WPLLトップページ E-メール


労働の解放をめざす労働者党機関紙
海つばめ』

◆隔週日曜日発行/A3版2ページ
一部50円(税込み54円)

定期購読料(送料込み)1年分
  開封 2000円
  密封 2500円

ご希望の方には、見本紙を1ヶ月間無料送付いたします。

◆電子版(テキストファイル)
メールに添付して送付します

定期購読料1年分
 電子版のみ 300円

A3版とのセット購読
  開封 2200円
  密封 2700円

●お申し込みは、全国社研社または各支部・会員まで。
E-メールでのお申し込みもできます。



郵政民営化の中で何が起きているのか?
郵政労働者は告発する!

■民営化の嵐の中で最大の御用組合の登場――JPU臨時全国大会議案批判
■郵政民営化――今、職場では/郵政現場からの報告
■恐竜化か、リリパット化か――郵政民営化のジレンマ
■西川善文著『挑戦――日本郵政が目指すもの』/民営化に賭けるトップの本音


憲法改悪と
いかに闘うか?


■改憲に執念燃やす安倍――「国民の自主憲法」幻想を打ち破れ
■労働者は改憲策動といかに闘うか
■国民投票法をどう考えるか
■安倍の「美しい国」幻想――憲法改定にかける野望


本書は何よりも論戦の書であり、その刊行は日和見主義との闘いの一環である。
マルクスが『資本論』で書いていることの本当の意味と内容を知り、その理解を深めるうえでも、さらに『資本論』の解釈をめぐるいくつかの係争問題を解決するうえでも助けとなるだろう。


全国社研社刊、B6判271頁
定価2千円+税・送料290円
●お申し込みは、全国社研社
または各支部・会員まで。
E-メールでのお申し込みもできます。
「不破哲三の“唯物史観”と『資本論』曲解』(林 紘義著)」紹介(『海つばめ』第1048号)


全国社研社刊、B6判384頁
定価2千円+税・送料290円
●お申し込みは、全国社研社
または各支部・会員まで。
E-メールでのお申し込みもできます。
「天皇制を根底的に論じる『女帝もいらない 天皇制の廃絶を』(林 紘義著)」(『海つばめ』第989号)他

理論誌『プロメテウス』第54号
2010年10月(定価800円)

《特集》菅民主党のイデオロギーと“体質”
・神野直彦の思想と理論――菅直人のブレインは「曲学阿世の徒」
・原則なき寄せ集め政党――顕現するブルジョア的“体質”
反動的な「文化」の擁護に帰着――レヴィ=ストロースの「文化相対主義」批判


 
 
 教育のこれから
   「ゆとり」から「競争」
   そして「愛国教育」で
   いいのか
 林紘義 著 7月1日発売

  (全国社研社刊、定価2千円+税)
  お申し込みは、全国社研社
  または各支部・会員まで。
  メールでの申し込みも可能です。

まかり通る「偏向教育」、「つくる会」の策動、教育基本法改悪の動きの中で、“教育”とは何であり、いかに行われるべきかを、問いかける。  


 第一章  
教育基本法改悪案の出発点、
森の「教育改革策動」
 第二章  
破綻する「ゆとり」教育の幻想
 第三章  
“朝令暮改”の文科省、
「ゆとり」から「競争原理」へ
 第四章  
ペテンの検定制度と「つくる会」の教科書
 第五章  
歴史的評価なく詭弁とすりかえ
つくる会教科書(06年)の具体的検証
 第六章  
日の丸・君が代の強制と
石原都政の悪行の数々
 第七章  
憲法改悪の“露払い”、教基法改悪策動

●1331号 2018年7月15日
【一面トップ】挫折した野党共闘路線――志位共産党に19参院選勝利の展望なし
【1面サブ】参院選を闘う10名の面々――比例区2位は林紘義さん
【コラム】飛耳長目
【二面〈主張〉】トランプの保護主義――世界経済は危機と激動の時代へ
【二面トップ】(一面トップからの続き)
※『海つばめ』PDF版見本

挫折した野党共闘路線
志位共産党に19参院選勝利の展望なし

 共産党は、「政権倒したい人、共産党に入ってご一緒に」(赤旗7月6日)などと能天気な幻想を振りまいて浮かれているが、しかしむしろ安倍政権を「倒したい」すべての労働者、勤労者は、志位共産党に反対し、その野党共闘(野合)等々の〝戦術〟――戦術と呼べるような大それたものかどうかはさておくとして――を断固拒否することによってのみ、安倍政権を倒す道を切り開くことができることを確認しなくてはならない。

志位の野党共闘路線

 というのは、志位の野党共闘の方針は、安倍政権の延命を助け、昨年の総選挙における安倍自民党の圧勝への最大限の応援となったという事実を確認できるのである。

 つまり「共産党に入って」安倍政権を「倒す」云々が〝真逆〟であることは、昨年秋の総選挙の経験からも簡単に明らかにすることができるのである。

 志位が共産党の委員長に就任したのは区切りのいい2000年のことであったが、14年までの8回の国政選挙を闘いながら、国会議員を43人から14人にまで激減させてきた。後退は〝反共主義〟が猖獗を極めるからだといった説明に終始する、無能のゆえだったといえなくもない。

 ようやく反転の兆しが見えたのが、民主政権が3年続き、民主党のナンセンスと政治的無能が完全に明らかになり、民主党政権が安倍政権の反動政治に取って代わられた後とのことであって、「自共対決」を謳い、「唯一の革新」といった虚名を叫び始めてからであった。志位共産党は13年の参院選、14年の総選挙で議席を倍増させ、躍進の道を歩き始めたかであった。

 しかし志位は何を思ったのか、15年の安保法案(志位らが「戦争法案」と呼ぶ法案)に反対する闘いを通して、「自共対決」の道を投げ捨て、「野党共闘」路線にのめり込んでいく。

 安保法反対闘争における〝野党共闘〟の成功に酔いしれたのか、彼の本来の政治オンチや愚鈍さのせいか、日和見主義根性の発露か、幼稚なシールズの学生や市民主義者らの「野党共闘」という喚声や願望に応じようとしたのかの詮索はさておくとして、志位は突如として、安保法廃棄で一致する「野党共闘」と「国民連合政府」の路線を打ち出し、固執し始めて現在に至っている。

 彼の強調する「成功体験」は、安保法反対闘争における野党と市民派の「共闘」の発展であり、また翌年の参院選一人区における大きな成果であり(31の一人区で、野党が11の勝利をもぎ取った)、さらには野党共闘路線の破綻と敗北しか示していない、昨年総選挙の経験である。

 一体、志位の頭や神経や、事実を認知する能力はどうなっているのか。共産党の中央の官僚体制の中でのみ純粋培養され、スターリン主義のドグマと独断の世界の中で出世してきた志位は、生きた現実や、真実や、客観的な情況をも見通す目をどこかに置き忘れてきたのではないか。

「本物の」野党共闘は存在せず

 そもそも16参院選も17衆院選も、彼のいう「本当の野党共闘」など成立もしなければ、存在もしていなかったのであり、従ってその「成功体験」など語るすべもないのである。

 彼自身、この二つの経験は「特別の」ものであるというが、実際に、志位の期待する、相互的な共闘、ギブアンドテイクの〝相互利益的な〟ものではなく、一方的に、共産党が「ギブ」するようなものとしてしか、現実には存在しなかったのだが、果たしてこれは偶然のことだったのか。

 しかも19参院選に向けての野党共闘路線も、その実現の展望は全く見えていない。三度目の正直で成功するのでなく、三度目もまた失敗すると、我々は100%の確信を持って断言し得るのである。

 その意味では、志位の路線は失敗続きであり、最初から破綻して来たのである。

志位は盛んに、今後こそ「本物の」野党共闘を実現するというが、その内容とは、複数の〝野党〟――〝野党〟にも階級的な性格を始め、千差万別、色々あろうというものだが、志位にとっては、そんなことは大した問題ではない――が戦争法廃棄等々の個別の政治課題で一致し、政策協定を結び、それを掲げて選挙戦を闘い、勝利して政府を組織し、戦争法の廃棄等々を実現するといったものである。

 志位はこうした戦争法の廃棄等々の個別の政治課題が、「緊急にして、最も重要な課題である」からと強調するが、しかしすべての野党が、個々の課題をどう評価するかで必ずしも一致するとは限らないという、もっとも初歩的な議論を棚上げし、共産党にとって「緊急にして、最重要な課題」が必ずしも、他党にとってそうとは限らないという、単純な真実に目をつむるのである。

 恐るべき非現実的思考と独断と独りよがりである。こうした観念路線が、現実という硬い花崗岩にぶち当たって破砕されるしかないのは余りに明らかではないだろうか。

 16参院選の一人区で成功したといっても、志位の想定した野党間の政策協定もなく――個々の一人区では、政策協定らしきものは結ばれた場合はあったが、反対に、民進党などの組織が共産党の候補者にアレルギーを起こして支持と協力を拒む、香川県のような例さえあった――、客観的には、共産党の〝片思い〟で、一方的に奉仕し、貢ぐだけの野党共闘、志位のいうところの「特別な」形の野党共闘しか存在していなかった。

 野党共闘が「非常事態への対応」としてしか、「特例措置」としてしか存在し得ないというなら、それはとりもなおさず、野党共闘路線の非現実性を、空論性を暴露するのである。

 31のうち、11の一人区で勝利したといっても、民主党単独でほとんどの一人区で勝った参院選の年もあるのだから、それほど驚くことはない。

 それよりも、一人区だけでは一方通行の野党共闘、つまり〝対価〟なしで共産党が一方的に候補者を下ろす共闘はあったが、複数定数の選挙区では野党共闘の雰囲気さえなく、また比例区も野党はお互いに独自で闘ったのだから、野党共闘などといっても便宜的、ご都合主義的なものであって、とうていまともなもの、真剣なものとは考えられなかった。

 1人区で野党共闘でやるなら、なぜ2人区でもやらないのかという問いに、志位は答えなかったし、答える必要さえ感じていないようだった。

 2人区でも野党が分裂して闘ったら、与党を利する場合は当然いくらでもあり得るのだが、そんなことさえ志位が問題にしなかったということは、最初から志位の「本物の野党共闘」といった観念のいい加減さ、うさん臭さを暴露している。むしろ志位は彼の論理からするなら、野党共闘が一般的に行わなかったため、複数区の選挙区で、自民の議席をいくつも増やしてやったということを反省すべきではないのか。

 いずれにせよ、16参院選の一人区の「成功」体験といったものは神話であり、幻想であって、そんなものに浮かれていたからこそ、17総選挙において、志位の野党共闘路線、つまり野党野合路線は決定的に破綻し、敗北して安倍自民党の圧勝を助け、それに手を貸す結果にたどり着いたのではなかったか。

前原は裏切りにあらず、本性を暴露しただけ

 そもそも総選挙においても、最初から野党共闘の可能性さえなかった。

 民進党の代表に成り上がった前原は、野党共闘について語ったが、本気ではなく、まして志位の提起するような「本物の」の野党共闘など、最初から問題にしていなかった。仮に共産党との共闘があり得るとしても、共産党が一方的に候補者を下げる等々として協力するなら大目に見るといった程度の観念しか頭になかった。

 野党共闘の前提になる、戦争法の廃棄で、民進党の全体が賛成するはずもなく、また志位自身、憲法9条改定反対では「大体!?一致している。消費増税は今後の課題」などと発言したように、肝心の諸野党の政治的意思一致さえあやふやな状態であった。

 前原は一度として、志位の野党共闘に乗る発言はしたことはなく、ただ「理念政策の一致しないところとは(安易に、そしてコトが重要な場合には)組めない」と――これはその限り、まともで、有権者に誠実な政党なら、ある意味で正当な発言ではないのか――頑強に言い張るだけで、総選挙を前にして、前原が「裏切る」かどうかに関わりなく、野党共闘の可能性は絶望的に存在していなかったのが現実であった。

 民進党は全部の289の小選挙区に候補者を擁立する力もなく、そんな空白地は共産党に譲り、そんな形で「棲み分け」をして、共産党の応援を期待するといった程度の、虫のいい野党共闘なら認めるという立場が、前原の本心であった。

 彼はむしろ、保守勢力との〝共闘〟なら大いに乗り気であって――前原は安倍が解散・総選挙に打って出る直前、野党共闘らしきものに向けて策動し、自由党の小沢等々との会談をしたが、共産党は故意に無視していた――、だからこそ小池新党が、つまり希望の党が100人を超す候補者を擁立すると謳って派手に出現すると、たちまち希望の党との共闘、というより、民進党を割ってでも――うまく行くなら、丸抱えで――希望の党とくっつけることによって、安倍政権を打倒して権力の高みに達することを夢見たのである。

 そもそも民進党、とりわけ前原民進党との野党共闘によって、国民連合政府などを可能だと考える志位が愚昧であって、そんな幻想が現実の政治闘争の中で破綻するのは当然であった。

 志位は自分の愚鈍を前原のせいにして、「前原が裏切った」、だから野党共闘路線が崩壊したかにわめいたが、しかし前原は保守的、ブルジョア的政治家として、「裏切った」のではなく、自らの政治立場と政治信念に基づいて行動したのであって、そんな人物に賭けて、野党共闘を追求し、幻想に溺れた志位がアホだっただけである。

17総選挙の完敗と安倍の大勝

 志位は17総選挙までも、野党共闘路線の「成功体験」として持ち上げ、その戦術の継続を訴えるのだが、しかし「成功」の証拠として持ち出す数字はインチキなものばかりである。

 選挙前と後では、野党共闘の勢力――立憲民主党と共産党と社民党を合計した議席――は38から69に増えたというが、しかしそれは大あわてで新党を立ち上げた立憲民主党が15から55に増えたからであって、共産党が当初野党共闘と考えていた勢力との比較ではほぼ半減しており、共産党自身も21から12へと議席を減らしている。到底「成功体験」などといえる結果ではない。

 共産党が選挙前、野党共闘の相手と考えていた勢力の全体は数十人も縮小したのだから、しかも共産党自身も議席を半減させたのだから、志位は完敗とこそ総括すべきなのだが、一体大敗を勝利だと真実を偽って、どんな利益があるというのか。共産党にとってさえ何もないのである。

 そして野党共闘は辛うじて再建されたかにいうのだが、立憲民主党は相変わらず、共産党との野党共闘を以前よりも断固として拒否しており、19参院選に向けても野党共闘に乗り気ではないのだから、17総選挙が野党共闘の失敗であり、挫折の証拠ではあっても、その「成功体験」であるはずもないのである。

 そもそも総選挙における立憲民主党との野党共闘などどこにも存在せず、野党共闘の完全な瓦解に恐怖した共産党が、大あわてで、無条件かつ一方的に、立憲民主党の立候補した67の小選挙区で候補者を下ろしたにすぎないが、これは志位の野党共闘のやり方ではなく、民進党のいっていた形の野党共闘である。志位は自分の野党共闘路線の完璧な破産と失敗を覆い隠すためにも、彼にとっては無原則で、筋違いの野党共闘で間に合わせるしかなかったのである。

 しかし志位は17総選挙の経験まで、野党共闘路線の「成功経験」として語ることを止めないのである、来年の参院選もまた、その戦術で安倍自民党に勝つというのだが、我々は志位路線で闘えば、19参院選もまた安倍自民党の勝利に終わるしかないと断言する。

 16参院選の時も17総選挙の時も、そもそも選挙の直前になっても、野党共闘はどこにも存在していなかったし、また存在する展望さえもなかったのである。

 17総選挙の時には、追い詰められた志位は67もの小選挙区――立憲民主党にとってだけでなく、共産党にとっても、有力で、共産党の得票率の比較的高い小選挙区、比例区票を増やすためにも重要な小選挙区制――の候補者を無条件で、大急ぎで下ろし、そんな野党全体にとって利益である、奉仕的行動で、立憲民主党の議席増に貢献すると共に、共産党自身の比例区票の増加も達成するという皮算用にふけったが、そんな志位の浅知恵は政治の世界では通用せず、善意の共産党は比例区でも600万から160万もの票を減らし、850万を目標として440万しか得られないという完敗を喫したのである。

 そんな結果だったにもかかわらず、志位はまだ偽りの野党共闘という路線に固執するというのである。自ら破滅の淵に向かって疾走するというなら、そんな党を止める者は誰もいないだろうから、好きなように破滅に向かって突進すればいい。

 志位自身、これまでの2回の野党共闘の試みはまともなものとしては存在しなかった、特殊で、特別のものとであったというしかないのである。相互的で、信頼できるギブアンドテイクの関係ではなく、ただ一方的に共産党がギブしただけであった、そんな一方的に共産党が犠牲を払うだけの野党共闘はまともでも、正常でもない、今度こそは「本物の」野党共闘で闘うべきだというのだが、少なくとも19参院選まで1年になっても、志位のいうまともで〝本気の〟野党共闘といったものは、どこにも存在しないし、する雰囲気も全くない。

 もし野党共闘が、一方的なものとしてしか存在し得ないとするなら、志位の「本物の」野党共闘といったものは、ただ志位の頭の中にだけ存在する、一種の幻影、蜃気楼のようなものにすぎない。そんなものに頼って、志位は労働者・働く者のために、一体どんな〝政治闘争〟をするというのか、できるのか。冗談も大概にすべきであろう。

共産党もまた自党ファースト

 志位は立憲民主党や社民党との選挙協定によって、お互いにフィフティ・フィフティの関係を、選挙区の割り振りを要求するのである。

 例えば、彼は野党統一候補の政党ごとの配分は、「直近の国政選挙の比例票が一つの目安になる」という。

 17総選挙の比例票は、立憲民主党が1100万票、共産党が440万票、社民党が100万票である。こうした得票数に比例して、19参院選の一人区31の各党の配分を計算すると、立憲民主党は21、共産党は8、社民党は2ということになる。

 しかしこうした選挙区配分が立憲民主党を納得させることは難しいだろう、というのは、立憲民主党が立候補して勝つ場合は、共産党が立候補して勝つ場合に比べて圧倒的に多いだろうからである。

 例えば、16参院選のとき、香川選挙区から唯一、共産党が割り当てられて候補者として立候補した。しかしこのとき、香川の民進党勢力が共産党を推して闘うことを拒否したこともあって、共産党候補は惨敗したが、もし民進党候補者だったら勝つ可能性があったといえたのである。

 だから野党全体の利益からするなら、一人区で勝つには、その選挙区で最大の得票数の可能性のある野党の候補者を立てるという戦術が正しいということになるのであって、そうしたら共産党の候補者が野党全体の共闘候補として推される場合はあっても8ではなく、よくて1、2であり、まして社民党は2ではなくゼロであろう。

 だから志位がしたり顔をして、野党全体のために一人区で野党共闘を謳っても、少しも野党全体の利益にはならないのである。共産党が野党全体の利益を考えるなら、31の一人区に大急ぎで候補者を立てて、「共産党の候補者は一方的に下ろさない」などと他党に迫るのは、まさに厚かましい自党ファーストの利敵行為にならないのか。

 16参院選や17衆院選でやったように、野党全体の当選者を1人でも多く増やすために、極端にいえば、すべからず、すべての選挙区で立候補を止めればいいという結論になるだけである。

 それが共産党のためでないというなら、共産党もまた自党の利益のためだけに野党共闘を謳っているというだけのことであって、野党共闘に乗ってこない旧民進党や立憲民主党は自党本位、自党ファーストであって、野党全体の議席増のために協調しないなどと非難することはできないのである。

 19参院選に向けて、志位は「野党共闘でなくては安倍政権に勝てない」と絶叫している。

 まさに、自ら先頭に立って闘わずして、勝つことを願望する、超日和見主義というしかない。

 しかし仮に野党共闘が成立しても一人区の31議席だけの問題であり、残りの100議席ほどは諸政党間の原則的な、厳しい、真剣な政治的闘いによってのみ決まるのである。

 志位のいうことは、ただこうした事実を指摘するだけでも、つまらないナンセンスであることが、政治的休戦主義であり、安倍政権に対する妥協主義、屈服主義であることが明らかになる。

 19参院選もまた諸階級政党間の原則的で、非妥協的な政治闘争として展開されるのであって、いくつかの安倍政権に反対する政党は、それぞれ自らの信念や政策や路線でもって、それぞれ最大限の力を発揮して自主的に闘い、――具体的な情勢の下では、具体的に協調や共闘する場合は、当然あり得るとしても――、別個に進んで、安倍政権を倒せばいいのであって、それこそが安倍政権打倒の最も効果的で、最短の道である。

 そして我が労働者党は、その先頭に立って、最後まで安倍政権の打倒のために、愚昧な共産党などとは区別される、独自の、自主的な闘いを闘うのであり、闘い抜かなくてはならないのである。

   

【1面サブ】

参院選を闘う10名の面々
比例区2位は林紘義さん

 林さんの自慢は〝若さ〟。身体的機能を測定すると実年齢よりも4、50年も下の数字が出るとか。今でも家の近くで、2日に一度の割りで、約5キロのランニングを欠かさない。タイムは22分位だと周りの者に吹聴している。

 林さんの身体的若さは、強靭な精神に裏打ちされているのかもしれない。経歴からも明らかなように、学生時代、19歳の時に労働者解放運動に目覚めて以来、約60年、一途にその理想実現に向って闘ってきた。

 林さんは、不正や理不尽なことが何よりも嫌いで、頑固なまでにそれを追及する。今の国会を見れば、共産や立憲民主など働く者の党などと見せ掛けながら、実際には腐敗した安倍自民など資本の勢力に屈従し、なれ合っている。林さんの憤怒と闘いへの意思は強烈である。(T)

【林 紘義 略歴】

1938年、長野県上田市に生まれる。同県伊那谷出身。教師の父の異動に伴い、伊那谷の各地に転校、転居を繰り返す。

 小学校は下伊那の市田小(現高森小)、下条小、会地小〔現、阿智小〕、中学校は会地中、上伊那美篶中(現、伊那市)、高校は珍しく転校なく3年間、伊那北高(当時、男子高)。3000メートルの雄大壮麗な西駒ヶ岳山麓にその性格を養う。

 1958~60年 自治会役員及び東京都学連執行委員として「勤評反対闘争」、「60年安保闘争」を闘う。2回拘留され、起訴、有罪判決を受ける。

 以降、一貫して『社共』にも『新左翼』諸派にも批判的な、独自の社会主義路線を歩む。

 1984年 社労党結成に参加。労働者の階級的立場と政治を訴えて国政選挙に組織候補として数回立候補するも、力足らずしていずれも落選。

 2002年 社労党の解散とマルクス主義同志会への移行とともにその会員。

 2017年春 マルクス主義同志会の「労働の解放をめざす労働者党」(略称、労働者党)への発展的解消に伴い、同党代表委員会議長。

 同年10月、神奈川11区の衆院選を陣頭にて闘う。


【飛耳長目】

★志位は今年初め、大学インテリで、全国革新懇の代表幹事の石川某と対談した。そして石川から、今の野党と市民との「共闘の特徴」や市民の活動の意義を説かれると嬉しそうに同意し、「1960年の安保闘争とよく比較されますが、その時とも違って、1人ひとりの市民が自分意思で自発的に立ち上がっている」ともったいぶって語っている★ばかげた、事実とも違った歴史評価である。60年前の安保闘争は労働組合や学生団体や社会党などが共闘態勢をとって闘われた運動であって、そもそも「市民」を自称するインテリなど、安保闘争の最後の段階で、岸が強引に安保改定を強行採択したのに反発し、ピント外れの「民主主義を守れ」など旗印にでしゃばってきただけだ★当時、労働者は政治ストさえ試みたし、学生も共産主義者同盟などの急進的政治組織の下、ゼネストなどの戦術で参加したのであって、今どきの甘ったるい学生とは全く別の人種だった★志位は戦争法などで、インテリや幼稚な学生らが共産党の尻馬に乗って派手に振る舞うと、何か志位路線が成功したかに浮かれるのだが、自らが彼らのプチブル的立場にまで後退しているのを自覚しない★かつての労働者や学生の闘いもまた、当時の革新政党(社共)の影響を脱し得なかったとしても、少なくとも自分たちの政治的立場を市民派の空虚な立場に対置し、市民派を鋭く批判した。(鵬)

   

【主張】

トランプの保護主義
世界経済は危機と激動の時代へ

 トランプは巨額の貿易赤字を口実に、高率の輸入関税という「経済制裁」を中国に課すという。

 最初の経済制裁はハイテク商品を中心に中国からの輸入品500億ドルに25%課税するというものだが、それはすでに一部(340億ドル、3・8兆円分)、7月6日に実行された。

 それに反発して中国が対抗政策を打ち出すや、トランプは10日、第2弾の経済制裁を発表、今度は2000億ドル(22兆円)分の消費商品を中心に、10%の輸入関税を持ち出した。

 中国も同程度の輸入関税で対抗すると反発し、米中の貿易戦争は一気に炎上する気配である。まるで子供の喧嘩にも似たトランプと習近平の争いで、本人らはゲームか「ディール」感覚か知らないが、その持つ客観的な意味は決して小さくない。

 高い関税で、自国産業を保護する政策は、後進国家は別とすれば、資本主義の帝国主義段階――大資本の自国本位の政治や政策がはびこる時代――に特徴的だが、トランプの保護主義はその露骨なことと、衝動的な性格で際だっている。

 彼は米国全体のことも、保護主義がかえって米経済を毒し、結局は一層米国の衰退や没落に拍車をかけることも知らないのであり、中国や世界がトランプの保護主義に反発しないだろうとさえ思い込むことができるのである、というのは、トランプは不正な貿易不均衡、つまり外国による米国の搾取に反対している正義の士だからである。

 彼は米国の継続的で、大きな貿易赤字を、外国による米国の詐取と混同するのだが、実際には、それは米国の通貨覇権(ドル支配)を利用した、世界の搾取を意味することに無知なだけであり、そうした幼稚な錯誤に基づいて、貿易戦争に邁進するのである。

 もちろん米中の保護主義合戦が拡大していくなら、世界経済は萎縮し、経済不況や信用破綻や、大恐慌さえも呼び込みかねない、というのは、世界の中ではすでに過剰生産や信用膨張は十分に危機的水準に達していて、いつ爆発してもおかしくないからである。

 自由で、開けた市場経済は世界中の人類にとって大きな利益であり、資本主義の発展と進化の決定的な契機であり、推進力であった。商品経済が世界を結びつけたのは、人々が単に手に入らないものを欲したからでなく、同じものでも、最も安価に入手できることを知ったからである。

 鉄鋼輸入に25%の関税を課せば国内の鉄工業の保護になるかも知れないが、しかし鉄鋼を消費する、他のすべての産業や人々にとっては高い鉄鋼を利用しなければならなくなり、大きな損害である。

 鉄鋼製品は25%、高い価格で買われなくてはならないが、国内の製鉄産業がそんな価格でもやっていけないなら、やはり外国から鉄鋼製品が輸入されるが、しかし今度は、それは従来よりも25%もの高価格で入手し得るにすぎない。

 鉄鋼産業以外のすべての産業や国民全体にマイナスである保護主義が米国の利益でないことは明らかだが、トランプは「職だ、職だ」と叫び、後先考えず、そんな政策に突撃するのである。

 トランプは労働者の雇用確保を呼号し、優先させるが、ただ後ろ向きに経済を囲い込み、外部に向かって閉ざすことによって、それを可能にしようというが、それは実際には米国経済の衰退や寄生化を深め、加速させるだけで、結局は労働者の職をも損ない、彼らを出口のない行き詰まりと絶望に、そしてファシストの手中に追いやるのである。

   

ページTOP