『プロメテウス』30号(1998年6月発行)
「アジア危機と日本」を特集
大谷氏の「価値体」論批判も
今号の特集は「アジアの金融危機と日本」である。昨年七月のタイ・バーツ危機は、あっという間にフィリピン、マレーシア、インドネシア、さらに香港や台湾、韓国等に波及した。わずか数年前には「世界の成長センター」と賞賛され、「二十一世紀はアジアの時代」ともいわれたこの地域で深刻な通貨・金融危機が進行している。そしてこの地域に大きな権益と利害をもつ日本独占。アジア危機の意味するものは何か、そして日本独占との関係はどう位置づけられるのか。
こうしたきわめて現実的で重要な統一テーマのもとに、四つの特集論文が掲載されている。まず「アジア通貨危機と日本独占資本――アジアのバブルを促進した日本資本」(田口騏一郎)では、アジアの通貨危機が日本独占にどんな意味をもつのか、通貨危機の日本への影響と日本政府の対応が分析されている。著者は、アジアと日本との深い関係を述べたあと、「東アジアの経済危機は日本の不況を強め、さらにそれは東アジア経済危機を深化させ、それはまた日本経済をさらに悪化させる悪循環に陥っている」と指摘している。
次の「崩壊するスハルト体制――それはインドネシア労働者の階級的闘いの契機だ」(八鍬匠)は、戦後独立したインドネシアの歴史をたどりつつ、スハルト体制下の経済発展とその政治を総括し、今回のスハルト体制の崩壊の意味と今後の階級闘争の行方を論じている。著者は、スハルト崩壊と「民主化」によって「すべてがバラ色」になるかの幻想に反対し、「労働者階級に必要なことはスハルト体制の崩壊に喜び、立ち止まることではなく、インドネシアの資本の支配を打倒し社会主義をめざす階級的闘いを発展させることである」と強調している。
「タイ通貨危機の実態――労働者は何を学ぶべきか」(岩瀬清次)は、タイにおける通貨・金融不安の実態を暴露している。タイ経済は八〇年代後半から九〇年代前半にかけて年率一〇%近い経済発展を続けてきたが、海外から流入した巨額な資本の一部は不動産ブームや株式ブーム(いわゆる“バブル景気”)をよびおこした。昨年七月「ドル・ペック制」(固定相場制)から「変動相場制」に移行したが、その背景や経過、そしてその影響を具体的に明らかにしている。
「危機を深める韓国財閥――噴出する資本主義の矛盾と高まる労働者の闘い」(山田明人)は、昨年来の韓国の経済危機を財閥に焦点を当てて分析している。この三十年余りの間に韓国は重化学工業を中心とする工業国家に変貌してきたが、それを実際に担ったのが財閥であった。財閥の経済的地位は圧倒的なものであり、韓国における支配階級(独占資本)として登場している。今回の経済危機はこうした資本主義的発展の中で蓄積された矛盾が噴出したものとし、労働者の闘いの方向についても言及している。
特集論文の他には、まず教育関係の論文が二つ。一つは、「『心の教育』中間報告を読んで――子育てに父親(父性)が参加すれば、解決するのか」(圷孝行)で、この三月末に発表された中教審の「心の教育」に関する中間報告を批判したものである。論文は「報告」を具体的に紹介しつつ、そのナンセンスさを明らかにしている。
もう一つは「中学生の刃物事件に思う――教育現場からの報告」(静岡・教育労働者)である。今年の二月に栃木県で「ナイフ殺人事件」が起きたが、著者は「いつ死傷事件がおきても不思議なことではなかった」と述べている。論文はちょうど同じ頃静岡で起きた「刃物事件」を詳しく紹介するとともに、その根底に「骨の髄まで」腐敗した資本主義があると糾弾している。現場からの報告らしく、その行間からは子供達を“荒廃”させる現代資本主義や文部省への激しい怒りが伝わってくる。
最後に、「商品の“物神性”の確認を――大谷禎之介氏の久留間批判は疑問」(林紘義)が掲載されている。大谷禎之介氏の「価値物」及び「価値体」についての見解(ドグマ?)に対する批判である(補論として里見氏と泉氏の「価値形態論」を批判した「価値体としての形態規定性!?」がつけ加わっている)。この問題は、『資本論』の冒頭部分の「商品論」の理解、とくに第三節の「価値形態論」と第四節の「物神性」にかかわる重要な問題であり、読者の興味をかき立てずにはおかないだろう。
本誌を一人でも多くの労働者・青年の手に広めるべく、読者の皆さんのご協力を呼びかける。
(Y)