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労働の解放をめざす労働者党機関紙『海つばめ』

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郵政民営化の中で何が起きているのか?
郵政労働者は告発する!

■民営化の嵐の中で最大の御用組合の登場――JPU臨時全国大会議案批判
■郵政民営化――今、職場では/郵政現場からの報告
■恐竜化か、リリパット化か――郵政民営化のジレンマ
■西川善文著『挑戦――日本郵政が目指すもの』/民営化に賭けるトップの本音


憲法改悪と
いかに闘うか?


■改憲に執念燃やす安倍――「国民の自主憲法」幻想を打ち破れ
■労働者は改憲策動といかに闘うか
■国民投票法をどう考えるか
■安倍の「美しい国」幻想――憲法改定にかける野望


本書は何よりも論戦の書であり、その刊行は日和見主義との闘いの一環である。
マルクスが『資本論』で書いていることの本当の意味と内容を知り、その理解を深めるうえでも、さらに『資本論』の解釈をめぐるいくつかの係争問題を解決するうえでも助けとなるだろう。


全国社研社刊、B6判271頁
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「不破哲三の“唯物史観”と『資本論』曲解』(林 紘義著)」紹介(『海つばめ』第1048号)


全国社研社刊、B6判384頁
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「天皇制を根底的に論じる『女帝もいらない 天皇制の廃絶を』(林 紘義著)」(『海つばめ』第989号)他

理論誌『プロメテウス』第54号
2010年10月(定価800円)

《特集》菅民主党のイデオロギーと“体質”
・神野直彦の思想と理論――菅直人のブレインは「曲学阿世の徒」
・原則なき寄せ集め政党――顕現するブルジョア的“体質”
反動的な「文化」の擁護に帰着――レヴィ=ストロースの「文化相対主義」批判


 
 
 教育のこれから
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まかり通る「偏向教育」、「つくる会」の策動、教育基本法改悪の動きの中で、“教育”とは何であり、いかに行われるべきかを、問いかける。  


 第一章  
教育基本法改悪案の出発点、
森の「教育改革策動」
 第二章  
破綻する「ゆとり」教育の幻想
 第三章  
“朝令暮改”の文科省、
「ゆとり」から「競争原理」へ
 第四章  
ペテンの検定制度と「つくる会」の教科書
 第五章  
歴史的評価なく詭弁とすりかえ
つくる会教科書(06年)の具体的検証
 第六章  
日の丸・君が代の強制と
石原都政の悪行の数々
 第七章  
憲法改悪の“露払い”、教基法改悪策動

●1359号 2019年8月25日
【一面トップ】安倍のバラまき社会保障はやり得――国の社会保障政策は高齢者いじめ
【1面サブ】労働者党の〝社会保険綱領〟――ロシア社会民主党(ボリシェヴィキ派)の1912年第6回全国協議会決議より
【コラム】飛耳長目
【二面〈主張〉】社会性欠く〝多様性〟――エリート族〝知識人〟らの個人主義の表出
【二面トップ】身のほど知らぬ野心――山本太郎は首相の玉か

※『海つばめ』PDF版見本

【1面トップ】

安倍のバラまき社会保障はやり得
国の社会保障政策は高齢者いじめ

安倍のバラまき社会保障はやり得――国の社会保障政策は高齢者いじめ

 自民党は参院選が終わって2週間ほどたった8月5日、社会保障制度調査会役員会を開き、政府に申し入れ内容を審議したが、その内容とは、「全世代型社会保障の構築に向けた新たな会議を立ち上げる」ように要請するといったものであった。政府はこうした要請を受けて、秋以降、集中した議論をするための新たな会議を設けて、参院選後に〝先送り〟していた、〝社会保障〟改革に向けて、来年の通常国会に「年金」や「介護」の改革法案、再来年の通常国会には、「医療」の改革法案を提出するという。

 政府が今後、目指す社会保障の〝改革〟の全体的な〝構想〟や内容は部分的にあれこれ言われていて、その全容は知るべくもないが、安倍は参院選の直後参院選の勝利を踏まえて、「子供から子育て世代、現役世代、高齢者まですべての世代が安心できる社会保障全般の改革を進める」と大見得を切った。

 新設の「会議」が全世代型社会保障の〝構想〟や、安倍が参院選の中心的な争点として掲げた消費増税とその乳幼児教育無償化政策とどんな関係があるのか、ないのかは知らないが、この会議はとにかく安倍にとっては「全世代型社会保障」実現のための会議だということらしい。

 また安倍自民党が参院選後もまだ社会保障問題、とりわけ全世代型社会保障を掲げる意図もはっきりしないし、そんな社会保障問題の重視が安倍の野望のトップである憲法改定策動とどう結びついているのか、今後結びついていくのか、いかないのかもはっきりしないが、しかし自民党もしくは国家(省庁や官僚)らの謳う社会保障の〝改革〟案やその方向は、安倍が参院選で選挙のために謳った「全世代型社会保障」とは大分違ったものに見える。

 つまりそれは安倍が大騒ぎしている、全世代型社会保障といったものではなく、日本が今直面している本当の課題、少子高齢化の深化に伴って生じてきている現実の社会保障の問題――解体し、破綻しつつある、年金、介護、医療などの制度的危機にいかに対処し、克服して行くのか、行き得るのかといった困難な問題――、その場しのぎの安倍政権が、参院選の間も含めて無視し、正面から論じ、立ち向かうのを回避して来た諸問題である。

 だからその内容は「全世代型社会保障」や、その充実といったもの、安倍政権が参院選で強調した乳幼児教育無償化等々とは全く別のものであって、例えば年金については、「マクロ経済スライド制度」の徹底、強化とか、受給開始年齢の70才超への上限の引き上げとか、厚生年金の適用拡大とか、在職老齢年金の縮小や廃止とか、あるいは介護についていえば、介護保険の利用者負担を2割に引き上げるとか、ケアプラン作成の利用者負担を導入するとか、医療についていえば、後期高齢者の窓口負担を2割に引き上げるとか、湿布など市販薬で代用できるものは保険対象から外すとかいった、あれこれの提案であり、基本的に労働者・働く者の負担を増やし、また社会保障受益者への給付削減を図ることによって、社会保障制度の崩壊や解体に対処しようというものである。

 一体参院選中に安倍が強調した、消費増税数兆円の「転用」とか、それによる「全世代型社会保障の充実」とか、「乳幼児教育無償化」等々の問題はどこへ行ってしまったのか。そんな問題は安倍政権が選挙を勝ち抜くために掲げたものであって、自民党や官僚たちにとって、どうでもいい、安倍政権の延命のための、税金の無駄遣い、浪費、バラまきに過ぎないというのであろうか、そんなものはもう無視して、自分たちの考える緊急の社会保障の課題や〝義務〟に戻ろうというのであろうか。

 安倍は一体「全世代型社会保障」という、国民を欺くようなスローガンで何を語ろうというのであろうか。そもそも国民の全世代が「安心できるものへと社会保障全般の改革を進める」といった観念や政策は、19世紀末、ドイツの保守的独裁者のビスマルクが、台頭してきた労働者階級を慰撫し、懐柔するために「社会政策」を謳い、実行して以来、20世紀の戦争や恐慌や革命の時代を経て、一貫して強化され、拡充されてきたものであって――別に左翼政府や労働者の勢力や政府によってだけでなく、ビスマルクだけではなく、ナチスなどのファシズム政権や日本天皇制軍部の政府によってさえ――、また第二次世界大戦後には〝福祉国家〟の美名さえ獲得して現在に及んでいるのであって、安倍が「全世代型社会保障」などといくらか言い回しを変えて持ち出してみても、何の新味もなく、今時そんな姑息な観念を持ちだしても、そんなものに感銘を受けたり、丸め込まれるような労働者はほとんどいないであろう。

 例えば、安倍の乳幼児教育無償化という問題を取り上げてみよう。それが「全世代型社会保障」とならないのは、既に暴露されている。

 というのは、それはすでに「転用」される消費増税のわずか1%だけが、0才児、1歳児のために支出されるにすぎず、その費用のほぼ半分が3才児から6才児までの児童の〝教育費〟に支出されるからである。

 そういうことになるのは、2歳児までの乳幼児を保育園に預けなくはならない貧しい労働者や片親の世帯には、すでに既存の社会保障制度の恩恵を受けて保育料の免除や相当の軽減措置が取られているからである、つまり安倍の「全世代型社会保障」といったものは、すでに現代資本主義の〝社会政策〟としてある程度まで行われていて(このことは〝高等教育〟においても同様で、その〝無償化〟の恩恵を受けるのは最も貧しい階層ではなく、それより上層の階級の若者になっている)、安倍の政策はインチキ社会保障であって、すでに社会保障といったものではなく、いやしいバラまき政策、財政の無駄遣い、浪費に過ぎないのである。

 だからこそ、官僚たちは安倍に〝忖度〟して表面だけは「全世代型社会保障」を謳いながら、現実には、それとは全く別の社会保障政策を推し進めようとするのであり、するしかないのである。

 こうした事実が語るのは、21世紀の現代にあっては、「福祉国家」論とか「全世代型社会保障」等々はすでに時代錯誤のナンセンスであって、今どきそんなスローガンを持ちだしても、単なるバラまき政策を美化する空文句にしかならないということである。 

 そうだというなら、参院選は、安倍の仕掛けた国民を愚弄し、ペテンにかけるための壮大な空騒ぎといったものであったと結論するしかないのである。

 そして野党は、安倍の壮大な税金の浪費に、派手な大盤振る舞いの饗宴に大賛成で、共にはしゃぎ回ったというわけである、というのは、安倍がすでに財政再建という用途が決まっていた消費増税をバラまきに「転用」するのに反対したり、異議も唱える理由がなかったからである。彼らは、もし消費増税がすでに決まっていた通りに、財政再建のために利用されるなら、それは国民的消費の縮小で、彼らの論理によれば深刻な経済的困難をもたらして困ったことになるが、安倍が消費増税で不況になるとさんざん騒いでバラまきをした上に、さらに消費増税のカネを財政再建に向けるのでなく、バラまきに「転用」して、〝消費(不足からくる)不況〟を回避してくれるほどのありがたいことは、資本主義とその繁栄のために奉仕する野党にはなかったからである。

 もちろん労働者党は資本主義の枠内での社会保障政策に賛成であり、労働者・働く者にとって不可欠であると主張する。たとえば、労働者党の典型的な社会保障政策は、すでに古く、第二インターナショナル(1889年~1914年)に結集した西欧の社会主義政党の中に、いくらでも見出すことができるだろう。

 参考までに、ロシア社会民主党(ボリシェヴィキ派)の簡潔な社会保障綱領を紹介しておこう(岩波新書『社会保障』坂寄敏雄96~7頁)。

 もちろん、それは社会主義的なものではなくて、その本性上、資本主義の枠内でのものである、というのは、当時ロシアの社会主義政党は〝直接に〟社会主義を勝ち取ることを目指していたのではなく、封建主義を代表するツアーリズム専制体制を一掃し、社会主義に向けて道を切り開く〝民主主義的〟革命を勝ちとることを自らの歴史的、実践的な任務とも、課題ともしていたからである。

 安倍政権の社会保障は、一方では、全世代型社会保障(福祉国家)といった幻想であり、他方では、自民党や官僚の戦略に沿った、高齢者や社会保障に依存せざるを得ない人々を冷遇するといった、ものに偏しつつあり、広範な国民の反発を招こうとしている。

   

【1面サブ】

労働者党の〝社会保険綱領〟

ロシア社会民主党(ボリシェヴィキ派)の1912年第6回全国協議会決議より

「(一)賃金労働者が生みだす富のうち、彼らが賃金として受取る部分は、ほんの僅かであるから、彼らの最も切実な生活欲求をみたすには到底たりない。こうしてプロレタリアは、傷害、疾病、老齢、廃疾の結果労働能力を失う場合、また資本主義的生産様式と不可分に結びついている失業の場合に備えて、自分の賃金の中から貯蓄するあらゆる可能性を奪われている。それ故、すべてのこのような場合の労働者保険は、資本主義的発展の進行全体によっていやおうなしに命ぜられる改革である。」

「(二)労働者保険の最もよい形態は、次のような基礎の上にきずかれている国営労働者保険である。

(イ)それは、労働者が労働能力を失うすべての場合に(傷害、疾病、老齢、婦人労働者の場合にはその上に、妊娠と出産、かせぎ手が死んだ後の寡婦と孤児への扶助)、あるいは失業のために賃金を失う場合に、労働者を保障しなければいけない。

(ロ)保険は賃労働の当人とその家族との全部を含まなければいけない。

(ハ)すべての被保険者は賃金全額補償の原則によって補償されなければならない。しかも、保険料の全額は企業主と国家が負担しなければならない。

(ニ)地域別にそして、被保険者の完全な自治の原則にもとづいて構成される統一的な保険組織があらゆる種類の保険を管掌しなければならない。」

(第1の部分は社会保険制度そのものに関する部分であり、第2の部分はその扇動、宣伝に関する部分である、と説明されている。)


【飛耳長目】

★参院選が終わり、2年後の衆院選に焦点が移りつつある。参院選で惨敗した野党は、安倍政権に変わる野党政権を夢想して、あれこれ蠢動している★立・民と国・民の野合による、旧民進党の復活の策動も活発だ。玉木はもともと「大きな固まり」を作らなければ、安倍政権を一掃できないというのが持論だし、枝野も参院選でつまずき、「数合わせには組しない」と豪語してきたのに国・民との融合路線に回帰してしまった★野党共闘路線は大成功と現実に目を閉ざしつつ、独善的総括にふける志位は、野党共闘による「国民連合政府」といった古証文を持ちだし一人張り切っている。しかし政権構想など持ちだしたら、野党共闘は空中分解するしかない。枝野は共産とは共にやれないと公言しているし、立・民はなおさらである。彼らは一体何を課題に政府を組織しようとするのか。仮に一時的な課題――消費税廃止や、4年前の安保関連法の廃棄や、原発全廃等々――で一致して、政府が誕生しても、その後は収拾のつかない混乱に巻き込まれ、政権を失うだけである★その前に、32の一人区で10名しか勝てなかった野党共闘では、衆院選の289の小選挙区で90議席しか獲得できない計算だが、衆院の過半数に近づくためには比例区で150ほども得る必要がある★しかしそんなことはすでに絶望的に困難だから、野党は別の道を考えるべきであろう。(鵬)

   

★中江兆民の「三酔人経綸問答」ではないが、現代の「豪傑君」と「洋学紳士」と「南海先生」の3人が熱い夏の日、新宿のデパートの高層食堂で会し、世界情勢について議論をした。豪傑君はもっぱら現代の世界の憂うべき帝国主義について慨嘆し、トランプの横暴な米国第一主義や中国の専制主義や膨張主義という現実を指摘し、日本もまた核武装も辞さず、自力で国家防衛するしかないと強調すれば、紳士君は、そんなやり方では世界の強国が軍備拡張主義に走るだけで、結局は破滅的な世界戦争だと恐怖におののき、抽象的な平和の呪文や憲法神話に逃げ込むのを見て、わが先生は、どちらも極端に走り、間違っていると2人を非難した★2人はではどんな解があるのかと先生に迫ったが、先生、現代は何か平和の世界だと考える紳士は現実を見ておらず、現行憲法があれば平和が守れるかにいうのは観念論で間違っているが、しかしひたすら軍備増強に走れば安全だというのも物騒なだけだ、私は日本で闘う者として、まず安倍政権を一掃する、そして世界の働く者がそれぞれトランプや習近平やプーチンなどの専制的悪党を倒せば、世界は平和になると言うと、2人はなるほどと納得した。豪傑君は、しかし専制主義者を倒すにしても、一度というわけにいかないのが難点だと発言したが、それは、次の会のお楽しみということで、会はお開きになった。(鵬)

【主張】

社会性欠く〝多様性〟
エリート族〝知識人〟らの個人主義の表出

 自由主義者やインテリの中では、あるいはポピュリズムにふける野党の中でも、「多様性」の観念を擁護し、美化することが流行になっている。

 参院選のなかでも、そんな観念をかかげ、票数を稼ごうとする政党がいくつも現れた。立・民は党として「多様性」を謳い、「多様性の溢れる」社会を実現するとか、「多様な価値観」を大切にするとか言いはやした。

 進歩的インテリたちは知ったかぶりをして、「近代以降、社会は多様な意見があることを前提に成り立って」おり、それを尊重することは当たり前であると主張する。

 しかし「多様性」とは、無条件で美化され、尊重されていい現実であり、観念であろうか。なぜ統一性、同質性が多様性に劣った観念、否定し、軽んじられなくてはならない観念であろうか。

 例えば現在の資本主義の社会では、資本家がいて労働者がいるのだが――つまり労働(力)を売って搾取されることなくしては生きられない、何千万もの賃金労働者がおり、他方では労働者を搾取することなくしては資本家として存在し得ない、多くの金持ち紳士がいるのだが――そして、現在の社会を一見してみれば、働く人々の間でさえも、正規の労働者と非正規の労働者を始めとするありとあらゆる差別労働、平等であるべき人間に対する差別的処遇や取扱いが、つまり「多様性」が充満し、横行しているのだが――、そんな「多様性」を労働者・働く者が正当化し、擁護できないのは余りに明らかである。

 かくして、多様性を絶対化するイデオロギーは出発点から間違っていることが明らかになる、というのは統一性と多様性、全体と個別等々の観念は相互依存的であって、全体があって個別があり、反対に個別があって全体があるのと同様に、統一性があって差別性、多様性があり、またその逆も真実だからである。

 「近代以降、社会は多様な意見があることを前提に成り立って」おり、それを尊重することは当たり前であると主張するなら、つまりそれは現代の人類が、諸国民が、資本家と労働者とに階級的に分裂し、それを中軸とした個別性の社会にバラバラに分解していること以上を意味しないのである。

 かくして社会性を欠いた多様性の観念の正当化や美化は、個人主義や、利己主義の擁護であり、そこに行きつくしかないのである。そんなものは頽廃していくブルジョアやリベラルやインテリや野党の政治家らのものであっても、我々の労働者党のものではないし、あってはならない。

 統一性、全体性の観念が重要であり、大切な場合は、いくらでもある、我々は労働者党の国際主義者として常に、個別の人種や民族や国民の観念にもまして、優先させて、人類や人間の観念を重視し、強調する、そして人種や国民の「多様性」もまた個々の人間の人類としての統一性の中でのみ、それとの関連性や調和性の中でのみ考え、位置づけ、行動するし、しなくてはならないのである。

 多様性の擁護とは、単にこの諸々の階級に分裂していく、現実のブルジョア社会のそのままの複写論、弁護論であって、ブルジョアやブルジョア政党の自然の観念なのだが――そして頽廃して、自己中心主義とか利己主義とか自国(自国民、自民族)ファーストなどのおぞましい観念や行動理念として噴出してくるのだが――、現代の頽廃し、堕落していく野党にとっても必然の観念となって押し出されて来るのであり、事実上、すべての野党が共有し、推奨する観念となっているのである。

    (林 紘義)


【2面トップ】

身のほど知らぬ野心
   

山本太郎は首相の玉か

 参院選で半デマ(ポピュリズム)政治によって、たまたま2議席を手にした山本は、調子に乗って、次の衆院選では100人の候補者を擁立して、野党共闘をリードし、政権を目指すと大ぼらを吹いている(毎日新聞8月7日)。我々は彼の新しい立場や見解を検討し、山本流のデマ政治をはびこらせないためにも、その真実の姿を明らかにしなくてはならない。

「政権を取りに行く」という妄想

 軽薄なお調子者のこの政治家の説明するところでは、政権を取りに行くのにたった100名の候補者でいいのかというと、「100人で足りないが、野党共闘の余地を残さないと駄目だ。(定数465の)半分以上立てると言ったら『お前だけでやるのか』という話になる」からだそうである。

 100名候補者を揃えられるかどうかさえも分からないのに、またれいわ新選組で政権を勝ち取る自信も構想もないのに、この男は、「はったり」をかませて自分をも他人をもだまし、野党共闘派をまるめこみ、リードして政権を勝ち取り、自分が首相になるなどと途方もない空想や独りよがりや自己満足にふけり、自惚れをぬけぬけと口にし、強がるほどに、自分が空っぽで、愚かな人間であることも自覚しない愚物なのである。

 何のことはない、山本には共産党の志位並みの低俗な観念しかないのである。つまり国・民とか立・民、そして共産党とか社民党に依存し、それらと協力しなくては「政権を取れない」と考えるのである。山本の「政権を取りに行く」といった観念の矮小さ、情けなさ、志の低俗さがたちまち明らかになる。 

 共産党の志位は、労働者・働く者を裏切り、その結果政権が破綻し、まさにそれ故に、今もって貧弱な支持率に低迷している民主党(現在の二つのもと民主党の政党)やそれに共産党やまるで社会党の亡霊のような社民党と一緒になって、何らかの労働者・働く者にとって有意義な政府を組織できると妄想する。

 他方、山本も自分が勝ち取ると空想する政権がせいぜい、09年から12年まで続いて、労働者・働く者を裏切り、またその期待に何一つ応えられなかった民主党政権、あるいは志位の謳うような、無力で、混とんとした野党共闘政権程度のもの――かつての民主党政権以下ではありえても、それ以上では決してない――でしかないのを知らないのである、志位は、そんな民主党の連中と共闘して、安倍政権を倒し、それに取って代われると空想するのだが、山本は、自分がそんな哀れな志位並みの愚昧な政治家に過ぎないことを自覚せず、反省もできないのである。

 つまり彼の目的は政権を取ること自体であって、その内容はどんなものでも構わないという、安倍と同様な、あるいはそれ以下のさもしい根性を自ら暴露しているのである。

なぜ消費税の5%への引き下げか

 そして野党共闘にすべてをかけ、その結集を目指す山本の基本綱領は、消費税の5%への引き下げであって、参院選で掲げた消費税撤廃でさえないというのだからお笑いであって、れいわ新選組の破綻と裏切りをたちまち暴露しているといわざるをえない。

 また彼はお得意もしくは十八番(おはこ)、あるいは政治家としての原点でさえあった、原発の即時廃止さえも野党共闘のために引っ込めるというのだから、共産党並みの――それ以上の――無原則、マヌーバー主義者と言わざるを得ない。彼は今やあらゆる意味で、共産党もしくは志位と野党つまり野党共闘派の先頭に立ち、それをリードしようと争おうと言うのであろうか。志位にできそうもないが、自分にはできると、つまらない自惚れにふけるのであろうか。

 実際、今やスターリン主義の成れの果ての腐敗した共産党と、典型的なプチブル山師政治家の山本は似た者同士であり、いいライバル、否、いいコンビでさえある。

 両者ともに、野党共闘妄信者であるとともに、それをリードし、自分の思うがままに動かし、利用しようと策動をたくましくし、何とか自らの政治路線、独善路線にひきずり込み、支配下に置くことを熱望するのである。

 その路線とは、志位の場合は、4年前に成立した〝戦争法〟(安保関連法)の廃棄であり、あるいはもっと進めば日本の「民主的改革」や、「真の独立」(現行の日米安保条約の廃棄)等々である。

 そして今や野党共闘派の希望の星?として登場した山本党のれいわ新選組にあっては、野党共闘派の結集の合言葉は、消費税の廃止ならぬ、5%への消費減税というわけである。山本は、この政策が担保されないなら(保障され、賛同されなければ、野党共闘には賛成しないし、参加もしないと偉そうに言っている)、まるで自分でなければ野党共闘をまとめ、勝利に向かって前進させることができないかである。

 山本に言わせると、こうした政策こそが、野党共闘派が勝利し得る、アベノミクスに対抗できる、これまでの野党にはなかった、すぐれた「経済政策」だというのだから、この男が「経済」についても「経済政策」についても、どんなまともな観念も知識も見識も持ち合わせていない無知の輩、単なるつまらないはったり屋にすぎないことは一見して明らかである。

 なぜ消費税廃止ではなく5%の消費税なのか、消費税は10%ならだめで、なぜに5%ならいいのか、10%の消費税をゼロ、にするなら「生活が楽になりたいと求めている」人々の期待に応えることであると主張しておいて、5%でもそうなのか、5%の消費税でも「生活を苦しく」しないのかという素朴な疑問について、山本は説明すべきであり、説明する責任がある、というのは、参院選で消費税は無くすべきであって、5%ならいいなどとは全く強調していなかったからである。

 結局山本にとっては、消費税が何%かといったことはどうでもいいのである、彼は野党が消費増税に反対しているが、消費税そのものには反対できないでいるのを見て、貧しい人々の関心を呼ぶためにのみ、消費税そのものの廃止を大声で叫びたてただけであって、深刻な財政危機や財政再建問題や社会保障の危機的状況や、消費税や今回の消費増税や、さらには今後、10%超える消費増税をするのか、する必要ないのか、財政危機は放置しておいていいのか、等々の問題には全く無関心、無頓着に、〝大衆向けの〟、大衆受けのする政策やスローガンを並べたて、叫んだだけであって、消費税率が0%であれ5%であれ、10%であれ、本当はどうでもよかったのである。

 かくして、山本の決まり文句の「人々の求めていることは、『生活が楽になりたい』ということ」であり、自分はそうした貧しい人々を代表して闘う政治家である云々が全くの虚像であることがたちまち暴露され、自分の権力だけを追求する、個人主義や利己主義に凝り固まった山本という政治家の本性が透けて見えてくるのである。

ポピュリズム政治家としての山本の限界と卑しさ

 野党共闘派のボス政治家を目指す山本の限界もしくは卑しさは、彼のトレードマークであり、原点でもあった原発問題でも暴露され、山本の人気が急速に色あせたものとなることを予感させている。

 彼は野党共闘では、自分の原点であった原発即時廃止は棚上げすると、次のように語っている。

「そこ《野党共闘――引用者》に強い打ち出し《原発の即時廃止のこと》を持ったら、多分、野党全体で固まって戦うことは難しい。他党には電力系(の支持層)の力を借りながら議席を確保している人たちもいる。政権を奪取すれば当然、原発も廃炉を迎える」。

 一体こうした発言は何であろうか、有権者を愚弄し、侮辱する、暴言の類ではないだろうか。

 山本は、元来は原発事故後、原発の廃絶を売り物に名を上げ、議会に進出した政治家ではなかったのか。それなのに、野党共闘と、自らの〝個人的な〟権力獲得のためには、そんな自らの政治的な原点さえも投げ捨てるというのである、〝スターリン主義〟政党の共産党の卑しいマヌーバー政治(策略政治)の水準にまで堕落して、その猿まねをするというのである。恥ずかしくないのであろうか。

 そんな〝戦術〟で野党共闘が何とかまとまり、うまく機能する保障は何もないのだが、仮にうまく機能して、野党共闘政権が生まれたとしても、その政権が、原発廃絶を実行するという保障もまたないのである、というのは、むしろ反対に、電力労連が、つまり電力大資本や今の与党勢力が原発廃絶に頑強に反対、抵抗し、それをうやむやにしてしまう可能性の方が、はるかに大きいかもしれないのである。

 もちろん電力労連や大資本の勢力も原発の撤廃により大きな利益を見出し――例えば、廃炉負担とか、安全保障負担とかが巨額なものになり、最も高いコストのエネルギー源となり、採算が全く取れなくなる等々――、彼らも廃絶に賛成するしかなくなるなら、その限りではないが(原発廃棄が実現するかもしれないが)、それは山本や共産党の策略路線が成功したからではなくて、それとは別の要因や契機による原発廃止であって、山本や共産党のでたらめ路線を正当化するものでは少しもない。原発の一掃が、安倍政権でも、また似たようなブルジョア政権でも、実行しなくてはならない、もしくは実行し得るような課題となったということであるにすぎない。

 いずれにせよ、山本や共産党のイカサマ〝戦術〟は、労働者の闘いと運動を腐らせ、ゆがめ、解体に導くものであって、労働者・働く者が忌避しなくてはならない、百害あって一利なしの間違った、邪道の選択であることには変わりない。

 山本が狙うのは、最近の例でいえば、細川の経験か、小沢の経験か知らないが、どちらであるにしても、ろくな結末しか待っていないのは、その二つの経験からも明らかである。(林紘義)

 以下略。(続きを含めて、労働者党のブログに全文掲載します。党HPからもジャンプできます。)

   

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