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巻頭言



【2021.2.18】
林紘義さんへの哀悼
 ――理論家としての優れた功績


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林紘義さんへの哀悼
理論家としての優れた功績
2021年2月18日


 「労働の解放をめざす労働者党」の党代表であった林紘義さんが去る2月10日、82歳で生涯の幕を閉じました。15日にはコロナ禍のために人数制限があり家族中心の「お別れ会」も行われました。労働者の解放の事業に一生を捧げてきた林紘義さんに心より哀悼の意を表します。

 林紘義さんは、労働者党が2019年の参議院選挙に確認団体として参加することを決め(比例区4名選挙区6名の10名の候補者を確定し林さんは比例区候補者)、多忙な日々を送っていた時に一度脳梗塞で入院しました。その後、熱心にリハビリに励み、ランニングや街頭演説ができるまでに驚異的に回復し、参院選挙の先頭に立ち、選挙中には3時間のロングランの演説をこなすなど強靭さを見せていました。
 しかし、昨年(2020年)4月に団地の集会で発言している時に急変し、再入院しました。脳内出血でした。その後いくらか回復が見られましたが、次第に体力が衰え永眠したのです。脳内出血がなければもっと活動ができたのにと思うと(林さん自身もそうでしょうが)、残念でたまりません。

 林紘義さんは、長野県出身で伊那北高校から東京大学に入学(卒業は大学院)し、当時の学生運動の影響を受け、その後、勤評反対闘争や60年安保条約改定反対闘争に参加しました。共産党を見限った学生たちが結成した「ブント」にも参加し、全学連の都学連執行委員を務めるなど活動に身を投じたのです。この時、同学年であった樺美智子さんと知り合うことになります。
 しかし、学生中心の安保闘争の挫折後、林紘義さんは試行錯誤しますが新左翼急進派には向かわず、独自に「全国社会科学研究会」を立ち上げ、労働者の革命的な政党を目指して精力的に活動していきました。機関紙や理論誌や単行本を発行し、集会やデモだけでなく、その後、全国的な政治闘争の舞台である選挙闘争にも闘いを広げていくことになります。

 林紘義さんの功績は数限りなく、労働者党をリーダーとして引っ張ってきただけでなく、優れた社会経済学の理論家でした。林さんは独自の政治活動を開始した全国社研から今の労働者党まで、精力的に機関紙の論文を執筆しましたし、単行本の発行数は30にものぼっている程です(労働者党のHP参照)。
 既に二十代後半には、ソ連や中国は「国家資本主義」体制であるとの論文を発表し、その概念を基に、1972年に「現代『社会主義』体制論 スターリン体制から『自由化』へ――国家資本主義の内的『進化』のあとづけ――」(全国社会科学研究会編・4人の共著)という単行本を発売しました。

 1960年代からソ連や中国の社会経済体制をどのように見るかの多くの論争がありました。共産党や社会党(現社民党)は、ソ連や中国を「社会主義国」と規定し、新左翼(トロツキー派)も「労働者国家」と考え、あたかも労働者・農民の解放に向かって進みうる社会かに論じていました。官僚は権力的・独裁的であり腐敗している「スターリン体制」だが、生産手段は国有化され計画経済が施行されているからというのが彼らの理由であり根底でした。

 しかし、林紘義さんは、農民が多数を占め、封建的体制から脱皮したばかりの生産力に乏しく技術的革新も進んでいなかった国家では、たとえ生産手段の協同組合化、国有化が行われても資本主義を飛び越え「社会主義」に進むことは不可能であると明確に語ったのです。つまり、革命後のソ連や中国は一種の資本主義である「国家資本主義」として進むことになるということでした。

 林紘義さんの「国家資本主義」論に近い人も確かにいました(「官僚制国家資本主義」の対馬忠行など)が、世界は広くても林紘義さんのようにソ連経済(中国経済も)の生産は私的性格をもつことを明らかにした人は他におりませんでした。

 彼は本書で次のように書いています(貴重な歴史的な文章です)。
 「私的所有がなければ、私的労働がなければ、商品はない。商品は私的所有と分業という社会的歴史的条件の下でのみ必然的なものとなる。従って、何千万という小所有を農業で作り出したロシア革命が商品生産を、従って何らかの形での資本主義を克服できなかったのは当然であった。そして農業の集団化すなわちコルホーズも商品生産を止揚することはできなかった、というのはそれは生産手段の社会的所有ではなく集団的所有を意味するにすぎず、私的所有の止揚ではなくその変形にすぎなかったからである」(25~26頁)。

 また本書では、共産党や新左翼がソ連や中国の指導部を道徳的に非難した「スターリン体制」に対して、次のように書かれています。  
 「われわれはスターリン体制に対して道義的、人間主義的非難の声をあげたり、ソ連・中国の現状を、スターリン個人(もしくはスターリンの政策)の責任にすべて転化したりする見解とは無関係である。必要なものは道義的批判ではなく、歴史的批判であり、ここにこそマルクス主義の神髄がある。スターリン体制がどんなに『非文化』的で、野蛮で、はずかしげのないものであったにしても、それは商品経済を基礎に、経済外的手段によって国民的資本の形成を強行的に達成する国家資本主義に最もふさわしいものであり、その必然的な上部構造であったのだ」(序の4頁)。

 当時は日本だけでなく世界の共産党や新左翼もロシア革命からの「後退」や「反革命」として「スターリン体制」を理解していましたが、林紘義さんは歴史の「後退」や「逆行」としてではなくロシア革命の歴史的に必然的な結果であったことを見抜いていたのです。

 林紘義さんの功績の2つ目は、社会主義(共同体社会)における「消費財の分配法則」を世界で初めて発見したことです。

 マルクスは既に、社会主義社会における労働時間による消費財の分配について述べていますが、それは「個々の生産者は、彼が社会にあたえたのと正確に同じだけのものを――控除をおこなったうえで――かえしてもらう」、「彼は自分が一つの形で社会にあたえたのと同じ労働量を別の形でかえしてもらう」(「ゴーダ綱領批判」・国民文庫=15、43頁)というものです。  
 確かに生産者の総労働は消費財生産の総労働に等しい(生産財部門の生産手段が消費財部門の消費財と交換されることを含む)というのであれば、マルクスの言うとおりです。またアダム・スミスも「国富論」の中で、国民の総労働は消費財を生産する労働の総和であると言いました。

 しかしアダム・スミスのドグマと言われる問題の真の解決には、生産財部門で機械や原材料を生産するための生産手段を考慮することが必要です。これは過去年に作られることが多いですが、これらの生産財部門の生産手段もまた消費されるなら消えてなくなります。社会的再生産を続けるなら、消失したこの生産手段は新品として再生産されなければなりません。
 従って、生産財部門の生産手段を作る生産者もまた、年々(月々)消費財の分配がされることになるし、現にどんな社会でも行われて来たことです。

 つまり、林紘義さんは、マルクスが『ゴーダ綱領』や『資本論』で記述したことの歴史的な背景や資本主義の現象と法則を区別しその関連をしっかり分析することによって、マルクスの言辞を超えて進んでいったのです。このことは、マルクスの言辞を鵜呑みにするか便宜的に利用する人(共産党系学者など)には難しいですが、「消費財の分配法則」を解く鍵は、経済に現れる現象と現象の背後で貫かれる法則を区別し、関連を明らかにするところにあったのです。これは林紘義さんの多くの著作でも明らかにされました。

 林紘義さんが「消費財の分配法則」について述べていたもう一つの重要なことは、消費財各品目を生産する労働時間の把握です。しかし、これは技術的に簡単なことではありません。現在、例えばスマホなどが何千何百万人もの生産者による世界規模での社会的分業によって作られているからです。さらにまた、日々技術革新が行われ生産力が上がり製品を作る労働時間が小さくなり、違った材料や部品が使われることも普通にあるからです。
 従って、例えばスマホを生産するのに要した労働時間を確定するためには、情報通信技術やコンピューターを高度に利用することなしにはできない相談ですが、概念は簡単で明瞭でした。

 以上、林紘義さんの功績のほんの2例を紹介しました。
 林紘義さんが若くして労働の解放の道に身を投じたのは、彼が強い信念の持ち主であったということもありますが、紹介したような優れた理論家であり、未来を見通す力があったからでしょう。
 しかし、現代の高度な生産が真に人々の福祉のために利用されるためには、また環境問題を真に解決するためには、生産手段の私的所有や搾取労働が無くなり、一切の差別が消え失せ、生産の社会化が行われることが必要です。林紘義さんはこうした理想(必然性)を常に念頭に置き闘ってきた人でした。

 我々は林紘義さんの意志を継ぎ、労働者の歴史的な大事業として、労働の解放をめざし闘って行く覚悟です。         
 林同志どうぞ安らかに。

 党ブログに林紘義さんの経歴と著書を紹介しています。こちらからどうぞ