新たな労働者党の建設をめざして
     ---- 吉岡直人遺稿集 ----(定価450円)

編 集 マルクス主義労働者同盟政治局
吉岡直人遺稿集刊行委員会
発行所 全国社研社
発売元 ウニタ書舗

1974年8月27日 発行

 若くして逝った不屈の労働者革命家 吉岡直人同志に献げる

 痛恨の悲しみをもって吉岡同志を追悼す

マルクス主義労働者同盟政治局

【目  次】

刊行にあたって

故吉岡直人同志の経歴

病状の経過と死因

第一部 遺稿集
 T 七○年安保と沖縄問題
    一、2・4ゼネストと屋良首席
    二、沖縄返還と日本共産党
    三、72年返還と全軍労の闘い
 U 日中国交回復と四次防
    一、四次防決定と独占資本の野望
 V 共産党の議会主義・合法主義と「プロレタリア独裁」概念の歪曲
    一、日本共産党の「平和革命」と「プロレタリア独裁」
    二、「独裁」に恐怖するブルジョア的「執政」
 W 新左翼の理論と実践批判
    一、岩田弘と新左翼の政治理論
    二、「反スターリニズム」概念の批判
    三 、黒田の「唯物論」と「物質」概念
 X 労働問題・労働運動について
    一、労働災害と資本主義
    二、共産党の労働組合論批判
    三、労働運動の発展と先進的労働者の任務
四、同盟路線と癒着する太田構想 --- 合化労連の労戦統一問題
 故吉岡同志執筆論文目録

第二部 故吉岡同志の書簡
 T 同志への手紙
 U 近親者への手紙

第三部 故吉岡同志を偲ぶ
 T 同志達の想い出
 U 職場の同僚として
 V 近親者達の想い出

 


<刊行にあたって>

 月日のたつのは早いもので、こ吉岡直人同志の一周忌が数日後に迫っている。一年前の今日、一体我々の誰が同志の遺稿集を出すことになろうということを考えついたであろうか。それほど、彼は常に快活に精力的に活動していた。”革命運動は二四時間制である”とは彼が日頃愛用する文句の一つであった。

 同志の直接の死因は、十二指腸潰瘍の手術後の激しい体動による急性心不全であった。しかし、工場での三交代勤務の激務を人と同じようにやりおえたのちの、政治局員としての活動、千葉県委の活動への支援等々、常人の二倍、三倍にも及ぶようなまさに超人的な精力的な活動が、同志の身体に疲労を深く蓄積させ、健康と生命を切りちぢめていったことは明らかである。政治局の追悼の辞も言うように「同志は闘いのなかでたおれたのであって、他のなにものでもない」。

 同志の死は、日本におけるプロレタリア革命運動の極めて困難な時代を象徴するものであった。第一次ブントの崩壊のなかで、真にプロレタリア的な政治組織の結成をめざした部分は、ごく一握りのグループに止まらざるをえず、労働者の政治組織の結成をめざす闘いは、革命的サークル即ち全国社研として出発せざるをえなかった。急進主義運動の解体と既成左翼の日和見主義的深化が進むとともに、先進的分子の全国社研への結集が開始され、こうして遂に新たな労働者の政治組織=マルクス主義労働者同盟がかちとられた(一九七二年七月)。

 吉岡同志は、我々の一人一人が研究に、宣伝に、組織化に何十人力もの力を発揮することなくして、運動の要請に答えることができなかった、そうした困難な時代(今でもそうであるが)を先頭に闘ってきた同志の一人であった。

 同志の残した論文は、彼自身の革命家としての成長の跡を記すにとどまらず、また全国社研 -- マル労同という日本におけるプロレタリア解放運動の発展を跡づけるものともなっている。彼の遺した論文を刊行することは、彼自身の、また同盟の成長の跡を示すとともに、プロレタリア解放運動のために闘いたいと望んでいるすべての人達に深い感銘と励ましを与えずにはおかないであろう。ここに我々が同志の遺稿集を刊行することを決意した最大の動機がある。

 第二部の書簡(もちろんこれは彼の書簡のごく一部である)、第三部の想い出も彼の人柄と共に闘いの発展を別な側面から生々と示しているといえよう。

 労働者解放のために闘うことを念願している全国のすべての先進的労働者が本書から汲みとることができるものは決して少なくないと信じる。


マルクス主義労働者同盟政治局

吉岡直人遺稿集刊行委員会