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労働の解放をめざす労働者党機関紙
『海つばめ』

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郵政民営化の中で何が起きているのか?
郵政労働者は告発する!

■民営化の嵐の中で最大の御用組合の登場――JPU臨時全国大会議案批判
■郵政民営化――今、職場では/郵政現場からの報告
■恐竜化か、リリパット化か――郵政民営化のジレンマ
■西川善文著『挑戦――日本郵政が目指すもの』/民営化に賭けるトップの本音


憲法改悪と
いかに闘うか?


■改憲に執念燃やす安倍――「国民の自主憲法」幻想を打ち破れ
■労働者は改憲策動といかに闘うか
■国民投票法をどう考えるか
■安倍の「美しい国」幻想――憲法改定にかける野望


本書は何よりも論戦の書であり、その刊行は日和見主義との闘いの一環である。
マルクスが『資本論』で書いていることの本当の意味と内容を知り、その理解を深めるうえでも、さらに『資本論』の解釈をめぐるいくつかの係争問題を解決するうえでも助けとなるだろう。


全国社研社刊、B6判271頁
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「不破哲三の“唯物史観”と『資本論』曲解』(林 紘義著)」紹介(『海つばめ』第1048号)


全国社研社刊、B6判384頁
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「天皇制を根底的に論じる『女帝もいらない 天皇制の廃絶を』(林 紘義著)」(『海つばめ』第989号)他

理論誌『プロメテウス』第54号
2010年10月(定価800円)

《特集》菅民主党のイデオロギーと“体質”
・神野直彦の思想と理論――菅直人のブレインは「曲学阿世の徒」
・原則なき寄せ集め政党――顕現するブルジョア的“体質”
反動的な「文化」の擁護に帰着――レヴィ=ストロースの「文化相対主義」批判


 
 
 教育のこれから
   「ゆとり」から「競争」
   そして「愛国教育」で
   いいのか
 林紘義 著 7月1日発売

  (全国社研社刊、定価2千円+税)
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まかり通る「偏向教育」、「つくる会」の策動、教育基本法改悪の動きの中で、“教育”とは何であり、いかに行われるべきかを、問いかける。  


 第一章  
教育基本法改悪案の出発点、
森の「教育改革策動」
 第二章  
破綻する「ゆとり」教育の幻想
 第三章  
“朝令暮改”の文科省、
「ゆとり」から「競争原理」へ
 第四章  
ペテンの検定制度と「つくる会」の教科書
 第五章  
歴史的評価なく詭弁とすりかえ
つくる会教科書(06年)の具体的検証
 第六章  
日の丸・君が代の強制と
石原都政の悪行の数々
 第七章  
憲法改悪の“露払い”、教基法改悪策動

●1319号 2018年1月28日
【一面トップ】安倍との決戦の時来る――国会冒頭で憲法改定を宣言
【コラム】飛耳長目
【二面〈主張〉】労働者を幻想でたぶらかす――賃上げは国民経済を救うか

※『海つばめ』PDF版見本

安倍との決戦の時来る
国会冒頭で憲法改定を宣言

 1月22日、通常国会が開催され、安倍は施政方針演説を行った。長広舌の割には内容空疎で、何の新味もないものであり、17参院選で持ち出した以上の政策は皆無というお粗末なものであった。

 しかしそんな中で、安倍が今後の4年間──ほぼ5年前の政権発足からこれまでの前半に対置していえば、安倍政権の後半ということになる──にかける、安倍の意図が明瞭に現れてきた。

 もちろんこれは今年9月に安倍が自民党の総裁に3選されるとしての展望だか、安倍は圧倒的な支持で3選を果たすと共に、来年(19年)夏の参院選でも圧勝、そしてその直後の消費増税の使途変更と幼児教育無償化の〝経済政策という〝成果〟──アベノミクスの集大成〟としては、何とも貧弱な──をひっさげて憲法改定に猛進、自分の手で2020年、改定憲法の3月実施と夏のオリンピックをやり遂げようとしているかである。

 安倍は3月の自民党大会で憲法改定草案を採択し、さらに今国会でできれば憲法改定を発議し──そうすれば、国民投票は来年の参院選の前になる──、あるいは来年の参院選を憲法改定の国民投票とダブらせるという策動まで考えているという報道まである。

 いずれにせよ、これ以上、安倍政権が存続することは、政治的、経済的に日本を混沌と破滅に追い込むことであり、労働者・働く者の未来や生活を破壊し、あるいは破滅に導き、暗く閉ざすことになりかねない。労働者・働く者の反撃と闘いは──したがってまた我々の決然たる闘いも──不可避であり、安倍との闘いも最終的な段階を迎えようとしている。

偽りの「働き方改革」

安倍は施政方針でも、「働き方改革」は「成長戦略」そのものであると謳うが、しかしこの2つのものは必ずしも同一物ではない、というより、むしろ別のものである。

 長時間労働や残業の規制は、多くの企業にとって、つまり企業にとって「成長」の一つの足かせ、障害として現れるのは、賃上げがそうであるのと同様である。

 安倍は施政方針でも1昨年秋、「働き方改革」を謳ったときに持ち出した理屈を再度強調しているが、単に口先だけで、本気でやる意思がないのは余りに明らかである。

 「長年議論だけが繰り返されてきた『同一労働同一賃金』。いよいよ実現の時が来ました。雇用形態による不合理な待遇差を禁止し(!──引用者)、『非正規』という言葉を、この国から一掃して行きます(!)」

 しかし一昨年から現在まで、非正規労働、差別労働の「禁止」といった措置は皆無であったばかりではなく、実際には、今年から意味を持つ2013年の改正労働契約法の非正規労働者の「無期雇用」への転換は骨抜きにされ、それに対してどんな「禁止」はおろか、抑制の試みもなされていない。

 13年の改正法は、短間の「有期雇用」を繰り返さざるを得ない、非正規労働者に対して事実上正規労働者もしくはそれに近い身分を保障する「無期雇用」への転化の義務を企業に課した。すなわち有期雇用の労働者が契約を何回繰り返しても、通算5年を超えて働くと無期労働に切り替えなくてはならないということにされた。

 しかし自動車の大手を始めとする多くの大企業は、契約終了後から再雇用の期間が6ヶ月以上あれば、以前の契約期間は通用しないという抜け道を利用し、空白期間を6ヶ月と設定、非正規労働者が何年働いても結局「無期雇用」に移れないようにしている。

 そして安倍政権はこうした事実に対して、企業任せ、「現場丸投げ」で素知らぬ顔を決め込み、野放しにしているだけである、つまり「禁止」などいったことは全く行われていない。

 こうした安倍政権のもとで、非正規労働者が増え続けているのは当然である、仮にいくらか非正規労働者から正規労働者に移る労働者があっても、非正規労働者の大軍が新しく生まれているからである。安倍政権はこの5年間に働く労働者数が増えたというが、その大半が非正規労働者であることを隠している。

 安倍が「非正規労働という言葉を日本から一掃する」と喝破してから1年半近くも経つが、現実はそんな兆候は全く見えないのであり、安倍の「働き方改革」や「人づくり革命」」と言ったものが単に口先だけのもの、安倍の演説の中にのみ存在するという真実が明らかになっている。

 安倍はまた施政方針の中で、「長時間労働」についても、「我が国に染みついた長時間労働の慣行を打ち破ります」、「罰則付きの時間外労働の限度」を設けますと調子よく叫ぶが、その限度の上限が月100時間と決められたことに象徴されるように、長時間労働温存そのものだというなら、規制も何もあったものではなく、下手をすると長時間労働の公認ということにさえなりかねない。

 この問題でアンケート調査をした朝日新聞(17・12・18)も、「残業上限、高止まりの懸念──政府基準に合わせる労使続々」と結論しなくてはならない有様である。

 しかもブルジョアたちは残業の縮小はそれ自体を追求するのではなく、「労働生産性」を高めてこそ行うべきだと主張している。その〝心〟は、低い「労働生産性」だから長時間労働になるのであって、労働者が「生産性」を高めれば──つまりこれは機械の効率を良くする等々の「生産性」向上とは違って、単純な「労働強化」という意味である──、残業も自ずからなくなるといったもので、長時間労働は労働者の責任であるといった〝強欲の〟宣言である。

 そしてこうした議論が厚かましくもまかり通る〝企業社会〟の下で、安倍の「長時間労働の慣行を打ち破る」という発言はいかに空々しく響くことであろうか、というのは、安倍はここでも口先きだけであって、本気で「長時間労働の慣行を打ち破ろう」と真剣に考えていないからである。大資本の利益の代弁者である安倍が、そんな課題をまじめに考え、解決に努力することはないし、あり得ないのである。

 「働き方改革」についていえば、安倍政権が提案しようとしている、〝抱き合わせ〟働き方改革法案に対する、異議申し立てという問題がある。〝抱き合わせ〟法案だというのは、これまで違った問題として議論されてきた、長時間労働の規制法案と、いわゆる〝高プロ法案〟(「高度プロフェショナルな」仕事の従事する、高収入の労働者に、労働時間によってではなく「成果」によって給料が支払われるのを例外として認めるといった法案)を、一括して法案として提出するのは困る、がっちんこさせるなといった文句である。

 社民党の又市は、これは〝毒饅頭だ〟、「賛成できるものもあるのに、できなくなる」などと抗議している。

 又市がいう「賛成できる」ものとは何をいうのか分からないが──今回の改正法による長時間労働の規制についていうなら、それが問題になるのは「規制」とは名ばかりの骨抜き法案、「規制」よりも「奨励」もしくは長時間労働の正当化にさえなりかねない法案であることを暴露して闘い抜くことである──、〝高プロ〟法案に至っては普通の労働者には無関係であって、そんなものをもってして「成果主義賃金制度」の導入であるかに言いはやすのは間違った扇動でしかない。

 又市は、長時間労働の規制だけなら賛成するというのであろうか、無条件で賛成していいのであろうか。他方、〝高プロ〟法案について、「成果」による賃金制度が一般労働者に押し付けられるかにいうのは、決して正しい立場ではない。結論をいえば、労働者党の立場は、一括法案に対して保留するというのが正しい立場であろう。 

 安倍はまた「働き方改革」と平行して、「人づくり革命」も叫んでいる。

 「人づくり革命」でいわれていることは、消費増税の組み替えによる全世代型社会保障や幼児教育無償化、「介護や子育ての不安解消」、「この春から、道徳がすべての小学校で、正式な科目になる」といった、「人づくり革命」というテーマと、どこで、どう関係し、結びつくのかも分からないような空文句ばかりである。

 「お年寄りも若者も安心できる」全世代型社会保障だなどといっても、ただ論理矛盾のような言葉があるだけで、具体的な内容は何も無いといっていい。そもそも安倍政権には、「社会保障」のまともな概念さえない。

 反対に、教育無償化などのバラまき政治に一層のめり込んで、財政再建を空文化し、その困難な問題から逃避し、逃走したことについては、夏までに財政再建や、プライマリーバランスの具体的な計画を示すとかいってごまかしているだけである。本気で財政再建に取り組む決意も意思も何も見えてこない。

 そして最後の「生産性革命」では、中小企業者の生産性向上を図るとか──なぜ中小企業者だけか──、「IoT、ロボット、人工知能。今、世界中で『Society5.0』に向かってイノベーションが次々生まれています。この『生産性革命』への流れを先取りすることなくして、日本経済の未来はありません」、そのために「政策を総動員する」と大げさなことを並べ、さらにいわば最後に、「3%の賃上げを行い、積極的に投資を行う企業には、法人税負担を25%に引き下げるが、・・・他方、収益が拡大しているにもかかわらず、投資に消極的な企業には研究開発費減額など、優遇税制の適用を廃止します」とか、道理も何もないことを並べ立てている。

軍拡主義路線を疾走し始めた

 そして安倍は、北朝鮮の危機などを誇大に扇動しながら、軍拡主義と軍事大国化の路線を正当化するのである。

 「安全保障政策において、根幹となるのは、自らが行う努力であります。厳しさを増す安全保障環境の現実を直視し、イージス・アショア、スタンド・オフ・ミサイルを導入するなど、我が国防衛力を強化します。

 年末に向けて、防衛大綱の見直しも進めて参ります。専守防衛は当然の大前提としながら、従来の延長線上ではなく、国民を守るために、真に必要な防衛力のあるべき姿を見定めてまいります。」

 安倍は軽率に、そして大仰に、「国民を守るために、真に必要な防衛力」について語っているが、しかしそんな「防衛力」とはどんなものなのかについては何も明らかにしていない。北朝鮮の金正恩と対抗するための軍事力か、それとも中国の習近平と張り合うためのものか、あるいは「仮想敵」はプーチンか、ひょっとしてトランプか。

 仮に中国の軍事力と対抗して「国を守る」とするなら、そのために備えるというなら、膨大な戦力と核兵器さえ不可欠だが、そんな決意があって、「真に必要な防衛力」について安倍は語っているのか。その決意も覚悟もなく、最後にはトランプに頼りながら大言壮語しているだけである。まさに「虎の威を借る(けちな)狐」でしかない。

 安倍は日本が今ほど危険に直面したことはないと言うが、相互に何千発という核兵器で対決し、相互に脅迫し、いがみ合った米ソの〝冷戦時代〟は、はたして今よりよほど「危険」ではなかったのか、恐怖ではなかったとでもいうのか。その時代からすれば、北朝鮮の危機といったものはまるで牧歌的なもの、茶番もしくは三文喜劇にさえ見える。

 いずれにせよ、臆病でただよく吠えるだけの能しかない、根が臆病な北の子犬より、〝中華思想〟という夢をまだ捨てきれない、時代錯誤の猛虎、中国の方が、よほど日本にとって〝危険な〟国ではないのか。

最後の野心、憲法の「改定のための改定」

 そして安倍は最後に憲法改定について喝破する。

「50年、100年後の未来を見据えた国創りを行う。国の形、理想の姿を語るのは憲法です。各党が憲法の具体的な案を国会に持ち寄り、憲法審査会において議論を深め、前に進めていくことを期待します」

 安倍は22日午前中、自民党の議員総会でも演説し、「我が党は結党以来、憲法改正を党是として掲げ、長い議論を重ねてきた」、「私たちは政治家であり、それを実現していく大きな責任がある」、「いよいよ実現の時である」とアジり、通常国会を出発点に、具体的に憲法改定に向けて動き始める決意を明確にした。

 しかしもちろん、もとの9条の文章をそっくり残しながら、「自衛隊の存在」を、そこに追加するという安倍の憲法改定案はご都合主義丸出しで、まさにそれ故に、簡単に国民に受け入れられない、余計な特徴を持っており、憲法改定を巡る政治闘争を権謀術数がはびこる、複雑で、混沌としたものにする可能性がある。安倍政権の基盤でもある国家主義勢力の反発もあり、自民党内にさえ強力に異議を申し立てる勢力もある。

 そもそも安倍の立場自身が一つの信念──国家主義の原則──に立脚するものでなく、権力や個人的な虚栄心や名誉心からの憲法改定、憲法改定のための憲法改定(改定の自己目的化)、卑しい動機からする邪道の憲法改定だとするなら、どうして憲法違反を巡る政治闘争が混沌とし、紛糾しないで済まされようか。

 そして仮にそんな安倍流の憲法改定がなされたとしても、自衛隊(軍隊)の憲法上の〝地位〟さえもあやふやで──ひょっとすると、憲法改定の前よりも──、依然として憲法と自衛隊の関係を巡る対立や議論が続くなら、一体何のための憲法改定だったのかということになるだけである。

 自民党や安倍政権はこれまで、現行憲法のもとでも、自衛隊すなわち日本の強大な軍隊は合憲であるといい続けてきたのである。

 そして安倍は、憲法に「自衛隊の存在」を書き込んでも、現実には何の変化も生じないなどというのである。

 とするなら、一体何のための憲法改定か。そんなものの必要性はないと、安倍自身がいうも同然である。

 そもそも、憲法に「自衛隊の存在」を描き加えるとはどういうことか。安倍は肝心要のこのことをまだ説明していないのである(できないのか、それとも具体的に今いったら、憲法改定が困難になるとでも思ってといるのか)。

 憲法に「自衛隊の存在」を書き込むだけの憲法改定はナンセンスであり、そんなものだというなら、憲法改定の意義も必要性もないということになる。

 それとも安倍は単に「自衛隊の存在」といった〝言葉〟だけを追加するのではなく、むしろ「自衛隊の存在」の意義や役割を書き込み、追加するというのであろうか。

 そうしたいならすればいいが、しかし9条の余りに明白な「一切の戦力はこれを保持しない」と謳う現行憲法の条文や、憲法前文の諸概念と、改正による追記と、いかにして調和させ、符合させるのか、させることができるのか。そんなことは不可能であろう。

 他方、立憲民主党の枝野は、安倍が「憲法は国の形、理想を語る」ものだと主張したのに対し、立憲主義という名のドグマ、つまらない異論を対置し、「憲法は国民が公権力を縛るためのルール。定義が間違っている方と議論できない」と、上から目線で安倍に反撃し、いい気になっている。

 憲法は権力者を〝縛る〟ためのものだという観念は、枝野や志位や市民派の偏狭なドグマである、というのは、現行憲法は権力者やブルジョアだけでなく、労働者も──つまり国民一般を──〝縛る〟からこそ、一般法としての憲法である。

 このことは例えば、私有財産の権利を宣言し、あるいは国民全体の納税義務を謳っていることからも明らかである。

 憲法は第1章で天皇制を謳うが、それは天皇制が労働者を〝縛る〟ものであって、支配階級を〝縛る〟ものでないのも自明である。

 「立憲主義」云々は憲法を歴史的に評価しないで、超歴史的なものと考えるブルジョアの意識の反映である。枝野や志位らはそのことを理解しない観念論者であり、従って安倍の憲法策動とも決して正しく闘っていくことができない。

 憲法は理想とする国家について語るものだといいながら、国家主義者つまり自分たちの理想の国家像をぼかし、それを平和主義と国家主義をこき混ぜたような、中途半端なごった煮にすり替える安倍も安倍なら、平和主義国家を謳った現行国家は理想であって変えるべきではないといいつつ、つまり事実上、「理想の国家」について、安倍と共に語りつつ、安倍の国家観は間違っているといえるとは、枝野も──志位も基本的に同じだが──枝野であり、うぬぼれすぎて、頭が相当にトンチンカンで、おかしくなっていると結論するしかない。

 安倍政権は、「現在の自衛隊を違憲の存在だと考えていない」と、繰り返して強調している等々。とするなら、一体何のために、「自衛隊の存在」を憲法に記入するなどと主張し、それにこだわるのか。こだわるのは、憲法に「自衛隊の名を記すためでなく、自衛隊は合憲である」と記すというのか、その意味で「自衛隊の存在」を憲法に記入するというのか。

 まさに安倍政権の憲法改定が「改定のための改定」でしかないことを暴露して余りある。

 石破や国家主義のゴリゴリの連中の方がまだ首尾一貫している。9条の現在の条文は平和主義(あるいは一種の〝国際主義〟)の象徴であり、日本国家の性格規定の根底となっているのだから、それは削除し、明確な国家主義の規定、〝日本ファースト〟の規定に置き換えるべきだ、そんな「理想の国家観」──安倍一派や反動たちにとっての──に沿った憲法に改定しなければ、そもそも憲法改定の意義はないに等しいと明確に言うのでなければ、安倍は首尾一貫することは決してできないのである。

 安倍一派は戦後の東京裁判の結論の多くに、国際法がない時代からの日本の天皇制軍部の国家の戦争犯罪をあげつらっているが、そんなものは法律違反であって──「法は遡及して適用せず」の原則に背いている──、間違っていると言いはやしてきたが、しかしそれなら、今安倍のやろうとしている憲法改定は何であろうか、その罪については、法律に照らしてどう総括するのか、「遡及して適用せず」をまた持ち出すのか。

 しかし今回の憲法改定の場合は、「遡及しては」罪を問わないでは済まされない、というのは、これは過去の問題ではなく、現在の問題、生きた現実の問題だからである。

反動と混乱の憲法改定策動粉砕!

 安倍は──否、自民党自身は──、戦後一貫して「自衛隊は合法だ、本来の軍隊ではないから」等々のごまかしの詭弁を弄しながら、強力な軍隊を作り出してきた、そして今になって、実は自衛隊はまさに強大な軍隊であり、その意味では憲法違反の存在であったと開き直るのであり、自衛隊を合法の軍隊であり、かつてもそうであったと宣言するために、ただそのためだけに、憲法改定が必要だというのである。

 とするなら、戦後数十年にわたって、憲法違反の罪を犯してきた自民党や安倍政権について、何といえばいいのであろうか、どんな罪と罰に値するといえばいいのだろうか。

 安倍は憲法改定をいうなら、まずこの問いに答えてからにすべきであろう。

 安倍はどんな原則もなく──むしろ自分たちの原則を隠し、ごまかし、それに反してまで──、いい加減な「改定のための改定」につっ走ろうとしている。我々は安倍政権の汚い意図と策動に反対して断固として闘い抜き、安倍政権打倒の一つの契機として行かなくてはならない。

 現行憲法をまるで万能の御符(「不磨の大典」?)よろしく掲げ、それを守っていれば、〝危険な〟安倍政権の登場もなく、強大な軍隊も育たない、平和国家が続くなどと言う幻想は、戦後の歴史を一見し、総括するだけでも、その誤りは明らかである。

 世界で最も民主的と称されたワイマール憲法の下で(第一次世界大戦後から1933年までのドイツで)、ナチスが台頭し、勝利して憲法を破棄し、戦争国家として登場し、ファシズム国家のイタリアや天皇制軍国主義の国家の日本と共に、第二次世界大戦を挑発し、開始し、ほとんど世界中に押し広げ、人類と世界に、計り知れない悲劇と不幸と生活破壊と死と物質的損失をもたらしたという歴史的経験を我々は決して忘れるべきではない。

 歴史はこうした経験や現実で満ち満ちているというのに、そんな現実から目をそらし、つまらない幻想に浸り放しのとんま連中がいくらでもいる。

 共産党や立憲民主党、市民派のように、憲法もまた歴史的社会──今の憲法なら、ブルジョア社会──の本性を暴露している、一つの法律つまり単なる〝上部構造〟であることさえ知らない、観念論者たち、形而上主義者たち、つまりえせ〝共産主義者〟や自由主義派、市民派などほっておいて、労働者・働く者は、自らの道を、安倍政権を打倒して自らの未来を切り開いていく闘いの道に沿って前進して行くのみである。 

   

【飛耳長目】

★矛盾という言葉がある。物事や言動の辻褄が合わないという意味だ。血なまぐさい中国の戦国時代、ちまたで物売りが矛(ほこ)と楯(たて)を並べて、両方とも無敵であると語って売ろうとした時、傍らの老人が、では人がそれぞれを手にして戦ったらどちらが勝つかと問うと、商人は逃げ出したという寓話が『韓非子』にある★今日本では矛と盾という言葉を使って、防衛論議が盛んだ。これまでは米軍が矛の役割を、自衛隊は楯の任務を分担する、日本の専守防衛の観念からしてそうなるしかないと言われてきたが、最近はいや日本も矛の役割を担うべきだ、日米の対等の軍事協力が必要だという考えが政権側から強調される★つい最近も、海上自衛隊「いずも」の空母化を言いだし物議を醸した。戦闘機に搭載する長距離巡航ミサイルを高値で米国から買うという。敵基地に対する先制攻撃が必要だと反動派はわめく。これらは「専守防衛」のためだという虚偽のオブラートに包まれているが、専守防衛の限度をたちまち飛び越えていく。最良の防衛とは攻撃(先制攻撃)であるというのは戦略の初歩であり、旧帝国軍隊の鉄則だった★強大な軍事力で国を守るという立場に立つなら、結局日本もまた軍事強国、帝国主義国家になるしかないという真実は、明治以降の日本の歴史も教えている。万国の労働者の国際主義と、その反戦闘争の意義を確認せよ。(鵬)

   

【主張】

労働者を幻想でたぶらかす
賃上げは国民経済を救うか

 安倍は施政方針演説で、企業に賃上げと資本投下の2つを、デフレ脱却の手段として要求したが、まるで無概念である。

 そもそも3%の賃上げを実現することと、投資を拡大することは、企業にとって『二律背反』し、矛盾することではないのか。原資は両方とも蓄積された資本だが、それを賃上げとして支出すれば、他方の資本支出(投下)は縮小する、そして資本はその本性からして、資本間の競争に強制されて、賃金を抑制し、資本投下に振り向けるのである。

 典型的な例を上げれば勃興期の産業資本は、賃金を抑制し、資本蓄積つまり拡大再生産に励み、〝積極的な〟投資活動にせいを出したのである。

 企業にとっては、賃上げは「コスト(しかも〝固定費〟)を上昇させること」であって、それは利潤率(儲け)にとって非常な脅威であり、賃上げは消費需要を拡大するから(さらには物価上昇につながるから)、企業にとってもメリットだといって済ませることでないのは、ブルジョア諸君のすべてが知っていることである。大きな賃上げなどしたら、たちまち破産の危機に直面する、中小企業の〝親方〟はいくらでもいる。

 安倍が資本に、『二律背反』の賃上げと資本投資を共に要求するのは、両者とも「需要拡大」であり、それが結局は資本の「成長」につながり、「経済の好循環」をもたらすと間違って理解するからであって、そんな要求はブルジョアからさえ拒否されるか、知らぬ顔をされるのが関の山である。

 安倍は大きな賃上げだ(今年も3%だ)、そしてそれは2%の物価上昇につながり、ひいては「経済の好循環」をもたらすと、今なお強調する。

 他方では、すでに景気は回復しているかに──それもアベノミクスのたまものであるかに──言いはやしもする。

 おかしいではないか。なぜ2%の物価上昇もなく、デフレ脱却も実現していないというのに、景気回復か、好景気か。

 それはつまり、景気回復がIT産業の(またはITバブルの) 先導する好景気かも知れず、あるいは景気循環──これは資本主義のもとでは不可避だ──の上昇期の好況かも知れないということであって、アベノミクスとは何の関係もなく、アベノミクスの〝効果〟云々はただ安倍の幻想の中にしか存在しなかったことを暴露していないか。

 大企業は儲けを貯えるだけで不届きだ──安倍は、大企業が内部留保で満腹しているのは、もっぱらアベノミクスの恩恵ではないかとうぬぼれ、企業に安倍の思惑通りに従えと高姿勢だが──、そんな無駄なカネは社会全体の利益を考えてはき出すべきというのが、安倍の──そして安倍と同様に愚昧な共産党の──認識である。

 しかし例えば、08年12月、リーマンショックの危機の時に、ほとんど破綻、「倒産」の恐怖に直面したトヨタ(らの大企業)は、当時の倍以上の9兆円の内部留保をため込んでも、まだ安心できないのである、この低成長の時代に慎重になり、リーマンショック級の悪夢の再来に怯えるのであり、順風が逆風に変わることを知っているのである。

 トヨタが賢明なのか──小利口だからといって、未来が洋々としているわけではない──、現代資本主義の矛盾と危機の深さに鈍感で、無頓着な共産党や市民派が極楽トンボなのかは遠くない時期に明らかになるだろう。

 現実の経済状況もまた、アベノミクスのこけ脅しとして無力と破綻を教える。

   

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