『プロメテウス』41号(2001年7月発行)
「財政危機」を特集
財政崩壊の現状と歴史の教訓


 膨れに膨れて今や六百六十六兆円という途方もない額にまで達した国と地方の公債残高――現在の日本の政治的、経済的な焦点である深刻な財政危機問題を特集した『プロメテウス』第四一号が発行された。

 「腐り行く資本の国家――財政危機の現状と歴史の教訓」の表題にあるように、今回の特集は財政危機の現状を分析した平岡正行氏の「世界一の借金大国・日本――財政破綻とこの国の行方」、田口騏一郎氏の「国家財政の破綻と財政投融資――国家の行・財政の膨張を促進させた財政投融資」、一九三〇年代の歴史的経験とその教訓を明らかにした林紘義氏の「井上財政から高橋財政へ――戦前の教訓はいかに学ばれるべきか」からなっている。

 平岡論文は、バブル崩壊を契機としたこの十年に及ぶ長期不況のなかで、政府・自民党は野党諸党の事実上の協賛のもとに、「景気浮揚」のため、「金融システムの維持」のためと称して、公共事業の拡大や銀行・大企業救済のために国家財政を湯水のように投入、その財源を国債・地方債の野放図な発行でまかなってきたが、その結果が現在の国民総生産をはるかに上回る恐るべき財政赤字の累積だとして、その過程を克明に跡づけている。

 平岡氏は、この狂気じみた財政膨張政策は今もって本格的な景気回復をもたらすことができずその破綻を完全にさらけ出したこと、また国債暴落といった新たな困難も予想されることを明らかにしている。

 さらに小泉内閣の登場にも言及して、それが国家財政の決定的な崩壊を危惧する大独占の意向を反映したものでもあること、小泉の「行財政改革」もまた矮小で欺瞞的なものに終わらざるを得ないであろうことを指摘し、いずれにしても財政危機のブルジョア的な解決の方法は増税かインフレに帰着する他ないと結論している。

 田口論文はこの財政危機の現状を今や「第二の予算」と呼ばれるほどに膨れ上がった財政投融資の側面から分析したもので、平岡論文と相まって文字通り「腐り行く資本の国家」の退廃と危機を浮き彫りにしている。

 田口氏は、財政投融資がインフラの整備などの面で戦後日本資本主義の復興と発展に一定の役割を果たしてきたことを明らかにした上で、今ではそうした積極的な使命を失って政財官の群がる巨大な利権の巣窟と化し、国家の財政危機にいっそう拍車をかける癌となっていることを明らかにしている。

 田口氏はその典型的な現れとして@郵貯や年金積立金などを原資とした財投資金による国債の購入A特殊法人の肥大化とそこへの資金の垂れ流しの二つを取り上げて論じている。とりわけ、特殊法人の破産と政財官の癒着の構造、また今年度から始まった財投機関債や財投債の発行を軸とした新制度について詳細な分析がなされており、小泉内閣の目玉である郵政民営化や特殊法人改革の行方を考える上で重要である。

 林氏の論文は、一九二九年〜三一年の金輸出解禁(金本位制への復帰)から再禁止(金本位制からの最終的な離脱)に至る二年間余、いわゆる井上財政から高橋財政への歴史的な転換の時期、この「戦前の日本の“進路”を確定した決定的な時期」(林氏)に焦点を当てて、戦前の財政史の貴重な経験とそこから学ぶべき歴史的な教訓を明らかにしている。

 林氏は、この時期に直接につながる第一次大戦後の反動不況、それに追い打ちをかけた関東大震災、そして二七年の金融恐慌の勃発に至る前史から論を起こしているが、一読してまず驚かされるのはその間の十年間と最近の十年間とがあまりにも酷似していることである。

 具体的な歴史的状況はもちろん違うが、大戦景気によるバブルの形成とその破裂、巨額の不良債権の発生と不況の深化、国家財政の支出によるなりふり構わぬ資本の救済、その結果としての過剰生産の温存と不況の慢性化、そして国家の財政危機の進行等々、これは九〇年代のバブル崩壊後に我々が経験したことと本質的に全く同じである。

 日銀融資の損失を補償するための国債の増発や「公的資金」の投入による震災手形に代表される不良債権の肩代わり等々、その手法まで現在とそっくりのやり方で進められた企業・銀行救済の財政膨張政策が破綻し行き詰まるなかで、いわば“国民的輿望”を担って登場するのが浜口民政党内閣である。

 蔵相に井上準之助を据えた浜口内閣は緊縮財政と金解禁をテコにしたデフレ政策で企業の“水膨れ体質”を一掃し、徹底した「合理化」と「財界整理」を推進し、インフレ政策で人為的に温存されてきた過剰生産を解消することによって“健全な資本主義”を取り戻すことを夢想し、まさに「聖域なき行財政改革」の断行に乗り出したのであった。

 しかし、折からの世界大恐慌の勃発という悪条件も重なって、浜口内閣のこの試みは不況をいっそう深化させ、失業の激増と農村の疲弊をもたらす結果となり、今度はいわば“国民的怨嗟”を背負い込む形で挫折を余儀なくされたのであった。

 代わって登場するのが高橋是清を蔵相とする政友会内閣で、高橋は直ちに金輸出の再禁止を行い、公共事業と軍事費の拡大を柱とする財政膨張政策による不況克服およびその財源をまかなうための赤字国債の発行というインフレ政策へと転じた。

 高橋財政下の軍需経済の拡大で景気は回復するが、中国侵略の本格化と相まって軍部の独走が顕著になってきた。インフレの高進を恐れる高橋は軍事費の抑制を唱えて軍部の恨みを買い、二・二六事件で暗殺される。そして、この後、日本は歯止めなき軍事インフレ財政へと突入していく。

 林論文はこの過程を詳細に分析し、井上財政から高橋財政への転換の意義を明らかにし、その歴史的な必然性を論証している。ここでも我々はこの転換に伴って交わされた当時の論議がほとんどそっくりそのまま現在再現されているのに一驚を禁じ得ない。

 林氏は「戦前の歴史の総括からも明らかなように、また戦後の経験からも明白であるが、デフレ的政策といい、インフレ的政策といい、ともにブルジョアジーが状況に応じて使い分ける、ブルジョアジーの典型的な政策であり、経済に対処する政策である」と総括し、次のように結論する。

 「自覚した労働者は、デフレ政策よりもインフレ政策のほうがいいと労働者を瞞着し、ブルジョアジーの召使いの地位に労働者を留めようとする共産党などに反対し、デフレ政策でもインフレ政策でもない要求を、つまり資本の支配の廃絶という革命的要求を掲げるのである」

 「歴史は二度繰り返す、一度目は悲劇、二度目は茶番」(マルクス)の伝で、浜口内閣気取りの似非内閣が誕生し、さんざん幻想を煽っているが、小泉の「聖域なき行財政改革」に対する正しい評価を下す上でも、今回の特集三論文は重要である。

(町田)