『プロメテウム』28号(1997年12月)
労働者は「行革」といかに闘うか
橋本「行革」批判を特集


 今号の特集は、橋本の「行政改革」批判である。

 橋本政権は行政、財政、金融、教育など「六つの改革」を最重要課題としてかかげて来たが、これはまさに危機を深める日本資本主義の現段階を反映したものであり、彼らの深刻な危機意識の表現でもあった。彼ら自身、何らかの現状の「変革」なくして、彼らの支配自身が解体していくことを予感したのだ。

 社労党大会決議「ブルジョア行革といかに闘うか――橋本行革と労働者の立場」(本紙十一月三十日付、六五六号に掲載)は、橋本「改革」の意味するものはなにか、それは労働者に何をもたらすかを明らかにし、労働者の闘いの方向を示している。

 それぞれの「改革」の内容について、さらに具体的に掘り下げて分析しているのが財政改革、郵政民営化、金融改革、教育改革の各論文である。

 全体の総括的論文「破綻する“新自由主義”と“ケインズ主義”への回帰」(林紘義)は、ケインズ主義に代って、ケインズ主義は失敗したと叫んで登場した“新自由主義”もまた破綻し、全体として資本の支配が行き詰まったことを明らかにしている。

 「橋本政権の財政改革」(田口騏一郎)は、公共事業計画を財政膨張をもたらし、浪費や無駄を生んできた利権の“構造”を温存し、財政破綻のしわ寄せを労働者大衆に押しつけようとする政策であると批判している。

 「郵政事業の民営化と行革」(林紘義)は、“改革”の一焦点となり、しかも挫折した「郵政民営化」問題を分析しつつ、民営化挫折が何を意味するかを論じている。

 金融改革を論じた「日本版“ビッグバン”に未来を託せるか」(平岡正行)では、金融資本が膨張する世界金融市場における“マネーゲーム”に参画し、産業資本に投下出来ない過剰貨幣資本を有効に利用できる機能をもった金融資本として再編することであり、産業資本との関連を弱め、ますます投機的になっていることは資本主義の腐朽化の深化を反映している、と“ビッグバン”の意味を明らかにしている。だが巨額の不良債権を抱える日本の金融資本が急激なビックバンに対応できないことが、橋本政権の“金融改革”を中途半端にしていると述べている。

 ブルジョア支配の頽廃は、教育の頽廃をもたらしているが、「差別・選別とエリート主義に堕す橋本の『教育改革』」(山田明人)では、橋本の掲げる中高一貫教育、「飛び級制度」を内容とする教育改革は、いじめ、登校拒否など教育荒廃に無力であること、それは差別と選別の体制をいっそう強め、資本のためのエリートを選抜し養成するものであると論じている。

 特集に関連して、「共産党は橋本教育改革をいかに批判するか?」(菊池里志)ではブルジョア民主教育を美化し、それに追随する共産党を批判している。

 そのほか「深化する“社会主義市場経済”の矛盾」(鈴木研一)では、中国経済の経済の中核を担っている国有企業の「改革」の問題を論じている。

 ブルジョア国家、資本主義の頽廃の深化は、労働者の階級闘争が高揚の時代を迎えつつあることを示している。労働者は自らの政党に結集して階級闘争を闘い抜いて行かなくてはならない。労働者、読者の皆さんが、本誌を購読され、広めてくださるよう訴える。