【17年メーデー】(2)
のぼりを立て、全力で訴える!
新党への関心や興味強く、注目を集める

                                
 17年メーデーは新しい党のデビュー戦として、旗やのぼりを高く、公然として掲げて戦い抜かれ、労働者に訴える、意義あるものになりました。 参加した労働者の反発や反感もほとんどなく、一般に、新しい党への関心や興味が示されました。
 全国のいくつかの会場(東京、大阪など)では、ハンドマイクによる宣伝も行われ、中央会場では代表委員会を中心に呼びかけが行われました。
 代表委員・林(右写真)が連合系のメーデーはもちろん、全労連系のメーデーでも、共産党の志位路線を断固暴露し、民進党が都議会選挙の候補者が続々と脱党して小池新党に走ったり、幹部が離党するなど、すでに解体過程に入っているときにも民進との 共闘を謳うのは民進との心中を図るようなもの、自殺的行為だ、共産のためにもならないと暴露すると、参加者はちゃんと耳を傾けつつ行進していきました。

 各地の主な取り組みを紹介します。。

【神奈川】では、6会場で宣伝しました。横浜・桜木町会場では、「追い出し部屋」をめぐる闘争中の相鉄の労働者がビラを撒いていましたが、彼らのビラと「海つばめ」号外をそれぞれ10枚ほど交換しました。4つ折りにした「海つばめ」を「あとでじっくり読まさせていただきます」と、その労働者。また「狭山事件」のチラシをまいていた人も「海つばめ」を取りに来て、前身の社労党、全国社研を覚えている、と。4つ折りにすると、事前の準備は大変だが、確かに配布はしやすいと感じました。(写真右)。

【京都】は、29日の連合系と1日の京都総評メーデー(全労連系)の2会場で宣伝。両方のメーデーとも、ノボリを立て、ゼッケンをつけての行動だったので、目立ったと思います。「労働者党です」と声をかけると、わざわざビラを受け取りに来てくれる人もいました。
【大阪】では、連合大阪と堺会場で宣伝しました。新しい党旗と海つばめの旗を会場入り口の駅前広場に並べました。旗を立てるのは社労党時代の街宣以来十数年ぶり。「森友事件・国有地不正販売/ 安倍の権力犯罪/ 巨悪を許すな!」「空約束・働き方改革/ 差別労働・搾取労働/ 即時に一掃!」と「労働の解放をめざす労働者党」を掲げたゼッケンを着け号外を配り、ハンドマイクで、新しい労働者党結成の意義と労働者党議員の誕生のためのこれからの闘いを力強く訴えました。わざわざビラをとりに来る人もありました。

【福山】では、4月29日、福山市緑町公園で開催された連合メーデーに参加した組織労働者にビラ1000枚を配布しました。今年は圧倒的に若者が多いと言う印象でした。いつもながら受け取りは良い。途中から一人が会場の中の車座の労働者に配布しました。党名と「海つばめ」ののぼりを立て、党名と「5年後に労働者党の議員を!」のゼッケンをつけてアッピールしました。ポールに括り付けて「海つばめ」と綱領の販売も行いました。

 今年のメーデーは、北は札幌から南は沖縄まで、全国で30以上の会場で訴え、大きなそして新鮮な印象を与え、関心を呼んだと思います。こうした関心や興味や、さらには同感や共感をさらに全国の労働者のものにし、我が党が労働者の中に深く浸透していくことが必要です。メーデー闘争はそのスタートとして、デビューとして、意義ある闘いになりました。


メーデーでマイク宣伝(1)
新党結成と労働者の総結集を呼びかける


 今年のメーデーは、新党結成直後ということもあり、党や「海つばめ」ののぼりを準備し、久しぶりにハンドマイクによる宣伝も行いました。全国約30会場、約3万枚のビラを配布しました。
 東京では4月29日に連合系の中央メーデー、5月1日には全労連系メーデーが実施され、日比谷の全労協系―メーデーを含めて宣伝戦を行いました。
 代表委員の林、田口、渡辺氏などがマイクを握り、労働の解放をめざす労働者党として再出発したこと、国政選挙に参加し、5年後には労働者派の国会議員を勝ち取ろう、反動と軍国主義政治を推進する安倍政権に対するふがいない野党の実態を力強く暴露しました。



メーデービラ配布のご協力を!

 労働者の解放をめざす労働者党は、全国のメーデー会場で宣伝、ビラ配布を行います。今年は新党を結成して初めてのメーデーであり、新党の意義や国政選挙への挑戦など、労働者、勤労者の皆さんに是非アピールしたいです。

 ご協力いただける方は、党の支部または、中央事務所にご連絡ください。

 なお、配布する予定のビラは、表面は新党結成の意義とその闘いについて、裏面は安倍の「働き方改革」や官製春闘、森友問題(主張蘭)を扱っています。ここ()から見ることが出来ます。


新党結成大会、開かれる!
「雌伏」の時を経て「雄飛」へ――「労働の解放をめざす労働者党」として再出発
「潮も適(かな)いぬ今は漕ぎ出でな」――5年後に労働者党議員の実現を!


  全国の読者の皆さん、労働者、勤労者の皆さん、
 我々はそのもとで14年間を闘ってきたサークル的な組織、「マルクス主義同志会」を解散、新しく組織される「労働の解放をめざす労働者党」に団結して、新しい闘いの段階に進むことを決意し、大会で圧倒的多数で決議しました。
 つまり「労働の解放をめざす労働者党」が新しい党の名称であり、目標です。この党名の意味するところは、我々が大会で採択した我が党の綱領の前文の部分に明らかですので、それを参照してください(その部分はこちらから)。
 我々は新しい党の名称として、これまでの「社会主義」の党とかの伝統的に℃g用されてきた名称を避け、新鮮で、我が党の目標に相応しい「労働の解放」という言葉を採用しました。これまでも機関紙『海つばめ』でも、題字左横のスローガンの一部として、高々と、そして長らく掲げられてきたものです。(続きを読む


新しい労働者党に結集し、ともに闘おう!
新党の綱領・規約(案)を発表される


 同志会は、4月に労働者党を再建しますが、その綱領・規約(案)が公表されました。同志会では大会に向けて徹底議論し、新しい綱領・規約を採択する予定です。

 現在の政治状況を見ても、民進党や共産党の政治的堕落、退廃は明らかであり、何も期待することはできません。

 民進党は民主党政権の3年間で自民政権と本質的に変わらないブルジョア政党であることが明らかになりました。多くの労働者、勤労者の失望や怒りの中で、反動的的で国家主義・軍国主義的な安倍自公政権の誕生を準備したと言えます。
 また、共産党の日和見主義的退廃も極まっています。つい数年前までは「自共対決」をお叫んでいましたが、最近は「野党共闘」を前面に掲げ、共闘のためには日米安保も自衛隊も天皇制も容認すると言い立てています。ブルジョア第二党の民進党と同じレベルまで転落していって、まともに安倍政権と闘えるわけがありません。
 そして天皇の生前退位問題では、自公の特例法に柔軟姿勢を見せ始めています。これまでは民進党と一緒に皇室典範の改正が「筋」と主張してきたのですが、その立場を投げ捨てて自公に協力し、民進党を困惑、孤立させるのです。その意味するのは共産党の自公への追随、すり寄り、屈服です!。

 自民党と闘うべき野党がこうした体たらくでは、労働者、勤労者の闘いは発展しようがありませんし、その労働や生活はいよいよ厳しく困難になるもの不思議ではありません。今こそ新しい労働者、勤労者の政党が必要であり、喫緊の課題になっています。

 職場、地域での闘い、個々の課題に対する闘い、グループやサークルなどいろいろな活動がありえます。しかし、それがバラバラでは大きな力を持つことはできません。階級として一つの党に団結し、闘うことが必要不可欠です。その結集軸になるのが綱領(・規約)です。

 毎日の苦しい労働、厳しい生活に怒りを抱えている皆さん、労働者の闘いの発展、その解放を目指して闘っている皆さん、闘いたいと思っている皆さん、そしてそうしたグループ、団体の皆さんに訴えます。是非この綱領・規約(案)を検討し、ともに闘っていかれるよう呼び掛けます。
 (必要なら、ご連絡ください。説明・議論に伺います)。


第3次ビラ配布にご協力を!

 私たちは、この春に労働の解放をめざす労働者党を立ち上げ(再建し)ます。この事業は、一人私たちの問題ではなく、労働者階級全体の課題でもあります。

 現実の政治を見ても、野党民進党や共産党の政治的無力や堕落の中で、政治は資本の勢力が独占し、アベノミクスをはじめ安保法、TPP、沖縄の基地建設、天皇制問題など好き勝手な政治を繰り広げています。そして労働者や働く者は虫けらのように扱われています。

 おりしも、アメリカではトランプ政権が誕生し、世界は大きな歴史の転換点を迎えているかです。米国、中国、ロシア、日本などそれぞれの国家が、自国第一主義を掲げて対立、抗争するような時代、激動の時代を迎えているかです。

 こうした中、労働者の未来を切り開くためには、本当の労働者政党をつくる必要があります。そして既成野党に代わる新しい労働者党の国会議員が何人も国会に出ていって、国会の中でも真剣に闘わないければ、現在の情勢は少しも変わらないとも言えます。

 この2月から3月にかけて、昨年の第1次、第2次ビラに続いて第3次ビラを配布することにしました。普段発行している「海つばめ」と同じ形式です。

 ぜひ皆さんのビラ配布へのご協力を呼び掛けます。
 ビラはこちらから見ることができます。


  連絡をいただければ、送料は当方負担で発送します。


共産党、必勝区15を提起
――民進への「リスペクト」より、党派利益を優先
                        2017年1月8日

 衆議院議員の任期の半ばを過ぎ、今年は選挙の年と言われている。
 共産党は、野党4党の共闘を掲げ、安倍政権を打ち破るための「新しい政治」の道を切り開こうと呼びかけている。
 そんな中、昨年12月26日、民進党、共産党など野党4党は、次の衆院選での選挙協力の協議を始めることをきめた。野党分裂をやめ、候補者の一本化を進めようということだが、そこに共産党の小池書記局長は「必勝区15」の書類を提出した。小池は「力を入れて必ず勝利を勝ち取りたい」と各党に協力を要請し、他党は競合する候補者を取り下げるよう要求した。

 衆院は、選挙区295、比例区180で、計475議席。共産党の1月3日現在の小選挙区立候補者は261、民進党は217、195選挙区で候補者が競合している。
 前回の衆院選の結果をもとに野党4党が候補者一本化すれば、比例区を前回並みとすると60の諸選挙区で与野党の当選が逆転することになる。
 そして共産党は、昨年の参議院選挙を「ホップ」とすれば、次の衆院選は「ステップ」、「大義の旗」を掲げ「本気の共闘」を実現して、自公による3分の2体制を打ち破れると叫んでいる。
 ただ、共産党は衆院選では「わが党は一方的に候補者を下すということはしない」(志位)とも言明する。その具体化が「必勝区15」というわけである。
 しかし、その内容は共産党の都合を露骨に優先させたもので、党派エゴ丸出しの代物であった。

 15選挙区のうち、現職は11、新人4だが、沖縄1区を除く10人はすべて小選挙区で落選し比例区の復活当選組である。志位は、選挙協力について、野党と市民派の新しい形の共闘、お互いにリスペクト(尊敬)しつつ一致点で共闘と解説しているが(「赤旗」1月1日)、およそ他党派(特に民進党)をリスペクトするとはほど遠いものだ。
 このうち10選挙区で民進党と競合する。
 特に福岡9区は比例代表で復活した現職候補同士が激突することになる。前回の得票は、共産党の2・6万に対し、民進は7・2万票(当選した)自民は8・8万票)であった。共産党は、現役同士とはいえ、前回の実績は半分以下の得票という中で、あつかましくも民進党が候補者を下せというのである。
 埼玉15区、東京20区、大阪4区、福岡10区では比例区で復活当選した共産党現職と民進元職がぶつかる構図だ。ここでも、民進が候補者を立てなかった大阪4区を除くと民進の方が共産党の得票をすべて上回っており、かなり強引な提案となっている。
 民進党が候補者を決めていない選挙区が4選挙区ある。東京12区、京都1区、大阪3、兵庫8区であるが、これらは東京12区を除いて前回も立候補していなかった選挙区である。もし、前回実績から共産党に候補者を一本化すべきというのであれば、その理屈も正当化するのは難しい。というのは、前回は民進党(民主党)は小選挙区で178の立候補に対し、共産党は292であったが、その前の衆院選は民主271に対し、共産党は79であり、前回の大量立候補と大きく矛盾するからである。
 要するに「必勝区15」の提案は、現職議員を全員「必勝区」にするという党の都合を優先させ、共産党の党派的利益を優先させる、そして他党派が一方的にそれに従うべきというエゴ丸出しものに過ぎない。

 これに対し、民進党の野田幹事長は、共産党が必勝区というなら、そこには「民主党の重点区もある」と不愉快そうに対応している。「すべての選挙区で(一本化)ということは、もともとあり得ない」と述べ、競合も辞さずの構えを崩していない。民進党としては、10月の衆院補選と同様に、共産党が譲る形で一本化が実現することを期待するというわけである。

 お互いに「リスペクト」とは程遠い状態であり、候補者調整は難航が予想される。
 だが、それは偶然ではない。すでに半ばブルジョア政党に転身した民進党は言うに及ばず、「国民連合政権」を掲げる共産党の政治は、安保条約も自衛隊も天皇制も容認する政治に堕落しているからである。つまり民進党の政治と異ならない政治に、よりブルジョア的な政治に転落し、その中で民進党などとの選挙協力をどうしたらいいかを模索する中で、党の独自性を押し出そうとするなら、今回のような「必勝区15」といった党派利益丸出しの提案にならざる得ないのである。協調や共闘を強調する日和見主義とセクト主義は、対立するどころか立派に共存するというわけである。それは、共産党(スターリン主義政党)の政治的な頽廃や醜さを象徴するものである。

 今回の共産党の提案が教えるものは、既成政党に代わる真の労働者政党、本当に安倍政権と正面から対決して闘う国会議員こそが、誕生しなければならないということである。
 我々はこの春に大会を開いて、労働者党を再建し、国政選挙にも復帰することを決めている。多くの労働者、勤労者の皆さんのご支援を呼び掛ける。



【ビラ配布を手伝ってください】

 マルクス主義同志会は9月の第1次ビラに続いて、第2次ビラを配布します。
 米国ではトランプが大統領になり、世界の資本主義はいよいよ腐敗と腐朽を深め、米中ソ、EUそして日本などの帝国主義的で軍国主義的な大国が「自国本位」のもとに対立抗争する時代、激動の時代を迎えつつあります。
 その中で、日本では安倍政権の下、野党は無力を露呈し(特に共産党)、新たな労働者政党の登場が緊急に要請されています。
 私たちは、この課題にこたえるべく、来年春には労働者政党を再組織し、次の国政選挙に立候補して闘うことを明らかにしています。そのために、12月から1月にかけてビラの大量宣伝をおこないます。
 ビラ配布を是非手伝ってください。枚数等、連絡をいただければ、直ちに発送します。(ビラは下記)。

12月に同志会が配布するビラ(第2次ビラ

我々の闘いに参加とご支援を
――来春に党に移行、国政選挙への体制整える
『海つばめ』1285号16/9/25

9月に同志会が配布したビラ(第1次ビラ

読者のみなさんへのアッピール――同志会13年の闘いを止揚して――労働者党再建と国政選挙再挑戦を決定『海つばめ』1278号16/6/19))

【第12回大会報告】
 〜重要な宣言や決議を決定〜


 同志会は、5月末に第12回大会を開催し、「労働者党の再建」と「国政への復帰」などの重要な決定を行いました。これは同志会にとって「転換」ともいえる決定――現在のサークル的段階を脱却し、政党として国政選挙に復帰しようということ――です。具体的には3年後の参議院選挙に候補者を擁立すること、さらにその3年後には10人以上の候補者をそろえて確認団体として闘うことを目標とするというものです。ここに12回大会の宣言と大会決議(の一部)を公開しますので、ご検討いただき、ともに闘われるよう呼び掛けます!

第12回大会宣言(2016.5.29):
 全国の心ある労働者、勤労者に訴える
 「労働者党再建」と「国政への復帰」のために結集しよう!

第12回大会決議(2016.5.29):
 サークル的段階を脱却し、新たな段階へ
 「労働者党再建と国政への復帰」を合言葉に   

   

第12回大会宣言

全国の心ある労働者、勤労者に訴える

「労働者党の再建」と「国政への復帰」のために結集しよう!

2016年5月29日

 

はじめに

 3月から5月にかけて開催された、マルクス主義同志会第12回大会は、13年間にわたる、サークルとしての活動に終始符をうち、「労働者党の再建」と「国政への復帰」のための闘いを開始することを決定しました。「労働者党の再建」には2年ほどの準備期間を置き、その後に「国政への復帰」(国政選挙等々への参加)を果たすという大まかな展望も明らかにしました。
 「労働者党の再建」とはいうまでもなく、我々が再び、政党としての闘いを開始するということであり、また「国政への復帰」とは再び国政選挙(及び地方選挙、さらには議会闘争)に参加し、闘い抜くということです。
 いかなる形で「労働者党の再建」を勝ち取るかという点では、志を同じくする党派やグループがあればそれも良し、なければそれも良しという立場です。「再建」の意味を狭く考え、かつて我々がその名のもとで闘った「社労党」(社会主義労働者党)にこだわるものではありません。「労働者党の再建」とは、どんな意味でも闘う労働者、社会主義者の党と呼べるものが消滅してしまったような現在の深刻な状況の中で、明治時代の「平民社」以来の伝統を汲みつつ、新しい労働者の党を再組織し、闘いを――とりわけ労働者の政治的な闘いを――貫徹して行かなくてはならない、さもなければ決して労働者の未来を切り開いて行くことはできないという我々の強い思いと意志の集約であり、また結晶でもあります。

1 我々の組織、その歴史、その闘い

 我々は60年安保闘争の時代からすでに数十年、一貫してこうした課題を追求し、1970年代から90年代にかけて「社労党」等を組織し、議会闘争に参加していわば“極小の”労働者政党として、17年間ほどの期間闘い抜きましたが、「矢尽き刀折れて」無念の後退を強いられ、矛を収めて闘いの中断を余儀なくされました。それ以降、我々は基本的に、組織的結集としてはサークル的な形を取りつつ、「捲土重来」を期して活動を継続してきました。
 我々が公然たる政治的な闘いを中断したのは、闘う意思や意欲が後退したからでも、まして消滅したからでも全くありません。その主要な原因はカネの問題であり、供託金制度等々の不公平、不正義の差別選挙制度の中で、財政的にも、実際的にもやっていけなくなったからです。供託金の負担は、最近厳密に計算してみましたら何と総額1億円にも達し、選挙を闘う、普通の経費の2倍、3倍にもなっていました。今に至るまで返済し得たとはいえないほどの借金は山と積み重なり、戦線を縮小せざるを得なかったのです。供託金や、90年代に細川政権によって、つまり当時の公明党や社会党(現在の民進党や社民党)等々によって導入された小選挙区制や政党助成金などを始めとする、不正、不公正で邪道の選挙制度がなければ、我々はさらに闘いを10年、20年と継続し、拡大していくこと――本当に信頼し得る労働者派の議員を何人も、何十人も生み出すまで――は十分に可能だったのです。
 我々の挑戦の挫折には、我々の闘った時代が、「高度経済成長」の時代の末期から、80年代後半の超バブルの時代が重なったことや、社会党や共産党への幻想がまだ労働者、勤労者の中に根強く残っていて、我々の訴えが労働者、勤労者の中になかなか浸透しなかったことも影響しました。
 我々が“公認された”政治闘争の舞台からの撤退を余儀なくされ、後退した直後から日本資本主義の長期的な停滞や衰退が始まり、また労働者の政党として、偽りの名をほしいままにしていた社会党が自民党と連合して政権につくなどして裏切りに走り、労働者、勤労者の支持を失って消滅してしまったのは皮肉なことでした。
 我々は広い意味での“新左翼”系のミニ党派として出発しましたが、労働者、勤労者とその闘いにとって有害無益なテロや、陋劣愚昧な「内ゲバ」等々に、あるいは「成田闘争」とか「沖縄奪還闘争」とかいった、無意味で空疎な“闘い”に明瞭に反対し、そんなものとは全く無関係な、唯一の労働者派として活動してきました(しばしば“非実践的”であるとか、軽率なプチブル急進派や市民派や“素朴”実践派の諸君から罵られながらも)。
 我々は一貫して、労働者の経済闘争、理論闘争、政治闘争の貫徹を謳い、組織し、学び、宣伝することを活動の根底に据えてきたのです。その意味では、我々は労働者、勤労者の前で、恥じるべきことは何一つありません(河上肇の漢詩の一節を借りれば、「俯して地に恥じず、仰いで天に愧ずるなし」です)。
 我々は実践的、組織的に、プチブル的で、頽廃していく“新左翼”諸派とは明白な一線を画し、彼らに対する確固たる、首尾一貫した批判的立場を堅持してきたのですが、我々が実践活動と闘いの中において勝ち取ってきた、理論的な成果や前進についても、ついでに述べておかなければなりません。
 我々は現代ブルジョアの、ケインズ主義に代表される頽廃した“寄生階級の”経済学の批判的克服――それはまた、事実上、ケインズ経済学に理論的にも、実践的にも屈従して行き、「過少消費説」を担ぎ回った、共産党の粗雑低俗な“経済学”への批判でもありました――はもちろんのこと、ブント諸派や“新左翼”諸派との理論的闘いの中で、マルクス主義へのブルジョア自由主義的影響の一つの現れの、黒田らの“主体性哲学”や、宇野学派のプチブル的な“無用饒舌経済学”をも拒否、決別して、労働者とその闘いの理論を掘り下げ、さらに前進させてきた、事実上、唯一の党派でした。
 我々はすでに1960年代の早くから、ソ連や中国の体制は「社会主義」ではないのはもちろん、「社会主義への過渡期」社会等々ですらなく、むしろ一種の資本主義社会(我々は“国家資本主義”の社会と概念規定しました)であり、不可避的に“ブルジョア的に”進化することを明らかにし、半世紀前の文化大革命の時代にあってさえ、毛沢東の“農民的共産主義”は“実権派”、“走資派”の勝利に帰着し、中国が資本主義の中国に転化することを“洞察し得たほどでしたが、当時そんなことを信じた人はほとんどいなかったのです。そしてまた、当然の結果として、不破らが持ちだし、珍重した「市場経済的社会主義」といった観念を、我々は“スターリン主義”を代表し、その反動性を暴露する、愚劣そのものの観念として嘲笑し、否定したのでした。
 その他にも、スターリン主義派が、彼らの「過少消費説」――これは共産党の日和見主義や改良主義の政治や実践と不可分の、それを支えた俗論であり、今ではケインズ主義や「アベノミクス」や、その実践としての“政労使”協調の賃上げ論(安倍政権主導の、労働者の賃上げという茶番)と、ほとんど区別できないものにまで堕しているのですが――や、それを正当化するために流布させていた偽りの「恐慌論」や「拡大再生産論」等々も完璧に理論的に粉砕しましたし、さらには「社会主義」における“分配”の理論においても、基本的な課題を検討し、明らかにしてきましたが、こうした成果は労働者の階級的闘いを貫徹し、本当の解放を勝ち取っていくときに、どうでもいい理論課題では決してありませんでした。
 我々が批判して止まなかった、スターリン主義の「政治理論」についていえば、それらは、「民主的統一戦線」戦術――歴史的には、1930年代、スターリン主義派のブルジョア協調主義を象徴する「人民戦線戦術」として始まりました。もっともそれはすでに、スターリン派が権力を握った1920年代の半ば、中国革命へのスターリンのいわば “個人的な”指導方針として実際的に提出され、実行されて、20年代の中国革命の挫折と敗北を結果しています――とか、革命の「段階論」――現在はブルジョアへの支持を与える“段階”、次はプチブル改革派を表に立て、応援する“段階”、そして最後にはブルジョアやプチブルを振り捨てて本当の「革命」をする“段階”が来る、云々――といった、ドグマ的、形而上学的な“政治理論”などですが、語るに値しないほどの日和見主義的俗論であって、今もなお、志位共産党の、民進党や市民派との愚鈍にして最低、醜悪な“協調路線”(「国民連合政府」云々の政治)として“現実的”であり、労働者の原則的な階級的闘いに計り知れないほどの害悪と損害を与え続けています。

2 現代はまさに危機を深める“高度”(つまり行き詰まりと頽廃と寄生化そのものの)資本主義、「死滅しつつある資本主義」ではないのか

 しかし現在、資本主義の矛盾の深化と危機と衰退は余りに明らかであり、ブルジョアたちはその前で呆然としてなすすべを知らず、ただ“非伝統的な”、あるいは“異次元の”金融緩和の名のもとで、さらには継続的な財政膨張政策によってカネをバラまくといった、場当たりのびぼう策(一時しのぎのやり方)に走り、そんなものに固執する以外、何もできない状況に追い込まれています。ただ空疎な強がりや「近い将来万事がよくなる」といった「期待感」つまり願望や幻想をふりまき、労働者、勤労者を惑わすことによってのみ政権にしがみついているような、なさけない、頽廃し切った有様で、まさに日々、ブルジョア階級の歴史的な没落と敗退を予感させています。
 現代資本主義は、第二次世界大戦後、永続する繁栄と「高度経済成長」を享受するかに見えてきましたが、すでに70年代から80年代にかけて、その内包する矛盾と限界を暴露し、歴史的に危機の時代に突入してきました。「国際通貨」を公言したドルは「金」との関係を絶つことによって、「管理通貨制度」として自らを完成したかですが、それは「通貨」の継続的な、絶え間ない「減価」を避けられないものに、他方では、財政、金融に拘束されない膨張の可能性をもたらしましたが、そうした現実は現代資本主義の、したがってまたブルジョアジーの腐敗、頽廃、反動化を規定し、深化させてきました。今では彼らは、死すべき階級としての自らの本性をますます暴露しています。
 彼らは現代資本主義の下で膨張する過剰生産や信用膨張をまともに管理し、規制することができなくなり、あるいはむしろそれを必要とするようになり、ますますその麻薬的効果に魅せられて、自らの歴史的死滅を加速させつつあるかに見えます。
 彼らは深化する資本主義的矛盾と階級支配の危機――例えば00年代末のリーマンショック等々、あるいは日本なら80年代末のバブル等々やその破裂等々――に対して、ただ国家支出を膨張させ、“質、量共に”異様な金融緩和等々で立ち向かうしかなかったのですが、それはただ国家債務を一挙に膨れあがらせ、あるいは「通貨」を経済と流通にむりやりに押し込むことによってのみ可能になりました。
 もちろん資本主義的生産様式の根底から生じてくる矛盾や困難に対して、財政膨張や信用膨張、通貨膨張によって対応し、それらを克服することはできません、あるいはできるように見えるとしても、一時的な対症療法でしかなく、しかもそんなやり方は矛盾や困難を温存するばかりではなく、さらに一層激化し、深化させる契機さえ持つのですから、危機と困難は慢性化するしかありません。
 つまり、カネをバラまくことによっては、資本主義の根本的な矛盾の集中的な表現としての過剰生産や過剰信用(不況や恐慌)の困難(ブルジョアたちは「需要不足」などと一面的に、間違って呼び、理解するのですが)を解消することができないこと、そうした困難を一時的に隠蔽しつつ、より大きい、深刻な危機として再現し、表出するしかないことほどに確実で、明らかなことはないのです。ブルジョアたちが万能薬であるかに信じ込んで行う、財政の膨張や金融緩和等々の“政策”は、それ自体、一時的に「需要不足」つまり過剰生産を解消するかに見えて、実際には過剰生産をむしろさらに促し、深化させるのですから、彼らの解決策によって、彼らの呼ぶところの「デフレ」はむしろ慢性化、日常化し、泥沼化するだけ、労働者、勤労者の困難や苦悩もまた永遠化されるということになるしかありません。
 2016年のG7(伊勢志摩サミット)は現代のブルジョアジーの陥っている袋小路を端的に暴露しました。安倍は自らのヘゲモニーによる「財政出動」を国際的な規模で共同して行うことによって、国際的な長引く経済的停滞と不振に、つまりデフレに苦しむ世界を救おうと独りよがりにふけったのですが、そんなやり方で衰退する世界資本主義を救うことができないことを明らかにしただけでした。
 そもそもすでにこれまでの無原則な「財政出動」の結果による国家破産の危機に苦しむ日本が、今さらのように「財政出動」を謳い、そんな「戦略」を世界の大国に、自分ではほとんどそんな実力も余裕もすでにないのに、ドイツやアメリカに押しつけ――つまり典型的な、「他人のふんどしで相撲を取る」というやつです――、それによって世界経済のデフレを一掃しようなど提起すること自体、どんなに常識外れのばかげたことであるかに気が付かないのですから、安倍がブルジョア世界の鼻つまみ者になっていくのは避けられないのです。
 資本主義的生産とその社会の全体を、予算の半ばを借金に依存するような不健全で、不道徳な「財政政策」や、カネを垂れ流すだけのようなだらしのなく、厚顔無恥の「金融政策」で思うがままに左右し、支配し、救済することができる――デフレも恐慌も信用パニックも、モラル・ハザードも人心荒廃も何も恐れることは何もない――という観念は、現代ブルジョアジーの破廉恥で、傲慢不遜の幻想ですが、資本主義の危機の中で溺れていき、「ワラをもつかみたい」彼らの最後の頼みの綱として必然でした。
 それはブルジョアたちに、資本主義的繁栄やかつてのような華やかな「成長」の未来があるかの幻影を与えたのですが、今やようやく、そんなものが「人類の知恵」――と、空っぽのケインズ主義者や、リフレ派のやくざ経済学者は言いはやすのですが――どころか、空虚なクズ理論、安直な思いつきにすぎないことが現実の中で明らかにされてしまっているのです。
 日本における安倍政権の登場は、世界資本主義が矛盾を激化し、行き詰まったことの一つの表れであり、またブルジョアジーが反動化し、専制政治や国家主義や軍国主義にますます傾斜し行く必然性を暴露しましたが、それはまた同時に世界的な労働者階級の新しい闘いの時代の始まりであり、そこにつながっていくことを教えています。

3 頽廃する現代の“高度”資本主義とブルジョア階級

 パナマ文書が明らかにしたことは、現代の「資本」の世界的な規模における頽廃であり、資本の勢力がすでに倫理観を失って腐り果てたということです。国内でも、東芝などの電機資本についで、自動車資本の燃費問題における不正も次々と暴露されています。いずれも「日本を代表する」(あるいはすでに、「代表した」と過去形でいうべきでしょうか)産業資本です。
 産業資本がこのていたらくだとするなら、金融資本については、まして言うまでもありません。
 現代のブルジョア階級が頽廃したのは、権力を悪用することで通貨の「価値」を好き勝手に変動させ(主として、引き下げ)、インフレを引き起こしたり、為替相場を低く誘導したりすることで「景気」を維持したり、儲けを増やしたりすることができるという、現代資本主義に特有の幻想が生まれ、支配的なブルジョアジーの観念となったことと関係しています。
 彼らは経済関係をますます健全にし、また安定させ、労働の生産力を高め、まさにそのことによって、労働の搾取を強めるといった、よき時代における自分たちの“原則”はすでにどうでもいいことと考え、そんなものは二の次、三の次にしています。「構造改革」だ、「合理化」だ、「規制緩和」だといっても、労働者への困難のしわ寄せ(労働保護の一掃や撤廃等々)を考えているだけで、自らの責任で「合理化」すべき、大企業への特別の恩恵とか、零細企業や農業における小所有、小経営への保護等々はいつまでも温存し、あげくの果てには国家も水ぶくれさせて破産に追い込み、マイナス金利などと称して、信用関係もめちゃくちゃにして崩壊させ、さらには自らの支配と権力の危機や困難を、国家主義や排外主義にそらせ、諸国間の対立や戦争までも挑発するまでになっており、ますますそうなって行きつつあります。彼らはすでに進歩的な階級ではなくなり、腐りはて、悪臭を放つ、死すべき階級に転落したのです。
 要するに現代の資本の勢力は、資本主義の矛盾の恐るべき発展や、労働者の膨れあがっていく怒りや不満や絶望に直面し、ただ困難を労働者、勤労者に転嫁し、搾取を異常に強化することによってのみ対応し、対抗することしかできず、またそうすることによって、ただ労働者、勤労者の社会的な地位の一層の低下や生活の急速な悪化や不安定をもたらしているだけであると言って少しも言いすぎではありません。
 世界の資本主義国家における、ますますはびこり、拡散していく低賃金や、労働者間の差別的な諸関係――正規労働者と非正規労働者間の、男性労働者と女性労働者間の、大企業と中小零細企業間の労働者間の、若年層の労働者と高年齢の労働者間の、内国籍の労働者と外国籍や移民・移住の労働者間の、“差別”や“格差”の拡大等々――の導入や増大は、このことを端的に物語っています。
 資本は矛盾と困難が深化するなかで、労働者の間にますます拡大する「差別」や「格差」や「分断」を持ち込んで、労働者への搾取と支配を強め、多くの労働者――とりわけ女性や青年層の労働者間の――生活を貧困化、破滅させ、団結や闘いを掘り崩して資本の支配体制を延命、恒久化しようと日々策動しているのです。目覚めつつある労働者、自覚した労働者は今や、そうした一切の「差別」や過度搾取の体制に反対し、それを粉砕、一掃する闘いに立ち上がり、さらに進んで搾取そのものの廃絶に向って、つまり労働者階級全体の解放に向って進んで行かなくてはなりません。
 そして今、ブルジョア政治家たちはみな、安倍一派にも象徴されるように、労働者、勤労者をペテンにかけることだけに腐心し、デマゴギー政治によって支配し、さらには粗野な民族主義や野蛮な国家主義を扇動し、諸国家の労働者、勤労者を対立をあおり、争わせることによって、労働者、勤労者の怒りや闘いをそらせ、自らの延命を図るのですから、根底から腐敗・頽廃した、政治的賭博師やよた者やならず者のレベルに転落していると結論するしかありません。
 彼らはまた、自分の権力の永続化を求め、公的な形を装って自分たちのために金をかき集め、後先も考えず借りまくり、それをただバラまくことで生き延びようとするだけです。当然、国家も財政も金融もむやみに弛緩、膨張し、紊乱、寄生化して、国民経済は衰退し、破綻し、解体し、労働者、勤労者の生活と日常は根底から破壊されていくしかありません。
 資本主義の客観的な状況は、戦後の「高度経済成長」の時代や、バブルの時代と比べてはるかに矛盾と頽廃を深め、行き詰まり、瓦解しつつあります。そしてまた、そんな資本主義の状況に対し、ブルジョア政府のありとあらゆる救済策は、一時的で、絆創膏を貼るといった効果しか上げることができず、そんな場当たりの、不健全な救済策は、危機と困難を瞬時だけ緩和するかに見えても、結局先送りするだけ、かえって矛盾や困難を一層悪化して、再び招き寄せるだけであることをますます暴露しつつありますし、今後も同様でしょう。

4 労働者の究極的な解放目ざし、真実の労働者党を再建しよう

 そしてまた労働者、勤労者にとっての大問題は、資本の搾取や抑圧に反対して、労働者の階級的な立場や利益のために、労働者の未来のために、搾取の廃絶と究極的な解放を目ざして闘う政党が破綻して消滅してしまい、あるいは腐敗堕落して解体しつつあることです。
 これはまさに“世界的な”現象ですが、日本もまた例外ではありません。戦後、曲がりなりにも労働者、勤労者の党と呼ばれ、またそれを自認してきた――厚かましくも――政党も、魂を悪魔に売ったのか、露骨にブルジョア的な変質・堕落を遂げ、すでに消滅してしまったか(1996年の社会党)、あるいは“スターリン主義的”ドグマと、プチブル的、ブルジョア的な堕落と、頽廃と無気力のなかで解体しつつあります(2016年の共産党)。
 社会党は「反(非)自民」の政権としての細川政権に参加して挫折したあと、何と1994年から6年まで自民党などと連立し、形ばかりの社会党首班の村山政権まで組織しましたが、社会党“左派”を代表した村山のヘゲモニーのもと、それまでの党の基本的な立場を180度転換させて、日米安保条約や自衛隊の「合憲」の立場に転向し、その結果、労働者、勤労者の支持を完全に失って、ついに党として消滅してしまいました。その衣鉢を継いだとされる社民党の有様は、社会党の幽霊であるとともに、社会党がどんな党であり、そしてそれ故に、実践的に堕落せざるを得なかったかの必然性を語っています。
 共産党もまた、最近では民進党(民主党)や市民主義派の尻尾にくっつくだけの、極端な日和見主義の党であって、「自共対決」とか、「唯一の革新」云々は労働者、勤労者を欺くための虚偽の看板でしかないことを暴露し、かつての社会党と同様に、その後を追って、日米安保条約や自衛隊の合憲を主張し、さらにご丁寧にも天皇制の支持まで公言し、誇示するなど、ブルジョア的、反動的な堕落と解体への道を急いでいます。
 今やこの珍奇なセクト主義の党は、09年に政権を握ることで、その政治的な無力と反動性と裏切りさえ暴露して、簡単に破産してしまった民進党(民主党)と一緒になって、「国民連合政府」などといった、あやふやでわけのわからない――したがって、生まれたかと思う途端に解体してしまうしかないような――政府を組織するといった、観念的で、独善的で、ピント外れのことしか提起できないのです。こんな愚劣で、おかしな“共産主義”の党といったものは存在しないし、するはずもありません。今では、“スターリン主義”の行き着いた果ての、醜悪な残骸というしかありません。
 今こそ、労働者の手によって組織され、労働者のために闘う、労働者の党は必然であり、「再建」され、また公然と登場し、労働者の多くを結集して闘いを開始し、発展させて行かなくてはならないし、またそうすべき時です。
 「労働者党の再建」と「国政への復帰」の合い言葉のもと、労働者の未来を切り開くため、心ある労働者の皆さん、結集し、団結してともに闘いに立ち上がりましょう。労働者階級の解放のための闘い、そして労働者党のための闘いは、資本主義が存続する限り、歴史的な必然であり、永遠の挑戦です。
 闘いを開始しましょう。Le Temps viendra!(「時は至らん!」)。   (註・「時は至らん!」――この呼びかけは、フランス革命からテーマを取った、ロマン・ロランの一連の革命劇の一つのタイトルからの借用です。)


第12回大会決議

サークル的段階を脱却し、新たな闘いへ

2016年5月29日


――かつて社会党は労働者、勤労者を裏切って死んだ、そして今、共産党も同じように労働者、勤労者を裏切って死にかかっている。そして厚顔無恥で、“危険な”安倍政権が闊歩する中、我々はいまや「時はいたらん!」と、労働者、勤労者の闘いを貫徹すべく、「労働者党の再建と国政への復帰」を合い言葉に断固として立ち上がる。


 マルクス主義同志会第12回大会の決議として重要なこと、我々が強調すべきことは、労働者党の「再建」であり、また国政への「復帰」である、つまり我々はかつての社労党として闘った国政選挙闘争とその伝統の上に、誇りと信念をもって自らの新しい闘いを位置づけるのである。  こうした観点は13年前、我々が社労党からマルクス主義同志会に移行したときにすでに断固として宣言し、予告したことである。我々はあの時、いつの日か、必ず労働者の党としての闘いに、そしてまた国政レベルでの政治闘争の舞台に復帰することを誓ったのである。
 我々は、かつて十数年余にもわたって――1974年の参院選全国区から、1990年の衆院選、91年の地方選まで――中心的な闘いの課題とも手段ともしてきた、議会闘争の路線の挫折という厳しい現実に直面し――まさに俗にいえば、供託金などカネの面から行き詰まり、無念の戦線離脱と撤退を強いられたのだが――、社労党を解体し、戦線の整備と再構築と、そしてまた「捲土重来を期して」戦略的後退を余儀なくされた、すなわちマルクス主義同志会に移行したのであった。 我々はそれ以来、13年の期間、形としてはサークル的な組織形態で、また活動もその限界の中で、主として宣伝や理論的な活動に従事してきたが、我々の活動と闘いの目標を、すなわち『海つばめ』の一面左上のスローガンにもはっきり表明されて来たように、「新しい労働者党と労働者の政治的な進出を勝ち取ろう」という課題を、1日といえども忘れることはなかった。
 そして我々は一昨年の大会において、我々のサークル的な“段階”と根強いサークル意識を一掃し、克服して、一層活発で、実践的な組織に移行し、生まれ変わって、新しい革命的な組織建設に邁進することを確認し、決定したのであった。
 そして我々は今大会において、さらに一歩進め、古いサークル的な殻を脱ぎ捨て、断固として労働者党を再建し、国政に復帰する時に立ち至ったと結論する。 具体的にいうなら、我々は2年後を目途に「労働者党の再建」を勝ち取り、遅くとも3年後の参院選に「国政への復帰」を勝ち取る。つまり労働者の階級的立場とその原則に立った、公然たる政治闘争の場、選挙闘争、議会闘争に再び参加し、それを再開する(ここでは、我々の「国政への復帰」を宣言し、印象づけるために、費用を最小限にして、選挙区1名の“象徴的な”闘いとする)。 さらにその3年後の参院選を、「確認団体」として全国で10名以上の候補者を立てて闘うことを目ざす。それと共に、最低数百名の組織を建設する。 従ってこの2、3年間は「労働者党の再建」と「国政への復帰」を目ざし、全力を上げて闘い、それと関連して、現行選挙制度の不公正と非民主的なすべての障害を徹底的に一掃するための闘いを開始し、展開する。  我々はもちろん、依然として、政治的な発言や思想的、理論的な批判活動は重視し、継続するだろう、だがいま労働者が闘い取るべき決定的な課題は、「労働者党の再建」であり、「国政への復帰」であることを明らかにし、この課題を解決するために、全国の心ある労働者の総結集を呼びかける。
 現在の客観的、主体的な状況がその必然性と必要性を語り、明らかにしている。世界資本主義も日本資本主義も矛盾の激化と頽廃の深化と腐朽の泥沼の中に沈没し、のたうちまわりつつある。それを代表し、暴露するものこそ、安倍政権の出現であり、経済と国家財政と金融の全体を破綻、破滅させる、その無政府主義的な金融、財政政策であり、国家主義、軍国主義政治への傾斜、移行である。
 闘いの主体的な面から言えば、労働者のストや争議が年間わずか70件という数字に象徴されるような大企業労働者の闘いの後退と階級的な解体であり、したがってまた非正規労働者の激増に象徴される労働者の地位や立場の後退や、絶対的な窮乏化や差別・分断化であるが、それはまた、労働者の闘いが急激に発展し、また先鋭化するし、せざるを得ないことを明らかにしている。
 そしてまた、戦後の長い間、“革新”の名で呼ばれてきた、名ばかりの労働者政党――社会党や共産党――の敗北・解体であり、転向・消滅である。
 社会党は、与党として参加した細川政権の崩壊後、迷走して自民党や新党さきがけと連合し、1994年に政府を組織した村山のもと、日米安保条約の「堅持」や自衛隊の「合憲」などへの転向を宣言、小選挙区制導入や消費増税に手を貸すまでして労働者階級を裏切り、その結果、次の総選挙で大敗、党として消滅してしまった。
 共産党もまた、今や「大異〔共産党にとっての大義〕を捨てて大同〔民進党とのどうでもいい、矮小な政策や問題での共闘〕につく」といったえせ統一戦線理論を掲げ、国民連合政府といったトンチンカンに走り、今や民進党のたいこもち政党、その日和見主義と半ブルジョア政治の露払いの役割まで買って出て、プチブル党として堕落、頽廃を極め、ひたすら社会党の後を追って破綻と解体への道を急いでいる。
 社会党はいうまでもなく、“唯一の革新”といった虚名に溺れていた共産党もまた消えてなくなる時がやって来ようとしているのである。共産党の死――文字通りの意味における――は、すでにヨーロッパでは、「ユーロコミュニズム」の破産と転向によって必然のものとなっている。
 今では“革新”政党、つまりいつわりの、形ばかりの労働者、勤労者の党さえ存在しないという、労働者とその闘いにとっての“絶望的な”主体的状況が現出しているかである(もちろん、先進的労働者にとっては、そのこと自体、少しも“絶望的”ではないのだが)。
 現在、ブルジョア先進国を見るなら、どの国家を見ても、かつての第2インターナショナル当時のような、そんな社会主義的労働者の闘いが、国会(議会)においても公然たる、大きな勢力を占めている国は――あるいは小さい組織としても、果敢に闘い抜かれているような国さえ――全く見られない。世界的に、そんな現状を打ち破り、労働者階級の国際的な連帯と共同の闘いを作り出して行かなくてはならないという、焦眉の課題もある。しかしこれはもちろん、インターナショナルな課題であり、闘いであるが、国際主義は抽象的な観念ではなく、現実の闘いの中でこそ貫かれなくてはならない課題であり、我々が日本で徹底的な闘いを推し進めることなしには、そのための道を切り開き、それを勝ち取っていくことはできないのである。このことは、例えば、第2インターナショナルがドイツの社会主義者や社会主義的労働者の先駆的な、断固たる闘いによって可能となり、支えられていたことや、第3インタナショナルがロシアの労働者階級の果敢な闘いと勝利によって道が切り開かれたのと同様である。
 そしていまや、客観的にも主体的にも、我々がかつて国政選挙を闘った、高度経済成長末期やバブルの時代とはまるで違った時代、労働者の本当の党が登場し、闘い抜かれなくてはならない時代が訪れているのである。
 こうした時代、「労働者党の再建」と「国政への復帰」という合い言葉は、抑圧され、搾取されている、そして闘うことを求めている、全国の何万、何十万の労働者の胸に響き、大きな反響を呼び覚まして行くであろうし、また我々はそうすることによって闘いの道を大きく切り開いて行かなくてはならないのである。
 そして今や、我々がかつて「社労党」として闘ったことは、先駆的で、大きな意義と役割を持った闘いとして、我々の誇り得る、我々の大きな遺産として、我々の貴重な財産として存在するのである。