●1071号   
【一面トップ】サミットはおしゃべりだけのもの――福田の意図は“政権浮揚”――温暖化も食糧危機も解決できず
【主張】“反社会的”犯罪の責任を問え――企業の“事故中心主義”や搾取社会の非人間性
【一面サブ】空疎な国会決議――アイヌを「先住民族」と認める?!
【一面サブ】六〇年安保時代の青春――次号より林紘義氏の新連載
【一面連載/食糧危機を斬る――矛盾深める世界資本主義(3)】アフリカ各地で暴動が頻発――貧しい国々を直撃した食糧危機
【草枕】『蟹工船』ブーム
【コラム】飛耳長目
【二面トップ】卑しいものは卑しいと呼べ――「呼びかけ人一同」への公開質問状――青木昌彦の著書は「祝賀」に値するか
【各地の“草の根”政治】神奈川/内容は空疎で矮小――強引に「日本史必修」化を策動
【三面トップ】台頭する政府系ファンド――ハイリスク・ハイリターンに傾斜
【三面サブ】「国策裁判」ではないのか――都立板橋高校元教諭の“日の君”裁判
【四面トップ】ギリシャ・ローマ社会の位置付け――労働者セミナーの議論を踏まえて
【四面書架】オッペンハイマー著『人類の足跡10万年全史』――人類の起源を追究する試み
【四面サブ】次はどこか――ネパール王制の崩壊
【四面読者の声】橋下知事の小心・愚策


【一面トップ】
サミットはおしゃべりだけのもの
福田の意図は“政権浮揚”
温暖化も食糧危機も解決できず

 世界中のブルジョアたちとその国家が寄り集まって食糧サミットを開こうが、環境サミットを開催しようが、石油の値上がりに対処するために鳩首会議をやろうが、現代の重大問題を何一つ解決することができず、ただおしゃべりを繰り返すだけだということが、ますます鮮明に暴露されている。というのは、個々のブルジョア同士がそうであるように、ブルジョア諸国家もまた自分の利害に執着し、最優先するからであり、せざるをえないからである。そしたまた、一方の解決策が、他方の解決策と矛盾してしまい、にっちもさっちも行かなくなるからである。その典型は、バイオ燃料の利用を加速させようとすると、食糧問題と矛盾し、他方、食糧問題を優先させるなら、地球温暖化との闘いは二義的なもの、どうでもいいものになりかねない、といったことである。

 実際、さき頃、世界的に値上がりし続ける、食糧の問題を議論し、「国際的に協調して解決する」という、よき目的をもって開催された食糧サミット――世界中の二百近い国が参加した――は、内部の対立のために、どんな実際的な同意も協同行動の約束も勝ち取ることなく終了した。

 もちろん、仮に何らかの同意が勝ち取られたとしても、そんなものにどんな信頼も寄せられないのは労働者にとって自明だが、しかしそうした形だけの“空手形”さえも許さないほどに、各国の個別利益への固執や“自国本位主義”は深刻であり、頑強であった。

 例えば、日本などは先頭にたって、輸出規制や、食糧をバイオ燃料に利用することの抑制を求めたが、多くの食糧輸出国は自国の食糧品が値上がりしていくときに、輸出を抑えるのは当然と反論し、またアメリカやブラジルなどはトウモロコシやさとうきびなどのバイオ燃料としての利用は、食糧危機や値上がりの原因ではない、と言い張った。

 実際、保護主義と輸入規制の政策を取りながらも、自給率を低下させてきた愚劣な日本が、輸出規制だけを非難するのは奇妙なもの、自分勝手そのものであったし、また世界中のブルジョア国家が、自由貿易だ、グローバリズムだと大騒ぎしながら、農業保護だ、輸出や輸入の(つまり自由な国際貿易の)規制だ、自国の利益だと大騒ぎして“自国本位”に走るのも矛盾そのもので、彼らのえせ自由主義の欺瞞と破綻を暴露している。

 そもそもバイオ燃料は地球温暖化に対抗する一つの有効な道としてさんざんにもてはやされてきたのではなかったのか。食糧危機につながるから、それをやめよというのは、地球温暖化はどうでもいいということか、少なくとも地球温暖化問題よりも重要度において劣るということか、地球温暖化の進行には目をつむって、食糧危機をまず解決せよ、というのか。

 そして何よりも問題なのは、遊休する膨大な貨幣資本やその投機活動が、食糧品や石油等々の急速な値上がりの重要な原因の一つであることが明らかなのに、その規制が何一つ行われようとしていないことである。

 世界中のブルジョアたちとその国家は、石油や食料品の値上がりは自然現象であって、基本的に、自分たちがどうすることもできないことであるかに装っている。彼らは物価上昇を何とかしなくてはと言うが、それはただ口先だけのことであって、実際的な手段は何一つ講じようとはしていないのである、というのは、資本は世界中の人民の犠牲によって、投機でボロ儲けをすることをやめることができないからである。

 金融投機の条件を奪われ、世界中の“金融市場”にだぶついている“貨幣資本”が、投機の機会と儲け口を求めて商品市場に殺到するのは一つの“経済法則”であって、それを規制する手段などありはしない、と開き直るのである。

 投機はその本性上、行き着くところまで行くしかないのであって、投機相場が崩壊するまで、その運動は中断することはないのである。その間、どんなに商品価格が暴騰し、労働者人民が餓え細り、投機資本が膨大な利益を得ようと、政府がどうこうできるものではないのである。むしろ投機を規制するなら、経済的崩壊がやってくるかもしれず、「角をためて牛を殺す」ことになりかねないのである。

 しかも、現在の貨幣資本は国際的存在であって、「国境を超えて」いくらでも移動していくのであって、一国の政府が規制できるようなしろものでは全くないのである。

 国際的な金融資本が石油や食料品などが価格上昇していくとみるなら投機に走り、世界中の人民の犠牲において巨利を博そうとするのは、資本として当然の、しかも徹頭徹尾“合法的な”行為、公正な行動であって、むしろそれは保護され、守られこそすれ、排斥され、抑圧されてはならないのである。

 中世の社会や封建社会ならいざしらず、資本の社会においては、資本の自由な行動こそが大原則であり、そして資本の目的は利潤の獲得であるのだから、それをきびしく規制することは資本の自己否定であり、それにつながるのである。

 だからこそ、食糧サミットによって食糧問題を解決するとか、環境サミットによって地球温暖化問題をどうにかするなどということは白昼夢であって、まともに実現されることはもちろん、いくらかでも真剣に取り組まれることさえ決してないのである。洞爺湖サミットはただ福田内閣にとっての支持率“挽回策”としてのみ意義があり、またそのように位置付けられているにすぎない。

 今世界中で、急速に物価上昇に対する労働者人民の闘いが発展し始めている。こうした世界インフレはまさに戦後のブルジョア支配の矛盾の集中的な表現であり、その支配が根底から揺るぎ始めたことを教えている。ブルジョア陣営が自らの体制の深刻な矛盾と、その深化におびえざるをえない時期が再びやってきたのである。


【主張】
“反社会的”犯罪の責任を問え
企業の“事故中心主義”や搾取社会の非人間性

 秋葉原で、若い労働者による“無差別殺人”という凶暴な犯罪が発生した。

 我々が先々号の「主張」欄で訴えたように、“厳罰化”など全く無益であって、反社会的な犯罪を防ぐには何の役にも立たないと言った通りである(今回のような犯罪の発生の必然性を示唆している我々の警告を、ブルジョアや反動たちはもう一度しっかり読むべきであろう)。

 犯罪者自身が死を急いでいるのに、そして自らを社会から抹殺するための、つまり自殺の一つの手段として凶悪犯罪を考えているときに、「そんなことをしたら、死刑だぞ」といった脅しが全く無力であり、効果がないことは三才の幼児でも理解できるだろう。

 今回も、反動どもは、犯人は死刑にせよ、道徳教育を否定してきた戦後教育のせいだ(「戦後、『封建制の復活』だとして、道徳教育を拒否してきた教育関係者の責任」を問え)、「自己中心的な考え方と行動」を奨励してきた戦後教育の結果であり、その失敗だと、反動どもはがなりたてている(例えば、産経新聞六月十日)。

 しかし犯人はときどき激情に走る場合があったとしても――そんなことは誰にでもあることだ――、日常的にはごく普通の、常識的な人間であり、「礼儀正しく」、勉強もやり、スポーツも読書も好きな青少年時代を送っている、つまり立派に、戦後の「道徳教育」のたまもので、典型的な“いい子”だったように見える(彼を知る人々は、「大人にはいい子だった」と口をそろえている)。

 本人が、「小さい頃から“いい子”を演じさせらた」とネットに書き込んでいるというのだから、彼がどんなに“道徳教育”の申し子であったかは明らかであろう。

 つまり彼の犯罪は、道徳教育などによって、こうした犯罪を防ぎ得る、あるいは防ごうなどという考えがどんなに空しく、ばかげたものであるかを教えているのである。彼もまた、小さいときから、どんなに多くの“道徳的な”説教やしつけや教育によって育てられて来たことであろうか。それは少なかったのではなく、余りに多すぎたのであり、だからこそ、彼は一切の道徳的なものに反発した、と言えなくもないのだ(というのは、それは、彼が反発する社会の欺瞞そのものに、その象徴に見えたからである)。

 自己中心的な考えが悪いだって? その観念が、そうした「道徳観」が養われていなかったのがよくないだって?

 しかし彼は失業の危機におびえ、首切りを伝えられるか、におわされて、それが引き金になって犯行に走った可能性が大きいのであって(この点では、会社の言っていることは全く信用できない)、企業やブルジョアたちの、労働者を単なる搾取のための手段のように扱い、非人間的に搾取する「自己中心主義」を棚にあげて、労働者の“自己中心主義”について云々できるはずもないのである。

 自分たちの“自己中心主義”は正当な企業活動、善であり、それに反抗する労働者の振る舞いこそ“自己中心主義”で、否定されなくてはならない、というのか。労働者を企業の勝手に、その都合だけで首を切ったり、“非正規”の不安定で無権利の地位におき、ひどい労働にかり立てたり、低賃金でこき使っても、そんな“自己中心主義”は許されるというのか、そして労働者はただ企業の“自己中心主義”と都合のままに、まるで意思も感情もない作業工程の一部品のように扱われ、首を切られて当然というのか。

 労働者が企業に反発するのは、企業がまさに“自己中心主義”そのものであり、労働者を徹底して苦しめ、労働者の存在の根底までも脅かして来るからである。

 そして労働者が自分のそうした絶望的な地位に反発し、反抗すると、ブルジョアたちは、労働者は“自己中心主義”だ、教育が悪い、“道徳観”をもっと教えよ、と叫ぶのである。

 そして反動たちは、国家のための奉仕といった観念(国家主義)を若者にたたき込め、そうすれば自己中心主義はどこかに行って社会も安定し、犯罪などもなくなると言いはやすのだが、しかしその舌の根も乾かないうちに、日本は国際社会で徹底的に自己本位、利己的にふるまえ、どんな他国も敵と思って戦え(戦いの準備を怠るな)とわめくのだから(もっとも、ふぬけな戦後の国家主義者たちは、アメリカに従属しながら、「長いものに巻かれよ」式の世渡り術におぼれ、アメリカと戦えとは言わないが)、厚かましいぺてん師と言うしかない。

 犯人の犯罪が暴露したように、若い労働者の絶望とその“心の闇”は深く、わずかの光明も見出せないほどである。彼のような犯罪者の「予備軍」はいくらでもいると、ブルジョア世論自体が認めているのである、つまり加藤の犯罪には深刻な社会的背景や原因があるのであって、単なる個人の問題でも、その性格の問題でもないということである。犯人がある意味で、典型的な現代の若い労働者であるのは決して偶然のことではなく、何百万の労働者の置かれた地位がいかに絶望的であり、どんな希望も持てない状況に追い込まれているかを教えているのである。

 犯人の追いつめられて絶望的な状況は、数百万、数千万の労働者の現実でもある。

 だがブルジョアたちも政府自民党も(共産党さえも――というのは、この党も今では私的所有や“市場経済”を、つまり競争社会や資本主義を容認するというのだから)、ことの深刻さをほとんど理解しないで、道徳教育の問題だ、若者が“自己中心主義”に走っているのが問題だ、などと言って問題の本質に目をとざし、自己欺瞞と自己慰撫にふけるのであり、ふけることができるのである。


【一面サブ】
空疎な国会決議
アイヌを「先住民族」と認める?!

 国会で、アイヌ人を「先住民族」と認める決議が採択されたが、空虚で、ばかげたことでしかない。それがみんな分かっているのに、すべての政党が賛成するというのだから、彼らはつまらない迎合政党でしかないということだ。

 アイヌ人が北海道に「先住」していたということは、いまさら国会で決議しなくても、みな知っていることである。

 どんな人々であれ、ある土地に先に住んでいれば、“先住”の人々であるのは自明なのに、何のために形式的な“国会決議”が必要なのか、国会はそんなにも暇なところなのか。国会議員のだれ一人、まともに答えることができないだろう(だからこそ、議員といった連中は愚者の別名でしかないのだ)。

 江戸時代以降、アイヌ人が収奪され、圧政に苦しんだのは、資本の支配や収奪――もちろん、江戸時代や明治の初期の資本は“前期的な”資本、つまり商業資本等々であって、産業資本ではなかったが――が北海道にまでも浸透して行ったからであって、そのことこそが確認されなくてはならないことである。

 そして一九四五年の敗戦後、日本もようやくブルジョア民主主義国家に進化し、アイヌ人も解放されたのだが(もちろん、民主主義的な意味で、つまり法の前での平等という意味で、であるが)、それは女性や部落民たちがそうであったのと基本的に同じである。

 アイヌ人にも一切の民主的権利が認められた、つまり職業の自由も、政治活動の自由も、思想・信条の自由も、居住の自由も、みな他の“国民”と同様に保証されて、さらには“民族衣装”を着用する自由も、日常生活でアイヌ語を用いる自由も、日本語を用いない自由さえも保証されているのであって、それらが実質的な内容を必ずしも伴っていないというなら、それはブルジョア民主主義の本質であって、別にアイヌ人だけの問題ではない、そのことは女性(女性労働者)等々においても同じであるだけではない、むしろ何千万の労働者階級にとって、さらに深刻で、決定的な問題として現われているのである。

 だから、問題は「決議」の問題ではない。今回の「アイヌ人が先住民族」であることを認めた決議は、客観的、実質的にほとんど意味をもたないのであって、しいてその意義を求めるなら、国民から見捨てられ、おぼれつつある福田内閣が、わらにでもすがる気持ちでこうした欺瞞的なことにふけっているということでしかない。

 町村がいまさらのように、「我が国が近代化する過程において、法的に等しく国民でありながらも差別され、貧窮を余儀なくされた」という決議案を持ち上げ、「政府として改めてこれを厳粛に受け止めたい」などと言うのをテレビで見れば、国会決議のインチキ性とその意図は余りに明白であろう。こんなものを共産党が持ち上げるのは、この党が決定的にプチブル政党に――ブルジョア政党にさえ――堕落していることを教えるだけである。

 もちろん、自由主義的勢力も「歴史的な一歩」などと手放しで美化するのだが(朝日新聞六月四日、「社説」欄)、自らの判断停止と愚劣さを暴露しているようなものである。

 そもそも「アイヌ民族」とは何か、それにも「先住権」なるものが認められるということは、「日本民族」なるものも存在し、その「先住権」が認められるこということか、それは例えば、竹島や尖閣諸島(かつてのことについて言うなら、朝鮮や満州)等々に対する「権利」のことか。

 民主主義が認められ、国民としての「権利」が認められているときに、「アイヌ民族」としての「権利」とは何か。アイヌ「民族」であることと、「国民」であることとの関係はどうなのか、矛盾しないのか。「民族」と「国民」とは違うのか、つまり世界の一般概念では、同じ「ネイション」ではないのか。国民と民族は違う、民族とは言語や文化の一致だというのか――必ずしも、民族の概念規定として、これですむものではないが、仮にこのことを認めるとしても――、ではなぜ「アイヌ人」でなく、「アイヌ民族」なのか。言語だ、文化だというなら、「アイヌ人」等々で十分なはずであるが、なぜに「ネイション」などという言葉を使うのか、使わなくてはならないのか。まったく愚劣なことではないのか、それともアイヌは「民族」だから、自治権や国家を保証するというのか。

 ブルジョア国家は、アイヌが北海道の「先住民族」であり、何かそのことに「権利」関係が生じることを“公式に”認めたのである、ということは、将来、北海道にアイヌの国家が組織されるべきだということか、それを呼び掛け、促す――あるいは、少なくとも公認する――ということなのか。もしそうでないとするなら、一体何のための、どんな意味をもつ決議か。全く無意味で、空疎なものにしか思われない。

 そしてまた、ヤマト「民族」や沖縄「民族」等々言うのと、アイヌ「民族」と言うのとどう違うというのか。沖縄県民もまた、アイヌ人と同様に「沖縄民族」としての「権利」や「先住権」を主張することができる、せよと言うのか。

 アイヌ「民族」についてのこんな決議をするなら、朝鮮「民族」(我々は日本に帰化したかつての「在日朝鮮人」や、帰化しない「在日朝鮮人」について言っているのだ)の人々の“民族的な”存在や「権利」はどうするのか、そうした決議もまた国会で――明白な謝罪の言葉とともに――なされなくては決して首尾一貫していないのである。なぜ政府や町村らはそうしないのか。

 そもそも、敗戦後の日本国憲法は、ブルジョア民主的憲法として、国民を「出生」や“民族”等々で差別してはならないとはっきり謳っている(そしてその意義を否定する人は誰もいない)、とするなら、アイヌ「民族」の特別の「権利」を認めることは憲法に反することにならないのか、そんな決議を国会でやっていいのか。

 江戸幕藩体制や明治(薩長)専制国家がアイヌを「土人」と呼んで差別したと言ってみても、そうした体制はすでに基本的に一九四五年に終わっているのだから、今さらこんな決議をしても(戦前ならともかく)大した進歩的、実際的な意味を持たないであろう。

 そして民主主義の体制の中で、人間としての「尊厳」をもてなかったというなら、それは資本の支配の問題であって、単に「民族差別」といった問題ではまったくない(何千万の労働者の状態を想起せよ)。だから、アイヌ運動家たちが、こんな「決議」によって「民族の尊厳を回復」したなどというとするなら、それは彼らのプチブル性を暴露するだけである。そんな決議はナンセンスであり、そこからはほとんど「尊厳の回復」に値する内容は実際に生じてこないし、来ることはできない。

 朝日新聞の「天声人語」(六月七日)は「大自然と折り合い、漁業や耕作にいそしむ心優しき民。……先住民族の生活や精神に学びたい」などともっともらしく書いている。

 しかし日本人自身が少し時代をさかのぼれば(例えば、縄文時代)同じような「生活」や「精神」の中に生きていたのである。そして、人々の本当の「尊厳を回復」することは、アイヌや自分たちの原初の「生活や精神」を手中にすることによってではなく、ただ“近代の”、つまり資本家的生産関係の害悪を一掃することによってのみ可能となり、確実なものとなるのである、つまり過去に戻っていくのではなく、未来に向けて前進して行くことが必要なのである。

 アイヌ人への差別があるというなら、それはただブルジョア階級(やプチブル、あるいは遅れた労働者)の中で残っているにすぎない、というのは、彼らは本質的に階級的な差別意識の中でのみ生きているからであり、その結果、ありとあらゆる差別や差別意識を育み、ふくれ上がらせ、再生産するからである。

 一人のアイヌ人は、「感謝の気持ちで一杯だ。アイヌとして誇りを持って生きられる社会を実現したい」と語っているが、しかし「アイヌ」としての誇りといったものは、日本人に向かって「劣等感を持つな、日本人としての誇りを持て」と叫ぶ「つくる会」の連中の言っていることと同じレベルの話にすぎない。

 アイヌ人の労働者もまた、アイヌ人としての「誇り」に留まることなく、全世界で共に人類の解放を目指して闘う労働者の一員としての「誇り」を持つべきではないのか。

 社会主義意識に目覚めていく労働者はアイヌ人差別などという感情とは無縁であるばかりではない、そんなものを大げさにはやしたて、こだわること自体、偏狭であり、プチブル的だと語るだろう。問題は資本の支配の一掃であり、この闘いのためにすべての抑圧されている階級、人々が団結し、結集することである。

 今回の決議は、アイヌ人労働者の利益になるのではなく、アイヌ人の中のブルジョア層、プチブル層の立場や利益を反映しているだけである。そしてこの決議は、福田内閣の単なる人気取り政策、支持率アップの茶番劇の一つにすぎない。

 そしてブルジョア自由主義的世論が、反動陣営さえもが、こうした欺瞞を持ち上げ、はやしたてているにすぎない。

 我々は声を大にして、労働者や抑圧されている人々をペテンにかけるためにのみ町村等によって持ち出され、大げさにはやしてられる、ブルジョア自由主義的な策略や欺瞞に簡単にひっかかってはならないと警告する。


【一面サブ】
六〇年安保時代の青春
次号より林紘義氏の新連載

 一九五九年から六〇年にかけての「安保闘争」の時代から半世紀がたとうとしていますが、『海つばめ』次号から、この時代を舞台とした林紘義氏の連載小説を掲載することを決定しましたので報告します。

 この時代は、日本の労働者解放の運動、共産主義の運動にとって一つの画期であり、戦後の激動の中で、既成の運動(共産党等々)の失敗と破産が明らかになり、その権威が全く失われ、それを乗り越えようとする、新しい、生き生きとした動きがまるで夏雲のようにもくもくとわき上がってくるような、活気あふれる時代でもありました。

 一九五五年、共産党の「六全協」が開催され、いわゆる「所感派」と「国際派」の妥協が成立し、“宮本体制”が成立し始めた頃、学生運動は「国際派」に属した学生党員のヘゲモニーのもとに、新しい高揚期に向かって動き始めていました。最初は、スターリン主義運動の伝統にそって、その枠内で「平和と民主主義」をスローガンにしていましたが、彼らは急速にそうした路線を止揚し、“本物の”共産主義運動と“階級的な”闘いを呼号するようになり、「国際派」からも、つまり共産党そのものからも離れつつあったのです。

 しかし、学生“共産主義者”たちは、階級的な闘いを謳いながらも、決して学生運動の枠を超えて思考し、問題をたてることができませんでした。そして希望と理想に燃えて大学に進学した多くの学生たちは――田舎から上京し、政治の「せ」の字も知らなかった小説の主人公も、その一人でしたが――、新しい波となって押し寄せた共産主義運動と学生運動の大きなうねりに巻き込まれ、ほんろうされ、また動揺や挫折や混沌の中で苦闘し、成長して行くのですが、林氏が描こうとするのは、そうした時代そのものであり、その時代を真剣に生きようとした青春の物語です。ご期待ください。


【一面連載/食糧危機を斬る――矛盾深める世界資本主義(3)】
アフリカ各地で暴動が頻発
貧しい国々を直撃した食糧危機

 今回はアフリカの食糧問題を取り上げよう。

 アフリカは02年頃から年率5%を超す経済成長を記録している。石油をはじめ金、プラチナ、ダイヤモンドなどの天然資源が豊富で、地下資源を求めて欧米や中国、インドなどの投資が急増し、新しい富裕層が出現している。

 しかし、全体としてみるとアフリカの現実は厳しい。06年のサハラ以南の一人当たりの国民所得は829ドル、世界の下位14カ国はブルンジ、リベリア、コンゴ民主共和国などアフリカ諸国が独占し、いずれも310ドル以下である。

 サハラ以南のアフリカ(約8億人)では、10人に4人が1日1ドル以下で暮らす。子供たちの6人に1人は5歳の誕生日を迎えられない。大人の平均寿命は50歳弱、世界のエイズウイルス感染者の6割がこの地域に集中する。依然として地域紛争が続くところもある。

 こうした弱い部分に今回の食糧危機は直撃した形になった。食糧暴動はこの半年だけで、西アフリカのセネガル、シエラレオネ、マリ、モーリタリア、ブルキナファソ、コートジボアール、ギニアをはじめ、エジプト、モロッコ、エチオピア、モザンビークなどアフリカ各地(全土?)に広がっている。難民向けの救援食料が底をつき、飢餓の恐れも出ていると言われる。

 アフリカ諸国は、1960年前後に大半の国々が政治的独立を果たしたが、それは直ちに経済的な自立と発展を意味しなかった。アフリカ諸国の中心産業は農業である。多くの国で国民総生産の3分の1から半分を占め、国民の大半が農民である。しかし、窒素肥料の利用はこの半世紀ほとんど拡大しておらず、灌漑施設の整備も進展していない。

 20世紀後半にアジアや南米で進められた「緑の革命」で単位当たりの穀物生産は倍増したが、アフリカの単位当たりの食料生産(1ha当たり約1トン)はこの半世紀ほどほとんど拡大していない。

 しかも、地球温暖化問題が登場している。気候温暖化で砂漠化が進行し、キリマンジャロの雪もとけ始めているが、食料生産の9割以上を雨水に依存しているアフリカにとって深刻な問題である。先進国であれば、灌漑施設を整備したり、輸入という手もあるかもしれないが、アフリカの多くの国にはそうした財源がなく、食料の値上がりがそのまま大衆の生活危機につながっているのだ。

 例えば、セネガル(人口1300万人、面積は日本とほぼ同じ、主食は米)では昨年11月に大規模なデモが行われた。同国では国民の多くが職にも就けずにいるのに、コメの値段が数ヶ月のうちに3割も4割も引き上げられ、粉ミルクは50%以上値上がりした。隣国ブルキナファソでも2月に暴動が起き、180人が逮捕された。コートジボアールでも3月の暴動で死者が出ている。ギニアでは、コメ高騰に怒った首都住民らが暴動を起こし、昨年以降、すでに130人以上が死亡した。食事を1日1回に減らした市民も少なくない。現地の国連関係者は「市民の不満は爆発寸前」と警告する(『読売』5月30日)。

 西アフリカ地域ではこうした状況が各地に広がっており、これらの諸国では閣僚の更迭が相次ぎ、政治的危機に発展する可能性もある。セネガルでは、ワッド大統領が国民の貧窮をよそに、ダカールのビーチサイドでファッションショーに興じていたことが暴露され、コートジボアールのバクボ大統領もフランスの友人と豪遊していたことへの非難が高まっている。

 一方、資源収入で潤っているかに見える諸国でも、その富は支配層に独占されている。一時は隣国カメルーンへ「国家売却」が噂された赤道ギニア。最近の石油ブームで一人当たりの国民所得は8510ドルとアフリカでトップに躍り出た。しかし、石油がもたらす富のほとんどを5%に満たない支配層が握ったままだ。首都マラボの郊外では高層ビルの建設ラッシュが続くが、スラム街では親子3人が雑魚寝する姿がある。「ここの生活は20〜30年も変わらないよ」と人々はあきらめ顔だ。IMFも「富が国民の生活状況の改善につながっていない」と断じている(『読売』5月23日)。

 しかし、これまでの欧米諸国からの経済援助の実際を見るとき、多くを期待することはできない。60年以降様々な支援が、欧米諸国からまたソ連などからなされてきたが、それは“新植民地主義”と呼ばれたように、先進諸国の国家的な利害と強く結びついており、アフリカ自身の経済発展を促進するものではなかった。援助を手にした各国政府は、それを私物化し、汚職、腐敗が蔓延しただけであった。ソ連からの支援も武器、兵器に終始し、その政府を倒すために米国などは反政府部族と結びつき、米ソの代理戦争の場ともなった。

 冷戦が終わり、欧米の支援が後退し、内戦や部族間抗争がようやく沈静化したのは最近のことである。その間隙を縫って中国やインドがアフリカの資源を目指して権益を確保しつつあるが、こうした大国による投資がそのままアフリカ諸国の経済発展につながると即断することはできない。

 そして5月末に開かれたアフリカ開発会議(TICAD)で、日本もアフリカ援助を倍増することをうたったが、それも中国などに先を越された資源争奪に日本も加わり、あるいは国連常任理事国入りへの協力を求めるという日本側の思惑と一体のものである。

 食糧危機がアフリカ諸国を直撃し、これらの諸国の政治的経済的危機が広がっているが、これが先進諸国や中国、インドなどの危機に連動しない保証はない。

 (山田明人)


【草枕】
『蟹工船』ブーム

 『蟹工船』ブームで、新潮社では例年の10倍の5万部を増刷する売れ行きだという。

 この本が若者たち、とりわけワーキングプアと呼ばれる貧困層の共感を呼んでいるのは、言うまでもなく、彼らの置かれた境遇が、「おい、地獄さ行(え)ぐんだで!」で始まる「蟹工船」の、あの奴隷労働を強いられる労働者たちの非人間的な状況と重なり、身につまされるからであろう。文芸評論家の川村湊はこう語る。

 「『蟹工船』の労働者は、形式上、本人の意思で船に乗っている。だが、そこを脱する機会がない。これは、若者がフリーターから抜け出させない今の経済構造と似ている。……現代の若い読者には、この物語のような決起への呼びかけに対する潜在的な欲求があるのかもしれない」(毎日新聞、5月13日付け夕刊)

 ブルジョアジーにとって恐ろしいのはこの「決起への潜在的な欲求」に火がつき、若者から始まって広範な労働者たちへと燃え広がっていくことだろう。そして、『蟹工船』を自分のこととしてリアルに感じる若者たちの急増は、今や資本家たちがそれを怖れるに足る条件が十分に成熟しつつあることの一つ兆候と言えよう。

 煮詰まる危機を本能的に察知して、「産経」編集委員の桑原は最近号の雑誌「諸君」に一文を寄せ「政府与党と財界は本気で慌てるべきだ」と警鐘を鳴らしている。

 「左派が完全に時流に乗るよりも前にワーキングプアの実態を正確に把握したうえで、彼らを救済する方策を実行する時期にきている。多喜二没後七十五年の年に起こった『蟹工船』ブームを甘く見てはならない」

 むろん連中以上に現状に敏感であるべきは我々「左派」であろう。労働者党の意識的で革命的な働きかけがなければ、広範な労働者を決起させ、一貫した階級的闘いへと発展させていくことができないこと――これもまた『蟹工船』が、そしてその後の軍国主義に絡め取られて行った戦前の労働運動の歴史(この悲劇に一番責任を負うスターリニスト共産党の解体を含めて)が教えている通りだ。

 (WM)


【コラム】
飛耳長目

 ★日常の生活さえ困難なワーキングプアが増大しているが、貧困に反対する「闘い」には「溜め」が必要だと言っているのは、「反貧困ネットワーク」の湯浅誠氏である。氏のいう「溜め」とは居場所とか最低限の生活費のことである★「不当な扱いを受けたのだから、怒らなきゃいけない」という怒りの強要は、「誰だって、その気になれば再チャレンジできるはず」という再チャレンジの強要と基本的に変わりはない、闘いのためには「闘わなくてもいい」場所や生活費が必要であり、貧困に反対する闘いを発展させるには国家に生活保護適用を認めさせたり、「居場所」を確保させることが大切だ、これまでの運動にはこうした「溜め」を獲得するという視点が欠けていたと氏は主張している(『反貧困』岩波新書)★確かに、一日の労働で疲れた身体をやすめる居場所もなくネットカフェなどを転々とし、その日暮らしの生活を余儀なくされている人々の多くは、日々の飢えをしのぐのに精一杯であって、将来の展望もなく、自分自身が何のために生きているのか、何のために働くのかが見えず、自分自身を大切に思えない状況に陥っている。だが将来の確かな展望もなく、労働の意義も実感しえないというのはワーキングプアだけの問題ではなく、多くの労働者も同じである★ワーキングプアの「溜め」のための運動はそれとして一定の意義を持っている。しかし、問題はそれを越えた闘いをいかに実現し、貫徹して行くかである。むしろこの「視点が欠けている」ことこそが労働者(そしてワーキングプアの)運動の、現時代における根本問題である。

 (騏)


【二面トップ】
卑しいものは卑しいと呼べ
「呼びかけ人一同」への公開質問状
青木昌彦の著書は「祝賀」に値するか

 篠原浩一郎が代表発起人になり、旧ブント(最初の「共産主義者同盟」)もしくはその周辺にいた数十人が呼び掛け人として名を連ねて、青木昌彦の『私の履歴書 人生越境ゲーム』の出版祝賀会をやるという案内が、我々にも送られてきた。我々は何のために、また何を祝賀するのか、と怒りと軽蔑の念に駆られながら問う以外の、どんな対応の仕方も知らない。以下、公開質問状を送付するので、すべからく回答されることを要請する。なお、この質問状は『海つばめ』紙上において掲載する予定であることを、あらかじめお断りしておく。もし回答があり、また要請があれば、その回答もまた『海つばめ』に無条件で掲載することはお約束する。

 まず強調しなくてはならないことは、青木昌彦という人間を美化したり、その著書を「祝賀」するなど決してあってはならないということである。まして、その著書が旧ブントのことに関連し、しかも青木が自らの当時の言動を正当化し、弁護するような内容を含むものであるにおいてをや、である。

 青木という人間は、ブントの指導者として、革命――しかも「世界的な」規模での共産主義革命、つまり「世界革命」――や「共産主義」を呼号し、六〇年安保闘争の「決定的な意義」を語り、安保改定を阻止せよ、“スターリン主義者”を打倒せよ、と先頭に立って扇動し、多くのブントの活動家や学生たちを権力との闘争にかり立てながら、自らは結局、その言動に何ら責任を負うことなく、ブルジョア陣営に走った、もっとも卑しい、無節操な人間である。糾弾されることはあっても、ほめたたえられるようなものは何もない人間である。

 かの闘いでは、樺美智子が亡くなり、多くの活動家が身体を損傷し、また長期の裁判闘争を余儀なくされ、また人生を大きく左右された人々も数多(あまた)いたのである。青木はこうした人々に対して、いかに責任を取ったのか、取ろうとしたのか。自分だけ風をくらって逃走すれば済む、といったことではなかったのである。

 ブントが解体したからというのか、しかしそれなら、ブントの最高指導者として、いかにその困難な状況を克服して、さらに前進していくのか、その展望を示すという、決定的に重大な責任も義務もあったはずである。

 また六〇年安保闘争後、あの闘いを踏まえて、多くの場所で、様々な形で闘いを継続して来ている人々も沢山いるのである(我々もまた、その一部である)。

 青木はブントの指導者として――青木は「私の履歴書」でも、自分の指導的役割を自慢たらしく書いている――、こうしたことの一切に責任を負っていたのであって、具合が悪くなるとたちまち戦線から逃亡し、自分だけ要領よくブルジョア的に転向して済むということではなかったはずである。そんなことをする人間が最低の人間であり、「人の道にもとる」ということは、余りに明らかではないのか。

 そんなひどい人間の青木が、今、安保闘争のあとのブントの混乱期における無責任な言動や、醜い“ブル転”(ブルジョア的転向)までも、何か有益な人生の道であったかに自慢し、一切の無責任と無節操と臆病と根性なしを、何か賢明で、正しい選択であり、まともな人生であったかに書き立てている、そしてそんな本を出すというのであり、そしてそんな青木の立場や本をちやほやと持ち上げ、「祝う」という愚昧な“お仲間”連中がいるというのである。

 この“お仲間”連中とは一体どういう人種か、青木と同様の、あるいはそれ以上のはれんち漢であり、無責任な連中ではないのか。青木がブルジョア的“名士”(流行の言葉で言えば“セレブ”)として登場したということで、急いでその周りに群れ集まっていく連中の、何とさもしく、げびていることよ。

 我々は日本経済新聞の「私の履歴書」に青木の連載が掲載されたころ、すでに次のようにはっきりと書いて、青木のゆるされざる本性を糾弾した。

 「青木はこれまでずっと、自分の“革命家”としての“経歴”や思い出について一切語らず、その点ではいくらか増しかと考えていたが、しかし青木もまた西部とか、その他山ほどいる――林道義もその一人だが――くだらない連中と何ら変わらない俗物であることを暴露し、かくしてブントという存在のプチブル的本性を確認する上で、最終的な仕上げをしてくれたのである。

 恥というものを知らない、青木とか西部といった心根のくさったゴキブリ連中よ、せめて諸君は沈黙を守るべきではなかったか。諸君には、えらそうなことを言える資格は全くないのだから。我々の怒りと軽蔑は深い」(『海つばめ』一〇五四号、〇七年十月二十一日……なお、この文章は全文、我が「マルクス主義同志会」のホームページで読むことができる)。

 我々は青木とその腐った“お仲間”連中に、次の三点について、公開で質問する。

 (1)、諸君は何のためにブントを結成し、そこに結集したのか。「若気のいたり」であって、今では、そのことは間違いであり、あるいは正しいことではなかったと思うのか、それともブントの意義はあったというのか、そうだとするなら、それは何なのか。諸君ははっきり答えるべきである。

 もしブントなど大した意義はなかったというなら、何のために青木はいま、ブントの中心人物であったかに自慢気に語り、自分の“功績”を誇るのか、誇ることができるのか、そして諸君は、そんないいかげんな青木をほめあげるのか。

 少なくとも、戦前の“転向者”はそうすることができなかった、というのは、権力の弾圧が厳しく、そんないいかげんな立場は許されなかったからである。“転向者”は“転向者”であり、かつての共産主義や労働者革命の理想を放棄し、それを悔い改めているからこそ、“転向者”である。青木はかつての共産主義者としての自分を反省し、悔い改めているのか、それとも反対に、それを今もって信じ、擁護しているのか。いまだ、共産主義(青木があんなにも強調した「世界革命」の理想)を正しいものと信じているのか。

 ブントを美化するなら、それを信じているということであり、他方、自分が呼号した「世界革命」の理想はばかげた妄想だったというなら、ブントについて、その根底の思想や理論を自分が先頭に立って鼓舞したかに自慢するのはどういうことか。青木よ、そして青木の貧相な迎合者、追随者たちよ、答えるべきである。

 (2)、第二の質問は、安保闘争の後、青木が取った最も無責任な立場について、である。青木が、ブントと六〇年安保闘争の最先端の指導的な立場にいたというなら、彼は安保闘争の指導とブントについて、全く責任を果たさなかったことをどう考え、反省しているのか。

 例えば、青木は島や北小路や服部らと一緒になり、6・15「国会突入」闘争を指導したのだが、他方、その直後の大闘争、6・18闘争では、徹底的に闘いを抑える側に回り、それまでさんざんに非難してきた社会党や共産党と同様な日和見主義的戦術、「お焼香デモ」しか許さなかったが、指導者としてのこうした動揺と臆病と日和見主義をどう弁解するのか。

 6・18ではすでに客観的に闘う力がなかった、そんなことをしたら大弾圧を招きかねなかった、犠牲者が樺美智子一人ではおさまらなかった、というのか。それなら、6・15闘争もまた正しくなく、樺美智子の死もまた無意味な犠牲であったというのか。

 60年安保闘争は「決定的な」闘いであると青木は呼号したのだから、6・15闘争と、6・18闘争が区別され得るはずもないのである。むしろ6・18は客観的に一層有利な状況さえ存在したのであり、岸内閣を打倒する絶好のチャンスが到来したとも言えたのであり、大衆の憤激と闘争への決意は頂点に達していたのである(我々の知っている学生のWは、6・18デモには、「父親の拳銃をふところにして参加した」と、ずっと後になって教えてくれた)。そんなときに日和ることは果たして、青木等の立場や理屈から言えば、度はずれの日和見主義ではなかったか。なぜ一方はお焼香デモでよく、他方は「国会突入」なのか。双方とも「決定的闘争」の一環であり、雌雄を決すべき「決戦」の一部ではなかったのか。青木は自らの日和見主義と動揺を説明する義務がある。

 この点については、安保闘争の後のブントの会議などで、服部や星野や長崎浩や蔵田計成らの“革命の通達派”の猛者連が激しく青木や島を糾弾し、追及したが、今にいたるまで、青木や島らはきちんと回答していないのである。

 もし6・15の闘争も「若気のいたり」であり、無意味な闘争だというなら、その闘争に学生をかり立てた、青木や島の責任はどこに行くのか。意味もなく樺美智子を殺したのは青木や島の責任だということになるが、それでもいいのか(彼らは安保闘争後、「樺さんはばかだった」とうそぶいた。仮にこれが「ばかなほどまじめだった、一途だった」という意味であったにしても、こうした発言が青木等の口から出るのは許すことができない。要するに、樺美智子も「自分たちのように、要領よく振る舞えばよかったのだ」と言うも同然だからである)。

 一体、青木や島といった無責任な連中は、樺美智子の死にどんな責任を負うのか、自分たちは一切関係ない、知ったことではない、さっさと“ブル転”でもして“優雅な”人生を送ろうと、それは我々の勝手だとでもいうのか。そうだとするなら、何という無責任で、いやしむべき連中であることか。こうした連中は、人間のクズではないのか。

 青木は6・15においては、学生たちを権力との正面衝突にかり立て、6・18においては、闘いが異常に高揚してきた「決定的な瞬間」において――と、革通派の蔵田や長崎らは声高にわめいて、青木の日和見主義と臆病を糾弾したが、今その蔵田や長崎が、青木の“功績”か何か知らないが、お祝いするというのである。ウルトラ“革命主義者”といったものの愚劣さ、皮相浅薄の見本みたいなものだというしかない。蔵田らは今や、中島嶺雄といった、「つくる会」などの国家主義者、極反動と同じような立場にまで転落した腐敗人間とも手を組むというのである――、権力との闘いから逃走し、しっぽをまいたのは何ゆえか、青木ははっきり語るべきであり、その責任がまだ果たされていないのである。青木は、安保闘争は「決定的な闘争」、天下分け目の闘争であると叫んで学生を扇動してきたのだから、この質問に答える義務が残っているのである。

 もちろん、青木がこれまでの「四八年間」の通りに沈黙しているなら、あえて我々は青木を糾弾し、こんな質問をぶっつけることはなかったであろう、だが、青木は今この年になって、ブントについて語り、そこにおける自分のご立派な指導的な役割を自慢たらたら語り、ブルジョアたち、反動たち、転向者たちに奉仕しようとするのであるから、我々の質問に明確に答えなくてはならないのである。それは責任ある人間の義務というものであろう。

 (3)、最後に、我々は青木が安保闘争後の「共産主義」運動とブントに対して取った、最も無責任な行動について質問しなくてはならない。

 彼は安保闘争後のブントの混乱と解体に対して、指導的、中心的な立場にある者として、どんなまともな、責任ある対応もしなかっただけではない、むしろ混乱を拡大させ、最後には無責任に、彼がつくりあげたという運動もブントも何もかもほおりだし、ブルジョア陣営に走ることによって、ブントの混乱と解体に決着をつけたのである。

 要するに、最後にいたるまでどんなまともな責任も取らなかったのである。スターリン主義者の腐敗した党(共産党)に代わって、新しい真実の共産主義の政党、労働者の革命的組織を建設するのが、我々の課題だとあんなにも叫びながら――我々もまた、その呼びかけを真剣に受け止め、希望と期待と情熱と真理に対する献身の決意を持って、ブントに結集したのだが――、その重要な任務などどうでもいいかに、ブントの解体期に振る舞ったのである。

 ブントが新しい労働者党の「器ではなかった」というなら、それはそれでいい、しかしそこからは、ブントを止揚して、さらに前進するという課題が生じてくるだけであって、ブルジョア的に転向すればいいといったことに、どうしてなるのか。

 ブントがだめだというなら、それを超えてさらに前進していくためのヘゲモニーを取る代わりに――青木がそれまで言ってきたことからして、ヘゲモニーを断固取るのは当然のことであったにもかかわらず――、ブルジョア的に転向し、さっさと“戦線逃亡”する道を選んだのである(旧軍隊なら、戦線逃亡は死刑に値する重罪だ)。こうした男は徹底的に批判され、非難されるべきであって、どんな称賛にも値しないのは自明である。

 青木等にとっては、権力との激突やブントは、「人生越境ゲーム」の一こまに過ぎないのだ(この「人生越境ゲーム」という言葉こそ、青木の甘えた、“おぼっちゃん”根性を暴露している)。青木にとっては、えせ左翼からブルジョア陣営への転向は「ゲーム」の一種でしかないのだ、ブントの運動も要領のいい、勝手きままな人生の単なる一こまというわけである。清水とか北小路のように、黒田派から中核派へと、あるいは“内ゲバ”などへと、つまらない政治屋的な人生を送るのは愚の骨頂であって、ほかにもブルジョア社会には楽しく、華やかな人生、日の当たる場所はいくらでもある、さっさと転向すべきだった、と言うのである。まさにいやらしいエリート意識、ブルジョア根性丸出しである(労働者活動家なら転向しようとしまいと、青木のような、西部や中島嶺雄らのような、ブルジョアたちにちやほやされる、特権的で“高雅な”人生を送れるはずもないのだ)。

 しかし篠原やその他諸々のブントの悪臭をはなつ「残骸」たちは――彼らは自分らの悪臭を自覚しないから一層始末におえない――、青木のような節操なく、卑小な人格を持ち上げ、美化し、「祝う」価値があると信じるのである、つまり諸君は青木と同等の人間、それ以下の陋劣で原則や信念を欠く人間であるということか、そのように客観的に評価されてかまわないということか、それほどにつまらない、空っぽな連中だということか。

 青木とその“お仲間”連中は、我々の質問に答える義務がある。これは我々だけの質問ではなく、かつて六〇年安保闘争を真剣に闘った人々、ブントに加わって新しい理想に燃えた人々全員の(故樺美智子も含めて)憤激であり、怒りの詰問であることを(公然と表明されている、あるいは表明されていない、多くの怒りと弾劾の声と心情の噴出であり、その代弁であることを)、諸君は知るべきである。

 なお我々は、この公開質問状が呼び掛け人のすべてに配布されるか、閲覧され得るように配慮されるように、あるいは少なくとも、これが送り届けられていることを、呼び掛け人全員に周知徹底されるように要望する。

 2008年6月6日

 マルクス主義同志会 代表委員会


【各地の“草の根”政治】
神奈川/内容は空疎で矮小
強引に「日本史必修」化を策動

 神奈川県は二〇〇六年九月、一都三県教育長(埼玉・千葉・東京・神奈川)の名で文部科学大臣宛に高等学校における日本史必修化を求める要望書を提出した。

 一都三県教委は「次代を担う子供たちが、国際社会の中で日本人としての自覚をもち主体的に生きていく上で必要な資質や能力等を育成することは極めて重要であり、その基盤として、わが国の歴史や文化、伝統に対する理解を深め尊重する教育がこれまで以上に求められている」と要望書の提出理由を述べている。神奈川県の松沢知事は「(必修化で)愛国心や郷土愛がはぐくまれると思う。しっかりした日本人、国際人の育成に日本史は不可欠、県教委の判断を評価したい」と実施への意欲を語り、さらに県教委との一体を強調している。

 しかし、高等学校における日本史必修化を求める要望は叶わなかった。今年一月の中央教育審議会の答申を受けた新学習指導要領は、世界史の必修を継続し、日本史・地理は選択とする従来どおりの方針に変更はなかった。

 二月、県教委は全県立高校で主要科目である日本史を必修科目にすると発表した。

 県教委は〇八年度からは準備段階として各校の裁量で日本史を必修とするよう要請、理系や地理を選択する生徒の負担を増やさないため、授業時間が少なくて済む神奈川の「郷土史」と「日本と世界の総合的な近現代史」を県独自の学校設定科目として創設し、日本史の代替科目とする。そして一三年度には全県立高校で完全実施するという。

 松沢や県教委は日本史や郷土史、さらには近現代史を必修化し、それらを学ぶことが国際人育成に不可欠というが、それは本当であろうか。

 世界史は、一九九四年度から必修になったが、その必修時の意義を「世界史的視野を持った国際人を育てる」と言い、県の日本史必修化に異議を表明した日本地理学会、日本地理教育学会も、先月提出した「地理歴史科地理の履修形態に関する要望書」の中で、地理の学習の意義を「郷土愛、国際理解、国際感覚などが養われ日本人のみならず国際人としての基礎が形成される」と言っている。

 地理歴史科三科目はほとんど同じ内容の意義づけが言われているのである。それは地理歴史科だけが国際人育成と関係しているわけでなく、教育や学問そのものの性格が国際人育成と関連しているのであって、松沢や県教委が言う日本史や郷土史、さらには近現代史を国際人育成に不可欠というのは全くの無教養に等しい。日本史が国際人育成を保証する科目であるなどと誰が信じるであろうか。ましてや日本史の代替科目の神奈川の郷土史や近現代史でそれが可能というのであろうか。

 代替科目の神奈川の郷土史や近現代史については、県は検定の必要ない教科書を勝手に用意できるなど、高校のカリキュラムへ強権的に介入する一方、教育労働者へも、批判を許さぬ攻撃が仕掛けられている。

 卒業式や入学式で国歌斉唱時に起立しなかった教職員の氏名を、県教委が情報収集していることに対して、収集の中止を求める不起立教職員の異議申し立てを受け、昨年十月、県個人情報保護審査会は、氏名収集は個人情報保護条例が禁止する「思想信条に関する個人情報」に当たると答申した。また今年に入り、県個人情報保護審議会も県教委の不起立者氏名の収集を「不適合」と判断した。

 県個人情報保護条例が規定する二つの諮問機関で、相次いで収集は不適当と指摘されたのである。しかし、県教委は二つの諮問機関での指摘や答申に対して合理的説明のないまま、収集を今後も続ける方針を明らかにしている。松沢知事や県議会最大会派の自民党県議らは、不起立者に対し、懲戒処分を含めた強い態度で臨むことを県教委に求めている。

 県は今や教育科目を創設し、それを必修化し、教科書まで作り、愛国心や国家主義に満ちた教育を目的にし始めている。同時に、県や県教委に批判的な教員や、日の丸・君が代に反対する教員を教育の現場から追放しようと策動を強めている。

 断固反撃しよう。

 (湘南・熊谷)


【三面トップ】
台頭する政府系ファンド
ハイリスク・ハイリターンに傾斜

 サブプライム・ローンの破綻で激動する金融界において、ひとり息巻いているかのような様相を見せているのが「政府系ファンド」である。古くはオイルマネーと呼ばれる中東産油国の資金が有名であるが、最近ではこうした資源輸出国の資金以外にも財政黒字や外貨準備の一部を利用した資金運用が登場し、注目を浴びている。ここでは、この政府系ファンドの実態と問題点を考えてみたい。

 ◆「政府系ファンド」とは

 政府系ファンド(Sovereign Wealth Fund=以下SWFという)についての明確な定義はないようで、国家が有する財貨をファンドとして投資するものを指すと考えられるが、国有資金だけに限定するものから、王族の私的なファンドも含めて議論するものまでみられる。一般には「国富ファンド」などとも呼ばれるが、「正確には『政府系余剰資金運用機関』というべきものである」(畑中美樹『世界』3月号)と言われるように、政府系資金のうち余剰な資金を有効に運用しようというものである。

 その規模は1・9兆ドル〜2・9兆ドルにもなると言われており、すでにヘッジファンド(1兆ドル〜1・5兆ドル)を上回っている。今後、「毎年1兆ドルのペースで積み上がり、2015年には15兆ドルに達するとの試算もある」(『週刊ダイヤモンド』3・15号)と言われるほど、いまや大きな存在となっている。

 SWFは、その財源から大きく二種類に分けて説明される。ひとつは、原油などの資源の輸出収入を財源とするものであり、もう一つは資源以外の商品輸出や為替介入などによって蓄えられた外貨準備を財源とするものである。

 前者の中でもオイルマネーと呼ばれるものは歴史的にも古く、サウジアラビアのサウジ通貨庁は1952年に、クウェートのクウェート投資庁は1953年に設立されている。サウジ通貨庁(資産規模3000億ドル)はサウジアラビアの中央銀行にあたり、国営石油会社サウジアラムコの収入を原資とする政府の余剰金や、政府系機関の退職年金基金の資産を運用している。外貨準備運用機関としての性格が強いことから、SWFに入れない論者も見られる。クウェート投資庁(資産規模2500億ドル)も原油の輸出を原資とするが、こちらはイギリスから独立する8年も前に設立されたこともあり、設立当時からロンドンに投資拠点を置き、クウェートとロンドンの両方で運用を行い、設立以降現在においても英国人がその運営にあたっている。

 また、世界最大規模をほこるUAE(アラブ首長国連邦)のアブダビ首長国のアブダビ投資庁(ADIA)は1976年に設立されている。これも原油輸出を原資としており、資産規模は8750億ドルと群を抜いている。これはこの国のGDP比461%というのだから、油を売って稼いだ金の4、5年分を投資に回しているわけである。

 中東以外ではノルウェーの政府年金基金(GPF、資産規模3220億ドル)も原油(北海油田からの)関連からの収入を基に、1990年に設立されている。

 こうしたオイルマネーと呼ばれるものは、もともと資源価格の変動や将来資源が減少していくのに備えて、資金を蓄え運用し始めたものである。そのため、その運用方針もリスクを避けて分散投資し、比較的安全なところに投資するというかたちをとっている。したがって投資期間も比較的長期のものが多い。

 これに対し、資源を財源としないグループの代表格はシンガポールのシンガポール政府投資公社(GIC、資産規模3300億ドル)と、同じくテマセク・ホールディング(資産規模1080億ドル)である。

 GICは70年代以降急増した財政黒字の有効な運用を目的に、政府が100%株式を保有する民間会社として1981年に設立。当初はテマセクの子会社だったが今では対等な関係で、資産規模も人員もテマセクを上回っている。テマセクは政府関連会社の株式等を原資に、それらの会社を管理する持ち株会社として1974年に設立された。どちらも限りある資源を財源としているのではなく、また、その投資によって単なるリターンだけを求めるのではなく、国内産業の育成という面から評価できると判断したところへも積極的に投資し、その企業の経営権を握る場合もある。

 SWFを大別すると、財源が資源の輸出によるものは、比較的、運用においては保守的であり、財源が非資源系のものは、比較的、運用においては積極的であるといえる。しかしこれも、過去の動きを元に見たものであって、近年はその様相にも変化が見られるようになってきている。

 ◆SWFの資金急増、相次ぐ新設

 ブラジル、ロシア、インド、中国の所謂BRICsをはじめとする新興国の急速な経済発展により、原油などの資源に対する需要が増大するという見通しから資源価格が上昇。その結果、「主要産油国の経常収支黒字は2002年から2006年までの4年間で約4・3倍に達している」(福永一樹・国際通貨研究所経済調査部長『Newsletter』3・17付)という。

 また、中国や韓国、台湾などのアジアの国々も貿易黒字を拡大し、自国の通貨の切り上げを抑えるために外貨準備を積み上げてきた。「世界の外貨準備資産は2000年以降増加のスピードを加速させており、2007年までにほぼ2・5倍になっているが、その増加分の約7割を(日本を含む)アジアの中銀が占めている(日本を除くと約5割強)」(福永・同前)。

 原油高による輸出額の増加や貿易黒字の増大にともない、外貨を積み上げていった国々は、それをSWFの積み増しや新たなSWFの創設へと向けていった。2000年以降、新しく誕生したSWFを列挙すると次のようになる。ファンド名の次の( )内は、国名、資産規模を示す。

 2000年:歳入規則基金(アルジェリア、250億ドル)、国家基金[石油基金](カザフスタン、180億ドル)

 2001年:国家安定基金(台湾、150億ドル)

 2002年:ムバダラ開発公社(アブダビ首長国、120億ドル)

 2003年:公的年金基金(ニュージーランド、100億ドル)

 2004年:原油安定化基金(ロシア、1270億ドル)、ドバイ・インターナショナル・キャピタル(ドバイ首長国、60億ドル)

 2005年:カタール投資庁(カタール、400億ドル)、韓国投資公社(韓国、200億ドル)、国家開発基金(ベネズエラ、180億ドル)

 2006年:将来基金(オーストラリア、500億ドル)、経済社会安定化基金(チリ、60億ドル)

 2007年:中国投資有限責任公司(中国、2000億ドル)、リビア投資庁(リビア、500億ドル)

 まさに新設ラッシュである。相次ぐSWF新設の背景には、資源輸出国や新興国の資金が豊富になったことが一つの要因であることは先に述べたとおりである。

 ここでは新しく登場したSWFの例として、ロシアと中国を見てみよう。

 まずロシアであるが、先に述べたように原油安定基金として2004年に設立されているが、これは原油関連税の収入を積み立てて、資源価格の下落に備えるとともに、国内の過剰流動性を吸収してインフレを抑えるのが目的だったと言われている。運用は格付けAAA以上の先進国の国債に限定していた。しかし、今年の2月にこの基金を「準備基金」と「国家福祉基金」に分割し、前者はGDPの10%相当までを従来どおりの運用で行い、後者はGDPの10%を超える部分を受け持ち、より高いリターンを求めて株式や社債などに投資するということになっているようである。そのためヨーロッパでは、いよいよロシアが企業買収に乗り出してくるのではないかとの懸念を生んでいる。今のところロシア側は、出資比率は5%以下に抑えるとしているが、その先はわからない。

 次は中国である。中国投資有限責任公司(CIC)を昨年9月に設立しているが、その資産規模は2000億ドルと当初から巨額であり、しかも正式設立前の昨年5月に米国のブラックストーンというファンドに30億ドル出資して話題となった(ブラックストーンが保有する資産には軍事・衛星技術関連の会社が含まれていたため)。

 CICの原資は、急速な経済発展により積み上がった外貨準備である。中国の外貨準備は、日本の外貨準備の1・6倍にあたる1兆5300億ドルにものぼり、世界最大である。この外貨の多くは、これまで米国債の購入にあてられ、米国経常赤字を穴埋めする一役を担ってきた。つまり、米中間貿易で中国は黒字になり、米国は赤字になるのだが、中国はその稼いだ外貨で米国債を購入し、収支の帳尻を合わせるということである。国債を購入してくれる人(この場合は国)がある限り、米国は破綻せずに済み、また次の買い物(輸入)ができるというわけだ。

 しかし米国の赤字は膨らむ一方であり、また中国の黒字も増える一方というのでは当然ドル安と人民元高を招き、ドル資産(米国債)の目減りは避けられない。今では年間6〜10%のドル安元高の圧力があると言われている。保有するドル資産の為替差損を補おうとすれば少々リスクは高くともハイリターンの望める運用を考える必要がある。そこで、巨額の外貨準備のなかから一部を取り崩してCICを設立し、その運用でハイリターンを得ようというわけである。

 「今後も続く為替差損の埋め合わせを考えれば、14%のリターンが必要」(米外交問題評議会フェロー、ブラッド・セッツァー。『週刊ダイヤモンド』前出)という指摘もある。CICは年率10〜14%のリターンを得る運用をしなければならないという宿命を背負っているのである。

 CICはブラックストーンに続き、昨年12月にはモルガン・スタンレーに50億ドル出資した。サブプライム・ローンの破綻で窮地に陥ったモルガン・スタンレーを救済する形であるが、果たしてこれが中国の狙い通りハイリターンをもたらすかどうかは不明である。今後ますます中国の外貨準備は膨らみ、その結果CICの資産規模はさらに増えていくことが予想されるが、果たして年率10〜14%ものリターンを得ることが可能なのかどうか。もし可能にしようとするならこうしたカネは投機資金としての動きを強め、金融不安の一つの要因とすらなりかねないのである。

 ◆既存のSWFにも新しい動き

 1990年代までに設立されたSWFは比較的保守的な運用を続けてきたことは先に述べたが、そうしたSWFの中にも徐々に変化が現われてきている。ここではまずSWF最大のアブダビ首長国のうごきについてみてみよう。

 アブダビ首長国は1977年にアブダビ投資庁(ADIA)を設立し、8750億ドル(約90兆円=これは日本の一般歳出予算を上回る額である)というとてつもない規模で運用していることは先に述べた。そのうち50〜60%が株式で運用されているが、一企業の発行株式の5%以上を取得することはまれで、経営には口を出さず長期保有で運用を図るという姿勢をとってきた。しかし2000年以降になるとこうした姿勢にも変化が現れている。

 2002年、新たにムバダラ開発公社を設立するが、これはアブダビの産業育成を担う持株会社という性格が強く、ADIAとは路線を異にする。欧米企業との合弁会社をアブダビに幾つも立ち上げる一方で、イタリアの航空機メーカー、ピアジオ(35%)や高級自動車のフェラーリ(5%)、米国半導体大手のAMD(8%)など関連企業にも投資している〔( )内はいずれも出資比率を示す〕。通貨配分ではADIAが米ドル50%、ユーロ、英ポンド、円の計36%、新興国通貨14%なのに対し、このムバダラ開発公社は米ドル40%、ユーロ50%、新興国通貨10%と推定されており、資産規模が全く異なるので単純に比較はできないが、米ドルよりもユーロ重視の姿勢がうかがえる。また2006年にはアブダビ投資評議会(ADIC)を設立。これまでADIAが運用していたうち、中東・北アフリカ向けの部分をこのADICに移管しているという。詳細は明らかではないが、これも一つの変化ではある。

 SWFの中でも古い歴史を誇るクウェート投資庁(KIA)も保守的な運用しかしてこなかったが、2005年に投資基準を改定して対象を拡大している。その後、新興国市場の株式や債券、不動産にも投資し、近年では中国工商銀行など銀行への投資が目立っている。これにはクウェートを金融・物流のハブにしようという思惑があるとされている。

 また、1990年に設立されたノルウェーの政府年金基金は06年に投資基準を改訂し、株式投資は当該企業の3%までとしていたのを5%までと拡大し、格付けBBB以上としていた社債投資の制限を撤廃、さらには商品先物市場への投資も可能にした。まさにリスクを冒してでもリターン優先の方向に舵を取っているわけである。

 ◆ドル安不安

 外貨準備はその多くが米ドルや米国債で運用されているが、あまりにも過大になったドル債券はドル安の不安と隣り合わせの状態となり、少々リスクがあってもハイリターンを求めるファンドとして運営した方が有利だという判断がSWF新設を促した要因の一つであろう。そしてこうした新設ラッシュとともに、既存のSWFにおいてもリターンを重視する運用への動きが見られるのもドル安による減価を避けたいという事情を反映しているものと思われる。

 資源輸出国や新興国に豊富な資金をもたらしたもの、それは基軸通貨としてのドルの恩恵を利用して、大量の商品を輸入し消費する米国の存在があったからでもある。米国は国債を発行してドルを市場に垂れ流し原油や商品を輸入する。他方、原油や商品を輸出する国は売却によって得た利益で米国債を購入して米国の借金財政を支える。こうした相互関係が両者の関係を作り上げ支えてきて来たのであるが、それは米国の多額の債務、他国の多額の債権として増幅され、いずれかは破綻せざるを得ない運命にあった。誰もがこんな状態が長続きしないことは百も承知だが、しかしババを引くのは自分ではなく誰か他人だとばかりに、飽くなき利益追求の道を進んできたのである。

 しかし2001年9月11日の米国同時多発テロ事件が象徴したように、米国はいつまでも最強の国ではなく、危うい存在であることを世界に示しはじめた。この事件を境にするように、米ドルの名目実効レートは主要7通貨(ユーロ、カナダドル、日本円、英ポンド、スイスフラン、豪ドル、スウェーデンクローネ)に対し、下落の一途をたどっており、いよいよドル不安がささやかれるようになってきたのである。そしてその後の2007年のサブプライム・ローンの破綻は、米国の衰退をより一層鮮明にした。

 SWF及びそれを持つ貿易黒字国の多くは、多額の米債券を抱えているがゆえに、一方でそれからの「離脱」を図りながら、「離脱」といってもまだまだ部分的なものにしか過ぎないが故に、他方ではそれの救済に乗り出さざるを得ない状況にある。ドルが暴落してしまえば元も子もないからである。

 サブプライム・ローンの破綻後、2007年11月にアブダビ投資庁がシティ銀行に75億ドル投入することを発表したのを皮切りに、12月にはテマセクがメリルリンチに、中国投資有限責任公司がモルガン・スタンレーにいずれも50億ドル出資している。今年に入ってからは1月に、シティグループに対し、シンガポール政府投資公社が69億ドル、クウェート投資庁が30億ドルそれぞれ出資、メリルリンチに対して、クウェート投資庁と韓国投資公社がそれぞれ20億ドル出資している。

 いずれも、サブプライム・ローンの破綻が引き金となって、金融不安を起こしたくないためであり、またこうした危機を利用して投資の拡大を図ろうというためのものである。

 こうしたSWFによる“救済”に対して米国は、表面上は好意的に受け取っているようであるが、他方ではシビアな目で眺めている声も聞かれる。元米国財務次官補であるエドウィン・トゥルーマンは、SWF救世主論は誤解だとして、「投資は最終的にはビジネス判断。救った救われたという話ではない。……そもそもSWFの海外投資ポートフォリオの大半はドル建て資産であり、新たに米国の資産を買った時には、往々にして別の米国資産を売っている」と述べている。また、「SWFをヘッジファンドやプライベートエクイティファンドとは違うペイシャントキャピタル(忍耐強い資本)と見る」ことも誤解だとして、「SWFもこれらのファンドに運用資金を振り分けており、レバレッジを効かせて高い運用利回りを求める姿勢になんら違いない」と言い切っている(『週刊ダイヤモンド』前出)。

 これまでは保守的な運用を行ってきたSWFも積極的な運用に切り替わろうとしている。さらには、古くからのSWFは親米的であったが、中国やロシアといった米国と“対峙”する国々が巨額のSWFを設立し、運用に乗り出してくると米国にとっては一つの脅威である。こうした大きな変化が起こっていることこそ、昨年後半から「政府系ファンド」が大きくクローズアップされるようになってきた所以である。

 「各国のSWFはみな独自の戦略を持っている。中東のファンドと中国では全く違う。シンガポールもロシアも政府系ファンドは見事に別物だ。同じ生き物と捉えると判断を誤る。たとえば、中国は西側の先端技術を取り込むことに主眼を置いている。ロシアの場合は自国のエネルギーを売りさばくインフラ整備に力点を置く」(ジョージ・ソロス)といわれるように、各国のSWFはそれぞれの国の利害を反映している。これは米国の力の衰えに反比例するようにSWFが大きくなり、それぞれの国が自国の権益を少しでも有利に築こうと、保護主義的に動き出していることの反映でもあるように思える。

 ◆後追いのサル知恵

 新興国において次々とSWFが設立するのをみて日本政府もまた、世界の流れに遅れをとるまいと日本版SWF設立に向けて動き出している。自民党は福田総裁直属機関である国家戦略本部内の「SWF検討プロジェクトチーム」や「資産効果で国民を豊かにする議員連盟」(何という安直な名称だろう。この連盟の浅はかさを象徴しているようである)で協議を行っている。「チーム」の座長で「連盟」の会長である山本有二は安倍政権時代の金融担当相であるが、彼によれば、「〔1〕外貨準備や国有不動産などの一部を原資にする〔2〕当初は運用資産1000億円、年間運用収益は40億円以上を目標とし、規模を徐々に拡大する」(『読売新聞』07年12月5日)としている。

 物を生産して生活を豊かにしようというのではなく、カネを運用してひと儲けをたくらみ、それで国民を豊かにしようというのだが、ではその価値は誰が生み出したのか。投資先の労働者が生み出した剰余価値を、自ら生産にかかわることなく、その分け前にあやかろうという腐敗したブルジョアジーの姿がここにあるのだ。

 彼らは言う。日本には公的な資産があるがそれを有効に運用できていない。公的資金だということで安全な運用ばかりに目を向けていては、諸外国においしいところを持っていかれてしまう。公的な資産を政府系ファンドとして民間に投資すれば今より多くの運用益を手にすることができる。そうすれば国民はもっと豊かになれる。“官から民へ”資本を動かすことで、多少リスクが伴うとしてもより多くのリターンを手にすることができる。諸外国の動きに後れをとるな、というわけである。

 しかしそんなに“うまい話”があるわけはない。世界はカネ余り状態で少しでもおいしい餌にありつこうと世界中の投機資金がうごめいている。世界の各地でバブルを生み出し、一つが崩壊するとまた次のバブルへと狂騒しているのである。

 米国のサブプライム・ローンの破綻もその一つであり、米国の不動産や証券化市場がダメとなると、今度は商品市場へとカネが流れ、異常な原油高や穀物高を生み出しているのである。このような状態があるにもかかわらず、金融市場に、しかもハイリターンの運用益を目指すというのであるから、より投機的な市場に国のカネ(国民の税金であり、それは労働者が汗水流して生み出した剰余価値だ!)をつぎ込むということは、物価動乱を政府が音頭を取って押し進めるというに他ならないのである。

 実際、「年金基金、大学基金や政府系ファンドなど、長期運用の投資家が積極的に商品指数を運用対象に組み込んでいる。運用資産の残高は03年の130億ドルから08年3月末には2600億ドルと20倍に急増」、「証券化市場のバブルが崩壊し、金融市場が揺らぐなかで、機関投資家が商品を組み入れる比率はいきおい高まっている」(5・25『日経新聞』)のだ。

 彼らは自分で自分の首を絞めていることすら気がつかない能天気ものである。政府系ファンドの旗振り人やそれでひと儲けをたくらむ資本家連中だけが自分の首を絞めることになるのなら自業自得というものだが、しかし実際のところ、最も苦しめられるのは労働者であり、その家族なのである。

 資本主義は長らく恐慌を経験してこなかった。また、恐慌に代わる世界戦争(それは世界中の過剰な生産手段を打ち壊す点において恐慌と同じ役割を果たす)をも数十年に渡って経験してこなかった。それは資本主義の危機に直面すると国家が財政支出を行い、国家の借金によって危機を“克服”してきたからである。もちろん恐慌に至らないような場合ですら、ブルジョアたちは国家を利用して、市場にカネをばらまいてきたのである。

 その結果、市場にはカネがだぶつき、バブル(そしてその後の崩壊)を生み出すようになったのである。しかしブルジョアたちはこれを解決するすべを持たない。金融引き締めをすれば不況が深刻化し、かといってカネをばらまけば当座はしのげたとしてもより一層大きなバブル(そしてその後の崩壊)を生み出すだけだからである。

 政府系ファンドの台頭、それは米国による一強支配の終わりを告げるとともに、各国の利害が対立する時代に入ったことを教えている。そして何よりも、この資本主義社会がもはや救いようのないところまで来ていることを示している。すくなくともブルジョアジーは為すすべを失っているのである。

 (平岡正行)


【三面サブ】
「国策裁判」ではないのか
都立板橋高校元教諭の“日の君”裁判

 さる5月29日、東京高裁は、卒業式の始まる前に出席した父母らに「君が代斉唱」の際に「着席」を呼びかけた藤田さんに対して控訴を棄却し、「威力業務妨害」とした一審判決を支持した。

 「藤田裁判」はあきらかに「立川反戦ビラ裁判」と同じ構図である。つまり、当局は意図的に犯罪としてでっち上げ、弾圧をはかっている。裁判所は、これが権力の犯罪であることを百も承知で、それにお墨付きを与え、手を貸しているのである。

 ◆でっち上げを追認する高裁

 5月29日の東京高裁判決を報じたマスコミも、足並みをそろえたかのように裁判長の読み上げた判決を繰り返すだけで、どういう事実があったかについてはまったく触れていない。曰く、「保護者に大声で呼びかけ、退場を要求した校長らに怒号で抗議したことは威力業務妨害罪にあたる」云々。商業新聞を読むかぎりでは藤田さんが学校の制止にも関わらず大声で保護者に訴え、「威嚇」し、卒業式を遅らせたかのように読み取れるのである。

 あらためて事実を確認しよう。2004年3月、藤田さんは退職する前に勤めていた板橋高校の卒業式に来賓として出席した。前年2003年の10月に都教委は「教師は国旗に向かって起立し、国歌を斉唱する」ことというとんでもない通達を出していた。藤田さんは当日、式の始まる数十分前、式場に着席していた保護者に、「日の君」の強制の異常な実態を報じた週刊誌のコピーを配り、「君が代斉唱時に着席して欲しい」と話した。極めて静かな訴えで、保護者らはコピーを受け取り、こもごも話していたという。何の混乱もなかったと出席した保護者は語っている。

 「怒号」を発したのは、その後に駆けつけた教頭である。勝手に混乱し、騒ぎを起こしたのは、事態に動揺した学校の管理職だった。保護者らはむしろ管理職の対応の異常さに驚いたという。管理職は藤田さんに向かって「退場せよ」と叫び、藤田さんは理不尽な要求に抗議はしたが、それに従った。

 この後、卒業式では「君が代斉唱時」に生徒の8割以上が着席。驚いたのは出席していた土屋某都議。慌てふためいて、壇上から生徒に向かって「立ちなさい」と何度も叫んだのである。

 数日後、土屋某都議は都議会でこの件を取り上げ、都教委はその意をうけて藤田さんを「威力業務妨害」で訴えたのである。その後、藤田さんには警察の家宅捜査がはいる。

 裁判では公安と検察、都教委は「威力妨害」をでっち上げるため、藤田さんが「コピー」を配っている最中に教頭がやってきて「配布」を止めるように言い、保護者に話しかけるのも「冒頭から制止しつづけた」と主張した。だが、藤田さんが話し終わるまで教頭は現場にはいなかった。そのことをずっと出席し、見ていた保護者が裁判で証言しているのだ。

 にもかかわらず、裁判官は検察と都教委のでっち上げを「事実」と認定し、一審判決どおり、藤田さんを「威力妨害罪」で有罪としたのである。これが、この「国」の、いやこの社会の司法である。そしてマスコミもこうしたことを一切報じないのである。

 ◆ブルジョア民主主義も平然と投げ捨てた2007年の最高裁判決

 高裁判決では、弁護人の「10・23通達」は思想・良心の自由を侵害する違憲・違法のものである(だから、それに反対する行動は正当なものである)という指摘にこう答えている。

 昨年(2007年)2月27日の最高裁の判決(「ピアノ裁判」)からすれば、「10・23通達」やそれに基づく校長の「国旗に向かって起立し、国歌を斉唱するよう命じる職務命令」は「思想および良心の自由をおかすものとして憲法19条に反するということはできない」(「判決要旨」)。

 2007年の最高裁の判決とは、卒業式における「君が代」ピアノ伴奏の「職務命令」は「合憲である」としたものである(この時期は札付きの極右ゴロツキの安倍首相が教育基本法を「改正」し、それを具体化すべく「教育三法」を強行しようとしていた。しかも、この「判決」は3月、4月は卒・入学式の直前であり、露骨に意図的なものだった)。

 最高裁は言う。ピアノ伴奏の「職務命令」は「教諭に対して特定の思想を強制したり、あるいは禁止するものではなく、特定の思想の有無について告白を強要するものでもなく、児童に対して一方的な思想や理念を教え込むことを強制するとみることも出来ない」と。

 何故か?「判決」はどこにもその理由を論理的に説明していない。ただ「強制ではない」という断言があるのみである。

 「判決」の基本的主張は「国歌を歌い、国家を愛するのは当然ではないか」ということであり、それは「公務員」であるかぎり(あるいは「国民」である限り)あたりまえであり、だから「強制ではない」というものである! 何のことはない。つまり、多数のものがそう思っているから、ということでしかない。「客観的にみて、君が代の伴奏という行為自体は、音楽の教諭にとって通常想定され期待されるものだ。本件職務命令は、公立小学校の儀式的行事で広くおこなわれ、教諭が勤務していた市立小学校でも従前からおこなわれていた国歌斉唱で教諭に伴奏を命ずるものだ」。

 つまり「国家があって国歌があるのはあたりまえであり、公立の小学校でそれを教えるのは当然だ(多くのものがそう思っている)」というわけだ。これはたんに現在の国家権力の立場を述べたにすぎないではないか! 最高裁よ。国家も政治も様々である。現在の国家権力の政治を強制するのが思想・良心の侵害とならないかが問われていたのだ。最高裁判決は論理必然的に「愛国心を持たないものは許さない」ということになり、「職務命令」で強制されて当然であるということになる。「判決」は現在の国家権力にたてつくものは暴力的に抑圧され、服従しなければならないというのだ。

 最高裁判決は何の反省もなく、現在の「日本という国家」を「自然で共同体的なもの」と無邪気に前提して平然としている。しかしこれまで、ブルジョア民主主義の立場からでさえ次のように主張してこなかったか。

 「国家」は人為的につくられた政治体制である。あるいはつくられつつある政治体制といってもいい。この人為的につくられた政治体制である国家は「愛される」といった対象でもないし、「帰依」すべき対象でもない。これからどういう政治体制を、社会をつくっていくべきかという点について様々な考えがあるように、いまの政治体制=日本という国家に対してどういう態度をとるかは様々である。そしてこれこそ思想・良心の自由の核心である。

 もし、民主主義というなら、様々な考えを持つ人々が意見を出し合い、討議し、新たな社会を作っていくということこそそれではないか。だが「判決」はこうした「思想・信条の自由」について、「基本的人権」と「民主主義」について一切語ることはない。現在の政治体制=国家を「愛さなければならない」と言いきって平然としているのだ。これは「全体主義国家」であり、専制国家である。この「国」の司法はここまで反動化しているのだ。

 以降、当然のごとく、下級裁判所はいっせいにこの最高裁判決を引用することになる。この「藤田裁判」の高裁もしかり。

 ◆権力の「権利」

 しかもこの高裁判決は、思想・信条の自由も「他者の権利を侵害するなど公共の福祉に反する場合に限り、必要かつ最小限度の制約に服する」という同じ最高裁判決を引用して次のように言う。校長は「教職員との協議を経て、10・23通達に従い、『国歌斉唱の際、生徒、教職員をはじめ、列席の来賓や保護者にも起立を求める』ことを含めて「実施要項を作成するなどして」準備をしてきた。だから、校長が「実施要項」にそって「卒業式を円滑に執り行うことが『他者の権利』に該当する(!)。だから「被告人」(藤田さん)が保護者に対して「大声」で呼びかけ、「制止」する教頭らに「怒号」を浴びせかけたのはこの「他者の権利」を侵害したのだ、というのである。

 イスラム教を信仰するものに対して、キリストの十字架を拝めと強制しているものに対して、それをやめさせようとするとそれは「他者の権利」を侵害したことになるというのだ。人殺しをしようとするものを止めようとすると「他者の権利」を侵害したというのだ!これはもう議論ではない。権力のやることに異を唱えることは許されないといっているのだ。

 ◆思想を問題にしているのだ

 権力(当局、警察、公安、検察、司法そしてマスコミ)は何を問題としているかは明らかである。「威力妨害」ではない。当局は「不起立」を呼びかけたということを問題にしているのである。「立川反戦ビラ」裁判も同じである。団地にビラを撒いたことが問題ではない。「イラク派兵反対」と呼びかけたことが問題なのだ。

 問題になっているのは思想である。「君が代」に異を唱えるものは許さないということである。「国」の行うことに異を唱えるものは許さないということである。当局に歯向かう者はどんな手段をつかってでも必ずひっ捕まえ、有罪にし、牢獄に送り込むというわけだ。

 問われているのは、権力(あるいは「体制」)に黙って服従しなければならない、権力にたてつく思想を持ってはならない、ということだ。とするならことは藤田さん一人の問題ではない。藤田さんは見せしめである。これはすべてのものに突きつけられているのである。

 判決を傍聴していた人は、裁判官が判決文を読むのを聞きながら「裁判官には良心というものがないのだろうか、と疑問に感じ、できれば面と向かって聞いてみたいような衝動に何度も駆られました」と書いている。

 (http://wind.ap.teacup.com/people/2417.html)

 権力者はかつての「治安維持法」と似た暗黒の社会へと歩を進めつつある。いよいよ彼らの支配は末期的症状を迎えているのだ。

 (神奈川・A)


【四面トップ】
ギリシャ・ローマ社会の位置付け
労働者セミナーの議論を踏まえて

 エンゲルスの『家族・私有財産及び国家の起源』の「根底的な再検討」を課題とした労働者セミナーは、基本的にその任務を果たして終わったと言っていいだろう。もちろん、エンゲルスの見解を直接に、あるいは間接的に擁護する見解も表明され、報告者の理論に対する多くの疑問や批判も出されて活発な議論が展開されたが、エンゲルスの『起源』が本質的ともいえる問題をもつということはおおよそ確認されたように思われる。もちろん、このことは多くの理論問題がいわば“未解決”のままに残されたということを否定するものではない。例えば、鈴木(半)氏は、マルクスの『資本主義的生産に先行する諸形態』の立場から、ギリシャ・ローマの位置付け、あるいはギリシャ・ローマの生産様式とゲルマン的生産様式の関係について、報告者の見解に異議を唱えたし、また女性の解放(その論理)という視点からエンゲルスの理論にも正当性があるとする論客も現われた。アジア的専制は国家ではない(したがって、エンゲルスの国家『起源』論もしくは国家論でいい?)という意見も出された。しかし、基本的な対立は、結局はエンゲルスの理論と歴史観に異議を唱えるのか、それを擁護するのかという点に集約されたといえよう。そしてその一つの焦点は、ギリシャ・ローマの社会をどう評価し、位置付けるか、そしてギリシャ・ローマの社会とゲルマン社会及び封建社会――この両者は必ずしも同一の社会ではない――との関係をどう理解するのか、という問題であった。

 ギリシャ・ローマの時代(社会もしくは生産様式)について議論が発展したのは、その社会を人類史の歴史の中でいかに位置づけるかで難しい問題があったからで、この点で、私と鈴木氏との間で一つの原則的な対立が生じた。

 問題は、鈴木氏がマルクスの『資本主義的生産に先行する諸形態』に依拠しつつ、私の見解はそれに反しているとしたことにある。しかし私は、『諸形態』の理論を直接当てはめたのでは実際の歴史が“素直に”理解できないからこそ、それとは別の考えを提示しているのであって、『諸形態』と違うから問題であるという批判には答えようがないのである。

 鈴木氏は、スターリン主義の学者たちの中で言われてきた一つの“解釈”、つまり『諸形態』によれば、ギリシャ・ローマは生産様式としては奴隷制というより、共同体(国家)によって規定された私的所有の社会として位置付けられており、その意味で、アジア的生産様式の後にあり、またゲルマン的生産様式に先行するものとして規定されているという理屈を持ち出したのである。

 すなわち、ゲルマン的生産様式とは、ギリシャ・ローマの生産様式よりも一段進んだものとして、つまり共同体的関係が私的所有者としてのその成員の補完として現われているところにその本質がある、といった理論である。自立した人格を可能とする生産様式として、ゲルマン的生産様式の方が、ギリシャ・ローマの生産様式よりも一歩前進しており、かくして、ギリシャ・ローマの時代の後に封建的な生産様式がやってきたのである云々。

 しかし、“文明化”されたギリシャ・ローマに対して、“野蛮”の代表としてのゲルマン(こうした言い方はモルガン・エンゲルスの言い方を借りたにすぎないが)が、なぜ、ギリシャ・ローマよりも進んだ社会であり、進んだ生産様式だ、と言えるのか。

 鈴木氏は、ギリシャ・ローマの時代の後のゲルマン、封建的社会に移行してのゲルマンに限ってのことだと言うのだろうか、しかし果たしてマルクスは、『諸形態』においては、“野蛮の”時代のゲルマンとヨーロッパの封建的社会をそれほど明確に区別して論じているだろうか。鈴木氏自身がセミナーで語ったように、共同体とその成員の関係として語っているとするなら、“野蛮の”時代のゲルマンと、より“文明化”された(?)封建的時代のゲルマンと明確に区別されているとは言えず、むしろ区別されるとしても、封建的な関係は、“野蛮の”時代のゲルマンの関係から引きつがれ、そこから出てきた関係といった意味でしかないように見える(言ってみれば、両者は“二重写し”になっている)。

 だから、『諸形態』の“公式”にあてはめて、「生産様式」として、ゲルマンが進んでいた、ギリシャ・ローマが遅れていたという形で問題を立てるのは(こうした見解に、マルクスの文章を口実に固執するのは)、おかしな“権威主義”であり、一つのドグマ的立場にしか見えない。

 スターリン主義者たち、その理論家たちは、『諸形態』についても恣意的な“解釈”をほどこして、一つのドグマを発展させてきた(というのは、『諸形態』は「草稿」でもあり、そのままではなかなか単純に理解できない面があったので)。

 つまり、原始的共同体の諸形態と、それに対応する生産様式の諸形態というわけで(共同体所有の“本源的な形態”と、それに対応する、その現実的、歴史的な形態という、かのドグマである)、アジア的生産様式(アジア的共同体)に対応するアジア的奴隷制、ギリシャ・ローマ的共同体とそれに対応する奴隷制、ゲルマン的共同体に対応する封建制、という時代区分であり、鈴木氏が依拠するのもこうした“スターリン主義的な”概念であった(鈴木氏がどれだけ自分の観念がスターリン主義と不可分であるかを自覚していたかどうかは知らない、ただ鈴木氏は我々がこうした理屈を知らないから間違っているのだと、事実上論じたのである。我々はただそんなドグマに組みしなかっただけである)。

 エンゲルスは確かに『起源』において、ギリシャ・ローマの時代的段階は奴隷制に帰着するといったことを書いており、あたかもスターリン主義の『諸形態』の解釈を正当化しているように見えるが、しかしギリシャ・ローマ的な「原始共同体」的関係が、どういう必然性で奴隷制に帰着するのかというのは、少しも説得的ではないし、またゲルマンの原始共同体的な関係が封建制度の基礎となったなどと言うのは、何ら必然的な因果関係として規定されえないだろう。

 そしてこんな形で、ギリシャ・ローマの奴隷制社会から、ヨーロッパの封建的制度への歴史的な移行を説くことに、どんな意味があるというのか。移行の契機さえはっきりして来ないのである。原始共同体からの生産者の自立の問題であるというのか。とするなら、ゲルマンの社会よりも、ギリシャ・ローマの社会の方がはるかに進化していたのであって、ゲルマンの生産様式をギリシャ・ローマのそれより進んでいたかに説く理論など全く混乱と一貫性の欠落でしかないではないか。

 鈴木氏は私が抱いていたこうした問題意識を欠いていたのであり、また私が『諸形態』を知らないから『起源』を批判するのであるかに主張したのだが、しかし問題は『諸形態』の理論であり、そのスターリン主義者のような解釈では実際の歴史の発展も過程も理解できないということでもあったのだ。

 ここでも事実が重要である。歴史的には、ギリシャ・ローマはゲルマン社会に対して、圧倒的に“先進的な”社会として登場しているのであって、マルクスの『諸形態』を当てはめ、それで歴史を裁断すればすむという問題でない(それですむならことは簡単だが、そんな形でマルクス主義を理解する――そして利用する――のは問題で、悪しき教条主義でしかないだろう。一方における「解釈主義」、他方における「当てはめ主義」「裁断主義」は、もうやめるべきである)。

 私的所有の関係の深化ということからするなら、圧倒的にギリシャ・ローマが先行しているのであって、ゲルマンはまだほとんど共同体的関係のもとにあった。そして封建的段階のゲルマンについて言っても、“動産”の面での私有はギリシャ・ローマに対して圧倒的に貧弱であり、後退しているとさえ言えるのであって、その点でも、ギリシャ・ローマに優越するとは言えない(封建的社会の末期、絶対主義の時代になればもちろん別だが)。

 私が異議を唱えたのは、まさにこうした“伝統的な”スターリン主義的観念であって、だから『諸形態』と一致していない――それが事実か、正当な批判かはさておくとして(というのは、スターリン主義者や鈴木氏の『諸形態』の解釈もまた必ずしも妥当とは思われないから)――と批判されても、それは批判にも何もなっていないのである。問題は鈴木氏が『諸形態』の理論を――というより、そのスターリン主義者的な解釈を――いわば“絶対化”しているのに対し、私がそれをむしろ“相対化して”いるところにある。

 『諸形態』に対する鈴木の解釈によれば、ギリシャ・ローマはゲルマン社会よりも遅れた社会ということになるが(鈴木は事実上、そのように強調した)、しかしゲルマンは歴史的には――実際には――ギリシャ・ローマに対してはるかに遅れた社会として、むしろれっきとした部族社会として歴史に登場しているのであって、そのことはタキトゥスの「ゲルマニア」やシーザーの「ガリア戦記」を読んでも明らかである(もちろん、読まなくても明らかだが。私自身、これらの本は“ゲルマン”のことをより知るために、最近読んだにすぎない。シーザーらは明白に、ゲルマン社会――といっても、当時ヨーロッパ領域に先住していたケルト人の社会が中心だが。ゲルマンはケルトよりさらに後進的な部族でしかなかった――を“未開の”社会、“文明化”されたローマ社会に対してひどく遅れた、“野蛮な”社会として見なし、また実際にそのように扱っている)。

 そしてゲルマンから(あるいはギリシャ・ローマ時代から)封建的中世の間には、フランク王国といった王国支配の体制が何世紀も続くのであって、この王国の歴史的な位置づけや総括さえ、エンゲルスは(またスターリン主義者たちも)まともにやっているようには見えない。簡単に、ゲルマン社会と封建社会とを同一次元で論じられないのは明らかなように思える。

 ギリシャ・ローマの“生産様式”は奴隷制ではなかったと言うが、それなら鈴木氏は生産様式という言葉で、何を理解するのか。マルクスは生産様式として、「アジア的生産様式」の後を、ギリシャ・ローマ的と呼んでいるが、ここには奴隷制という観念が入っていないと断言していいのか。きわめて疑問であるように思われる。

 マルクスはしばしば奴隷と封建的農民を比較して、中世の農民は奴隷よりも解放された存在であると主張しているが、その面から言えば、明確にギリシャ・ローマの時代から封建的時代への進化を言うことはできる、しかし他方では、ギリシャ・ローマの「市民」について言えば、それは中世の支配階級よりもはるかにブルジョア的な存在であって、中世の騎士たち(日本的に言えば「武士」たち)の方が、ギリシャ・ローマの「市民」よりスマートな存在とは到底言えないだろう。鈴木氏は「生産様式」として、ゲルマンの方がギリシャ・ローマよりも進化していたと強調したが、その「生産様式」で何を理解するのか、それが問題であり、『諸形態』を引用すればいいという問題ではない。

 ギリシャ・ローマの「生産様式」は奴隷制ではないと主張されたが、マルクス自身いくらでもギリシャ・ローマの時代の生産様式として奴隷制ということを言っているのであって、『諸形態』では言っていないと言うだけでは“マルクス権威主義”が泣くというものだ。そもそも封建的な生産関係に対して、ギリシャ・ローマが区別されるのは奴隷制的な生産関係としてであるというのが、マルクス主義の一般的な理解ではないのか。

 鈴木氏の言うように、ギリシャ・ローマの社会が奴隷制で特徴づけられないとするなら、それはいかなる社会だったというのか、“市民”たちの一種の共同体的社会だったとでも規定するのか、その“市民”はいかなる“市民”だというのか。“都市住民”ということで制約される共同体的“市民”だと言うことか、そもそも共同体の成員を“市民”などといったブルジョア的概念で規定し、呼ぶことは正しいのか、そしてもし成員をそう呼べるというなら、その共同体は果たして原始共同体的なものなのか。

 『諸形態』をおかしな形で絶対化すると、こんな理論的袋小路に入り込みかねないように見えるのである。

 そして、そんなことを言っていくと、封建的社会さえも階級社会としてでなく、共同体社会として規定され得るのであって、鈴木氏にとって、ますます具合の悪いことになりかねない。そして、資本主義もまた“企業(会社)共同体”の社会と言えないこともない等々。

 むしろ、鈴木氏はギリシャ・ローマの支配階級が「市民」となぜ呼ばれ得たのかを反省すべきなのである。鈴木氏はギリシャ・ローマ社会の方が、ゲルマン(原始のゲルマンにせよ、封建的ゲルマンにせよ)よりも遅れた社会であるということを、マルクスのあれこれの言葉によってでなく、事実の問題として明確に展開すべきだったと思うが、そうした発言がセミナーではほとんどなく、ただマルクスがこう言った、あるいは言わなかったという形で議論が展開されたことこそが問題であろう。

 もし事実を軽視もしくは無視して発言するなら何でも言えるのであって、そうした“理論”が勝手きままで、恣意的な議論、無意味な議論――つまりおしゃべり――に堕し、新しい“理論”をでっちあげることで終わるのは一つの必然であろう。

 対立の根底は、“スターリン主義的な”一切のドグマと断固として手をきるのか、それにも何らかの意義があると認めて、その擁護に留まるのかに還元されるように思われる。

 セミナーにおける、系争問題になった最も重要な議論の一つを取り上げてみたが、それだけでも、セミナーの意義は明らかで、今後さらに我々の理論的な深化の重要な出発点とも方向付けともなったと言えよう。

 もちろん、これ以外にも、国家や私有財産の「起源」の問題、「家族」やその「形態」の問題、人類の社会史をいかなる観点から論じ、一貫したものとして理解すべきか、その点と関連して唯物史観の意義やそれを現実の歴史理解の中で活かしていくのかという問題、そして“スターリン主義者”がどんなに大きな害悪を流してきたか、そして今にいたるまで流し続けているかという問題――不破らの空論を見よ――等々、さらに多くの得るところがあったことも確認することができるだろう。

 (林 紘義)


【四面書架】
オッペンハイマー著『人類の足跡10万年全史』
人類の起源を追究する試み

 私たちの祖先は共通なのか、それともアジア人、ヨーロッパ人、アフリカ人はそれぞれ別な祖先型をもっていてそこから独自に進化してきたのか。また同じ共通の現世人類だとしても、アフリカ人、アジア人、ヨーロッパ人はそれぞれ別々の集団なのか。原人、旧人、現世人類は時を同じくしたことがあるのかないのか。もしあるとすればなぜ現世人類だけが残ったのか。お互いは遺伝的に交じり合っていないのかなどなど、人類の起源に関しては興味がつきない。

 この本は、人類の起源について、最新の遺伝子研究を基に、最近の考古学や気象学の研究の成果も駆使して、解明しようとしたものであり、その論証は信頼を置くことができる。それだけでなく、多くの興味ある問題やテーマが扱われており、ともかく魅力的な一書である。

 本書の特色のもう一つは、旧人と現世人類との間に生物学的な決定的敷居を設け、ヨーロッパ人から新人類が始まったとするような考えかた(これは現代アフリカと現代オーストラリア人の祖先は、ヨーロッパの祖先より生物学的に未発達だというような、一部のヨーロッパの学者に見られる考えかたにつながる)を批判していることである。この考えかたの背景にあるのは、生物学的決定論―脳の発達や生物的進化があって文化的発達がある、すなわち生物的進化が先で文化的進化はそれに規定されるという考え方である。

 著者は次のように言う。人類学者、考古学者、言語学者の多くは、人類の文化はみずからを糧として加速化するという自明のことを受け入れず、過去十万年のあいだに人類の脳が働くような何か「遺伝的」なことが起こり、新しい配線をもつ別な種類の脳をもたらしたと考えている。

 最新の研究が示しているのは、人類はまず先に脳を発達させ、それからそれによってできることを決定していったというのではなく、新しい種類の行動は、その行動を利用するために身体的な適応に先行する。気候変動等の厳しい環境の変化の中で取られた新しい行動が、それに都合のいい身体的発達を決定する遺伝子的な変化を推進した。

 コミュニケーション・システムは、人類が達成したすばらしいものだが、その原因になるような特別な遺伝子や新しい脳を持った人類の新しい種が生じたわけではない。わたしたちはすでに二百五十万年前にすでに実用的かつ意図的な意志の疎通をしていて、そのことが脳を発達させた。脳が発達してから、ある日突然話せるようになったわけではない。

 この本の最大の魅力はなんといっても、十万年の人類の足跡を解明したということにある。著者は言う。

 この十年間で人類の起源をたどることができるようになった。それはミトコンドリアDNAとY染色体遺伝子の研究である。ミトコンドリアDNAは、母親からのみ伝えられ、Y染色体は男性からのみ伝えられる、それらは混ざり合うことなく、次世代へと変化することなく受け継がれるので、それらを用いてわたしたちの祖先までさかのぼることができる。このことはわれわれの祖先のアダムとイブの遺伝子にたどりつくことを意味し、現代人の遺伝子の真の系統樹をつくることができる。今では現世人類が地球に広がっていった移動の跡をたどることができるのである。

 これによって考古学の長年の問題を解決できた。それは、アフリカ以外に住む現世人類はすべて十万年前以降にアフリカから移動してきた者たちの子孫であり、その移動は、それ以前に世界各地にいた初期人類の近縁種を一掃するものであった。

 以下、一章から七章まで、アフリカを離れた一集団(ミトコンドリアイブとアダム)の子孫が、いつ頃、どのような過程を経て、またどのようなルートから、南アジアや東アジアやオーストラリアやヨーロッパに移動していったかを、遺伝子の系統樹図、人類足跡図、気候図等を豊富に示して、克明に明らかにしている。

 その中でヨーロッパ人はアジアに移動した現世人類とは別に、独自に北アフリカからヨーロッパに移動した集団であるというヨーロッパ中心主義的な考え方が成り立たないことも明らかにされている。

 (神奈川・I)


【四面サブ】
次はどこか
ネパール王制の崩壊

 我々は、七年ほど前(つまり二十一世紀に入ってすぐ)、ネパールの王制について、そのごたごたと関連して、「ネパールにおいて王制が廃止されれば、もちろん、それはいいことであろう」、王室は二十世紀にも世界中で次々と廃止されて、それこそが「歴史の進歩発展の方向を明らかにしている」と書いた(『海つばめ』八二五号)。

 当時、ネパールの王室内で肉親がお互いに殺しあう惨劇があり、「王室の権威は地に落ち、王制の存続さえも疑われる状況がやってきた」のを踏まえての発言であった。

 あれから七年、ネパールの人民はついに王制に引導を渡し、王室などという不愉快なものを一掃するという。まずはお祝いを申し上げなくてはならない。ネパール人民はこの点で、立派に日本を追い越したのである。

 実際には、日本にも王制を廃絶するチャンスがなかったこともない。王室が軍部と結び付いて、侵略戦争や帝国主義戦争に国民をかり立て、労働者人民を不幸のどん底に叩き込み、何百万の労働者人民を死と絶望の渊に追いやった、あのアジア太平洋戦争(一五年戦争)のときである。

 昭和天皇はこの反動戦争の先頭に立ち、戦争遂行に東条などとともに最高の責任を負ったのである。

 しかしその野望が挫折し、日本国民の怒りと憤まんが集中した敗戦のときも、天皇一家はマッカーサーなどに助けられて生き延びることができた。マッカーサーは「日本を統治するために」、天皇の権威を利用しようと企み、かくして昭和天皇の、余りにも明白だった“戦争犯罪”を不問にし、免訴したのである。

 しかし今や、ネパールの王室だけではない、イギリスの王室も日本の王室もますます頽廃し、全く無用な存在――というよりは、むしろブルジョアや反動に利用される有害な存在――であることを暴露しつつある。

 日本の王室はこれまでネパールの王室と、同じアジアの王室ということで、親しく、よしみを通じてきた。そうした王室の一つがアジアの地からまた一つ消えるのである。隣国の韓国の王室は、事実上、日本の帝国主義勢力(日本の王室もその一部であったのだが)が陰険なやり方で廃止してしまった。

 一九一一年には中国の王室が革命によって打倒され、また一九三〇年代に「でっち上げられ」、四〇年春には直接日本で会って「親交を深めた」“満州国”の王室も敗戦とともにどこかにふっとんだし、アジアの“お仲間”も減る一方である。

 さて、次に消えるのはどの王室だろうか。

 (W・H)


【四面読者の声】
橋下知事の小心・愚策

 橋下大阪府知事が六月上旬に発表した財政再建案の新聞報道で、府立労働センター内にある「府労働情報総合プラザ」と「大阪社会運動資料センター」の二つの施設が、経費削減の一環として七月末で閉鎖されることを知り、またまた腹立たしい思いにさせられた。

 これら両施設には労働運動・社会運動関係の書籍や雑誌、各種労働統計・労働判例集、労組機関紙などの資科がそろい(蔵書数合計約七万冊)、法政大学の大原社会問題研究所などとならぶ全国でも数少ない社会・労働運動関係の専門情報拠点である。百日間のストライキ闘争を闘った近江絹糸労組の当時のガリ版刷り職場新聞や、一九五五年にはじまる大阪春闘共闘資料、関西を中心にした労組のビラ類などの貴重な資料も保管されている。

 同施設の利用者は二〇〇〇年からの八年間で四倍に増え、年間一万四千人になっていたという。職場近くにあったので、労働運動史や労災問題などを調べるのに私もたびたび利用した。

 両施設の運営は大阪府・大阪市の助成金および委託料(年間総額二千二百万円)でまかなわれているというが、機動隊員数人分の人件費ではないか。ところが他方では、警察官五百二十人の削減を検討していた橋下知事は、府警本部長と極秘に会談した結果、「警察力は絶対的に、第一に必要」だといって、警察官の削減方針を撤回したと新聞報道は伝えている。

 鳥取県の前知事が、橋下知事の財政再建案を「結局、国にしても、議会にしても、うるさいところは素通りして、ものを言いやすいところに負担増を求めている印象だ」と評しているが、この種の施設を自前でもっていてもおかしくない連合大阪などが、施設閉鎖方針に抗議の声をあげないのもなさけない。

 (兵庫・KN)