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労働の解放をめざす労働者党機関紙
海つばめ』

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郵政民営化の中で何が起きているのか?
郵政労働者は告発する!

■民営化の嵐の中で最大の御用組合の登場――JPU臨時全国大会議案批判
■郵政民営化――今、職場では/郵政現場からの報告
■恐竜化か、リリパット化か――郵政民営化のジレンマ
■西川善文著『挑戦――日本郵政が目指すもの』/民営化に賭けるトップの本音


憲法改悪と
いかに闘うか?


■改憲に執念燃やす安倍――「国民の自主憲法」幻想を打ち破れ
■労働者は改憲策動といかに闘うか
■国民投票法をどう考えるか
■安倍の「美しい国」幻想――憲法改定にかける野望


本書は何よりも論戦の書であり、その刊行は日和見主義との闘いの一環である。
マルクスが『資本論』で書いていることの本当の意味と内容を知り、その理解を深めるうえでも、さらに『資本論』の解釈をめぐるいくつかの係争問題を解決するうえでも助けとなるだろう。


全国社研社刊、B6判271頁
定価2千円+税・送料290円
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「不破哲三の“唯物史観”と『資本論』曲解』(林 紘義著)」紹介(『海つばめ』第1048号)


全国社研社刊、B6判384頁
定価2千円+税・送料290円
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「天皇制を根底的に論じる『女帝もいらない 天皇制の廃絶を』(林 紘義著)」(『海つばめ』第989号)他

理論誌『プロメテウス』第54号
2010年10月(定価800円)

《特集》菅民主党のイデオロギーと“体質”
・神野直彦の思想と理論――菅直人のブレインは「曲学阿世の徒」
・原則なき寄せ集め政党――顕現するブルジョア的“体質”
反動的な「文化」の擁護に帰着――レヴィ=ストロースの「文化相対主義」批判


 
 
 教育のこれから
   「ゆとり」から「競争」
   そして「愛国教育」で
   いいのか
 林紘義 著 7月1日発売

  (全国社研社刊、定価2千円+税)
  お申し込みは、全国社研社
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  メールでの申し込みも可能です。

まかり通る「偏向教育」、「つくる会」の策動、教育基本法改悪の動きの中で、“教育”とは何であり、いかに行われるべきかを、問いかける。  


 第一章  
教育基本法改悪案の出発点、
森の「教育改革策動」
 第二章  
破綻する「ゆとり」教育の幻想
 第三章  
“朝令暮改”の文科省、
「ゆとり」から「競争原理」へ
 第四章  
ペテンの検定制度と「つくる会」の教科書
 第五章  
歴史的評価なく詭弁とすりかえ
つくる会教科書(06年)の具体的検証
 第六章  
日の丸・君が代の強制と
石原都政の悪行の数々
 第七章  
憲法改悪の“露払い”、教基法改悪策動

●1327号 2018年5月20日
【一面トップ】共産党の自滅への道――野党共闘は〝一人損〟の愚策
【1面サブ】市民派への迎合――さもしい〝働く者の党〟
【コラム】飛耳長目
【二面〈主張〉】「働き方法案」成立へ――問われる共産党の階級的立場
【二面トップ】「群盲象を撫でる」か――12月マルクス生誕シンポ開催

※『海つばめ』PDF版見本

共産党の自滅への道
野党共闘は〝一人損〟の愚策

 共産党が早くも参院選に向けて、野党共闘とか、統一戦線とかの美名に隠れて、権謀術策つまり人を欺く悪巧みに、またぞろ乗りだした。来年の参院選の32の選挙区(県)で、野党共闘の主導権を狙い、「先手必勝」の戦略のもと、14人の共産党の候補者を内定した。野党共闘と言いながら、他党との共闘の相談も合意もないうちに、大急ぎで候補者を並べるなど、さもしく、破廉恥ではないのか。

 野党共闘がまじめなものでも、労働者・働く者の政治闘争全体の利益を考えたものでもなく、共産党ファーストや利己主義を貫くための方便にすぎないことを暴露して余りある。

 共産党は、一人区で候補者を立て、それを背景に野党共闘の交渉に臨まなければ、結局、一方的に他の野党――立憲民主党だけでなく、国民民主党もまた、野党共闘の相手として考えると、早々に宣言している――だけが利益を得ることになるから、まず候補者を立てて、脅しか、圧力かは知らないが、それを背景に、交渉や取り引きを有利に導くと言うのである。トランプ顔負けの「ディール」によって、自党の利益――参院選比例区の票の積み増しや、あわよくば一人区での議席の一つでも――を確保しようというのである。

 そのためには、いくらでも自党の政治や政策の原則を犠牲にし、薄め、妥協しても構わない、やむを得ないと結論するのである。

 例えば、共産党の国会戦術の一つに、国会審議のボイコット――いわゆる〝欠席戦術〟――がある。

 共産党は、議会は法案等々を審議するところに意義があるので、その権利を自ら放棄するのは議会主義の趣旨や本義にもとる、議会欠席といった形式的なゼスチュアをしても無意味だから、むしろ審議や議論に参加し、反動法案等々の真実を暴露をする方が実際的な意義がある、といった理屈を並べ立て、〝欠席戦術〟に原則的に反対してきた。

 ところが最近、共産党は立憲民主党などの「欠席戦術」に同調し、共同歩調をとって、自らの国会対応の原則を投げ捨てている。お行儀のいい議会の優等生から、かつての〝抵抗政党〟に逆戻りしたかである。

 志位はこうした変身を突かれて、「よほどのことでないとこういうこと(欠席戦術)はしないが、よほどのこと(政権の不祥事)が二重三重に起きている」からだなどと弁解するが、安倍政権の森友学園、加計学園といった「不祥事」等々は、政治的な意義としては、まさに安倍の「不祥事」(権力の私物化、乱用)以上ではない。もちろんそれらが、安倍と安倍政権の反動性とおぞましい腐敗をとことん暴露するものではあるにしても、である。

 志位共産党は、公然と、参院選の野党共闘のために、国会内でも、野党共闘を積み重ねていると語ってもいる。つまり野党共闘のために、国会内の戦術でも、自らの原則をゆがめ、妥協し、放棄している。

 共産党が野党共闘のために、いくらでも、党の原則を薄め、歪めてきた例は枚挙にいとまない。とりわけ防衛・外交政策や憲法問題でも同様である。

 今回も共産党は立憲民主党はいうまでもなく、国民民主党とも野党共闘するというが、後者ははっきり、憲法改定には賛成を表明し、ただ「安倍政権のもとでの」改定に、あるいは単に自衛隊明記の憲法改定に反対というにすぎず、いつでも、場合によっては、憲法改定に賛成するつもりである。

 何しろ小池新党に喜々として走った連中なのだから、またまた志位の夢想する野党共闘路線が大事なときに裏切る可能性は大である、あるいは国民民主党まで野党共闘に含めるというなら、かつての民主党との野党共闘がすったもんだしたあげく、まとまらないでむしろ民進党が空中分解したと同様な結果に行きつく可能性の方が、はるかに大きい。

 昨年の総選挙でも民進党が分解し、野党共闘が絶望的になったとき、志位は生まれたばかりの立憲民主党との間に、まに合わせで、偽りの野党共闘を謳って――そんなものは、実際どこにも存在しなかった――、何とか体面を保ったが、結果として立憲民主党が党勢を伸ばしただけで、共産党は21議席から12議席に後退する大敗北を喫したのである、つまり共産党にとっても、野党全体にとっても、いいことは何もなかったのである。

 いま志位は、昨年の総選挙のときの、その場限りの、一方的な立憲民主党との野党共闘云々の虚構を美化しつつ、野党共闘は重要だ、さらに参院選でも徹底的に追求し、その力で安倍政権を倒すとか幻想を振りまくのだが、しかし去年の総選挙は緊急だからやむを得ず、一方的な応援だけの立憲民主党との野党共闘(一方的な、尽くすだけの片恋)だったが、今後は相互的な野党共闘、他党だけの利益となるような野党共闘はしないと豪語し、強がっている。

 しかし〝両思いの〟恋の条件も可能性もないところで、どうしたら相互的な恋がめでたく成り立ち得るのかという、確かなやり方や保障について、志位は語らないし、語ることはできない、というのは、そんなうまい話があるなら、世の若者たちは恋や結婚の不都合に悩むことは何もないだろうからである。

 志位は来年の参院選に向けて、他の野党との〝等価の〟バーター取り引きを持ち出し、トランプ並みの「ディール」を策する、しかし比例区や他の選挙区で票の積み上げ――志位は性懲りもなく、今度は比例区850万への倍増(昨年総選挙に比べての数字)、15%の得票――を謳うが、そんなものがあるはずもなく――昨年の総選挙では、比例区で600万から800万の票の積み増しを期待したが、反対に200万近くも減らした――、また前回の参院選の一人区では、野党共闘の結果、香川の選挙区を分けてもらったが、民進党候補者だったら勝つ可能性のあった選挙区で惨敗しただけで、いいことは何もなかった(ついでにいえば、香川の民主党は、共産党候補の応援を拒否した)。

 あるいは、共産党が押して当選した民主党の議員の中には、小池新党に走ったりした極反動的な議員が何人もいた。

 つまり野党共闘はまともに機能せず、マイナスのことばかり多かった。とりわけ共産党にとっては、そうであった。野党共闘らしきものが一番効果的だったのは、先の総選挙で、無条件で共産党が立憲民主党などを支持した場合であったことは特徴的で、象徴的である。

 とするなら、志位は交渉だ、取り引きだ等々、小難しい理屈を並べるのでなく、〝野党共闘なるもの〟の勝利を心底から、誠実に望むなら、ただ無条件に立憲民主党や国民民主党の支持、応援に徹すればいいのである、どうでもいいような共産党の立場や利益など――というのは、立憲民主党と共闘し、妥協するために、自分からいくらでも放棄するようなもの、できるようなものだから――は考えないで、立憲民主党や国民民主党の方が共産党の議員より当選しやすいのだから、いっそのこと共産党を解党し、立憲民主党等々に合流してしまえばいいのである(欧州の共産党のいくつかは、すでにそうした)。

 志位の立場や考えや戦略的路線に立って論理的な結論を出すなら、そういうことになるし、ならざるを得ない。

 自共対決路線から、野党共闘路線に変わって2年余、総選挙の結果からも、2年間の志位路線の破綻は明らかである。我々は、それは共産党の破産と消滅の路線であると予告した。

 立憲民主党や国民民主党との「共闘を強める」と小池なども言うが、これはいわば、かつての民進党との共闘の複刻再版みたいなものである。

 志位共産党は、前回参院選や昨年の総選挙で失敗し、破綻した戦術、共産党にとっても頽廃と議席消失につながった戦術、安倍政権の再度の大勝を許し、自らの破滅につながる路線にしがみつき、固執するしかないなら、共産党の自滅は不可避である。

 もちろん労働者にとって、日本共産党の最終的な破産と消滅――欧州を始め、世界の多くの国においては、これはすでに既成の事実となっている――など、どうでもいいことである。そんな政治的空白は、たちまち闘う労働者とその党によって埋められるだろうからである。

   

【1面サブ】

市民派への迎合
さもしい〝働く者の党〟

 『海つばめ』今号は共産党批判の原稿が多くなり、あたかも共産党批判特集号の様相を呈したので、そのついでに、共産党の「市民との共闘」路線の実体も見ておく。

 そもそも「市民と共産党や野党との共闘」で安倍政権を倒すというが、その実体は漠として定かでない。

 今月8日に新宿西口で開催された市民派の集会には5つの団体が参加し、その代表がそれぞれ挨拶した。

 その5人とは、まず主催者の山口二郎だが、彼はかつての民主党政権の立役者の1人で、北海道大学から今は法政大の教授に転じた、生粋の大学インテリである。

 「安全保障関連法に反対する学者の会」の演説者は東大名誉教授の広渡清吾であり、「未来のための公共」という、わけの分からない会からの弁士の谷虹陽は、3回生の学生である。

「ママの会・埼玉」を自称する辻仁美は、女性労働者でないとするなら「ママ」そのもの、つまり主婦ということか。そして最後の弁士は、「総掛かり行動委員会共同責任者」の1人、市民運動家の高田健である。

 見られるように、労働者代表は1人もいないのだが、市民派の演説会だから当然というべきか、こうした集会の〝とりとめもない〟雑多な階級の空虚で、無力な運動の本性を暴露していると見るべきか。

 15日の『赤旗』には、共産党や市民派が全国的に呼びかけたらしい「内閣の総辞職を求める」運動のカラー写真――国会前の集会デモ等々――が紹介されているが、何とあきれたことに、労働者団体や労働組合の旗や看板やスローガンが、いくら今目をこらして探しても一つも見あたらない。

 まさに共産党の底知れないプチブル的後退と頽廃を暴露するものであって、この政党はプチブル的転落の余勢を駆って、たちまちブルジョア的転向の極みに至るのもそんなに遠くないことを予想させる、否すでにその領域に入り込んでいる。

 まさに「世も末」である。去年の総選挙で、比例区得票を600万から800万に増やすと謳って、実際には170万も減らしたのも「諾(むべ)なるかな」と納得がいくのである。


【飛耳長目】

★共産党が広辞苑に抗議し、「共産主義」の叙述が間違っている、党の新解釈を採用せよと叫んでいる。共産党は共産主義の2段階説――初期の社会主義と高度な共産主義――を放棄したのが自慢である★共産党が不満なのは、共産主義とは「私有財産制の否定と共有財産制の実現によって貧富の差をなくそうという思想」という広辞苑の第1項である。彼らによると、共産主義は生産手段の共有と小財産の私有のいわば混合社会だそうで、共産主義の初期の段階と高度段階を区別したレーニンはおかしいという★しかし、ここでも間違っているのは共産党である。彼らは土地や家屋・住宅や、乗用車や冷蔵庫などの耐久消費財などを私有財産と見なし、こうした俗説を展開している★多くの思想家は古代から土地私有を否定してきたが、それは原初的な生産手段として、その私有が直接生産者(農民等々)への搾取社会を規定してきたからである。近代の社会主義が私有財産の否定をいうとき、それは生産手段についてであって、消費財の私有は最初から問題にされていない。消費手段は労働者の労働時間に比例して労働者に分配されるだけだ★家庭の耐久製品もまた消費財であって、穀物や生鮮食品との違いは、単にその利用の仕方だけである。生活の根底である住居さえ基本的に消費財であり、それを私的所有と叫ぶのは自己のプチブル性を暴露するだけだ。(鵬)

   

【主張】

「働き方法案」成立へ
問われる共産党の階級的立場

 安倍政権は他の法案はさておき、最優先の法案の一つとして、〝高プロ〟法案を含む「働き方法案」の衆院採択を今月中に行い、6月20日の会期内成立を目ざす方針を確認した。

 安倍政権の大番頭の菅官房長官は、17日、官邸で連合の神津会長と会談して、国会で法案の「議論を深めることが重要」ということで意思を一致させた、つまり法案成立の事実上の承認を取り付けた。

 安倍政権は、「野党が審議拒否などでさらに抵抗した場合、(野党が求める)労働時間の規制強化を含め法案全体を取り下げることも辞さない」と、公然と野党を恫喝した。

 我々は「働き方改革関連法案」として、本質的に性格の違う法案も一緒にして提案する、いい加減で、雑な国会運営に抗議し、〝高プロ〟法案と長時間労働規制などを別個に審議し、採択するように要求すべきとしてきたが、安倍政権は「一括法案」として提案することに固執している。

 労働者・働く者に長時間規制法、つまり一つの改良、譲歩の法案と、ある種の職員等々の労働時間の規制を無くすような、ブルジョアのための〝高プロ〟法案も一緒に賛成せよと言うのである。

 労働者・働く者の立場からして、難しい選択を強いられるというわけである。

 神津は、したがってまた組合主義者は散々に動揺した結果、結局、法案成立に事実上賛成する立場に立った。長時間労働の規制は組合主義者の要求だったからである。

 裁量労働制や〝高プロ〟法がどんな階級、階層に属する人々に関連するかを見るために、朝日新聞17日号がたまたま二つの過労死裁判に関する記事を掲載しているので、それを紹介しよう。

 一つは裁量労働制が適用されて働き、「過労死」を認定された男性の例で、「『レックアイ』で不動産会社向けシステム開発や営業を担当、昨年7月にチームリーダーに昇格した」28才の若者の例であり、もう1つは、「テレビ朝日のプロデューサー男性社員(死亡当時54才)」の例で、「男性は労働時間の規制が緩い『管理監督者』だった」。

 これだけがすべてでないにしても、〝高プロ〟法等がどんな階級、階層の〝労働者〟にとって直接に関係するものであるかをうかがわせている。

 野党はジレンマに陥った、というのは、彼らは事実上、〝中産階級〟に属するような〝高プロ〟層、つまり企業等々の中間管理職や、高給をはむ〝高級〟労働者層の利益にも敏感であり、彼らの擁護者の立場にも立つからである。

 労働者・働く者は、長時間労働の法的規制の強化と、〝高プロ〟法案の二つの間で、どちらを重視するか、しないかの天秤をかけるように強要されたのである。

 つまり二つの法案のどちらも否定するか、二つの法案を共に成立させるかの間で選択を迫られている。

 共産党などはもっぱら〝高プロ〟法案を問題にし、長時間労働の規制に冷淡で、2つの法案を共に葬ることに熱心である。

 しかし〝高プロ〟法案はそもそも、支配階級の一部あるいは〝中産階級〟の人々に労働強化を要求し、そんなもので資本の競争力を強め、国際的な資本の競争戦に勝ち抜こうという話である。

 今の国会の勢力関係では、この一括法案は成立されるだろうが、それへの対応にも、野党を含めた諸政党の階級的な性格がはっきり浮かび上がっており、労働者・働く者は、その真実を注意深く見極めるべきである。

   

「群盲象を撫でる」か
12月マルクス生誕シンポ開催

 マルクス生誕200年ということで、プーチンのロシアや、習均平の中国も、マルクスやマルクス主義についての全く正反対の見解を発表した。中国はマルクス主義を毛沢東や鄧小平や、さらには習近平の〝思想〟と同等に扱い――つまり、ミソもクソも一緒に論じ――、あげくの果てに、今年の1月の2中総会(党中央委員会第2回総会)では、習近平の〝思想〟――仮に〝思想〟と呼べるものとしてのことだが――は「21世紀の中国のマルクス主義」だと喝破している。 プーチンも同じようなものであり――といっても、マルクスへの評価は習近平と正反対の方向を向いている――、単なる邪悪な思想だと、糞味噌にののしるだけなのだが。そんな中で、日本の〝マルクス主義者〟たちが12月、国際シンポを計画している。単なる空っぽの饒舌屋たちが集まって、一体どんなシンポになるというのか。

正反対のプーチンと習近平?

 プーチンはマルクスとマルクス主義を、ロシアを敵視した、〝反ロシア主義〟の罪で告発する立派な理由を持っている。

 というのは、プーチンの言葉を借りれば、「マルクスほどの憎悪でロシアのことを語る政治家は今日の欧米にもほとんどいないからである」。

 プーチンが腹を立て、マルクスの〝反ロシア主義〟の証拠としてあげる、マルクスの主張や文章は、次のようなものである。

 ロシアは、「世界(ここでは欧州とりわけ英仏等々の西欧)の反動の砦」、「自由な人類への恐怖」、「欧州の専制の脊椎」等々と書き、また遅れた専制主義のロシアは、直接に社会主義に進むことのできない野蛮国と評価していたとも、プーチンは騒ぎ立て、マルクスとマルクス主義に対する憎悪を、そしてロシア大国主義をあおっている。

 つまり自らロシアの新皇帝に成り上がり、19世紀ばりの野蛮な専制国家を夢見、あるいは実際に追求するプーチンにとっては、150年ほども昔のマルクスの言葉が、まさに生きた言葉の槍先として、直接にプーチンの心臓の真ん中を狙い、貫くかに思え、マルクスに対する憎悪に燃えるというわけである。

 そしてこうした事実こそ、マルクスの言葉や、その背後にある思想の本当の意味や意義――今もなお、ロシアの現実に対してさえ有効な――を、その力を教えている。

 マルクスが、当時のロシアについて言ったことは、ツアーリズムつまり極反動を極め、ロシアの革命運動を残虐に弾圧し、さらに「ヨーロッパの憲兵」としてヨーロッパ各国の革命や革命運動の弾圧や圧殺に手を貸した、悪名高いロマノフ王朝の絶対主義の反動性や反革命性の告発であって、〝反ロシア主義〟と何の関係もないことは、我々が日本のかつての野蛮な天皇制軍国主義国家の数々の悪事を告発したからといって、どんな〝反日主義〟とも関係ないことや、プーチンや習近平の野蛮な専制主義や、そんな専制主義に反対する活動家や労働者・働く者へのファシズム同様の弾圧について語り抗議したからといって――それらが事実であることは明白である――、我々が〝反ロシア主義〟や〝反中国主義〟と無縁であることと同様である。

 プーチンも習近平も、マルクス主義の思想や理論について語っているのはマルクス主義や社会主義とは何の関係もない、我々が「国家資本主義」という言葉で総括してきた、政治・経済体制のことにすぎない。つまり国家を利用した資本主義や、その歴史的発展のことにすぎない。

 習近平も、毛沢東思想や鄧小平理論や、マルクス主義までも、自画自賛する「新時代の中国の特色ある社会主義思想」と同列に並べて持ち上げ、自らの専制支配と「国家資本主義」の現実を美化し、正当化しようとしても、そんなばかげたことができるはずもないし、通用するものでもない。

 そもそも「新時代の中国の特色ある社会主義思想」とは何であろうか。せいぜい中国の新皇帝を夢見、時代錯誤の専制主義をでっちあげようと野望に燃える、卑しい習近平の世迷い言以上ではない。

 習近平も不破哲三や志位らと共に、いくらでも〝民族主義的〟、中国的マルクス主義について語ることができる。〝民族主義的〟で〝特殊〟と言えば、どんな闇鍋や、どんなまがい物も容易に流通し、通用すると考えるのだが、習近平の〝中華思想〟や、大国主義、排外主義、専制主義の思想のどこに、マルクス主義との共通点があるというのか。まさにそれは中国の〝スターリン主義〟として、マルクス主義の敵対物以外の何ものでもない。

日本の〝マルクス主義者〟も同等

 しかし振り返って日本を見ると、日本の〝マルクス主義者〟たちもまた、やっていることのろくでなさにおいて、プーチンや習近平にまさるとも劣るものではない、もっとも大国の権力を握っている本物の悪党たちと、社会主義者を自称する日本の市井の俗人たちと同列に置いて論じるのは筋違いであるのは承知の上であるが、しかしマルクス主義とは何かを全く理解していないという点では、彼らはみな、それほど違った地点に立っているわけではない。

 マルクス生誕200年ということで、マルクス主義を一応前提として組織されている「経済理論学会」――その内実はすでに「マルクス主義」からはるか遠くに漂流してしまっているが――など7つの〝学会〟が集まって、12月、記念の「国際シンポジウム」を計画している。中心になるのは、宇野学派の伊藤誠等なのか、共産党の御用学者のスターリン主義経済学者等なのか、それに自由主義的連中が加わるのか知らないが、ろくでもない、非実践的なおしゃべりの場として終わるだけであることは確かであろう。

 マルクス主義は「死んだ教条」つまりドグマではなく、現実の階級闘争に適用され、現実的に闘いの手段として機能しなくてはならないことは、マルクス自身も、また優れた数々のマルクス主義者も強調してきたことである。

 だが日本の――世界の――エセマルクス主義者たち、つまり日本でいえば〝社民派〟のプチブル経済学派としての宇野学派も、共産党のスターリン主義学者たちも、まさにマルクス主義や『資本論』などを「死んだ教条」としてしか理解せず、また扱いもせず、そのつまらない訓詁解釈や大学での食い扶持の道具としてしか、事実上見なしてこなかった。

 大学内でも外でも落ち目の彼らが大同団結して?結集し、「21世紀におけるマルクス」の名で開催される、12月の「国際シンポジウム」もまた、そんな空虚なものとして開かれ、おしゃべりと決まり文句と社交の場以上を出ないことも明らかである(ということは、我が党が、それに参加も介入もしないということでは全くないが)。

マルクス主義の創造的適用

 ただ我が党だけが、マルクス主義を現実の階級闘争と思想闘争において正しく、有効に適用して資本の支配や、日和見主義者、スターリン主義者たちと闘ってきたことは明らかである。

 例えば、我々は「再生産表式」(とりわけ拡大再生産表式)の問題でもマルクス主義の新しい地平を切り開き、確認し、ローザ・ルクセンブルグや、ケインズ主義的、マルクス主義的〝過少消費説〟等々に反対しつつ、拡大再生産表式の〝均衡式〟の存在と、その意義を確認したが(〝均衡式〟の発見は我々の功績ではないが、その大きな意義の確認と、現実への適応は我々の功績である)、それは一切の過少消費説を、したがってまた戦前の山田盛太郎以来の、日本のスターリン主義者らの、過少消費説を粉砕し、一掃する理論的基礎を提供したのである(このことは、消費拡大こそが、賃上げこそが資本主義の困難――例えば「市場問題」等々――を解決し、資本の繁栄につながり、労働者の生活も改善する魔法の手段であるといった、共産党の間の抜けた〝ブルジョア的〟政治路線の愚劣さを暴露するものであった)。

 また我々はマルクス以来の課題であった、将来の資本の支配を廃絶した後の、消費手段の個々の労働者への分配法則をも定式化したが、共産党の理論家たちは、そんなことは不可能で、将来の解放された社会でも、個々の労働者、生産者への分配も、資本主義と同様な「賃労働」の形式でやるしかないといった、〝ブルジョア的〟立場に留まったし、今も留まっているのである。

 この課題については、マルクスは、ただ一般的に「労働時間に基づいて分配される」とだけ書いて、実際的、具体的に、〝労働価値説〟に忠実に基づいてなされるかを説明していなかったので、その内容を明らかにすることは後世のマルクス主義者に宿題として残されていたのである。

 共産党はこの点で、どんな問題も困難も見出すことはなかった、というのは、彼らはそれは資本主義の下で同じ「賃労働」の形でやれば楽々と可能である(現在行われているのだから、何の心配もない)、つまり資本主義も社会主義も同じで、何の変化もないと結論したからである。

 確かにこれは、まさに現在の中国も、かつてのソ連や北朝鮮等々の他の「国家資本主義」の国家も、すべて社会主義だと呼び、スターリン主義的専制国家も美化してきた、共産党にこそ相応しい観念ではある。

 しかし共産党の愚者たちは、「賃労働」つまり自らの労働力をブルジョアに売って働くことは、搾取労働に甘んずることであるという、マルクス主義の根底理論さえ――現実の資本主義そのものであることさえ――知らない〝共産主義者〟であって、まさにプーチンや習近平と同等の〝マルクス主義者〟と言えないのか。

 宇野学派やスターリン主義学者たちは、〝国際的に〟蝟(い)集して、「資本主義とは何か」を問うとか、今さらながら言いはやし、もっともらしい論評にふけり、リベラル等の水準にまで下降して馴れ合い、空虚なおしゃべりによって、マルクス主義を無用で、無害な――ブルジョアたちにとって――、〝一つの学説〟に貶(おとし)めようとしている。

 しかし資本の支配に反対して闘う労働者はマルクス主義や『資本論』を自らの階級的な闘いの本当の指針として、導きの糸として評価し、さらなる果敢で、真剣で、深刻な闘いへと進んでいくだけである。

   

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