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巻頭言



【2021.12.29】
「ルールある経済社会」から「やさしい強い経済」へ
 ──志位・共産党のブルジョア的堕落の深化

【2021.12.29】
岸田政治象徴する安倍犯罪の隠ぺい
 ──「桜を見る会」不正を起訴せず


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「ルールある経済社会」から「やさしい強い経済」へ
志位・共産党のブルジョア的堕落の深化
2022年1月7日


        
 共産党の志位委員長は、1月1日の「赤旗」新年号の東大教授・本田由紀氏との「この国の政治を変える」とのタイトルでの「新春対談」で、「新自由主義から転換してどんな社会をつくるか」ということについて「やさしく強い経済をつくろう」というスローガンを掲げていくことにしたいと述べている。なぜ「強い経済」なのか。
        
 この7年間(13~20年)でGDPの伸び率は米国の27%、EUの14%に対して 日本は 6%と「成長できない国」になってしまったこと、新型コロナなど「危機に弱い国」になっていること、さらに現在では自動車をはじめ様々な分野での生産に不可欠となっている半導体生産の衰退に見られるように「競争力の弱い国」になってしまっているからだ、というのがその理由である。
        
 国際的な競争力を高め、経済成長率を伸ばすような「強い経済」を目指すことが、失業や貧困を解決し、豊かな生活を安定した社会を築いていく道だというのだろうか。だが、こんなことはこれまで自民党や資本がさんざん言いふらしてきたことである。
        
 「危機に強い国」にしても、たんに新型コロナに限らず、エネルギー資源、工業原材料や肉、大豆などの食糧資源の多くを海外に依存している日本にとって、資源確保のために資本は海外に工場を建設や資本投下をしたりし、そして国家はそれを財政的・政治的に援助してきた。さらには、商品や原料・エネルギーなど輸送ルートの安全を図る(例えば中東からの石油輸送の安全確保)も〝経済的安全保障〟として問題とされてきたのである。
        
 共産党はこれまでは、英、独、仏など西欧諸国に比べて、日本は労働者の権利保護や社会保障が遅れているとして「ルールある経済社会」(「ルールある資本主義」)をスローガンとしてきた。大企業や大資本の規制によって、労働者の権利や生活を守ることや社会保障の充実ということ、つまり「やさしい経済」(「やさしい資本主義」)が謳われてきた。
        
 共産党は、大企業や大資本に対する規制は、貸し渋りや下請けいじめなど資本蓄積第一で、国民そっちのけの社会を、国民の生活重視に改めていくことで、大企業や大資本をつぶすことではない、大企業も「ルールにのっとって」応分の社会的な責任を果たしてもらうことだと言ってきた。
        
 「ルールある資本主義」(岸田の「新しい資本主義」の言いぐさと似ている)という主張でさえも、〝国民生活重視〟の資本主義があり得るかのような幻想を振りまき、労働者の階級的意識を曇らせ、闘いを解体する主張であった。
        
 新しく提唱される「強い経済社会」のスローガンは、さらに露骨にブルジョア的な立場に接近している。志位・共産党のブルジョア的頽廃は、「ルールある経済社会(ルールある資本主義)」の破綻の必然的な結果である。
        
 志位・共産党にとって生活向上のための前提であった資本主義が衰退し・低迷している中にあっては、共産党のいう安定した豊かな社会の展望も消し飛んでしまったからである。
        
 こうして、国民生活を改善・向上させるために「強い経済」が新たなスローガンとして登場することになったのである。しかし、これは資本の立場、共産党が批判してきた連合幹部 や国民民主党など階級協調主義者の立場と一体どこが違うというのか。
        
 志位は、世界の経済大国にのし上がった日本が経済的に低迷してきたこと、労働者の不安定で将来に展望も持てないような酷い生活の原因が、腐朽し、寄生化を深めている日本資本主義にあることから目そらし、経済の弱体化という問題にすり替え、「強い経済」建設を構築していくというのだ。
        
 共産党の「ルールある資本主義」路線は破綻し、露骨な階級協調の「強い経済」というスローガンにいきついたのだ。資本主義からの解放をめざすという労働者の革命的立場を投げ捨てた共産党はますますブルジョア的退廃を深めている。 (T)
        

岸田政治象徴する安倍犯罪の隠ぺい
「桜を見る会」不正を起訴せず
2021年12月29日


        
 東京地検特捜部は 28 日、安倍の「桜を見る会」がらみの公選法違反と政治資金規正法違反について、不起訴処分を決定した。検察審査会が「不起訴不当」としたことを受けての2回目の捜査ということであったが、1回目の審査では一番厳しい「起訴相当」でなかったということで、2回目は審査すらせずに捜査を終結させた。
        
 岸田首相の「(事件について)説明はするが捜査はつくされている」という方針に沿って、岸田の「安倍による政治私物化のもみ消し姿勢」を検察が〝忖度〟して、不起訴処分にしたのである。権力犯罪は横行することになり、怒りと危機感を強くした人 が多いであろう。
        
 「桜を見る会」事件は、安倍の政治私物化が露骨に表れ、大きな問題になったのであったが、安倍は「やましいことはない」と開き直り、国会答弁をウソ八百で乗り切り、告訴は不起訴となったが、世論の不正追及の声に押されて検察審議会が開かれざるをえなかったのだ。
        
 しかし、1回目の審議会の議決で「不起訴不当」になり、自公政権に安倍政治による腐敗を正す姿勢が希薄なことは明らかであった。そして総選挙での野党の敗北で政権を維持した岸田は、安倍政治を継承しつつ、その「負の遺産」を清算する一環として、森友問題での賠償 金支払いでの幕引きに続いて、「桜を見る会」不正事件も蓋をしようというのである。
        
 岸田は支援金のバラまきやオミクロン拡大に水際対策強化などで点数を稼いでいるが、改憲策動や軍拡路線の反動的な政治も推進しようとしており、「新しい資本主義」のスローガンでの財政膨張継続のように、資本の支配の矛盾を深めるしかないのである。   (岩)