WPLLトップページ E-メール


労働の解放をめざす労働者党機関紙
海つばめ』

◆隔週日曜日発行/A3版2ページ
一部50円(税込み54円)

定期購読料(送料込み)1年分
  開封 2000円
  密封 2500円

ご希望の方には、見本紙を1ヶ月間無料送付いたします。

◆電子版(テキストファイル)
メールに添付して送付します

定期購読料1年分
 電子版のみ 300円

A3版とのセット購読
  開封 2200円
  密封 2700円

●お申し込みは、全国社研社または各支部・会員まで。
E-メールでのお申し込みもできます。



郵政民営化の中で何が起きているのか?
郵政労働者は告発する!

■民営化の嵐の中で最大の御用組合の登場――JPU臨時全国大会議案批判
■郵政民営化――今、職場では/郵政現場からの報告
■恐竜化か、リリパット化か――郵政民営化のジレンマ
■西川善文著『挑戦――日本郵政が目指すもの』/民営化に賭けるトップの本音


憲法改悪と
いかに闘うか?


■改憲に執念燃やす安倍――「国民の自主憲法」幻想を打ち破れ
■労働者は改憲策動といかに闘うか
■国民投票法をどう考えるか
■安倍の「美しい国」幻想――憲法改定にかける野望


本書は何よりも論戦の書であり、その刊行は日和見主義との闘いの一環である。
マルクスが『資本論』で書いていることの本当の意味と内容を知り、その理解を深めるうえでも、さらに『資本論』の解釈をめぐるいくつかの係争問題を解決するうえでも助けとなるだろう。


全国社研社刊、B6判271頁
定価2千円+税・送料290円
●お申し込みは、全国社研社
または各支部・会員まで。
E-メールでのお申し込みもできます。
「不破哲三の“唯物史観”と『資本論』曲解』(林 紘義著)」紹介(『海つばめ』第1048号)


全国社研社刊、B6判384頁
定価2千円+税・送料290円
●お申し込みは、全国社研社
または各支部・会員まで。
E-メールでのお申し込みもできます。
「天皇制を根底的に論じる『女帝もいらない 天皇制の廃絶を』(林 紘義著)」(『海つばめ』第989号)他

理論誌『プロメテウス』第54号
2010年10月(定価800円)

《特集》菅民主党のイデオロギーと“体質”
・神野直彦の思想と理論――菅直人のブレインは「曲学阿世の徒」
・原則なき寄せ集め政党――顕現するブルジョア的“体質”
反動的な「文化」の擁護に帰着――レヴィ=ストロースの「文化相対主義」批判


 
 
 教育のこれから
   「ゆとり」から「競争」
   そして「愛国教育」で
   いいのか
 林紘義 著 7月1日発売

  (全国社研社刊、定価2千円+税)
  お申し込みは、全国社研社
  または各支部・会員まで。
  メールでの申し込みも可能です。

まかり通る「偏向教育」、「つくる会」の策動、教育基本法改悪の動きの中で、“教育”とは何であり、いかに行われるべきかを、問いかける。  


 第一章  
教育基本法改悪案の出発点、
森の「教育改革策動」
 第二章  
破綻する「ゆとり」教育の幻想
 第三章  
“朝令暮改”の文科省、
「ゆとり」から「競争原理」へ
 第四章  
ペテンの検定制度と「つくる会」の教科書
 第五章  
歴史的評価なく詭弁とすりかえ
つくる会教科書(06年)の具体的検証
 第六章  
日の丸・君が代の強制と
石原都政の悪行の数々
 第七章  
憲法改悪の“露払い”、教基法改悪策動

●1328号 2018年6月3日
【一面トップ】米朝の〝歴史的〟融和――はたして喜ぶべきことか
【コラム】飛耳長目
【二面〈主張〉】労働者を救いえない――災いのトランプの貿易保護主義
【二面トップ】バラまき政治の行く方――危機深めるイタリアの政治情勢

※『海つばめ』PDF版見本

米朝の〝歴史的〟融和
はたして喜ぶべきことか

 いったん流れたかと思わせたトランプと金正恩の首脳会談は、再び派手などんでん返しが演出され、今度こそ確かな2度目の首脳会談を準備し、双方の満足する手打ち式をやるという。まさに茶番の中でも飛び切りの茶番である。双方とも、首脳会談を成功させなくてはならない緊急の必要性がある。トランプは11月の中間選挙を勝ち抜き、2期目の大統領選挙戦に勝利しなくてはならないし、金正恩は金正恩で「体制」の安泰をトランプに「保証」してもらわなくてはならないのである。

〝米朝融和〟による平和幻想

 平昌冬季五輪の〝南北融和〟の動きは、南北の金正恩と文在寅との首脳会談となり、さらには6月12日の米朝の首脳会談へと跳躍し、第二次世界大戦後、ようやく最後の〝冷戦構造〟の終焉という情況が訪れたかと思わせたが、その土壇場で、北朝鮮側が訪朝したボルトンらが「リビア方式の核廃絶」の話を持ち出すなどの傲慢で高飛車な言動にでたことから、「核廃絶だけを一方的に迫るなら、会談の中止もあり得る」と反発した。

 これに対して業を煮やしたトランプが12日の会談の中止を宣言、一度は米韓の話し合いと融和の試みは破綻したかに思われた。

 だが、トランプも金正恩も本気で会議をつぶす気はなく、米朝首脳会談は当初の予定通り行うことになり、世界中はホッとし、これで東アジアに平和や政治的安定が訪れると大喜びである。

 しかし我々は、米朝首脳会談による東アジアの平和とか、核廃絶とか、経済繁栄さえもプチブル的、自由主義的な幻想でしかないことを確認しなくてはならない。

「完全で検証可能かつ不可逆的な非核化」(CVID)」の幻想

 CVIDは今やリベラルや日本の反動はだけでなく、プチブル党(共産党)の聖なる合い言葉であり、決まり文句、もしくは絶対的な信条である。

 しかしなぜ朝鮮だけの非核化であって、せめて東アジアの、あるいはアジアの、そして世界の非核化でないのか。おかしな話である。朝鮮半島の非核化が達成され、勝ち取られれば、東アジアの、アジアの、そして世界の非核化への道が開け、達成されるとでもいうのか。

 東アジアに中国が入るとするなら、東アジアの非核化は絶望的に不可能である、というのは世界最強の「帝国」復活を夢見、ますます熱心に追求する習近平が、中国の核強国の地位を自ら放棄するなどということはないし、あり得ないからである。

 リベラルや市民派や共産党は、そんなものを、鬼の首でも取ったかにはしゃぎまわり、浮かれるのか。むしろ北の核廃絶を歓迎し、喜び迎えるのはトランプや習近平であり、さらには安倍政権等々ではないのか。 トランプにとっては、アメリカの「安全」を勝ち取った英雄として、恩人として――何しろ長距離ミサイルでもって攻撃すると豪語していた金正恩を沈黙させ、無力化したのだから――、その手柄だけでも、中間選挙に勝つに十分で、笑いが止まらないとはまさにこのことである。

 米国や日本を中心とする世界は、北朝鮮の核廃棄を世紀の重大事であるかにはやして、この間、そんな大事業を達成すると大騒ぎを演じてきた。

 しかしたかが北朝鮮の核廃棄など、小事のうちの小事であって、世界にとっての核廃棄という点からいうなら、それを勝ち取るべきは、イスラエルや、インド、パキスタンの核であり――というのは、〝地域紛争〟などでまず使用される可能性が高いから――、さらには強力な核兵器を大量に保有する米ソや、また急速に強大化されつつある中国の核であって、それに比べれば北朝鮮の核などは「あってなきがごとき」、子供だまし程度の核にすぎない。ミサイルを飛ばしたではないかというが、いわば脅しと虚栄のための〝空砲〟であって、実際には、〝国難〟といった、大げさな内容など何もなかったのである。

 金正恩の核廃絶の約束は口先だけのものであって、他国を裏切るための、そして空約束の陰で核強国に成り上がるための欺瞞であり、フェイクにすぎない、脅迫と経済制裁で、最後の最後まで追い詰めなくてはならないと安倍や反動たちは言いはやしてきた。

 しかし金正恩は本気でトランプの話し合い、取り引きをし、「体制の保証」と引き替えに、核廃絶で同意に達しようとしているように見える。そもそも金正恩が北朝鮮の国家を核兵器で武装しようとしたのは、そんなものこそが金体制の「安全」と生存の確かな保証だと信じたからであって、核廃絶との取り引きで、それが保証されるなら、それに越したことはないと、金正恩は考えるのである。

 南北朝鮮国家間の融和や、北の核廃絶等々は、「世界の平和」の確保はいうまでもなく、「東アジアの平和」にとってさえ、どんな意義も持ちえない、というのは、今や時代は、旧秩序を代表する超大国のアメリカと、新興の超大国の中国が、世界の覇権を巡って対立し、争うという世界史的な過渡期に差し掛かっているからであり、両者の闘いはまさにこれから新しい勢いをもつって燃え上がり、広がろうとしているのであって、終息し、終焉に向かって静まろうとしているのではないからである。

 歴史的な不幸と悲劇であった、朝鮮国民の南北への分断と分裂は直ちに止揚され、解消されるべきではあり、それは朝鮮国民にとって70余年来の夢であり、希望でもあった。朝鮮国民にとっては、国民的統合を勝ち取ることの方が、核廃絶よりもはるかに重要であり、実際的な意義と意味を持ちえるであろう。

 その実現が、核廃絶によって一歩近づくことは確かだが、より重要な契機は、北の金王朝が打倒され、一掃され、体制の民主化と経済の自由化が勝ち取られることが全ての出発点であり、不可欠な前提である。そのこと無しには、国民的統合も困難な過程をたどるだろうし、何らかの歴史的過程の逆転さえ、後戻りさえあり得るかも知れない。

 だから朝鮮国民の、労働者、勤労者の次の課題は、金王朝の一掃という形で、客観的に提起されるし、されざるを得ないのであり、労働者、勤労者は仮にアメリカ等々が金王朝の「体制保証」をしようがしまいがに関係なく、金王朝の打倒目ざして前進していくのであり、行かざるを得ないのである。

 1989年のドイツでは、東ドイツのスターリン主義共産党の専制国家が打倒され、解体し、資本主義体制の西ドイツに統合されるという形で、国民的統合が再建されたが、朝鮮両国民の場合は、どういう形をとるのだろうか。

金体制の「保障」とカダフィの亡霊

 反動派は6月12日に予定された最初の米朝首脳会談が流れそうになったのは北が約束を次々に破ったからであるかに言いはやしたが、実際には、北を訪れたボルトンや、ペンスらが〝強硬〟姿勢を誇示し、核廃棄のやり方として「リビア方式」を引き合いに出したからであって、北はそれに強く反発したのである。

 リビア方式とは、リビアのポピュリズム的独裁者のカダフィが核の保有によって「アメリカの脅威」に対抗しようと画策し、〝核拡散〟を嫌ったアメリカが、それをカダフィの「体制保証」と引き替えに放棄させた前例のことである。核を諦めた後、カダフィ政権は倒れ、カダフィも殺されたことが、金王朝のトラウマとなっており、トランプ自身は「リビア方式」はとらないとリップサービスに励んでいたのだった。

 しかしカダフィが殺されたのは、カダフィの専制政治と体制に反対する民衆の闘いのためであって――その背後にアメリカのCIAの策動があったかどうかは知らないが――、アメリカのせいに帰することはできない。アメリカは別に積極的に、また民衆の不満や反乱に対してまで、カダフィの「体制保証」に責任をもっていたわけではないからである。

 それとも金王朝は厚かましくも、北朝鮮の労働者、勤労者の金王朝に対する反乱に対してまでも、「体制保証」をアメリカに要求するというのであろうか。

 金王朝が核放棄と共に、「体制保証」を確保できるとするなら、それはただ自らの専制体制を否定し、止揚することによってのみ可能かも知れないが、しかしそれは彼らにとっては多くの困難や障碍があり、至難の業であろう。

 そもそも金王朝のままで、北は中国が1978年に始めた「改革開放」政策から、そしてベトナムが1986年に始めた「ドイモイ」政策から学び、そんな道に進むというが、そんなことが可能だろうか。

 その場合、南北の両国家の関係は、そしてその先の統合はどんな形を取るというのであろうか。

安倍の強硬路線と拉致問題

 安倍政権も反動派も、トランプの強行路線を領導して北朝鮮の核放棄を可能にしたのは自分たちの功績だと言うが、実際には、古くさい固定観念に固執し、事実上、事態の流れからたちおくれ、〝孤立〟を託(かこ)ってきたというのが事実だった。

 安倍の使い走り小僧の河野は、3月中旬、トランプの所に急いで駆けつけたが、それは「対話路線」に取りつかれる韓国に反発し、トランプが北の本性をしらず、過去の彼らの裏切りを忘れているのを心配して、トランプをいさめ、融和路線に傾き、路線変更をしないように説得し、圧力をかけるためであった。

 しかしそんな安倍政権の立場は、過去の〝失敗〟――北の空約束を信じて、核開発を許してきたこと――のトラウマに取りつかれ、現実を全く理解する能力を失っていることを暴露している。その結果、安倍政権は、南北融和と北朝鮮の核放棄に対してどんなまともな役割を演じることなく、事態の進行の後を必死に追いかけ、「強硬路線」をただ叫ぶだけのピエロの役割を演じただけであった。反動派の論理は金正恩の不興を買い、トランプは3人のアメリカ人の解放を勝ち取ったのに、安倍はらち問題に関しては、鼻の先であしらわれ、何の成果も上げられなかったこと、――それが安倍政権のこの間の言動の総決算であった。

 余りに愚かな政権は、それに相応しい結果しか得られなかったのである。

   

【飛耳長目】

★安倍の悪質なウソがまた一つ加わった★加計学園の焦点は、安倍が獣医学部新設計画をいつ知ったかである。安倍は、それは学部新設が正式に承認された17年1月20日だと断言してきた。故に加計に決まったことに対して無関係と言い張った★しかしすでに、「加計学園は総理のご意向」と安倍の腰巾着が文科省の役人に述べた文書も見つかっていたが、さらに今年4月、加計への決定に至る策動が開始された15年4月、すでに今治市の幹部や加計の関係者が官邸を訪れ、当時の首相秘書官の柳瀬と会い、「首相案件」と言われたというメモも出てきて、愛媛県知事は、それは職員の書いたメモで、信頼できるものだと証明した★つまり事実上、15年の加計問題の最初から、安倍は基本的にすべてを知っており、安倍によってこそ加計計画が支持され、強引に促進されたことが露見した★止めの一撃は、県側がこの21日、安倍と加計理事長がすでに15年2月25日に面会し、獣医学部新設の説明を受け、「そういう新しい獣医大学の考えはいいね」と語ったという、学園側からの文書を国会に提出することによって、安倍発言が終始一貫ウソの固まりであることが確認された★追い詰められて安倍と加計側が共謀して演じた最後の茶番劇は、県に提出された面会情報は「誤解」だったことにして、県側に謝罪して、辻褄を合わせることであった。(鵬)

   

【主張】

労働者を救いえない
災いのトランプの貿易保護主義

 トランプは3月の鉄鋼・アルミニュウム輸入への新たな関税についで、乗用車への25%の高関税を課すと宣言した。今は5%だから、これはまさに〝輸入禁止的な〟関税である。

 6月1日には、EUやカナダなど7ヶ国・地域に適用している鉄鋼などの関税発動の猶予期間も切れて、それまでに回避の合意ができなければ実行される。

 そんなとき、今度は鉄鋼やアルミニウムに比べ、はるかに影響の大きい乗用車関税25%という話である。

 トランプの仕掛ける「関税戦争」はますます過激となり、どこまで進むのか、どこまで本気なのかも見通せず、世界中のブルジョアたちは戦々恐々である。

 米国の乗用車の半分以上は国内で生産され――その半数はGM等の国内資本によって、他の半数は日本などの外国資本によって――、残りの4割ほどが日本などから輸入されている。つまり輸入は必ずしも不可欠ではない。

 高関税によって、米国の産業資本を保護して、「強い米国」を実現するというトランプの思い込みはますます強烈である。彼は保護主義によって衰退していく産業を生き返らせ、鉄鋼業や自動車産業の労働者の味方として登場しようというのであるが、もちろんそんなことができるはずもない。

 この権力至上主義者にとっては、安倍と同様、〝経済法則〟はそれ自体として存在し、意義を有するのでなく、権力の維持や延命の道具として、政治課題の〝従属変数〟として存在するにすぎない。

 トランプは自動車産業の存続は国家安全上の重要問題だからと高関税を正当化するが、しかしそれは口実であって、高関税は11月の中間選挙で、米国ではすでに斜陽化しつつある産業労働者の支持を得るためのパフォーマンスにすぎない。

そしてまたそれは、対米貿易黒字の諸国に対し、貿易収支を改善するための直接的な、目に見える譲歩を引き出すための得意の「ディール」、駆け引きでもある。

 日本に対しても、自動車関税25%をひっさげて脅し、2国間FTAに引きずり込み、新しい譲歩を迫ろうという腹づもりであろう。 外国からの車の輸入が途絶え、競争が無くなることによって、一時的に米国の自動車資本は大きな利益を得、自動車産業の労働者の数は増え、あるいは賃金が上昇するかも知れないが、しかし中長期的には米国の自動車産業はこれまで以上に急速に衰退し、衰微するしかない、というのは、そんな偏狭な立場に後退した資本は国際的な競争から疎外され、資本蓄積と技術革新の動機を失うからである。

 今では米国のブルジョアも頽廃してしまって、国家の政策や保護主義に頼ることなくしては、経済的な繁栄や「成長」は困難であり、あり得ないと信じるのであり、ケインズ主義的迷妄のとりこになるのである。

 保護貿易でも、外国資本のシャッタウトでも、自国産業の――とりわけ斜陽産業の――徹底した保護でも、お好みなら鎖国でも何でも、トランプは好きなことをやりたければやればいい(共産党などのプチブル党の幼稚な観念からも学んで)、しかし彼の気ままな政策は米国を救うのではなく、反対に米国を一層衰退させ、世界的な強国からの転落の出発点になるだけであろう。

 愚かなトランプは、ただ愚かなことができるだけである。そしておそらくは資本主義世界の新たな破綻を準備する立役者の1人になるのが、彼のできることのすべてであろう。

 トランプよ、大いに張り切ってやりたまえ、我々はそれを止めはしないから。

   

バラまき政治の行く方
危機深めるイタリアの政治情勢

 総選挙から3ヶ月近い「政治空白」がようやく終わり、ポピュリズム2党による政権――ただし、首相は2党には属さない学者のコンテ――が発足するかと思われたイタリア政局は、コンテが組閣を断念、大統領は別の人物――国際通貨基金の元高官コッタレッリ――を指名し、組閣を命じたが、彼は自分の組織する内閣は中立的な暫定内閣であり、近く再選挙が実施されると宣言した。イタリア政局の混乱と動揺と「政治空白」はさらに長引くこととなった。こうした政治状況をもたらしているのは、米国のトランプ登場とほぼ時を同じくして台頭した欧州における〝左〟右のポピュリズム政治や、国家主義や自国第一主義、排外主義等々の、危険な反動的勢力の台頭と影響力の拡大である。

既成政党の退潮とポピュリズムの台頭

 選挙は行われ、結果が明らかになったが、政府を組織できず、政治空白が続くといった現象は、ここ1、2年の欧州ではすでに珍しい現象ではない。

 昨年3月、オランダの選挙では何と7ヶ月もかかってようやく政府が組織されたが、それは既成の大政党が台頭するポピュリズム政党――あえていうなら〝左〟右のポピュリズム政党――に浸食され、絶対的な多数派を維持できなくなり、連立騒ぎに巻き込まれたからであり、適切な連立の相手を簡単に見出すことができなかったからである。

 ドイツで昨年暮に行われた選挙はその典型的なものだった。連立与党のメルケルのキリスト教民主・社会同盟(同盟)と社会民主党は、共に第1党(246議席)と第2党(153)を占めたが、しかし社民党は得票を20%と戦後最低にまで減らし、そのこともあって、連立政見の一翼は担わないと宣言した。メルケルは難民やイスラムの排除を叫び、ナチスの正当化までも口にする「ドイツのための選択肢」(0から一気に92議席を獲得した)を名のる〝極右政党〟と組むわけに行かず、「左翼党」(69)と「緑の党」(67)との連立を追求したが、難民問題などで見解が相違し、数ヶ月の「政治空白」を招いてしまった。 ようやく大統領の口利きで、社民党を説得、選挙前と同じ中道右派(「同盟))と中道左派(社民党)の2大政党の連立がなったのは、何と選挙から半年近い「政治空白」を経てからの、今年の3月のことであった。

 「選択肢」は議会に登場するや否や、野党第1党にのし上がり、当たるを幸い攻撃し、意気盛んである。西欧における既成のブルジョア政党――とりわけ最大与党――の後退は著しく、主要6ヶ国の前回と今回の選挙を比べると何と議席を351も減らしている。

三つ巴だった伊選挙戦

 さて我々が検討しようとする3月の伊選挙闘争の構図だか、それは3つのグルーブと、それを構成する4つの政党もしくは政治勢力から成っている。それぞれの政治的特徴や政策や路線やイデオロギーは以下のようなものである。

 まず政権グループだった中道左派勢力で、その中心は共産党系の流れを汲む「民主党」であるが、すでに事実上、ブルジョア的社民政党に堕落している。

 3月の総選挙ではポピュリズム勢力に圧倒され、議席(議員定数630の上院の議席数で見るが、上下院とも趨勢はほぼ同じ)を345から122の三分の一に減らし(得票率は23%)、大敗して政権の座を去ることになったが、それは典型的な既成マンネリ政党として、情勢の変化にまともに対応することができなかったからである。

 勝利したのは中道右派連合と、単独政党として闘った「五つ星運動」であった。

中道右派連合の中心は「フォルツァ・イタリア」と「同盟」の2つの政党で、37%の得票で、265議席を獲得した。内、前者は104議席(45増)、後者は125議席(52増)であった。

「フォルツァ・イタリア」は、平凡な右派政党の集合体であるが、他の諸政党に負けず劣らずとばかり、現在月額500ユーロの最低年金を1千ユーロに引き上げる等々(五つ星は780ユーロを謳うが)のバラまき政治に走った(右翼政党だからといって、バラまきに走って悪いということはない、ファシズムもまた、究極のバラまき政治ではなかったか)。

 同じ右派連合内の「同盟」は、もともとはミラノなど〝豊かな〟北部の自治権拡大を要求する「北部同盟」の名の〝ローカル政党〟で、「郷土意識」を強調するなど、その影響力は限られていたが、今回の総選挙を契機に「北部同盟」から、「同盟」という名の国民政党に衣更えし、EU脱退を謳い、また強固な民族主義、排外主義――移民を強制送還せよ、若年層の3割が失業するのは移民や難民が職を奪うからだ云々――を扇動することによって得票を伸ばした、ガラ悪の〝新興〟政党、典型的なポピュリズム政党である。

 第3極として台頭した五つ星は33%に近い得票で227議席を獲得(14増)、単独政党として第1党に増殖した。もちろんこの政党もポピュリズム政党であり、総選挙では〝柔軟路線〟に転じて票を伸ばしたが、根底は右翼的な意味での、つまりファシズム体質のポピュリズム政党であり、南部のまずしい労働者・働く者の支持をかき集めて躍進した。

選挙後、3派のどの勢力も過半数を超えなかったので連立となり、中道右派と五つ星との共闘が可能な組み合わせとして浮上したが、結局、ガラ悪保守として、似たものの同士の「同盟」と五つ星の可能性しか残らなかった。そして組閣までに散々に難航し、何とか学者首相でまとまったが、しかしこの首相も大統領の反対で挫折し、さらなる混迷に陥っているのが現在のイタリアの政治情勢である。

 まさに現在のEUを象徴する情況だが、こうした情況は日本にとっても決して「他人事」ではない、重要な教訓に満ち満ちている。

すべての政治潮流がバラまき競った

 混迷の一つの原因は、選挙戦が原則的な政治闘争として闘われないで、半デマゴギーとポピュリズムが横行、闊歩する、荒廃したものとしてしか存在しなかったことと深く関係している。

 すべての主要な政党が、借金財政¬膨張によるバラまきを謳ったが、累積債務のGDP比率が180%のギリシャに次いで130%にも達していることからも明らかなように(EUは国家債務をGDPの60%以内に納めるように要求し、それに反すれば罰則を課すと強調する)、財政経済の状態や金融危機の再燃もあり得るという経済・信用関係の現実の下で、そんな悠長な政策を並べていて善いわけはなかった。

 そもそも政権政党の民主党が先頭に立って無責任に、どんな財源の保証もないままに年間所得10万ユーロ以内の子育て家庭の税控除などの〝大型減税〟を謳い、また月400ユーロの家族手当も謳うなど、必死に政権防衛に走ったのだから、ポピュリズム政党がファシズム的体質そのままに、労働者・働く者にもプチブルにも、ブルジョアにさえいい顔をして支持をかき集めようとしたのは当然だった。

 彼らは労働者や若者の失業などの困難を移民、難民の流入のせいだと扇動し、五つ星は、南部の貧困層や増大する失業者の歓心を買うために、月最低780ユーロ(約10万円)の給与(現在は500ユーロ)を公約し、また中道右派のフォルツァ・イタリアは負けずと奮発して1000ユーロの案を掲げた。

 「同盟」もまた自己の支持基盤のために、最低年金や防衛費の増額、法人・個人所得税の一律15%の引き下げを提案し、また年収1万ユーロ以上の所得税率を一つにするなど、累進的な所得税制を否定するような提案まで持ち出したが、他方、年収1万ユーロ(約130万円)以下の所得税廃止を謳い、また最低年金額の引き上げ等々を掲げ、バラまき競争に負けじと押し分けて参入した等々。

 かくしてイタリア総選挙は、現実も将来のことも考えない、〝左〟右のポピュリズム政党が横行、乱舞する三流楽屋のドタバタ田舎芝居の様相を呈したのであった。

 これは決して西洋の1国家だけの話ではなく、現在のブルジョア国家の一般的な姿だというなら、ブルジョア支配の終焉もそんなに遠い、先の話ではない。

財政・金融の膨張政策、放漫政策と、緊縮政策、引き締め政策

 志位共産党は、盛んに欧州における緊縮反対運動に――そしてまた、EUの緊縮政策に――抗議し、反対して闘うべきであると叫んでいる(しかし緊縮政策をもって、EUに反対するのは、反動派のポピュリズム政党も同様ではないのか、事実上、共産党はそんな反動派と〝共闘〟したいのか)。

 志位らに言わせると、そんな立場に立っている、スペインの「ポデモス」とか、フランスの「服従しないフランス」やポルトガルの「左翼ブロック」等々の、エセ左翼ポピュリズム政党は原則的であり、正しいというのであり、したがってまた堕落して「左翼民主党」に衣装替えした共産党の系譜を引く、「民主党」こそが支持に値することになる。

 しかしブルジョア政府やEUの緊縮政策、〝引き締め政策〟は、いい加減で、無責任な財政金融の膨張政策、垂れ流し政治やバラまき政治、つまり放漫政策の結果であり、その意味では対立物であると共に同一物であり、盾の両面である。

 放漫政策が続くからこそ、緊縮政策もまた必然のものとなる。放漫政治が続けば、ブルジョア国家もまた債務等々の重荷に耐えられなくなり、国家破産、国家破滅の危機に直面するからこそ、その反作用が、「均衡」への反動が不可避となる。ギリシャの最近の歴史的経験が、そのことを教えている。

 つまり緊縮政策に反対するなら、膨張政策にも反対しなければ一貫せず、賛成し、味方するなら、緊縮政策にも賛成しなくては矛盾している。というのは、どちらもまたブルジョア政府が自分の都合と時々の政権維持のために採用する場当たりの政策だからである。

 労働者階級は緊縮政策に反対するが、それはそれがブルジョア政府の尻ぬぐい政策であり、放漫政治や膨張政策の結果としての困難と犠牲をもっぱら労働者・働く者に押し付けるからであって、膨張政策には賛成だが緊縮政策に反対だという、志位共産党(ドグマ的プチブル党)や自由主義派の立場とは何の関係もない。

 労働者党は膨張政策にも反対であるからこそ、緊縮政策をもブルジョアたちのもう一つの政策として告発し、反撃するのである、つまりブルジョア政府、反動政府との全体的な闘いの一環として闘い、その闘いをブルジョア政府打倒の闘いにまで高めるのである。

   

ページTOP