第5回労働者セミナー・報告要旨(2015・7・26――チューター林紘義)
派遣法「改悪」を考える――非正規労働そのものを問う

 1、労働者派遣の歴史

 □労働者派遣法が1985年に成立し、86年が施行されたのは、労働省のいうところでは、「企業内において専門的知識等を活用して、特定の業務従事する専門的な職業群」が増加し、「自己の都合の良い日時や期間に都合の良い場所で専門的な技術を用いて就労することを希望する労働者が増加」していて、「請負事業の形態を取りながら、実態としては派遣先の業務と一体となって業務を処理し、派遣先の指揮命令にしがって派遣労働者が就労する者も見受けられる」等々の状況が出現していて、しかも秩序だって行われておらず、様々な混乱や障害がでているから、法的整備か必要になった、といったことであった。つまりそうした法律を要請する現実の関係が発展して、法律が生まれたと言うのである。

 □しかし労働者派遣法は、往時の「人入れ稼業の復活だ」という強い批判をかわすために、「本来、臨時的、一時的な労働力を活用する手段である」と概念規定して、ソフトウェア開発とか通訳など、13の特定の専門的業種にのみ限るものとして、ささやかな形で始まった。しかしこの業種はすぐに26業種に拡大され、また99年には派遣期間を1年に限るという条件を付けて、対象業務は「原則自由化」された。そしてついに04年には製造業にも派遣が1年認められると共に、この期間は最長3年に延長され、現在にまで至る基本的な枠組みができ上がった。

 □かくして21世紀の00年代に労働者派遣業はピークに達し、140万人を越えるまでに「成長」したが、08年のリーマンショックを契機に転機が訪れ、製造業などで派遣切りが横行し、世間の注目を浴びる中で数十万の派遣労働者が消えてなくなり、また民主党政権が誕生したこともあって規制強化の流れが強まった。自動車独占などを先頭に派遣をやめて「直接雇用」の非正規労働者――期間社員、契約社員等々――に切り替える大企業が多く、08年から09年にかけて1年間で製造業派遣労働者は56万から25万へと激減した。結局、製造業の派遣は08年から12年までの4年間で50万人縮小し、他方、物流部門や小売り、サービス業などや中小企業では増加が続いた。

 □09年、政権を奪取した民主党政権は勇んで労働者派遣の「改革」――規制強化――に乗り出し、登録派遣型の禁止、製造業派遣の禁止、30日以内の派遣の禁止、違法派遣への規制強化――違法派遣が明らかになった場合は、直接雇用を(派遣先企業が)申し込んだと「見なして」(いわゆる「見なし規定」)、正社員にしなくてはならない規制――等々が持ち出されたが、結局、最後にはこの「見なし規定」だけが民主党政権下の改革のほとんど唯一のセールスポイントとして残ったにすぎない等々、民主党政権の日和見主義は余りにひどいものであった。

 □何とも貧弱な成果ではあった。ブルジョアや自民党などの抵抗が強く、結局、登録型や製造業の派遣禁止はお流れ、「見なし規定」は、その施行は3年後の15年から(つまり今年の10月から)とされた。30日以内の短期派遣禁止に至ってはむしろ、貧しい労働者や若者にとってマイナスの改革以外ではなかった。というのは、それは世帯年収500万を超える家庭の主婦等々は例外とされる一方、日雇いなどで日々の生活を紡いでいる若年のフリーターらを窮地に陥れたからである。

 □またこのとき、「労働契約法」も改定され、パートや契約社員などの有期契約社員――1千何百万もの非正規労働者が関係する――が5年を越えて働く場合、本人が希望するなら6年目から無期雇用に移ることができるようになったが、しかし賃金などの雇用条件は変わらないままとされた。

 □そして安倍政権が復活するやいなや、民主党の矮小な改良主義は「規制緩和」の急流にあっというまに押し流され、この3年、26業種と一般業種の区別をなくし、仕事ごとの3年の上限制限を取り払い、別の派遣労働者に替えれば同じ仕事(業務)を期限の制約なしに派遣労働者にまかせられるという内容を軸とした改革案が国会に提案されて、今成立が図られている。過去2回は不成立に終わったもので、今回3回目の国会通過が企まれているというわけである。

 2、非正規労働者の実態――なぜ派遣労働者だけが騒がれるのか

 □2013年の数字で見ると、派遣労働者は90万、5150万の賃金労働者の全体のわずか2%以下であり、また非正規労働者の数%を占めるにすぎない。「正社員」は3340万、また派遣労働者以外の非正規労働者を見れば、「パート・アルバイト」1241万、「契約社員・嘱託」は354万等々である。

 □大ざっぱにいって、この20年ほどで、男性の非正規労働者の比率は20%から30%近くに、女性の比率は40%から60%近くに上昇している。年齢的には、20代の非正規労働者の比率は相対的に低かったが倍増し、壮年期の比率(三分の一ほど)□と同程度に達し、また55才以上の年齢は急増した。さらに製造業では顕著に減少したが、非正規労働者全体では伸びており、さらに比重では中小企業が大きいが、伸びは大企業が中小にまさっている。

 □非正規労働者は、ブルジョアの側の欲求があり、また労働者側からの様々な動機もあって、多種多様な職種や労働に広がっており、またその形態も様々で、法律も派遣、契約社員、パートなどにそれぞれ分かれているほどである。

 □80年代のバブルがはじけた後で、そして長期的停滞に加えてリーマンショックや金融恐慌も経験したこの20年ほどの過程で、いわゆる非正規労働者が労働者全体の4割という驚くべき高さに達したのは、まさに資本主義の矛盾の深化と頽廃や衰退の結果であり、それを暴露するものである。

 戦後1950年代後半に始まり、70年代までに及んだ「高度経済成長」の時代には、労働者の大部分は“正規の”雇用形態のもとにあり(「終身雇用制」とか、「年功序列式」の賃金等々の概念で総括された形式のもとであったとはいえ)、非正規労働者の比率は10%、高くて20%程度であった。もちろんそんな時代においても、労働者は資本によって厳しく搾取されたのだったが、しかし“まともに”、懸命に働くなら一定の安定した生活は保障され、また未来にも希望を抱くことができたが、今や非正規労働者といった不安定で、賃金も飢餓的水準に留まるような労働者の大群が生まれてきたという事実は、資本主義がもはや死ななくてはならない歴史的な段階に転化してきた証拠でなくて何であろうか。労働者の多くがすでに恒常的に“半失業的な”状態に$$マルクスは『資本論』の中で、資本の支配のもとにおける「停滞的な過剰人口」(1巻23章4節)といったものに言及しているが$$追い込まれ、“まともに”働く条件さえも奪われているのであり、未来に向けてほとんど希望も展望も抱くことができないのである。

 □そしてまた、問題は非正規労働者の全体にかかわるものであって、派遣労働者といった部分に留まらないのに、派遣労働者ばかりが大騒ぎされるのはなぜであるのか、考えてみる必要がある。

 3、ブルジョアや安倍政権の主張と共産党の主張

 □労働者派遣法の改定は、安倍政権の「成長政策」の一環としても重視された。

 「政府は成長戦略に労働者派遣法の見直しを盛り込んだ。派遣制度は成長分野へ人材を移す手段の一つだが、現在はソフトウエア開発、通訳・翻訳など専門的な26業務以外は派遣労働の期間が制限されるなど、企業にとっても労働者にとつても使い勝手が悪い。制度改正を急ぐべきだ」(日経新聞13・6・15)。

 「公益委員会の案では有期契約の派遣労働者が同じ職場で働ける期間を3年までとした。但し人が3年ごとに交替すれば、……同じ職場に派遣労働者を受け入れ続けることができる。

 □企業は仕事を派遣労働者に任せやすくなる。しかし派遣で働く人にとっては、3年という期間制限によって就労が打ち切られる。他にも派遣で働らきにくくなる場面も出そうだ。期限を切らずに派遣で働ける通訳、秘書などの『専門26業務』という区分は廃止するとしている。彼らは派遣会社と無期雇用契約を結ばないと、3年で仕事を終わらなければならない。……

 □こうした規制の根っこには、派遣労働者を『臨時的・一時的な働き方』とする考え方がある。その位置付けを改めなくてはならない」(日経新聞14・1・7)。

 □より露骨に、「有期労働市場を育てて、日本経済を元気に」と呼びかける論調もある。

 「焦点は一定の年数を超えて契約が更新されている場合、期間の定めのない『無期』雇用に転換できるようにするかどうかだ。派遣労働者が6月1日時点で約122万人なのに対して、有期契約で働く人は派遣も含め、10倍の約1200万人〔13年1月の労働力調査では1440万人という数字もある〕にのぼる。規制が強化されれば影響はきわめて大きい。

 □まず、かえって雇用を減らす懸念がある。……無期雇用への転換を義務づけられることを嫌った企業が、パートなどで働き続けてきた人たちとの契約を早めに打ち切る動きが広がりかねない〔5年直前になって、雇い止めされる等々〕」。

 「非正規の人たちの処遇の底上げは、経済、産業を元気にすることが先決だ。賃金などの労働条件を引き上げるには企業の収益を増やす必要があるからだ。企業の競争力低下を招く規制強化は非正規労働者の待遇改善につながらず、逆に悪化させる心配がある。有期の労働市場を育てることが働く人たちのためになる」(日経新聞11・12・15)。

 □これに対する共産党や民主党などの観念は「正規雇用が原則、当たり前のもの」であって、派遣労働は「一時的・臨時的な」もの、一掃されなくてはならないものである。共産党は、派遣労働は戦後“人貸業”であって「強制労働や賃金のピンハネを招くとして禁止されてきた」が、臨時的、一時的な業務に限り、従って「常用雇用の代替つまり正社員を派遣社員に置き換えてはならないことを原則とし、その担保として派遣の受け入れ期間は原則1年、最長3年とされ」て施行されてきた、この原則は崩してはならないと強調する。

 「これまで大企業は期間期限があっても、さまざまな手口で規制をかいくぐり、派遣労働者を使い捨てにしてきました。期間期限もなくなってしまえば、派遣社員への置き換えが大規模に進むことは、火を見るよりも明らかです」(赤旗15・3・15。なお、『海つばめ』1254号2面参照)。

 共産党は派遣労働者の正社員化という「課題」を強調したいがためか、派遣労働者(一般に、非正規労働者)が短期$$30日だ、1ヶ月だ、3ヶ月だ、半年だ等々$$の契約で就労を繰り返すのは、何か非正規労働者にとって好ましいもの、有利なものであり、それは派遣労働者の(非正規労働者の)労働が「臨時的、一時的な」性格のものであることを示唆し、正社員へ上昇し得る重要な契機であるかに言いはやしている。

 共産党は強調する、非正規労働者の契約期間は1年とか3年とかに限られなくてはならない、というのは、そうすることで、正規労働者への道が開けるからである、3年以上を契約するなら、それは「一時的、臨時的な」仕事ではないことを資本自らが証明するものであって、資本は非正規労働者を正規の労働者として雇用しなければならないということを意味するからである、と(いわゆる「見なし」規定の論理)。

 余りにも愚劣であり、観念的であってばかげている。3年等々の有期契約なら非正規労働者の労働が「一時的、臨時的」だということを教えるというなら、資本が「一時的、臨時的」だからやめてもらうというだけのことであって、それで終わりである。むしろ非正規労働者は3年以上働くな、働けない$$別の仕事を見つけなくてはならない$$ということか。そんなときに、資本が3年以上働かせたら、非正規労働者のやっている仕事が「一時的、臨時的」ではないことを明らかにした、正規労働者に格上げせよ、などと迫り、それで非正規労働者の正社員化が進むなどと夢想するとは、この連中の頭はまるで観念的、ドグマ的であってまともではない。彼らの言うことは全く非論理的であり、「風が吹けば桶屋が儲かる」式の詭弁と独善と屁理屈の山と結論するしかないのである。

 共産党は、非正規労働者が短い契約で就労するのは、彼らの地位がどんなに不安定であり、彼らが無権利のままに放置されて弱い立場にあるかを、そしてまさにそれ故に低賃金等々の不利益な労働条件を押しつけられ、非人間的に、過度に搾取されざるを得ない立場をあるかを教え、象徴しているということを知らないのである、理解していないのである。そんなものは決して美化され得ないものであること、そうした初歩的なことさえも理解していないとするなら、それは共産党がインテリや学者や弁護士やえせ政治家たちの党派ではあっても、労働者の党派ではないことを決定的に暴露するのである。

 □対立は、有期労働(非正規労働者)が善であり、経済と労働者のためになるのか、それとも反対に無期労働(正社員)こそが善であり、経済と労働者のためになるのか、といったものであるが、ナンセンスで、空虚な対立、不毛な対立というしかない。

 □派遣労働者と関係して議論されることの多くは、非正規労働者一般とも共通な問題である。有期労働か無期労働か(3年もしくは5年の有期規制は労働者に有利か、不利か)という対立は、非正規労働者一般の問題であって、派遣労働者だけの問題ではない。

 □そもそも派遣労働者について語るなら、単に人件費が切り下げられるとか、雇用調整が簡単だからといった問題でないのは、人件費切り下げなら直接に非正規労働者(今トヨタなどが盛んにやっている期間工採用等々)を雇っても同じようなものだし、また雇用調整でも似たようなものであろう。

 □また期間制限があれば労働者に得で有利だが――というのは、それが派遣労働者の、あるいは非正規労働者一般の正社員化を推し進め、可能にするから――、無期雇用なら不利となり、労働者に損失だといったことも独断であって、それは例えば今回の改定で26業種の労働者が3年の期間制限を強要されて(されるなら)、たちまち大きな生活危機に直面せざるを得ないことからも明らかであろう。

 □もちろん、期間規制を決め、規制を“厳格に”実行すれば、非正規労働者を正社員に格上げし、その地位や労働条件を根本的に改善させ得るなどというのは、共産党などのおめでたい幻想であって、そんな頭の中で考えたようなやり方で、非正規労働者が救済され、解放されることは決してないのである。

 □ごく一部の労働者は格上げされるかもしれないが、それは幸運に恵まれた一握りの労働者にすぎず、その何倍もの多くの非正規労働者は首を切られるのであり、あるいは仮に無期になったとしても、正真正銘の正社員とは違って、賃金を始めとする労働条件は変わらないまま、ということになるし、なるしかないのである。

 有期雇用規制と、非正規労働者の一掃ということは全く別のことであって、そんな珍奇でケチな小細工のようなものによって、非正規労働者を一掃することは「百年河清を待つ」に等しいであろう。共産党のプチブルたちは資本の本性というものが何も分かっていないのである。1年くらいなら、労使共に大変だから無期への転化もいくらかあり得るかもしれないが、5年ともなればより多くの非正規労働者は職を失う羽目に陥るのがせきの山である。有期がよい制度だなどというのは余りに愚劣であって、そんな立場に陥っている共産党は、“正規の”労働者の党は自称し得ても、労働者階級全体の党とも、またより貧しい労働者の党ともいうことは決してできないのである。共産党は隠しているが、正社員の党、公務員の――もちろん差別的地位に置かれている、臨時の公務労働者の、ではない――党としてのその反動的な本性をさらけだしているのである。

 □共産党や民主党は(連合や全労連のダラ幹たちは)非正規労働者に3年(もしくは5年)の有期雇用の「規制」をかぶせれば、3年たてば資本は労働者を正社員に格上げせざるを得ず、正社員ばかりのバラ色に染まった資本主義のパラダイスが出現すると夢想するのだが、もちろんこんな夢想は何重もの意味で愚劣であり、反動的であって、労働者階級の闘いに大きな損害をもたらすものであろう。改良主義とさえいえないような、世迷い言のプチブルセクト(“スターリン主義”)の労働運動というしかない。

 □安倍政権の労働者派遣法の改定が、労働規制の緩和を求め、労働者搾取を強めようという要求であるのは当然だが、それとともに、「労働力の流動化」を図り、それを実現して行かなくてはグローバル社会では生き抜けないという資本総体の危機意識もまた伏在する。安倍政権の「規制緩和」には、既存の労使関係を、つまり正社員とか、年功序列とかいった関係までも揺さぶり、正社員の地位もまた弱めたい――その首切り等々も容易にしたい――といった雰囲気も見られるのも偶然ではない。安倍には共産党などと違って、正社員がより安価で、使いやすい――つまり首切りなどもいとも簡単に可能となる――非正規労働者に仮にすべて「置き換えられた」からといって――共産党は今の労働者派遣法の改正案を大げさに「正社員ゼロ」法案だと名付けているのだが――、嘆き悲しむようなことは何もないのである。安倍にとって問題なのは、労働者階級が資本の労働の過度な搾取によって滅んでいくことではなくて、当面、強化される労働者の搾取によって繁栄する――するように見える――ことだけだからである。

 4、同一労働同一賃金と労働の解放

 □労働者が自分に適した仕事を自分の好む、あるいは自分のやり得る時間や時期にやろうとすることは決して退けられることではないだろう。妊娠や子育ての時期の女性が、1日8時間ではなく、例えば5時間を生産的、社会的な労働に参加することは当然あり得るし、あり得るだけではなく、好ましくもあり、必要でもあって、社会全体にとっても有益であるだろう。老齢の労働者にとってもまた、そうした労働の選択はいくらでもあり得るのである。

 □将来の共同体社会が、どれくらいの程度や比重で、個々人の選択に任せるのか、任せ得るのかは今から明言することはできないにしても、そうしたことが一般にあり得ることを否定することはできない。

 □とするなら、現代の「派遣労働」(広く“非正規”労働)という形態は、私的な形態を脱ぎ捨てれば、労働の社会的な組織のやり方の一つとして、決してあり得ない労働の形態ではないだろう。

 □そしてまた、正規、非正規を問わない「同一労働同一賃金」の要求、平等の労働条件の要求もまた、共同体社会における労働と生活の原理につながる要求でもある。もちろんこの場合、この要求は労働時間に基づく分配ということであって、搾取労働のもとでの「職務給」といったものとは、何の関係もないのであるが。

 また共同体の成人は労働時間でも自由に選び得るとするなら――しかしもちろん、その分、所得の減少を甘受するのだが――、パートの働き方と形式は少しも違わないということにもなる。

 □差別の廃絶という要求は、この意味でも、労働の解放と社会主義、共産主義の実現という労働者の目標と決して矛盾するものではなく、それへの接近であり得るのである。

 □我々は非正規労働や派遣労働のブルジョア社会における、搾取社会における必然性を確認し、その歴史的、実際的限界や搾取や非人間性を暴露する、しかしこの立場は、有期労働(派遣労働者の地位等々)が悪であり、無期労働(正社員の地位等々)が善であるといった観念的、ドグマ的立場――正社員もまた資本のきびしい搾取や抑圧のもとにあり、その地位や立場のひどさ、困難さは、ある意味では非正規労働者のそれに決して劣るものではない――とは全く別のものであろう。

 我々は正社員の立場を美化し、非正規労働者はまず正社員にならなくてはならないかに言いはやし、幻想でしかないような、矮小な観念を振りまくプチブル政党やダラ幹の見地に反対し、そんなものは労働者の闘いに混乱や間違った観念を持ち込み、有害であり、損害をもたらすものであると結論する。資本による差別と過度の搾取に反対する非正規労働者の闘いは、資本の鎖からの労働者全体の解放を目指す闘いの一部であり、また両者の闘いは固く結びつけられて闘われなくてはならないのである。