『プロメテウス』45号(2003年5月発行)
「預金通貨論」を特集
ケインズ貨幣論、銀行学派の批判


 今号では「預金通貨論」批判を特集している。

 現代のブルジョア経済学はケインズ経済学を一つの理論的支柱としている。ケインズ主義は、衰退しつつある資本主義経済を“修正し”、没落から救済することを目指している。その主要な手段となっているのは国家による金融の「統制」である。ケインズは、貨幣供給や利子率や投資・貯蓄に対する国家の「統制」を、資本主義を持続的発展に導くテコとして持ち上げているのである。

 ケインズの理論によればこうである。貨幣の供給増加は利子率を低下させるであろう。低下した利子率は起業者利得を拡大し、投資への刺激となる。貨幣供給の増加はまた物価を引き上げ、実質賃金を引き下げる傾向がある。それはまた新規投資を誘発するだろう。投資の増加は雇用を拡大し、国民所得を上昇させるであろう云々。

 以上のようにケインズ主義においては貨幣(通貨)の総量を国家が管理・統制することが経済発展の重要なカギとなっているのである。したがって、ケインズが『貨幣論』で述べた「預金貨幣」の概念の検討は、ケインズ主義に依拠する現代ブルジョア経済学の批判にとって一つの重要な課題である。

 林紘義氏の「ケインズの『預金貨幣』論」は、ケインズの貨幣に対する俗流的観念を徹底的に批判している。

 論文は、まずケインズの貨幣論を次のように要約している。

 ケインズにとって貨幣とは、なによりも計算貨幣である。すなわち貨幣は、商品の価格や債務を表示するものである。商品に対象化されている抽象的一般労働としての価値の尺度や価格の表現としての貨幣ではない。ケインズにあっては、もともと価値とは関係なく価格があるのであって、これを表現する道具としての貨幣なのである。こうした商品の価格や債務を表す計算貨幣があって、そこから銀行貨幣が生まれ、彼の言う「本来の貨幣」、国家貨幣が発展してくるとされる。銀行貨幣としては銀行券と預金があるが、銀行券は中央銀行券に、やがてこれは国家貨幣に転化するとされる。一方、国家貨幣は管理通貨制度のもとでは実際には中央銀行券となる。かくして、現在あるのは、銀行券としての預金、国家貨幣としての中央銀行券である。そして中央銀行券が現実として、預金としてもきわめて接近した存在であり、事実上、区別をつけることはできない。流通貨幣の総量は、かくして公衆の手にある現金(中央銀行券)と、銀行券の預金から構成されるのである。ここには、ケインズの貨幣論の無概念とそしてまた預金を「貨幣」と見なす根拠が示されている。

 次いで論文は「計算貨幣としての貨幣」、「債務の承認としての貨幣」など具体的にケインズのブルジョア的俗流意識に基づく価値論なき貨幣論の本質を明らかにしている。

 ケインズは企業等が銀行に預けている預金で支払をする、もしくはすることができるということから、預金を「貨幣」として見なしている。これについて、論文は「ここでは、銀行にある貨幣が何よりも貸付け資本、利子生み資本としてよりも、単なる『貨幣』つまり流通手段としての貨幣としてとえられているのであり、ここにこそ『預金貨幣』(預金通貨)の理論の本質的特徴が、したがってまたその根底的な意味があるのである」、「銀行の手許にある貨幣は、社会のあらゆる遊休資本が集積されたものであり、何よりも一つの社会的な貨幣資本、利子生み資本であり、そうしたものとして存在し、貸し出されるのである」と、「預金通貨論」の誤りを批判してる。

 預金を「通貨」と見なすケインズ的見解は、日本においても戦前、戦後を通じてブルジョア経済学者のみならずマルクス経済学者にも影響を与えてきた。最後に論文は戦前の見解として中谷実、高田保馬、そして戦後の代表的見解として岡橋保、渡辺佐平、麓健一をとりあげ、その俗論的本質を暴露している。

 「通貨預金」論は、銀行学派の「資本の前貸し」と「通貨の前貸し」の概念を批判した『資本論』第三部二八章をいかに解釈するかの問題と深くかかわっている。この章はエンゲルスがマルクスの「草稿」を書換えたり削除したりして編集した部分である。しかし、エンゲルスはマルクスの意図とは異なる形で、書換えや補筆を行っており――しかも、しばしばそれを明示することなく――、そのため難解であり、解釈をめぐって論争されてきた。

 田口騏一郎氏の「マルクスによる銀行学派の批判」は、「草稿」によりマルクスの銀行学派の批判の意味を明らかにするとともにエンゲルスの「修正」について検討し、それがマルクスの見解と異なり、それを歪めるものであったことを明らかにしている。

 近代経済学の「通貨預金」論は、国家の金融、財政政策によって資本主義の物価や景気を統制・管理しようとする意図と結び付いている。この意味で「預金通貨」についての批判は、現代のブルジョア国家の経済政策の根本的批判に通じる重要な問題である。多くの労働者の購読を期待する。

(G)