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巻頭言


【2020.4.3】
全世帯に布製マスク配布
 ――200億円で国民の歓心を買おうと画策

【2020.3.29】
経済不振にコロナ禍が加わり
 ――安倍政権が奈落の底に沈んでいく日も遠くはない

【2020.3.26】
なぜ五輪中止でなく延期か
 ――安倍やバッハのための中途半端な決定は有害無益

【2020.3.21】
歴史的な危機の時代を迎えた資本主義
 ――人類史的意味で総括し、確認する必要がある


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全世帯に布製マスク配布
200億円で国民の歓心を買おうと画策
2020年4月3日

 安倍が全世帯(5800万世帯)に布製マスクを2枚ずつ配布するという。

 現国会で、安倍がつけている顔を覆うには小さすぎるあの珍奇なマスクが、感染者数の多い地方から順番に配布される。

 製造から包装、郵送費、人件費も入れてその費用は200億円以上になるというが、そんなマスクをもらって喜ぶ国民などひとりもいないだろうが、こんなことを、さも重大なことだと言わんばかりに対策会議で決めて、国民の歓心を買おうというのだから、以後この政権の繰り出す対策などあてになるものではない。まさにこの政権と取り巻きブレーンの末路を象徴するものだ。

 布マスクは、繊維の目が粗いのでウイルスを防げない。また、洗濯後に十分に 乾かさないとカビが生える。

 この配布決定までに、安倍や厚労省が約1ヶ月の討議を重ねた(ご苦労なことだ)ということを付け加えておこう。

         (是永 義行)


経済不振にコロナ禍が加わり
安倍政権が奈落の底に
    沈んでいく日も遠くはない
2020年3月29日

 コロナ禍は依然として収束の気配を見せず、全世界に波及し、一部の地域ではパンデミックの兆候を示しつつ猛威を振るっています。日本もまた例外ではなく、まさにEUやアメリカ等々の後を追ってパンデミックの入り口に立っているかで、東京などの大都市では感染者が急増し始めました(27日現在)。

 ブルジョア勢力はコロナ禍のために経済的な困難が、大不況ともいえる状況が生まれているかに騒ぎ立て、言いはやしていますが、経済の好況はすでに昨年後半に終り、実際には慢性的な経済不振に加えて、積もりに積もってきた――先延ばしされてきた――資本主義固有の矛盾が顕在化し、激化しつつある――ということです。

 安倍政権もようやく一貫して使い続けていた、景気は「回復基調にある」とか、「穏やかに回復している」といった欺瞞的な文言をやめて、「厳しい状況にある」とか、後退局面に入っていると言い直すしかなくなっていますが、それはすでにずっと前から分かっていたことでした。安倍政権はただアベノミクスの破綻を認めることができないので、そんな誰にも感じられ、分かっていることを認めることができなかっただけです。

 経済不振にコロナ禍が加わり、両者の複合の困難と矛盾の爆発が、彼らの体制的な危機として迫ってきていることを、彼らはひしひしと感じ、半ばパニックに陥りつつあります。せいぜい彼らのなし得ることは、金融のマヒや財政の破綻の中で、すでに無力化している金融緩和や財政膨張に依存し、頼るしかないのが、彼らの自業自得の不運であり、悲劇というわけです。

 日本の安倍政権にとって、とりわけ危機は深刻です。今の状況はアベノミクスの失敗と挫折として現れる以外なく、安倍政権の存続は風前のともしびといったところです。やれることは、金融や財政を通してカネをバラまく以外の手段はもうないのですが、つい直前まで消費増税のカネまでバラまくしか能のなかった安倍政権は、ただこのやり方をさらにやけくそで手当たり次第、際限のない膨張政策に走り、まさにMМТの理論を地で行く以外ないというわけです。安倍政権が奈落の底に沈んでいく日も遠くはないのではないでしょうか。

 安倍政権は27日に20年度の予算成立を受けて、コロナ禍による「株安をにらみ」、米国を始めとする多くの国家に追随して、GDPの1割ほどの56兆円もの「緊急経済対策」を計画し、実行するといいます。現金給付や企業支援や所得補償や減税や、外食や旅行に使える割引券や商品券等々、ありとあらゆる個人消費や需要喚起のありふれた小手先細工ですが、コロナ禍の蔓延を恐れて、家で静かにしておれと言いながら、外食や旅行を勧めるような政策を謳って何を考えているのでしょうか。

 現金をそのままバラまくというのですが、何を考えてか、「所得減の世帯に対して」という但し書きがついています。全国で5・3千万世帯があるが適用されるのは1千万世帯だと言うのですが、何のためのバラまきであり、どんな効果があるのかさえはっきりしません。20万~30万の純粋の1回きりのバラまきだというのですから、見掛けだけの人気取り政策というところでしょうか。そんなカネを2兆円も、3兆円も浪費していいのでしょうか、コロナ禍への対策のカネはどこかに使い果たされて、いざとなった時に全く残されていないイタリアのようなことになってもいいのでしょうか(それにオリンピック延期で3兆円に加えて、さらに何千億円も無駄遣いしようとしています)。 

 こうしたこと一つとっても、安倍政権は予想もしなかった危機に直面し、何をしていいのか分からず、切羽詰まって日本を真実の破滅に追い込む、無政府的な政治、政策に突っ走り始めており、この打倒、粉砕は焦眉の課題となっています。


なぜ五輪中止でなく延期か
安倍やバッハのための
    中途半端な決定は有害無益
2020年3月26日

     1

 東京五輪は中止でなく、1年間の延期だという。

 一体、何のための延期か。

 コロナ肺炎の収束の目途がまだ立っておらず、今後も全世界的なパンデミックがまだ続き、拡大する展望下で、しかも無駄カネ食い虫の東京五輪――すでに当初予定のカネの数倍の3兆円にも膨れ上がった経費に加えて、1年後に開催され得る見通しもどんな確かな保障もなく、これから数千億円もの、つまりこれまでの経験から言えばさらに1兆円ものムダ金がさらに必要な五輪、そして最後に、安倍の日本の原発事故は「完全にアンダーコントロールの状態にある」という虚偽発言から始まったような、そして内外の五輪関係者の買収や供応等々の汚れ切り、腐敗まみれの五輪が、なぜ中止にならないで、延期なのか。

 安倍は今になっても、「完全な状態」でオリンピックをやると豪語し、来年に延期のオリンピックはコロナ禍を退治した祝典にしようなどとはしゃぐが、そんなものは安倍の権力の維持の野望が抱かしめている空想や願望の類であって、コロナ肺炎の性格からいっても、その他の多くの「延期」にまつわる障害や不具合や困難から言っても、有り得ない幻想であろう。そもそもオリンピックには延期という選択も前例もないのであって、そんなお祭り行事を何が何でも強行しようとするなら、ありとあらゆる無理や困難や障害がぞろぞろと山と出てくるのであって、ただそれだけでも実際的にも不可能ではないのか。まさに半分狂っているというしかなく、健全な常識や理性の欠落以外ではない。

     2

 きっぱりと中止にした方がはるかにすっきりするし、妥当、適切な選択であり、全世界の労働者・働く者の利益であるのは一見して明らかである。

 そもそも今は、コロナ禍の根絶と一掃に向けて、世界の諸国家が力を合わせて闘うべき時ではないのか。コロナ禍と闘うためには、医療体制の充実が重要なことは、それが崩壊して行った、中国やイタリアや、そして今後はアメリカ等々パンデミック状態の一番危険な地域になりつつあることからも確認されよう。そして医療体制の充実のためには、巨額なカネと医療体制の強化が必要なこともまた明らかである。オリンピックについて、その「完全な実行」についておしゃべりしている時ではないし、何兆円ものものムダ金を誰が負担するかで醜悪な争いにふけっている時でもない。コロナ禍の一掃の後に、「完全な形」でオリンピックをするなどという前に、何はさておいても、コロナ禍の一掃のために、全力をあげようと言わなければ、おかしくはないのか。

 しかも他方では、経済危機の問題も顕在化して、ますます先鋭な形を取りつつあるが、その責任はカネをバラまくような政治にうつつを抜かしてきて、来たるべき経済危機などありないかのでたらめで、無責任な政治にうつつを抜かしてきた、安倍やトランプらの責任でなくて何であろうか。

 安倍はコロナ禍を一掃して、経済回復に向かうなら、また経済繁栄も経済成長もまたやってくると言わなかったのか、それなのに、今、コロナ禍との闘いを疎かにしつつ、経済対策と言って、何と50兆円ものカネをバラまいて経済崩壊を、大恐慌の襲来を阻止するというが、そんな場当たりの、対症療法で大丈夫なのか。そして恐慌回避か、コロナ禍一掃か、オリンピック強行か、一体安倍は何をしたいのか、する気なのか、もはやてんやわんやで何をしたらいいのかさえ、自分でも定かでなくなり、混沌・朦朧としているかである。まず、不要、不急のオリンピックを中止すべきであろう。オリンピックと、労働者・働く者の健康や命、経済回復や生活とどちらが大事なのか。

 大多数の労働者・働く者はもちろん後者だと即時に言うだろうが、安倍やバッハは即座にオリンピックだと、事実上言っているのである、そのような言動に走っているのである。

     3

 そもそも安倍やブルジョアや学者・インテリらは、オリンピックをやれば、何兆円という消費や需要や「市場」が新しく生まれ、膨張して、経済が成長し、繁栄するなどと考え、言いふらすのだが、そんな考えは根本から間違っており、幻想である。

 オリンピックは村や町のお祭りと違って、世界的な規模で行われるが、オリンピックと言っても、しょせんは祭りの一種であり、その限り資源や財貨や富の蕩尽、浪費であって、その生産でも増加でもない。それは町や村のお祭りが単なる消費や楽しみであって、生産的な経済活動や労働でないのと同様である。

 彼らはそれもまた需要や消費である限り、経済活動であって、経済成長や景気の活性化に役に立つと考えるのだが、単に個々の経済主体や個別資本の観点から発言しているのであって、全体の、国民経済の観点から考え、ものを見るのを止めているだけである。

 確かにあれこれの個別資本の観点――とりわけオリンピック関連産業や企業(不動産とかホテル・宿泊・交通などのサービス産業とか、特殊なオリンピック産業や企業)――から見れば、オリンピックは大きな儲けをもたらす〝特需〟である。そして経済学者は、その〝波及効果〟は何倍もあり、大きいなどと言いふらし、景気上昇の大きな機関車であるかの幻想をふりまく、しかし例えば太平洋戦争がいかに巨大なフル生産や完全雇用の体制を整えて膨大な生産物や〝富〟を生み出したとしても、そんなものは労働者・働く者の生活を豊かにするどころか、反対に、貧困と飢餓さえもたらしただけであったのは、我々が1世紀ほど前に骨身にしみて経験したことではなかったか。

 お祭りと戦争と一緒にするなといっても、資本主義の全体、社会的な経済関係の全体からみれば、同じ性格の消費――無駄な消費、浪費であることには変わりないのである。ローマは「パンとサーカス」――帝国の支配下の植民地、半植民地からの収奪に依拠した〝お祭り〟である――で滅びたとある意味で言っていいが、ローマの支配者はそんなものによってローマ市民、国民を支配し、篭絡し、長い時代の「パクス・ロマーナ」の時代を享受したかだが、結局はそんな頽廃を深めて行く社会は解体するしかなかったのである。

 お祭りは個々の資本にとって、どんなに〝生産的に〟目に映ろうとも、全体の資本主義経済にとっては〝非生産的〟であり、そんなものに依存して経済成長や景気回復を期待するなら無駄であり、徒労に終るだけである。浪費は浪費であって、そんなものにカネを使うくらいなら、コロナ禍との闘いをにこそ専心し、そのためにカネや資源や人を集中すべきである。

     4

 安倍はオリンピックを自分の野心のためにどうしてもやりたいという邪心に生きているがゆえに、コロナ禍についても、経済危機についても、いつも正しい判断と対応を実行することかぎできず、ただうろうろと事態の後を追いかけ、希望的な観測を行い、間違った対応を繰り返してきたし、今もしている。

 コロナ禍の重要性を見逃し、最初はそんなものは日本には影響を及ぼしていないと装うために、かつて原発被害について、「アンダーコントロールにある」といって世界を偽り、オリンピック招致を勝ち取ったと同様、コロナ禍は日本には関係ない、安全であるかに偽るために、事実を隠し、さらには今もコロナ禍は対応のワクチンが来年に4月くらいにはでき上がるから――そんな確かなことや可能性はほとんどないにも関わらず――、来年春にでも「完全な形」でオリンピックがやれるかに空想し、そんな空想に基づいて、来年春にでもやれるというのだが、単に国民がそんな幻想に付き合わされて大迷惑を被ることなどどうでもいいのである。

 そんな安倍の野望のために、カネが浪費され、引き回され、他の大事なことが、何よりもコロナ禍との闘いが疎かにされ、後回しにされて、労働者・働く者がさらに甚大な被害と迷惑を被るというなら、生活だけに留まらず、命さえ脅かされるというなら、オリンピックの中止どころか、まさに安倍政権を打倒し、一掃するしかないではないのか。


歴史的な危機の時代を迎えた資本主義
人類史的意味で総括し、確認する必要がある
2020年3月21日

 私たちはここ何号かの『海つばめ』紙上で、世界資本主義の歴史的な危機の時代が訪れたことを明白に語り、世界と日本の労働者・働く者に、そして若者たちに今こそ真実の闘いに備え、結集し、団結するように呼びかけてきた。1929年の大恐慌以来、そしてとりわけ第二次大戦以来、資本主義は大恐慌など決定的な経済崩壊をもたらす要因はなくなったし、また人類は賢くなって、そんな危機を克服する〝経済的な〟手段や方法を手にした――ケインズ主義経済理論を見よ――と主張し、また信じ込んできた。ただ我々のみはそんな主張を信じず、資本主義の根本的な矛盾や困難は解消されず、ただ内向しつつ深化し、拡大し、ただその矛盾の爆発は一時的に引き延ばされて来たにすぎないという立場を堅持し、したがってまたマルクス主義と労働者の階級的な立場に立って闘いを継続してきた。

 そして1929年代恐慌以来、ほぼ100年たって、再び、三たび資本主義の決定的な、歴史的な危機の時代を迎えるに至ったのである。

 その現実は今、我々の面前で日々展開されている。パニックは現実のものであって、平均株価はものすごい勢いで崩落しつつ、その程度は大恐慌の時代の到来を明らかにした192⒐年の秋をすでに超えつつあり、さらに深化しようとしている(今朝のテレビ報道によれば、アメリカの株価はさらに1000ドル近くも崩落し、ついに1万8000ドルほどにまで低落したが、まだ〝底値〟の感覚はないという。もちろん日本も、他の世界中のブルジョア国家も同様である)。

 ブルジョア世界の恐慌の歴史についていえば、ほぼ10年の決まった期間を置いて、イギリス資本主義主導の世界恐慌が――と言っても、基本的に西ヨーロッパ中心とアメリカの資本主義の先進国中心であったが――勃発した19世紀初頭から半ば過ぎまで生じたが、すでに19世紀末ごろから資本主義も恐慌の形も変わった、もう激しいパニックという形を取った恐慌はなくなり、代わりに慢性的にだらだら続く不況や停滞の時代に入ったということがやかましく言われるようになり、事実1914年から続いた第一次世界戦争――しかしこの戦争にアメリカや日本も参加したが、基本的にロシアも含めたヨーロッパの何ヶ国かの帝国主義国家間の戦争であったのだか――を挟んで、1929年の世界恐慌までの数十年間は、資本主義の根底までも脅かす激烈な経済的な破綻という意味での恐慌はなかったといっていい。

 そして嵐のような階級闘争、政治闘争の30年代と第二次大戦を経て、70余年の2020年、再び資本主義の矛盾の固有な現れである、激烈な恐慌が再び人類を襲おうとしているのである。資本主義に固有の矛盾――周期的な過剰生産の累積と、その矛盾の集中的な爆発――がかなりの長期間存在せず、消えたたかに見えた理由の一つは、二つの世界戦争が資本主義世界の恐ろしい過剰生産の矛盾をある程度、解消し、緩和し得たということもあったかもしれない。

 とするなら、我々は今回の新たな世界的な規模での大恐慌の始まりの意義を、人類史的意味で総括し、確認する必要があるだろう。1930年時代の階級闘争と政治闘争の総括が、さらにはそこにおけるスターリン主義共産党――〝社会党〟や〝社会民主主義者〟やいわゆる〝トロツキスト=第4インター〟らは言うまでもないが――の犯罪的で、裏切り的な日和見主義や、反動的な役割や歴史の真実の検討が、特別に重視され、反省されなくてはならない理由である(差し当たり、この時代の闘いを総括し、詳しく明らかにした、我々の『国際共産主義労働運動史――その苦悩と闘いの歴史(万国の労働者団結せよ!)』等々を参照されたい、1971年刊行、在庫なし)。

        (労働の解放をめざす労働者党代表 林 紘義)