林紘義氏の新著紹介
「不破哲三の“唯物史観”と『資本論』曲解」
不破の理論的マジックを暴く
林紘義氏の新著『不破哲三の“唯物史観”と『資本論』曲解――マルクス主義をjargonにすりかえて』が発行された。
この労作が奇しくも宮本顕治の訃報が伝えられるなかで刊行されることになったのはもちろん偶然に過ぎないが、歴史のちょっとした“いたずら”というもので あろうか。というのは不破こそは宮本によってその理論的忠犬ハチ公としての特異の才能を見込まれて党中央入りし、その引きで党官僚としての栄達の階段を上 り詰めていった人物だからである。著者はこの男の役割を特徴づけて、こう指摘している。
「不破の党内での一番の役割は、その取り柄は共産党の日和見主義的堕落を、何か理論らしいもので粉飾し、ごまかすことであり、またその仕事こそ彼の得意とするものであった」
実際、宮本のエセ急進的な「民族・民主革命」路線がそのアナクロニズムの故に現実を前に行き詰まり、破綻をさらけ出すなかで、共産党は「資本主義の枠内で の民主的改革」というブルジョア的改良路線へとカジを切り、それを純化させ、日和見主義的な退廃・堕落の一途をたどっていくのだが、しかしその際、宮本一 派は言葉巧みに破綻を取り繕い、日和見路線の深化を創造的発展であるかに偽って、党内外の労働者を瞞着しなければならなかった。そうでなくては労働者大衆 の不信と離反を招き、彼らは党官僚としての地位を失いかねなかったからである。
そして、こうした時こそ宮顕の茶坊主、我 が不破君の出番なのである。彼はあらゆる詭弁とペテンを弄して綱領路線の破綻をごまかしつつ、いっそうの日和見主義への旋回(今ではブルジョア体制とほと んど融合するにいたっている)を擁護し、あまつさえそれが何か新たな発展や前進であるかに見せかけるために狂奔するのだが、その際、彼はそれをマルクス主 義の用語や教条を総動員してもっともらしく正当化し、合理化し、権威づけ、人々を煙に巻くという理論的マジックにおいて希有な才能を発揮するのである。
だが、言うまでもなく、共産党の俗悪な日和見主義をマルクス主義の革命的な理論や精神と折り合わせることなど土台無理な相談というものである。そこで不破 は自らの都合に合わせてマルクス主義の理論や原則を歪め、ねじまげ、修正せざるを得ない。そして、この手段に訴えるに、彼ほど強引で厚顔無恥で良心に欠け る男も珍しいのである。
かくして不破はこの数十年間にわたり、本書の副題にあるようにまさに「マルクス主義をjargonにすり替えて」、政治・経済・思想等々あらゆる分野で俗流理論の巨大なボタ山を築き上げてきたのである。
もちろん、不破の理論的マジックは、少し検討すれば容易にネタの割れる類いのものが多いのだが、しかし中には一般の労働者にとってはそう簡単には見破りが たいものもある。今回、著者が取り上げているのはいわば後者の部類に属するもので、具体的には目次を見ていただければ分かるように、経済的社会構成体論や アジア的生産様式論に関連した不破の唯物史観のでたらめな解釈や、市場経済論や恐慌論などをめぐる不破の『資本論』の曲解を批判したものである。
この点で、著者自身、前書きで断っているように、確かに本書は一般の労働者にとってそう取っ付き易いものではないであろう。しかし、著者も言うように普通 の労働者になじみの薄いこうした分野こそ「不破の付け目」であって、彼はこうした理論問題に労働者が不慣れであることをいいことにそのペテン師的本領を存 分に発揮し、マルクス主義に勝手気ままな解釈を施して、とことんそれを歪曲し、労働者に「マルクス主義の名で腐った雑炊を奨める」のである。
具体的な内容については読んでのお楽しみということであえて立ち入らないが、林氏は「不破のへりくつの一つ一つを具体的に取り上げ、検討し、その本当の意 味を暴露」する(つまり不破の手品のカラクリを一つ一つ余すところなく暴き出す)ことで、そのよこしまな理論的詐欺師としての化けの皮を引きはがし、その エセ理論家としての虚像を打ち砕いている。著者の明快な論理、その快刀乱麻を断つ筆運びに読者は痛快さと爽快感を覚えずにはいないだろう。
不破は盛んに『資本論』にケチを付け、その未熟さや不十分さをあげつらい、今や自分はマルクスを超えたとさえうぬぼれるまでに至っているが、もちろんこん なものは夜郎自大もいいところで、それどころか実際には彼はスターリン主義を少しも卒業しておらず、その頑固な伝統保持者、その現代版の焼き直し屋にすぎ ないのである。これについてもまた本書は完膚無きまでに暴露している。
本書で取り扱われている問題は皆いわば共産党の理 論的根底をなすものであって、著者の強調するように「不破理論に対する批判は、共産党のプチブル的、ブルジョア的実践と政治的堕落に対する批判の一環であ り、またそうしたものとして、徹底的に、最後まで行われなくてはならない」。そして、本書の一番の意義はまさにこの闘いに強力な武器を提供することにこそ ある。労働者は“難解”と敬遠するのでなく、こうした分野にも果敢に挑戦し、闘いを貫徹しなければならないだろう。
この ように本書は何よりも論戦の書であり、その刊行は日和見主義との闘いの一環であるが、同時にまた本書はマルクスが『資本論』で書いていることの本当の意味 と内容を知り、その理解を深めるうえでも、さらに『資本論』の解釈をめぐるいくつかの係争問題を解決するうえでも助けとなるであろう。
読者の皆さんが本書をぜひお読み下さると同時に、労働者や青年のなかに広く積極的に持ち込み、普及・活用してくださるようお願いしたい。
(WM)
『海つばめ』1048号2007年7月29日
【目次】
第一章=”換骨奪胎”の唯物史観
第二章=「アジア的生産様式」の概念を解消
第三章=商品生産(資本主義)と「価値法則」を永遠化
第四章=『資本論』と不破”強硬論”
第五章=拡大再生産の概念規定もなく
第六章=いわゆる「注32」問題
第七章=差額地代の第二形態の意義を知らず
第八章=「運動論的恐慌論」というペテン