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労働の解放をめざす労働者党機関紙
『海つばめ』

◆隔週日曜日発行/A3版2ページ
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郵政民営化の中で何が起きているのか?
郵政労働者は告発する!

■民営化の嵐の中で最大の御用組合の登場――JPU臨時全国大会議案批判
■郵政民営化――今、職場では/郵政現場からの報告
■恐竜化か、リリパット化か――郵政民営化のジレンマ
■西川善文著『挑戦――日本郵政が目指すもの』/民営化に賭けるトップの本音


憲法改悪と
いかに闘うか?


■改憲に執念燃やす安倍――「国民の自主憲法」幻想を打ち破れ
■労働者は改憲策動といかに闘うか
■国民投票法をどう考えるか
■安倍の「美しい国」幻想――憲法改定にかける野望


本書は何よりも論戦の書であり、その刊行は日和見主義との闘いの一環である。
マルクスが『資本論』で書いていることの本当の意味と内容を知り、その理解を深めるうえでも、さらに『資本論』の解釈をめぐるいくつかの係争問題を解決するうえでも助けとなるだろう。


全国社研社刊、B6判271頁
定価2千円+税・送料290円
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「不破哲三の“唯物史観”と『資本論』曲解』(林 紘義著)」紹介(『海つばめ』第1048号)


全国社研社刊、B6判384頁
定価2千円+税・送料290円
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「天皇制を根底的に論じる『女帝もいらない 天皇制の廃絶を』(林 紘義著)」(『海つばめ』第989号)他

理論誌『プロメテウス』第54号
2010年10月(定価800円)

《特集》菅民主党のイデオロギーと“体質”
・神野直彦の思想と理論――菅直人のブレインは「曲学阿世の徒」
・原則なき寄せ集め政党――顕現するブルジョア的“体質”
反動的な「文化」の擁護に帰着――レヴィ=ストロースの「文化相対主義」批判


 
 
 教育のこれから
   「ゆとり」から「競争」
   そして「愛国教育」で
   いいのか
 林紘義 著 7月1日発売

  (全国社研社刊、定価2千円+税)
  お申し込みは、全国社研社
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  メールでの申し込みも可能です。

まかり通る「偏向教育」、「つくる会」の策動、教育基本法改悪の動きの中で、“教育”とは何であり、いかに行われるべきかを、問いかける。  


 第一章  
教育基本法改悪案の出発点、
森の「教育改革策動」
 第二章  
破綻する「ゆとり」教育の幻想
 第三章  
“朝令暮改”の文科省、
「ゆとり」から「競争原理」へ
 第四章  
ペテンの検定制度と「つくる会」の教科書
 第五章  
歴史的評価なく詭弁とすりかえ
つくる会教科書(06年)の具体的検証
 第六章  
日の丸・君が代の強制と
石原都政の悪行の数々
 第七章  
憲法改悪の“露払い”、教基法改悪策動

●1309号 2017年9月3日
【一面トップ】2%でなく1%を説く――余りに愚かだった民進代表選
【1面サブ】ある国民連合政府≠フ経験――幻想の政治改革≠ナ安倍政権に道開く
【コラム】飛耳長目
【二面〈主張〉】不誠実な共産党の言行不一致――どこに「野党共闘」があったか
【二面トップ】安倍の究極の無責任――画餅と化す財政健全化′約
【二面サブ1】夏の戦争写真展に思う
【二面サブ2】武力誇示し威嚇し合う――専制的権力者同士危険な火遊び
※『海つばめ』PDF版見本

2%でなく1%を説く
余りに愚かだった民進代表選

 枝野と前原の一騎打ちとなった民進代表選の結果は、この『海つばめ』が読者の手元に届く頃には明らかになっているだろう。マスコミは前原の優勢を伝えているが、もし前原が勝利するなら、民進は安倍自民にますます接近し、事実上迎合・屈服することで安倍政権崩壊後の「受け皿」を目指すということである。橋下や小池がたどった道筋、たどろうとしている道筋である。

 二人はかつての民主党政権(09〜12年)の挫折と失敗を反省しつつ――反省だけなら誰にでもできる――、あれこれの政策=\―共産党と共闘するかどうか、するとしたらどんな形でやるか、あるいは増税が必要だが、それは消費増税でやるのか法人税か――で争ってきた。

 そして彼らは安倍政権と闘うには対案≠ェ必要と主張し、この点では一致した。

 もちろん対案≠ノも色々あろうというもので、それを一概に否定できないとしても、彼らの唱えた対案≠ヘまさにナンセンスの最たるものであって、民進の政治的立場の矮小性、反動性を決定的に明らかにしている。

 彼らが珍しく一致した対案≠ニは、「物価目標を1%にせよ」、といったものである。安倍政権が4年半も掲げてきた2%に対する対案≠セが、1%にする理由は、2%は不可能だが1%なら可能で現実的だ≠ニいうのだから余りにお粗末で、そんな政策≠ナ安倍自民党に替わって政権を担当できるはずもない。

 安倍らは2%のインフレを引き起こせば――もっと正確にいうなら、そんなインフレの不可避性を国民が信じるなら――、経済的困難や疾病はたちまち治癒され、経済は好転し、バラ色の時代がやってくるといったようなデマゴギーを持ち出し、国民をだまし、愚弄した末に破綻しつつあるが、枝野や前原は2%にしたから失敗したのであって、1%なら大丈夫だというのである。

 まるでマンガである。

 我々は安倍政権の最初の瞬間から、日本の停滞し、衰退する経済に対しては、マイルドな<Cンフレ――あるいはインフレ期待――が必要であり、それが達成されるなら経済的黄金郷が到来するという神話≠烽オくはデマゴギーを、一つのばか話として嘲笑したが、それが1%になっても同じであることは余りに明白である。

 こんな余りに愚かな幹部を頭に置く民進が、一体どうして安倍政権崩壊後の受け皿になることができるというのか。労働者、勤労者は民進政権など一度でこりごりであり、お断りであって、その再版など間違ってもないし、あり得ないと信じている。

 そもそもそんな微妙な&ィ価上昇が「異次元の」金融緩和によって可能になるというのは与太話のたぐいであって、マイルドな&ィ価上昇なら、「異次元の」つまり極端な金融緩和ではうまく行かないと考えるのが常識というものである。そして極端な金融緩和によっても、たった2%のインフレさえやってこなかったというなら、リフレ派や安倍や黒田の言動は、最初から最後まで最低の大根役者らによる茶番劇だったというしかない。

 そもそも安倍やリフレ派が言いはやす「デフレ」の観念自身が、最初から曖昧で、怪しげなものである。

 常識的に物価低落のことらしいが、しかしバブル以降、価格低落してきたのは株や土地といった資産=\―仮装商品、擬似商品もしくは架空資本――の価格であって、労働生産物である一般商品ではない。

 1980年代後半のバブルの後、何分の一の価格にまで低落したのは、株価や地価であって、一般商品は株や地価の低落に比べればむしろ安定していたといえるのであって、デフレだ――元の価格レベルにまで戻っていない――といって騒げるのは、株や土地の価格でしかない。例えば、株価は1989年12月、4万円にまで高騰したが、その後、最低時には8千円ほどにまで崩落し、30年近くになっても4万円にはほど遠く、ようやく2万円にまで復帰したと大騒ぎしている現状である。地価も似たようなものである。

 この2万円の株価さえミニバブルであって、政府の株価つり上げ政策――最近では、無節操、無原則の黒田日銀は、安倍政権を支え、好景気を演出するために、国債ばかりでなく、先頭に立って株まで買いあさっている――によって人為的に維持されており、いつ崩落し、安倍政権の死命を制するか知れたものではない。

 一般物価についていえば、価格が崩落し、また低落していくような現実は、バブル以降、現実的にも、趨勢的にもなかったというなら――もちろん、多くの製品とりわけ工業製品では多くの商品が嵐のような技術革新のなかで顕著に価格低下したことはいくらでもあったし、あり得たが――、デフレとは単にインフではなかったということなのか。

 しかしインフレではないということと、デフレは同じ概念ではないし、ありえない。安倍や黒田や、我々がやくざ経済学者≠スちと呼んだリフレ派学者たちは、こうした問いに決して答えられなかったし、答えては来なかった。

 彼らは物価安定をデフレ――諸悪の根源――と言いはやし、そんな根拠のないドグマを大層な学説≠ゥ何かは知らないが政策≠フ根底として採用し、巨額のカネをバラまくような品のない政治、権力維持だけ至上目的とし、追求するような卑しい悪政を続けてきたのである。

 仮に2%になったからといって、規制緩和や財政膨張政策を止めるではなく、それが後戻りしないように、継続的に2%になるまでやるかに安倍政権はいうのだから、財政や金融や国民経済が混乱し、破綻し、統御不可能になるまで、つまりギリシャのように国家破滅まで続けるしかないということになるし、なりかねない。

 1%の物価上昇くらいはいくらでもあり得るのであって、実際に労働者、勤労者が今や恐れなくてはならないのは、国家財政の崩壊や経済の破綻をきっかけにする失業や生活破壊であり、一般物価が1%、2%どころではない、10%、20%と急上昇していくような、収奪的インフレである。

   

【1面サブ】


ある国民連合政府≠フ経験
幻想の政治改革≠ナ安倍政権に道開く


 羽田孜元首相が亡くなり、彼がその中心の一人だった、1993年の非℃ゥ民連合政府(細川政権)の評価が問われている。

 この寄せ集め政権は、「政治改革」の名のもとに、こともあろうに、当時野党だった自民党とつるんで小選挙区制を実現し、また政党助成金制度の導入策動をしたあと、たちまち破綻、分解し、その後に労働者、勤労者にとってプラスになるものは何ものも残さなかったといって言いすぎでない。

 この連合政府を評価するなら最悪というべきであって、09年のひどかった民主党政権以下であったというしかない。小選挙区制や政党助成金といった制度は、金権政治を一掃するどころか――仮に形の上では、露骨な金権政治がいくらか後退したとしても――、全体としてブルジョア政治をとことん堕落、腐敗させて、今では議員も大臣も首相もみな、ろくでもない議会病患者、権力あさりのやくざ政治屋でしかなく、国家主義を振り回すだけの下劣な政治的詐欺師に変質してしまった。

 共産党はこんな歴史的経験や、非(反)自民連合政府や09年の民主党政権などを美化し、それらが実際にナンセンスであり、反動的で愚劣な役割しか果たせなかったとしても、それは共産党がそこに参加していなかったからであると主張し、今志位らが目指す国民連合政府等々は、共産党が参加するものだから、細川政権や民主党政権(鳩山内閣、菅内閣、野田内閣等々)とは違って、歴史において決定的に進歩的で、改革的な=\―さすがに、徹底的にラジカルで、革命的とは決して言わないが――役割を果たす――果たし得る――かに言いはやしている。

 幻想であり、ばかげていて、反動的である。

 第一に、細川政権や民主党政権に、仮に少数派として共産党が加わったところで、いくらかでも意義ある影響力を及ぼすことができなかったことは明らかで、それらの政権が根本的に変わったとか、違った役割を果たし得たなどということはあり得ないからである。

 93年のたまたま生まれた非℃ゥ民連合政府――野合政権――はたちまち九つもの党派やグループ間の思想的、政治的な内部分裂や対立に悩み、小沢のアクの強い引き回しや独断に反発する傾向も出て、こともあろうに最後には自民党と手を結んで「政治改革」を実現するとたちまち分解していき、社会党などは脱落し、自民と野合して自社政権の樹立に動いたのである。

 また09年の民主党政権には最初社民党が加わった経験もあるが、やがて平和主義§H線などで民主党と対立し、結局は政府外に押し出されるしかなく、民主党を自分の政治的立場に導き、ただすことなど全くできなかったが、当時も今も、社民党の立場は共産党に非常に近いものであった。共産党が社民党の歩んだ道を歩むしかないのは、ほとんど一つの必然である。

 最近の反もしくは非自民党政権――野党、市民派、リベラル派の連合政権――の経験は、そんな政権に仮に共産党が加わったからといって、その本性にどんな根本的な変化も生じるはずもないことを教えている。

 もっとも民主党政権に参加した社民党と違って、共産党もそんな連合政府の中に居心地のいい地位や場所を占め、影響――もちろん労働者、勤労者のための闘いを前進させる影響ではなく、その反対の影響――を及ぼすこともあり得るが――例えば、1930年台半ばのフランスやスペインの人民戦線政府の経験――、それはただ、共産党がブルジョア政党やプチブル政党と同じ政治的立場にまで堕落し、自ら先頭に立って、反労働者的で、裏切り的な、汚い政治(スターリン主義的な′謀術数)を行う限りのことであろう。

【飛耳長目】

★アベノミクスの評価が、ブルジョアたちの中でもガタ落ちである★彼らは、アベノミクスはもともと落ち込んでは来たが、底力を持つ日本経済の成長力や労働の生産性等々を回復するための、一時的な便宜策であったと言う★そして成長力などが取りもどされた現在、政策転換を図るべきだが、安倍や黒田は2%のインフレ達成という呪詛にとらわれ、政策の転換――仮に不人気でも断固としてやるべき消費増税とか、行きすぎた°燉Z緩和からの脱却とか――ができないでいる。今までの惰性で、慢心して、張ったりと空威張りのような政治に堕し、継続しようとしているだけなら、安倍政権などはもはや存在意義もないと言わんばかりである★しかし利口ぶっているブルジョアたちは、アベノミクスがそもそも、彼らのいう日本経済の強化や成長に逆行し、その弱化や寄生性を助長する政策だったことに口を閉ざしている。カネのバラまきによる景気回復や円高是正や株高とかは、水ぶくれし、寄生性を深めた経済の現れであり、財政再建は絶望的、結局日本経済の健全性は一層損なわれた★アベノミクスに未来はなく、その結果はますます日本経済の重荷として現れつつある。今や彼らは八方塞がりで、「進むも地獄、退くも地獄」といったとこにまで追い詰められたのである。いっそのこと、安倍の新しい空文句の「人づくり革命」にでも賭けてみますか。(鵬)

   

【主張】

不誠実な共産党の言行不一致
どこに「野党共闘」があったか

 8月27日の茨城知事選で、自民・公明が推薦した、典型的なエリートで、ブルジョア的人物の大井川和彦(53才)が約50万を得て、無所属で7選を目指した、現知事の橋本昌(71才)を約7万票の差で破った。

 安倍は支持率低落が止まったと胸をなで下ろした。

 他方、共産の推した鶴田真子美は12万余の得票だったが、何のために立候補したのか、する必要があったのかが問われざるを得ない。というのは、橋本と鶴田の票を加えれば、大井川の票を容易に上回ったからである。鶴田の立候補が、客観的に、大井川を助けた利敵行為≠セったと言われても何の弁解も出来ない。

 また、民進党は意気地なく戦線逃亡しつつ、「自由投票」で、多選を批判され、青息吐息の橋本――あえていえば、2012年の原発事故に責任の一端を負う――に、曖昧に味方した。

 安倍政権にとって、敗北したら政権を投げ出すしかないような決定的な選挙に、闘わずして名をなさしめるような無力な民進党に、本気で安倍政権を打倒する意思も能力も実力も――要するに何一つ――ないことは余りに明らかである。

 橋本が自らの過去の経歴に背いてまでして、東海村の第二原発の再稼働反対を表明しているとき、共産党は無理をして独自候補擁立に走り、全体の情況を無視するなど、「空気を読めない」にもほどがある。

 こんなにもいい加減で、無原則で、日和見的な民・共が――さらに市民派のひ弱な、口先だけのインテリたちが――仮に一緒になったところで、90年代の非自民§A合政権や、事実上、民・共や市民派やマスコミ・リベラルの連合であった、09年の民主党政権と同様、はかばかしいことが何一つできないことほどに確かなことはない。

 実際、共産党の候補者擁立ほどに無原則、無節操なものはない。橋本と鶴田の得票を合わせれば、軽く大井川を上回ったのである。安倍政権が必死になったすえ茨城知事選を負ければ、安倍政権の崩壊につながったかもしれないのだから、安倍政権は共産党の事実上の手助けによって辛うじて延命できたとさえ言える。

 そして何と、県知事選の直前、不破哲三は日経新聞のインタビューで、「野党共闘の他に道はない」と断言し、強調していたのだ。とするなら、共産党の背教は余りに明らかである。

 「野党共闘しかない」というなら、なぜその原則を断固として貫かないで、簡単に投げ捨てるのか。民・共はここでは、ともに共闘する意思は最初からなく、ただ自党の都合と党派利益と意思を押し通しただけであった。

 不破はこのインタビューで、記者から、今まで「政権にたどり着いていない」が、その意思は大いにあるかと問われて、意思は最初からあったが、民進党などが共産党を仲間はずれにして来ただけだと答えている。

「1980年に社会党(現社民党)と公明党が連合政権構想で合意し、共産党排除を打ち出した。共産党との共闘はタブーとする時代が始まり、34年間続いた。過去の政権交代は共産党を排除した結果、失敗した」

 不破のこのインタビューについての全面的な批判は別の機会に譲って、共産党が、「野党共闘の他に道はない」といいながら、そんな原則を貫くことさえできず、現実の階級闘争、政治闘争の中で、ご都合主義的で、不誠実で、自民党や安倍政権を利するようなやり方をいくらでもすることを容易に確認できるのである。

 いま民進代表に前原がなった。彼は共産に連合したいなら、もっと従属せよと言う。そうするつもりか。

   

安倍の究極の無責任
画餅と化す財政健全化′約

 安倍政権は来年度の予算編成に取りかかった。今は各省庁の予算要求が出そろうときだが、しかし少子高齢化や人口減少(労働力$l口の縮小)が進む中で、国家収入はますますやせ細り、支出のみが増えていくのであり、財政の縮小と赤字の一掃ではなく、借金(国債増発)と財政膨張への圧力が一層高まりつつある。

 行きつくところは、借金をさらに積み重ね、国家の累積債務の1千兆円にさらに数十兆円、数百兆円ほども上積みして行くか、さもなければ財政や金融を通して収奪を強め、何十%という消費税を強要するか、財政膨張や金融緩和を続けて10%、20%というインフレ招来し、労働者、勤労者を追加に搾取してその生活や未来を破壊し、国家と社会の寄生化と衰退を招き、国民経済を疲弊させ、破滅させるしかない。

 つまり安倍政権には、決まり文句の財政再建≠ナはなく、財政破綻の接近という絶望的な未来があるだけである。

 安倍はこうした財政と経済の危機的情況に及んでもなお無責任を決め込み、「経済成長」があれば自ずから税収も増えて、財政再建も可能になるといった希望的観測に終始している。

 安倍政権はGDP(国内総生産)を500兆円から600兆円に増やせば税金もたちまち何十兆円と転がり込むというのだが、「財政再建」といってもまるで「とらぬ狸の皮算用」、例によって単なる数字を並べているに過ぎない。

 アベノミクスを実行するから単なる願望ではない、確かな話だといっても、そのアベノミクスもまたカネをばらまけば名目GDPが膨れあがるといったものでしかないのだから、依然として「経済成長」などといっても願望や期待や希望的観測の域を出るものでは無い。

 安倍政権の財政再建の公約は、2020年までに財政の「基礎的財政収支」の黒字化を達成するというものであった。その具体的な内容は、税収だけで年々の支出をカバーする、つまり借金財政をその意味で克服するということである。

 おおよその話として言えば、年々の財政規模を100兆円として、収入は税収60兆円、借金40兆円、支出は通常支出80兆円、国債費20兆円の場合、20兆円の税収を増やすか、支出を20兆円減らすかして、税収と通常支出を均衡化もしくは黒字化するということだが、こうした財政健全化′約 は、すでに絶望的に不可能であり、高めの「経済成長」を仮定しても10兆円ほどの赤字にとどまる見通しである。

 安倍は例のように、高めの経済成長率を持ち出して可能だと言い張るだけの無責任な立場に終始している。

 安倍や黒田は、2%のインフレは今もって確かな展望がないとぼやきつつ、経済は好転した、「もはやデフレではない」などと言いはやすが、言っていることがいい加減で、矛盾だらけ、今や首尾一貫したことは何も言えなくなっている。

 2%も空約束――もちろん2%のインフレがやってくればいいというわけではない――も、財政再建も願望だけ、景気回復といっても空景気やバブルだけというなら、アベノミクスは完全に破産した――そればかりか、経済の寄生化や不健全化をさらに深化させ、日本の経済や財政や金融を混乱、頽廃させ、機能麻痺にさえ導きつつある――と結論するしかない。

 安倍は法人増税、金持ち増税は言うまでもなく、消費増税もなし得ず、といって財政支出の節減、削減どころか、その膨張、肥大化をますます加速させるしかないのだから、財政崩壊の引き金を引くしかない、あるいはそれを避けようとするなら、自らさらなる無軌道な借金膨張の政治に逃げ込む以外ないのである。どちらに転んでもアベノミクスの破綻であり、国家破産と解体への道である。

   

夏の戦争写真展に思う


 夏は例年、各地で戦争犠牲者を追悼する行事や戦争を問う催しが開かれる。

 マスコミも、広島、長崎、終戦記念日≠ニ続くこの時期、今年はいくらか力をいれた戦争特集が続いた。 NHKは特に3夜連続で『七三一部隊の真実』『樺太地上戦』『戦慄の記録インパール』を検証していた(筆者は『インパール』しか見てないが)。新しく出てきた資料等を混じえ、いくらか民衆・個々人の兵隊の視点を取り入れようという意図は感じられた。いわゆる誰もが口にする戦争の悲惨さは嫌でも伝わっては来る。驚くほど多くの兵士が生きて日本に帰ることが叶わなかった中で、部隊の指揮官は無傷で帰国し戦後のインタビューで「自分は何も悪いことをしていない」とうそぶいていたのには憤りを禁じ得なかった。

 またこの期間静岡では、『柳田芙美緒写真展』という展示会があった。静岡歩兵34連隊の従軍カメラマンの撮影したものであった。この連隊は戦争末期、インパール作戦にも匹敵する無謀さ・悲惨さ(補充の弾薬なしの突撃命令、食糧なし、水なし、泥水を飲んで赤痢・マラリアにかかり死亡、逃亡者、自殺者も出た)と言われる、中国大陸打通作戦に参戦させられている。

 このカメラマンは軍のお墨付きのもとで撮っているわけなので、膨大な兵士達の集合写真もある(私の父が写り込んでいないかと目を凝らしたが、それは無理な話だった)。しかし、兵士の日常(ひとり故郷を思う姿、慰問袋を嬉しそうにあける兵士、餅をつく兵士等々)、また銃後の少年達・婦人達の写真もある。

 彼の有名な写真の一つに兵士達の壮行会の写真と全く同じ位置から、数年後遺骨の入った(いや石ころかもしれない)白い布に包まれた白木の箱を別の兵士達が首から下げ行進する姿を撮った写真がある。

 彼は戦後十数年経った頃、写真集を発表する。そこには決して外には出てはならないはずの(軍から言わせれば)、自殺した兵士の遺体が見開きで載っている。

 彼も悩んだ末なのだろうが、これも載せなければ戦争の実相≠ノは迫れないと、あえて載せたという。

 写真展はマスコミの宣伝などもあってかかなり盛況であった。老人達に混じって二十歳前後とおぼしき若い人の姿もあった。戦後七十二年と言えば、彼らにとっては半世紀も前のことである。彼らは何をどう感じたのであろうか。

 「戦争の現場はこんなにも悲惨で理不尽なんだ! 平和は尊いのだ!」(「恒久平和の実現に向けて力を尽くす」となら安倍首相でも欺瞞的に言う)。

 だが、そこに留まっていていいのか。戦争とは何か。戦争はなぜ起こるのか。今や戦前とさえ言われる現在、戦争を防ぐ道はあるのか。等々勉強し、考えてほしいと彼らを見て願わずにはいられなかった。

 今やこの資本主義世界における「戦争」の多くが資本主義国家間の帝国主義戦争である(植民地などの民族解放闘争や内戦などもあるが)。先の世界大戦は資本主義各国が自国の利権を、覇権を争う戦争だった。日本が行った、中国をはじめアジアの人々を殺戮・蹂躙していった侵略戦争も、経済的苦境を海外に領土や資源や販路を求めて展開したものではなかったか(その中で軍部が強大な力を持ち軍の論理が支配し悲惨な結果を生んだ)。

 「宗教・宗派対立」に見える現在の中東などでの戦争≠熹w後に経済格差、経済対立、大国の利害からの介入が見られるではないか。

 「戦争は政治の継続」とも言われる。現在も各国のブルジョアジーの利害対立は深刻化している。国内に於いては労働者は過酷に搾取され、低賃金、不安定な労働、病気などに苦しみ、過労死≠ノまで追い込まれるケースもある。

 資本主義社会の現実をしっかり見つめ、その矛盾や搾取体制と、現今のあり得る戦争≠ニの関連を自覚し、資本の支配と闘い、「労働の解放」をめざす闘いの中にしか、「戦争を防ぐ」道はないことを確認しなくてはならない。

 共産党や市民派の、ただ感傷的なだけの、平和主義的で=A無力な決まり文句は有害である。戦争の現実的原因と闘わず、「平和」と言っていただけでは「平和」さえ守れない。       (K・M)


武力誇示し威嚇し合う

専制的権力者同士危険な火遊び


 北朝鮮の軍事独裁権力が、日本の北海道越しにミサイルを発射、通過させたので、米日の政権、とりわけ安倍政権は怒り狂って、制裁強化だ、石油禁輸だ、武力制裁もあり得ると叫んでいる。石油禁輸まで出てくると、北朝鮮はまるで1941年の日本であるかだ。安倍一派はかつて米国の石油禁輸などが日本を孤立させ、国家防衛の戦争を余儀なくさせた、米国が悪かったというのだから、今の北朝鮮に同情し、味方したらどうか。

 ヨーロッパや中ソに比べて、日米だけは緊密に%ッ盟しつつ、断固たる制裁強化で一致している。

 金正恩が強硬姿勢や威嚇的態度に終始しなくてはならないとともに、トランプも安倍も同じでなくてはならない、というのは、彼らは皆、対外危機や恐怖をわめく以外、動揺し、解体していく、不当に簒奪している権力を救い、延命させる方途がないからである。彼らが全員、国民の過半からますます嫌われ、信用されなくなっている連中であるのは決して偶然ではない。

 日米や北朝鮮の労働者、勤労者は、支配階級たちの争いや対立とは何の関係もなく、対立し、威嚇し合う理由も必要もないと宣言し、依然としてお互いに友好と信頼の相互関係にあり、またそうした立場を貫く意志を明らかにする。

 安倍政権は北朝鮮危機や日本防衛≠笆h御態勢の強化確立や、「敵基地攻撃」さえもわめき、軍事費を一気に増大させ、あげくの果てには、大金をはたいて米国からのイージス・アショア(陸上配備の迎撃ミサイル)の急きょ導入も決めた。一基8百億円もの超高価な武器だが、一基では役に立たないから次々買うという。

 安倍政権は安泰で、トランプは感謝し、米国の武器大資本は笑いが止まらず、トランプと安倍の友情もますます強固というわけだ。

   


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