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労働の解放をめざす労働者党機関紙
海つばめ』

◆隔週日曜日発行/A3版2ページ
一部50円(税込み54円)

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  密封 2500円

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郵政民営化の中で何が起きているのか?
郵政労働者は告発する!

■民営化の嵐の中で最大の御用組合の登場――JPU臨時全国大会議案批判
■郵政民営化――今、職場では/郵政現場からの報告
■恐竜化か、リリパット化か――郵政民営化のジレンマ
■西川善文著『挑戦――日本郵政が目指すもの』/民営化に賭けるトップの本音


憲法改悪と
いかに闘うか?


■改憲に執念燃やす安倍――「国民の自主憲法」幻想を打ち破れ
■労働者は改憲策動といかに闘うか
■国民投票法をどう考えるか
■安倍の「美しい国」幻想――憲法改定にかける野望


本書は何よりも論戦の書であり、その刊行は日和見主義との闘いの一環である。
マルクスが『資本論』で書いていることの本当の意味と内容を知り、その理解を深めるうえでも、さらに『資本論』の解釈をめぐるいくつかの係争問題を解決するうえでも助けとなるだろう。


全国社研社刊、B6判271頁
定価2千円+税・送料290円
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「不破哲三の“唯物史観”と『資本論』曲解』(林 紘義著)」紹介(『海つばめ』第1048号)


全国社研社刊、B6判384頁
定価2千円+税・送料290円
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または各支部・会員まで。
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「天皇制を根底的に論じる『女帝もいらない 天皇制の廃絶を』(林 紘義著)」(『海つばめ』第989号)他

理論誌『プロメテウス』第54号
2010年10月(定価800円)

《特集》菅民主党のイデオロギーと“体質”
・神野直彦の思想と理論――菅直人のブレインは「曲学阿世の徒」
・原則なき寄せ集め政党――顕現するブルジョア的“体質”
反動的な「文化」の擁護に帰着――レヴィ=ストロースの「文化相対主義」批判


 
 
 教育のこれから
   「ゆとり」から「競争」
   そして「愛国教育」で
   いいのか
 林紘義 著 7月1日発売

  (全国社研社刊、定価2千円+税)
  お申し込みは、全国社研社
  または各支部・会員まで。
  メールでの申し込みも可能です。

まかり通る「偏向教育」、「つくる会」の策動、教育基本法改悪の動きの中で、“教育”とは何であり、いかに行われるべきかを、問いかける。  


 第一章  
教育基本法改悪案の出発点、
森の「教育改革策動」
 第二章  
破綻する「ゆとり」教育の幻想
 第三章  
“朝令暮改”の文科省、
「ゆとり」から「競争原理」へ
 第四章  
ペテンの検定制度と「つくる会」の教科書
 第五章  
歴史的評価なく詭弁とすりかえ
つくる会教科書(06年)の具体的検証
 第六章  
日の丸・君が代の強制と
石原都政の悪行の数々
 第七章  
憲法改悪の“露払い”、教基法改悪策動

●1343号 2019年1月13日
【一面トップ】改めて参院選を断固闘い抜こう―― 新労働者党年頭アピール
【1面サブ1】全国で前進する選挙闘争④ 大阪――安倍政権と維新政治の一掃を大阪から
【1面サブ2】誰に一番責任があるか――徴用工をめぐる日韓の争い
【コラム】飛耳長目
【二面〈主張〉】新たなバラまきを止めよ――〝幼児教育〟と〝保育〟は全く別のもの
【二面トップ】発見された昭和天皇晩年の和歌――無責任な男の平凡な和歌
【二面サブ】不毛な論争に終止符を打つべき――有用労働による生産手段の「価値移転」論について(下)

※『海つばめ』PDF版見本

改めて参院選を断固闘い抜こう
新労働者党年頭アピール

 全国の『海つばめ』の読者のみなさん、新年おめでとうございます。

 我が党の命運をかけた参院選の年が明けました。昨年は林議長のまさかの突然の病気もありまして、年末はいくらか我々の闘いも中だるみというか、停滞した雰囲気もなきにしもあらずでしたが、林氏も暮の27日に退院、一ヵ月ぶりに無事にシャバの闘争場裏に戻ってきました。それを受けて、我々は1月後半に大会を開き、林氏の比例区候補者の辞退を受け、候補者全体の見直しや変更、さらには参院選をよりよく、強力に闘うために、中央体制の強化や、そして何よりも重要な我々の政治闘争の性格や内容――これについては代表委員会は、勝利を保証する、〝耳目衝動的な〟新提案を準備しています――について議論し、決定するために大会を開催して意思を一致させ、またあと半年を闘い抜くことにしました。

 候補者の組み替えや代表委員会の強化や、また新提案については大会後の『海つばめ』で明らかにするとして、まずいえることは、

一昨年の神奈川選挙で最初に掲げたスローガン――選挙本改訂版の17ページ参照――を再度掲げて,我々の組織の基本的な性格を明らかにします。

 次いで我々は、財政再建や、年金や、介護等々の諸問題についても、労働者・働く者の立場から実際的、建設的な解決の方法や見通しを明らかにして、労働者・働く者の信を問います。

 安倍政権が挑戦しようとしている憲法改定については、もちろん反対ですが、単なる反対では何の意味もありません、というのは安倍の9条の憲法改定案は、〝改定〟の名にさえ値しない、最初からある平和主義の文章に、安倍の信念である国家主義の願望を不細工に継ぎ木したものであって、チンプンカンプンの意味不明の9条にしかならないからです。

 安倍本人でさえ「憲法改定しても、実際は何も変わらない」というような、公明党をたらし込むための、不真面目な政治的取引のための憲法改定、単なる改定のための改定、安倍政権の延命のための憲法改定でしかなく、広汎な国民や諸政党や諸勢力、諸階級の――ブルジョアや反動さえもの――支持を得ていくとは到底考えられないからです。

 途中で挫折し、尻つぼみになるのがオチではないかと思われます。

 これに対して、野党や市民派やリベラル・マスコミは、日本の憲法は〝立憲主義〟――彼らの主張によれば、憲法はそもそも「権力を縛るためにある」という観念が立憲主義の神髄だといったおかしな信念――に基づいて、安倍との憲法戦役を闘おうとしていますが、こんなたわいもない立場から憲法戦役に臨んでも勝てるはずもなく、いたずらに反動派を利するだけです。

 立憲主義者の観念は、憲法(法一般)は、労働者・働く者ものではなく、むしろ権力や支配階級を〝縛る〟といった転倒した、奇妙なものです。しかし憲法や法体系は、法体制であり、法秩序である限り、国民のすべてを〝縛る〟から、そうした見せかけを根底にするからこそ法体制であることを忘れているだけです、もっとも現実には、あるいは歴史的には〝法の支配〟とはブルジョアジーの支配の別の表現であるからこそ〝法の支配〟であり、歴史的な一つの政治体制なのです。

 しかし共産党やリベラルや市民派の個人主義者らにとっては、現行憲法は〝不磨の大典〟であって、無謬絶対の偶像というわけです。

 彼らは単に憲法を守れ、という観念的で、保守的、反動的な立場しかあり得ず、そんな観念論に立って安倍政権と闘えると妄想するのです。しかしそんな立場は変革を恐れ、現状維持を願い、そこに満足し、安閑としている、臆病なブルジョアやプチブルや寄生階級のものです。

 搾取と差別の体制である資本主義のもとで呻吟している労働者・働く者はいかなるものであれ、進歩的な変革をおそれません、それだけでなく変革のために闘う意思を持っています。

 もちろん憲法問題でも同様です。我々は安倍の空虚な憲法改定の策動に対して、〝攻勢的に〟、現憲法の労働者・働く者の立場からの「憲法改定草案」を準備し、まさにそれを〝対置〟して憲法戦役を闘い抜くという、まさに画期的で、楽しい闘いを計画しています。

 『海つばめ』次号に、乞う、ご期待! 

 2019年元旦 新労働者党 代表委員会

   

【1面サブ1】

全国で前進する選挙闘争④ 大阪

安倍政権と維新政治の一掃を大阪から

 大阪では選挙闘争としてさまざまな取り組みをしています。郵政労働者、教育労働者、介護労働者の職場の仲間、一緒に闘っている障害者解放運動や市民運動の仲間、各党員の知人、資本論まなぶ会の会員、元党員などのつながりをもとにして、我々の選挙闘争への理解、共感を得る働きかけに取り組んでいます。

 主なものは、選挙本『我々はいかに闘ったか』の献本によるカネ集め、そして参院選候補者を決めた昨年の党大会以降は、比例区予定候補者吉村、林のパンフや、大阪選挙区予定候補者佐々木が紹介されている『海つばめ』の配布によるヒト集めです。すでに多くの人に選挙本を販売し、海つばめ読者を獲得し、選挙の協力の約束を得、多額のカンパを頂いています。働きかけた人の中から「選挙は大変だけど頑張って欲しい」、「趣旨に賛同する。応援する」、「わずかだけどカンパします」、「選挙本の圷さんの公報の基本的な二つの政策的立場、搾取労働の即時廃止と差別労働の即時一掃は大変わかりやすく、まさにその通りだと思います」などの返事があり力づけられます。

 昨年の5月から大阪環状線主要駅頭8か所、堺市内主要駅頭3か所で、政治情勢を踏まえた街頭演説を行い、『海つばめ』を配布し、労働者党の19参院選での比例区と大阪選挙区の闘いを宣伝しています。通行人から「がんばれ」や「私も安倍は大嫌いや」などの応援や拍手をもらっています。

 12月25日(火)には大阪府庁記者クラブで記者会見を行い、19参院選に大阪選挙区から立候補する新しい労働者党の予定候補者佐々木の選挙闘争への参加を発表しました。会場には、朝日新聞、毎日新聞、読売新聞、産経新聞、大阪日日新聞、共同通信、時事通信、NHK、ABCテレビ、カンテレ、読売テレビが取材に来ました。

 司会の挨拶で会見は始まり、闘争委員長が挨拶し、予定候補者佐々木は、「私は、安倍政権に対して、搾取労働と差別労働の廃止の要求を、断固として、迅速に実行するように訴えます」と党の基本政策を述べ、「大阪選挙区から立ち、安倍政権を一掃する闘いを、第二自民党の本性を現している『維新』に対する闘いとともにやっていきます」と大阪から立つ決意を表明しました。

 これに対して報道機関からは、「他の野党と共闘する考えはないのか」や「党員を増やしていこうとしているのか」等の質問があり、佐々木は「党はそれぞれ独自の主張があります。選挙において私たちは、今日述べたような自分たちの主張を押し出して闘います。野党はそれぞれの立場で闘い、安倍政権を追い詰め、結果として安倍政権を倒せばいいと考えます」「確認団体となるために比例区で2人、選挙区で8人立てると供託金3600万円が必要です。それを皆さん一人一人から1万円のカンパを募り集める運動をし、カネ集めとともに支持を増やし、応援する会で闘いに共感してくれる人を増やしていこうとしています」等と答えました。

翌日の毎日新聞には、つぎのような記事が掲載されました。

 「来夏の参院選大阪選挙区(改選数4)を巡り、政治団体「労働の解放をめざす労働者党」の新人で設計会社員の佐々木一郎氏(67)が25日、立候補を表明した。府庁で記者会見した佐々木氏は「働く者の代表として、労働者の立場に立った新しい政治をつくっていきたい」と話し、長時間労働や非正規労働の解消を求めていくとした。」また、1月1日の朝刊では朝日新聞などに、参院選の予想される顔ぶれとして、大阪選挙区で佐々木一郎(67)労働者党支部長が、我が労働者党から出る他5選挙区の面々とともに記載されました。

 今年は、これまで得た賛同者を組織化し『労働者党と佐々木一郎を応援する会』を発足させ、比例区候補者と共に闘いの輪を広げ、労働者の代表を国会へ送り込む闘いを強めていきます。

(大阪選挙区 闘争委員会)


【1面サブ2】

誰に一番責任があるか

徴用工をめぐる日韓の争い

 戦争中の朝鮮労働者の強制徴用の件で日韓がもめている。

 補償金を徴用工の動員と利用に手を染めた三菱などの日本の大企業が払うのか、1965年の日韓の同意に基づいて韓国政府が支払うのかといった、対立である。

 もちろん純粋に法的な観点からいうなら、安倍政権にも道理がないこともない。朴政権は朝鮮国民を慰撫し、バラまきのカネ欲しさに、いい加減なところで妥協したかどうかは知らないが〝請求権〟を放棄したのは事実だからである。

 しかし日韓間で今本当に問題になっているのは、そうした法律上のことではない。

 安倍政権やそれを支持する国家主義勢力や反動派や〝復古派〟は、常にいつも一貫してこの間、日本の朝鮮に対する植民地支配や慰安婦問題=若い朝鮮人女性や徴用工といった事実等々はなかったと言いはやし、歴史や真実を否定し、しつこく朝鮮人らは嘘をついていると侮辱し、恥ずべき態度を取り続けてきたということである。

 彼らはそのことで怒り、憤慨しているのであって、つまり安倍政権が続く限り、日韓の関係改善は望むべきもないということである。

 反動と国家主義派と自国ファーストの政権はそれ自体、他国の国家主義や自国ファーストを挑発し、かくして諸国家の対立や闘争を煽り立て、戦争の時代の幕を開き、そんな時代につながって行くのである。

 日韓の関係改善はまず、国際的に恥ずべき存在である、安倍政権の一掃から始まるといって決して言い過ぎではない。(H)


【飛耳長目】

★共産党の志位が野党共闘に苦労している。志位が野党共闘の笛をやかましく吹きならしても、自由党の小沢や社民党や市民派のような小勢力しか踊らず、肝心の立憲民主や国民民主はそっぽを向いたまま★沖縄では自由党のフリージァーナリストがいて何とか野党共闘の形が整ったが、山梨県知事選では志位のヤキモキ顔も知らぬかに、立憲と国民の2党は共産党外しでさっさと候補者を擁立、共産党はやむを得ず独自の候補者を担ぎだし、見事な野党分裂選挙となっている。保守派も分裂しており、県政を手にする絶好のチャンスだというのに★そもそも勝つ気がないなら、彼らが何をしようと我々には無関係だが、しかし彼らは県政を勝ち取ることに大きな意義を認めるのではないのか。しかも統一地方選でも野党共闘をつみ重ねていかないで、いかにして参院選でそれを成功に導けるのか★野党共闘を必死においかけてはいても、志位のやっていることは、それに反することばかりだ。例えば彼は野党ならどの党でも、彼らのいう〝戦争法〟の廃棄に賛成するはずだと決め込み、そんな要求は自明だというのだが、それは志位という、珍奇な民族主義的平和主義者の独断ということに気が付かない。そんな面倒なドクマチストの連帯を好んで求める人や党派が一体どこに、どれだけいるのか。少なくとも我々はそんな観念的で、愚昧な人々との付合いはご免だ。(鵬)

   

【主張】

新たなバラまきを止めよ
〝幼児教育〟と〝保育〟は全く別のもの

 今年の10月から、幼児教育・保育の無償化が始まる。しかしそんな政策は待機児童解消という緊急の問題を解決しないばかりか、むしろそれに逆行するものである。

 待機児童の問題は、政府は数十万も保育サービスの受け入れ枠を増やしたというが、依然として深刻で、乳幼児の保育枠増を求める若い労働者家族――とりわけ働く女性――の不満は大きい。

 もちろんこの問題には色々財政上の問題もあるが、しかし歴代の政府の取り組みが、全く的外れで、不真面目であったし、今もそうであることも大きく影響している。

 もちろん我々は、安倍政権の消費増税の組み替えによる、この幼児教育無償化政策について言っているのである。

 しかし乳幼児の〝保育〟がなぜ〝幼児教育無償化〟なのか。そもそも幼児教育が何を意味するかははっきりしないが、幼児教育と保育は全く違った二つのことではないのか。乳幼児の保育料等々を無料にしたからといって、一体彼らにどんな〝教育〟を施したというのか、施したことになるのか。

 というのは乳幼児に必要なことは〝保育〟であって、〝教育〟でないことは、保育園に乳幼児を預ける父母はよくわかっているのである。彼らにとっては安倍政権の政策はつまらないピント外れであっても、少しもありがたいものではないのである。

 民主党政権発足の時にも、すでに我々は、民主党の〝子育て支援〟の政策――財源もないというのに、すべての子供に義務教育が終わるまで、つまり12歳に達するまで月額2・6万円――年間31万円余――、年々総額5兆円を無償供与するという、途方もない政策を批判し、糾弾して次のように書いた。

 「二〝大愚〟政党――自民党と民主党のこと――のバラまき政治を象徴するのが『子育て支援』の美名で持ち出されている、民主党の『子育て手当』政策であり、また自民党が民主党に張り合って打ち出した幼稚園児、保育園児の『教育費無償化』の提案である」(『まさに〝民主党政権らしさ〟そのものだった――鳩山政権の九ヵ月、39頁』)。

 「そんな膨大な予算があるなら、まず保育所や小学校低学年の学校終了後の施設(学童保育等々)の充実に、つまり夫婦そろって働く家庭のために支出すべきであり、そうしてこそ、これらのカネが本当に意義あるものになるのは自明である」(同40頁)。

 すでに我々は十年以上前の2007年に、こんなにも正しく、立派に論じていたのである。

 とするなら、今になってなお待機児童の問題が解決しないというなら、こんなにも緊急で、労働者家庭や働く女性たちにとって重大な課題を、政権維持のためのバラまき政策にすり替え、不真面目に、いい加減に扱ってきた責任は、自民、民主の二〝大愚〟政党とその政権にこそあり、その責任以外の何ものでもない。

 今また安倍政権は、本来なら乳幼児の課題を実質のない〝教育〟の課題にすり替え、政権維持のために、相も変わらずバラまき政策に〝バカの一つ覚えのように〟没頭する。

 労働者・働く者は、女性労働者は安倍政権に、バラまき政策を直ちにやめ、働きながら子育てのできる条件とその保障を要求する。

 この腐敗政権はもはや、労働者・働く者のため、いくらかでも有益で、ためになる何かなす意思も能力も全く失ってしまい、単なる〝打倒の対象〟に転落した。 (林紘義)


発見された昭和天皇晩年の和歌
無責任な男の平凡な和歌

 昭和天皇晩年の和歌の直筆252首が見つかったと言う記事が、朝日新聞(1月7日朝刊)トップに出ていました。その中から数十首が24、25面に掲載されています。朝日によれば、本人がメモし推敲したものを侍従長が清書し,歌人が添削したものと思われます。昨年から今年にかけて現天皇が高齢を理由に引退したいと言い出して以来、マスコミは、やれ皇位継承だ、新元号だなどと大騒ぎですが、天皇制についてまともに考えようとする姿勢は全く見られません。すべてのマスコミが天皇制の前にひれ伏しているように見えます。

 戦前、「神聖不可侵」の存在として、「統治権の総攬者」「国家の元首」として君臨した昭和天皇は、国民の間には今なお、軍部によって意に沿わぬ戦争を強いられ、最後は国民をこれ以上の戦争の惨禍から救うために終戦の詔を発した、平和主義者、軍部の犠牲者と言う幻想が根強くあります。この幻想を利用して、安倍など反動派は、再び天皇を国の元首にし、国民和合の象徴として軍事国家を復活させようとしています。現天皇は、昭和天皇の平和主義者の幻想を引き継ぎ、それを一層拡大してきました。

 天皇家の存在が、いかに国民を欺瞞するものであるか、掲載された和歌から窺ってみます。

★「この年のこの日にもまた靖国のみやしろのことにうれいは深し」(86年8月)

 いったい天皇の、この「うれい」とは何なのでしょうか?A級戦犯が合祀されてから天皇は靖国神社に参拝していないといいます。なぜか?自分をA級戦犯と一緒にされたくないということなのか。しかし東条ら絞首刑になった7名は、かの15年戦争を共に戦った部下であり、彼はその頭ではなかったでしょうか。敗戦時における天皇の戦争責任は誰の目にも明らかでした。天皇は満州事変以来の戦争のイニシアティヴをとったのであり、東京裁判のウェッブですら天皇の戦争責任を認めているくらいです。息子の現天皇がいくら沖縄やサイパンに慰霊の旅をしたところでその責任は消せるものではありません。

 昭和天皇が、自分に責任が及ぶことを恐れた、老獪な政治家の性格を持っていることは、張作霖爆殺事件(昭和3年)で自分にウソの報告をした田中義一首相を罷免したときに現れています。絞首刑にされた東条ら7名は、信頼していた天皇に裏切られて、地下でどんな思いをしているでしょうか?

 「ああ悲し戦の後思いつつしきにいのりをささげたるなり」(全国戦没者追悼式、昭和六三年)一体どうゆう「いのり」を捧げたのか聞いてみたいものです。

★「警察と民の心と相たれはうれいなくて(うしろやすくて)うれしかりけり」(86年「治安当局と国民の協力により事無を得たり」の説明がある)

 昭和天皇にとっては、治安、平穏が第一なのです。それこそ自分の地位を守るものだからでしょう。

 二・二六事件の際、天皇に絶対忠誠を誓い、天皇中心の軍部独裁政権を目指した青年将校を、「暴徒、叛徒」として「ただちに鎮圧せよ」と命じたのは(軍は四日後にやっと叛徒と認めた)、昭和天皇です。

★(「中国との交流を詠んだ」と言う説明、あけぼのすぎは中国からもらったもの)

 「我が庭のあけぼのすぎの木立みて世のやすらけき中国(とつくに)をおもふ」

「むつごろを保つ為にも韓国とむつみかわしてなすべきならん」(むつごろはムツゴロウのこと)

 両句は、日本が侵略した中国および、植民地国であった韓国を詠っています。マスコミは、太平洋戦争を問題にしているが、帝国主義国家としての日本の本質は、むしろアジア侵略にこそあります。その反省に立たないことが、現在の韓国や中国との問題をこじらせているのです。しかし戦後六〇年も経って天皇は、そんなことはすっかり忘れてしまっているかです。

★(「岸首相の死去(八月七日の夕)」とある)

「国の為勤たる君(は)秋またで世をさりにけりいふべ(ぐれ)さびしく」

 政治家として名前が挙がっているのは岸信介ぐらいであり、国の為に勤めたと言うのだから彼を評価していたんでしょう(安保改定も支持していたか)。満州建国では、その主要な実力者として、また太平洋戦争開戦時には、東条内閣の商工大臣として岸は活躍しました。戦後もA級戦犯の一人だったから昭和天皇には数少ない生き残りの政治家として思い入れがあったかもしれません。

昭和天皇とは何か?

 朝日新聞は、これらの和歌には昭和天皇の「平和を思う気持ちがにじむ」と書いてありますが、しかし驚くなかれ、読んだ限りでは、あのような悲惨な戦争と敗北をもたらしたことに対して、反省とか、不徳や不明を恥じるといったことばが、一切ないことです。記事の中で、あるインテリは天皇の「人間性が表れている」と評していますが、昭和天皇の人間性とは、したたかで、エゴイステイックな本性ではないでしょうか。天皇も一皮むけば「裸の王様」であり、このような無責任で小心な男に、宮中や軍の大官ども(いや国民全体も)が、平身低頭していたことは、「神聖不可侵」とか「統治権の総攬者」「万世一系」と言う後光から来るものです。地位や血統といった装飾を除けば昭和天皇も普通のつまらない男なのです。   (菊池)

   

不毛な論争に終止符を打つべき
有用労働による生産手段の「価値移転」論について(下)

『資本論』の――したがってまた資本主義社会の諸関係と諸法則の――正しい理解を

だからこそ資本主義的生産を、人類の物質的生産様式の歴史的段階の一つの生産様式の全体として考察しようするなら、商品資本として、しかも個々の商品資本の運動としてではなく、商品資本の総体として分析し、考察しなくてはならないのである。

資本の運動は現実には貨幣資本を契機とも動力ともして行われるのであり、したがって資本主義を表面的に観察し、現象のままに理解する能力のない人々は――つまり資本の運動の担い手であるブルジョアたちは――貨幣資本の運動に幻惑され、また支配されるのであって、彼らの目には、直接の体験では、資本――つまり資本価値――は、資本の運動中を通して〝移転〟され、保存され、剰余価値を伴って還流してくるのであり、またそうでなくてはならないのである。 

 したがってブルジョアたちの自然の価値論(価格論に堕すのだが)は〝費用学説〟である、すなわち商品の価値(価格)は資本価値+賃金+利潤(+地代等々の派生的所得)である、つまり価値移転論と不可分である。

マルクスもまた価値移転論を展開していると散々に言われてきた。しかしマルクスは資本主義を分析するにあたって、現象しているままの資本主義の現実についてもいくらでも語っている、というのは資本主義は単なる観念的存在ではなく、〝物化された〟社会関係として実在的なものだからである。モノとしての資本は自己運動して、自己増殖する貨幣である。

しかしマルクス主義がマルクス主義であるゆえんは、マルクスは、〝物化された〟社会関係を分析し、その背後にある真実の社会関係を明らかにし、暴露しているのであって――「物化された」社会関係、疎外された社会関係を一掃して、真実に人間にふさわしい、合理的な社会関係を可能にするために、勝ち取るために!――、そんな肝心かなめのことを理解せず、マルクスの言葉を、ただ言葉だけを、しかも自らの俗流意識にマッチするような言葉を持ち出し、大騒ぎする人々の呪いあれ! である。

MやTらがマルクスのそうした類の言葉にひかれ、固執し、大騒ぎしたのも偶然ではない、マルクスのそうした言葉は、ある意味で資本主義の表面的な〝現実〟や〝真実〟を語ったものだからであり、彼らの俗流的な意識に直接に反応するものだったからである。Mらの有用労働や商品の使用価値に対する固執や偏見や〝過大評価〟や、有用労働の特別な能力や役割に対する賛歌は、宇野学派やバヴェルクらの効用学派の有用労働や商品の使用価値に対する偏愛等々と大同小異であるのも決して偶然ではない。

 マルクスは、資本主義の再生産の総体を検討し、理解するには、個別資本――とりわけ貨幣資本――のではなく、商品資本――しかも単なる個別の商品資本ではなく、総体としての、社会全体として商品資本――を取り上げ、検討しなくてはならないとして、次のような文章を残している。

 「しかし、循環W´―W´は、その軌道の中にW(=A+Pm)の形態にある他の産業資本を前提にしているからこそ(またPmは色々な種類の他の資本、例えば我々の場合では、機械や石炭や油などを包括しているからこそ)、この循環そのものが次のようなことを要求するのである。すなわち、この循環を、ただ、循環の一般的な形態として、すなわち各個の産業資本を(それが最初に投下される場合を除き)そのもとで考察することができるような形態として、したがってすべての個別産業資本に共通な運動形態として考察するだけではなく、また同時に、色々な個別資本の総計すなわち資本家階級の総資本の運動形態として考察することを要求するのであって、この運動では各個の産業資本の運動はただ一つの部分運動として現れるだけで、この部分運動はまた他の部分運動と絡み合い、他の部分運動によって制約されるのである。(次号に続く) 林紘義

《お知らせ》

 前号でこの小論に対するM氏への反論を論ずる計画をしましたが、党ブログに掲載しましたので参照してください。

   

   

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