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労働の解放をめざす労働者党機関紙
『海つばめ』

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郵政民営化の中で何が起きているのか?
郵政労働者は告発する!

■民営化の嵐の中で最大の御用組合の登場――JPU臨時全国大会議案批判
■郵政民営化――今、職場では/郵政現場からの報告
■恐竜化か、リリパット化か――郵政民営化のジレンマ
■西川善文著『挑戦――日本郵政が目指すもの』/民営化に賭けるトップの本音


憲法改悪と
いかに闘うか?


■改憲に執念燃やす安倍――「国民の自主憲法」幻想を打ち破れ
■労働者は改憲策動といかに闘うか
■国民投票法をどう考えるか
■安倍の「美しい国」幻想――憲法改定にかける野望


本書は何よりも論戦の書であり、その刊行は日和見主義との闘いの一環である。
マルクスが『資本論』で書いていることの本当の意味と内容を知り、その理解を深めるうえでも、さらに『資本論』の解釈をめぐるいくつかの係争問題を解決するうえでも助けとなるだろう。


全国社研社刊、B6判271頁
定価2千円+税・送料290円
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「不破哲三の“唯物史観”と『資本論』曲解』(林 紘義著)」紹介(『海つばめ』第1048号)


全国社研社刊、B6判384頁
定価2千円+税・送料290円
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「天皇制を根底的に論じる『女帝もいらない 天皇制の廃絶を』(林 紘義著)」(『海つばめ』第989号)他

理論誌『プロメテウス』第54号
2010年10月(定価800円)

《特集》菅民主党のイデオロギーと“体質”
・神野直彦の思想と理論――菅直人のブレインは「曲学阿世の徒」
・原則なき寄せ集め政党――顕現するブルジョア的“体質”
反動的な「文化」の擁護に帰着――レヴィ=ストロースの「文化相対主義」批判


 
 
 教育のこれから
   「ゆとり」から「競争」
   そして「愛国教育」で
   いいのか
 林紘義 著 7月1日発売

  (全国社研社刊、定価2千円+税)
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まかり通る「偏向教育」、「つくる会」の策動、教育基本法改悪の動きの中で、“教育”とは何であり、いかに行われるべきかを、問いかける。  


 第一章  
教育基本法改悪案の出発点、
森の「教育改革策動」
 第二章  
破綻する「ゆとり」教育の幻想
 第三章  
“朝令暮改”の文科省、
「ゆとり」から「競争原理」へ
 第四章  
ペテンの検定制度と「つくる会」の教科書
 第五章  
歴史的評価なく詭弁とすりかえ
つくる会教科書(06年)の具体的検証
 第六章  
日の丸・君が代の強制と
石原都政の悪行の数々
 第七章  
憲法改悪の“露払い”、教基法改悪策動

●1318号 2018年1月14日
【一面トップ】進むも地獄退くも地獄――立ち往生の安倍の経済政策
【コラム】飛耳長目
【二面〈主張〉】与野党共労のポピュリズム――総選挙が暴露した虚妄の政治闘争
【二面トップ】河野談話に立ち戻れ――それこそ「最終的かつ不可逆的」解決

※『海つばめ』PDF版見本

進むも地獄退くも地獄
立ち往生の安倍の経済政策

 安倍政権が今後3年半続くかどうかはさておくとして――また、昨年の総選挙で圧勝したという現実があるにもかかわらず――、今やアベノミクスに対する幻想はほとんど残っていない。それを象徴するものの一つは、すでに5年目となった、恒例の「官製春闘」の茶番である。今年も安倍は春闘における3%の賃上げを大企業に〝要請〟し、ご丁寧にも甘ったるいアメまで――賃上げに協力した企業には法人税を数%引き下げる等々――約束するのである。行き詰まり、無力で、荒唐無稽な道に迷い込んでいるアベノミクスの破綻はもはや余りに明らかである。

 安倍が3%の賃上げを要請するのは、そんな賃上げがアベノミクスの成功のために、つまりこの数年来(2013年の1月以来)、日銀と共に追求してきたデフレ脱却――その指標は2%の物価上昇である――のために不可欠であると信じるからである。

 彼らは2%の物価上昇を経済成長や景気回復や財政再建とほとんど同一視してきたのだが、さらに賃上げが物価上昇と同じことであると信じるのである。いずれも途方もない俗流経済学流の観念、単なる一つの迷妄以外ではない。日本の、そして世界のブルジョアたちがこんな俗悪低劣な観念に取りつかれていること自体が、すでに彼らが実践的、精神的、道徳的に頽廃を極め、歴史的に死すべき運命に立っていることを教えている。

 安倍は昨年10月末の経済財政諮問会議で、デフレ脱却のためには、「賃上げの流れを力強く持続的なものとしなくてはならない」と主張、ブルジョアたちに「3%の賃上げは社会的要請だ」と迫った。

 そして笑うべきは、経団連もまた直ちに呼応し、榊原会長は、「18年には政府によるデフレ脱却宣言ができる年になることを期待する」と2%のベースアップを謳い、これに連合も共鳴して神津会長は、「デフレ脱却に向けて粘り強く、賃金は上がるという常識を世の中に取りもどす」と、2%のベアを含む4%の賃上げを春闘で闘い取ると誓ったことである。

 呼吸のあった、見事な政労使の三者協調だが、労使は簡単に安倍に迎合し、追随していいのだろうか、大幅賃上げに――仮に実現したらのことだが――後悔してほぞをかむことにならないだろうか。

 今年、安倍は単に賃上げを要請するのではなく、3%という数字まで持ち出して、企業に賃上げを要求したが――まるでかつてのソ連のような〝社会主義〟(我々の呼ぶ所の〝国家資本主義〟)のやり口だ――、それを可能な企業はともかく――どんな企業を3%の賃上げ可能な企業と呼び、選ぶのかは我々の知ったことではないが――、多くの企業にとって、3%の賃上げは喜々としてやれることでも、やるべきことだと考えないことも確かである。

 経済状況が悪化していくとき、多くの企業が安倍はやりすぎている、いい気になりばかなことを言っている、驕りすぎていると反感を持ち、安倍政権に反発するときも決して遠い先のことではないかもしれない。

 それにしても、物価上昇のための賃上げとは奇妙な観念である。

 一体なぜ物価上昇のために賃上げをするのか、しなくてはならないのか。

 労働者の生活改善のためでないことは明らかである、というのは、賃上げをしても物価上昇がやってくるなら元の木阿弥であって、そんな賃上げによっては労働者の生活は改善するどころか悪化しかねないからである。労働者はそんな無意味で、ばかげたことを少しも望まない。

 そもそも賃上げによって物価上昇が必然になるなどということはないし、あり得ない。物価上昇は様々な理由から生じるのであって、金本位制を廃止して貨幣が紙幣化する社会では、一般的には、貨幣(通貨)の〝過剰発行〟(したがって、その減価)から生じるのであって、賃上げとは必然的な関係を有しないのだが、そんな簡単なことさえ安倍政権は知らないのである。

 正常の社会では、物価は一般的には低下していく、というのは科学技術が発展するにつれて、同一の商品を生産するための社会的に必要な労働時間が減少していくからである。

 安倍政権やブルジョアや連合のダラ幹らは2、3%ほどの賃上げが2%の物価上昇に〝論理必然的に〟つながると信じるのであり、さらにまた2%の物価上昇がデフレ脱却に〝論理必然的に〟結びつくと主張するのだが、しかしそんなことはどんなまともな理論によっても、あるいは経験的にも〝真理〟であることが論証されてもいなければ、承認されてもいないのである。そもそも「官製春闘」の4年の実践が物価上昇につながらなかった経験からも、それはすでに完璧に明らかである。

 そもそも物価上昇が何か形而上学的な〝絶対善〟であり、そして物価が上らない最大の理由は賃金が上がらず停滞しているところにあるという理屈は正しいのか、両者に必然的な因果関係が本当にあるのだろうか。

 こうした命題が成立しないのなら、アベノミクスは一つのドグマであり、極端に愚かになった現代ブルジョアたちの白昼夢でしかないということになり、そんな連中に国家と国家の運営を任せるなら、日本は破滅の淵に向かって突進することになりかねない(丁度かつて、天皇制軍部のファシストたちに国家の支配を許したときと同様に、である)。

 そんなにも労働者の賃上げが、あるいは労働者の賃上げによる総需要の増大が経済的な絶対善でありデフレ脱却であり、経済成長や好況や繁栄の出発点だというなら、賃上げに頼る前に、賃金総額が増えない最大の原因になっている非正規労働者に対する、女性労働者に対するはなはだしい賃金差別を一掃し、同一労働同一賃金でも何でもさっさと実行すれば済むことである。

 大企業の400兆円もの内部留保をはき出せと言うだけでなく、差別賃金をまず一掃するために、それを活用せよと言うべきである。

 今、安倍政権でさえ景気回復の現実を――それが日本経済の内的なものというより、米国や中国の景気回復や経済成長の主導による、棚からぼた餅のようなものであるとしても――認めざるを得ないのだが、しかしそれがデフレ脱却つまり2%の物価上昇の恩恵によるものでないというなら――彼らは事実上、そう認めるしかないが――、それはとりもなおさず、アベノミクスの破綻を、〝物価ファースト〟の理屈が、黒田の「異次元の」金融緩和等々が、空虚なドグマであり、見当違いの、むしろ有害無益な〝政策〟でしかなかったことを暴露していないであろうか。

 いくらかの景気回復さえアベノミクスのためでないとするなら、アベノミクスのしたことは「異次元の」規制緩和などによって、日本の国家を歪んだ国家、あるいは〝先進国〟の中では最悪とも言える借金国家、破産国家に転落させたことぐらいである。低賃金、差別賃金や、消費増税など重税でもって労働者、勤労者の生活をますます追い詰めたことでもある。

 消費増税しても財政再建には全くつながらず、日銀や政府によるバラまき政策や需要水増し政策、株価維持政策、円安誘導、資本の輸出等々の政策は、企業の国家やその政策に依存する寄生的な体質を強め、頽廃や衰退を助長し、産業資本(物づくり)は後退するばかり、国家の経済の柱となるべき大企業の進取精神や企業道徳はすたれ、相次ぐ品質検査の不正やデータ改ざん等々、その劣化や頽廃ぶりは目も当てられない有様である。

 世界経済をリードする、IT産業における大企業、一流企業はアメリカや中国等々であり、また先端産業等々を推進力にして新しく台頭するアジア諸国にさえすでに後れを取りつつある。

 こうした日本資本主義の惨憺たる現実は、5年間続いてきた安倍政権やアベノミクスとはたして無関係であろうか。少なくとも安倍政権がこうした日本資本主義の趨勢を反転させ、健全な道に押し戻すのではなく、反対に決定的に助長し、深化させたこと、病を死に至るような重病状態にまで導いてしまったこと、さらに導きつつあることだけは確かである。

 かくして安倍政権は一つの袋小路に入り込んでしまったかである。前に進むのも地獄、後ろに下がるのも地獄というジレンマである。

 安倍政権にとってはデフレ脱却は使命であり、最大にして最高の課題であるはずだったが、今では、その課題も達成できず、また達成できなくてもどうでもいいかである。

 いくらか極端にいうなら、安倍政権はデフレ脱却を宣言することさえ真剣ではない。むしろデフレ脱却宣言を恐れているかである、というのは、そうすると金融緩和政策も財政膨張政策も放棄しなくてはならないのだが、今となっては、安倍政権の命運や、経済破綻と国家解体を賭けることなくしては、それを実行することはできないからである。

 しかし他方では、デフレ脱却を宣言しないとしても、2%ほどの物価上昇は――それ以上の物価上昇や、あるいはバブルさえも――いくらでも可能であり、今後すぐにでも訪れるであろう。そしてそんなインフレが到来するなら、それもまた安倍政権を追い詰め、その解体と没落の合図になるだけである。

 労働者階級は物価上昇のために、あるいは消費需要を増加させるために賃上げを要求し、闘うのではない。一般的には賃金が労働者の生活の最低限に、それ以下に制限されるからこそ賃上げを要求するのであり、また現代の資本主義のもとでは物価上昇が、インフレが絶えず進行するからこそ、それに対応して常に賃上げを要求せざるを得ない立場に追いやられているだけである。

 需要拡大のための賃上げという〝ケインズ主義流の〟幻想は、現代では堕落した野党の、つまり共産党などのイデオロギーでもあるが、そんなブルジョアや安倍と同じ立場に立ちつつ、ブルジョアや安倍政権と闘って行くことができないのは自明である。

 17総選挙において、崩壊直前の安倍政権の圧勝を許した最大の原因は、ブルジョアや安倍政権と同じ共産党の観点であり、立場であった。

 ブルジョアや安倍一派と全く同一の観点や立場でもって、つまり彼らに思想的、実践的に取り込まれながら、彼らと闘い、彼らを圧倒し、政権から追い落として行けるはずもないのは、労働者なら誰でも簡単に理解し得る真実である。

   

【飛耳長目】

★日本の中に一種の奴隷制度が存在すると言えば驚く人もいるかと思うが、「外国人技能実習生」のことだ。百万人を越える「外国人労働者」の中で21万人を占め、77の対象分野に、昨年11月の制度改正で「介護」まで加わり、滞在期間も最長3年から5年に延長された★しかし何と昨年は賃金などに対する不満で6千人ほどが職場から失踪した。彼らには「職業選択の自由」がなく、いったん契約して日本にきたら職場を変更することができず、弱い立場の彼らは就職先でしばしば過酷に搾取されたり、人権侵害に直面するからである★国はこうした外国人に対する半奴隷的な搾取制度を、「国際貢献」の一種であり、若い外国人への「技術実習」や修得のため、日本の進んだ生産技術の海外移転のためだと称しているが、実際には物作りなどの分野で深刻化している労働力不足を補うためであって、「国際貢献」などは幻想の建前にすぎない★日本は外国人の「移民」――とりわけ〝単純労働者〟の――を認めないという〝原則〟を頑強に守り続けている。それならせめて歪んだ形で外国の若者を〝導入〟して半奴隷的労働者として扱ったり、搾取はしないという潔さを堅持すべきで、おかしな〝民族純血主義〟を維持しつつ、外国人をご都合主義的に搾取するなど、単に日本のブルジョアや国や安倍政権の卑しさと偽善を暴露しているだけである。(鵬)

   

【主張】

与野党共労のポピュリズム
総選挙が暴露した虚妄の政治闘争

 我々の今回の選挙闘争は、期せずして、安倍政治に対する闘いに留まらず、与野党すべての政党政治に対する原則的で、尖鋭な告発と闘いになった。

 というのは、安倍が「左にウィングを伸ばそうとして」、友党の公明や新しい仲間の維新や、保守反動の旗幟を鮮明にして小池の下に馳せ参じた前原一派や、共産にさえ媚び、それらの政策を剽窃し、盗み取った結果――前原は、全世代型社会保障等の安倍の新政治について、「私の『オール・フォー・ナッシング(みんながみんなのために)』の主張がそのまま取り入れられることになる。争点つぶしだ」とぼやいたが――、与野党入り乱れてのバラまき政治の饗宴に堕したからである。 安倍は全世代型社会保障などを持ち出し、乳幼児や高等教育の無償化を謳い、公明や維新も同調し、共産もなすところなく呆然とし、希望はベーシックインカムまで持ち出す始末だった。

 他方、マスコミ・リベラルも〝中間層〟の利益を代弁し、社会保障の危機を消費増税で克服せよ、借金で賄って、後の世代の負担にしてはならないと呼号したが、しかし多くの貧しい労働者に重税を課し、滅ぼすような政策が未来を切り開くとでもいうのか。

 今や日本の社会保障は〝少子高齢化〟の中で、まさに文字通り解体の危機に直面している。今後、5年、10年後には、年金や医療・介護に対する国家負担はうなぎ登りに膨張し、すでに破産状態にある国家財政の崩壊を顕在化するであろう。社会保障のための国家支出は予算の3分の1に迫る、31・5兆円ほどに膨れあがっているが、それはさらに年々数千億円から1兆円も増え続けようとしている。もちろんそれをカバーする労働力人口も急速に縮小する中で、社会保障の費用を賄う財源もまた枯渇しようとしている。

 そんな現実を無視し、大騒ぎされた消費増税の使途変更や、乳幼児教育無償化といった、最低最悪のバラまき政治、ポピュリズム政治は、その危機を一層助長し、加速するしかない。

 与野党一体でそんな政治に浮かれ、狂乱した17総選挙は、まさに日本国家の破綻と没落、そして〝ギリシャ化〟への転落が不可避であることを予感せしめ、あるいはむしろ確信せしめるものではなかったか。

 加えて肝心要の社会保障制度そのものが、不公正と差別と不正義の固まりのようなものだとするなら、日本の社会保障制度の崩壊もまた、日本資本主義の没落の一契機、一部分として必然であり、近い将来、現実のものとなるだろう。 

 明治大の田中英明は日本の社会保障の矛盾や欠陥や不正義について、次のように論じている。

 「年金・医療の問題は保険制度にある。保険料は所得税と異なり、所得が高いほど負担が低くなる逆進性が強い。国民年金保険料は原則、1人月1万6490円。厚生年金は月収が約60万を超えると保険料は同じである」

 「年金・医療・生活保護などすべての社会保障制度に投入され税の総額は45兆円(15年度)、最も多いのは厚生年金(全体の20%)である。これは基礎年金の2分の1が税で賄われるからだ。低所得者の払った消費税が大会社の退職者に充当される一方、低所得者は保険料を十分に納められず、年金額は減額される。不公平ではないか。厚生年金は相対的に豊かな者が加入しているが、彼らを一律に税で支援するのは適切だろうか。医療でも豊かな高齢者を税で支えている」

 こうした不公正、不正義な社会保障制度は一掃される以外ない。

   

河野談話に立ち戻れ
それこそ「最終的かつ不可逆的」解決

 日米韓の3ヶ国の連携で〝北〟に――ひいては中国に――当たるという安倍政権の外交防衛政策の一つの根幹が揺らいでいる。もともと動揺しやすい連携であったが、〝革新系の〟文在寅大統領が就任したことにより、今や日韓の間で、従軍慰安婦問題(15年戦争当時、日本の天皇制軍部が植民地であった韓国の若い女性を日本軍隊の性奴隷として動員した問題)や、対北朝鮮問題で立場の違いが鮮明となり、表面化してきたからである。この2つの問題は別の問題に見えて、内的に深く関係している、というのは、対北朝鮮といっても、日本と韓国では根本的に違う契機を持っているからである。

 韓国と北朝鮮はそもそも同一の国民であり、またそれを自覚し、〝南北統一〟を望み、意識しているという点で、北朝鮮との関係で日本と本質的に異なっている。そして歴史的、〝地勢的〟関係からも、韓国もしくは朝鮮国民と中国との関係や意識もまた、日本のそれと同じではない。

 対北朝鮮に対して、トランプや安倍とは違って〝宥和〟路線や〝話し合い〟路線に必ずしも反対ではない文在寅は、北朝鮮の平昌冬季五輪参加問題をきっかけに北朝鮮との〝対話路線〟を進め、深めようとしているが、安倍政権は「五輪は平和の祭典だから、こうした変化を評価したい」と平静を装いつつも、心中は穏やかないどころか怒りで煮えくりかえっている。

 それは〝慰安婦〟問題で文在寅政権が、前朴槿恵政権が安倍政権と結んだ15年の「日韓合意」を事実上反古にし、棚上げしようとする意思を明らかにしたことに対する、強い反発にも現れている。

 安倍はすでにこの問題が浮上した昨年の夏、15年の「日韓合意は1ミリも動かさない」と強硬な発言を行い、これを受けて、河野外相――安倍から「発想力、突破力を持ってやれ」と鼓舞激励され、今や安倍の使い走り(パシリ小僧)にまで自らを卑しめた、〝河野一族〟の恥さらし、「親の心子知らずの」鬼っ子。この男は、父河野洋平の存在や、かつて「河野談話」で慰安婦募集の「強制性」を認めた父の業績を「負の遺産」と感じるような俗物である――も、「日韓合意は国と国との約束だ。政権が変わったとはいえ、責任を持って実施するのが国際的かつ普遍的な原則だ」と一歩も譲らない構えである。

 15年戦争中の朝鮮人もと徴用工問題――彼らもまた強制的に、あるいは半ば強制的に、あるいは事実上だまされて日本の企業や工場や鉱山に「労働力」として動員され、連れてこられたのだが――も再燃しているが、安倍政権はこの問題でも、1965年の日韓国交回復時の「日韓請求権協定」で「解決済み」として済まそうとしている。

慰安婦問題や徴用工問題はずっとのちの1990年代ごろから明らかにされ、問題になってきた問題であり、1965年当時には全く考慮されていない、新しい〝歴史認識〟に関する係争問題である。

 1990年代、日韓のこうした新しい問題に対し、そうした動きに対する反発を動機ともテコともして登場し、結集した安倍一派は、国家主義や〝日本ファースト主義〟や国粋主義を振りまき、慰安婦や徴用工の事実を否定したが――歴史的事実を否定ることは誰にもできない――、まさにそうした厚顔無恥な動きや「歴史認識」が韓国側の激しい怒りや憎しみを生み出し、助長したし、せざるを得なかった。

 つまりこれらの問題に対する日本の態度への、韓国民の90年代以降の強い反発をもたらした責任は、あげて安倍一派に――したがってまた安倍政権にこそ――あると言って少しも言い過ぎではない。

 安倍や河野は盛んに、15年の合意には、「最終的かつ不可逆的に解決」と記されていると強調するが、この大げさな言葉は、空虚な15年合意に対してではなく、せめて1993年の「河野談話」に対してこそ用いられるべきである。

 誤解のないように言っておくが、我々は安倍や朴槿恵などの卑しい反動政治家はもちろん、文在寅や民主党=民進党(鳩山や菅や野田や、さらには枝野等々)などの〝革新系の〟政治家も全く信用しないのだから――志位らの独善的、ドグマ的、そしてデマゴーグ的〝革新〟については言うまでもない――、彼らの間で結ばれたようないかなる「合意」や約束ごとなども全く関係ないし、またそんなものを信用しない。

 河野談話は、発表当時から一貫して、日本においても韓国内でも、〝革新〟陣営の中でさえ高く評価され、少なくとも〝慰安婦問題〟――慰安婦とは、戦地の日本軍の性欲を満足させるために動員され、事実上性奴隷の地位に貶められた、当時日本の殖民地であり、自由な意思表示も言動も奪われていた韓国の若い女性たちに対して用いられる、ブルジョアたちの〝お上品な〟表現である――についての妥当な評価として承認され、両国のわだかまりを一掃する出発点になるべきものであった。

 そしてこの談話によって、〝従軍慰安婦〟問題が処理されてきたなら、現在日韓で対立し、争われているような問題の99%は存在しなかっただろうから、そして日韓両国民の――労働者・働く者ものについてはいうまでもないが――接近、相互的な信頼や友愛や、相互交通や交流等々は一層発展し、深化していただろうから、現在のような〝従軍慰安婦〟問題で相互に約束を破ったとか、破らないとか、インチキ「合意」は有効だとかそうでないとかで対立し、争い、政府などが先頭に立って感情的な口論をもっぱらにし、国民をお互いに嫌悪するように差し向けるような状態――それこそが安倍政権の狙いなのだろうが――を招いている責任は、基本的に安倍とその政権にこそある。安倍政権も、河野談話を「継承する」と国会で発言し、誓ったではないか、と誰か言うのか。

 それは本当のことであろうか。我々は河野談話に対して、安倍政権とそれを支える安倍一派のとってきた態度について検証して見る必要がある。幸い、手元に安倍が「河野談話を継承する」と国家で発言したときの新聞記事がある。14年10月4日の朝日新聞の短い記事である。

 当時、安倍は河野談話と、その後の発言を切り離し、「河野談話プラス、その時の河野長官の記者会見における発言により、強制連行というイメージが世界に流布された」、河野談話はそれ自体いいが、しかしその後の記者会見では慰安婦の動員には公的な強制力が働いたかに言っているなどと言いはやし、口先では河野談話は「継承する」といいつつ、全体として河野談話を認めることはできないかの〝巧妙な〟すり替えとごまかしのへ理屈を述べている。

 しかし日本の軍隊が韓国の国内で――他の女性らを遠く戦地にまで連行したり、戦地で性奉仕を強要する場所に閉じ込めた段階では、日本軍の関与は自明だが――、若い女性をかり集める段階では、日本の軍隊や、日本の支配下にあった韓国の官憲等々の直接的で強制的な動員は明白な証拠は見付からず、そうした契機が必ずしも主要な役割を果たしたとは言えないという〝談話〟を発表した河野は、その直後の記者会見で、仮に強制的動員が支配的ではなかったとしても、日本の軍事独裁権力が万能であった、当時の植民地下の朝鮮で、韓国の若い女性に性奴隷として動員するに当たって、事実上強制的、あるいは半強制的なやり方が当然あり得たことは否定できないと付言しているだけである。朝鮮が日本の〝植民地〟――日本によって国民が軍政の下、奴隷もしくは半奴隷の地位に貶められることと同義である――であったのは事実だから、全く合理的な見解である。

 事実、こうした付言でいわれていることも真実であって、多くの証言によっても明らかにされている。

 そしてこんな幼稚な観念がこの数年間、安倍と安倍政権が立ってきた、慰安婦問題に対する立場であったが、韓国国民から見れば偽善と欺瞞そのものの態度でしかなかったのである。

 そもそも河野談話を「継承する」と国会で発言しつつ、その後の記者会見での河野発言を持ち出して、事実上、河野談話を否定し、棚上げし、慰安婦問題の根底にしてこなかった安倍政権こそ、この問題についての一切の韓国民の怒りや反発や日韓の間の多くのいさかいやゴタゴタに――そしてもし、北朝鮮に対処するために、日韓の接近や協同が極めて重要だというなら、それを困難にしている現実に――、責任を負わなくてはならないのである。

 安倍一派や安倍政権は、反省するふりをしつつ、実際には開き直り、事実上、従軍慰安婦などという事実は存在しなかった、そんなものが存在したというのは、歴史的事実と真実について発言しているのではなく、〝故意に〟日本を貶めようとする悪しき意図――彼らの言うところの〝反日主義〟といった、ばかげた幽霊――による策動である、と叫ぶのである。

 とするなら、韓国民が非難し、反発する〝日本〟とは、労働者・働く者の日本ではなく、単に安倍一派と安倍政権の日本にすぎない。安倍政権の5年間に慰安婦問題が韓国内で大きな問題となり、日本に対する怒りや反感や反発が国民的な規模で広がり、慰安婦像設立が韓国内に、そして世界中に広がったのも、その原因は、上げて安倍一派と安倍政権にあったと言って少しも言い過ぎではない。

 安倍や河野は慰安婦問題がこじれる原因は安倍政権にあるのではなく、韓国の政府――というより国民――に、韓国国民に根強い「反日主義」にあるかに言いはやし、15年の珍奇な「合意」の〝誠実な〟、そして〝着実な〟実行を言いはやしている。まるで韓国民の「反日主義」(つまり反安倍政権の強烈な意思)が、どこからともなく、単に日本を貶めようという韓国民の悪意ある意思や意図から生まれているか言いはやすのだが、そんなものがどこから生まれているのか、生まれなくてはならないかについて、どんな合理性のある説明もできないのである。

 最後にいわなくてはならないのは、日本のリベラルマスコミといわれる朝日や毎日などの無定見と頽廃の深化である。

 彼らは15年の「合意」を絶対化し、「合意の意義を見失うな」などと叫んでいる。安倍の卑しさだけが目立っている、15年「合意」によっても、日韓の政府によっても、〝慰安婦〟問題一つさえ解決できないことがますます鮮明になっている、このときにである。

   

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