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巻頭言



【2020.10.18】
非正規の差別にお墨付き
 ――最高裁、一時金、退職金不払いを是認

【2020.10.6】
一段と国家統制を強める菅政権
 ――「学術会議」6名の任命拒否の意味するもの


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非正規の差別にお墨付き
最高裁、一時金、退職金不払いを是認
2020年10月18日



 正規社員に支払われている退職金やボーナスが非正規社員には支払われないのは不当して争われた二つの裁判で、13日最高裁は不支払いは「不合理とまではいえない」と経営者側の主張を受け入れる判決を下した。

 退職金の支払いをめぐっての裁判となったのはメトロコマースの労働者の場合である。契約社員として10年間駅の売店で働いたが正規社員支払われる退職金はないのは正規労働者とパートや有期雇用労働者など非正規労働者との待遇の差別を禁止した労働契約法20条(待遇差に関わる規定は現行法では「パートタイム・有期雇用労働法」に改正されている)に反するとして争われた。

 判決は、正社員は「複数の売店も統括するエリアマネージャーに就くこともある」とか「仕事や度合いに一定の違いがある」という会社側の言い分を受け入れ、退職金は「正社員としての職務を遂行しうる人材を確保」のためだとして、非正規社員に対する不払いを差別とは認められないとしたのである。

 しかし、退職金は賃金の一部であり、本来は賃金の支払いの時に支払われるべきであるにもかかわらず、労働者を会社につなぎとめて働かせるために支払いを退職するまで延期させている。「人材確保」というのは会社側の都合であって、退職金が正社員に支払われるとすれば、非正規だからといって支払わない根拠にはならない。にもかかわらず最高裁は、会社都合の正社員たけを対象とする差別的退職金制度を認め、非正規社員への不払いは「不合理ではない」として、経営者の身勝手にお墨付きを与えたのである。

 ボーナスの支払いが争われたのは大阪医科薬科大の50代の女性の場合である。女性が大学で働き始めたのは13年1月。職場は薬理学の研究室で職種は秘書。1年間の契約で、労働時間は正規職員と同様のフルタイム。仕事は電話の対応や備品管理、郵便物の仕分けなど庶務的な仕事だけでなく、授業で使う資料作成も行った。サポート対象は正職員の場合は6人。女性の場合は15人で、最終的には30人にもなった。

 しかし、正職員の秘書よりも賃金は低く、正職員にあるボーナスや有給の夏季休暇もなかった。人を増やしてほしいと大学側に要求しても聞き入れてもらえず、15年には適応障害になり、休職に。18年、ボーナス、休暇の差別是正を求め地裁に提訴。地裁では敗訴したが、19年の高裁ではボーナスと休暇について正職員との格差は「違法」との判決を勝ち取った。しかし、それでもボーナスは正職員の6割でしかなかった。今回の最高裁の判決では、「正社員は学術誌の編集や遺族対応もしていた」として大学側の主張を認め、高裁判決を覆した。

 今年4月から大企業に(中小企業は来年度から)適用されることとなった「パートタイム・有期雇用労働法」は、「同一の事業主に雇用される通常の労働者と短時間・有期雇用労働者との間で、基本給や賞与などの個々の待遇ごとに、不合理な待遇差を設けることを禁止」しているが、「当該待遇の性質・目的に照らして」、その違いによる差別を認めており、「会社への貢献に応じて支給するもの」について、「相違に応じた支給」を認め、格差を是認するようなあいまいなものであるが、「格差解消」に逆行する判決は経営側に寄り添うものであって、労働側の反発は当然である。

 15日の日本郵便の契約社員を対象とした裁判では、最高裁は扶養手当や年末年始の勤務手当、有給の夏冬の休暇、病気休暇の5つについては会社側の正社員の継続雇用を確保するためという支給目的は「経営判断として尊重しうる」としつつも、半年から1年単位で契約更新してきた契約社員も「継続的な勤務が見込まれる」として支給しないのは「不合理」とした。しかし、今回認めた諸手当の支給で正規と非正規の格差が大幅に縮まるわけではなく、依然として大きい。

 非正規労働者の平均年収は175万円、正規労働者503万円の35%である。正規労働者はボーナスは9割弱、退職金は8割が支払われているに対して、非正規労働者の場合はボーナスでは3割程度、退職金に至っては1割にも満たない。現在では労働者の4割が非正規で、年収200万円以下という貧困にあえいでる。安倍は「働き方改革」で「非正規という言葉を一掃する」と大見得を切ったが、自公政権は言葉ばかりで非正規労働者への差別待遇改善は進んでいない。

 資本は利益獲得のために、労働者の中に正規、非正規の違いによる差別待遇を持ち込み、労働者を分断支配してきた。今回の最高裁判決は資本の非正規労働者への差別にお墨付き与えるものである。最高裁判決の弾劾は当然だが、裁判闘争がすべてではない。資本の搾取に反対して労働者が団結を固めて闘うことの発展なくして差別撤廃はないし、また非正規労働者の差別反対の闘いの前進なくして労働運動の闘いの発展はない。

 



一段と国家統制を強める菅政権
「学術会議」6名の任命拒否の意味するもの
2020年10月6日



 菅首相が「日本学術会議」の新会員6名の任命を拒否したとして問題となっている。それは、安倍、菅と続く政権がどんなものであるかを象徴している。菅は中央官庁の官僚の有り様について、次のように述べている。「私たちがやろうとしていることに反対したり、違う動きをしたら、私は一切許さない」、「政権として打ち出した方向に反対な人、消極的な人、『余計なこと』を言う官僚は評価しない。即刻異動してもらう」(インタビュー)。安倍前政権は「内閣人事局」(局長は現官房の加藤)を創設し、官僚幹部の人事権を一手に握った。それを推し進めたのが当時官房長官であった菅である。

 これにより、官僚たちは安倍のより従順な下僕となり、森友・加計や桜を見る会等で公文書偽造や文書隠匿、度重なる嘘発言、忖度などを繰り返したことは周知の通りである。「日本学術会議」(以下、学術会議)の6名の任命拒否も、まさにその延長線上にある。

 菅は6人を任命しなかった問題について、5日の内閣記者会インタビューで、6人が安全保障法制や「共謀罪」創設など、安倍前政権の重要法案について批判的な立場だったことは「一切関係ない」と白を切り、任命拒否の理由については、「個別の人事に関することはコメントを控える」と、菅の政治判断を「個別の人事」にすり替えてごまかしている。学問の自由の侵害」という批判には「学問の自由とは全く関係ない」と断言して、任命拒否が政治的判断だったことを図らずも明言したようなものだ。

 菅は、「法に基づいて、内閣法制局にも確認の上で推薦者の中から首相として任命した」とか言って、内閣法制局の忖度官僚に責任を転嫁しつつ、学術会議の会員は公務員の立場で、国の予算を年間約10億円投じているとした上で、「任命する責任は首相にあり、推薦された方をそのまま任命する前例を踏襲して良いのか」と開き直りつつ、「総合的、俯瞰的な活動を確保する観点から、今回の任命についても判断した」と、任命拒否を正当化している。「総合的、俯瞰的な活動を確保する」必要が菅にあったから任命拒否したというわけである。

 菅が拒否したと思われる理由を見てみよう。岡田正則氏(早大教授、行政法)は、沖縄辺野古基地埋め立てに抗議する声明を発表していた。小沢隆一氏(東京慈恵医大教授、憲法)は、衆院特別委公聴会で、安保関連法について「歯止めのない集団的自衛権の行使になる」として違憲性を主張し、廃案を求めていた。松宮孝明氏(立命館教授、刑事法)は、参院法務委で参考人として出席し、共謀罪を「戦後最悪の治安立法だ」と批判していた。

 加藤陽子氏(東大教授、歴史学)は、改憲や特定機密保護法に反対し、「それでも日本は『戦争』を選んだ」を出版、芦名定道氏(京大教授、キリスト教学)は、安保法に反対して活動、宇野重規氏(東大教授、政治学)は、特定機密保護法に反対して活動、いずれも政府の方針に反対した故に、「総合的、俯瞰的な活動を確保する」必要のあった菅は、「私は一切許さない」の言葉通り任命を拒否したのである。

 菅政権が105名の候補者の思想や行動をひとりひとり調査したかどうかは定かではないが、この6名は彼らからすると明らかに政府の意図に反する候補者であり、学術会議に対する「見せしめ」、学術会議を政府の統制下に置き、政府の言いなりの団体に、奉仕団体に変質させようとする策動であり、官僚やマスメデイアに次ぐ国家統制の続編である。

 学術会議は過去1950年と67年に「戦争を目的とする科学の研究は絶対にこれを行わない」とする声明を発表していたが、2015年に政府は武器輸出を禁じてきた「武器輸出三原則」を解禁する方針を打ち出し、防衛装備庁を新設したり、政府自ら各国に売り込む計画を推し進めた。実際に、オーストラリアには「そうりゅう型潜水艦」を、インドには「救難飛行艇US2」を売り込むという計画を立て、防衛産業の支援に乗り出した。

 そこで学術会議は2017年に「過去二度の声明を継承する」旨の声明を出し、また同年、防衛省が大学の科学者らに対し軍事応用も可能な基礎研究への助成の公募を募ると、「(科学者への)政府介入が著しい」と批判した。安倍や菅はこれを大いに怒り問題視し、推薦候補者をそのまま任命する「悪しき習慣」の変更に乗り出したという訳である。

 1970年頃までは、前述した声明をはじめ、「我が国の平和的復興、人類史社会の福祉への貢献をめざす」(学術会議憲章1949年)などと、曲りなりにも日本を平和な科学技術立国とするという意気込みや戦争政策への非協力、「非核三原則や原発開発」についての政府に批判的な発言が見られた。

 しかし今日では、候補者105名の内、政府に楯を突いた者がたったの6名しかいないという事実が示すとおり、他の99名をはじめ多くの会員たちは「研究のための研究」、資本の利益のための産学協同への参加、政府要請研究への積極的加担、また会員であるという地位や名誉や箔に汲々としている。

 6名の任命拒否に対し学術会議の梶田新会長は、任命拒否の理由の説明と6人の再任命を要求する要望書を政府に提出し、立憲や共産党など野党も一斉に批判し、SNSでも23万件を超える批判のツイートが寄せられている。それらの主な批判は、「政府による言論弾圧である」、「憲法の23条の学問の自由を犯すもの」、また「学術会議の独立性を犯す」、「(法的にも)首相には会員を選考、罷免する権限はない」、「前代未聞の政治介入だ」といったもので、一見すると正当であるように見えるが、果たしてこれらの批判は妥当なものであろうか。

 学術会議がいかに「政府からの独立」を謳おうと、政府直下の諮問機関であり、年間10億4800万円もの予算をもらっていることからしても、特別公務員としてどうあがこうが政府の統制や「政治の介入」から逃れることはできないであろう。

 このブルジョア社会の中で、「学問の独立や中立性」なとどいったものはそもそも無い。あるのはその時々の社会の支配者に都合の良い「学問」――江戸時代には儒学とりわけ朱子学が、戦前には皇国史観や軍事学が優先された――が重んじられたのであり、「学問の自由」は絶対的なものではなくその時々の支配を覆さない限りでのことであって、一旦「危険なもの」とされると度々弾圧や言論統制を受けたのである。その例を我々は戦前に多く知っている。大逆事件や京大滝川事件、横浜事件、マルクス主義への弾圧等々。

 学術会議やその法がどんなに理想を謳っていようが、政府の紐付である限り、時の政府によって「政治介入」されることは十分あり得るし、安倍と菅の内閣によってそうされたのである。むしろいままでの任命慣習が幸運であり、学術会議はそのことに安住してきたとも言えるのだ。

 問題は、その慣例が何故に "安倍と菅内閣によって"破られたかである。この7年8ヶ月の間に、彼らは日の丸・君が代の制定や教育基本法の改悪から始まって、集団的自衛権の容認、自衛隊の海外派遣、特定秘密保護法、共謀罪などを次々と成立させ、また従軍慰安婦や徴用工を否定し、国家主義、軍国主義への道を推し進めてきた。野党の無力もあって法案成立率は97.5%、選挙は連戦連勝という、まさに「安倍一強」であった。

 こうした体制を許してきたからこそ、彼らは頭に乗って教育やマスメディア、そして学者の組織をも有無を言わせず手中にしようと企んでいるのである。これらを黙って許せば、さらに増長し、彼らの下に権力は集中し、国家的統制は一段と強まるであろう。全国の科学者、学者も菅政権打倒のために、資本の危機を国家統制強化で乗り切ろうという動きと闘う労働者階級の隊列に加わるよう呼びかける!