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労働の解放をめざす労働者党機関紙
海つばめ』

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郵政民営化の中で何が起きているのか?
郵政労働者は告発する!

■民営化の嵐の中で最大の御用組合の登場――JPU臨時全国大会議案批判
■郵政民営化――今、職場では/郵政現場からの報告
■恐竜化か、リリパット化か――郵政民営化のジレンマ
■西川善文著『挑戦――日本郵政が目指すもの』/民営化に賭けるトップの本音


憲法改悪と
いかに闘うか?


■改憲に執念燃やす安倍――「国民の自主憲法」幻想を打ち破れ
■労働者は改憲策動といかに闘うか
■国民投票法をどう考えるか
■安倍の「美しい国」幻想――憲法改定にかける野望


本書は何よりも論戦の書であり、その刊行は日和見主義との闘いの一環である。
マルクスが『資本論』で書いていることの本当の意味と内容を知り、その理解を深めるうえでも、さらに『資本論』の解釈をめぐるいくつかの係争問題を解決するうえでも助けとなるだろう。


全国社研社刊、B6判271頁
定価2千円+税・送料290円
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「不破哲三の“唯物史観”と『資本論』曲解』(林 紘義著)」紹介(『海つばめ』第1048号)


全国社研社刊、B6判384頁
定価2千円+税・送料290円
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「天皇制を根底的に論じる『女帝もいらない 天皇制の廃絶を』(林 紘義著)」(『海つばめ』第989号)他

理論誌『プロメテウス』第54号
2010年10月(定価800円)

《特集》菅民主党のイデオロギーと“体質”
・神野直彦の思想と理論――菅直人のブレインは「曲学阿世の徒」
・原則なき寄せ集め政党――顕現するブルジョア的“体質”
反動的な「文化」の擁護に帰着――レヴィ=ストロースの「文化相対主義」批判


 
 
 教育のこれから
   「ゆとり」から「競争」
   そして「愛国教育」で
   いいのか
 林紘義 著 7月1日発売

  (全国社研社刊、定価2千円+税)
  お申し込みは、全国社研社
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  メールでの申し込みも可能です。

まかり通る「偏向教育」、「つくる会」の策動、教育基本法改悪の動きの中で、“教育”とは何であり、いかに行われるべきかを、問いかける。  


 第一章  
教育基本法改悪案の出発点、
森の「教育改革策動」
 第二章  
破綻する「ゆとり」教育の幻想
 第三章  
“朝令暮改”の文科省、
「ゆとり」から「競争原理」へ
 第四章  
ペテンの検定制度と「つくる会」の教科書
 第五章  
歴史的評価なく詭弁とすりかえ
つくる会教科書(06年)の具体的検証
 第六章  
日の丸・君が代の強制と
石原都政の悪行の数々
 第七章  
憲法改悪の“露払い”、教基法改悪策動

●1333号 2018年8月12日
【一面トップ】金融麻痺と財政崩壊へ――失敗したアベノミクスの決算書
【1面サブ】参院選を闘う10名の面々④――広島選挙区の泉安政さん
【コラム】飛耳長目
【二面〈主張〉】沖縄翁長知事の急逝――沖縄の政治闘争の転機とせよ
【二面トップ】我々の闘いに対するいくつかの読者の質問疑問に応えて

※『海つばめ』PDF版見本

金融麻痺と財政崩壊へ
失敗したアベノミクスの決算書

 詳しくはまた論じるとして、日銀はその金融政策を約22ヶ月ぶりに「修正」し、金融緩和の強化だといいながらも、長期金利の変動──わずかの、形だけの──を認めるとか、年々6兆円もの株の購買のやり方を変えるとか──6兆円の規模は同じというのだから、実質の変化でも大した変化でもないのは見え見えである──、言い始めた。歴史的に大きな意義を持つ、その意味を検討する。

異次元金融緩和の失敗を自認したも同然

 重点が大規模な金融緩和の継続か、その修正かはっきりしないような路線変更だが、自ら失敗を認めながらも、その政策を根底から否定し、修正できないで、惰性的に、これまでの金融緩和政策の根底を維持しようというものでしかなく、黒田日銀の就任以来の政策の破綻を前に、それを継続するしかない、という開き直りである。

 とするなら、黒田の今回の「修正」は、近い将来、財政や経済の崩壊や、労働者・働く者の生活の破壊をもたらす、無責任で、許し難い政策選択でしかない。

 就任以来2年で実現するとした、「異次元の」金融緩和による2%の物価上昇とデフレ脱却が、すでに5年すぎても実現しなかったばかりか、その実現に「従来考えていたより時間がかかる」のでまた修正するというのである。黒田のいうところでは、最低22年までもかかるような口ぶりだとするなら、黒田の金融緩和なるものは──したがってまたアベノミクスもまた──現実に完全に失敗したという告白であり、宣言みたいなものである。

 実際、これが失敗でないとするなら、どんな経済政策の失敗もないだろう。

 そもそも2%の物価上昇──人為的に、巧みに、〝政策的に〟引き起こされる矮小なインフレ、最初から可能性ゼロのような、頭の中でのみ考えられたようなえせ政策──によって〝デフレ〟なる妖怪が一掃、克服され、「経済成長」なるものが可能になり、経済のすべてがうまく回るなどというのは、いくつかの仮定や臆測や幻想を織り込んだ空文句以上ではなく、仮に実現したとしても本来のインフレの引き金になるしかないような虚構の政策でしかなかったのである。

 また日銀が輪転機を急速回転させ、日銀券を銀行や企業に大量に流し込んだとしても、実際に流通過程に入り込み、溢れ出なければ、インフレなどやってくるはずもない。

 インフレはまた、政府や国家に対する強い権威と信頼が残っていれば――残っている限り――、簡単にはやってこないのだが、安倍政権は2%といった擬似インフレの幻想によって強い、安定した政府を演出したのだから、矛盾と混乱そのもので、簡単にインフレなど作り出せるはずもなかったのである。

 きっちり2%のインフレなどを、経済政策で作り出せるなどと考えたこと自体、経済成長、金融政策の万能を信じる、現代のブルジョアやケインズ主義派の愚劣な幻想でしかなく、最初からナンセンスであり、破産を運命づけられていたといえるのである。

「副作用」の顕在化に戦々恐々 

 結果として黒田日銀の金融緩和は、単に金融とその機能や運動の麻痺と無用化をもたらし、加速しただけでなく、安倍政権の経済政策、とりわけ借金による財政膨張政策、バラまき政治を可能にしたという意義しか持たなかったのだが、今や安倍政権のこうした政治的本性はますます明らかになっている。

 ひと言でいって、黒田日銀はそんな安倍政権のためにのみ犬馬の労を取って金融緩和を継続し、ますます大規模に行ってきたということである。黒田日銀にとっては、たった2%のインフレもやってこなかった方がむしろ好都合だったといえる、あるいは統計をごまかしまでしてもインフレを隠蔽した方がよかったということである。

 今や安倍も黒田も、〝大規模な〟金融緩和とその「副作用」の拡大や顕在化に戦々恐々とし、その継続に自信が持てなくなり、といってそれを止めることも恐ろしくてできず──なぜなら、それをやめるといった途端、激しい金融恐慌を惹起し、その引き金になりかねないから──、今や完璧な実践的ジレンマと行き止まりに行きつき、立ち往生するしかない情況に追い込まれている。

 彼らは何らかの金融恐慌等々が不可避であり、それによって、人為的に、そして歪んだ形で膨張した信用──日銀に累積した巨額の債務に代表され、象徴されているような──を一掃し、何らかの〝解決〟をもたらさなくてはならないことは自覚する、しかし彼らには、そんな現実を受け入れる自信も勇気も全く持ち合わせていないのである。

 金融恐慌も仮に1年、2年たてば解決し、終了するかも知れない、しかし安倍も黒田も、そんな危険を冒す勇気もなければ、そんな1,2年間を耐えることも、無傷で切り抜けることもできないのは明らかである、というのは、彼らは労働者・働く者に、国民の全体に、アベノミクスや金融の際限のない量的緩和を実行していけば──黒田は現在にいたっても、「金融緩和には限界がない」などと強がりをいっているが──、経済の黄金時代が来ると強調し、ブルジョア経済の深い矛盾や困難が存在しないかの幻想だけを振りまいてきたからであり、そんな金融破綻などがやってきたら、仮にそれが一時的なものであっても、政権が持たないのは明らかであろう。

 黒田日銀が、金融緩和政策の修正を謳わざるを得なくなったのは、ブルジョアの一部──とりわけ銀行資本等々──に、それに反対する強固な勢力が生まれ、アベノミクスに対する強い反発がふくらみ始めているからで、中途半端な金融緩和修正は、彼らを納得させ得ないのはもちろん、その不満と抵抗をさらに大きくするだけである。

 他方、投資資本家や株価上昇を求めて止まない勢力──産業資本家や賭博的資本家等を含めて──や、安倍一派やリフレ派は、大規模な金融緩和や財政膨張の継続を、拡大さえも求めて〝修正〟や微調整にさえ反対し、さらに策動を強める気配である。

 黒田の金融緩和政策の「修正」は、それが見掛けだけの〝微調整〟、小手先だけの見かけ倒しだとしても、その持つ意味は決して小さくはない、つまりアベノミクスと〝異次元の〟金融緩和政策の破綻の始まりであり、それを教えるものだからである。

次に来るものはギリシャ的経済崩壊か

 黒田の異次元の金融緩和によって唯一、実際的な意義を持ち得たのは、無制約の超緩和によって、ゼロ金利、マイナス金利といった低金利を可能にし、実現したこと、そのことによって正常で、健全な金融関係を破壊し、解体すると共に、より高い金利を求めて外国に津波のように押し寄せる大量な通貨を、従ってまた膨大な貸付資本を、〝融資〟を生みだし、作り出したこと、そんなやり方で、円安を演出し得たということである。黒田日銀は、その限り、今や全世界のブルジョア達がこぞって手を染めつつある為替戦争の、通貨切り下げ競争の口火を切ったのであり、トランプによって攻撃される立派な資格を獲得したのである。

 トランプは今や黒田が切り開いた道を堂々と進撃し、日本や中国の通貨切り下げ策動を暴露し、非難しつつ、まさに為替戦争の先頭に立つのであり、立つことが出来るのだが、それは世界的規模での、ブルジョア的世界の全体を巻き込んだ経済戦争――貿易戦争、為替戦争、ブロック経済化(世界経済の分裂)等々――であり、従ってまた諸強国による帝国主義的な野望と闘いの時代の幕開けである。

   

【1面サブ】

参院選を闘う10名の面々④
広島選挙区の泉安政さん

 泉さんは、この酷暑の中で文字通り〝額に汗して〟働く、現場の建設労働者です。

 若い頃はNHKの技術屋さんだったそうです。辞めた理由は、科学や技術の進歩は人間を富ませるものだと信じて疑わなかったのに、当時興隆してきたコンピュータ技術が、働く者の仕事を奪ったり、労働を無内容化してしまうことに非常にショックを受けたからだと言います。

 泉さんは、「学生時代に『共産党宣言』を読みかけたが、その第一行、すべてこれまでの社会の歴史は階級闘争の歴史である、がまったく分からなかった」と、よく学習会などで自己紹介をします。社会変革をめざす時に、はじめてマルクスの言葉が分かったのでしょう。「資本論を読む会」では、それこそいろいろな質問に丁寧に答えています。

 泉さんは、安倍自民党がのさばり続ける、今の閉塞状況を打ち破ることは、労働者党にしかできないといって、立候補を決意しました。

 いろいろなアルバイトも経験してきたそうです。資本の搾取に喘ぐ底辺の労働者への熱い連帯の気持ちは、誰にも負けないものがあることを私は知っています。その熱い思いが労働者・働く者の心をつかみ取ってくれると信じて、共に闘います。(S)

【泉 安政 略歴】

 1953年、大分県別府市生まれ。3歳の時に鳥取県米子市に転居。

 73年、米子工専卒業。同年、日本放送協会(NHK)に技術職として入局。73年から4年間広島放送局に在籍。77年、山口放送局に転出。労組分会の情宣部長などを担う。80年、NHKを退職。労働者党の前身、マルクス主義労働者同盟の選挙闘争に協力。同年、新たな労働者党建設をめざし広島に戻る。86年以降、零細企業で型枠大工として働く。

 90年代、地域で「日の丸・君が代」の強制に反対する運動や資本論の学習会などに取り組む。

 現在は、党広島支部長のかたわら、「広島・資本論を読む会」のチューターを務める。


【飛耳長目】

★皇室の面々は観光旅行か、センチメンタルジャーニーか何かは知らないが、〝帝位〟にある間にと北海道の利尻島やらに出かける、いい気の天皇を先頭に、皇太子夫妻は甲子園に熱戦観戦と優雅に遊び回っている。たかが若年の幼稚な一女性を「真子様」などと呼ぶのは国民差別の最たるもので、止めるべきとの我々の批判も無視されたが、彼女の幼稚な恋愛騒ぎは我々の正当性を明らかにした★皇室と野球の関係を反省するなら、高校野球観戦などと皇室の連中が浮かれていることを、我々真の野球愛好家は許すことができない。戦前や戦争中、敵性スポーツとして野球用語をおかしな日本語に置き換え、強要しただけでなく、野球そのものを禁止し、また沢村を始めとする野球人や多くの野球を愛好する青年を無意味な帝国主義戦争に駆り立て、死に至らしめたことにも、天皇一家は責任を負っている★一九三〇年代、天皇制軍国主義の策動が勢いを増しつつあった時代、長野県の教育界に、「競技スポーツ」──野球やサッカー等々──を否定し、国家スポーツを称揚し、置き換えようとした、中堅教師らをリーダーとする草の根運動のような動きがあり、自由主義的勢力と対抗した。我々の親の世代の話である★国民の象徴どころか、国民差別の象徴でしかない天皇制を、何か神聖で、「犯すべからざる」権威として持ち上げ、絶対化することの危険を考えよ。(鵬)

   

【主張】

沖縄翁長知事の急逝
沖縄の政治闘争の転機とせよ

 翁長知事が急逝した。米軍普天間の名護市辺野古への基地移転に反対する、安倍政権との厳しい政治闘争の真っ最中のことで、知事の無念さは想像に難くない。

 県民の基地反対闘争は、発展する、もしくは牢固とし沖縄に根を張る、同盟した日米の帝国主義勢力との闘いであった。相手はまさにブルジョア的帝国主義の勢力だった、というのは世界の、基地王国の沖縄を重視し、支配下に置いてきたのは、とりわけ米国大資本の世界的覇権をめざす帝国主義であり、〝金銭づくの〟帝国主義勢力だったからである。

 この勢力はますます強大化し、活性化しつつ、中国やロシアの帝国主義勢力とも今、対峙し、対決しつつあるのであって、南北朝鮮の融和や接近の兆しを持ち出して、知事や共産党のように、「沖縄の基地負担軽減に逆行しているばかりでなく、アジアの緊張緩和の流れにも逆行している」といった評価を与えるのは、根底から間違っている。

 知事の闘いのエネルギーは、「オール沖縄」のスローガンや政治的立場に象徴されるように、基地負担の大部分を沖縄に背負わせて省みない、「本土」の無関心や利己主義に対するぬきがたい不信感であり、怒りでさえある。

 それが沖縄県民に対する、ヤマトンチューの〝差別意識〟から来るのか、東アジアにおける中国やロシア等々との帝国主義的闘争における、沖縄の地理的な位置から来るのかはさておくとして、沖縄は、1945年までの日本の天皇制軍国主義の時代においても、日本帝国主義の最前線の基地の島として、また日本の防衛における要の島として、やはり基地の島であったのであって、沖縄で激戦を戦い抜き、さらに太平洋戦争に勝利した米国は、沖縄をアジアに対してにらみを利かせ、覇権を維持する基地として位置づけ、維持してきた。

 基地負担は本土も平等にという翁長知事のスローガンは、感情的にはともかく政治的には全くナンセンスであり、ブルジョア帝国主義が発展する資本の世界の中で、そんな野蛮な世界から切り離された、基地も戦争もない平和日本を夢想する、プチブル的な願望であって、世界の、そして日本の大資本勢力の軍国主義、帝国主義そのものに反対する、労働者の立場とは大きく異なり、隔たっている。

 沖縄の労働者の軍国主義、帝国主義に反対する立場は、日本の労働者全体の立場と同じであり、またそうでなくてはならないのであって、沖縄の労働者もまた日本全国の労働者に留まらず、世界の労働者とさえ連帯してこの戦いを闘い抜き、それを世界から一掃することを考え、追求しなくてはならないのである。

 保守やブルジョア勢力までかかえ込んだ「オール沖縄」の闘いは、平和のための闘い、基地反対の闘いさえ最後まで貫徹し得ないのであって、それは資本主義社会、階級社会という、厳しい現実から出発しないで、頭の中だけで平和や基地の一掃を夢想する闘いの限界である。

 沖縄はすでに米軍だけの基地の島でなく、日本の軍隊の基地の島でもあって、中国らを〝仮想敵〟とした「離島防衛」がかしましく論じられ、自衛隊が沖縄の隅々まで配置されつつある。

 今こそ沖縄においても、民族主義的、〝県民主義的〟闘いではなく──そんな立場は結局はブルジョア勢力、帝国主義勢力とさえ協調するのであり、そこに行きつく──、米国と結合する、日本の軍拡主義、帝国主義勢力に反対する、労働者の国際主義に立った、階級的な闘いが開始されなくてはならないときである。

   

我々の闘いに対するいくつかの読者の質問疑問に応えて

 我々の選挙闘争が開始され、広がっていく中で、『海つばめ』の読者や我々の働きかける人々の中に、我々の闘いや〝戦術〟に対する批判や反対の意見が出され、支援やカンパなどに二の足を踏む人々も少なからずいます。それはまた、我々の党内でこの間出されてきた批判や疑問に、また消極的もしくは否定的立場にダブるところが多々あります。それらのいくつかに触れ、我々の観点について語りたいと思います。

選挙闘争参加の意義が分からない

 まず最初のものは、全国(比例区)でも2%100万票を集めるのは「至難」である、出馬していくらかの票を集めたとしても、政治運動としてどれだけの意義があるかも分からない、また仮に1人だけ当選しても、その後、何をどのように実践して行くのかも見えてこない、といったものです。

 2%は不可能だと断定されますが、本当でしょうか。

 まずいいたいのは、我々が支持を集めるのは1億人の有権者に対する100万人の支持であって、投票者の中の100万人ではないということです。同じことではないかといわれますが、100人のうちから1人の支持を獲得することと、50人のうちから1人の支持を獲得することは違います。

我々はとりあえず、有権者のわずか1%100万の支持を目ざすのであって、過半数はもちろん、20%、10%の得票を目ざすのではありません。

 それに100万という数字は1億と違うのであって、仮に小さな労働者党であっても、〝票読み〟が全くできないほどの恐ろしい数字ではありません。

 例えば100人が100の後援会を組織し、それぞれの後援会の100人が労働者党と候補者に投票する100の人を読めれば可能になる数字でしかないのです。もちろん100の3乗でなくても、100×100×10(もしくは20、30)の任意の組み合わせでもいいのですが──そうすれば、我々が「読める」確定票は100万でなく、20万、30万となります──、確定票が30万位になれば、我々の闘いにも勢いがついてきたということでもあり、当選は見えてきます。

 我々の過去の選挙でも、比例区もしくは全国区で15万ほどを得ている例は2度ほどありますが(1986年と1989年──後者は、社会党の委員長だった〝おたかさん〟(土井たか子)が消費税に反対して、「やるっきゃない!」と絶叫して、2000万票もかっさらった、社会党最後の輝きとなった選挙──のことです。バブル時代の末期、そしてソ連邦と世界の共産党が激動し、解体していった時代です)、いろいろその選挙のときの諸条件や我々の主張や闘い方などを評価、分析して、そのうちの10万くらいは我々のいわゆる〝基礎票〟と見られます。 それにかつてのミニ政党が何十となく参加した時代と比べて、今はそのほとんどが淘汰されていなくなり、また労働者の政党と自他共に労働者の党と見なされていた社会党はすでになく、共産党もすでに自ら労働者の党を名のることなく、国民や市民の党を自称する体たらくですから、その点でも労働者の党としての我々の必然的な登場は新鮮であり、大いに労働者・働く者の関心をひき、自然な共鳴を得られる可能性があります。

仮に1人だけの労働者党議員でもできることはいくらでも

 労働者党の議員が1人くらい生まれても何ができるかといわれますが、しかし私たちは1人の議員の当選のために闘うのではなく、10人の候補者全員の当選のために闘います。しかし選挙区では最低十数%の得票が必要ですから(東京の6が選挙区の最大定員)、選挙区では困難で、我々はまず比例区2%で議席を目指さざるを得ないのです。 比例区で100万でなく、200万の得票になれば、もちろん2名の当選です。そして私たちは2名といわず、5名、10名と、選挙の度に議席を増やしていくつもりで、1名に留まると決して思っていません。労働者党はいったん突破口が切り開かれれば、選挙を何回か繰り返すなら、その一貫した、断固たる階級的な政治や政策によって広汎な労働者・働く者の支持を獲得して、たちまち数名、あるいは数十名の議員団を持つことさえ可能です。

 少数の議員でも何ができるといわれますが、少数政党の、例えば比例区得票100万の社民党がやっていること、できていること位は簡単に、最低できますし、政治情勢やその諸条件によっては、たちまち社民党以上の重要な、ある場合には決定的に重要な役割さえ果たし得るでしょう。しっかりした信念と誠実さを有し、原則的であり、労働者・働く者の立場に一貫して忠実に活動することを決意している、我々労働者党の仲間が、1人にして百人力の力を発揮しないと、どうしていえるのでしょうか、彼もしくが彼らが汚濁に満ち満ちた腐敗国会の清掃の先頭に立たないなどと言うことがあり得るでしょうか。

何のためのカネ集めか

 そんなカネがあるなら、地道に活動し、組織を建設すべきだ、選挙に使うカネは無駄金だともいわれています。

 我々が今カネ集めに一心不乱になるのは、少数政党、労働者政党を閉め出そうとしてブルジョア政党、多数派政党が卑しい動機やエゴイズムに基づき、また民主主義の精神を踏みにじって障碍としておいた、巨額な供託金という壁を突破し、ブルジョア政党、腐敗政党らの国会占拠を打破するためであり、その闘いのためにカネ集めに精力を注ぐのであって、組織建設のために金集めだというのではカネ集めの筋が立たず、趣旨がちがいます。またそんな理由で何千万のカネは集まらないし、集める気もありません。

 我々は安倍政権や自民党や、諸々のブルジョア政党、プチブル政党との公然たる闘いを欲するから、またそのために不可欠だから──腹が減っては戦ができないという言葉もありますが──、カネ集めにも心を砕くのです、砕かざるを得ないのです。

 しかも私たちはカネ集めもまた、労働者・働く者の党に相応しく、〝大衆的な〟やり方で、則ち何十万、何百万の労働者・働く者に依拠して、「長者の万灯より貧者の一灯」の精神でカネも集める、そうすべきだと考えます。カネ集めもまた、ブルジョア階級に対する闘いの一環、一部であると自覚し、私たちは断固として追求しますので、是非とも1人でも多くの労働者・働く者の皆さんの大きなご協力をお願いします。

自党のことより、野党全体のことを考えよは正しいか

 また我が労働者党は、共産党などの批判を優先させ、力を入れて、自分の当選ばかりを追求するが、むしろ共闘によって、力を合わせ、多数派を形成することによって安倍政権の打倒を勝ち取らなくてはならない、といった批判もありますが、日和見主義や間違った路線を批判される共産党がいうならすり替えであり、お門違いであり、また本当にそう信じている第三者がいうなら、我々は、労働者党の日和見主義派から自立した、独自の闘いによって、安倍政権に反対する勢力は強められるのであって、弱められるのではないと反論します。

 我々は労働者の党として、独自に訴え、共産党とは別の階級や階層、別の立場にある労働者・働く者に呼びかけ、支持を集めようとするのであって、我々の中の1人が当選するなら、それは大部分、共産党の議席を減らして我々が議席を獲得するのではなく、共産党の議席に加えて我々が議席を獲得するにすぎません、つまりその限り、安倍政権に反対する議員が──しかも他のどの党よりも、一貫して、最後まで闘う、頼もしい議員が──1人増えたということ以外、何も意味しないのです。

 だからこそ、我々は実際には存在が困難であり、しばしば実際に不可能である、統一戦線や野党共闘に賭けるのではなく、階級的な立場も異なり、政治的、思想的、実践的にしばしば対立さえするような根しかし安倍自民党に反対する、いくつかの党があるなら、「別々に進んで一緒に撃て」と主張するのです。

 それに実際問題として、この3年間、志位の提案し続けてきた野党共闘は実現しなかったばかりか、昨年の総選挙でも安倍自民党の圧勝と、野党・市民派のみじめな完敗として、その破綻を暴露してしまいました。

社会党が滅んだのは、労働者がいなくなったからか

 確かに60年代、70年代頃までの労働者階級は、日本資本主義の爛熟や寄生化の深化等々とともに、数的にも、質的にも後退し、労働者の経済的、政治的闘いはほとんど消滅したかに見え、社会党は自民党と連合して消滅し、共産党(スターリン主義のドグマ党、いまだに中国を社会主義国と信じているような愚昧な党)のプチブル的、ブルジョア的な腐敗も極限に来て、欧米の共産党と同様消えていく運命に差し掛かっています。

 こうした情況は、まるで労働者党を支持する客観的な条件はなくなってしまったかに見えますが、しかし我々が直ちに一掃すべきと訴えている、長時間労働に象徴されるような〝搾取労働〟は今なお労働者全体のものですし、非正規労働者の著増に見られるように〝差別労働〟もますます猛威をふるい、広汎な労働者や女性を苦しめています。

 それに旧社会党や民主党(民進党)や共産党が滅び、あるいは労働者・働く者の支持を失っていくのは、主として、彼らの政治の日和見主義と腐敗堕落に原因があるのであって、その理由を客観的条件に帰せられるものではありません。

 労働者の階級意識が希薄になり、経済主義的闘いや組合運動が後退しているときだからこそ、労働者党の政治闘争を組織し、拡大し、議会に進出して労働者・働く者を勇気づけ、階級的な復活と蘇生のために闘うべきであると言えるのです。

 資本主義によって搾取され、抑圧されている労働者の意識を、彼らの客観的な生産関係における地位や立場や諸条件から直接に、機械的に規定し得ない場合がしばしばあるとしても、しかし労働者の階級的意識は、根底的に、そして実際的に、資本に搾取され、抑圧されている客観的な地位や立場や諸条件によって規定されているのであって、我々はそうした立場や観点から実践的に出発しなくてはなりません。

(『海つばめ』編集担当者)

   

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