『プロメテウス』26号(1997年6月発行)
現代資本主義と規制緩和を特集
他に台頭する国家主義批判など
いま、“規制緩和”は、ブルジョアジーの合言葉になっている。彼らは、経済を活性化させ、財政赤字、大量の失業者など現在資本主義国家が抱えている深刻な悩みを解決するものとして、“規制緩和”を推進している。今号の特集では、この“規制緩和”の問題を取り上げ、“規制緩和”とはなにか、それはなぜ求められるようになったのか、その意味について、二つの論文で論じている。
「『規制緩和』は何を意味するか」(平岡正行)では、政府の政策立案にたずさわった中谷巌の理論の批判を通して、“規制緩和”が登場した経済的背景とその意味、そしてさらに労働者の闘いの方向を明らかにしている。「“規制緩和”と労働者の闘い」(田口騏一郎)では、ヨーロッパの労働分野における“規制緩和”の実態を分析し、労働者にとっての意味を論じている。
日本の帝国主義化、財政破綻、野村・第一勧銀に象徴される大資本の不正、政・財・官癒着による汚職の蔓延など現代社会の腐敗、頽廃が深まるなかで、国家主義・民族主義が台頭してきていることも、見逃すことはできない。
そのイデオロギー的先兵の役割を果たしているのが、藤岡信勝らの「自由主義史研究会」である。「『公共の精神』を説く国家エゴイズム」(小幡芳久)は、「近現代史の問い直し」の名のもとに、日本民族の優秀性を説き、日本の民族や国家を排他的に擁護し、帝国主義化、軍国主義化したブルジョア国家の侵略や戦争を弁護し、国家主義、民族主義を叫ぶ、藤岡らを批判している。
つい最近医療保険法「改正」が成立した。保険料及び患者負担の引き上げによって健保財政の困難を労働者、国民の負担にしわ寄せする一方、医療保険制度に寄生し、営利を貪っている医療機関、医薬品メーカーの特権には基本的に手をつけようともしないひどい内容である。
「行き詰まるブルジョア医療保険と『福祉』」(山田明人)は、医療保険の「改正」法を取り上げ、ブルジョア福祉の欺瞞を暴露している。論文は同時に、ブルジョア医療制度の欺瞞をあばくのではなく、「国家の責任」を説き、あたかも「国家財政を投入」すれば解決するかにいう共産党のブルジョア改良主義の無力さ、反動性を明らかにしている。
さらに共産党に関しては、「史的唯物論の否定から不何知論」(鈴木研一)が、雑誌『経済』に連載された聴濤弘のソ連論を取り上げて論じている。
共産党はかつては、ソ連を社会主義だといってさんざん美化してきた。しかし、それが破綻すると、次には「生成期社会主義論」を唱えその破綻を取りつくろってきた。彼らは、スターリンの専制政治、ハンガリーなどへの武力介入などについては、社会主義の原則を逸脱した政策的誤りと主張してきた。しかし、ソ連の崩壊という決定的な事実を突き付けられるにおよんで、遂に、いかなる社会か規定することは難しい、「史的唯物論の観点」から規定する必要がない、「あるがままに総体としてみる」と開き直っている。
「論文」は、共産党のソ連論を歴史的に跡付け、「史的唯物論を否定し、カント的不可知論」に逃避している共産党の理論的頽廃を明らかにしている。
非生産的な零細経営に依存する日本の農業については、ブルジョアジーの側からも前々からそこからの脱却が叫けばれてきた。とりわけ、財政危機の現在にあって、丸抱えの小農保護政策はますますその矛盾を深めている。
「動きはじめた新農業基本法策定事業」(宮本博)では、一方では、海外からの安価な米の輸入や国内での生産的な農業を望みながらも、他方では、まさかの時に備えた「食糧安保」とか、政権の維持といったことから小農保護を続けるブルジョア農政の不合理さ、反動性を批判している。
このほか、鉄鋼労連の「隔年春闘」など転換期を迎えつつある春闘の問題、ペルーの階級闘争、今年十二月に京都で開かれる地球温暖化防止国際会議によせた温暖化問題、最近亡くなった埴谷雄高の「死霊」論など、今号は様々な問題を論じている。いずれも労働者にとって興味あるテーマである。是非、購読し検討されたい。