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労働の解放をめざす労働者党機関紙
海つばめ』

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郵政民営化の中で何が起きているのか?
郵政労働者は告発する!

■民営化の嵐の中で最大の御用組合の登場――JPU臨時全国大会議案批判
■郵政民営化――今、職場では/郵政現場からの報告
■恐竜化か、リリパット化か――郵政民営化のジレンマ
■西川善文著『挑戦――日本郵政が目指すもの』/民営化に賭けるトップの本音


憲法改悪と
いかに闘うか?


■改憲に執念燃やす安倍――「国民の自主憲法」幻想を打ち破れ
■労働者は改憲策動といかに闘うか
■国民投票法をどう考えるか
■安倍の「美しい国」幻想――憲法改定にかける野望


本書は何よりも論戦の書であり、その刊行は日和見主義との闘いの一環である。
マルクスが『資本論』で書いていることの本当の意味と内容を知り、その理解を深めるうえでも、さらに『資本論』の解釈をめぐるいくつかの係争問題を解決するうえでも助けとなるだろう。


全国社研社刊、B6判271頁
定価2千円+税・送料290円
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「不破哲三の“唯物史観”と『資本論』曲解』(林 紘義著)」紹介(『海つばめ』第1048号)


全国社研社刊、B6判384頁
定価2千円+税・送料290円
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「天皇制を根底的に論じる『女帝もいらない 天皇制の廃絶を』(林 紘義著)」(『海つばめ』第989号)他

理論誌『プロメテウス』第54号
2010年10月(定価800円)

《特集》菅民主党のイデオロギーと“体質”
・神野直彦の思想と理論――菅直人のブレインは「曲学阿世の徒」
・原則なき寄せ集め政党――顕現するブルジョア的“体質”
反動的な「文化」の擁護に帰着――レヴィ=ストロースの「文化相対主義」批判


 
 
 教育のこれから
   「ゆとり」から「競争」
   そして「愛国教育」で
   いいのか
 林紘義 著 7月1日発売

  (全国社研社刊、定価2千円+税)
  お申し込みは、全国社研社
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まかり通る「偏向教育」、「つくる会」の策動、教育基本法改悪の動きの中で、“教育”とは何であり、いかに行われるべきかを、問いかける。  


 第一章  
教育基本法改悪案の出発点、
森の「教育改革策動」
 第二章  
破綻する「ゆとり」教育の幻想
 第三章  
“朝令暮改”の文科省、
「ゆとり」から「競争原理」へ
 第四章  
ペテンの検定制度と「つくる会」の教科書
 第五章  
歴史的評価なく詭弁とすりかえ
つくる会教科書(06年)の具体的検証
 第六章  
日の丸・君が代の強制と
石原都政の悪行の数々
 第七章  
憲法改悪の“露払い”、教基法改悪策動

●1323号 2018年3月25日
【一面トップ】真の悪党は安倍だ――大詰めの森友学園スキャンダル
【コラム】飛耳長目
【二面〈主張〉】世界は分裂、解体の危機に―― 貿易戦争挑発するトランプ
【二面トップ】資本主義と唯物史観――労働と生活・消費の〝関係〟
【二面 サブ】訂正とお詫び――読者の皆さんに

※『海つばめ』PDF版見本

真の悪党は安倍だ
大詰めの森友学園スキャンダル

 安倍は19日、国会で、もし私が森友学園事件に直接関与していたなら、首相も国会議員も辞職すると語ったことに対して、「私は信念として申し上げた」と開き直った。そして自民党の議員は、安倍のこの「決意」は立派であって、ほめられこそすれ、批判され、非難されるべきものではないと持ち上げた。語るに落ちたとは、このことである。

安倍の〝直接的関与〟は明白

 しかし安倍が1年前に虚勢を張って無関係を強調したのは、安倍の国家私物化の悪事が、犯罪行為がばれないと信じたからであって、それから1年、「隠すよりは顕わるるなし」の箴言通り、今では「ない」、「廃棄した」といっていた決裁文書が出てきただけではない、それが大幅に書き替えられ、改竄されていたことまで明らかになり、安倍と政権ぐるみ、国家ぐるみの悪事があきらかになってしまった。

 そして今では、地中深くにゴミもまたあったとするゴミもまた存在せず、財務省と森友学園が、あったとするように書けと業者に強要したという悪事までも明るみに出てしまった。

 そして安倍政権はこの期に及んでも、悪いのは安倍と安倍政権ではなくて、かつて籠池に責任転嫁したように、今また佐川らの官僚が悪いと言い張り、責任転嫁に汲々とするのである。 安倍の政治ヤクザ、政治ゴロとしての醜悪な本性が明らかになりつつある。

 安倍のこうした本性を、すでに2001年、まだ自民党の反動議員に過ぎなかった安倍が介入したNHK番組改編事件にはっきり現れた。まさにそれは安倍の〝原点〟を暴露した事件であり、我々は「NHK従軍慰安婦事件改変問題──安倍は陰険に政治介入し、しかもごまかした」の中で全面的に明らかにし、告発した(『第一次安倍政権の二大前科を問う』304頁以下)。

 安倍が強がって自分の無罪をいえるのは、自分のあからさまな〝関与〟が隠されている限りであり、また籠池や佐川らに責任転嫁をし得る限りのことであって、十分に関与──事実上の直接的な関与──がいくらでもあり得たことは、すでに加計学園事件では完璧に明らかにされたのであった。

 加計学園事件では前川証言もあり、また文科省官僚が安倍政権の実際的な介入を教えるメモ等々の存在が明らかにされた。荻生田等──安倍の最も忠実にして有能な側近、つまりお側用人、茶坊主もしくはたいこもち、虎の威を借る狐、もっとも呼び方は何でもいいのだが──が、「総理(お上)のご意向」、「官邸の最高レベル(つまり安倍)がいっている」と文科省官僚にまさに〝直接に〟強い圧力をかけた証拠が出てきたのであった。

 そして今また加計学園事件でも公文書の偽造・改竄があったことも言われ始めている。とするなら、同様に、加計学園事件であったことが森友学園でもあったとしても、何らおかしくないのである、否、むしろあったと考えた方が正しいであろう。というのは、両者とも全く同じ性格の安倍と安倍政権の卑しい犯罪だからである(加計学園の犯罪については、『海つばめ』1303、4号等を参照)。

卑しい官僚への責任転嫁

 安倍一派は今やなかったはずの公文書が明らかになり、そしてまた、そんな文書が安倍と安倍政権に都合のいいように書き替えられ、改竄されていることまでが明らかになってしまい、進退窮まって、こともあろうに安倍のために犬馬の労をとって忠勤に励んできた財務省の官僚──標的は佐川である──を森友学園事件の悪の元凶として告発し、身代わり、生け贄の羊に仕立て上げ、責任転嫁に汲々とし始めた。

 今や最後の崖っぷちに追い詰められた安倍や安倍政権が、財務省に──というより、佐川に──〝最終的な〟責任があると決めつける唯一の説明は、佐川が「勝手に忖度し」、公的文書の書き替えを命じ、実行したというものである。  

 まず第一にいえることは、佐川が安倍一派の一員ならともかく、自らの地位や名誉をかけて、そんな危険な行為を犯さなければならないどんな理由もないということである。

 彼が安倍の不正になぜ自ら進んで与しなくてはならないのか、森友学園事件も加計学園も、安倍一派のやった悪事であって、単なる一官僚の佐川にとっては、どうでもいいことである。

 しかし問題が安倍によって命じられたことだとなれば、佐川が自らの地位を守るためには、安倍のために文書の書き換えでも偽造でも何でもするし、しなくてはならないのである。

 そして仮に佐川が「忖度」によって安倍と安倍政権のために、自ら文書の改ざんでも何でもしたとしても、究極的に罪を負うのは安倍であって佐川ではない、というのは、佐川が「忖度」したのは安倍の意思であり、安倍の犯した犯罪以外ではないからである。

 安倍の森友学園についての犯罪がなければ、そもそも佐川が「忖度」し、かばうべき対象さえなかったのである。

 「火のないところに煙は立たない」のであって、「火」(安倍一派の権力犯罪)こそが原因であり、大本である。

 佐川が仮に余計な「忖度」して文書の改ざんや書き換えを財務省の下っ端役人にやらせたといくらいって、佐川に責任をすべて負わせようとしても無駄である、というのは、佐川は安倍のために忠誠を誓い、「犬馬の労」を取ることを自分の任務とも責務とも考えなくてはならない役人だからである。安倍の意に背いて、役人にあるまじき公的文書の改ざんなど独断でやるはずはないし、できるはずもないのである。

 財務省が悪党であることは自民党にいわれるまでもない、問題は財務省の背後にいて、財務省を繰った者は誰か、である。

 すべての人は、それが安倍であり、安倍以外ではないこと──財務大臣の麻生でさえないこと──は皆知っている。

 しかし野党もリベラルも、それを明言し、安倍打倒を掲げて闘うことを恐れており、いまだに「疑惑が解明されていない」とか、「関係者を皆国会に呼んで真相を聞くしかない」とか言い続けている。今なお「真相」を教える材料が少ないかに、である。

 しかし1年ほど前に森友学園に8億円もの値引きをして、安倍一派の理想の教育を行っている森友学園に土地を譲渡したことが明らかになったときから、事件の「真相」は明らかではなかったのか、だからこそ、我々はその「真相」を明確に暴露したし、できたのである。

 そして廃棄して存在しないと言われてきた決裁文書が存在していただけではない、しかもその文書が大きく書き替えられ、改ざんまでされていたことが、今月初めに明らかになったのである。一体これ以上のどんな証拠が、森友学園の不正を明らかにするために必要だというのか。

 そして財務省まで動かしてこれほどの悪行を行えるのは安倍と安倍政権を除いてどこに存在するのか。

 財務省の佐川だって?

 財務省のトップとはいえ、佐川がそんなことをやれるはずもないし、独断でやるはずもない。

 そして佐川でないとするなら、他に安倍以外に誰がいるというのか。

真の悪党は佐川でなく安倍だ

 安倍政権と自民党は森友学園事件のすべてを財務省と佐川の責任とする策謀を強めている。

 麻生は佐川の責任が一番大きいとうそぶき、代表質問に立った自民党の和田正宗議員──安倍に忠勤を誓う穀潰し議員──は、堂々と「財務省は自民党にも官邸にも真実を隠した」と叫んで太田を面罵した。

 安倍と安倍政権、そして自民党までも森友学園や加計学園事件に関する権力犯罪の張本人として告発されているときに、そしてうそで塗り固めた言動によってその罪を隠蔽し、なかったことにしようとする策動がはびこっているときに、こともあろうに、うそと虚偽を暴く人々に向かって、「うそをつき通した」などと叫ぶ蛮勇のある人が、そんなにも破廉恥な人間がこの世にいるのである。

 さすがに無理に無理を重ね、良心を何とかして眠り込ませ、真実に目をつぶり、「役人である以上、政府に誠心誠意勤めるのが自らの仕事」と信じ──あるいは、諦めて──、安倍のために働いてきた官僚の中にも、今や不満だけでなく、自分たちの悪事の尻ぬぐいを官僚にやらせるだけではない、責任をすべて役人に押し付ける安倍と安倍政権に対する、一種の怒りさえも生まれ、深まりつつある。

 太田は和田の「アベノミクスをつぶすために、安倍政権を貶めるために、意図的に変な答弁をしているのではないか」という発言に色をなして憤慨し、「いくら何でもそれはない」、ひどすぎると怒り心頭に発したが、27日、国会に証人として呼ばれ、発言することになった佐川も、今、頑として自分1人で責任を取る意思はないということである。

 佐川が爆弾発言をしないとしても、彼は自分に都合の悪い発言を口にすることはなく、せいぜい裁判の訴追を口実に、肝心要の真実を口にしないで済まそうというところであって、間違っても安倍と安倍政権に都合のいいことをいう意思はなさそうである。

 そもそも佐川が理財局長になったのは、16年6月であって、この月には、近畿財務局が8億円の値引きをして、森友学園にくだんの土地をすでに売却したときである。佐川は、その不正そのものには責任を負える地位にはいなかったのである。

 そして確かに、森友学園事件を巡る不正が発覚した17年2月の時は、局長として公文書隠しや、その頃財務省内で行われた、新たな犯罪──公文書の書き換え、偽造──の責任の一端は佐川にあるが、しかし公文書隠しはともかく、その書き換えなどという重大なこと──下手をすれば犯罪として告発され、有罪にさえなる行為──を佐川1人の責任で行ったとか、行うことができたなどいう想定はあり得ないであろう。

 背景に、加計学園でもそうであったように、安倍と安倍政権が存在し、直接、間接に――場合によっては、財務大臣の麻生さえ飛び越えて──佐川に働きかけ、悪事をそそのかし、やらせたことは確かであろう。

 佐川が爆弾宣言もせず、また自分1人で責任を負おうとしないなら、〝真相〟は闇に包まれたまま、現在の情況─―安倍こそが元凶であることはすべての人が分かっているのに、その〝確証〟が無いという、誰1人満足もできない情況──が続くだけである。

 どこかでほころびが出て、劇的な結末につながるかもしれないが、つながらないかも知れない。自民党政権は力を失い、誰も信じないが、だからといって自民党に代わる政党も存在しない、というのは、政党政治そのものが根底から腐ってしまい、すべての政党が原則も思想も正しい政策もない、その場限りの政治に生きる日和見主義政党、ポピュリズム政党──それぞれ、いくらか程度と内容の違うだけの──に頽廃し、堕してしまっているからである。

   

【飛耳長目】

★防衛省は護衛艦「いずも」の空母化を図るという。安倍政権のもと、また「日本の防衛」を掲げれば「何でもあり」とばかりに、憲法の禁じる「戦力」の強化に突っ走っている★彼らは「日本防衛を目的とした『防衛型空母』で、専守防衛から逸脱しない」とうそぶいている。『攻撃型空母』はダメだとしても『防衛型空母』なら文句があるかと、高性能で、より機能型の空母に変身させて『防衛型』と名付ければ、まるで空母が空母でなくなるかの言い草である★最新鋭のステレス戦闘機F35Bのためというが、短い滑走路で離陸でき、垂直離着陸も可能だから、もっぱら防衛のための空母だというが、そうした能力は、防衛のためというより空母の一般的な機能強化であって、帝国主義戦争や侵略戦争でも決定的な意義を持ち得るのは、天下分け目の戦闘になった1942年のミッドウェー海戦の敗戦で、旧日本海軍が骨身に染みて知らされたことである★安倍の理屈は、憲法論議においても、自衛隊は事実上世界でもすでに強大で、最新鋭の武器で武装した軍隊や「戦力」でなく、「必要最小限度の実力組織」と書けば、現憲法の9条が残ろうと矛盾しないといった言葉遊びと同レベルの、言いつくろいのごまかしである。安倍は軍隊や「戦力」ではない、「必要最小限度の実力組織」とは現にある自衛隊がそれだ、とかいって白を切り、言い抜けるつもりか。(鵬)

   

【主張】

世界は分裂、解体の危機に
貿易戦争挑発するトランプ

 トランプが突然、3月23日からと期限をつけて鉄とアルミニュームの輸入制限に動き、前者には25%、後者には10%の関税を課すと宣言した。8千億ドル(約百兆円)にも達する貿易赤字縮減のためだという。

 貿易赤字の半分を占める中国が標的だと見なされるが、しかし対象は全世界、無差別だという。

 「貿易と軍事の両面で真の友人には大きな柔軟性を示す」などというが、要するに具体的な局面で各国に妥協を強い、取り引きをしようということだ。

 トランプの〝暴挙〟に世界中が反発したが、とりわけ中国やEUは即座に反応し、EUは報復関税やWTO提訴に訴えると表明、工業製品から農産物までの広汎な貿易品に25%の関税をかけると息巻き、中国の商務相も「中国は自ら貿易戦争を仕掛けることはないが、いかなる挑戦にも対抗し、国と人民の利益を断固守る」と宣言した。

 しかし日本は日和見を決め込み、WTOにも提訴するなどの対抗措置は取らず、〝親密な〟同盟関係の中で何とかしようと、まず適用除外の特別扱いを求めたが、トランプは日本にも1千億ドルの貿易赤字がある、それを改善してからの話だと門前払いの扱いである。

 習近平や安倍が自由貿易論者を装う茶番はさておくとして、トランプの登場を契機に、今や世界は自由貿易の時代から保護貿易の時代に、弱肉強食の時代に転換し、移行しつつあるかだが、それはまた大国の指導者たちが強大な権力主義者や専制主義者に転化しつつあるのに対応している。

 トランプが保護主義にこだわるのは、彼の強固な支持基盤である、鉄鋼産業の労働者などを意識してのことである。つまり今週の中間選挙で再び鉄鋼労働者らの熱い支持を獲得するためだが、また今月13日に鉄鋼労働者が多く住むペンシルバニア州下院補欠選挙のことも頭にあっただろう。

 保護主義で米国の斜陽産業の労働者の雇用を守ろうとしても無駄である、というのは、仮に何万人かの労働者の雇用を守り得たとしても、輸入物価の騰貴等々を通して多くの米国の産業や企業に損失をもたらし、あるいは何十万、何百万の労働者の生活を損なうからであり、また他の未来ある産業の登場や発展を阻害することによって、労働者全体の雇用さえ縮小しかねないからである。

 貿易の保護主義によって労働者のその場限りの、仮初めの仕事や生活を仮に守り得たとしても、労働者の本当の生活はもちろん、その未来を保障することは決してできないのである。

 経済環境が悪化し、好況が不況に、経済成長が経済停滞に替わり、労働者、勤労者の生活もますます悪化し、追い詰められていくとき、自国本位の扇動家や政治ごろが現れ、幅を利かすのであり、それがブルジョアやプチブルだけでなく、遅れた労働者等々まで取り込んでいくとき、ファシズムや帝国主義が猖獗を極め、反動的な世界戦争の危機が訪れるのである。

 もしトランプの保護主義が世界の諸国の保護主義や報復関税戦や自国本位を挑発し、諸国の張り合い戦争に行きつくなら、世界経済は、したがってまた世界政治は分裂、分断し、再び三度、世界戦争に向かって、小石が坂を転がり落ちるように、加速度を増しつつ転落していきかねない。

 世界中から、トランプとその同類を一掃し、根絶することが再び三度世界の労働者、勤労者の歴史的な課題となり、責務となったのであり、我々はまず安倍政権を片づけることから始めなくてはならないのである。

   

資本主義と唯物史観
労働と生活・消費の〝関係〟

 我々は『海つばめ』先号(1322号)で、憲法の27条を批判して次のように主張しました。

《憲法は例えば、「すべての国民は、勤労の権利を有し、義務を負う」(27条)など記すが、労働者にとっては余りにばかげた条項である。

労働は「権利・義務」か

 もし労働が「義務」だといった性格のものなら、なぜ首切りといったことが日常茶飯事におこなわれているのか、なぜその「義務」に違反するようなブルジョアの全体を憲法違反で告発し、逮捕しないのかということになるし、ならざるを得ない。

 また労働者は自分の労働を「義務」として行うのでもなく、「権利」として要求するのでもなく、単純に自分の生活と消費のために──したがってまた、社会全体のために──、自主的、主体的にたずさわるのであって、そんなところに「権利・義務」といった観念を持ち込むことは徹頭徹尾ブルジョア的なナンセンスであるということが、マッカーサー憲法──現行憲法──は分かっていないのである。》

 これはつまり、人間の社会的な労働は──したがってまた、人間相互の社会的な関係は──権利・義務といった関係──これは結局、ブルジョア的な関係だと思いますが、ここではなぜブルジョア的関係かは論じません──ではなく、一言でいうなら、ということです。

 我々のこうした主張に対して、これは資本主義のことをいっているのか、資本主義の克服された後の社会──その本当の概念の確認や認識もなく、〝社会主義〟の名で呼ばれている社会──のことをいっているのか分からないという疑問や、闘いのスローガンになっていないといった批判が出されました。

 そうした疑問や批判に答えたいと思います。

 まずはっきりさせなくてはならないことは、こうした概念は社会主義にかかわる概念ではなく、唯物史観にかかわる概念、つまり人類の社会の歴史と内容にかかわる概念であって、直接に社会主義社会にかかわる概念ではないということです。

 では社会主義と関係ない概念かというと、それも間違っています。

 ではどういう意味で、どんな契機で、資本主義の概念であると共に、資本主義克服後の社会と関係するのかという点について考えてみたいと思います。

 この概念はそのもの自体としては、人類の社会史にかかわる概念であって、その〝生物史的な〟概念ではありません、つまり約一万年ほど前、農耕時代と共に始まった人類の社会史にかかわる概念です。

 一万年前という年代も、また農耕と共に始まったという見解にも色々批判的な見解もありますが、とりあえずはそうした前提で話を続けます。

 まずこの概念は基本的に資本主義にかかわる概念か、それとも社会主義にかかわる概念かという根本問題に入りますが、それはまた同時に、資本主義的生産様式はそもそも歴史的にいかなる社会であり、いかなる歴史的な意義を持つ社会かということに帰着します。

 ヘーゲルは、「現実的なものはすべて合理的であり、合理的なものはすべて現実的である」と喝破し、マルクスやエンゲルスもまた、この言葉の深い〝弁証法〟を評価しています、というのは、この観念は保守的なドイツ絶対主義の現実擁護の言葉に見えつつも、そこに深い革命的な内容を内包し、含んでいるからです。

 この観念は社会が進歩し、古い社会が新しい社会に徹底的に変革されなくてはならないときが来れば、革命もまた「合理的で」あり、不可避であるといっているからです、古い体制の中に、それを根底から否定し、粉砕し、新しいものに置き換える要素が生まれ、発展してくるなら、それも「合理的」であり、歴史的必然だといっているも同然だからです。

人類社会の普遍的概念

 こうした観点でくだんの概念を検討してみると、それは、資本主義の概念でありつつも、それを越える概念でもあるということです。より正確にいうなら、資本主義の概念であると共に、資本主義的関係に覆われた、人類社会の普遍的で〝必然的な〟内容の概念でもあるということです。

 というのは、人類の未来社会──社会主義(正確な概念としていうなら、科学的社会主義)という名で呼んでもいいのですが──は資本主義の単純な否定に留まらず──例えば資本主義的搾取の廃止等々──、それを主要な契機としつつ、他方では、資本主義的生産様式という形態の下ではあれ実存してきた、人間社会にとって根源的で、普遍的な関係を実現するものだからです。

 それを実現し得るのは、資本主義もまた──〝(交換)価値〟という〝モノ〟相互の形態をとった労働者相互の全面的社会的関係や、労働者階級の搾取・非搾取の関係という対立的な生産関係の下ではあれ──、「労働者、勤労者は、自分自身と社会の全体の生活及びその存続を支える主体である」という関係を実現しているからです。

 単に実現しているだけでなく、賃労働の廃絶を勝ち取る労働者の闘いは、単に搾取の廃絶だけでなく、自覚的に「労働者、勤労者は、自分自身と社会の全体の生活及びその存続を支える主体である」という関係を──つまり我々の党名が語るような「労働の解放」を──実現するということを理解し、認識して闘う主体でもあり得るからです。

 働く者の労働が、働く者自身と社会全体の生活と消費と存続のためであり、それを保証するというのは、人類の社会の普遍的な〝原理〟なのですが、これはまた資本主義においても例外ではなく、貫徹しています。

 しかしこの〝原理〟は、資本主義的形態においてのみ──つまり〝疎外された〟形態においてのみ──貫かれ、存在しているにすぎないのですが。

 労働が疎外された形態を取るとは、自分と社会のためにのみ存在する働く者の労働が、生産物の〝価値〟(交換価値)つまり商品という形態を取り、さらには賃労働という形態を取る──これは労働者の労働が資本よって支配され、搾取されるということ、その労働の一部が〝剰余価値〟(利潤)という形態を取ることを意味します。

 これを別の言葉でいえば、生産者(直接生産者やブルジョア)が市場によって支配され、翻弄されること、賃労働者が資本に従属し、賃金奴隷の階級に転落し、資本によって搾取されるということです。

 このことを労働者自身の立場からいえば、労働者は自らの労働によって自分自身のためだけでなく、資本の利潤のためにも働くという形で生きるということを意味しますが、それが、生産的労働に従事する労働者が自分と社会のための富の全てを作り出していることを、否定するものでないことも明らかです。

 つまり「労働の解放」とは、労働者、勤労者の個人的であると共にすぐれて社会的な労働の資本主義的形態を──すでに古くさくなった、社会の外皮を──爆砕し、一掃して、人間の労働と、人間自身の生活や消費との本当の関係を、我々がいっている〝原理〟を明らかにし、実現すること以上は何も意味しないのです。

   

【二面 サブ】

訂正とお詫び
読者の皆さんに

 申しわけありませんが、『海つばめ』前々号(1321号)1面コラム欄と前号(1322号)2面記事『不磨の大典にあらず』の記事に意味不明の文章や乱れている文章がありましたので、以下の文章に替えさせていただき、お詫びします。どうか訂正の上、本文の意味をもう一度確認していただければ嬉しく思います。

 1321号1面コラムの後ろから3つ目の★印以下の文章を削除して、以下の文章と置き換えてください。

《上野は結局、日本の賃金制度が男性優位であり、差別的だから、男性優位の賃金制度であり、差別的であるという、同義反復以外何も語っていない。しかし現代の女性──とりわけ女性労働者──への差別の根源は、私的所有とそのもとでの家族制度や、利潤を至上の目的として運動する資本の社会を抜きにし、それと切り離しては決して論じれないのである》

 また1322号2面記事3段3文節の文頭(「そもそも」)から、4段2文節の最後(「なかったのである。」)までを削除し、替わりに次の文章を挿入してください。

《敗戦後、新憲法を準備し、国会で承認するに当たって、2つの憲法草案が対立した。一つはマッカーサーの「押し付け」草案であり、他の一つは、当時の日本政府(幣原内閣)が準備した──その限りでは、まさに日本の合法的な政府が準備した――松本草案であった。順序からいえば、松本草案の方が先であったが、それはまさに反動派のいう〝国産憲法〟にふさわしいもの、立派に〝国産憲法〟と呼ばれ得るものであった。

 しかし反動派に取ってはお気の毒なことに、松本草案はその根底において旧憲法と大差のないものであって、日本を〝民主化〟して再び、〝過激な〟軍国主義、帝国主義の国家にしないと固く決意していた米国の容認し得るものではなかったのである。》

 大きな訂正で申しわけありません。弁解の余地はもちろんありませんが、時間的に追い詰められた最後の段階で、原稿を一部削除したり、いじったりした結果でして、今後『海つばめ』編集・作成担当者全員、心してこうしたことがないように努めるつもりですので、どうかご寛恕のほどお願いします。──担当者一同

   

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