『プロメテウス』27号(1997年9月発行)
“自由主義”の元祖A・スミスを特集
今号の特集は、「アダム・スミス」である。なぜスミスかといえば、今日“新自由主義”といわれる潮流らによって、スミスの“再評価”など、スミスがもてはやされているからである。
戦後のブルジョアジーに大きな影響を与えてきたケインズ主義の破綻を背景にして登場してきた新自由主義の潮流は、国家の経済への過度の介入、企業に対する規制、市場原理を無視した公営企業の活動などが、経済活動の活力を失わせている。規制を緩和し、自由な企業活動を保障し、市場原則に基づいた自由競争こそが、経済を活性化させ発展に導いていく道だ、スミスの自由主義は見直され、評価されなければならないといってきた。そして自由競争、規制緩和等々といった形で、労働者への攻撃が強められている。
特集は、スミスの「価値論」(林紘義)、「重商主義批判」(町田勝)、「植民地論」(田口騏一郎)、「教育、宗教論」(山田明人)、「軍事、司法論」(小島保雄)等々、スミス理論の諸側面をそれぞれ取り上げている。
「価値論」では、スミスの価値論のなかには投下労働価値論や「価値分解論」という労働価値論へ発展させられていく積極的契機を含むと同時に、他方では購買(支配)労働価値論や価値構成論、さらには後に効用価値論として俗流化されるような主観的、現象的な諸契機が混在していると指摘している。そしてスミスの価値論を理解することは、「マルクス主義的価値論の意義を理解することであり、それが人間の認識の、どんな合法則的な発展の中で生まれ、形成されてきたかを理解することである」と、スミスの理論の歴史的な意義について述べている。
価値論に見られるように、スミスの理論には積極的な意義を含みつつも同時に、否定的な要素も混在している。
重商主義政策、植民地政策の問題では、スミスは植民地貿易の独占、保護主義政策が特権的な商人や工業者のためのものであると批判して自由貿易を唱えた。スミスの自由貿易の主張は、封建的な権力と結び付いた束縛を打ち破り、自由な貿易を通じて生産力を発展させること、生産的労働の拡大を求めるという意味では歴史的に進歩的な意義をもっていた。だが、他方では、彼は「国家の防衛」はなによりも優先されるべきことだとして、そのための保護貿易を容認している。また植民地に関しても、植民地の独立を承認するよりも本国との連邦を擁護している。
「教育、宗教論」や「軍隊、司法」の問題でも同様である。
スミスは国家と結びついたローマ教会や英国教会の腐敗を痛烈に糾弾している。しかし、彼の教会への批判は宗教の反動的な役割にまで徹底することはない。宗教を私事として国家と教会の分離の主張にとどまってる。彼にとって宗教は意義あるものであったのである。教育問題についても、スミスは貴族ら特権階級のための教育を批判し、労働大衆の普通教育の必要を訴える一方では、同時に大衆の「無知」や「遅鈍」が国家への反乱をおこす原因となるなどといい、国家的な秩序維持のための教育の意義を強調している。
「軍隊、司法」についても、スミスは、軍人や裁判官が不生産的階級であるとしつつ、国家秩序のための軍隊や司法の意義を説いている。
こうしたスミスの理論の矛盾は、台頭しつつある産業資本の階級的利益を反映したものであった。
当時、スミスの理論は封建的な秩序を打ち破り、歴史を前進させる役割を果たした。だが、現代の新自由主義は、独占資本の利益を守り、労働者の搾取を一層強めるために、そして矛盾を深め、没落しつつある資本主義を救うために自由主義、自由競争を賛美しているのである。
特集の他、「梅原猛の『日本主義・アジア主義』批判」(平岡正行)では、西欧文明を個人主義、利己主義として批判し、これに対して国家主義、全体主義を売り込む梅原の理論の反動性を暴露している。
「疾風怒涛の郵便屋」(仁田勇)は、郵政労働者の現場からのなまなましい報告である。橋本政権は、郵便貯金、簡易保険の民営化を打ち出したが、既に郵政の職場では“効率化”、“合理化”の名のもとに「民営化なき民営化」が推し進められている実態が報告されている。
このほか、独禁法成立から今日までの独禁法の歴史を追いながら、その役割、そして最近行われた持株会社解禁の意味を論じた「独禁法の改正と持株会社解禁」(圷孝行)、原子爆弾開発から最近の原子力発電にいたる原子力技術の歴史を論じた「原子力技術の発展と原子力政策の変遷」(横井邦彦)が掲載されている。
多くの皆さんが、本誌を購読されるよう訴える。