ジャガノートの車輪の下で
   ----苦悩し闘う労働者たち----

 労働者による資本の専制支配の告発!
 資本の危機の時代が到来した。資本は、自らの救済のためにますます大規模
な人べらし合理化を強行し、労働者に耐えがたい苦しみを強いている。
 本書は、労働者自身の発言によって、資本=御用組合の共同支配下で呻吟す
る労働者の苦悩と怒りと闘いを、いきいきと綴ったものである。
 真の労働者解放の道を模索するすべての労働者に、本書を贈る。


定  価 1200円
編 者 マルクス主義労働者同盟
発行所 全国社研社
発行元 ウニタ書舗
発 行 1978年11月5日


目 次

序文
 
T 「世界の工場」の没落
  
  <鉄鋼>
    序 死への疾走
    一、生産のための人柱−−−日本ステンレス
    二、企業教育と活動家の追放−−−日本ステンレス、川鉄鋼板
    三、解雇の恐怖−−−日鉄溶接
    四、民族大移動の果てに−−−新日鉄境
  <金属>
    「天下の三菱」の下で何が起こっているか−−−三菱軽金属
  <造船>
    一、これでは食えない−−−金指造船
    二、「男のロマン」と死の商人
    三、造船労働者は何処に明日を求めるか

U ”繁栄”産業−−−その実像−−−

  <自動車>
    一、「史上空前」の利益の秘密−−−トヨタ自動車工業
    二、大量出向と人べらし「合理化」−−−東洋工業
    三、自動車独占の深部で開始された労働者の闘い
     1 共感よぶ職業病認定闘争−−−いすゞ自動車
     2 開始された組織的な闘い−−−愛知機械工業
  <電機>
    一、”繁栄”下の減量経営
    二、極限まで進む”モダン・タイムス”−−−三菱電機、松下電器、サンヨー電機
    三、更新される「無災害記録」のかげで−−−沖電気品川工場
    四、資本と癒着する労働組合幹部−−−東芝鶴見工場
    五、いつか来た道

V 華やかな企業イメージのかげで

  <機械>
    一、現代版”女工哀史”−−−ブラザー工業
    二、仮面をぬいだ”ビューティフル”企業−−−富士ゼロックス
    三、頽廃する”戦闘的”組合と闘う労働者たち−−−シチズン時計田無工場

W 吹き荒れるシケ

  <海運>
    一、「マドロスさん」いまいずこ−−−神戸汽船
    二、海運世界一と定員削減の嵐
    三、海運不況と海員労働運動

X 白衣と涙

  <医療>
    一、看護労働者の二四時間−−−都立豊島病院
    二、蝕まれる心と体−−−最新機器の導入−−−東京医科大学付属病院
    三、「福祉の美濃部」と看護労働者−−−都立養育院付属病院
    四、一看護婦の手記から
    五、准看護婦たちのしのび泣き−−−民間開業医
    六、ナイチンゲールと「専門職」

 あとがき

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   序 文

 本書は、資本及びその手先きたる反動的な組合主義者に対する先進的労働者自身の告発と暴露を、マル労同が編集し、まとめたものである。従って、この告発と暴露の程度は、マル労同がどれほどに労働者大衆の中に浸透し、また先進労働者がどれほどにマル労同に結集しているかを反映している。一読して分るように、我々の告発と暴露はまだまだ部分的であり、不十分である。資本とブルジョア組合主義者が、日本の何千万の労働者大衆に対して行っている悪辣な犯罪行為−−−彼らのしていることについてほかにどんな表現がありえようか?−−−我々の告発や暴露の数千倍、数万倍の規模で実在しているといっても決していいすぎではない。

 我々の目的ははっきりしていた−−−つまり日本の資本主義的社会の本当の内容を、その最も根底的な契機において、すなわち資本・賃労働の階級関係において、全面的かつ具体的に明らかにすることであった。この関係こそが現実社会の基礎であり、資本の労働者への支配と搾取は、単に理論として明らかにされるだけでなく、事実として徹底的に暴露されなくてはならない(暴露が組織されなくてはならない!)、というのは、これこそが、この非人間的な関係を止揚し克服するための不可欠の契機、その出発点となるからである。これが我々の固い信念である。

 現代日本の社会の根底を資本・賃労働の階級矛盾においてとらえる観点に対しては、周知のように、それは”一般論”であって現代日本にそのままあてはまらないと主張する諸君、すなわち、口先だけの”共産主義者”、実際上の小ブルジョア民主主義者(共産党など)がいる。彼らの言によると、日本社会の今の特徴は、階級矛盾ではなくて、単なる”対米従属”(すなわち日本が民族的自主性を奪われている)とか、単なる反動(すなわち労働者人民が”完全
な”民主主義を享受していない)とかであり、従って、労働者階級は、資本の支配と搾取という現実に反対して社会主義のために闘うのではなく、まず何はさておいても”民主主義”(つまり民族の自主性と労働者人民の権利)のために闘う必要がある、というのである。彼らはこの詭弁、この日和見主義、この俗物根性をもっともらしく、「民主主義革命の理論」などとよんでいる。彼らは言う、労働者の解放は一ぺんにやってくるものでなく、「社会発展のいくつもの段階」をへてやっとおとずれるものであるから、今労働者の解放=社会主義を求めるのはまちがい、空想、誤解にすぎない、今は社会主義のために闘う前提をつくる闘い、社会の「民主的変革、改良」の闘いに専念すべきである、うんぬん。

 彼らは、資本・賃労働関係は現在日本社会の根本的内容ではないと事実上宣言することによって、みずから労働者階級の党派、社会主義者の党派であることを止め、民主主義の党、民族の党、さらには”国民”の党へとなりさがるのである!彼らが、資本主義のもとで労働者階級がおかれている困難な出口のない、苦悩にみちた生活や労働について、通り一ぺんの関心以上は持たなくなり、労働者の闘いにますます冷淡になったとしても何の不思議もないのだ。
 かくして、彼らの資本に対する”闘い”は単なる労働者の”権利”のための闘いとして、「職場に自由と民主主義を」「職場に憲法を」という自由主義的キャンペインは労働者の真の階級的闘いではなく、資本にとって少々かゆい程
度のものでしかない。

 資本の支配、搾取そのものとの闘い、すなわち社会主義にむけての闘いを不必要だとするこうした共産党流のたわごとに対しては、我々は現実の資本・賃労働関係の具体的で全体的な暴露を対置するだけで十分であろう。この対置そのものが、こうした議論の反動性をたちどころに浮き彫りにしてくれる。資本・賃労働の現実の矛盾の前では、彼らのおしゃべりは、この資本・賃労働の対立を隠蔽し、労働者がこの社会の真実を見抜き、また自分の個人的な経験を普遍化し、自らの闘いの方向を見極めるのを妨げる以外のどんな役割も果たしていないことが明らかになるだろう。

 勿論、我々は、今回我々が組織したこの告発と暴露がきわめて不十分であることをよく知っている。我が近い将来、全国の先進労働者のすべてを結集し、企業の中で、職場の中で、反動的な組合主義者の下で、あらゆる圧迫や差別や困難にもめげず、非人間的な資本の体制やその搾取や支配に反対して闘いつつあるすべての労働者と結びついたあかつきには−−−その日は決して遠くない!−−−我々は再び、より徹底した、まさに言葉の真の意味での全面的な暴露を組織することを、労働者諸君に約束したい。今回は、その最初の試みにすぎない。

 とはいえ、我々は全国の労働者が、それぞれ異った産業や企業や職場、或いは地方や都市にありながら、それぞれの労働者の生きた経験を知ることによって、資本の労働者に対する人間性を無視した攻撃やとり扱いや搾取が決して偶然的でたまたまそうなったといったものでなく、真に普遍的であまねく行われていることを理解できると思う。資本の支配は、その本質において、どこでも同じである。だからこそ、資本の支配をなくすことは、一個人、一グループのよくなしうる安易な課題ではなく、労働者階級全体の努力を要求する課題、労働者階級全体の歴史的な任務なのである。

 本書から労働者が学ばれるように我々が期待するのは、まさにこのことである。

       
      一九七八年十月三日     マルクス主義労働者同盟政治局