『プロメテウス』24号(1996年12月発行)
菅直人の市民主義批判、生産的労働の概念など


 今号では、現在政治の焦点となっている市民主義、財政危機をはじめ、生産的労働の概念、アメリカ、北朝鮮に関する論文を掲載している。

 先の総選挙では市民主義を名乗る民主党が登場した。支持する政党をもたない無党派が四割、五割を占めるといった既成政党への政治不信が広がるなかで、市民主義者は、階級政党の運動は時代おくれとなった、これからは市民の運動の時代だと幻想を振りまいてきた。

 山田明人氏の「菅直人の“市民主義”批判」では、菅の市民運動論、行改論、官僚批判を取り上げ論じている。論文は菅らの市民運動が、労働者の階級的闘い否定し、資本主義を前提とした運動であるとしてそのブルジョア的本質を明らかにしている。そして、菅の行革論は規制緩和、市場原理の重視であり、その官僚批判も“省益”のために「国家利益」を損なっているいうブルジョア的な立場からのものであることを暴露している。

 財政危機については平岡正行氏が「矛盾深める財政投融資」で論じている。

 道路、港湾、鉄道など産業基盤整備への投資など財政投融資は戦後の急速な資本主義的発展を支えてきた。しかし、経済の高度成長の時代が終わると財政投融資の性格も変質し、国家の公債を引き受けるようになった。特にバブルの後の不況のもとで景気対策として中央、地方の公債の引き受けなどを通じて国家財政の膨張を促進してきた。その一方、低金利のもとで、貸付金利が受け入れ金利を下回るという事態が生まれ、国家財政に加え財政投融資も赤字に陥っている。論文は、財政投融資の行き詰まりは、日本資本主義が「その健全な発展期を終え、腐朽化と頽廃が一層進んでいる一つの現れ」としている。

 今日では、日本をはじめ先進資本主義国では製造業の比率が低下し、モノを生産しない“サービス”産業の比率が高くなっている。生産的労働者の比率が減り、不生産的労働がますます拡大しているが、これをブルジョア経済学者は、高度な社会発展と美化している。

 林紘義氏の「マルクス主義の生産的労働の概念について・上」では、生産的労働の意味とその意義を論じている。論文は生産的労働と不生産的労働の区別を明らかにすることは、「社会主義を組織するための思想的根底を明確にすることにある」、資本主義のもとで高度に発展した生産的労働を基礎としてのみ可能であるからであるとその意義を述べている。現在の政治の焦点となっている“行革”について労働者はいかに臨むのか、という問題でも、生産的労働の概念の正しい理解は欠かせない。

 鈴木研一氏の「崩壊するアメリカン・ドリーム」は、経済“繁栄”のもとでのアメリカ労働者の状態を分析している。

 大企業が四割、五割増、全体でも一〇%という高収益をあげる一方では、労働者には、徹底したリストラ合理化が強行されている。論文は、かつての合理化は不況を契機としていたが、現在では企業業績の好調のもとで、さらにより多くの利潤を追求して行われていると最近の合理化の特徴を指摘している。合理化の結果、実質賃金の低下、不安定労働の増加が激増している。こうして、持てる者への富の集積が進み、貧しい者との貧富の格差がますます拡大した。そして論文は、新たな労働者誕生にも触れつつ、「階級闘争が無縁であるかに見えたアメリカ社会において、階級闘争が発展する諸条件がますます成熟しつつある」と指摘している。アメリカの現実は、資本主義であるかぎり、労働者の資本に対する闘いは必然であることを教えている。

 「北朝鮮は開放経済に向かうのか」(隅谷優)では、日本で開かれた北朝鮮の「自由経済地域」への投資促進のためのフォーラムの様子を振り返りつつ、矛盾深める北朝鮮国家資本主義の現状を論じている。

 菊池里志氏の「丸山真男論」は今年の夏に亡くなった政治学者、丸山真男の認識論、方法論、さらにはマルクス主義批判を論じている。論文は、日本のファシズム、軍国主義を帝国主義の問題ではなく、人々の意識や責任の問題としてとらえ、またマルクス主義を機械的な「本質顕元」論と批判する丸山の観念論、個人主義、自由主義的立場を明らかにしている。

 その他、秋の総選挙を総括し、先進労働者の闘いの課題を明らかにした「社労党第十三回大会決議」が掲載されている。

 読者の皆さんが本誌を是非購読、検討さるよう訴える。