教育問題シリーズ 2
顕現するブルジョア教育
国家主義と“市場主義”――アメリカの「教育改革」
有賀 明彦 著
教育問題シリーズ第2号――国家主義と“市場主義”が改革の前面に
教育問題シリーズの小冊子の第二弾、『顕現するブルジョア教育・国家主義と“市場主義”――アメリカの「教育改革」』が発行された。著者・有賀明彦氏は一九六〇年代に始まり現代に至るアメリカの「教育改革」の軌跡を追い、それぞれの歴史的な背景やその性格を丹念に分析し、ブルジョア的教育改革の限界と無力さ、その不毛性と破綻を徹底的に暴露している。簡単にその内容を紹介し、アメリカのそれと本質的に同じ日本における反動的な策動と闘ううえで本書を大いに活用されることを呼びかけたい。
◆教育は貧困を解決できるか――60年代の「改革」
米国の「教育改革」の考察に先立って、著者はアメリカにおける国民教育の成立過程およびデューイの教育論に代表される伝統的な「進歩主義教育」の検討に一章を割いている。これは戦後日本の「民主教育」を考える上でも重要だが、ここでの紹介は割愛し、さっそく本題に入ろう。
戦後アメリカの教育改革は六〇年代に公民権運動と結びついて登場してくる。それはジョンソン大統領が一九六四年の年頭教書で「貧困との闘いに勝利し、偉大な社会を建設しよう」と呼びかけ、その一環として「補償教育」なるものを打ち出したことに始まる。
「補償教育」とは、すべての子どもに「平等な教育の機会」を与えるためには、貧困家庭の児童に対する食事、栄養、医療の援助や、低所得層の子どもが密集している地域の学校への財政援助を行う必要があるというものである。
しかし、これは高揚する黒人の闘いを沈静化するための改良主義的な欺瞞以上のものではなかった。著者はブルジョアジーの転倒した皮相な発想をこう批判している。
「ジョンソン大統領によれば、なんと『貧困の原因』はまず『能力を発達させる機会の欠如、教育の訓練の欠如』だというのである。まず第一に貧困の原因はその人間に能力がないからであり、能力を発達させるための機会と訓練がなかったからだと言うのだ。これが彼ら流の『貧困との闘い』である。だから彼らの武器は『よい学校・医療・住宅・訓練・機会』となるのだ。こうして教育が『貧困との闘い』の主要な武器となる。問題となるのは貧困そのものではない。貧困を除去しようと言うのではない。貧困から抜け出すための能力とそれを得るためにほんの少しだけ援助しようというのだ」
事実、「補償教育」は貧困をなくすことはおろか、ほとんど何の見るべき成果をあげることなく、六〇年代末には後退していく。政府の調査結果(コールマン報告)もまたそれを裏付けている。著者はこう指摘する。
「この膨大な調査から浮かび上がってくる結論はなにか。それは公には疑うべくもないとされてきた『教育の機会均等』といった理論の根底が否定されてしまったということである。『六〇年代の貧困への闘いの基本戦略は職に就くもの、競争場面に入るものにそれ相応の能力を付与してやろうというもの。学校が少国民の知的能力を平等化してやれば、その終着点もあるものが貧乏になるとか、あるものが金持ちになるとかいうことはないだろう』ということだった。しかしコールマン報告には学校にはそもそもそういう能力はないと結論づけられていたのである。……もっと言うなら、学校が社会改革の手段とはなり得ない、これがコールマン調査の意味するところだった」
すべての子どもに教育を保障することで貧困や階級差別を一掃できるとする主張は歴史的に古く今なお根強いものであるが、アメリカの「補償教育」の経験もまたそれが幻想でしかないことを明白に証明したのである。
◆「教育の人間化」の試み――70年代の「改革」
六〇年代末から七〇年代にかけては、校内暴力や落ちこぼれなどが問題となり、学校は「多様化」しつつある生徒の能力、適性、希望等への配慮が不十分であり、画一的な教育を強制しているといった批判が高まった。そして、教育が本来めざすべきは一人ひとりの生徒を尊重する、人間性豊かな学習であるとして、「教育に人間性を取り戻す」運動が呼びかけられた。
そして、この時代、「学校の人間化」の名のもとに「壁なし学校」、「オープンスクール」、「フリースクール」、「公立学校のオルタナティブ化」など、様々な学校改革が提案され、実行に移された。
これらの実験はアメリカだけではなく、日本でもまた受験のために詰め込み教育、管理教育でなく、児童・生徒中心の主体的で自由な教育、登校拒否の子供たちも受け入れることができる学校などの謳い文句で、「フリースクール」、「オープンスクール」などが一部でもてはやされたのであった。
著者は「フリースクール」などを推奨するシルバーマン、「脱学校」を唱えるイリッチなど日本でも名前を知られた「人間化教育」論者を取り上げ、その主張と実践に検討を加えている。
シルバーマンは「学校は支配と隷属の関係におかれており、病院、軍隊、刑務所に似ている。学校は命令と服従、沈黙と規制のなかにある」とブルジョア的な管理教育を鋭く告発、教育は「その地区の収入程度、家屋の状態、両親の職業、人種的地位」など「社会経済的環境によって、ほとんどまったく制約されている」と強調する。
しかし、一方でこう言いながら、他方では「教育を人間化」すれば、教育に「平衡装置」(貧富の格差をなくし、人々を平等化する機能)の役割を果たさせることができると、伝統的な幻想を煽る。著者はこれを退けて言う。
「実際にはどうだったか。『人間化教育』は『平衡装置』としての役割を果たすことはできなかった。結果としては『落ちこぼれた生徒』を慰撫し、再び階級社会の中に押し込んでいく役割しか果たすことができなかった。社会経済的背景から規定されてくる子ども達を前にして、その規定された『性格』を子どもの『個性』とし、それに見合った教育ということにならざるを得ないのである。もし何か社会経済的な背景から『自由な』教育が出来えたとすれば、それはむしろ下層階級の子ども達に対してでははなく、上流階級の子ども達にとってであろう」
他方、著者は「学校制度」に諸悪の根源を見いだすイリッチの「脱学校」論についてもその観念的で逆立ちした観点をこう批判している。
「ブルジョア社会の学校が生産と教育を切り離し、そのことで社会を把握することを妨げ、また人間を『不能者』にしていることは事実だろう。しかしこの場合問題になっているのは『制度化』ではなく、資本主義である。しかしイリッチはそうはいわず、なにか一般的な、非歴史的な『制度化』といったものを持ち出すのである。……イリッチはこうした階級社会をまったく問題にしない。というよりもむしろそうした状況を生みだしたものこそ『制度化』であり、その『制度化』を再生産している学校である、といっているのだ」
我々は著者の米国での事例の検討から、日本でも紹介されて一部で実践に移された「教育の人間化」や「フリースクール」などの試みが結局はブルジョア的管理教育に対する急進的プチブル的な反発でしかなかったことを知ることが出来るであろう。
◆ますます反動性をあらわに――80年代以降の「改革」
さて、こうした様々な試みにも関わらず、七〇年代を通じて校内暴力や中退者の激増などアメリカの教育荒廃はますます深まっていった。そして、「学校の人間化」などと甘いことを言っていたから「基礎学力の低下」を招いたのだとして、「基礎学力の確実な修得」と「生徒の規律を重視する教育」への回帰が叫ばれるようになった。
レーガン政権は八三年に「危機に立つ国家――教育改革への至上命令」というセンセーショナルな文書を発表、「経済戦争」に打ち勝つための「エクセレンス」(卓越した人材)を養成する「教育改革」を打ち出した。
そこには日欧の追い上げで経済的地位を後退させ、産業競争力の低下と膨れ上がる「双子の赤字」(貿易赤字と財政赤字)に悩む米国ブルジョアジーの並々ならぬ危機感と焦燥感が反映していた。
「七〇年代末までは『リベラル』な路線、『均等化』政策。一九八〇年のレーガンの勝利でそれまでの『ニューディール大連合』は幕を閉じ、八四年のレーガン再選で『保守化』は決定的となった。……『危機に立つ国家』は『エクセレンスは均等な達成』といい、少数のエリートのための教育ではないとうたっている。七〇年代の自由選択の放任といった中心のない教育課程が批判され、中等教育の目標・基準の設定とそれに沿ったカリキュラム、全生徒が共通に学ぶべき核(コア)……が強調される。……高校の卒業要件を高め、『基礎教科』を必修にし、数学・理科の時間を増やし、宿題を増やし、学校や教室の秩序を保ち、テストを増やす」等々。
これがその具体的な内容であったが、しかし、この「教育改革」が結局は全体の「底上げ」ではなく、子ども達を少数のエリートとその他大勢組へと振り分ける選別教育の強化であることは言うまでもあるまい。
このように「教育スタンダード」や「学力評価」の設定など一方では国家(中央・州政府)による教育への管理と統制を強めつつ、「市場原理」に基づいて学校同士の競争を煽るというのが八〇年代に始まるアメリカの「教育改革」の特徴である、と著者は指摘する。
そして「規制緩和」と「市場原理」に基づく学校間の競争の象徴が「学校選択制度」である。具体的には@公立学校で通学区域を超えての学校選択の自由の導入A父母・教員、地域団体、企業が教育委員会の認可を得て学校を設立できるチャーター・スクール制度B州が親に対して子どもの学校教育にかかる経費を保障するバウチャー(証票)を交付し、親はそれを自主的に選択した学校に提出、学校はバウチャーと引き替えに交付金を受け取るという教育バウチャー制度――などである。
日本でも通学区を超えた学校選択などは東京・品川区で先駆的に導入されており、また最近では高校の学区制を廃止する都道府県が相次いでいる。品川の教育長などはそれらを自らの独創的な政策であるかに吹聴しているが、本当はオリジナルでも何でもなく、「市場主義」では先をいくアメリカのお知恵拝借でしかないのである。
そして、こうした方向での「教育改革」はクリントン民主党政権のもとでも進められ、ブッシュ政権下では昨年ほとんど超党派の賛成で「包括的教育改革法」が成立した。同法では、例えばすべての公立高校で英語と数学の標準テストを毎年行い、二年続けて成績不振だった学校には補助金を打ち切り、教員を「入れ替える」という強権が州政府に与えられることになった。「市場原理」のいっそうの徹底化である。
一方での国家による教育への管理・統制の強化と他方での「市場原理」による学校間の競争強化、そして、愛国主義や国家主義の発揚などが加わる――米国ブルジョアジーの教育改革も、八〇年代後半の“教育臨調”以来の日本のブルジョアジーのそれも、そして本書の補論として扱われている英ブルジョアジーのそれもまた、皆、その方向は基本的には同じである。
著者はこうした事態を次のように総括している。
「一方における『自由競争』と他方での国家主義。『自由競争』とは決して自由競争ではなく、持つものと持たざるものの不当な競争であり、国家主義の強制とは権力を持つもの、支配するものへの屈服がより露骨に暴力的に貫徹されるということである。アメリカ資本主義はもはや腐りきり、かつてのように『平等』や『民主主義』といったことをたとえ表面的にでも掲げる余裕をすら失ってしまった。厳しい階級対立と階級闘争の時代――教育もまたこの中でとらえ返されなければならない、ということである」
もちろん、これは単にアメリカのことではなく、日本のことでもある。日本の反動的な「教育改革」と闘ううえでも本書が大いに役に立つことを強調し、重ねて本書の購読と活用をお勧めしたい。
(町田 勝)
『海つばめ』第915号2003年6月1日
【目次】
一、国民教育の成立と 「進歩主義教育」――ホレース・マンとデューイ
(1)独立革命時の国民教育プラン
(2)反動期
(3)十九世紀中葉のホレース・マンらによる公教育の確立
(4)デューイ
二、「貧困との戦い」――一九六〇年代半ばから
(1)公民権法成立と「補償教育」
(2)学校は「平衡装置」ではない――「コールマン報告」
(3)「所得の平等化」を――ジェンクス
三、学校の「人間化」――一九七〇年代前半
(1)「教室の危機」(シルバーマン)
(2)「脱学校」(イリッチ)
(3)コミュニティ・コントロール
(4)ジェンクスの「バウチャープラン」
四、「危機に立つ国家」――一九八〇年代の教育改革
(1)アメリカ資本主義の衰退
(2)「危機に立つ国家――教育改革への至上命令」――一九八三年
(3)「共通の価値」
五、国家基準と「自由な競争」――一九九〇年代以降の「改革」
(1)アメリカの学校制度
(2)「学校制度を変えなければならない」
(3)教育スタンダード、学力評価、競争
(4)学校選択
六、学校選択とチャーター・スクール
(1)学校選択を持ち上げる黒崎
(2)チャーター・スクール
終わりに――小ブッシュの「教育改革」
〈補論〉サッチャーの「教育改革」