『プロメテウス』第35号(1999年10月発行)
「グローバル資本主義」を特集
特集は「グローバル資本主義」である。グローバル資本主義を非難するジョージ・ソロスの理論を検討した林紘義氏の「ジョージ・ソロスは典型的な『ジキル博士とハイド氏』」、及び新自由主義を批判するポール・クルーグマンを取り上げた田口騏一郎氏の「クルーグマンの“新自由主義”批判」の二つの論文がそうである。
林氏がソロスの主張を検討するのは、ソロスが代表的な投機家であるとともに、現代資本主義=グローバル資本主義の危機を十分認識しており、その限りでソロスはグローバル資本主義の矛盾の一側面を暴露、告発しているからである。だがソロスにとりグローバル資本主義は唯一の体制であり、その欠陥や問題点を指摘しつつも、それらは人間の英知によって修正されなくてはならない、と叫ぶ。だから彼は「修正資本主義論者」であり「ケインズ主義の後継者」として登場する、と林氏は論じている。
また氏はソロスを評して、「彼は金融市場でとことんハイド氏としてふるまいながらも、市民社会がカネの論理によって支配され、蹂躙されるのに憤慨し、腹を立てる“人格者”ジキル博士なのである」と指摘しているが、これは現代の典型的なブルジョアの人物像としても秀抜であろう。林氏の論文は、現代の資本主義を理解する上で重要なものであろう。
続いて田口氏の論文だが、氏が検討するクルーグマンは最近注目されているアメリカの経済学者である。クルーグマンはサプライサイド経済学等の新自由主義、あるいは九〇年代のアメリカに登場し、やはり新自由主義的な「ニュー・エコノミスト」などを「無責任な幻想を振りまいている信用の置けない連中」等々と批判している。だがクルーグマンがそれらに対して持ち出すものは国家によるインフレ政策等であり、こちらもソロスと同様、ケインズ主義的立場を一歩も出るものではない。田口氏はクルーグマンの言う「金融資本の規制や財政的な政策」によって資本主義の安定的発展が可能であるというのは幻想である、と論じている。
特集に続く力作として、小幡芳久氏の「現代ブルジョア社会の病気と医療」がある。小幡氏は現代の多種多様と化した様々な医療現場の最前線を丹念に追いつつ、それらの矛盾や問題点を浮き彫りにしている。氏が取り上げる問題は、脳死や臓器移植、遺伝子診断などの先端医療技術から最近頻発している医療ミスの問題、さらにはインフォームド・コンセント等々どれも興味深いものである。読者はこの論文により、現代における病気が何によって規定されているか、何が矛盾をもたらす原因なのか等々を知ることができるのである。
次に田口弥一氏の「電子マネーをめぐる断章」がある。氏は最近もてはやされつつある電子マネーについて、電子マネーといっても、それは決して「貨幣に代わる」ものではなく、ただ単にそれを補完するにすぎないと論じている。最後に横井邦彦氏の「『教育』は『国民』にまで拡張されたが」がある。これは今夏の労働者学校で氏が報告したものをさらにいっそう充実させた論文であり、ブルジョア革命期における教育理論を中心に論じている。
(TY)