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労働の解放をめざす労働者党機関紙『海つばめ』

◆隔週日曜日発行/A3版2ページ
一部50円(税込み54円)

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郵政民営化の中で何が起きているのか?
郵政労働者は告発する!

■民営化の嵐の中で最大の御用組合の登場――JPU臨時全国大会議案批判
■郵政民営化――今、職場では/郵政現場からの報告
■恐竜化か、リリパット化か――郵政民営化のジレンマ
■西川善文著『挑戦――日本郵政が目指すもの』/民営化に賭けるトップの本音


憲法改悪と
いかに闘うか?


■改憲に執念燃やす安倍――「国民の自主憲法」幻想を打ち破れ
■労働者は改憲策動といかに闘うか
■国民投票法をどう考えるか
■安倍の「美しい国」幻想――憲法改定にかける野望


本書は何よりも論戦の書であり、その刊行は日和見主義との闘いの一環である。
マルクスが『資本論』で書いていることの本当の意味と内容を知り、その理解を深めるうえでも、さらに『資本論』の解釈をめぐるいくつかの係争問題を解決するうえでも助けとなるだろう。


全国社研社刊、B6判271頁
定価2千円+税・送料290円
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「不破哲三の“唯物史観”と『資本論』曲解』(林 紘義著)」紹介(『海つばめ』第1048号)


全国社研社刊、B6判384頁
定価2千円+税・送料290円
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「天皇制を根底的に論じる『女帝もいらない 天皇制の廃絶を』(林 紘義著)」(『海つばめ』第989号)他

理論誌『プロメテウス』第54号
2010年10月(定価800円)

《特集》菅民主党のイデオロギーと“体質”
・神野直彦の思想と理論――菅直人のブレインは「曲学阿世の徒」
・原則なき寄せ集め政党――顕現するブルジョア的“体質”
反動的な「文化」の擁護に帰着――レヴィ=ストロースの「文化相対主義」批判


 
 
 教育のこれから
   「ゆとり」から「競争」
   そして「愛国教育」で
   いいのか
 林紘義 著 7月1日発売

  (全国社研社刊、定価2千円+税)
  お申し込みは、全国社研社
  または各支部・会員まで。
  メールでの申し込みも可能です。

まかり通る「偏向教育」、「つくる会」の策動、教育基本法改悪の動きの中で、“教育”とは何であり、いかに行われるべきかを、問いかける。  


 第一章  
教育基本法改悪案の出発点、
森の「教育改革策動」
 第二章  
破綻する「ゆとり」教育の幻想
 第三章  
“朝令暮改”の文科省、
「ゆとり」から「競争原理」へ
 第四章  
ペテンの検定制度と「つくる会」の教科書
 第五章  
歴史的評価なく詭弁とすりかえ
つくる会教科書(06年)の具体的検証
 第六章  
日の丸・君が代の強制と
石原都政の悪行の数々
 第七章  
憲法改悪の“露払い”、教基法改悪策動

●1358号 2019年8月11日
【一面トップ】安倍よ、お前もか――安倍政権の心やましき経済制裁
【1面サブ】ニコニコ生放送より転載の記事
【コラム】飛耳長目
【二面〈主張〉】観念論の朝日新聞――数十年前のドグマのままに
【二面トップ】れいわ新議員たちの行方――マヌーバー政治家は堕落するだけ

※『海つばめ』PDF版見本

【1面トップ】

安倍よ、お前もか
安倍政権の心やましき経済制裁

 安倍政権の新しい策動が始まっている。韓国との――北朝鮮ではなく――紛争を利用した危険な排外主義の扇動であり、民族主義や国家主義を称揚して安倍政権の求心力を高め、政権の基盤を万全にするための汚い企みである。

 もちろん安倍の経済制裁は本質的に、歴史問題――15年にもわたった侵略と帝国主義戦争の時代――朝鮮を植民地化して専制政治の下に置き、抑圧して激しく収奪していた時代――、朝鮮の若い女性の性奴隷化問題や、朝鮮の労働者・若者を半奴隷として徴用してこき使った徴用工問題に対して朝鮮人民が安倍政権の嘘や偽りの観念や姿勢や態度に対して怒りを燃やし、今なお批判的な立場を少しも変えないどころか、いささかも弱めようとしないことに対する意趣返しであり、暴力的手段による〝報復〟であって、安倍の茶坊主にすぎない厚顔無恥な悪党の世耕や、安倍の使い走り小僧の河野らのいうような、「韓国をアジアの他の諸国と同じ扱いに戻すだけの」、「安保保障上の」問題等々の、純粋に技術的で、「あくまでも韓国の輸出管理や運用が不十分」といった問題では全くない。

 問題の根源は、安倍一派の「歴史修正主義」、つまりかつて日本が天皇制軍国主義のファシズム国家であり、その時代に日本が行った、専制主義やアジアへの侵略やアジア諸国の植民地化や米英仏などとの帝国主義戦争を真実でも歴史的事実でもないと否定するにとどまらず、反対に、天皇制軍国主義の時代の日本国家の犯罪行為をも正当化し、美化し、かくしてかつて侵略し、支配し、収奪したアジアの多くの国と国民から憎まれ、総スカンを食い、ますます世界とアジアの諸国民から嫌われ、孤立しつつあるところにこそあるのである、つまりこうした歴史的真実を否定し――せざるを得ない――、安倍一派の下卑た国家主義的、帝国主義的立場にこそあるのである。

 こうした安倍一派の傲慢不遜な立場に対して、日本の天皇制ファシズム国家の被害者である朝鮮国民が怒るのは当然であって、こうした怒りは日本の国家が安倍一派の国家であり、権力であるかぎり、無くなることも、また弱まることも決してないし、あり得ないのである。

 それは、日本国民と朝鮮国民の立場が全く逆であったら――我々の国家が朝鮮国民を奴隷化したのではなく、朝鮮国家が我々を奴隷化したのだったら――、我々が安倍政権と同様に振る舞うような、卑劣で、卑しい朝鮮国民と国家を決して許すことができないのと同様である。

 日韓の労働者・働く者が再び友好と親和の関係を取り戻すためには、日本の労働者・働く者が、国民がアジアと世界の中で孤立しないでいられるためには、まず安倍政権を打倒して、日本がもっと風通しのいい、真実と事実を心から尊重し、たたえる国家と国民になることによってのみ、すなわち一貫した、本当の国際主義の立場に揺るぎなく立ち、また立ち続けることによってのみ可能となるのである。

 安倍政権のいやらしさと破廉恥は、自らの本当の意図を隠し、性奴隷問題や、徴用工の訴訟問題に対する報復措置ではないなどと今頃になって開き直り、言いはやしていることからも明らかにように、世界に類のないものとして目立っている。

 安倍政権は7月に経済制裁を持ち出した時に、はっきり徴用工問題で埒(らち)があかないからだと口を滑らしたことを忘れたかに振る舞うのだが、我々は今、安倍政権は純粋に貿易管理上の問題で、ホワイト国除外適用をするのだといいつくろったところで、かつて公言した安倍政権の卑しい本音を、安倍らの与太者同様のげす根性を忘れることは決してないだろう。

 安倍政権は半世紀以上も前の1965年に調印された日韓基本条約など――どさくさに紛れて記されたような、半ばカビの生えた古証文――を後生大事に持って回り、国家間の約束を守れなどと偉そうに叫んでいるが、見当違いも甚だしい。

 日本の佐藤政権と韓国の朴政権の間で結ばれた、1965年の「日韓基本条約」は、日本が韓国民に対して犯した植民地支配などの歴史的な犯罪と罪悪に対して、無償3億ドル、有償2億ドルのはしたガネと引き換えに、30数年にわたる韓国支配や植民地化の大きな罪をすべて水に流そうという、日本にとってまことに都合のいい条約であって、佐藤政権は韓国経済を日本経済圏内に取り込むという野望もあって、朴のカネ欲しさと権力欲に付け込んだのである。

 安倍政権や河野や世耕がこんな古証文を持ちだして、もう日本と韓国のことはすべて解決済みだといっても無駄である。朴が当時、どれだけ韓国と韓国民を代表していたかは知らないが、朴政権といえども戦後の韓国の歴史のせいぜい一段階、一時期の政権にすぎず、絶対的なものではないからである。

 それに日韓条約は韓国と日本だけの条約であって、韓国民の半分しか代表しておらず、北朝鮮は全く除外されているからである。ただこのことだけとっても、1965年の日韓条約を錦の御旗のように担ぎ回る安倍政権は厚かましく独りよがりであって愚昧であり、ナンセンスだというしかない。

 安倍政権は日韓の労働者・働く者を対立させ、相手に対する不信感や憎しみを煽り立て、もってして自らの政権基盤を固めようと策動をたくましくしているが、それは韓国の文政権も同様である。

 ブルジョア支配階級とその政府はみな口をそろえて、相手国が不当であり、傲慢であり、自分たちを侮辱しているとわめきたて、自国ファーストや排外主義や、他国民への敵意や憎しみや軽蔑を煽り立てている。

 危険な安倍一派のような徒輩がはびこる今こそ、国際主義に固く立脚する我々は、そして日本の労働者・働く者もみな足並みをそろえて、ブルジョアや反動の国家主義や排外主義や、プチブル党(共産党など)の民族主義に反対して立ち、万国の労働者・働く者はみな兄弟姉妹であり、同胞であって、相互に憎しみ合い、対立しあう、どんな理由もないと主張し、決起すべき時である。

 今こそ労働者・働く者の国際主義の旗を高く掲げよう!

   

【1面サブ】

ニコニコ生放送より転載の記事

 投票が終わり、開票が始まった直後、ニコニコ動画の候補者に聞くという番組で、林代表が電話インタビューを受けました。以下はその最初の一部です。(全体はブログに掲載されます。)

畠山(以下「畠」)「こんばんは、夜分に失礼します。フリーライターの畠山と申しますけれど、先日は個人演説会でどうもありがとうございました。今まだ速報が出ているところだと思いますが、今回の選挙を振り返ってみて、どのような感想をお持ちでしょうか。」

林「まだ結果が出てないから分からんですけれども、不完全燃焼ですね。」

畠「不完全燃焼?」

林「一言で言えばね。」

畠「一言で言えば、不完全燃焼。それはどういったところが、林さんご自身では不完全燃焼と?」

林「いろいろと立ち遅れたし、大事なところでヘマしたりとかね。」

畠「大事なところでヘマというのは、どんなこと?」

林「私たちは、NHKのテレビ重視していたんですよ、17分あるじゃないですか。」

畠「ああ、政見放送、はい。」

林「それで、いろいろありまして、私なんかは、期待していて、一番大事だということで考えていて失敗したから、票が伸び悩むという、そういう予想ですね。」

畠「政見放送がポイントというか、有権者に訴える方法としてはすごく有効だと思ってらっしゃったと。」

林「有効というか、大事だと。」

畠「大事だと思っていたんだけれども、そこがもう少し、満足のいく政見放送にはできなかったということなんでしょうか?」

林「もう少しどころじゃなくて、最悪でした。」

畠「最悪?」

林「最後のころ街頭で演説なんかしたんですけれど、そんなものならよかったと思ったんです。街頭でとても迫力もあったし元気があった、まあそういうことです。」

畠「街頭の迫力のある演説が政見放送でもできていたら、もっと有権者の方に伝わったんじゃないか、ということですね。」

林「そうです。」

畠「なるほど。林さんは今回、労働者党としては10人の方が立候補されてますけれども、この選挙の資金というのはどのようにして集められたんでしょうか?」

林「私たちは、カネ集め、一言で言いましたら、『長者の万灯』より『貧者の一灯』。灯というのはね、お寺にカネを寄付するというもんなんですね。」

畠「ああ、なるほど。お寺に寄付すると灯篭が立つみたいな、そういうことですね。」

林「そうそう、そういうもんなんですよね。だから、金持ちの、例えて言えば、百万とか1千万より、貧者の1万ずつが大事だと。供託金が4200万かかりましたから、基本的には4200人の働く皆さんのカンパで集めるというのを基本的な方針としてやりました。」

畠「それで、4200人の方からいただけたんでしょうか?」

林「2万とか3万する方もいますから、4200万ということは一人一人ということではないですけど、最終的には4200万円集めて選挙に参加できました。集まらなかったらやれないですから。」

畠「そうですね。これもこの前少しお話しうかがったんですけれども、あらためてになってしまうんですが、10人の方に立候補してもらうというのも、とっても大変だったんじゃないですか?」

林「大変でした。小さな組織ですからね。」

畠「そこから10人の方に出ていただいたということですね?」

林「そういうことですね。」

畠「説得は相当苦労したんじゃないですか?」

林「はい、しました。」

畠「何が一番、立候補されるのにあたって皆さんお困りだったんですか?」

林「若い人は、仕事している人は、落ちたら仕事を辞めてやるということになりますから。選挙をね、そのあと、どうやって生活するかと、だから若い人は障がいが高いですね。」

畠「参入障壁が高いという、」

林「障壁が高いですね。だから結局、高齢者が中心になりました。今時、積極的に候補者になろうという人はなかなかいないんですよ。」

畠「どうして積極的に立候補する方が少ないと思いますか。」

林「サークルの時期が長かったからです。意識が後退するんです。」(以下略)

(以下略)


【飛耳長目】

★哀れな共産党は年金問題で、保守政党としての本性をさらけ出した。彼らの年金政策は現状維持であって、支給額も現状を「減らさない」ということが、彼らの政策だそうな★この政党は年金について何も分かっていないのである。現在の年金制度の最大の矛盾は年金格差であり、数万円という基礎年金(旧国民年金)の支給額が何百、何千万人の高齢者の生活どころか、生命さえ保障しないことである。共産党の政策は、こんな現状と矛盾を固定し、存続させることが最優先だというのだから、これ以上の保守政党、反動政党はない★共産と自民は、年金制度の矛盾を緩和するために、基礎年金を月5千円(年間6万円)上積みするという、ちんけな改良策を持ち出している点でも全く同じである。これ以上ない、自共対決ならぬ、自共連帯であり、共同である★志位は今数万円ほどの基礎年金が25年で1万円ほど減ることが大問題であると叫び、制度の存続の方が重要だという安倍に食って掛かっている。減る年金額は7兆円だが、そんなカネはどこからでも容易に出てくるのだから、減らす必要がないというのだが、そんな幼稚な観念論で、働く者や高齢者を味方にして安倍に勝てると思っているのだから、こんな保守主義に固執し、能天気で、愚昧な野党を支持する国民が選挙ごとに100万、200万の単位で急減していったとしも何の不思議もない(鵬)

   

★中江兆民の「三酔人経綸問答」ではないが、現代の「豪傑君」と「洋学紳士」と「南海先生」の3人が熱い夏の日、新宿のデパートの高層食堂で会し、世界情勢について議論をした。豪傑君はもっぱら現代の世界の憂うべき帝国主義について慨嘆し、トランプの横暴な米国第一主義や中国の専制主義や膨張主義という現実を指摘し、日本もまた核武装も辞さず、自力で国家防衛するしかないと強調すれば、紳士君は、そんなやり方では世界の強国が軍備拡張主義に走るだけで、結局は破滅的な世界戦争だと恐怖におののき、抽象的な平和の呪文や憲法神話に逃げ込むのを見て、わが先生は、どちらも極端に走り、間違っていると2人を非難した★2人はではどんな解があるのかと先生に迫ったが、先生、現代は何か平和の世界だと考える紳士は現実を見ておらず、現行憲法があれば平和が守れるかにいうのは観念論で間違っているが、しかしひたすら軍備増強に走れば安全だというのも物騒なだけだ、私は日本で闘う者として、まず安倍政権を一掃する、そして世界の働く者がそれぞれトランプや習近平やプーチンなどの専制的悪党を倒せば、世界は平和になると言うと、2人はなるほどと納得した。豪傑君は、しかし専制主義者を倒すにしても、一度というわけにいかないのが難点だと発言したが、それは、次の会のお楽しみということで、会はお開きになった。(鵬)

【主張】

観念論の朝日新聞
数十年前のドグマのままに

 天下の朝日新聞はまた観念論と詭弁の大家でもあるのか。

 朝日新聞は「日米安保条約は不公平」と騒ぎ立てるトランプを諭して、確かに日米安保条約に代表される日米関係は「非対称」であり、その点ではトランプに「不公平」「片務的」と非難される〝欠点〟は持っているが、この「非対称」こそ欠点ではなく、美点、利点であり、日米にとってお互いの利益だなどと、詭弁まがいの屁理屈をこねている。

 トランプが「不公平」と不平を鳴らすのは、「日本が攻撃されたら我々は第3次世界大戦を戦う。しかし我々が攻撃されても日本は我々を助ける義務はない」といったことである。彼が強調したいことは、日米安保が5条でアメリカに日本防衛の義務を課しながら、6条で日本には米軍への基地提供を義務付けているだけだといったことである。つまり日米安保条約を相互防衛条約にせよといったことである。

 朝日新聞は現行の日米安保体制を正当化するのだが、その理屈は奇妙で、非論理的なものである。

 日本が相互的防衛関係を否定するのは、「憲法9条の下、集団自衛権は行使できないというしばりがあるからである」。「日米がともに戦う対称的な同盟にしようというのなら、9条の改正が必要となる。だがそれは、日本が採るべき選択とは言えない」。

 朝日新聞によれば、日米同盟は現実的な世界政治や外交の問題ではなく、まず理念や観念の問題、抽象的な憲法の条文の問題だというのである。こうした観念論が国家、国民の進む道を間違えた歴史的経験は掃いて捨てるほどあるだろう。

 朝日の理屈は、敗戦後の時代、日本が経済大国でも政治大国でも軍事大国でもなかった当時の理屈としてはいくらか意義を持ちえたかもしれないが、敗戦後70年余、すでに世界の経済大国、軍事大国となり、アメリカの目下の同盟国としてであれ、世界の大国――軍事大国、帝国主義大国――の仲間入りを立派に果たした日本のブルジョアにとっては少しも現実的でも、利益でもない立場であり、選択でもないということである。

 例えば中東の石油ルート(アラビア海もしくはホルムズ海峡)の〝安全〟のために自衛隊を派遣することはアメリカ以上に、日本のブルジョアにとっては緊急にして不可欠の必要事になっているのである。

 今や憲法を守ることによってこそ、日本と世界の〝平和〟を守り得るという情けない幻想に取りつかれる朝日には、スターリン主義政党の共産党と共に、独りよがりの観念論や、非論理的で、無力な繰り言を口にすることしか残されていないかである。

「在日米軍基地は米国の世界戦略に不可欠であり、米軍の国益にもかなう。その維持のため、沖縄などで多くの住民が負担を強いられて来た。米国だけが義務を負う片務的な条約という考え方は、全くの誤解である」。

沖縄の米軍基地は「米国の国益にもかなう」云々が仮に真実だとしても、だからどうだというのか。トランプのいうのはそんな問題ではなく、日米が平等対等な立場で軍事同盟を結ぶというなら、日本のための戦争に――それがどんな戦争かはさておくとして――アメリカが全面的に共同で闘うと約束するのだから、同様に、アメリカのための戦争にも日本も同様に戦うと約束せよということである。

 どんな戦争かで違うというなら、それはそれでいいが、いずれにせよ、日本がアメリカの〝真の〟同盟国だというなら、安倍はトランプの問いにまじめに答えるべきではないのか。

 それは憲法の問題である前に、日米資本の〝外交・防衛〟という、現実の問題である。


【2面トップ】

れいわ新議員たちの行方
   

マヌーバー政治家は堕落するだけ

 れいわ新選組比例区から2名の重度障害者が「特定枠」を利用して当選し、国会議員の資格を得た。しかしこうした事態は、一体国会や国会議員とは何か、その意義と役割は何かという、深刻な問題を提起しているように思われるが、ご都合主義的で、現状追随的なブルジョア世論やえせ自由主義的マスコミや、無責任な与野党はまるではれ物に触るようなあいまいで、ことなかれの発言に終始し、ここに現在の政党政治、議会政治を解体しかねない、深刻な問題が存在していることから故意に目をそらせている。

ちまたにはびこるマヌーバー政治

 まず第一に問われなくてはならない問題は、山本が自らの野心実現のために重度障害者を利用したことだが、山本は「目的のために手段を選ばない」といったこうしたやり方だけでも――無原則、無責任なポピュリズム政治にふけったことは別としても――、重大な非難に値するのである。他のブルジョア政党や〝左右の〟ポビュリズム政党がほとんど例外なく同様のことをしているからといって、山本がやっていいということには少しもならない。

 とりわけ90年代の細川政権による(事実上自民が画策した)「政治改革」――小選挙区制や政党助成金制度や、〝政党政治〟を中心とする怪しげな改革――が導入され、そうした変化した選挙制度を条件に、小泉政権のような政権が我がもの顔で派手な〝劇場型〟政治を演出する時代へと移ってくるにつれ、政治家の質の低下がとりわけやかましく言われるようになり、大量生産された低俗議員、不良議員たちが十把一絡げで小泉チルドレンとか、安倍チルドレンなどと呼ばれるような時代が訪れている。

 民主党政権時代も同様であり、民主党政権を壟断し、領導した小沢は、200名、300名にも膨れ上がり、議場を埋め尽くした小沢チルドレンらに対して、「諸君の役割は議席を獲得することによってすでに終わったのであって、残された議員としての役割は、政府となった民主党政府の提案や法案に賛成票を投ずるロボットの役割だけであり、あるいは次の選挙で落選しないでまた国会に戻ってくることだけだ」(『鳩山政権の8ヵ月』・民主党政権批判」85~106頁参照)とあけすけに語ったのだが、09年に大量生産された小沢チルドレンたちは12年には、新しく大量生産され始めた安倍チルドレン――今やおぞましい悪臭を放ちつつある――に席を譲って、政治の舞台からほとんど姿を消したのであった。

何のための重度障害者の「特定枠」か

 山本は選挙に臨んで、重度障害者についてのどんな政治綱領も発表していなかったし、また語りもしなかった。とするなら、一体何のために山本は特定枠に2名もの重度障害者を据えたのか、しかも1人でも3人でもなく2人の。彼は決してこの問いに答えることはできないのである、というのは障害問題について何ごとか重要で、有意義なことを語り、提起するためでは全くなかったからである。

 そしてこの2人が2人ながら「特定枠」でなければならなかったのかも、語ることはできないのである。それが政治的な動機からではなかったからであり、参院選にさいして、重度障害者の問題以上に重大な政治的、社会的な課題がなかったなどということも決して論証できないからである。

 重度障害者が国会に進出したために、多額の支出が必要となっている。障害者議員の一人の船後康彦は、「血税を使って改修することにちゅうちょもありますが、国の中枢である国会のバリアフリー化が進むなら、追随する他の機関も多く出てくる」と語っているが、まずいえることは、国会は他の多くの仕事をする単なる「職場」の一つではないし、他の「職場」とは区別されなくてはならないのである、仮に「職場」というにしても、他の職場と決定的に区別される、優れて〝公〟の性格の強い職場である。

 れいわの2人の議員は「障害者の声を国会に届ける」と言うが、「全国民の代表」としての議員はまず第一に「全国民の声」を国会において代表しなくてはならないのであって、それはつまりは、国会議員はまず第一に、〝全国民的な〟課題とその解決について語り、議論し、行動しなくてはならないということであって、「障害者の声」はその後に来るのである。

 しかもれいわの二人の議員は、障害者もしくはその団体の代表として立候補したのではなく、あくまでれいわのメンバーとして、その一員として立候補したのである、「障害者の声」ではなく、少なくともれいわが参院選でかかげた〝公約〟のために、その実現のために国会で闘うことが要請されるのである。二人は何か根本的なところで思い違いや、勘違いしていないのか(もっともすり替えや勘違いしているのは、山本代表自身でもあるのだが)。

 そもそもれいわの二人の新議員の政治的立場は不明である。というのは、れいわ新選組はどんな政党かさえも明らかではないからである。選挙に際しての政策や主張らしきものはあるが――消費税の廃止から始まる8項目の――、それらは政党の綱領でもなければ、参院選に際して、れいわの全メンバーで――そんなものがあったとしてのことだが――議論し、意見を闘わせて検討し、意見の一致したものでも、採択して合意したものでもないからである。つまりかの8項目が、二人の考えであり、政策であるかも全く不分明である。

 そして山本は野党とも共同するとも発言している。野党共闘の一部に参加する意思の表明とも取れるが、二人の新議員は、そんな山本の方針についていくことができるのか、賛成なのか、反対なのか、複雑怪奇な野党共闘問題や、伏魔殿の怪物どもの権謀術策が渦巻く政治の中で正しい道を選択でき、主体的に自らの立場を明らかにすることができるのか。さらに山本は思い上がって、将来は首相の地位への野心も明らかにしたが――身の程も知らずにも――、そんな山本の野心に賛成するのか、賛成していいのか。

国会と国会議員の意義と役割

 国会の議員とは「全国民を代表する選挙された」人々(憲法43条)の謂いであり、単に国民のあれこれの部分やそれらの狭い立場や利害の「代表」ではないし、あってはならないのであって、まして議員が政党の一員として闘う比例区選出の議員においては、とりわけそうである。少なくとも個々の立場や利害を代表である以前に、政党の一員として、政党の全政策や方針や路線――例えば、野党共闘をはじめとして、「消費税の廃止」や「奨学金徳政令」や無制約な「公務員増員」や、一次産業従事者への「戸別所得補償」政策等々、その正当性や妥当性について賛否両論があり、極めて〝胡散臭い〟とさえ評価されている多くの政策があるのだが、そんなもののすべて――に責任を負うべきであり、負わなくてはならないのだが、れいわの新議員の諸君には、その覚悟や信念が、そしてまた正しい結論を下せる知識や知恵や抱負や見識があるのか。

 いやしくも国会議員である限りは、彼らはそうした責務を果たす責任を負っているのだが、そんな重大な責任を自覚している議員が現実には全くいないからといって、れいわ――もちろん、与野党のどの政党であれ、みな同じなのだが――の議員諸君がそんな自覚を全く持っていない能天気な議員たちであっていいということには決してならない。

 今の国会はまさに〝腐敗議会〟であり、そこにたむろするのは、与野党問わず腐敗議員ばかり、まさに腐敗議員のたまり場である。そして必要とされるのはそんな腐敗政党の腐敗議員ではなく、安倍政権と最後まで闘い得る、力強い、労働者の代表である議員である。 れいわの新議員たちは、腐敗政党の腐敗議員として国会に行ったのか、それとも反対に安倍政権に反対して労働者の先頭に立って、最後まで闘う戦士として国会に行ったのか。山本太郎とその議員たちの言動が、そのどちらが真実であるかを近い将来必ずや明らかしてくれるだろう。

 卑しくも国会は「国の唯一の立法機関」としての権能によって、「国権の最高機関」であって(憲法41条)、その構成員の責務は、この重要な権能と責務を負うことや活動を第一義的に義務付けられているのであるが、今や国会では、この最も重要な原則を曖昧にしたり、どうでもいいこととして選挙に無責任に参加し、自らの利益や野心のために悪用するごろつき政治家が右往左往し、うごめいている。

きれいごとで「政治」を語るな

 「バリアフリー」が進むとか、バリアフリー先進国への歩みが加速するとか、これで「国会が変わる」とか、「これで社会が連帯ということに向き合うことになる」とか、きれいごとばかりが派手にマスコミを賑わせ、国会の本来の責務とは無関係なことが大げさにいいはやされ、根本的で、最も重要なことはどうでもいいこととばかりに忘れ去られていくのである。

 そして、そんな悪徳政治家を、ポピュリストたちを告発し、非難する替わりに、彼らを持ち上げたりする与野党の政治家やマスコミやリベラルインテリがはびこるのだが、彼らは自分たちが力を合わせて、どんなに議会政治や政党政治を空洞化させ、堕落させ、解体し、専制体制やファシズムに道を切り開いているかに気が付かないのである。

 今国会や国会議員について問われていることは、「多様性」とか、「バリアフリー先進国」とか、「国会の運営や風景が変わる」とか、「女性議員が増えた」とか、「減った」とか、「国会も連帯ということに向き合う」か向き合わないかとかいったような、リベラル好みのどうでもいいようなことではなく、国会も議員たちもすっかり腐敗堕落してしまい、空洞化し、あってもなくても大差ないような、無力で、形式的な存在に堕してしまったということである。

 れいわの政治とは何か。 それは今や野党共闘路線に代表されるような、安倍政権に反対する労働者の階級的な闘争、原則的な政治闘争を、策略や政治技術や策動にすり替える野党の――そして与野党協賛の――マヌーバー政治が花盛りである、そしてれいわの政治とは、そんな流行のマヌーバー政治のあだ花でしかない。

   

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