『プロメテウス』32号(1998年12月)
特集・共産党の「暫定政権」構想批判
今号は共産党の「暫定政権」構想の批判を特集した。夏の参議院選挙で自民党が過半数を大幅に割り込む一方、共産党は議席を“前進”させた。彼らは、次の総選挙で「暫定政権」「よりまし政権」をつくる条件が存在する、当面の政局を打開するために安保も天皇制問題も棚上げした「暫定政権」づくりを呼びかけている。
今号はこうした共産党の提案を不破の提言、安保や天皇制論、フランスにおけるドゴールとの協調や東京のみのべ「革新都政」の経験など、様々な側面から批判・検討している。
まず、『不破哲三の連立政権・暫定政権論』(林紘義)は、不破の「社会発展の段階説」つまり現在は社会主義は問題にならない、民主連合政府や社会主義政権は「成立の条件がない」、ブルジョア政党や小ブルジョア政党との妥協の段階だという主張のぺてん的な本質を暴露している。そして安保「凍結」や「腐敗政治の根絶」の政権論、自民党以外の政党を事実上“善玉”と美化しブルジョア政党との「信頼関係」を築こうとするなど、共産党のブルジョア政党との協調主義を鋭く暴露している。
『「諸悪の根源」=日米安保を容認する共産党』(山田明人)は、これまでの共産党の安保政策を中心に論じている。共産党にとっては日米安保と闘うかどうかは、保守革新を分かつ“分水嶺”であり、“革新の試金石”であった。そうした立場から、八〇年代の社公合意や細川・村山政権を――自民党政治の継続政権――と批判してきたが、今回の「暫定政権」構想が細川・村山政権などのブルジョア政権と大差ないものであることを明らかにしている。
『天皇制と共産党』(八鍬匠)は、戦前の三二テーゼや宮本の天皇制論、戦後の「憲法国会」における野坂参三の“天皇制批判”、さらに民主連合政府における天皇制の容認など、共産党の天皇制についての議論を歴史的に総括している。共産党の歴史に貫かれているのは、「革命的社会主義」でなく「プチブル民主主義」からの批判であり、今回の「暫定政権」において天皇制を容認したのもこの党のブルジョア的堕落の必然的な帰結である、と結論している。
『ドゴールへ追随したフランス共産党』(田口騏一郎)は、第二次大戦末期から戦後にいたるフランス共産党の歴史的経験を総括している。四四年九月にパリが解放され、ドゴールを首班とする臨時政府が成立し、共産党から二人の閣僚が入閣したが、それはブルジョア支配を補完することであり、戦争によって疲弊したフランスのブルジョア的再建に手を貸すことであった。この経験は「現在日本共産党のとなえる『よりまし政権』の反動性」を明らかにするものである。
『「革新」自治体の経験と与党主義の破綻』(小島保雄)は、六〇年代後半に誕生した東京の「みのべ革新都政」の経験を分析したものである。当初は、全国の「革新自治体」の“お手本”と持ち上げられた「みのべ都政」とは何であったのか、この自由主義的知識人をどのように共産党は美化してきたのかが具体的に明らかにされている。
こうして五つの特集論文は、共産党の「暫定政権」論が結局ブルジョアジーとの協調政治にいきついていることを容赦なく暴露している。また、七六年と八九年当時の共産党の「暫定政権」を批判した社労党の論文、および八九年の共産党自身の「暫定政権構想」を参考資料として付け加えた。
それにしても、今回の提案の結末は全く“お粗末な”ものであった。彼らが提携の相手として呼びかけた小沢自由党は、呼びかけの数週間後には自民党との自自連立に走り、共産党の“想い”は見事に裏切られてしまった――残ったのは、共産党の小沢自由党への一方的な幻想と美化だけであった。もちろん、自由党のような反動政党に期待する方が悪い(労働者政党として完全な失格!)。今回の特集は、こうしたみじめな破綻をあらかじめ予測していたかのごとくである。
他に、今回は『迷走するロシア』(鈴木研一)、『東条英機を美化する反動派の策動』(圷孝行)が掲載されている。前者は「“市場経済幻想”破綻後の政治状況」を扱ったもので、最近の「改革派リーダー」の暗殺事件やマフィアの暗躍、そして民族主義や反ユダヤ主義、さらにはファシズム的な潮流の台頭について論じている。後者は、東条の『遺書』などを紹介しつつ、東条の人物像を明らかにし、映画『プライド』に見られる民族主義を煽る反動派の危険な策動を暴露している。
多くの労働者の皆さんの購読を呼びかける。
(Y)