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巻頭言



【2021.4.17】
バイデンの「人権外交」
 ――米国の国際的覇権維持が目的

【2021.4.5】
武田総務相不信任決議案否決の茶番
 ――志位らは解散の脅しに腰を引く

【2021.2.18】
林紘義さんへの哀悼
 ――理論家としての優れた功績


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バイデンの「人権外交」
米国の国際的覇権維持が目的
2021年4月17日



 米国バイデン大統領は「人権や自由の尊重」を掲げ、人権外交推進を謳っている。その標的は中国であり、習政府が香港や新疆ウイグル自治区で人民を抑圧しているとして中国に対して制裁を強化している。
        
 バイデンが英国やEU、日本などと連携して「人権、自由を擁護する」行動を呼び掛けていることに対して、中国は、「アメリカにはアメリカの民主主義があり、中国には中国の民主主義がある。アメリカは自らの民主主義を押し広めるべきではない」、「内政干渉」であると反論、そして中国は、米国が黒人、有色人を差別してきたことを挙げ、バイデンの言い分は自分の国内のことを棚上げして、他国のことを非難するダブルスタンダードだと非難している。
        
 中国が言うまでもなく、米国内では黒人やアジア人、ヒスパニックなど有色人に対する白人の差別が行われているし、中東地域ではサウジアラビアなどの王政国家を支援したり、イラクやリビアに軍事介入するなどして、これまで多くの人民の生命を奪い、財産を焼き払ってきたことは事実である。
        
 だからといって、習政権による香港や新彊ウイグル地区における人民弾圧、そして共産党の専制支配の下で労働大衆が発言し、行動する自由もなく監視・抑圧され、国家の言うがままに従わされていることが正当化されるわけではない。我々は、中国政府の香港、新彊ウイグル地区での人民弾圧に断固反対する。
        
 バイデンの人権外交が中国の「内政干渉」だとの主張に対して、ドナヒュー国連人権理事会元米国大使は言う。         
 「人権を重んじる民主主義国家は、世界に岐路に立っていることを認識しなければいけない。強権の度合いを増す中国のとの競争の核心をなすためだ。21世紀のデジタル社会において、私たちは民主的で人権を尊ぶ統治形態が優れたモデルであると示す必要がある。そうしなければ、中国式の『デジタル専制主義』が世界中にひろがることになる」(「日経」4・8オピニオン欄)。
        
 国連憲章にも「人権及び基本的自由の普遍的な尊重」が謳われているが、これは国際社会が護るべき普遍の原理だというのである。しかし、労働者はバイデンや国連憲章が掲げる「人権、自由」を人類が護るべき至高の原理として無条件に支持することが出来るだろうか。
        
 バイデン、国連憲章がいう「人権」の前提となっている第二次大戦直後の1948年、参加国一致で採択された「世界人権宣言」を見てみよう。
 「宣言」は、「全ての人間は、生まれながら自由で、尊厳と権利について平等」であることを謳い、具体的には、「法の前での平等」、「移動の自由」、「思想、良心及び宗教の自由」、「意見及び発表の自由]「集会及び結社の自由」「財産を所有する権利」などを、侵されることのない権利として掲げている。
        
 しかし、「宣言」で人間は生まれながらにして平等だと謳われたとしても、現実には人種や女性にたいする差別があり、金持ち階級と労働者の生活には大きな差異がある。また、「意見・発表の自由」といっても、それを実現する資力に欠ける労働者にとっては絵にかいた餅である。
        
 「宣言」が約束することと現実との間に大きな乖離があるのは、「宣言」が私的所有、資本による労働の搾取を前提としているからである。「宣言」は「財産を所有する権利」をなにものによっても侵すことのできない「人権」として謳っている。「宣言」は資本が支配する社会のもとでの社会規範を述べたものである。
        
 私的利益追求を至上の目的とする資本の支配する下では、人種や女性差別をはじめとする様々な差別はなくならないで、資本の支配に適合する形に編成され、温存されている。
        
 したがって、バイデンが中国政府の香港や新彊ウイグルに対する専制的振る舞いを批判しながら、米国も独裁的国家を支援したりするなど「ダブルスタンダード」となるのは必然なのである。
        
 バイデンが中国を非難しだしたのは、中国が経済的軍事的強国に成長し、米国の国際的覇権を脅かしているためである。中国のウイグルへの抑圧は最近始まったことではない。米国は以前からこうした事実を知りながら、これを問題にはしてこなかった。
        
 しかし、少数民族ウイグル人への中国政府の抑圧を取り上げ、「自由、人権」のための米国、西欧、日本の連携を呼び掛けているのは、米国単独では中国に対抗しえなくなっているからである。
        
 西欧や日本の連携で、国家資本主義中国を抑え込み、米国の国際的覇権を維持しようとしているのである。ここにバイデンの「人権外交」の本質がある。したがって、労働者はバイデンが中国政府の香港や新彊ウイグル抑圧反対を唱えているからと言って、バイデンの「人権外交」を支持することは出来ない。
        
 労働者は中国政府による香港や新彊ウイグル抑圧に反対し、〝民主主義〟を求める闘いを支持する。それは米国をはじめ〝自由主義〟諸国の政府がいうように「国連憲章」に違反しているからではない。
        
 労働者、人民にとって「言論の自由」や「集会・結社の自由」など〝民主主義的権利〟は労働者にとっての権利であり、自らの解放に向けて闘いの発展のための武器となるからである。世界の労働者は、資本の支配を一掃し、搾取や差別のない社会実現に向けて、国境を越えて連帯して闘うだろう。(T)


武田総務相不信任決議案否決の茶番
志位らは解散の脅しに腰を引く
2021年4月5日



 4野党共同で31日に提出した武田総務相不信任決議案が1日否決されました。4野党の決議案は、「(接待問題で)放送・通信行政がゆがめられた疑惑は極めて重大」、「武田総務大臣は真相究明に及び腰の姿勢に終始するなど、総務省を指揮監督する資格はない」といった内容ですが、そんな決議案をいまさら提出する姿勢には、菅自公政権を追い詰めていく真剣さがなかったと言わなければなりません。
        
 高額接待問題で官僚と業者の癒着はすでに明らかであり、官僚はブルジョア政治家の手先として働いたのです。そして菅政権全体として腐敗官僚を守ろうとし、武田はその先兵でした。武田の不信任などさっさと提出すればよかったのです。野党は接待問題について、「真相究明」に闘いを狭め長引かせ、政党間の駆け引きに明け暮れただけでした。
        
 予算案の国会通過にあたって、内閣不信任案提出を検討しながら、二階や竹下元総務会長らから、内閣不信任案提出に対して「解散を覚悟しろ」とけん制され、共産党の志位委員長に見られるように、「内閣不信任案の提出は、野党として解散・総選挙を求めることになり、いまはその時期ではない」(4月2日院内記者会見)と及び腰だったのです。立・憲の枝野代表もまた、「政治空白を作るべきでない」(4月2日記者会見)と同様です。内閣不信任は菅内閣の不信任であって、解散要求でないことは明らかであるにも関わらず、志位らは自民党の脅しに腰を抜かしたと言われてもしかたありません。
        
 不信任が採択されたからといって、解散せず菅が総辞職するという可能性もあり(内閣不信任決議案が可決された場合、憲法第69条 は「10日以内に衆議院が解散されない限り、総辞職をしなければならない」と謳っています)、そもそも解散は総理大臣の専権事項ですから解散の責任が菅にあるのは明らかです。
        
 志位が「今は内閣不信任案提出の時期でない」というのは、菅政権を追い詰める自信がない言い訳であり、志位や枝野の日和見は菅政権との慣れ合いをごまかし政権延命に手を貸すものです。毎日新聞の社説では「(武田の不信任案が)否決されるのを承知で提出したのは、今月25日の衆参3補選・再選挙を前に菅義偉政権との対決姿勢をアピールする政治的な狙い」(4月2日)という、対決姿勢の「ポーズ」で点数を稼ごうという姑息さの指摘もあります。
        
 共産党は「ゆがんだ政治を根本からただすには、政権交代しかありません」(31日赤旗主張)と口先では言いつつ、菅自公政権打倒の闘いを本気で前進させようとしていません。同様に、枝野も「もはや菅内閣は信任に値しない。一刻も早く退陣すべきだ」と言いつつ、内閣不信任案の提出については、「自らが政治判断するあらゆる選択肢を否定しない」と述べているだけです。
        
 これまでの内閣不信任案提出が〝年中行事〟化していることもあり、野党に菅政権と闘う気迫を感じない労働者・働く者が大半でしょう。しかし、菅政権の継続はコロナ対策のみならず、野放図な借金財政の膨張予算に見られるように、労働者・働く者の生活困難や不安定さを深刻にするだけです。菅政権打倒に向けて階級的な闘いを前進させていきましょう。 (岩)


林紘義さんへの哀悼
理論家としての優れた功績
2021年2月18日


 「労働の解放をめざす労働者党」の党代表であった林紘義さんが去る2月10日、82歳で生涯の幕を閉じました。15日にはコロナ禍のために人数制限があり家族中心の「お別れ会」も行われました。労働者の解放の事業に一生を捧げてきた林紘義さんに心より哀悼の意を表します。

 林紘義さんは、労働者党が2019年の参議院選挙に確認団体として参加することを決め(比例区4名選挙区6名の10名の候補者を確定し林さんは比例区候補者)、多忙な日々を送っていた時に一度脳梗塞で入院しました。その後、熱心にリハビリに励み、ランニングや街頭演説ができるまでに驚異的に回復し、参院選挙の先頭に立ち、選挙中には3時間のロングランの演説をこなすなど強靭さを見せていました。
 しかし、昨年(2020年)4月に団地の集会で発言している時に急変し、再入院しました。脳内出血でした。その後いくらか回復が見られましたが、次第に体力が衰え永眠したのです。脳内出血がなければもっと活動ができたのにと思うと(林さん自身もそうでしょうが)、残念でたまりません。

 林紘義さんは、長野県出身で伊那北高校から東京大学に入学(卒業は大学院)し、当時の学生運動の影響を受け、その後、勤評反対闘争や60年安保条約改定反対闘争に参加しました。共産党を見限った学生たちが結成した「ブント」にも参加し、全学連の都学連執行委員を務めるなど活動に身を投じたのです。この時、同学年であった樺美智子さんと知り合うことになります。
 しかし、学生中心の安保闘争の挫折後、林紘義さんは試行錯誤しますが新左翼急進派には向かわず、独自に「全国社会科学研究会」を立ち上げ、労働者の革命的な政党を目指して精力的に活動していきました。機関紙や理論誌や単行本を発行し、集会やデモだけでなく、その後、全国的な政治闘争の舞台である選挙闘争にも闘いを広げていくことになります。

 林紘義さんの功績は数限りなく、労働者党をリーダーとして引っ張ってきただけでなく、優れた社会経済学の理論家でした。林さんは独自の政治活動を開始した全国社研から今の労働者党まで、精力的に機関紙の論文を執筆しましたし、単行本の発行数は30にものぼっている程です(労働者党のHP参照)。
 既に二十代後半には、ソ連や中国は「国家資本主義」体制であるとの論文を発表し、その概念を基に、1972年に「現代『社会主義』体制論 スターリン体制から『自由化』へ――国家資本主義の内的『進化』のあとづけ――」(全国社会科学研究会編・4人の共著)という単行本を発売しました。

 1960年代からソ連や中国の社会経済体制をどのように見るかの多くの論争がありました。共産党や社会党(現社民党)は、ソ連や中国を「社会主義国」と規定し、新左翼(トロツキー派)も「労働者国家」と考え、あたかも労働者・農民の解放に向かって進みうる社会かに論じていました。官僚は権力的・独裁的であり腐敗している「スターリン体制」だが、生産手段は国有化され計画経済が施行されているからというのが彼らの理由であり根底でした。

 しかし、林紘義さんは、農民が多数を占め、封建的体制から脱皮したばかりの生産力に乏しく技術的革新も進んでいなかった国家では、たとえ生産手段の協同組合化、国有化が行われても資本主義を飛び越え「社会主義」に進むことは不可能であると明確に語ったのです。つまり、革命後のソ連や中国は一種の資本主義である「国家資本主義」として進むことになるということでした。

 林紘義さんの「国家資本主義」論に近い人も確かにいました(「官僚制国家資本主義」の対馬忠行など)が、世界は広くても林紘義さんのようにソ連経済(中国経済も)の生産は私的性格をもつことを明らかにした人は他におりませんでした。

 彼は本書で次のように書いています(貴重な歴史的な文章です)。
 「私的所有がなければ、私的労働がなければ、商品はない。商品は私的所有と分業という社会的歴史的条件の下でのみ必然的なものとなる。従って、何千万という小所有を農業で作り出したロシア革命が商品生産を、従って何らかの形での資本主義を克服できなかったのは当然であった。そして農業の集団化すなわちコルホーズも商品生産を止揚することはできなかった、というのはそれは生産手段の社会的所有ではなく集団的所有を意味するにすぎず、私的所有の止揚ではなくその変形にすぎなかったからである」(25~26頁)。

 また本書では、共産党や新左翼がソ連や中国の指導部を道徳的に非難した「スターリン体制」に対して、次のように書かれています。  
 「われわれはスターリン体制に対して道義的、人間主義的非難の声をあげたり、ソ連・中国の現状を、スターリン個人(もしくはスターリンの政策)の責任にすべて転化したりする見解とは無関係である。必要なものは道義的批判ではなく、歴史的批判であり、ここにこそマルクス主義の神髄がある。スターリン体制がどんなに『非文化』的で、野蛮で、はずかしげのないものであったにしても、それは商品経済を基礎に、経済外的手段によって国民的資本の形成を強行的に達成する国家資本主義に最もふさわしいものであり、その必然的な上部構造であったのだ」(序の4頁)。

 当時は日本だけでなく世界の共産党や新左翼もロシア革命からの「後退」や「反革命」として「スターリン体制」を理解していましたが、林紘義さんは歴史の「後退」や「逆行」としてではなくロシア革命の歴史的に必然的な結果であったことを見抜いていたのです。

 林紘義さんの功績の2つ目は、社会主義(共同体社会)における「消費財の分配法則」を世界で初めて発見したことです。

 マルクスは既に、社会主義社会における労働時間による消費財の分配について述べていますが、それは「個々の生産者は、彼が社会にあたえたのと正確に同じだけのものを――控除をおこなったうえで――かえしてもらう」、「彼は自分が一つの形で社会にあたえたのと同じ労働量を別の形でかえしてもらう」(「ゴーダ綱領批判」・国民文庫=15、43頁)というものです。  
 確かに生産者の総労働は消費財生産の総労働に等しい(生産財部門の生産手段が消費財部門の消費財と交換されることを含む)というのであれば、マルクスの言うとおりです。またアダム・スミスも「国富論」の中で、国民の総労働は消費財を生産する労働の総和であると言いました。

 しかしアダム・スミスのドグマと言われる問題の真の解決には、生産財部門で機械や原材料を生産するための生産手段を考慮することが必要です。これは過去年に作られることが多いですが、これらの生産財部門の生産手段もまた消費されるなら消えてなくなります。社会的再生産を続けるなら、消失したこの生産手段は新品として再生産されなければなりません。
 従って、生産財部門の生産手段を作る生産者もまた、年々(月々)消費財の分配がされることになるし、現にどんな社会でも行われて来たことです。

 つまり、林紘義さんは、マルクスが『ゴーダ綱領』や『資本論』で記述したことの歴史的な背景や資本主義の現象と法則を区別しその関連をしっかり分析することによって、マルクスの言辞を超えて進んでいったのです。このことは、マルクスの言辞を鵜呑みにするか便宜的に利用する人(共産党系学者など)には難しいですが、「消費財の分配法則」を解く鍵は、経済に現れる現象と現象の背後で貫かれる法則を区別し、関連を明らかにするところにあったのです。これは林紘義さんの多くの著作でも明らかにされました。

 林紘義さんが「消費財の分配法則」について述べていたもう一つの重要なことは、消費財各品目を生産する労働時間の把握です。しかし、これは技術的に簡単なことではありません。現在、例えばスマホなどが何千何百万人もの生産者による世界規模での社会的分業によって作られているからです。さらにまた、日々技術革新が行われ生産力が上がり製品を作る労働時間が小さくなり、違った材料や部品が使われることも普通にあるからです。
 従って、例えばスマホを生産するのに要した労働時間を確定するためには、情報通信技術やコンピューターを高度に利用することなしにはできない相談ですが、概念は簡単で明瞭でした。

 以上、林紘義さんの功績のほんの2例を紹介しました。
 林紘義さんが若くして労働の解放の道に身を投じたのは、彼が強い信念の持ち主であったということもありますが、紹介したような優れた理論家であり、未来を見通す力があったからでしょう。
 しかし、現代の高度な生産が真に人々の福祉のために利用されるためには、また環境問題を真に解決するためには、生産手段の私的所有や搾取労働が無くなり、一切の差別が消え失せ、生産の社会化が行われることが必要です。林紘義さんはこうした理想(必然性)を常に念頭に置き闘ってきた人でした。

 我々は林紘義さんの意志を継ぎ、労働者の歴史的な大事業として、労働の解放をめざし闘って行く覚悟です。         
 林同志どうぞ安らかに。

 党ブログに林紘義さんの経歴と著書を紹介しています。こちらからどうぞ