WPLLトップページ E-メール


労働の解放をめざす労働者党機関紙
『海つばめ』

◆隔週日曜日発行/A3版2ページ
一部50円(税込み54円)

定期購読料(送料込み)1年分
  開封 2000円
  密封 2500円

ご希望の方には、見本紙を1ヶ月間無料送付いたします。

◆電子版(テキストファイル)
メールに添付して送付します

定期購読料1年分
 電子版のみ 300円

 A3版とのセット購読
  開封 2200円
  密封 2700円

●お申し込みは、全国社研社または各支部・会員まで。
E-メールでのお申し込みもできます。



郵政民営化の中で何が起きているのか?
郵政労働者は告発する!

■民営化の嵐の中で最大の御用組合の登場――JPU臨時全国大会議案批判
■郵政民営化――今、職場では/郵政現場からの報告
■恐竜化か、リリパット化か――郵政民営化のジレンマ
■西川善文著『挑戦――日本郵政が目指すもの』/民営化に賭けるトップの本音


憲法改悪と
いかに闘うか?


■改憲に執念燃やす安倍――「国民の自主憲法」幻想を打ち破れ
■労働者は改憲策動といかに闘うか
■国民投票法をどう考えるか
■安倍の「美しい国」幻想――憲法改定にかける野望


本書は何よりも論戦の書であり、その刊行は日和見主義との闘いの一環である。
マルクスが『資本論』で書いていることの本当の意味と内容を知り、その理解を深めるうえでも、さらに『資本論』の解釈をめぐるいくつかの係争問題を解決するうえでも助けとなるだろう。


全国社研社刊、B6判271頁
定価2千円+税・送料290円
●お申し込みは、全国社研社
または各支部・会員まで。
E-メールでのお申し込みもできます。
「不破哲三の“唯物史観”と『資本論』曲解』(林 紘義著)」紹介(『海つばめ』第1048号)


全国社研社刊、B6判384頁
定価2千円+税・送料290円
●お申し込みは、全国社研社
または各支部・会員まで。
E-メールでのお申し込みもできます。
「天皇制を根底的に論じる『女帝もいらない 天皇制の廃絶を』(林 紘義著)」(『海つばめ』第989号)他

理論誌『プロメテウス』第54号
2010年10月(定価800円)

《特集》菅民主党のイデオロギーと“体質”
・神野直彦の思想と理論――菅直人のブレインは「曲学阿世の徒」
・原則なき寄せ集め政党――顕現するブルジョア的“体質”
反動的な「文化」の擁護に帰着――レヴィ=ストロースの「文化相対主義」批判


 
 
 教育のこれから
   「ゆとり」から「競争」
   そして「愛国教育」で
   いいのか
 林紘義 著 7月1日発売

  (全国社研社刊、定価2千円+税)
  お申し込みは、全国社研社
  または各支部・会員まで。
  メールでの申し込みも可能です。

まかり通る「偏向教育」、「つくる会」の策動、教育基本法改悪の動きの中で、“教育”とは何であり、いかに行われるべきかを、問いかける。  


 第一章  
教育基本法改悪案の出発点、
森の「教育改革策動」
 第二章  
破綻する「ゆとり」教育の幻想
 第三章  
“朝令暮改”の文科省、
「ゆとり」から「競争原理」へ
 第四章  
ペテンの検定制度と「つくる会」の教科書
 第五章  
歴史的評価なく詭弁とすりかえ
つくる会教科書(06年)の具体的検証
 第六章  
日の丸・君が代の強制と
石原都政の悪行の数々
 第七章  
憲法改悪の“露払い”、教基法改悪策動

●1304号 2017年6月25日
【一面トップ】さらに加計学園巡る権力犯罪――安倍政権は即時退陣するしかない
【コラム】飛耳長目
【二面〈主張〉】弾圧のための弾圧法――テロ対策≠ネど単なる口実
【二面トップ】「象徴」天皇制の欺瞞と虚像――天皇は国民道徳の「象徴」となりうるか
【二面サブ】ある自動車産業労働者の死――資本は労働者の命まで奪うか!

※『海つばめ』PDF版見本

さらに加計学園巡る権力犯罪
安倍政権は即時退陣するしかない

 加計学園事件は森友学園事件と共に、安倍の権力の私物化と、その悪用を明らかにする、安倍一派の薄汚い権力犯罪であり、国家主義派の下劣さと不潔と無道徳性を暴露し、政権担当の能力ばかりではなく、その最低の資格さえないことを満天下にさらけ出してしまった。今こそ安倍政権を打倒し、一掃する絶好のチャンスである。しかるに民・共やリベラルや市民派は、怖じ気づき、無力をかこち、安倍政権の延命や、憲法改定を始めとする多くの悪事の策動を許している。

 森友学園に続く加計学園事件は、安倍一派が、彼らの私利のために政権を私物化し、壟断し、国家行政さえ歪めていることを暴露した。まさに破廉恥な権力犯罪であり、厳しく罰せられてしかるべきである。しかし安倍一派は安倍の陣頭指揮≠フもと、政権ぐるみ、国家ぐるみの事実のねじ曲げと真実の隠蔽工作を行い、不正はないと強弁している。

 森友学園の時には、国家ぐるみはうまく機能したが、加計学園の時にはさすがの官僚たちも安倍に忠義立て≠キることを潔しとせず反旗を翻し、事実と真実が徐々に明らかになり始めたが――しかしそうしたことは、労働者、勤労者には最初から明らかだった――、安倍政権は今もって真実に背を向け、「無理が通れば道理が引っ込む」やり方が通用すると信じ込んでいる。

 5月中旬、加計学園への認定はそもそも「総理のご意向」、「官邸の最高レベルが言っている」という文科省へ圧力をかけた政権側の文書が発覚したが、安倍政権はその事実を頭から否定し、そんな文書は「怪文書」であって、安倍政権には何らやましいことはないと開き直った。

 文科省の松野大臣もまた、調査はしたが、そんな文書は存在しなかったと早々に結論し、幕引きを図った。

 しかし内閣府と文科省の幹部の実名と会合の日時が記された文書や、前川元文科省事務次官が、「文書は文科省内部で共有され、確実にあった」と証言するなど、疑惑が深まり、さらには6月2日、民進党が、そんな文書の電子メールの写しを公表した。

 文科省の数名の職員も、報道機関に「文書はあった」と証言し、その結果、「再調査はしない」と結論していた文科省は、一転して再調査をすることを約束せざるを得なくなった。

 そして6月の15日、国会の最終盤になってようやく、文科省は、「徹底した調査」の結果を発表した。

そしてその文書には、余りに明白に、「総理のご意向」、「官邸の最高レベルが言っている」といって、安倍政権が文科省に強い圧力を加えて加計学園への認可を早急にやらせようとしたことが、そしてやらせたことが明記されていたのである。

 その後も、安倍の茶坊主の萩生田が、加計学園だけが獣医師大学の認可が得られるように露骨に画策した文書もまた明るみに出てきた。

 それには、文科省の大臣自身が加計学園への認可を、「官邸は絶対やると言っている」、「総理は『平成30年(2018年)開学』とおしりを切っている。今年の11月には方針を決めたいと言うことだった」等々の発言が記されていたが、萩生田らが実際にこうした発言をしたことは、加計学園認可までの実際の経過や進行とも照らし合わせれば、その真実性は余りに明らかである。

 民・共やリベラル・マスコミは、真実を明らかにせよとか、国会を開催し、真相を究明せよと要求するが、しかし真相はすでに100%明らかであり、加計学園では、森友学園のときとは違って証拠は十分に揃っていて、誰がウソをついているのかも明らかである。

 そもそも民・共は、すでに「総理のご意向」、「官邸の最高レベルが言っている」という文書が明らかになった瞬間に、そして安倍一派が、そんな文書は存在しない、「怪文書」だと菅が言った瞬間に、安倍政権打倒のチャンスがやってきたと判断し、のるかそるかの闘いを決意し、開始すべきであった。

 安倍政権が個別企業に特別の便宜を図り、その利益のために権力を悪用し、「行政を歪めた」ことが事実だとするなら、それは総理の犯罪であって――それがケチな問題であるのかないのかは別問題である――、安倍はかつて断言したように自ら総理を辞め、議員も辞職すべきであり、するしかなかったのである。

 しかし民・共は断固として安倍に退陣を迫り、安倍の逃げ場をなくし、追い詰めのでなく、「真相を解明」に闘いをそらせ、議会の中での無力な論争≠ノうつつを抜かしたのである。

 蓮舫民進や志位共産に闘う決意も勇気も闘うエネルギーも何もなかった、というのは、彼ら自身、安倍政権が倒れ、自ら責任をもって政権を握るようなハメになったら、困惑して何をしていいか分からなかったから、どんな政権担当の能力も決意も持ち合わせていなかったからである。

 09年、彼らは「まず政権交代が必要だ、後は自ずから具合良く進む」と言ったたわごとを並べつつ政権を握ったが――朝日などの軽薄で、インチキ自由主義のマスコミに応援されて――、もちろん当然の結果としてみじめな破綻を経験しただけであった。

 だから安倍政権の打倒の絶好の機会が訪れても、単に支持率を少し上げたり、国政選挙や都議選挙で少々票数を増やしたりすることばかりを考え、「真相解明」と言った日和見主義的で、無力な政治闘争に憂き身をやつすしかなかった。

 それに民主党時代、偽メール事件でひどいやけどをしたことの後遺症からか、民進党は、「羮にこりて膾を吹く」のたとえ通り、決定的なときにためらい、優柔不断の日和見主義に陥り、累卵の危機に陥った安倍政権を追い詰め、粉砕するチャンスを逸したのである。

 民・共は、決定的な政治対決の時であって、断固として闘わなくてはならない時、こともあろうに天皇の生前退位問題で安倍政権に全面的に協力し、追随して、存在もしない「国民的合同」を演出し、安倍政権との共闘や妥協にのめり込んでいたのである。まるで安倍政権を助けていたと言われても、何の弁解もできない。

 まさに天皇制問題でも、「共謀罪」法でも、加計学園問題でも、断固として、原則的な立場を固持して闘い抜いたなら、安倍政権は果たして持ちこたえることができただろうか。

 安倍は森友学園事件で財務省の役人が安倍政権に忠勤を誓って裏切らなかったのに味を占め、楽観して文科省の役人も同様だと判断を誤ったのだが、しかし文科省の官僚たちも――天下り事件や教科書検定問題など見ても、彼らもまた十分に堕落頽廃しているのだが――、自分たちを安倍一派の悪事のために散々に利用しておきながら、悪事が露見するやいなや、その責任を押し付けたり、攻撃したり、中傷したりするのには、さすがに腹に据えかねたのである。

 安倍政権のいやらしさ、矮小さは、2014年、安倍一派の「政治主導」を貫徹するためと称して、役人の人事権までも完全に手に入れたのだが、それを卑しい野心や仲間内のケチな利益のために臆面もなく私的に悪用するところに帰着した点に完全に現れている。

 「公共心」をあれほどに強調し、個人主義を非難する国家主義者の連中ほどに、個人主義、利己主義に骨まで犯されている連中はいない。しかも彼らの個人主義、利己主義は特別に卑しく、俗悪である。

 我々はすでに第一次安倍政権の時代(06年から07年)、安倍の政治の本質を完全に認識し、暴露したが、それは、『第一次安倍政権の2大前科≠問う』に明らかである。我々はその中で「実際、安倍、中川らは自らの数々の悪事を権力をかさに押し隠し、その反動路線をごり押し≠ナきると思い込んでいるのである。権力がバックにあれば、どんなひどいことでも平気でやるのであり、またできると思い込んでいるのであり、その罪≠問われることはないとたかをくくっているのである。まさに権力主義的、ファシズム的体質の$l間たちである」(349頁)と、安倍らの本質を告発している。

 第二次安倍政権の発足のころにも(13年の暮)、「ファシズムとは近代的な装いを凝らした奴隷制度、人々の、何よりも労働者の階級的な人格的存在や『思想・信条の自由』さえ否定する一種の奴隷制であって、それはかつてのナチスドイツや天皇制軍国主義国家の再現であろう。安倍長期政権の可能性とは、まさに日本のファシズム的国家への前進であり、その危機の現実性である」と強調した(『アベノミクスを撃つ』284頁)。

 今や政治情況は、安倍政権の犯罪の「事実の解明」等々といった、悠長な時ではない、働く者の課題は、すでにおぞましい権力犯罪にどっぶり浸り、政権担当の能力だけではなく、その資格さえも失っている国家主義派の反動政権、腐敗政権を一掃し、働く者の政権と社会に向かって道を切り開いていくことである。

   

【飛耳長目】

★安倍が大急ぎで、再び「経済最優先」を掲げて、加計学園事件で凋落した支持率の回復に乗り出した。今回は「人材投資」で、幼児教育や高等教育にカネを注ぎ込んで、成長にも資し、また格差是正にも貢献するという★安倍は13年、特定秘密保護法という怪しげな臭気を発する法案を成立させた後、成長政策をことさらにわめいたし、15年秋には安保法を成立させた後、「一億総活躍社会」といったアドバルーンを上げた。そして今回は「人づくり革命」だ★この暗愚な男は、柳の下にいつも泥鰌はいないことも知らないらしい。「幼児教育」をことさらにはやし立てるのは、歪んだ競争社会の反映であること、高等教育の優遇も一部のエリート選抜や特権化と新しい差別の拡大に帰着するだけであることは自明だ★貧しい家庭の子どもにも高等教育のチャンスをと言うが、その前に搾取され、差別される労働者の家庭、貧しい家庭を一掃することが先決である。二千万にも達する非正規労働者をさらに増やしつつ、貧しい家庭も何もない★安倍は改憲の4課題の一つに、「高等教育の無償化」を盛り込むというが、そんなばかげた話と、今度の「人材革命」といった大げさではあるが、空虚な話と結びつけようというのか★追い詰められた安倍は姑息なやり方で危機を脱しようと足掻くのだ。今や見え透いた策動を許さず、安倍政権を断固打倒せよ。(鵬)

   

   

【主張】

弾圧のための弾圧法
テロ対策≠ネど単なる口実

 参議院でわずか2週間余りの審議を経ただけで「共謀罪」法が成立した。

 一方に、加計学園で政権がますます追い詰められかねない国会を1日も早く終えようとする安倍政権の都合があり、他方で、政権の実績づくり≠フため、この法案を何としてでも成立させなくてはならない安倍の必要性があった。

 「国際組織犯罪防止条約の締結のため」とか、東京五輪におけるテロ防止のためとかもっともらしく言われたが、単に警察権力の強化や膨張を求める勢力の悪しき意図がまかり通り、荒っぽい弾圧法が一つ新しく加えられ、近づく階級闘争激化の時代への備えがなされたということでしかない。

 「組織的犯罪集団」の定義は明確には語られなかった、というより、それは将来における拡大解釈≠フために、故意にぼかされ、あいまいなままにされたのである。この観念は、国際的規定に従えば、マフィアなどの「組織犯罪」集団等々のことであり、彼らの金銭犯罪等々を国際的に℃謔闥まるための概念であり、だからこそ各国の締結が要請されたのであって、テロ対策が目的ではないのであり、したがってまた「共謀罪」法が日本で成立しなくては、国際的組織≠ノよるテロ――とりわけ五輪における――が防げるか、防げないかといったことではない。「組織的」でないテロもあり得るし、国際的組織ではないテロもあり得る。そもそもIS等々の外国の「組織的犯罪集団」による五輪テロといったことと、「共謀罪」法とはほとんど無関係である。「共謀罪」法はナンセンスで、ピント外れであって、弾圧のための弾圧法をでっち上げただけだと言われても、政権はどんな反論もなし得ない。

 こうした「組織的犯罪者集団」には環境団体や基地反対団体なども、いくらでも含まれ得るというのだから、警察権力や反動政権が取り締まろうと思えば、どんな団体でも容易に取り締まり、弾圧できるのである。

 安倍政権は外国の危機をわめき散らして、それが空想的なものであろうと、軍事力の強化に血眼になるのと同様に、テロの危機を叫んで、警察権力をただ強化することに狂奔するのだが、それらはただ安倍政権の実績≠印象づけ、落ち目の政権の延命を図るためでしかない。安倍政権の利益のために国政がねじ曲げられるのだが、それは加計学園事件において、安倍の国政私物化のために「行政がいくらでも歪められる」のと同様である。

 「組織的犯罪集団」を早めに、凶悪事件を起こす前に取り締まり、「処罰可能」にするというが、実際には例えばオウムを見ても、弁護士誘拐殺人事件や長野のサリン事件や、警視総監襲撃事件が相次いでも、警察権力はまだオウムを取り締まり、摘発しなかったのであって、地下鉄サリン事件が発生して、ようやく重い腰≠上げたにすぎない。

 要するに反動派や宗教団体の装いを凝らした犯罪集団に対しては警察権力はただ甘かっただけであって、法律の不備など二の次、三の次のことでしかなかった。

 「共謀罪」法のような法律の危険性≠ノついていくらでもおしゃべりはできる、しかし治安維持法がその危険な*{性を明らかにし、威力を発揮したのは、労働者の闘いなどが弾圧され、挫折した後であって先でなかったのである。

 つまり我々は安倍政権のような危険な$ュ権を一掃する闘いから始めなくてはならないということである。国家主義的反動派やファッショ勢力との闘いに敗北すれば、暗黒の時代は確実に、再びやってくるのである。

   

「象徴」天皇制の欺瞞と虚像
天皇は国民道徳の「象徴」となりうるか

 天皇の生前退位の問題は、特別法の制定――明仁の退位についてだけの法律の制定――という、安倍政権の意図がまかり通った、便宜的な解決≠ニいう形で終わったが、それはただ、現存の天皇制が表面的には平穏無事に続くといったことであり、今後に問題を先延ばししただけであり、早晩天皇制の持つ根源的な矛盾の顕在化や、その歴史的な崩壊は避けられない。我々は「象徴」天皇制をも一掃するために、そもそもそれは何であるかを考察しなくてはならない。

 そもそも「象徴」天皇制の概念規定はなされていないのであって、規定もなしえないものが存続し得るはずはない。国家や国民統合の象徴だといっても、古代王朝の時代でもあるまいし、なぜ一人の人間が「血統」によって、日本の「象徴」となり得るのか。人々の平等と人格的解放が謳われる現代にあって、余りにも愚劣で、野蛮で、時代錯誤の観念でしかない。

 天皇はただ、国民≠ネる一つの抽象物に対して「同情する」、「祈る」等々はできるが、それだけであって、国民の本当の、実際的、現世的な°齡Yの原因など考えることもなく、また考える必要もないのである。自然災害に比べて、何十倍、何百倍もの苦悩をもたらす――現実にもたらしている――社会的な災害≠竍災厄≠ノついては、天皇の目は節穴であって、「見れども見えず」、知らん顔をし、目をそらしている。

 ここでは天皇の役割は何も存在しないのである、あるいは労働者、勤労者のために「祈った」り、「同情したり」しても何の意味もない。労働者は、「反省だけならサルでもできる」という言葉を借りるなら、「同情だけなら天皇でもできる」が、必要なことは同情ではなく、長時間労働や差別労働に象徴される搾取労働を現実的に一掃することである。またかつてのドラマの誰かの言葉を借りるなら、働く者は「同情なんて要らない、生活できる給料をくれ」と叫ぶしかないのである。

 かくして「象徴」天皇とは、日本人の道徳の「象徴」として天皇であり得るだけだが、同情とか、慰藉[いしゃ]とか、慰霊とか、鎮魂とか、愛情とか、心配りとか、優しさとか、不幸な人々に「寄り添う」とか、ボランティア活動に励むとか、被災地などへの慰問≠ノせっせと通うとか――無神経に、半ばありがた迷惑なのを知らないかに、まるで安倍と競い合うかに、である。明仁も安倍も、彼らの自己満足やうぬぼれや利益や思惑のためでしかないような慰問%凵Xが、現地当事者の多くにとって実際的、精神的な重い負担であり、また巨額の税金の無駄遣いであることを、一切知らないのである――、まじめで、誠実であるとか、家族愛とか、祖先尊崇とか、そして最後には国家・国民への愛とか――もちろんこれは最後だからといって、それが最も重要なことでないというわけでないのは、「教育勅語」を見れば明らかである――等々の、大切な日本的%ケ徳の「象徴」として現れるのであり、かくして明仁は立派に「象徴」としての役割を果たすことができ、自らの存在意義≠ようやく見出し、実践できたと安堵し、皇室の未来に――天皇制の延命に――希望を託することができるのである。

 まさに天皇の存在や言動は、敗戦後版の生きた「教育勅語」というわけである。道徳は「教育勅語」と同様に、天皇からの授かり物として天から降ってくるのである、ありがたい神もしくはその子孫と自称する天皇一家の言動であり、絶対的なものである(神の子孫などと自称していないというなら、なぜ神の血も流れていない、普通の人間が、国民の中の一個人が、ありとあらゆる時代や社会を超越して国家国民の「象徴」、つまり道徳律の模範となれるかを、そしてまたなぜ世界中の人々、諸国民を「象徴」できないかを、合理的に説明すべきである)。

 道徳教育≠ノついてあれこれ文句を共産党やリベラルの連中は並べるのが常なのだが、天皇からありがたく下賜(かし)される道徳は、国家や安倍政権の押し付ける道徳とは違って、唯一無二のものとして随喜の涙を流すのだから(例えば、今年の5月から6月にかけて朝日新聞が延々と連載した皇室と天皇制賛美の破廉恥な記事、「皇室と震災」を見よ)、こうした連中の思想性とはどんな程度のものかと疑うしかない。

 明仁が売り込んでいる道徳とは、抽象的な道徳としてありふれたものであり、平凡なものであって、それ故にどこでも通用するのであり、また必ずしも一般的に通用しないのであるが、それらが支配者のために、支配者によって労働者、勤労者に押し付けられるとき、労働者、勤労者を拘束し、がんじがらめにして苦しめるのだが、それは道徳≠ツまり社会的規範の本性でもある。

 彼らには、天皇制が尊崇や絶対的権威の対象でなくては困るのであり、単なる行為や愛情の対象であってはいざという時には*に立たないのである、国民の全体が国家主義や専制主義に「統合」され、動員されなくてはならず、天皇制がその「象徴」として役に立ち、機能しなくて困るのであり、無意味なのである。

 だからこそ、彼らは憲法改定を望むのであり、天皇を元首に祭り上げ、天皇の絶対化を実現しなくてはならないのである。

   

   

ある自動車産業労働者の死

資本は労働者の命まで奪うか!

 ある労働者の葬儀がひっそりと執り行われた。葬儀に参列したのは、少しばかりの親族と同じ職場で働く5、6人の労働者たち。資本による労災死にしては、余りにも寂しい葬儀ではないか。

 亡くなったのは、トヨタ自動車傘下でトラック、バス等を製造するH自動車の整備工場に勤務する労働者、死因はアスベスト(石綿)による中皮腫、享年52歳であった。

 高卒後33年間、H自動車の製造工場や整備工場で働き、後輩からも慕われる真面目な労働者であった。それが約半年前の職場での定期健康診断で、アスベスト吸引による中皮腫と診断され、数日を経て入院。後に退院し、会社から労災と認定され、休職。しばし自宅療養中であった。その間は、好きなビールを飲むほどに元気であった。しかし、年をまたいで容体が急変し、あっという間の死であった。この半年間の本人の無念と苦しみは計り知れないことであったろう。

 通夜には、職場の労働者がつなぎの服のまま参列。その死に顔をのぞき込んで、「まるで別人じゃないか」と嘆き悲しんでいたのが印象的だ。聞くところによると、最後の一週間ほどは全く栄養を受け付けなかったという。おそらく呼吸困難という、凄まじい苦難に見舞われながら、最後の一呼吸まで死と闘い続けたのだろう。彼を「別人」にしてしまったことへの深い悲しみと、その殺人労働への怒りを禁じ得ない。

 自動車整備工場で働いてきた彼は、一体何故アスベストによる中皮腫となったであろうか。ご存じのようにアスベスト(石綿)は、自然鉱物の軽い繊維状の集まりであるが、熱や火に強く、腐らず加工しやすいので、耐熱・断熱・保温等の分野で幅広く使用されてきた。ビルや住宅をはじめとした建築物全般や工業製品のあらゆる分野でそれが利用された。小中学生の理科の実験で、アルコールランプの上に「石綿付き金網」を乗せて実験をしたことを覚えているだろうか。石綿は、不燃材料として、かつては画期的な商品と言われてきたのである。

 そして、自動車産業では、つい最近までブレーキパッドやブレーキライニング、クラッチディスクに石綿が利用されてきた。自動車のブレーキは、この石綿と耐熱用樹脂の複合体なのである。従って、ブレーキを踏むごとにこの複合体の粉塵が空中に撒き散らされ、我々は日常的に吸引していたことになる。現に東京都大田区の環境測定で、幹線道路周辺で石綿の粉塵濃度が高いと報告されているという。

 このブレーキ等の清掃や部品の交換作業を長年続けていれば、アスベスト(石綿)を長年吸引し続けることとなる。しかも、ブレーキ清掃作業はエアガンで吹き飛ばす方法が一般的であった。その方法が一番綺麗になるからである。当然マスク等も着用するだろうが、毎日終業時まで狭い空間の中でこの作業を続けていれば、アスベストは肺胞まで到達し、蓄積し、そして細胞を損傷させるだろう。その結果、中皮腫、肺癌等が発生することになる。おそらく彼の死もこうしたことが原因だと思われる。

 次に、なぜ彼は突然に健康診断で中皮腫と診断され、また半年後に死亡したのか。それは、アスベストによる発病までの潜伏期間が15〜30年と長く、長期の生存率は0に近く、発病から平均一年以内で死亡する不治の病だからである。

 自動車業界では、既に1989年から、新車のノンアスベスト化が始まったが、完全に廃止されたのは2003年である。もちろん、ノンアスベスト化はアスベストが有害であり労働者に死をもたらしていることへの危惧からに違いないが、この廃止までの期間は一体何を意味しているのであろうか。

 かつて学校を含む建築物の天井等のアスベスト使用が問題となり、マスコミ等が大きく取り上げたが、その後報道が減り、あたかも解決したかの印象である。しかし、その被害はむしろ拡大している。年間4000人ものアスベストによる中皮腫死亡(肺癌を含めるとそれ以上)が報告され、自動車産業では既に130人もの労働者が労災認定され、その後死亡している。三菱自動車では、判っただけでも既に10名以上(マツダは30数名とも)が中皮腫で死亡し、何名かが裁判中である。それはスズキでもホンダでも日産でもトヨタでも同じである。しかし、最大資本のトヨタが0に近いとは一体どういうことか。

 これらの自動車資本は、労働者のアスベストによる殺人労働が公になることを恐れている。その証拠に、せいぜい労災認知することで良しとしている。もし公になったら、国内外を問わず使用されている全ての自動車と中古店に並ぶ自動車の全て(否、自転車以外の全てのもの、バイク、トラック、バス、電車、飛行機まで)のリコールを実施しなければならない。その期間と費用たるや莫大なものとなるであろう。安倍政権や既成政党がこの問題を取り上げることは百万分の一もないが、自動車を広告するマスコミとて同じである。日本の基幹産業である自動車資本を告発することは彼らの内の誰にもできない。そして、それは自動車産業だけではなく、アスベストを使用してきた住宅、マンション、ビルをはじめとした全ての企業に広がるであろう。

 550万人になんなんとする自動車労働者の中で、彼のように潜伏期間を経て、アスベストによる死亡者が増えていくことは確実である。この資本による殺人労働を、資本主義の変革と結びつけて告発しなければならない。「労働の解放をめざす労働者党」の綱領の中の「勝ち取るべき労働者党の具体的要求」では、次のような要求が掲げられている。「長時間労働、殺人労働、非人間的労働に象徴される搾取労働と、大量の非正規労働者に代表される差別労働の即時、無条件の廃止と一掃、劣悪な労働条件・労働環境の改善、深夜労働の禁止等々」と。今こそ労働者党に結集して、労働者にふりかかるありとあらゆる資本の攻撃を告発していかねばならない。(静岡K)


ページTOP