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労働の解放をめざす労働者党機関紙
海つばめ』

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郵政民営化の中で何が起きているのか?
郵政労働者は告発する!

■民営化の嵐の中で最大の御用組合の登場――JPU臨時全国大会議案批判
■郵政民営化――今、職場では/郵政現場からの報告
■恐竜化か、リリパット化か――郵政民営化のジレンマ
■西川善文著『挑戦――日本郵政が目指すもの』/民営化に賭けるトップの本音


憲法改悪と
いかに闘うか?


■改憲に執念燃やす安倍――「国民の自主憲法」幻想を打ち破れ
■労働者は改憲策動といかに闘うか
■国民投票法をどう考えるか
■安倍の「美しい国」幻想――憲法改定にかける野望


本書は何よりも論戦の書であり、その刊行は日和見主義との闘いの一環である。
マルクスが『資本論』で書いていることの本当の意味と内容を知り、その理解を深めるうえでも、さらに『資本論』の解釈をめぐるいくつかの係争問題を解決するうえでも助けとなるだろう。


全国社研社刊、B6判271頁
定価2千円+税・送料290円
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「不破哲三の“唯物史観”と『資本論』曲解』(林 紘義著)」紹介(『海つばめ』第1048号)


全国社研社刊、B6判384頁
定価2千円+税・送料290円
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「天皇制を根底的に論じる『女帝もいらない 天皇制の廃絶を』(林 紘義著)」(『海つばめ』第989号)他

理論誌『プロメテウス』第54号
2010年10月(定価800円)

《特集》菅民主党のイデオロギーと“体質”
・神野直彦の思想と理論――菅直人のブレインは「曲学阿世の徒」
・原則なき寄せ集め政党――顕現するブルジョア的“体質”
反動的な「文化」の擁護に帰着――レヴィ=ストロースの「文化相対主義」批判


 
 
 教育のこれから
   「ゆとり」から「競争」
   そして「愛国教育」で
   いいのか
 林紘義 著 7月1日発売

  (全国社研社刊、定価2千円+税)
  お申し込みは、全国社研社
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まかり通る「偏向教育」、「つくる会」の策動、教育基本法改悪の動きの中で、“教育”とは何であり、いかに行われるべきかを、問いかける。  


 第一章  
教育基本法改悪案の出発点、
森の「教育改革策動」
 第二章  
破綻する「ゆとり」教育の幻想
 第三章  
“朝令暮改”の文科省、
「ゆとり」から「競争原理」へ
 第四章  
ペテンの検定制度と「つくる会」の教科書
 第五章  
歴史的評価なく詭弁とすりかえ
つくる会教科書(06年)の具体的検証
 第六章  
日の丸・君が代の強制と
石原都政の悪行の数々
 第七章  
憲法改悪の“露払い”、教基法改悪策動

●1338号 2018年10月28日
【一面トップ】現実の困難な問題に向き合わず――安倍の空疎で陳腐な所信表明
【1面サブ】参院選を闘う10名の面々⑧――千葉選挙区の岩瀬清次さん
【コラム】飛耳長目
【二面〈主張〉】外国人労働者導入の新提案――技能実習生制度の転換か上塗りか
【二面トップ】空虚な安倍の憲法戦役――改定の自己目的化と妄執

※『海つばめ』PDF版見本

現実の困難な問題に向き合わず
安倍の空疎で陳腐な所信表明

 安倍は臨時国会冒頭で所信表明演説を行い、さらに権力の座にある3年間の自らの政治の展望や基本的な内容──来年秋の2%消費増税の実行、それを幼児教育等々の無償化に支出するなどして「全世代型社会保障」の体制を確立すること、さらには憲法改定を9条に「自衛隊の存在の明記」を追加するという形で行い、「自衛隊違憲論争」を一掃する等々──について語ったが、ほとんど陳腐で、現在の政治経済の困難な諸問題や矛盾と真摯に、誠実に立ち向かい解決していくといった意思も内容もない、単なる空疎な決まり文句や美辞麗句やきれい事を並べただけであった。唯一いくらかでも新規なものといえば、これまでの移民政策は取らない、単純労働者は入れないといっていた立場を転換させて──なし崩し的に、不真面目に──、外国人労働者に「門戸を開く」かの発言を始めたことである。

2%消費増税の茶番

 安倍は今度こそ2%の消費増税は必ず行うし、その一部を原資にして、特別の新しい政策──幼児教育無償化や、それをテコにした全世代型社会保障の実現等々──を強調している。昨年の総選挙の頃から言い始めた安倍の新しい経済政策、社会保障政策の核心である。

 来年の秋に予定されている2%の消費増税とは1912年、民主党野田政権の末期、民主党と自公が3党でまとめた5%の消費税の10%への引き上げ──その全額は財政再建と社会保障の充実のために支出されると厳かに確認された──の、まだ未達である2%のことである。5%の引き上げのうちの3%は、すでに安倍政権のもと、14年4月に実施されたが、リフレ派の学者や安倍政権はそれこそがアベノミクスが中途半端になり、デフレ脱却が「中折れ」を招き、その後の日本経済の停滞を招いた原罪であるかに総括してきた(もちろんそうした総括はナンセンスであり、間違っているのだが)。

 そして安倍はその後、消費増税で経済が少しでも後退し、政権の基盤が脅かされることをひどく恐れ、14年11月、16年6月と二度にわたって予定されていた、また自らが公約した消費増税を延期してきた。 安倍は自分の個人的都合で消費増税を延期するに当たって、今はリーマンショック並の経済危機にある、あるいはそんな危機が迫っているから消費増税はできないと世界中にむかって言いはなったが、しかし今回は、16年に比べてはるかに経済危機が深化し、迫っているのに何食わぬ顔をして、今回もまた自分の個人的都合で消費増税を敢然としてやるというのである。

 こうした不誠実さは、安倍という悪党の、したがってまた安倍政治の根本的特徴である。

 現在の消費税の税率はまだ8%であり、18年度の消費税の総額は統計では17・5兆円だから、消費税1%あたり、2・2兆円弱というところである。したがって、2%の消費増税なら、国民的収奪は約4・4兆円弱である。

 しかし安倍はまじめにそんな増税を実行し、それをまともな支出に回すという意思さえさらさら無い、というのは、2%の増税は今後こそやると啖呵を切ってみたが、参院選に向けて、消費増税がもたらす消費縮小をやみくもに恐れ、また4・4兆円の搾取を受ける労働者、勤労者の反発を恐れるからである。今安倍は声を涸らして「デフレ脱却の〝腰折れ〟を何があっても許してはならない、景気対策を総動員せよ、何でもやれ」と呼号している。

 消費増税と同時に、駆け込み需要に対する反動を恐れて安倍がやろうとする「景気対策」は、自動車や住宅や購買時にかかる多くの税金や負担を無くすとか、軽減するとか、ありとあらゆる優遇策を講ずるとか、様々な現ナマまでバラまくとか、そんな実例を挙げればきりがないほどである。軽減減税が実行できるかどうかさえ怪しいのに、そんな甘い話も盛んに振りまかれている。柱の一つの中小小売店のポイント還元策も、呈のいいバラまきの一種ではないのか。ポイントは現金以外で支払いをするときだけ付き、そのやり方にかかる費用は国の補助金というのだから、所得の高い階層が得をする差別制度そのものである。

 しかも消費増税による需要減退をカバーするために、消費増税と何の関係もない公共事業中心の第一次補正予算が組まれ1兆円のカネが支出されるが、そのうちの7000億円は国債発行(借金)で賄うというのである。消費増税の本来の目的であった、財政再建などどこかに吹っ飛んでしまい、安倍の頭の片隅にさえなく、ただ消費増税は安倍のためにのみ利用されるのである。

 4・4兆円が予定される2%の消費増税で残るのは2兆円ほどであるといわれるのも、さもありなんとうなずかれる。しかも安倍は消費増税のうち、1・7兆円を消費増税の本来の目的から転用し、幼児教育の無償化という名の、呈のいいバラまきに利用すると、昨年総選挙の時にすでに語り、我々の反撃にあっている。

 それにしても、4・4兆円の消費増税をして、本来の目的──財政再建と社会保障の充実──にほとんど残らない、消費増税とは一体何であろうか。これほどに安倍政治の本当の内容を、そのばからしさと空虚さと卑しさ──単に安倍一派とその権力を維持することを第一義として行われる──を暴露するものはない。消費増税をして、財政再建のめにも社会保障の充実のために何一つ役に立たないそんな2%の消費増税は単に人騒がせの一つであって、むしろ何もやらない方が増しというものである。

全世代型社会保障のナンセンス

 安倍は全世代型社会保障についておしゃべりするが、社会保障の概念さえ理解しない、自らの無知蒙昧を暴露しているだけである。

 本来のその概念は、労働者の相互扶助であって、失業とか、不慮のための制度であって、それが独占資本、帝国主義への時代の推移と共に、資本の国家を媒介とした一般的な福祉に転化することによって一面では頽廃し、後退して、空虚なものとなって現在に至っている(例えば、その精神は憲法25条の文章として提示されている)。

 年金に典型的だが戦後の日本では、その費用は〝現役世代〟が負担する制度となっていて、ここでは、全世代型社会保障といった珍奇な概念が入り込む余地は全くない、というのは、年金を享受する側と負担する側の区別ははっきりし、対立さえしているからである。

 健康保険制度も似たようなものである。その財源は、高齢者の保険料、国・自治体の公費(税金)、患者の窓口負担、さらにいわゆる〝現役世代〟つまり実際に日々労働に従事する労働者・働く者等々であるが、ますます不足する部分は、「支援」の美名のもと、労働者・働く者の負担増大で賄われている。

 介護保険についていえばさらにひどいもので、何の根拠もなく、当事者や若干の公的負担を別とすれば、40代以上の現役世代や高齢者自身──彼らは介護費用の負担者というより、その受益者であるべきではないのか──に重い負担が課せられているが、そんなやり方に、どんな合理的根拠も契機もないこと、ここでは「取れるところから取る」という小泉進次郎的原則が貫徹していることは明らかである。

 安倍政権の全世代型社会保障とは、ブルジョア的社会保障の崩壊に直面し、そうした厳しい現実から目をそらすためのごまかしであって、安倍政権にそれに対処し、それと闘うどんな概念も方策も展望もないことを暴露しているだけである。

 22年以降、団塊世代が後期高齢者になり始め、現行のブルジョア社会保障制度は極度の困難な状況に直面し、その解体、崩壊さえあり得る段階に至るが、安倍政権の全世代型社会保障は、それを促進し、困難を倍増することはあって、その緩和や解消のためには全く役に立たないだろう。

   

【1面サブ】

参院選を闘う10名の面々⑧


千葉選挙区の岩瀬清次さん

 東京の東部地区の支部長を歴任し、17年4月労働者党結成大会を経て党の代表委員の一人になった岩瀬さん。就任半年足らずの衆院選では、神奈川11区の現場責任者として活動。経験不足ながらも、選挙カーを購入するときから選挙闘争が終結するまで、横須賀の現場事務所で、渉外やマスコミ対応など先頭にたって担ってくれました。選挙闘争期間中は不眠不休の毎日、それにもかかわらず選挙闘争最終日には選挙カーから、あくつ候補の支持・投票の訴えを窓から身体を乗りだして大声で叫んでいたのが印象的でした。責任感が強く、〝全力投球〟で臨んだ彼の選挙闘争は党員から大きな信頼を得ました。

 年齢は党員の中では若いほうであり、その風貌から実際の年齢よりも10歳は若く見えるのではないかと思います。物怖じせず、感ずるところは素直に発言し、自分が納得するまでその主張は曲げない強い意志があります。いつも前向きな姿勢で課題解決に向かって努力する人です。

 長年労働現場で労働者階級の一人として闘ってきた経緯もあり、労働者が分断され支配が強まっている今の労働現場や政治情勢を見れば、自ら立候補せずにはいられない、そんな使命感の強い人であり、労働者の代表の候補者として相応しい人です。(A)

【岩瀬清次 略歴】

 1953年東京下町の台東区生まれ。

上野高校入学の年に学園紛争あり、共産党や急進派に疑問を持つ中で、全国社研の活動を知る。76年マル労同東京東部で活動を開始。77年足立区のカメラ会社に転職。埼玉工場に配転となり、そこで会社倒産、争議を経験。労働債権の確保や会社再建の要求で闘う組合に参加し、自主生産などで生活を支えながら闘い勝利したが、資本の鉄鎖は断ち切れず。争議後、体調を崩し86年退職。ビルメンテナンスの職に就き、東京東部で社会主義を目指す活動に尽力。昨年の総選挙では、退職して現地闘争委員会の責任者を務めた。千葉県の中央メーデーでの宣伝、流山市で『資本論』学習会、松戸市でセミナーなど取り組む。


【飛耳長目】

★09年から3年に及んだ民主政権の担い手の1人、仙石由人が72才で亡くなった。学生時代、全共闘の一員として〝活躍〟した経歴は、「自衛隊は暴力装置である」といった発言に面目躍如だが、それはプチブル的、日和見的政治家としての仙石の本性とは何の関係もない★小沢とは肌が合わずしばしば対立したが、しかし「脱官僚」の観念と偽りの「政治主導」の路線では歩調を合わせ、一致していた★また原発事故の当時、官房副長官として枝野を支えたが、後にはインフラ輸出の美名に隠れて、原子力発電の輸出に力を入れるなど無原則ぶりも発揮した。その意味では仙石や民主の政治は、直接に安倍政権の先触れであり、そこにつながった、多くの内容や契機がある★民主は最初から「子育て支援」という名の壮大なバラまき政治と共に出発したが、そんなポピュリズム政治は安倍政権下で、一層野卑で、粗野な形で完全に開花した。官僚主義批判と政治指導のイデオロギーは今、安倍の専制政治、〝安倍一極〟政治として現実的である★民主の最後の首相の野田が自公と結託して、自らかつては反対していた5%の消費増税を強行したのは、まさに民主政権の本性──歴史的には自民党政治の代理であり、また安倍政権の先行政権であり、その出現を準備した──を自ら暴露したものであったが、それは仙石個人の政治的経歴においても明らかである。(鵬)

   

【主張】

外国人労働者導入の新提案
技能実習生制度の転換か上塗りか

 安倍は所信表明演説で、これまでの外国人労働者に対する政策を変更し、就労を目的とした新しい在留資格を創設し、「即戦力となる外国人材を受け入れる」と強調した。外国人労働者に対する、これまでの立場や方針をなし崩し的に、そしてある意味では根本的に変更しようとしている。

 新制度の中心的な制度は、2段階の資格を創設し、段階的に外国人労働者を日本国内に導入し、定着させようというものである。

第1段階の資格は、一定の日本語能力と技能を持つ外国人労働者を「特定技能1号」として就労を可能にする。これによって、これまで認めて来なかった単純労働の移入が事実上可能になる。1号の外国人労働者の滞在期間は5年間で、家族の帯同は認められない。

 そして1号の資格者のうち、「難しい日本語と熟練した技能」を身につけた外国人労働者は、特定技能2号に移行できる。彼には定期的審査はあるが、家族の帯同も認められ、事実上永住も可能になる。

 こうした政策が実際的なものとして行われていくなら、安倍政権もまたいい募ってきた移住は認めないという方針は180度転換されるのである。

 そして安倍政権はこうしたラジカルな転換を、単に働き手の不足に悲鳴を上げるいくつかの産業のブルジョアたちの要求に応じて、技能実習生制度などに対するまともな反省も検討もないままに、いとも気楽に、軽率に決定するのである。

 そして安倍は「社会の一員として、外国人労働者の生活環境の確保に取り組んでいきます。さらに、日本人と同様の報酬をしっかり確保します」とかの空文句を弄しているが、公式には移民は認めない、単純労働者はダメだといいながら、技能実習生制度やアルバイト学生を利用して外国人労働者をえげつなく搾取してきたのであって、そんな現実の上に、新しい導入を接ぎ木しようと策動するのだ。

 安倍政権の新しい外国人労働者政策は、日本人が働きたがらない、農業とか、建設業、介護、サービス業、さらには製造業等々の労働条件がきつく、賃金も低い産業や業種、つまり技能実習生が多く導入されてきた日本の経済領域である。

 今や安倍政権のもと、外国人労働者の移入がいくらかでもしっかりした観念も計画もなく、ただ資本が要求するままに、無原則に、場当たりに認められ、広がろうとしている。

 日本の企業家たちや安倍政権の外国人労働者の移入についての観念は、技能実習生制度に特徴的かつ鮮明に暴露されており、安倍の新制度もまた、その延長線上のもの、その制度の上塗りとして企まれているかである。

 安倍政権は一方で「即戦力」の単純労働力の確保が目的であるのに、まるで「専門的・技術的」労働者の導入であるかに偽り、職業の選択も、移動の自由も、契約の自由もないような半奴隷の身分の技能実習生制度の延長であるかもしれないのに、日本の労働者と対等・平等で、自由な労働者として招へいするかに語られている。労働力として受け入れるが、「移民」ではないと強調されるのだが、それは安倍政権の外国人労働者についての新政策もまた、技能実習生制度を一掃し、その反省の上に立った新制度ではないことを暴露している。ただ半奴隷として、単なる搾取対象として外国人労働者を移植したいだけであって、日本のブルジョアや安倍政権のさもしい根性はいささかも変わっていない。日本は再び、〝醜い〟日本人としての悪名をアジアに、そして世界にとどろかせたいのか。

   

空虚な安倍の憲法戦役
改定の自己目的化と妄執

 自民党総裁の3選を勝ち取った安倍は内閣を改造し、また憲法改定を強行突破する体制を整え、虎視眈々とチャンスを狙っている。本気か、コケ脅しか、虚勢かは分からないが、しかし安倍の改定案は安倍の政治的ご都合主義によってでっちあげられた粗雑で、単なる思いつき程度のもので、仮に国会によって発議され、国民投票にかけられたとしても、とても簡単に過半数を獲得できるような確かなものでは全くなく、むしろ安倍政権のみじめな敗北と崩壊につながりかねないような代物である。我々は安倍憲法改定の反動性とナンセンスと非論理性をとことん暴露して闘い抜き、安倍政権打倒の道を切り開いて行かなくてはならない。

「自衛隊の存在を憲法に明記」?

 そもそも現在のような形で憲法改定問題が政治闘争の焦点になったのは、昨年5月3日の憲法記念日、安倍が、現行憲法の9条の条文をそっくり残したままで、それに「自衛隊の存在を明記する」というやり方で憲法改定を行うと宣言したからであって、それ以来、憲法改定を巡る政治闘争はこうした安倍の提起を巡って、それを是とし、正当とするか、邪道であり、「戦争に道を開く」危険な政治(共産党などの主張)と評価するかで争われてきたし、今もそうである。

 しかし安倍が憲法改定は70年ほど前に自民党が結成されたときからの党の原点であり、「党是」であると強調すればするほど、安倍のたくらみが自民党の「党是」どころか、単に安部の〝政争〟がらみの無原則な思いつきでしかないことを明らかにしている。

 そもそも自民党結成当時の憲法改定案は憲法の「平和主義」の中心であり、シンボルである9条の削除であり、それを国家の国防の権利とそのための軍隊を持つという〝原則〟に置き換えるものであって、安倍のその場限りの思いつき──憲法の平和主義に、安倍の軍国主義を接着させ、結婚させようとするような、妥協的で、両義的な折衷案──とは似て非なるものであった。

 そして安倍案は、自民党が民主党政権のもと、野党時代の末期(2012年4月)にわざわざでっちあげた「日本国憲法改正草案」──それこそまさに、自民党結成時の原点の流れを汲むものであった──とも大きく違っていた。

 議論の前提として、ここで9条に関する現行憲法の条文と、6年前の自民党案の条文を紹介しておく。

 現行憲法9条(〝戦争放棄〟条項) 「日本国民は???国権の発動としての戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、永久にこれを放棄する。

②前項の目的を達成するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」

 自民党9条改定案(〝安全保障〟条項) 「日本国民は???国権の発動としての戦争を放棄し、武力による威嚇及び武力の行使は、国際紛争を解決する手段しては用いない。

2 前項の規定は自衛権の発動を妨げるものではない。

(国防軍) 第9条の2 我が国の平和と独立並びに国並びに国民の安全を確保するため???国防軍を保持する。(以下、略)」

 以下、新規にして珍奇な安倍の提案とその内容や意味を批判的に検討する。

自衛隊は「馬の骨」か

 安倍改憲の要旨は、「自衛隊の〝存在〟を憲法に〝明記〟すること」である。

 しかし単に「明記」するだけでは憲法改定の意味をなさないのだから、いずれはきちんとした条文として発表されるのだろうが、その文章はまだ明示されていない。安倍は今年の2月、衆院予算委で自衛隊を定義して、「必要最小限の自衛権を行使する実力組織」といった発言を行ったが、こんな定義によって自衛隊を「憲法に明記」して一体どんな意義があるというのか。

 さすがに自民党の内部からさえ、「必要最低限」といっても、一体何を基準に「必要最低限」というのか、そんなことを言っても何もいわないに等しい、いかようにも解釈できる文章である等々の批判が続出し、自民党から「必要最低限の自衛の措置を取り得る実力部隊」という意見が出されてもめたという。どっちもどっちである。安倍政権がどちらの案で憲法改定を行うのかは知らないが、安倍はとにかく2月の自分の見解に満足しているように見える。

 実際「必要最小限の自衛」ための「実力組織」といっても色々あろうというものである。北朝鮮に備えるためなら、現在の自衛隊で十分であろうが──北の核兵器の実力は現状程度として──、中国やロシアやアメリカといった〝超〟大国に対しては──しかもみな核兵器大国でもある──、自衛隊の「実力」は子供のおもちゃ程度の「自衛力」の意義しか持ちえないであろう。「必要最小限」の実力組織にするためには、せめて大急ぎで核武装くらいはしなくては、とても「必要最小限の実力組織」などといえるものではない。

 さもなければ、ますます日米軍事同盟を強化し、集団的自衛権に依拠するしかない。個別自衛権ならいいが、集団的自衛権はダメだといった幼児並の見解は速やかに一掃し、捨てるにしくはないということになる。

 それにしても「自衛隊は実力組織」という概念規定は余りにお粗末であって、要するに自衛隊は「戦力」でも軍隊でもなく、たとえていえば、市井の暴力団と同等の、馬の骨程度の「実力組織」ということか。そんなものが、いかにして、「必要最小限」の自衛の手段に成り得るというのか。

 自衛隊はその歴史からも明らかなように、軍隊として生まれ、組織されたのでもなく、確かに一つの「実力組織」の〝警察予備隊〟──ついですぐに「保安隊」に改組され、しばらくしてようやく「自衛隊」になった──として出発したし、朝鮮戦争当時ならば辛うじて自衛のための「必要最小限の実力組織」と呼べないこともなかった。

 しかし朝鮮戦争当時は日本は戦争当事者ではなく、また日本が攻撃されたのでもなく、日本を舞台に戦争が戦われたのでもなかった。

安倍は一体どんな戦争──1930年代のような中国からアジアの広い範囲に侵略したようなものなのか、さらにはその結果としてアメリカと矛を交えることになった帝国主義戦争のようなものなのか、それともブッシュに追随し、その後塵を拝して行ったイラク戦争のようなものなのか、あるいはつい最近のスーダン派兵のようなものなのか──を想定して議論し、憲法改定をやろうとしているのか。単なる軍国主義と軍拡主義マニアに過ぎない安倍は、一切語ることができない。

 安倍は盛んに、「自衛隊を合憲化すると言ったことはない(いうまでもなく自衛隊はすでに合憲である)、違憲合憲論の対立や違憲論に終止符を打つための9条改憲である」(3月の党大会)というが、しかし安倍の珍妙な改憲によって、果たして自衛隊についての「違憲合憲論の対立や違憲論に終止符を打つ」ことができるのか。我々は100%の確率でもって不可能であると断言してはばからない。仮に「自衛隊の存在を憲法に明記」しても、旧条文の文章が残り(安倍は残すと明言している)、したがってまた一切の「戦力」や軍隊は保持しない等々の文章が残るかぎり、諸政党もインテリもマスコミも、さらにまた今は安倍改憲支持であるらしい──本当にそれでいいのか、安倍改憲は諸君のお気に召しているのか──、無節操な反動たちによる議論や論争は、終わるどころか一層激しく燃え上がるだろうからである。

 というのは、憲法で仮にそんなことを「明記」したとしても、国民の誰にせよ、自衛隊の違憲、合憲について議論することを止めることはないし、またそれを禁止することは誰にもできないからである。

 そもそもある思想問題、理論問題について、「終止符を打つための」改憲などというものは聞いたこともないような筋違いの議論であって、そんな意図や目的で憲法改定を行うというのは思いあがった独裁者やファシスト同然の発想法ではないのか。

安倍の改憲策動のファシズム的契機

 国民が現行憲法について自由な批判的見解や思想を持つことや自由に議論することに「終止符を打つ」という憲法改定は、国民にそうしたことを憲法の名で禁じることであって、考えて見れば恐ろしい話である。まさに安倍の専制主義的本性を暴露する発言、ファシズム体制への愛好を暴露する宣言ではないのか。

 憲法改定問題は基本的に法治主義の枠内での問題、その中で具体的に国家をいかなる統治体制で運営するかの問題であって、特定の思想や観念──国家主義、軍国主義、日本ファースト、排外主義等々の観念──を押し付ける問題であってはならないのは、憲法問題の一つの大前提ではないのか。

 改憲問題は基本的にいかなる法治体制、政治体制によって国家(もちろんブルジョア国家)を運営するかの問題であり、その限界内での改憲問題であって、「自衛隊の存在が違憲か、合憲か」といった観念的で、歪んだ形で争われるべきではない。「自衛隊の存在を明記するか、否か」、「自衛隊の存在が合憲か、違憲か」といった問題なら、すでに首相である安倍自身が自衛隊は合憲であると断言し、仮に国民投票で安倍の憲法改定案が否定されてもそれは変わらないと開き直っているのだから、その上に何が必要だというのか。 もちろん自分の観念──妄想──を自分の名のもとに憲法に書き込もうとした、安倍の先輩のような権力政治家もいないこともない。

 北朝鮮の三代の権力者はみな多かれ少なかれ、「主体思想」とかの観念論を国家の指導理念として吹聴し、そんなものを国家の最高法規で謳おうとしたし、毛沢東以下、中国にもそんな指導者は何人もいたし、習近平にもそんな気配が濃い。すでに〝アベノミクス〟で散々に虚名を売ってきた安倍が、そんな連中に倣おうとしても何の不思議もない。

 自衛隊違憲論やそんな議論自体を無くそうという安倍の邪悪な憲法改定策動は直ちに粉砕され、一掃されなくてはならないのである。

 安倍はそんなことをする暇があるなら、他にやるべきことが山ほどあるのではないのか。現在の経済危機と困難が訪れ、何千万の労働者、勤労者の生活や社会保障や老後が脅かされ、破壊されようとしているときに、そんな無意味な無駄ごとに時間とカネを浪費し、国民を引き回していいのか。「一将功なりて、万骨枯る」ということにならなければ幸運というものである。

(次号に続く  林紘義)

   

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