WPLLトップページ E-メール


労働の解放をめざす労働者党機関紙
『海つばめ』

◆隔週日曜日発行/A3版2ページ
一部50円(税込み54円)

定期購読料(送料込み)1年分
  開封 2000円
  密封 2500円

ご希望の方には、見本紙を1ヶ月間無料送付いたします。

◆電子版(テキストファイル)
メールに添付して送付します

定期購読料1年分
 電子版のみ 300円

 A3版とのセット購読
  開封 2200円
  密封 2700円

●お申し込みは、全国社研社または各支部・会員まで。
E-メールでのお申し込みもできます。



郵政民営化の中で何が起きているのか?
郵政労働者は告発する!

■民営化の嵐の中で最大の御用組合の登場――JPU臨時全国大会議案批判
■郵政民営化――今、職場では/郵政現場からの報告
■恐竜化か、リリパット化か――郵政民営化のジレンマ
■西川善文著『挑戦――日本郵政が目指すもの』/民営化に賭けるトップの本音


憲法改悪と
いかに闘うか?


■改憲に執念燃やす安倍――「国民の自主憲法」幻想を打ち破れ
■労働者は改憲策動といかに闘うか
■国民投票法をどう考えるか
■安倍の「美しい国」幻想――憲法改定にかける野望


本書は何よりも論戦の書であり、その刊行は日和見主義との闘いの一環である。
マルクスが『資本論』で書いていることの本当の意味と内容を知り、その理解を深めるうえでも、さらに『資本論』の解釈をめぐるいくつかの係争問題を解決するうえでも助けとなるだろう。


全国社研社刊、B6判271頁
定価2千円+税・送料290円
●お申し込みは、全国社研社
または各支部・会員まで。
E-メールでのお申し込みもできます。
「不破哲三の“唯物史観”と『資本論』曲解』(林 紘義著)」紹介(『海つばめ』第1048号)


全国社研社刊、B6判384頁
定価2千円+税・送料290円
●お申し込みは、全国社研社
または各支部・会員まで。
E-メールでのお申し込みもできます。
「天皇制を根底的に論じる『女帝もいらない 天皇制の廃絶を』(林 紘義著)」(『海つばめ』第989号)他

理論誌『プロメテウス』第54号
2010年10月(定価800円)

《特集》菅民主党のイデオロギーと“体質”
・神野直彦の思想と理論――菅直人のブレインは「曲学阿世の徒」
・原則なき寄せ集め政党――顕現するブルジョア的“体質”
反動的な「文化」の擁護に帰着――レヴィ=ストロースの「文化相対主義」批判


 
 
 教育のこれから
   「ゆとり」から「競争」
   そして「愛国教育」で
   いいのか
 林紘義 著 7月1日発売

  (全国社研社刊、定価2千円+税)
  お申し込みは、全国社研社
  または各支部・会員まで。
  メールでの申し込みも可能です。

まかり通る「偏向教育」、「つくる会」の策動、教育基本法改悪の動きの中で、“教育”とは何であり、いかに行われるべきかを、問いかける。  


 第一章  
教育基本法改悪案の出発点、
森の「教育改革策動」
 第二章  
破綻する「ゆとり」教育の幻想
 第三章  
“朝令暮改”の文科省、
「ゆとり」から「競争原理」へ
 第四章  
ペテンの検定制度と「つくる会」の教科書
 第五章  
歴史的評価なく詭弁とすりかえ
つくる会教科書(06年)の具体的検証
 第六章  
日の丸・君が代の強制と
石原都政の悪行の数々
 第七章  
憲法改悪の“露払い”、教基法改悪策動

●1315号 2017年11月26日
【一面トップ】幼児教育という幻想――アベノミクスの墓標とせよ
【コラム】飛耳長目
【二面〈主張〉】バラまきための呪文か――無意味な目的2%物価上昇
【二面トップ】志位「路線」の大敗北――850万票目標がたったの440万票

※『海つばめ』PDF版見本

幼児教育という幻想
アベノミクスの墓標とせよ

 「(乳)幼児教育」なるものの幻想が振りまかれ、今やそれは、ブルジョアや安倍政権が大上段で掲げ、推奨する決まり文句、安倍政権の当面の政治や政策の中心をなすキイワードである。10月総選挙でも、安倍は幼児教育幻想を振りかざして勝利した(もっとも、こんな愚劣な幻想によって勝利したというより、にもかかわらず、勝利したというべきだろうが)。そして安倍は今や幼児教育無償化政策――というより、そんな幻想――によって、国民をたぶらかし、目くらませをまき散らしつつ、政権の強化や延命に懸命になっている。しかし我々は安倍の幼児教育無償化幻想こそ、安倍政権の命取りの一つになると確信し、それへの徹底的な批判を強めていくし、行かなくてならない。

幼児教育無償化の大合唱

 安倍政権の主張によれば、幼児教育無償化のためには2兆円のカネが必要であり、それを2年のち(19年10月)に予定されている消費増税2%(5兆円余)のうち、国債償却(国家の借金の返済)にあてられている4兆円の半分の2兆円ほどを転用して充てると云う。

 しかし消費増税の使い道は、2012年、民主党野田内閣が消費増税を決めたとき、自公民の3党一致の確認として、財政再建と社会保障の充実のために支出すると、すでに使い道が決まっている。最後の消費増税2%の使い道は、国債償却の4兆円、残りの1兆円は、もともと社会保障のためのものである。

 安倍政権の教育無償化に転用するという2兆円が、仮に社会保障のためのものだというなら、社会保障のカネは1兆円でなく3兆円ということになる。

 そんなわけで、消費増税分の安倍政権の教育無償化への転用という政策は、総選挙中でもすべての政党によって支持されるか、同情や共感を持って迎えられ、それに対する原則的な観点を明らかにし、批判したのは我々のみであった。我々は総選挙中、小泉の「こども保険」構想ともども、安倍や小泉の政治の無責任とナンセンスを徹底的に明らかにした(近く出版される、我々の「我らかく闘えり(仮名)」参照)。

 共産党はいつものように、批判らしきものは口にしたが――人並みに(つまり安倍自民党や公明や維新や立憲民主党やその他、有象無象とともに)、幼児教育・保育の無償化や高校の無償化に加えて、国公私立大学の授業料の半額化等々――を謳うだけであった。彼らもまた、教育無償化の財源について、どんなまともな説明もしなかった(軍事を削ればいいといったことを、口先だけでいうくらいがせきの山だった)。

 我々の批判の根底は、安倍政権や小泉の幼児教育無償化論とは、社会保障の一種などといえるものではなく、まさに流行の、そして破廉恥なバラまき政治の新版、新種の一つでしかないということである。

 まず第一に云えることは、話が2年先の消費増税をまってのことであって、およそ現在の政治や政策の問題では全くないと云うことである。安倍政権が盛んに騒いでいる話は、ただ安倍政権が「国難」とまで呼んだ、少子高齢化や危機に瀕する社会保障制度や財政崩壊等々の問題に何ら真剣に対応しようとしていないこと、現実の最優先の問題――例えば、待機児童の問題等――に対して無力無策であるばかりか、真剣に対応しようとさえせず、先延ばしすること、さらにはトゲのように、刺さったままである森友学園、加計学園問題も隠す意義しかを持っていないと云うことである。

 そもそも安倍政権は乳幼児の教育無償化を謳いながら、それは何を意味するかについて、またその意義についてほとんど語っていないことである。

ノーベル賞学者の妄説

 「国難」と呼ぶ諸困難――例えば少子高齢化等々――に対して、幼児教育無償化がなぜ、いかにして〝有効〟であり、効果があるかについて、辛うじて、安倍らがいえることは、貧しい家庭の子どもに教育の機会を広げ(乳幼児にまで?)、人々の能力を高めれば、「賃金も増えて経済の好循環」につながるといった、お粗末なことだけである。

 彼らは、ノーベル経済学賞を手にした米国シカゴ大学のベックマンの「研究」(邦訳『子供たちに公平な機会を与えること』)によれば――労働者は、ノーベル経済学賞というものは今や端(はな)っから信用していない――、「『最も学力や収入を高める効果が大きい』のは就学前教育の充実だという」(日経新聞11月48日)。

 同じ紙面で、慶大の大先生の中室牧子も「海外の研究によると、最も投資対効果の高いのは幼児教育で、年齢と共に効果が下がる傾向にある。大学の進学率を上げようと思えば、幼児教育に投資するのが有効だ」と、「教育」についての概念もないまま、また教育問題で、「投資対効果」だとか、「大学の進学率」だとか言いはやすことが品のないという反省もないまま、「幼児教育」にまで夢中になるブルジョア層に媚びへつらって、つまらない愚論を振りまいている。

 ベックマンの「研究」について云えば、黒人貧民層を対象に、0歳児からの〝乳幼児教育〟の組織的「研究」を行って、「就学前の教育」を施した者と、そうでない者と比べた結果、前者の方がはるかに高い社会的地位や収入や、持ち家までも手にしたとか、被逮捕率が低かったという、たわいもない話である。

 そんな「研究」の結果といっても、別に「教育」といったものの効果か、そうでないか判然とせず、一義的に云えないということ、むしろ社会的環境や生活水準等々の全体的影響であるというべきことが――つまり当然の結果が――出たということにすぎない。

 しかも彼は、こうした「教育」によって養われたものが、「非認知的特質」つまり生活規範とか「道徳」とか、自制心や粘り強さが養われたといったことで、知識とか知性とか理性ということとは違うというのだから、「教育」と、広い意味での養育や「しつけ」といったものを区別していないだけというしかない。

 つまり「教育」の概念がないのである。世界の多くのブルジョア国家が、なぜ6才以上等々を「学齢年齢」として定め、〝国民教育〟の制度を採用しているかの意味を知らないのである。だから、彼らは「乳幼児教育」と「乳幼児保育」との概念的区別をしたことがなく、またできないのであり、幼稚園は乳幼児の「教育」にたずさわり、保育園はその「保育」にかかわるといった、無内容で、形式的な区別で満足するのである。

 安倍政権が重点を置くのは、3才から5才までの幼児教育無償化であり、ついで、高等教育の無償化である。両者とも8000億円で、この両者で金額で見て、2兆円の8割を占めている(両者で1兆6千万という金額は、義務教育にかかわる教員の人件費1兆5千万にも匹敵する巨額である)。

 幼児教育の無償化の計画は、3~5才の保育園、幼稚園に通う幼児の全員の無償化で、それは保育園、幼稚園へのカネのバラまきという形を取るが、これは幼児のいる全家庭にバラまくという小泉案とは違っている(もちろん二人は財源問題で、まず区別されるのだが、それはここでは論じない)。政府案は、要するに保育園料、幼稚園料が無料になるということである。

 だから安倍政権の案では、保育園、幼稚園のどちらにも行っていない幼児のことは考慮されていない。

 安倍政権は最初、無償化は認可外の保育園は別だとしたが、批判を受け、無償化をそこまで及ぼすと修正し、ますますバラまきの傾向を強めている。

 幼稚園の無償化では、高額な私立の一部幼稚園を除いて無償化する。

 大学の無償化は、現在、返還義務のない給付型は月2万円から4万円を支給しているが、これを年100万ほどに拡充し、生活費までも保障する案が浮上している。大学の授業料の減免措置も大幅に拡充し、授業料も無料にするというから、その費用が8千億円にも膨れあがって当然である。

 安倍政権による高等教育無償化論の内容は明確ではないが、普通の観念でいえば、授業料がタダになるということであり、それに加えて奨学金等々が問題になる。大学生の生活までも丸抱えするというなら、それは究極の無償化であろう。そうするには、「高等教育」の位置づけや社会的な内容が検討されるべきだが、そうした視点は皆無であり、8000億円もの巨額のカネが支出されることが最初の前提として議論されている。壮大なバラまき計画というしかない。

 これは差別解消を謳いながら、むしろ差別を拡大しかねない、卑しい契機を、エリート主義の契機を秘めている。大学に進学しない青少年少女にとっては、何の恩恵もない話である。そもそも高等教育とは何か、その必要性は何かという反省もなく、大学を出れば高い収入も生活水準も高くなる、一生も安定する、といった意義付けによる、高等教育の無償化論には、どこかに疎ましい、卑しい動機が見え隠れする。

 保育園、幼稚園や私立大学等々にとっては、巨額の補助金を受け取ると同じことである。実に、ここにも2兆円の教育無償化のカネの秘密があるといって言い過ぎではない。

 「全世代型」社会保障を謳う安倍政権にとって、教育無償化は、そんな〝戦略〟の一環かも知れないが、しかし教育無償化は社会保障というより、そんな美名を借りた安倍政権や腐敗した諸政党のためのバラまき政策だとするなら、本来の社会保障はますます困難を増し、また未来世代のためだなどといいながら、事実上、借金でそんな下品で、考えのない政治をするなら、現役世代だけでなく、未来世代の負担も増やすだけで、彼らを一層追い詰め、滅ぼしかねないのである。

 教育無償化政策は安倍政権の行き詰まり、頽廃、無力さを象徴し、この政権の破綻と終焉の接近を暴露し、明らかにしている。

 労働者・働く者は安倍政権の教育無償化論に対する闘いを発展させ、安倍政権打倒の出発点のその一契機としていくべきであろう。我々は17総選挙で、この闘いを開始し、その先頭に立った。

 19参院選に向けて、さらにその先も見据えて、我々の闘いを徹底して発展させて行かなくてはならない。

   

【飛耳長目】

★原真人が、経済成長について、ドイツの経済学者の理屈を引きつつ、2つの見方があると論じている。一つは経済成長に固執する考え、もう一つはそれをやむを得ないと受け入れる考えである★いずれにせよ、高度成長の時代は終わり、経済の長期低迷は今や先進資本主義国の一般的な〝法則〟、病弊であるかである。そして資本主義はこの間、成長を永続し、あるいは回復させ、高めようと、ありとあらゆる手段を講じてきた★もっとも原らは、「時間稼ぎ」なる観念を持ち出して、資本主義は「成長を何とか延命させようと時間稼ぎに走ってきた」というのである。もちろんこんな理屈は分けがわからない★彼らはこうした意味での延命の手段は、「70年代にはインフレ、80年代には政府の借金、90年代からは家計の借金、…次いで、時間稼ぎの主役になったのは日欧米の中央銀行。超金融緩和に乗り出し、大量のお金をばらまいた」★余りに機械的であり、また国によって異なって一概にいえない、大略の傾向としてはいいとしよう★しかしこうした歴史的趨勢が語る真実が、なぜ「成長を延命させるための時間稼ぎ」といったことなのか。むしろ「資本主義延命のための時間稼ぎ」であり、しかもますます、効果を無くし、あるいは資本主義の矛盾や困難や解体を一層推し進めて、資本主義の死によってのみ終わる「時間稼ぎ」ではないのか。(鵬)

   

【主張】

バラまきための呪文か
無意味な目的2%物価上昇

 安倍政権は依然として、十年一日のごとく、「デフレ脱却」を謳っている。消費者物価指数が2%に達しないからだという。デフレ脱却で何をいいたいのか曖昧だが、経済不況や停滞の克服と、2%との物価上昇は別のことである。

 〝評論家〟なる無責任な連中は、他方、景気が回復しつつあるから物価も上昇する、デフレ脱却は近いと気楽に論じている。

 安倍らは、2%の物価上昇こそ景気回復だと叫んで「異次元の」金融緩和といった〝うさん臭い〟、怪しげな政策、まさに邪道の政策を5年も続けてきたのだが、今や景気回復が進むから2%物価上昇が進むだろうと論じるのである。

 我々は2%の物価上昇といった現象と、景気との間にはどんな内的な因果関係もない、したがって、2%の物価上昇を目的とし、そんなものを経済政策の根底に据えるようなアベノミクスはそもそも出発点から間違った、いかがわしいポピュリズムだと批判してきた。

 物価上昇がなくても経済の活気や好調や成長がある時期や情況はいくらでもあると同様、2%あるいは数%の物価上昇と、経済不況が同居した時期さえあった。一般に好況の時期には物価は上昇するのだが、それは経済不況や恐慌の時期に、激烈な物価下落によって相殺される〝法則的な〟現象である。

 しかし安倍政権は2%の継続的な物価上昇が「確かな」ものになるまで、〝異次元の〟金融緩和や財政膨張の政策を続けるという。

 まずいったんインフレに火がつくなら、それは決して2%といったものに止まらず、簡単に数%あるいは10%等々のインフレに転化していくのである。安倍政権はそんなとき、いかにして責任を取ってくれるのか。そもそも年率2%の物価上昇が5年も続けば、実際には10%ほどのインフレ――安倍政権と国家による、国民への追加的大収奪――として現れることを知ってのことか。

 さらに安倍政権が矛盾しているのは――危険極まりないことは――、自ら景気は回復した、それどころか株価の上昇や雇用状態の改善を見ても、企業利益の増大を見ても、絶好調に向かっていると叫び、それはアベノミクスのたまものだといいながら――これは眉唾物である、というのは、膨張経済の矛盾は限界に来つつあり、好況は不況に移行し、転化するのは資本主義の常だからである――、なおもデフレ脱却はまだ果たされていない、金融緩和も継続する――そのためには黒田総裁も留任だ――、財政膨張も拍車をかけるとしていることである。

 一体何のための2%の物価上昇か、単なる呪文だったのか。2%のデフレ脱却がいまだしというなら、現在の経済の好況はアベノミクスと無関係だったこと、そしてアベノミクスは経済を寄生化し、金融を麻痺させ、財政膨張に拍車をかけて、国家破産を避けられないものにした以外、どんな役割を果たさなかったということである。

 デフレ脱却の呪文はただ安倍政権が無節操で無責任なバラまき政治、ポピュリズム政治で労働者、勤労者をペテンにかけ、籠絡するためにのみ持ち出されてきたと結論するしかない。

 安倍政権もアベノミクスも破綻しつつある。それが継続しているのは、17総選挙が明らかにしたように、〝野党〟――今では、共産党や立憲民主党――が、事実上、闘う〝野党〟つまり労働者・働く者の党として存在していないからである。

 ここにこそ労働者階級が、そしてその先進部隊が、実践的にいま何をなすべきかが明らかにされている。

   

志位「路線」の大敗北
850万票目標がたったの440万票

 志位は総選挙の総括を、次のように語っている。志位はまず、総選挙の二大目的もしくは課題は、「日本共産党と市民の共闘の勝利と、共産党の躍進」であったが、後者の目標は果たせなかった――何しろ、比例区得票は600万から850万に増やす目標を掲げながら、逆に440万に激減させ、議席も21から12へとほとんど半減させたのだから――、しかし「共闘という点では、次ぎにつながる重要な成果を得た」と主張している。志位の発言は真実であろうか。我々は志位の虚言を明らかにする。

志位の総選挙総括

 志位は共産党のめざした野党共闘が「成功していたら、総選挙の結果は全く違ったものになっていた」、しかし「突然の逆流」がすべてを押し流してしまったかに語っている。つまり安倍政権が勝利したのは、「突然の逆流」のためであって、共産党の野党共闘(野合)路線に責任はない、無関係だというのである。

 もちろん「突然の逆流」とは、前原の「裏切り」であり、それによる民進党の分裂、分解である。

 しかし前原が枝野を破って民進党の代表に就任したときから、前原の策動は始まっていたのであり、彼は共産党との野合を嫌い――というのは、彼は憲法改定にも安保法にも賛成だったから――、むしろ小池と組んで、もう一つの〝保守〟の立場から、不人気で没落寸前の安倍政権を一掃し、それに代わって政権を簒奪する野望に燃えていたのである。

 そんな人間が民進党を引き連れて小池との連合を策するのは、「逆流」ではなく一つの必然であって、我々は常に前原一派――民進党内のブルジョア派、反動派――の「裏切り」の必然性を指摘し、警戒すべきであると警告を発してきたのである。

 そもそもそんな反動派をかかえ込んでいる民進党と組んで、安倍政権を打倒し、代わって政権を組織することなど最初から幻想であり、間違った〝戦術〟、労働者・働く者の闘いを解体し、敗北に導く、邪道の道でしかなかったのである。

 前原の裏切りを一つの必然としてでなく、「突然の逆流」などと評価するしかなかったという事実そのものが、野党共闘路線が敗北への道であり、安倍政権に勝利を許した最大の原因の一つであったことを教えている。

 もともと民主党は3年間も政権を握りながら、ほとんど何も成果を上げることなく――労働者・働く者にとって、その生活や労働条件の改善向上になる政策も実現しなかっただけでなく、安倍政権などが成立させた数々の悪法、例えば、国歌・国旗法の廃止とか、〝愛国〟教育基本法の廃絶もしくは修正とかのために、指一本動かさなかった――、労働者、勤労者から完全に見放され、支持率が10%以下に低迷する、そんな無力で、野暮な政党と野党共闘を組んで、安倍政権を打倒するなどという路線は、誰が見ても余りに陋劣で、独りよがりの愚策であった。

 志位にとって必要な総括は、もし野党共闘が崩壊しなかったら、すべてがうまく行ったなどと、らちもない泣き言を並べることでなく、なぜ、野党共闘が崩壊し、安倍の圧勝を許したかを厳しく総括することであるが、志位にはそうすることはできない、というのは、そんなことをしたら、志位は党首を辞め、共産党は解党するしかない、あるいは共産党の名称でも変える以外ないからである。

野党共闘の崩壊をごまかし

 民進党との野党共闘、否、野党野合の失敗と崩壊が明らかになって狼狽した志位は、2つの賢明な対策を直ちに取ったと自画自賛している。

 一つは、「逆流」と断固闘うことを表明し、小池新党は「自民党の補完勢力」であることを明らかにし、その落選をめざすとしたこと、また社民党と語らって野党共闘の再建を図り、統一候補を擁立するとしたことである。

 しかしもともと野党共闘の一員として支持し、推薦すると決めていた候補者が、希望の党から立候補するから対立候補を立てるというのは、単に根性が悪いというだけではない、どんな原則もない(その候補者の政治思想や信念が変わったわけでもあるまいに)。

 問題は志位の野党共闘路線が、希望の党に走るような、自民党に属していてもおかしくないような議員たちを山ほど含んでいたということである。そんな連中を応援し、国会に送り込んでいたし、今回も送り込もうとしていた野党共闘路線は、労働者・働く者にとって最低最悪の〝戦術〟、志位共産党の間違った、裏切り的な〝戦術〟であったということである。

 志位は彼らを支持しないばかりか、その当選をことさら妨害すると宣言したが、要するに、自らの卑しい根性をさらけ出し、あるいは自らの路線の破綻を隠そうとして、天に向かって唾を吐くようなものである。

 それにしても、社民党との統一戦線を持ち出しては見ても、名ばかりでしかなく、〝野党第一党〟だった民進党を含めた野党共闘とは別であって、そんなもので安倍政権を圧倒して政権を手にすることができないのは明らかであった。

今度は立憲民主幻想

 しかしその後、志位は立憲民主党が組織されると、今後は民進党に代わって、立憲民主党を相手に野党共闘を「再建」すると性懲りもなくわめいて、現在に至っている。

 この野党共闘は今のところ、正式な形を取っていないし、今回の総選挙でも、そうしたものとして存在もしなかったし、機能もしなかった。

 というのは、枝野の立憲民主党が、共産党の大好きな〝自主路線〟を採用して、「20年間、気づかなかったけれど、国民は政権交代のための合従連衡を望んでいない。より良い政治をしてほしいというのが国民の考えだ」などと、今頃になってしたり顔でいうからである、共産党との統一戦線とか野党共闘などはどうでもいい、二義的だと宣言して、志位の甘言には「一線を画す」と明瞭にいうからである。

 志位にとってお気の毒なことは、志位のいうような野党共闘に反対なのは、希望の党に走った、前原のような「裏切り者」たちだけではなく、民進党(民主党)の本性であると、枝野は今さらのように反省している。

 彼は、その出発点は1996年にさかのぼるが――この年に、民主党が鳩山や菅直人らによって結成された――、そもそも民主党自身が、小選挙区制や二大政党制の嬌声のもと、政権獲得を自己目的にした野党共闘もしくは反自民の諸勢力の共同党、野合党であった、とつぶやいている。それが間違いのもとであったという反省である。

 そうした路線の挫折と破綻が明らかになったのが今回の民進党(民主党)の崩壊であり、消滅である、そのことを反省すべきだと、枝野は今更云うのである。

 立派な総括ではあるが、悲しいかな、絶望的な〝後知恵〟であり、ただこれまでの自分の背負ってきた立場や政治生活を否定しているだけであること、そしてまた、ご立派なことをおっしゃられる枝野らに、今、どんなまともな〝自主独立の〟政治や路線もないし、あり得ないということである。

 というのは、枝野らは「保守のリベラル」だとらちもないことをいう以外、どんなまともな政治的立場についても語っていないからである。

 彼らは前原が、衆院解散のあった9月28日の両院議員総会で、民進党が全体として小池の下に走ると提起したとき、一言も異議も反対も唱えず、それを承認したような連中、またそんなやり方で、安倍政権と闘い、勝てると考えたような連中である。

 ただ小池が安保法や憲法改定に反対の人々は受け入れないと発言して、始めて新党に結集すると決意したにすぎない。

 彼らが一貫して、安保法や憲法改定に反対なら、そもそも小池にいわれる前に、前原や長島や、喜々として希望の党に走った連中と、20年間余もなぜ一緒の党で〝仲良く〟同居してくることができたのか。

 枝野は「96年体制」(つまり小選挙区制や「二大政党制」や安倍専制を可能にした体制やイデオロギー)がナンセンスだったといった、もったいぶった〝総括〟によって、自分たちの、つまり民主党(民進党)の20年間を、その政治に〝どっぷり〟浸ってきた、自分たちのブルジョア的で、〝保守的な〟本性を消したり、偽ったりすることはできないのである。

 枝野らは、9月30日になってもまだ、前原に民進党全員の公認を求めていくとしか考えないような連中、希望の党の公認が得られたら、それで良しとするような連中、おめでたくも、節操や原則など何もないような連中だったのである。

西欧のように共産党を解党したら

 しかし何はともあれ、枝野は「96年体制」は間違っていたと悟ったのである(?)、そして今なお安倍らと共に、「96年体制」にとらわれ、野党共闘による政権獲得という「数合わせ」の政治、統一戦線〝戦術〟の政治、別の言い方でいうなら、スターリン主義の政治に〝しがみつく〟、我が共産党の諸君は、枝野にも劣るというわけである。

 いずれにせよ、枝野立憲民主党を相手とする限り、新版の野党共闘の前途は暗く、障害ばかりであるのに加えて、立憲民主党は数十人、12名に激減した共産党や2名の社民党等々を加えても、せいぜい70名前後、逆立ちしても政権に手が届きそうにない。つまり志位路線は17総選挙の経験からしても、完全に破綻したのであって、今後も全く展望がない。

 もし共産党が枝野の立憲民主党と、安保問題や憲法問題で根本的に違いがないというなら――それはある意味で真実である――、立憲民主党との〝望みのない〟、しかも面倒で、愚劣な野党共闘の交渉に時間やエネルギーを浪費しないで、自らを解党して、さっさと立憲民主党に参加し、合流すればいいのである。

 実際、17総選挙では、志位は立憲民主党とのどんな共闘の交渉や合意も無いままに、まさに〝無条件で〟立憲民主党のために、競合する選挙区の共産党候補者全員を降ろしたのである。同一の党として選挙戦をやっても、何ら差し支えないということを、すでに実践に移し、共闘のための七面倒くさい交渉とか合意とかはどうでもいい、儀式みたいなもの、体裁やブライドやメンツや、利害の絡んだ取り引きの問題でしかないことを自ら白状したのである。

   

目糞鼻糞を笑う
小泉が安倍に食ってかかる

 小泉進次郎が、我々が選挙ビラなどで「安倍の茶坊主」だ、「教育無償化で安倍とずいぶん違った政策を提案しているが、批判も何もしない」と批判されたことを読んで意識してかどうかは知らないが、11月1日と2日、二日続けて安倍を批判した。

 1日には、安倍が教育無償化施策のために2兆円が必要だが、消費増税の転用でも足りない部分3千億円を直接に財界(榊原)に要請して承諾を得たことについて、「党で全く議論していない。このままでは党は要らない」と激しく批判し、食ってかかった。

 さらに翌2日には、「(総選挙で得た)議席の数ほど自民党への信頼、強固な国民からの負託を感じていない」、自民党の勝利は野党のナンセンスと分裂のためだと喝破し、浮かれ、傲れる安倍をいさめた。

 小泉は「こども保険」と名づけた愚論では、労使双方の負担――厚生年金等の保険料の引き上げ――というやり方で、幼児教育無償化の財源をひねり出すと主張したのだが、そんな名案も、いわば労使双方から反発を受け、また結局は安倍によっても採用されず放置されたのだが、そんな小泉の〝名案〟を反故(ほご)にした財界が、今度は安倍の要請にいそいそと同(どう)じたことが頭に来たのだろうか。

 自分の「こども保険」の愚策に反省するどころか、安倍の愚策には文句が言えると思っているところがいかにもお坊ちゃん政治家としての面目躍如である。

 安倍政権の消費増税と、それを財源とした教育無償化政策は、再来年の参院選にまで及ぶ、重大な争点の一つとなっていくしかないが、〝少子高齢化〟や生産人口の急減の中で、日本のブルジョア的社会保障は崩壊の危機に直面しつつある。

 これはまさに、我々が総選挙の闘いの中で問題にし、取り上げ、小泉を批判したテーマだが、このテーマは、再来年の参院選でも継続して政治事闘争の中心的な位置を占めるだろう、というのは、消費増税とその用途の修正は参院選の直後の秋のことだからである。

 我々は今回の総選挙での闘いの意義と成果を確認し、この今始まった問題でも安倍政権と小泉進次郎の皮相浅薄で反動的な〝ポピュリズム〟政治と政策に反対する闘いをさらに深め、発展させ、今度こそ彼らを打倒していくし、行かなくてはならない。

   
ページTOP