民主政権の矮小な改良(規制強化)に対するリバウンド
派遣労働者の全体が苦境に
偽善の労働者派遣法の改定

1、派遣は「臨時的、一時的な」利用に限る?
2、26業種の“専門業種”派遣労働者の悲劇?
3、いわゆる「10・1問題」
4、同一労働同一賃金と権謀術数の維新の党
5、若干の結論  

 労働者派遣法改正案が衆議院を通過した。民主党や共産党は反対を叫んでいるが、3年たったら正社員を保証するかにいわれてきた現行法が、そんな保証もないままに、むしろ「雇い止め」多発の張本人にさえなろうとしている。しかも改正案は、現行法の「3年規制」を逆手にとって、26業種、約40万の“専門業種”の派遣労働者にそれを適用し、彼らを完全に追い詰め、破滅させようとさえしている。労働者は、とりわけ2000万の非正規労働者は、今こそ資本によって抑圧、差別され、過酷に搾取される、自分たちの社会的な地位や立場を完全に理解し、そんな現実を粉砕し、一掃するために立ち上がるべきときではないのか。

 ◆1、派遣は「臨時的、一時的な」利用に限る?

 派遣労働について、政府などの公式の説明でもいいが、共産党などがどう概念規定しているかをまず確認することから始めよう。

 「戦後、自分の会社の労働者を他人の指揮下で働かせる『人貸し業』は、強制労働やピンハネを招くとして労働基準法や職業安定法で禁止されました。

 そのため労働者派遣法でも、臨時的・一時的業務に限り、常用雇用の代替――正社員を派遣社員に置き換えてはならないことを原則とし、その担保として派遣の受け入れ可能期間は、『原則1年、最長3年』とされたのです」(赤旗3月14日)

 「こういう期間を越えてなお存続する業務は『臨時的・一時的』とはいえず恒常的な業務だから、正社員にしなさいと言うものです。……

 まず派遣先企業が労働組合の意見を聞けば3年を越えて延長できることになります。意見を聞くだけで同意を得る必要はありません。もう一つは、人を変えれば同じ部署の派遣を延長できるようにします。

 こういう方法で期間制限の歯止めをなくし、派遣先企業がいつまでも派遣を利用できるようにします。派遣労働者の正社員への道は閉ざされてしまいます」(同6月3日)

 要するに、現行の派遣法は、派遣は「臨時的・一時的業務」でだけに認められ、そのために3年を越えて雇ってはならないと定めている、ところが改正案は、この3年の制約を取り払ってしまい、従ってまた派遣社員の正社員への道も閉ざしてしまうと言うのである。

 もちろんこうしたことは全ての非正規労働についても言えることであって、だから民主党や共産党などは、派遣のこうした原則を全ての非正規労働にも適用しようとしてきた。

 しかしそもそも、派遣労働もしくは非正規労働を「臨時的・一時的業務」に限定することが、どういう意味を持っているのかということを、民主党や共産党の観念論者たちは反省しているのだろうか。「派遣は本来〔仕事や業務によって〕臨時的・一時的な雇用のはずだ」などと、どうして言えるのか、言っていいのか。

 仮に派遣労働者が、あるいは非正規労働者一般が「一時的、臨時的」だとしても、それは「職種」等々によるものではなく、景気の循環過程における、企業にとっての安全弁的な機能をもつからであって、むしろそちらの方がより正当な位置づけであろう。好景気の時には、業種に関わりなく、非正規労働者が増え、景気が悪化すれば、まず非正規労働者が首を切られるのであり、だからこそ非正規労働者は本質的に「臨時的・一時的」であるという方がはるかに正しく、正当であろう。

 共産党などが派遣労働を「臨時的・一時的」と概念規定するのは、派遣労働が実際にそうであるというのではなく、そのように規定しないといつまでも派遣労働者は派遣労働者のままであり、「永久派遣」のままに留まり、永遠に正社員――共産党などが理想化する労働者の地位――になり得ないから、ということである、つまり事実(現実)もしくは“ザイン”ではなく願望(当為)もしくは“ゾレン”に属する観念である。

 実際、派遣労働あるいは非正規労働ということと、それが「臨時的・一時的」であるということは現実的にしばしば符合し、一致することがあるにしても、概念としては異なった二つのことがらである。非正規労働が「臨時的・一時的」ではない労働業種に就くことはいくらでもあるし、また正社員が「臨時的・一時的業務」をこなすという場合もいくらでもある。社内での配置転換もいくらでもあるし、そもそも「恒久的な仕事」といい、「臨時的・一時的業務」といい、相対的な区別にすぎない。そんな区別に固執すること自体、機械的であり、観念的である。

 むしろ非正規労働者を「臨時的・一時的業務」につくだけの、つまり会社や職場において、二義的で、どうでもいいような半端仕事に携わる(携わるしかない、あるいは携わるべき)労働者であると規定すること自体が、労働者差別であり、またそれを助長し、労働者差別を一つのテコにして労働者を支配し、搾取を強めようと常に策動するブルジョアに奉仕することではないのか。

 実際には、多くの派遣労働者や非正規労働者は正社員と同じような、あるいは全く同じ業務や労働についているのであり、しかも地位や待遇や賃金等々で差別され、苦しんでいるのであって、そんなときに、リベラルや共産党は、非正規労働者は「臨時的・一時的な」仕事に就いていると、何が何でも言いたいのであり言うのである。

 しかしそんなことを強調することは直接に非正規労働者を愚弄し、卑しめ、差別することではないのか。

 そしてそんな意識で労働運動を指導するとは、共産党や連合らのダラ幹や民主党や共産党は一体何を考えているのか。

 非正規労働者の労働を「臨時的・一時的」な仕事と規定せよ、それが労働者の利益であるなどと勘違いして、そんな主張したり、要求したりする労働運動は労働運動の自殺以外の何ものでない。こんな要求を掲げるような破廉恥な労働運動は過去に見たことはないし、これからもないだろう。

 “末代まで”汚名を残すような労働運動、かつて労働者階級がまだ未熟だった時代の“ラッダイド”(労働者の機械打ち壊し)運動にもまさるとも劣らない“愚行の”労働運動であろう(後者は歴史的に弁護し得るが、現代の労働運動の“愚行”はただ共産党や民主党、そして労働運動指導者(連合や全労連のダラ幹)たちの日和見主義とブルジョア根性と愚劣さからのみ説明されるのである)。

 共産党ら野党やリベラルは、盛んに「派遣労働者の地位が固定される」とか、「生涯派遣につながる」とか叫び、また同時に「非正規労働者の正社員への道が閉ざされる」とか、「正社員ゼロを狙う」とか、「正社員の地位がおびやかされる」とか言いはやしている。社民の吉川元もまた、「正規雇用が失われる。断じて〔派遣労働改正案を〕成立させてはならない」と絶叫している。「派遣の常用代替禁止」といったことも、やかましく言われている。

 見られる通り、派遣労働者について語りながら、彼らの関心は非正規労働者にではなくて、「正社員」に向けられているのであり、まさにそれ故に、改正案に反対するのである。連合(民主党)は大企業の“正規労働者”のために、全労連(共産党)は公務員労働者のために、というわけである。

 そしてこうした事実は、民主党などが中心になって法制化してきた現行の労働法の、とりわけ派遣労働法の政治的、階級的な性格と内容をも暴露するのである、つまりそれが労働者の全体をではなく、労働者の上層の、“中間層”の利益のための改良を意図するものであったことを明らかにするのである。

 派遣労働者は「臨時的・一時的業務」に限るといい、区別することはすなわち、それ以外の業務は正規の社員が担うということである、つまり派遣先の正社員の地位は脅かさないような制度にせよということと同じである。

 共産党は本当に派遣労働者のために発言するなら、派遣労働者をなぜ企業の「臨時的・一時的業務」のような仕事に、3年でなくなるような仕事に就かせるのか、就けと言うのか、企業にとって重要で、継続的な仕事に就労させよと要求しないのか。なぜ「臨時的・一時的業務」に就かせておいて、3年以上雇うなら正社員にせよといった、矮小な要求で我慢するのか。もし派遣労働者が実際に「臨時的・一時的業務」の仕事に就いていたとしたら、そして3年になる前にお払い箱になるなら――こうしたことは大いにあり得るばかりではない、一つの必然でさえある――、共産党の要求は宙に浮いてしまい、その空虚さとばからしさを暴露するのである。

 共産党などは、「だから、3年以上派遣労働者を雇うなら、その業務は臨時的・一時的業務ではないということだ、それなら派遣労働者を正規労働者にするのが筋だ」といった、頭の中だけで組み立てた理屈を持ち出すのだが、そんなものは観念論であって、階級関係の中では全く無意味な“純粋論理”、理屈のための理屈でしかないのである。そもそも企業は派遣労働者を正社員にする意思を持たないなら、3年間たつ前に、派遣労働者をいくらでも首にするのであり、またできるのである。階級関係やその力関係を度外視するなら、好き勝手な理屈を並べることはいくらでもできるのである。

 派遣法改正で、「生涯派遣」になるのではない、すでに現行法の下でも、「生涯派遣」といつた現実がはびこり、根を張っているのである、正規を望んで正規になれる派遣労働者などごくわずかなものであって――民主党や共産党が、ダラ幹たちが派遣から正規への昇格が一挙に進むと期待してきた現行法のもとでさえ、である――、新しく就職する若者の中でもまた、正規労働者が増えるということでもないのだ。

 こうした事実こそが確認されなくてはならないのであって、その代わりに、現在の制度に対するばかげた幻想が振りまかれ、はびこっているのである。誰のための、何のための労働運動か、大企業の“正規”労働者のための労働運動ではないのか。

 現在持ち出されている改正案が、派遣労働者にとってより搾取的であり、抑圧的だからといって、現行法が労働者や派遣労働者のための法律だということにならないのは、安倍政権が極反動的だからといって、民主党政権がましな政権であったということにならないのと同じである。

 むしろ民主党政権の珍奇で、矮小な改良主義と混乱と愚昧の3年間が安倍政権の反動政権に帰着し、それを準備したと同じように、民主党や共産党の労働法規のえせ改良が、一層労働者に、派遣労働者にとって収奪的な派遣労働法やその他の労働法の改悪として跳ね返ってきているのであって、今の派遣労働法の改悪は、ある意味では、民主党や共産党が、彼らの矮小な派遣労働法が準備し、もたらしたとさえいえるのである。

 民主党や共産党は現行の労働規制法を弁護するのだが、しかしそのもとでもまた、非正規労働者の大群は生まれ続けてきたのであって、派遣労働法もまた派遣労働者の保護というより、むしろ正社員を守るといった性格を持っているのである。そしてそれは非正規労働者の増大をいくらかでも妨げるものとはならなかったのである。

 日本総合研究所の山田久は、「自由化業務(一般派遣)での派遣期間を1人が働いた期間ではなく派遣活用の通算で制限するのも『継続的に派遣が担うと、会社がその業務を正社員の仕事ではないと位置づけると懸念したため』である」(日経新聞6月18日)と、現行派遣労働法が正社員の保護を意識している一端を暴露している。

 共産党は「正社員への道が閉ざされる」と絶叫する、すると安倍はここぞとばかり、「正社員を希望する人には、広く道が開かれるようにする」と幻想を振りまき、現行の派遣法に幻滅している労働者たちを取り込もうと策動するのであり、また策動できるのである。

 お笑いは、野党や労働組合に媚を売ってか、懐柔策のつもりか、政府与党は改正案にわざわざ、「派遣は臨時的・一時的が原則」と新しく書き入れ、確認したが――共産党や労働組合のとんまな連中は、このことを大成果、大勝利と祝うかどうかは知らないが――、そうすることでブルジョアや安倍政権は失うものなど何一つないのである。というのは、ブルジョアたちは現実に派遣労働者や非正規労働者を「臨時的・一時的な」労働者として考え、雇用しているからである。この言葉で、共産党やダラ幹たちが何を考えていようと、それはブルジョアたちにとってどうでもいいことである。

◆2、26業種の“専門業種”派遣労働者の悲劇?

 派遣労働者120万の3分の1の約40万人を占める、26業種の派遣労働者は、改定がされるなら大きな打撃を受け、今以上の困難な状況に追い込まれるが、それは改正案によってというより、改正案が現行法の3年を超えて派遣労働者を雇用してはならない――そうしたら、派遣労働者を正社員にしなくてはならない――という現行法の規定を全ての派遣労働者に及ぼすとしているからである。

 これまでは(現行の法では)、26の職種の派遣労働者は、“専門性”などの特殊性ゆえに、期限の縛りなしで派遣先企業で働き続けることができたが、新法案のもとでは、3年期限が適用されるのである。

 派遣会社に「社員」として雇用されるなら(いわゆる「常用雇用」という形である)、無期限で派遣され得るが、派遣企業がそれを嫌うか、余裕がないとするなら、彼らはある意味で悲惨な状況に追い込まれる。事実多くの“専門職の”派遣労働者からは悲鳴の声が上げられ、パニックさえ広がっている。

 厚労省がこんな改定案を持ち出したのは、26の特殊業務といっても、他の業種との区別はあいまいであり、企業は特に特別とも言えない業種を特別業種として派遣労働者を長期間雇用し続けてきた場合も多々見られたからだそうである。

 もちろん、改正案でも派遣労働者の職種を変えるなら、さらに3年間雇用を延長できる――東京支店の「庶務課」から、「経営戦略課」に異動するといった例が紹介されている――が、仮にそうしたことが可能だとしても、彼らが3年ごとに首切りの可能性に怯えなくてはならなくなることは確かである。

 しかしこのことは、現行の派遣労働者法――共産党やリベラルなどが美化して止まない――のもとで、26種以外の派遣労働者(120万の内、80万ほどである)に起こっていたことでもあって、現行の法のもとでは、職種を変えるという緩和的な規定がなかっただけ、派遣労働者にとっては、より厳しいものであった。

 6月19日、厚労省で行われた記者会見では、26業種の派遣労働者から「切実な訴えが相次ぎ」、その一部がマスコミで紹介されている。

 「派遣の秘書として昨年から海運会社で働く都内の女性(40才)は『現在も3年働けるという保証はないのに、これまで以上に不安定で弱い立場になってしまう』と嘆く。

 女性は20代前半から複数の会社で役員秘書を務めてきた。26業種の一つだが、派遣先の合併やリストラなどで、同じ会社に長期間、働けたことはない。現在の月収は20万円弱。賞与もなく、正社員と同じ時間働いても、収入は半分以下という。5月、派遣先に待遇の改善を求めたところ、『あなたの仕事は6月22日まで』と宣告された。

 女性は、『当然の訴えをしただけでモノ扱いされ、切られてしまう。それが現実です』と話した。

 26業種で働く有期雇用の派遣労働者は約40万人。地域によっては、同様の仕事が少なく、簡単に転職できないケースも想定される。

 群馬県の50代男性は約16年間、県内の電子製品関連会社で、26業種の機械設計の仕事に従事。次の更新時期で、契約が打ち切られるのではないかと危惧する。

 『5年、10年かけてスキルを上げてきた。3年でマスターできる仕事ではない』と自らの技術に自信を持つが、正社員にしてもらえないかと会社に打診したところ『あなたの年齢と学歴では難しい』と言われた」(産経新聞6月20日)

 こうした派遣労働者の実際の証言は、現行法に、派遣労働者のためだ、派遣労働者を正社員にするためだといって民主党や共産党によって後押しされてきた3年という期限が、実際には派遣労働者をどんなに苦しめてきたか、また苦しめているかを暴露して余りあるが、しかし共産党や労働組合のダラ幹たちは、現行派遣法の“労働保護”を装った改革なるもののマイナス面に目を閉ざし、派遣労働者にとってマイナスにさえなりかねないような、途方もない、自己満足の“労働運動”にうつつをぬかしてきたと言えるのである。

 少なくとも確かなことの一つは、派遣労働法の改正によって、派遣労働者の全体が、つまりいくらかでも増しであった、26業種の派遣労働者までもが、一層不安定で、困難な状況に追い込まれることだが、それは何よりも、26業種以外の派遣労働者に適用されてきた、3年という期間が全体の派遣労働者にまで押し広げられる結果であるということである。何とも皮肉な話ではある。

 まさにこの事実こそ、現行の派遣労働法もまた、どんなにひどいものであり、そしてそのひどいものである一番の原因が3年という期間にあったことを教えている。

 こうした事実ほど、連合や全労連の労働運動の本性を、階級的性格を暴露しているものはない。赤旗には、今年の統一地方選挙の頃、大阪の都島区で市議に立候補した鳥居さとしという「都島区市政対策委員長」が街頭でした演説が紹介されていた。

 「正社員が当たり前の世の中でこそ、収入が安定し、消費も増え、若い人たちが安心して結婚、子育てができる。金融緩和を推進する維新の党や安倍政権の暴走を止めさせなければなりません」

 もちろん鳥居は正規の公務員であり、そして今や議員に成り上がろうというのである。そんな連中が共産党員として、「正社員が当たり前の世の中」こそが労働者の幸せを保証する、輝かしい社会だと語るのである。おめでたい彼の眼中には、果たして非正規労働者が賃金労働者の4割、2000万人も存在する、日本資本主義の、労働者にとって悲惨というしかない、絶望的な現実が映っているのだろうか、そんな社会は根底から変革されるしかないという真理が分かっているのだろうか。

 矛盾も困難も低賃金もない、“理想の”、あるいは“当たり前の”資本主義、正社員の楽園の資本主義、それが彼らの理想であり、目的である。彼らはこんな俗物的なプチブル観念に酔いしれて、現実のことは一切目に入っていないと結論するしかない。

 共産党は「正社員」を美化し、絶対化する。しかし、賃金労働を絶対化するブルジョア的本性はここでは問わないとしても、派遣労働者のうちで正社員への移行を望むのは26業種の内の派遣労働者の2割、それ以外の派遣労働者の4割程度で、120万の内の約三分の一の40万人程度にすぎない。共産党は現実から遊離し、自らの観念、というよりドグマと独善――正社員なるものへの幻想と神格化――から発言しているにすぎない。彼らは低俗なブルジョアであり、あるいはプチブル、“中産階級”であるにすぎない。

 ◆3、いわゆる「10・1問題」

 安倍政権あるいは厚労省が何が何でも今度こそと――3度目の正直だ――派遣労働法の改正を焦るのは、いわゆる「10・1問題」があるからである。

 この問題は、現行法のまま、その施行から3年目になる10月1日になると、雇い止めや労働紛争が多発するという「恐れ」があるということである。

 一つは、26業種(いわゆる専門業種)と、それ以外の一般業種の境界線があいまいで、そのため、企業が派遣労働者を「専門業種」と判断して期限なしで雇用しても、労働当局がそれを「一般業種」と結論すれば、10月1日以降は違法ということになってしまうことである。

 さらに、10月1日から、労働契約みなし制度」が施行される。つまりこれは、3年を越えた違法派遣は、派遣先企業が労働者に直接雇用を申し入れたと「見なされる」ということである。この場合、派遣先企業は派遣労働者を労働者が希望するなら直接に正社員として雇わなくてはならなくなる。

 こうした事態は派遣業者にとっては労働者とのいざこざや紛争や裁判等々に直面するということであり、忌まわしいこと、避けなくてはならないことであって、彼らは是が非でも、10月1日前に、派遣法が改正されなくてはならないのである。

 10月が来る前に、「10・1」問題を回避しようとして強引に労働者の首を切るなら、労働者は裁判所に訴えるかも知れないし、また派遣業者も労働当局の判断を不服として裁判沙汰に訴えてくるかも知れない。

 派遣労働者の問題とは別だが、似たような問題に、2018年に施行が予定される、「無期転換ルール」というものもある。

 これは、13年の改正労働契約法に決められたもので、パートなど期間を決めて働く有効契約を、5年を超えて契約した場合、企業は希望者について、雇用期間の定めのない契約に転換することを義務づけられるという法的規制である。

 もちろんここでも、企業が無期雇用に転換されるのを嫌って、契約を5年になる前に打ち切る、「雇い止め」が猛威をふるう可能性があるが、そうしたことは派遣労働者の場合でも同様である。

 10・1問題では、厚労省は6月13日に、その解説書を出したが、その中で、もし改正案が成立しないと、みなし制度が10月から始まり、労働者から「訴訟が乱発する恐れ」があり、それを避けるために派遣先企業が雇い止めをして、「大量の派遣労働者が失業する」ことになると書いたため、国会でも問題になり、塩崎厚労相が「公式見解ではない。内容は不正確で不適切な表現」と謝罪に追い込まれるという茶番もあった。

 しかしこうした事実は、安倍政権が派遣法の改正を焦り、今国家での9月中に成立を目指す、一つの重大な理由でもある。

 ◆4、同一労働同一賃金と権謀術数の維新の党

 非正規労働者問題の矛盾は、その地位――非正規労働者は極めて不安定であって、簡単に企業によって解雇され、労働者としての権利が守られない――の問題もあるが、同時に、その賃金にも大きな差別が押しつけられ、資本によって過度に搾取されていることである。

 大ざっぱに言って、非正規労働者の賃金は正規の労働者の7割と言われるが、賃金以外の問題も考慮すればよくて半分くらい、大半はそれ以下であろう。

 そして派遣法の議論も大詰めに近づいた6月11日、維新の党は自公と協調し、維新の党の唱える同一労働同一賃金の原則を取り入れる代わりに、派遣法改正案の成立に協力する――形だけては反対するが――ことを約束した。権力に「すり寄る」ことを好むのは公明党だけではないと言うことである。

 維新の党は政府と妥協するために、政府に同一労働同一賃金という野党3党の案を受け入れるように持ちかけ、与党のOKを得たが、しかしそれは維新の党や民主党や生活の党という野党3党が共同で提出した案を修正したものであった。

 もちろん民主党などは激怒したが、実際やっていることは余りに権謀術数そのもの、マキャベリズムそのもので、この党の破廉恥な体質を暴露しただけであった。

 もちろん維新の党と安倍政権が妥協した内容は、ただでさえあいまいな表現や規定のあった野党3党の内容を完全に骨抜きし、自公にとって、つまり資本の勢力にとって、どんな問題も障害もないようなものであった。

 三党の同一労働同一賃金案にあった、「法制上の措置を含む必要な措置」として、「職務に応じた待遇の均等な実現」とあった文章は、「業務内容及び責任の程度その他の事情に応じた均等な待遇及び均衡の取れた待遇の実現」といった文章に置き換えられてしまった。

 この「心」は、一言でいって、三党にあった「待遇の均等」を「待遇の均等及び均衡」に置き換えたことである、つまり野党三党が頭で描いていた、「職務給」の徹底――同じ職務なら、正規も不正規もなく、男女もなく同じ賃金――という規定を、あいまいな「均衡」という言葉を入れることによって、現在の賃金制度をそのまま肯定し、正当化するものに、つまりブルジョアたちにとってどんな打撃にも損失にもならないようなものにすり替えてしまったということである。

 そして同時に、これは維新の党が同一労働同一賃金などを持って回って、労働者の味方であるかに振る舞ってきたのが単なる身振りであって、本当のものでは全くなかったことを、この党の卑しい“ファシズム的”本性を暴露したのであった。

 しかしもしブルジョア社会の枠内で、非正規労働者の問題をいくらかでも合理的に解決しようとするなら、同一労働同一賃金の原則以外ないのだが、もちろん資本の階級がこんなラジカルな改革をやることは決してないだろうし、またできないだろう。それはただ将来の本当の社会主義の社会のみが、同一労働同一賃金とは形式においていくらか似ているかもしれないが、内容において本質的に異なった形で実現するしかないのである。

 もしいくらかでも同一労働同一賃金の原則を徹底させようとするなら、この観念――この観念自体はいまだブルジョア的限界の中である、というのは、それは決して搾取を否定するものではなく、より平等に資本によって搾取されようというにすぎないのだから――を、「職務」とか同じ仕事とかいった基準にではなく、労働時間の長さという基準にしなくてはならない。

 だが自公と維新の党の同一労働同一賃金案は、同一労働同一賃金の原則とは全く異質のもの、むしろその正反対のもの――ブルジョア的原理――に転化するのだが、それはまたかつてスターリン主義者が、労働者の分配の基準として労働価値説を放棄し、また労働時間による分配も否定して、「労働の質と量」といったインチキ観念に逃げ込んだし、今も逃げ込んだままであるのと同様であろう。

 ◆5、若干の結論

 派遣労働は――一般的には非正規労働は――、共産党や民主党が課題としているような、改良の対象ではなく、きっぱり廃絶する以外、どんなろくな解決もないし、あり得ない。

 と言うのは、現代のブルジョア社会では「雇用制度」もしくは「雇用形態」といったものはひどく混沌とし、込み入った複雑怪奇なものになってしまっているので、それを解きほぐすことなどできそうもないからである。そんな込み入り、絡み合った糸は“一刀両断”で断ち切るしかないのである。

 民主党や共産党、従ってまた連合や全労連のダラ幹たちの主張の背後に、正社員の利害を見て取ることは簡単であるが、それは彼らがすでに完全に堕落してブルジョア階級の下僕に成り下がっていることに対応している。彼らは皆、せいぜい“公正な”、あるいは“まともな”資本主義のために“闘う”のであって、資本の支配の廃絶のために闘うのではない。

 「派遣は本来、『臨時的・一時的』な雇用のはず」と言った、共産党やダラ幹やリベラルらの発言に、彼らの傲慢と思い上がりを、差別意識や蔑視さえも、非正規労働者は見ないであろうか。いや、こんなことを言える連中は、もっとも抑圧され、搾取されている労働者、勤労者のために闘う連中ではないし、あり得ない。彼らは主観的には、非正規労働者の正規労働者への転化のために、つまり非正規労働者のために闘っているのだと思い込んでいる、しかし実際には、非正規労働者のための闘いを正規労働者への上昇という課題に矮小化することによって、非正規労働者の即時の、完全な解放について語らないことによって、さらにまた、正規労働者を、つまり賃労働一般を“絶対物”に祭り上げることによって、非正規労働者ばかりか、労働者の全体を裏切っている。

 (林 紘義)

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『海つばめ』第1254号掲載
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