『プロメテウス』第34号(1999年7月発行)
焦眉の労働問題を解明
失業問題、能力主義賃金など


 特集は「労働諸問題の解明」、田口騏一郎氏の「大失業の社会へ」、山田明人氏の「成果主義賃金と共産党」、平岡正行氏の「労働を卑しめるプチブル・インテリ」の三論文がそれである。

 周知のように、六月に発表された四月の完全失業率は四・八%(とりわけ男性は五%に達した)と調査開始以来の最悪の水準を更新、有効求人倍率は〇・四八倍、完全失業者数は三百四十二万人に達し二カ月連続で過去最多を更新するなど、失業問題は悪化の一途をたどっている。しかも次々と公表されるリストラ計画をみても分かるとおり、「産業競争力の再生」等を合い言葉に企業の人減らしはこれからが本番であり、失業者は今後ますます増大するものと予想される。

 深刻化する失業問題を受けて、八日に小渕政権は緊急雇用対策を盛り込んだ補正予算案を閣議決定、国会に提出した。総額五千億円超、政府は「七十万人を上回る雇用創出」だと自画自賛している。しかしなぜ五千億円超なのか、なぜ七十万人なのか。政府は倒産しても自業自得の腐敗した大企業や金融資本の救済には何十兆円という巨額の資金を注ぎ込んできたが、失業し路頭に迷う労働者へはたった五千億円程度しか拠出しないのだ。さらに失業者が三百万人を突破しているのに、雇用対策の対象はわずか七十万人ほどでしかない(しかも対策内容もどこまで実効性があるか疑わしい)。

 小渕は失業中の中高年労働者が職業訓練を受けているところを訪れた際、「リストラをした企業の株が上がる」「年功序列雇用の時代じゃない」などとのたまったが、雀の涙ほどの雇用対策といい、小渕の発言といい、資本の唱える「失業対策」などまるで信用できないことを教えている。労働者は資本の支配を根底から打破していかない限り、失業等の苦しみから逃れることはできないのだ。

 田口氏の論文はまさに現在の労働問題の焦点とも言える「失業問題」を取り上げている。急増する失業、資本のリストラの動き、その背景にある過剰生産の実態を具体的に分析すると共に、政府、資本の雇用対策の欺まん性、共産党の掲げる雇用政策が、資本のもとでも労働者の安定した生活がありうるかの幻想を振りまくものであること等を暴露、失業の根源は私的所有を基礎とした利潤目的の無政府的生産にあり、資本主義の克服に向けての労働者の闘いの必然性を明らかにしている。

 「失業問題」と合わせて、最近の労働問題の重要課題といえば、「成果主義賃金」の導入がある。資本は不況と厳しい国際競争のなかで、終身雇用や年功賃金の見直しを唱え、能力・成果主義の賃金・雇用管理の導入を推し進めてきたが、労働者を互いに競わせるなかで資本はいっそう搾取と抑圧を強めようというのである。

 山田氏の論文は、資本による「成果主義賃金」導入を批判する共産党系の学者・牧野富夫の主張を取り上げている。牧野は賃金問題で一番重要なことは賃金水準だと強調することで、賃金問題の本質である搾取関係を曖昧にしており、しかも成果主義賃金を批判するにしてもそれが公平・公正に評価されているか否かだけを問題にして、何か労働者にとり「理想的な賃金」が可能であるかに主張している。山田氏は牧野(共産党)の「賃金理論」が徹底して改良主義的なものであることを暴露している。

 以上二つの論文が現在の労働者の切実で現実的な問題を取り扱ったものであるとすれば、平岡氏の論文は少し異なる問題を取り上げている。氏が取り上げるのは、今村仁司というインテリの『近代の労働観』という本である。今村は労働と余暇を対置して余暇こそが人間本来のものだ、古代ギリシャの市民は食うための労働よりも哲学や政治が第一と考えていたが、これこそ正しい労働観である、社会主義者は「労働の喜び」を美化してきたが、それは正しくなかった等々と唱える。平岡氏は今村の主張が、自らは他人の労働に寄生して生活しているにもかかわらず、生産的労働こそが社会を支え存続させていることを忘れたプチブルインテリの立場であることを明らかにしている。こうした生産的労働を卑しめるプチブル的主張に対する批判も重要であろう。

 特集ではないが、林紘義氏の論文「『円の国際化』」は、「円の国際化」についての日本の現代ブルジョアジーの本音を暴露する議論を取り上げるという、重要な問題を取り扱っている。林氏はその頽廃したイデオロギーを徹底的に批判している。

 以上の論文の他に、鈴木研一氏の「末期症状呈するエリツィン政権」、宮台真司の教育論を批判した伊藤比佐男氏の「教育荒廃の原因は何か」、ボルケナウ、ウィットフォーゲル、アドルノらの思想を批判した横井邦彦氏の「フランクフルト学派」が掲載されている。

(TY)