的に存在したし、また存在する」(同)。

 吉本は、運動の小ブルジョア的段階を「必然的な」ものとして固定し、革命家はこの段階を飛び越えられないのだから、小ブルジョア的政治も意義がある、それを組織しなければならないという結論を引き出している。小ブルジョアの運動がある段階で、階級闘争の表面に現われうるということは疑いのない命題である。しかしこの命題から、共産主義者の任務がプロレタリアートの革命的階級闘争の組織ではなく、小ブルジョアの政治闘争の組織であるという結論を引き出すとすれば、全くばかげている。小ブルジョアの政治がある段階で進歩的な意義を持っていれば、共産主義者はそれを支持するであろう。これもまた疑いえない、プロレタリア革命家の義務である。しかしこのことと、小ブルジョアの政治しかありえないということは、全く別の問題であろう。反対にプロレタリア革命家は小ブルジョアの「革命」的政治(すなわち急進主義)とは独立した、独自のプロレタリア的政治のために、一貫して闘わなくてはならないのだ。

 吉本隆明のばかげた見解を最近繰り返しているのが、北小路敏である。彼は「革命的左翼」が急進的学生運動を「唯一の武器として闘う」ことは、「革命的共産主義運動創成期の、それ以外にはありようのなかった歴史的限界」であった、と主張している(前掲書七六頁)。

 彼は革命的共産主義運動の出発点では、学生運動を「唯一の武器」として、ブルジョアジー及びその国家と闘うことは全く正当であり、必然的でさえある、と言うのである。こうしたことを大まじめで言う人間が、いかなる意味でも階級闘争を理解していないことは明らかである。共産主義運動は、革命的プロレタリアートの組織化と共産主義的政治闘争の任務を提起する限りで、その始まりを画するのである。北小路は、学生の急進的闘いとしてしか革命的な闘いはありえないのだから、「プロレタリア革命家」はそれを組織しなければならないと言うのである。「革命家」はプロレタリア的革命家と呼ばれるのに、その任務はプロレタリアートの階級闘争の組織ではなくて、小ブルジョアの「革命的」闘い――すなわち警察力とのゲリラ戦――の組織である。彼らは労働者の中にではなくて学生の中に行かなければならない、というのは、学生運動を「唯一の武器」として闘う以外ないのだからである。こうしてプロレタリアートのイデオローグではなくて、急進的学生の典型的なイデオローグとしての北小路の素顔が現われる。

 彼は、実際には小ブルジョアの運動しかありえなかったのであり、それに依拠して闘ったのはやむをえなかったのであり、それは非難されるべき何ものもないと言いたいのだ。浅薄な彼の意識には、華々しく表面に現われ、騒ぎたてている学生の闘いしか入ってこないのである。彼は小ブルジョア急進運動の必然性は認識しえても――極めて表面的に、だが――、革命的プロレタリア運動の歴史的必然性を認識することはできない、それゆえに革命的プロレタリア運動の組織化について何ごとも語りえないのである。小ブルジョアの革命的闘い(実際ではブランキズム)しか必然でなかったから、我々はそれに依拠せざるをえなかった、それはやむをえない「歴史的な限界」であったと言うことによって、北小路らは、プロレタリアートの革命的階級闘争を組織するという任務を徹底的に投げ捨てるのである。この任務を投げ捨てる連中は、どんな詭弁でもって自分を正当化しようとも、自分で自分を何と呼ぼうとも、「革命的共産主義者」でないことだけは確実である。

 学生の急進闘争は階級闘争の全体的な立場から評価すれば、本質的に空虚な限界のある闘いであって、この運動の組織化を革命家の主要な任務とすることは、いま必要でもあり、義務でもある先進プロレタリアの真の任務からエネルギーと努力の集中をそらすことであろう。新左翼は「革命的共産主義者」と自称している、しかし実際には急進的学生運動主義者を一歩もこえてはいないのである。

4、七〇年・虚妄の“安保闘争”

 六〇年のときに掲げられた安保「粉砕」のスローガンはどこへ行ったのであろうか。六〇年ブントは「安保破棄」ではなくて「安保改定阻止」をスローガンにすべきだと強調したが、それは安保破棄・平和で民主的な日本の建設という社共の小ブルジョア的な夢物語と、自らを区別したいと思ったからである。しかし安保破棄と安保改定阻止は同じ土俵(小ブルジョア的政治)の上にあることを認識しなかった限り、ブントもまた間違っていたのである。

 急進派は社共の見解に賛成することはできなかったが、といって、一貫したプロレタリア的政治と組織的活動を推し進める能力も決意も持っていなかった。急進派は社共の政策が結局はブルジョア的政治にしかなりえないことを直感してはいたが、しかし彼らは社共に対して「改定反対」という空虚なスローガンを対置しただけであった。彼らは、安保改定を「阻止する」ことによりブルジョアジーに打撃を与え、革命への道を見出しうるかもしれないと期待したのである。六〇年ブントは安保改定阻止そのものが問題ではないと言いつつも、それを自己目的化した。彼らの論議は「いかにしたら安保改定を阻止できるか」という一点にしぼられ、その点をめぐって行動と戦術が論じられた。こうして彼らの政治は安保廃棄から社会主義革命へという共産党の日和見主義的政治と融合し、癒着した。

 新左翼の急進運動は、社共の「安保廃棄」・民族民主革命の達成という小ブルジョア政治に一時的な活力を吹き込み、それを正当化した。それはまた、社共の政治の最後の残り火が、新左翼の名を借りて爆発したものでもあったとも言えるであろう。

 現在では、社共の民族民主主義、平和主義の政治は頽廃してしまっている。共産党の宮本顕治は中曽根が「自主防衛」の必要性を理解し、それを実行に移しはじめたということで、このブルジョア帝国主義の担い手をほめたたえている!(週刊朝日、一九七〇年六月五日号)。彼らの民族主義の政治は、こうして社会帝国主義、排外主義に転化し始めているのである。

 大声で叫ばれてきた七〇年安保闘争は、実体のない空虚な幻影であったことが明らかにされつつある。労働者階級は全く正当にも、その闘いの必然性、必要性を理解していない。七〇年闘争として、共産党は六月二三日の「統一闘争」を社会党に呼びかけているだけである。新左翼は十年前の六月のときとは違って、闘う前から敗北感と挫折感にさいなまれている。社共の、そしてまたその鬼子の新左翼の小ブルジョア的政治闘争は解体しつつあるのだ。共産党は、観念的な小ブルジョア政治主義(安保破棄、サンフランシスコ体制打破うんぬん)の破産を、俗悪で偏狭なブルジョア改良主義に転進することによって乗り越えようとしている。日本の全左翼は、七〇年闘争を“決定的な”闘いであると、この十年間叫び続けてきた、そして今やその虚構が現実によってあばかれたのである。それはエセ“プロレタリア”政党の破産と没落の始まり以外の何ものでもない。

 もちろん、彼らの「敗北」はプロレタリアートの敗北ではない。むしろ彼らの破産は、先進的プロレタリアにとって喜ぶべき現実である。というのは、これらの“既成左翼”(新左翼も含めて)の破産こそ、革命闘争の成長のために一つの条件を与えるだろうからである。

 六〇年安保闘争について神話を振りまいているのは共産党だけではない、急進派もこの点では全く同罪である。われわれは政治的急進主義を克服する闘いの一環として、彼らのこの神話を暴露しなければならないのだ。

(林 紘義)

●火花第八七号、一九七〇年六月七日


虚妄の安保「闘争」

 「決定的闘争」「七〇年決戦」と新旧両左翼によって久しく呼号されてきた七〇年六月闘争は、実際には「壮大なゼロ」であり、一つの虚妄であることが暴露された。これを契機にこの両左翼は直接に解体の過程へと入りこまざるをえないであろう、旧左翼においてはヨリ緩慢に、新左翼においてはヨリ劇的に。今やわれわれは新旧両左翼の政治の歴史、論理、本質、及び両者の関係を分析することによって、独立したプロレタリア運動の組織化のために闘かう方向を明らかにしなければならない。プロレタリアの革命的政治闘争――それは新左翼の抱いているイメージとはかけはなれたものとなろうが――の現実性は、日本の資本主義の矛盾が激化し帝国主義的方向への胎動が開始されていることからも(客観的条件)、新旧両左翼の破産がますます明白に暴露されていることからも(主体的条件)、日々鮮明にあらわれつつある。

一、「社共」の政治闘争

 現在の「社共」の政治闘争は一九五〇年代の初頭にはじまっている。五〇年代は、終戦直後の労働大衆の革命的闘いのあとをうけて、山川均らの社会民主主義者や知識人のよびかけと指導のもとに、平和主義的な政治「闘争」がはなばなしく展開されていった時代であった。五〇年初めの講和闘争、そのあとのMSA反対闘争、中期の基地反対闘争や原水爆禁止運動、そして後期の安保条約反対闘争。そのほとんどが知識人や学生を主体とするたたかいであり、運動の中では平和主義的思想が支配的であった。戦争を二度と許すな、教え子を再び戦場に送るな(一九五八年の日教組の勤務評定反対闘争のスローガン)、戦争にまきこまれる日米安保条約反対、人類皆殺しの核兵器反対などの、階級闘争を一切捨象した没階級的な平和主義的な思想がまかりとおり、「社共」によって広く、意識的にまきちらされた。プロレタリアのすくなからざる部分がこれらの政治闘争に参加したということをもって、この時代のこれらの政治闘争の小ブルジョア的性格を否定することはできない。

 もちろん五〇年代も労働者の階級的なたたかいは、自然発生的に合理化反対や賃上げなどの経済闘争としてたたかわれてはいた、しかし労働者の階級的な政治闘争は存在しなかった。というのは労働者の政治闘争は自然発生的なものとしてはありえないで、先進労働者のマルクス・レーニン主義にもとづく意識的な努力として結実してくるものだからである。

 六〇年のブント(共産主義者同盟)によって組織された安保反対の急進的たたかいは、五〇年代の日本の政治闘争に根本的な転換を画したのではなくて、その延長上に立つものであった。しかしそれにもかかわらず、一つの重大な変化があらわれつつあった、すなわち彼らはたとえ口先きだけであったとはいえ自国の支配階級との階級闘争について語り、プロレタリアートの階級的立場をはっきりさせるよう強調しはじめたのである。

 だが彼らはこの立場を貫徹することはできなかった。彼らは自国の支配階級にたいするたたかいを準備し組織したのではなくて、ただ現在の政府にたいする反対闘争に立ち上がったにすぎなかった。それは五〇年代の「社共」の平和主義的没階級的な小ブルジョア政治を決定的に克服するものではなくて、ある意味ではそれを補完するものであった。第一次ブントの指導者は学生運動を展開することに第一義的な意義を見出したが、これこそ彼らの階級的政治的限界を示していたのである。彼らは革共同に反対して「大衆闘争」について語ったが、それはプロレタリアの大衆的革命闘争をではなくて、むしろ全学連の集会デモを意味していた。

 小ブルジョアジーの安保闘争は本質的な限界をもっていた。それは、平和・中立・非武装の日本をもたらすはずであったが、深刻なジレンマにおちいった。安保条約は佐藤首相が国会で答弁しているように、ソ連・中共の「核」に対する保障であって、それゆえに、安保廃棄は日本の強力な武装を想定しなければならなかった。資本主義を前提とする限り(そして彼らは当然資本主義を前提した)、安保廃棄は平和・中立・非武装の日本ではなくて、「核」で武装した資本主義的軍国主義の日本をもたらすであろう。小ブルジョア知識人はこのように論理を一貫させるかわりに、「中立」などの観念的な幻想ににげこんだ。そしてまたこのジレンマが日本共産党をして「武装中立」論に導いたのである。彼らは破廉恥にもブルジョア的軍国主義を、「すべての国は固有の自衛権をもつ」という一七〜八世紀的なブルジョア思想で正当化し美化したのである。こうして小ブルジョアの政治はその内的矛盾のために全く破産するか(社会党及び総評)、あるいはブルジョア帝国主義の政治に接近するか(共産党)したのである。

 自民党の安保条約改定の「堅持」と、「社共」のその廃棄すなわち「安保体制打破」の対立は、擬制の階級対立であり、階級闘争の幻影でしかない。ここでは小ブルジョアの反政府行動とスローガンがプロレタリア的なものといつわられている。この対立が擬制のものであるということは、将来「安保廃棄を通告しうる民主政府」が生まれたときに決定的に明らかになるだろう。この政府はブルジョアジーに反対して断固たる行動に出ることができないばかりではなく、逆に革命的労働運動に露骨に敵対するであろう。先進プロレタリアは小ブルジョアの政治を暴露し、労働者階級をその政治から解放し、独自に組織し、結集するためにたたかわなければならない。

二、「既成左翼」の安保反対の論理

 安保条約に反対する「社共」の公認の理論は次のようなものであったし、今もそうである。――物価高や公害や労働者の苦しみや農民、中小企業主の没落の原因は人間よりも大企業を優先させる自民党の政治にあるが、さらにその根源は日本の政府がアメリカ帝国主義と、軍事的経済的に強く結びついているところにある。

 しかも「安保」は六月二二日で期限が切れ、日本政府がアメリカに条約廃棄を通告すれば一年後には全く合法的に安保条約の拘束から解放されて自由になることができる。それにもかかわらず、自民党政府はこうした政策をおこなわないで、「安保」の長期堅持をうちだしアメリカ帝国主義のインドシナ侵略に協力し、アジアの侵略者となっている。

 従って日本の労働者人民の目的は、この自民党政府のやり方に反対して立ちあがり、自民党政府に抗議し、政策の転換を迫り、あるいはそれでもダメなら「民主的政府」をつくって安保条約を廃棄することである。安保をなくせ、それなくしては平和も生活の安定もなにもない、これが彼らのスローガンである。こうした見解は「社共」によって広くふりまかれているだけではない、実質的には革共同中核派によってくりかえされているのである!

 「安保粉砕」のスローンの理論的前提となっていた命題は、「戦争にまきこまれるな」という言葉に示されるように、アメリカ帝国主義の行う侵略戦争に安保条約があるために「自動的に」日本が引きこまれるおそれがある、というものであった。戦争をおこなう主体はアメリカ帝国主義者であり、従って闘争の対象はアメリカ帝国主義とそれに追随し、協力するかぎりでの(あるいは共産党によれば従属するかぎりでの)日本独占資本及び政府であった。「米日独占」が「敵」である、とは言われたが、彼らの論理からは不可避的にアメリカ帝国主義とのたたかいが結論された。悪の根源はアメリカ帝国主義であり、日本の独占とその政府はこれに追随もしくは従属するかぎりで非難された。

 たとえば共産党の上田耕一郎をとりあげてみよう(「七〇年と安保・沖縄問題」)。彼はいう。

 「日米安保条約がけっして日本を守る条約ではなく、日本アメリカ帝国主義の侵略の政策にかたくしばりつける、もっとも危険な対米従属と戦争の条約である」(一二頁)。

 「第五条・第六条という侵略戦争への巨大なまきこみ機構」(八五頁)。「日米安保条約は……日本人民の意志に反して日本をアメリカ帝国主義のたくらむ侵略戦争にまきこむ危険な対米従属条約である」(赤旗、一九七〇・六・二一)。

 こうした主張は、悪の根源であるアメリカ帝国主義とたたかって、同盟関係もしくは従属関係を断って、すなわち安保条約を解消して「独立」あるいは「中立」をかちとれば、日本は戦争に「まきこま」れもせずに、永久に平和な民主的な繁栄を続けていくことができるというばかげた幻想と、切りはなしがたく結びついていた。この「独立」という言葉は、全くの空文句であって、その概念に適応した真の内容を全然もっていなかった。「独立」「中立」の繁栄する日本は決して社会主義国日本ではなかった、すなわちそれは繁栄する資本主義国日本であった。

 このように彼らは階級的な観点をまったくすてさって、抽象的な平和や戦争について語った。アメリカ帝国主義が、そして日本独占の同盟政策が独占の利益と結びついていること、さらに日本独占の政策は主体的なものであって単にアメリカに「おしつけられ」たものではないことは、完全に無視された。例えば、安保条約があるためにアメリカのおこなう戦争に「自動的に」まきこまれるという主張自体、「社共」の政治がプロレタリアートの階級的政治ではないことを示していた。プロレタリアートにとっては支配階級のおこなう戦争に「自動的に」かり出され、「まきこまれ」たであろうが、ブルジョアジーにとってはそうではない。彼らは自らアメリカ帝国主義と同盟関係を結び、自らそれを支援したのである。彼らは決して「自動的に」戦争に参加するのではなくて、自らの意志で自らの利益にもとづいてそうするのである。「社共」は安保によって日本が「自動的に」戦争にまきこまれるということによって、安保条約のもつ階級的な意味をおおいかくし、階級対立の現実をすっかりぼかし、あいまいにしてしまった。こうして「社共」の「安保廃棄」のたたかいは、階級闘争を捨象したところから出発した小ブルジョア知識人の「たたかい」であることが分かるのである。

 「社共」によれば、帝国主義の主体は米国であって日本独占ではない。日本は、ただ自民党政府が米国と深く結び付く政策をとるかぎりで帝国主義である。闘いの目標はこの結びつき(もしくは従属)をたち切ることであり、自民党政府を打倒し、「民主政府」を樹立する反政府行動である。これがかちとられるとき、すべてがうまく行き、日本はいつまでも非帝国主義国家として存在しうるだろうというのだ。しかしこれは徹底してばかげた幻想である。次にこのことを検討してみよう。

三、安保条約の意義の変質

 安保条約は戦後日本資本主義の存立と発展の一つの条件となりえた、といってもそれはむしろその外的な条件にすぎなかったのだが。日米安保条約は、それが日本ブルジョアジーの支配の政治的な安定を保証したかぎりで、日本資本主義の「繁栄」のための一つの役割を、消極的な機能を担うことができた。他方では日本の資本主義的「繁栄」の真の原因は日本資本主義に内的なものであった(「科学的共産主義」二五号参照)。

 日本資本主義の「繁栄」、すなわちその発展が内的なものであって、安保はそれを外的に保証したにすぎない以上、安保反対を「反体制」運動であるとする立場は、本質的に小ブルジョア的で、資本主義制度の枠をこえないものであった。それはプロレタリアートの資本主義に反対するたたかいを、「安保廃棄」・平和で中立の日本という幻想的な願望へと解消させた。

 しかし一九五〇年代は(そして消極的にではあるが六〇年代にも)、安保条約が外的にしろ日本資本主義の発展の一支柱となった限りで、「安保粉砕」は日本のプロレタリアートのたたかいのスローガンとなることができた。といってもこのスローガンは小ブルジョアジーにとって固有で本来的なものであったのだが。「安保粉砕」は、安保条約が日本のプロレタリアートを資本のくさりにしばりつける一つの脅威(旧安保条約の「内乱条項」を思い出せ)であった限りで、プロレタリアートがその廃棄を革命的たたかいのための一前提とみなしたのは正当であった。

 しかし六〇年代後半から「自主防衛」がおしすすめられるにしたがい、安保条約は日本資本主義が外的に支えるものでさえなくなってきた。安保条約はいまや、日本資本主義の存立と発展の原因(前提)ではなくて、むしろその結果である、もしくはそうしたものに変化しつつある。かつてはある意味で、日米安保があったから日本資本主義がありえたと言えたが、しかるに現在では日本資本主義があるからこそ日米安保(すなわち「対等の」立場での日米独占資本の同盟)がある。安保条約は原因から結果に変化し、かくしてプロレタリアートがたたかいをいどむべき真の原因は日本資本主義であることが明らかになってきたし、ますます明らかになっていくであろう。かつては日本のプロレタリアートは「安保粉砕」のスローガンのもとに小ブルジョアに追随した(そしてそれは歴史的な条件をもっていた)、ところが今後彼らは、小ブルジョアのスローガンを拒否し、その追随をやめて、独自の階級的スローガンと闘争手段で進出しなければならないし、進出するであろうし、またそうせざるをえない客観的主体的諸条件が生まれている。これこそ歴史と階級闘争の弁証法的な展開である。

 一九六〇年のときに安保改定が日本の対米従属をいっそう深めたと評価したのと同じように、「社共」は七〇年においても日米共同声明によって、日本はますます強く米国の「極東戦略」にくみこまれたと考えている。しかしこれははたして正しいであろうか。自民党は六月一九日(一九七〇年)の党声明で、平和外交の展開、自主防衛の努力、日米安保の「適切な運用」を「三位一体」としてやっていくと宣言した。

 しかしもちろん問題は、三つの任務の形式的な組み合わせではない。彼らが現在なにを主要な課題としているかは、政府が自主防衛の努力をもっとも重視し、国防会議懇談会を中心に現在の「安保を主とする現行の国防の基本方針」の改定問題に着手し、国防会議の改組の検討をはじめ、七二年からはじまる第四次防で自衛隊を増強するために力を入れていることを見れば明らかとなる。問題は決して対米従属の強化や米国の極東戦略の問題ではなく、むしろ日本独占の「極東戦略」である。

 六〇年当時においてさえ、安保廃棄の要求は小ブルジョアの幻想的要求であった。しかし七〇年の現在においては、それは単に虚構にとどまらないで、保守的要求になりはじめている。われわれのスローガンは労働者とブルジョアジーの調和しがたい利害を明らかにし、階級闘争を発展させるものでなければならない。ところが現在では安保廃棄、安保反対のスローガンは、プロレタリアートとブルジョアジーの鋭い階級対立を鮮明に示すのではなくて、かえってそれをぼかしている。

 というのはすでにブルジョア的「大国」の支配者にまでのしあがった日本の独占資本自身が日米安保から「自主防衛」への転換をはかりつつあるからである。彼らは今や日米安保は従であって、主は自主防衛である、日米安保は片務的なものから一種の日米攻守同盟に変えるべきだ、今までのような日米安保の廃棄もありうると主張している。すなわち彼らは、日米同盟は今後も「堅持」されるが、しかし今までのように米国に一方的に依存したそものではなくて、それぞれに自立した両帝国主義国間の「対等の」同盟にすべきであると強調しはじめている。独立した帝国主義国として同盟関係を結ぶのであって、アメリカと同盟関係(もしくは共産党の言葉でいえば従属関係)を結んでいるから日本が帝国主義になるのではない。この点をひっくりかえして、まちがって理解しているのが共産党であり、革共同中核派である。

 我々が今まで強調してきたように、日本のブルジョアジーは急速に帝国主義ブルジョアジーに転化しつつあるが、それはアメリカとの同盟の結果ではなくて、日本の資本主義の一定の発展段階の必然的帰結であり、資本主義の矛盾が帝国主義としてあらわれて来たものである。原因は独占資本の社会的矛盾であって、日米同盟ではない。むしろこの同盟とは独占資本の一つの結果であって原因であるわけではない。結果に対するたたかいを原因に対するたたかいであるということはできない。

 われわれは安保条約を日本独占資本の「自主的」政策、すなわち日本独占の支配の必然的結果として暴露し、その原因、すなわち日本独占の支配とたたかうようによびかけるであろう。安保条約を対米従属や依存の結果であるとして「日米独占」とのたたかいをよびかける既成左翼の政治は、現実そのもによって破産を宣言されて行くであろう。

四、「既成左翼」と新左翼

 六〇年には安保は組合主義者によって「重い」といわれたが、現在では絶望的であるといわれている。しかしもちろん絶望的なものは小ブルジョアの政治であって、プロレタリアートの革命的政治ではない。

 かつて安保闘争が組合主義によって「重い」と感じられたのも偶然ではない。それはプロレタリアートが小ブルジョアの呼号する政治闘争に、真の革命的積極性を発揮しようとしてこなかったからである。その政治はプロレタリアートの階級闘争の内的な発展と切りはなされて提起され、外部から機械的にもちこまれたものであった。この点で、レーニンの「外部注入」論に反対する浅薄な連中が、この小ブルジョア的政治の「外部注入」に反対しなかったばかりではない、その「注入」の先兵となったことは極めて特徴的であった。

 広汎な労働者が「社共」や組合主義者のよびかけに積極的にこたえなかったことはむしろ当然であった。責任は労働者ではなくて「社共」や総評にこそあった。ところが彼らは「過激派学生の火炎ビン闘争がマトモな運動の盛り上がりをつぶしてしまった」(津留総評組織部長、毎日新聞六・一九)というのである! ぬすっとたけだけしいとはこのことだ。彼らは急進派を統制し抑圧しようとするだけではない、自分らの運動の停滞の責任まで転嫁しようというのだ。「既成左翼」の破廉恥さは救いようがない程度にまで達している! 彼らは今また、七二年闘争についておしゃべりている。しかし沖縄返還の時が、なぜ決定的な大政治闘争になるかは一つの謎である。これは安保自動延長の時が日本の将来を決定する大政治闘争になぜなるかが永遠に謎であったのと同様である。所詮は小ブルジョアの政治は幻想と願望の上にきずかれた砂上の楼閣、一つの虚構でしかないのだ。

 「社共」は七〇年闘争の虚構としてあらわれた自らの政治の破産を、この闘争を七二年闘争もしくは七〇年代闘争とずらすことで何とかとりつくろおうとしている。しかし、それは決して成功しないであろう。沖縄返還闘争は七〇年安保決戦と同じように一つの虚構である。七〇年決戦をずらすことによって、彼らの政治の破産を隠蔽することはできないであろう。すでに彼らの動員力は新左翼にさえ劣りはじめている、彼らが何百万という労働者組織を影響下においていてさえである! 小ブルジョアの急進的エネルギーは新左翼に吸収され、他方労働者階級は小ブルジョア政治にきわめて冷淡であり、「社共」のよびかけに対して動こうとはしない。

 しかしもちろんこの「既成左翼」の破産は「新左翼」を正当化するものではなくて、反対にその破産を規定するものである。というのは、彼ら自身実際には「既成左翼」の補完物以外ではなかったからである。彼らは「既成左翼」と運命を共にせざるをえない、このことはすでに、たとえば北小路氏の選挙闘争ではっきりあらわれた。「安保粉砕」「沖縄奪還」のスローガンは「既成左翼」のスローガンに対立するものではなくて、その引きうつし以外の何ものでもない。新左翼諸派は中核派の「沖縄奪還」のスローガンを民族主義、「排外主義」、と非難する(そしてそれはもちろん正当である)、しかしこのスローガンが「既成左翼」(社共)の「沖縄返還」を少し「カッコよく」言いかえたものにすぎず、既成左翼への無批判的追随を象徴的に示すものであることについては、何ら自覚していない。実に新左翼の“既成左翼化”は中核派をその先導者として、論理的必然性に従って容赦なく進行しつつあり、すでに一つの事実となっている。

 安保条約がカンパニア集会で粉砕できるか、それともゲバで粉砕できるかという「既成左翼」と新左翼の対立は、もっとも無意味なものであったし、今もそうである。急進主義者は「既成左翼」の日和見主義やブルジョア合法主義を攻撃したが、問題は単なる街頭行動の戦術ではないことを決して理解しなかった。その限り彼らは皮相で一面的であった、そして彼らを「心情的に」支持した急進インテリも同じように浅薄であった。彼らは結局、「社共」に追随し屈服して七〇年決戦をわめいただけであった。

 新左翼の否定したものは「既成左翼」の小ブルジョア政治そのものではなくて、その無気力であった。彼らはただ既成左翼の安保廃棄という政治闘争が死んだ形式的なカンパニアであるということを非難したのであって、この政治闘争そのものを非難したのではなかった。彼らは既成左翼の政治闘争の無気力、無内容がこの政治闘争の本質と不可分に結びついていること、一九五〇年代のはじめからたたかわれて来た都市小ブルジョアの先導する政治闘争は結局こうしたものにしかなりえないということを理解しなかったし、できなかった。彼らは既成左翼の政治を否定して新たなプロレタリア政治を組織しようとしたのではなくて、この「小ブルジョア的国民運動」に生気を吹きこみ、活を入れようとしたのであった。彼らは客観的には(そしてある程度主観的にも)、一九五〇年代のまだ生気と活発さにあふれていた小ブルジョア的政治を復活することをめざしたのである。彼らは既成左翼の政治の頽廃が小ブルジョア的政治と不可分のものであることを理解しなかった。いずれにしろ彼らは過渡的な存在であったし、今もそうである。われわれは彼らが既成左翼を声高く非難したことをではなく(この非難は彼らの功績である)、その非難が中途半端で上すべりであったことを批判するのである。

 彼らは先進プロレタリアを「社共」の小ブルジョア政治に対抗して一つのプロレタリア的勢力及び運動として組織するかわりに、革命的空語のもとに「社共」の政治の予備軍に編入し組みこもうとしたのである。こうした「社共」の政治の破産は新左翼の破産となるであろうし、そうしなければならない。

五、プロレタリア運動の自立性とプロレタリア革命党のために!

 一九六〇年代は、独立、中立、平和、繁栄を求める小ブルジョア政治の空虚さが明らかになってきた時代であった。五〇年代の政治の出発点となったものは、戦争はもうまっぴらだという大衆の心理であり、それが大衆の心理である間は、「社共」の「戦争にまきこまれるな」というよびかけも一定の現実的な基礎を持ちえたのであった。しかし彼らの政治が一つの虚構であること、彼らの平和への願望がうしろ向きの空虚なものであることを大衆は理解してきた。昨年暮の衆議院選挙における社会党の敗北を必然化したものこそ、彼らの呼号する「七〇年政治闘争」の虚妄性であった。大衆は、社会党のいう「戦争の危険」とか、七〇年安保の「決定的政治選択」(戦争か平和か)とか、沖縄返還の欺瞞性とかの理論を理解しなかったし、理解することができなかった。大衆は、戦争がブルジョアジーの階級政治の必然的な結果ではなくて、アメリカとの安保条約の結果であり、知らないまにそれに「まきこまれる」という小ブルジョア的危機意識に、背を向けたのである。社会党は大衆が理解していないところに戦争などの大きな危険があると訴えたが、大衆はそうは思わなかったのである。

 また大衆は、自民党の手による沖縄返還を攻撃する社会党にたいして、「沖縄が帰ってくるならいいではないか」という形でこたえている。社会党は沖縄返還が中途半端であると攻撃して民族主義を刺激し、他方ブルジョアジーがなぜこのように熱心に沖縄返還を追求するかの真の階級的意図を大衆からかくすことによって、ブルジョアジーに奉仕する。

 社会党の没落は、五〇年代、六〇年代とつづいた小ブルジョア政治の崩壊の合図である。そして急進主義はこの一〇年間にその可能性をすべてためしてみたあとで、中核派に代表されるように急速に「社共」の水準へと堕落しつつある。すなわち武闘主義から「安保粉砕」「沖縄奪還」のカンパニア主義へ、議会主義へと転換しつつある。急進主義者の「革命性」なるものが皮相で一時的なものであることが再び証明された。

 「安保粉砕」のスローガンはすでに時代おくれの反動的なものとなった。このスローガンは五〇年代、日本ブルジョアジーが日米安保を階級支配の一つの前提とみなしていた時代には、日本ブルジョアジーの支配を暴露し、彼らに反対するたたかいのスローガンとして一定の意義をもちえた。しかし現在では状況がことなっている。ブルジョアジー自身が安保破棄がありうると口にしているかぎり、すでにこのスローガンは無意味である。

 しかもこのスローガンは「社共」の小ブルジョア政治の象徴として存在してきた。「社共」を裏切り者として批判する急進主義者は、スローガンによって自己を「社共」と鋭く区別する必要を感じていないばかりか、「社共」のスローガンを(スローガンばかりでなくその論理までも)、そのまま借り入れているのである。

 われわれは、反対に、自らをブルジョアジー及び「社共」とスローガンにおいてもはっきり区別しなければならない。「安保粉砕」は現在は小ブルジョアの政治を象徴するスローガンであるが、近い将来日本のブルジョア帝国主義者のスローガンとなるであろう。従ってわれわれはこのスローガンに反対する。それはプロレタリアートの階級闘争を導いて行くスローガンではなくて、その闘いを混乱させ、あやまらせるスローガンである。それはアメリカと軍事的経済的にはなれて平和な繁栄する日本をつくるという、小ブルジョアの夢想と結びついた反動的なスローガンである。それは日本ブルジョアジーの階級的政治を、非階級的な何か別のものとして(例えばアメリカとの同盟もしくは従属の結果として)労働者に説明することによって、ブルジョアジーの支配に対する労働者階級のたたかいをあいまいで中途半端なものにするであろう。かくして七〇年代の政治闘争は、「安保粉砕」を主要な目標とする小ブルジョア的なものとしてではなく、ブルジョアジーの支配全体の粉砕をめざすプロレタリア的社会主義的なものとして発展するし、させなくてはならないのだ。プロレタリアートの革命的闘いは今後小ブルジョア(すなわち「社共」)の政治からますます自立するであろうし、またわれわれはその自立を徹底的に促進しなければならない。

 新左翼のゲバルト主義とは区別される、われわれの革命闘争の手段は何かということが、しばしば質問される。これに対しわれわれは、宣伝と組織こそが、そしてこれを通じてプロレタリアの資本主義に反対するあらゆるたたかいを一つの革命的意識的たたかいに高めていくことこそが、その手段であると答える。現在のように広範な労働者階級の直接の革命的大衆闘争が問題となりえない時期、こうした革命の準備の時期には、労働者を共産主義的労働者として組織することによって階級闘争を発展させる以外ないであろう。われわれはゲバルト闘争もしくはその戯画が唯一至上の手段であると考えている新左翼の諸君に、次のレーニンの引用でもってこたえよう。

 「皮相な判断をくだす人々(新左翼の諸君もここに入るだろう!――林)の目に……何よりもうつるのは、搾取者を、勤労人民の敵をきっぱりと、無慈悲なほど断固として処断する点に現われた革命の特徴である。この特徴がなかったならば――革命的な暴力がなかったならば――プロレタリアートが勝利しなかったであろうことは疑いもないが、しかしまた、革命的暴力が、革命の発展の一定の時機にだけ、一定の特殊な条件があるばあいにだけ、必要かつ正当な革命の手段であるということ。これに反してプロレタリア大衆の組織、勤労者の組織は、この革命のはるかに根ぶかい、恒常的な本性であり、この革命の勝利の条件であったし、今でもやはりそうである、ということもまた疑いない。この幾百万勤労者の組織にこそ、革命の最良の条件があり、その勝利のもっとも深い源があるのである。プロレタリア革命のこの特徴こそ、かつて革命中に見られたことのないこの特質――大衆の組織化をなににもまして体現するような指導者を、闘争のなかで生み出したものである」(スヴェルドロフの追悼演説、全集二十九巻七八頁)。

(林 紘義)

●『火花』第八八号、一九七〇年六月二十八日