『プロメテウス』第29号(1998年4月)
金融危機と現代の恐慌を解明
官僚の腐敗の根源をつく論文も


 今号では特集のテーマとして「恐慌」の問題をとりあげている。

 昨年は三洋証券の倒産に続いて北海道拓殖銀行、山一証券、徳陽シティ銀行など大手銀行、証券会社の破綻が相次ぎ、ブルジョアジーを震え上がらせた。彼らからは恐慌を懸念する声もあげられている。日本で恐慌が起これば、その影響はたんに国内にとどまらず、アジアから世界へと波及することは必至である。

 ブルジョアジーはつい最近まで、ケインズ主義による国家の財政膨張政策が国家財政を破綻に導き経済を低迷させてきたと批判し、「小さな政府」とか市場経済による自由競争こそが、経済を“活性化”させる道であると叫んできた。そして橋本内閣は「財政改革なくしては日本の未来はない」として「財政改革」法を成立させた。

 ところがいまや橋本内閣は前言を翻し、「日本発の恐慌を起こさせない」として、銀行救済のための三十兆円に上る公的資金の投入をはじめ、景気浮揚のための減税、国債発行による大規模な補正予算を組むことを決定した。政府自民党はうろたえ、自ら最大の課題としてきた「財政改革」を棚上げにして、なりふりかまわぬ「金融システムの安定化」策、景気浮揚策に乗り出しているのである。これは彼らがどんなに恐慌を恐れているかを示している。

 ブルジョアジーは、恐慌はもはや過去のものとなった、管理通貨制度のもとで国家の財政・金融政策を通じて恐慌を起こさせないようにすることに成功したと喧伝してきた。しかし、資本主義であるかぎり、恐慌は避けられないということが暴露されたのである。特集論文が論じている、恐慌の原因とはなにか、現代における恐慌、金融危機をどうとらえるかということは、資本からの解放を目指す労働者にとって重要な理論的問題である。

 まず「ブルジョアジーを震憾させる金融危機」(平岡正行)は、ブルジョアジーは国際的な競争に立ち向かうために金融自由化を促進し、金融機関の再編が迫られているが、一方ではそのための“改革”が金融不安を激化させざるをえないというジレンマに陥っていることを暴露している。

 政府は「金融システムの安定」とか「預金者保護」という名で、公的資金の投入など金融資本の救済に走っているが、これは彼らが唱えてきた熾烈な自由競争を勝ちぬくためのビックバン構想に逆行する“護送船団”方式の継続である。論文は、「ブルジョアジーは日本経済の閉塞感に危機感を持ち、改革の必要を感じはするのであるが、いざそれに手をつけ改革を進めようとするとたちまち既存の壁にぶちあたり、急激な改革はシステム全体が崩壊してしまうのではないかという恐怖に慄くのである」と、政府の政策が旧態依然としたところに舞い戻っていること、そして現在の危機を回避しようとする政府の政策は矛盾の爆発の繰り延べでしかないし、それはもっと大きな規模での危機を準備するものであると述べている。

 「“過少消費説”批判」(林紘羲)では、シスモンディやマルサスの主張に典型的に見られるように(現代では賃上げによる景気回復を説く共産党や組合主義者、政府の需要創出を説くケインズ主義)、資本主義のもとでの“消費の不足”から恐慌を説明する“過少消費説”の誤りを徹底的に明らかにしている。

 また、論文はスターリニストは恐慌について「生産の社会的性格と取得の私的性格の矛盾」という決まり文句で説明してきた(その典型としてメンデリソンの恐慌論を取り上げている)が、これは「資本主義的生産の本質的関係をあいまいにし、混乱させ」ることだと批判している。

 さらに論文は、現代の国家独占資本主義における恐慌について論じている。一九三〇年代の世界恐慌を最後として、戦後は戦前のような恐慌を経験していない。現代資本主義のもとでは恐慌はどうなったのかということは大きな問題である。これについて論文は、「急激に進むインフレはまさに恐慌でもある」と現代資本主義におけるインフレの意味を明らかにしている。

 「一九二七の金融恐慌」(田口騏一郎)では、二七年の金融恐慌を総括している。そして資本主義的生産の矛盾から切り離して、もっぱら政府の政策の誤りや後進的な企業経営に恐慌の原因を求め、歴史の教訓として恐慌回避のために政府による積極的な金融機関救済策や景気振興策を説くブルジョア的議論を批判している。

 その他「『民主』的官僚批判の批判」(小幡芳久)は、大蔵、日銀官僚をはじめとする官僚の腐敗・汚職について、その根源は官僚への権力集中にあるのだとして、権力の分散(=「分権」)や官僚に対する国民の「監視」、「統制」を保障するような制度改革を訴えるプチブルの改革論の無力さを暴露し、今日の官僚の腐敗は資本の体制の頽廃、衰退にあると論じている。

 「『マルクス経済学』のブルジョア的性格」(田口弥一)は、理論経済学会で行われた「現代資本主義分析の理論と方法」についての伊藤誠(宇野派)、北原勇(“正統”マルクス主義派)、山田鋭夫(レギュラシオン派)の議論をとりあげ、彼らのマルクス経済学の歪曲を批判している。

 、長引く不況、金融危機と資本主義の矛盾が深まるなかで、労働者はいかに闘うべきかが問われている。読者、労働者の皆さんが本誌を手にし、階級的闘いを断固推し進めるよう期待する。