『プロメテウス』50号(2007年4月発行)
特集・「改憲策動といかに闘うか」


「憲法」を特集――改憲策動粉砕の武器に

 現在、憲法問題が政治闘争の一つの重大な課題として登場しつつある。安倍政権が、憲法改定を自らの最大の政治課題と押し出しているからである。

 安倍政権の改憲策動の根底には、日本ブルジョアジーの帝国主義的ブルジョアジーへの転化がある。日本独占資本は世界の隅々にまで資本を投下し、海外に巨大な財産、権益を持ち、日本のみならず何百万の海外の労働者を直接搾取する帝国主義ブルジョアジーへと転化した。

 憲法改悪にかける安倍政権の意図は、日本を軍国主義、帝国主義国家として再編していくことである。安倍が現行憲法は「国と国民を自分たちで守るという精神を欠いている」といって、憲法九条を変えて軍隊の保有や軍隊の海外派遣の明記を謳うのは、日本が公然と軍国主義、帝国主義国家として振舞おうとすることに他ならない。

 一方、国民に対しては「国を愛するのは当然」だといって“愛国主義”を強要する。そして現行憲法には自由や権利のことばかり書かれていて、責任や義務が疎かになっているといって、国民の「責任と義務」が強調される。安倍政権は、“愛国主義”や国民の「責任と義務」を煽り、ブルジョア国家の下への国民の統合を強めようとしているのだ。

 これに対して共産党や社民党は、現行憲法の民主主義、基本的人権、平和主義を「人類普遍の原理」だと持ち上げ絶対化している。しかし、現行憲法を絶対化する彼らの主張がいかに無力であったかは、軍隊の保持を禁じた“平和憲法”の下でも、自民党政権が世界有数の強力な軍隊を作り上げてきたこと一つとってみても明らかである。

 本号では、憲法問題について五つの論文を特集している。

 小幡芳久氏の「日本国憲法」では、共産党ら護憲派が「人類普遍の原理」として持ち上げている憲法の原理は資本の支配を前提したものであるとそのブルジョア的本質を明らかにしている。筆者は「民主主義の体制は、利潤を求める資本の自由な経済活動を保障し、資本による労働者の搾取を決して否定しない。……だからこの体制から『貧富の格差』や『利己主義』が生み出されるのは避けられない。それゆえまた、『自由』な『民主主義』体制は、労働者の『権利』や利益を守る闘いを生むとともに、これを『利己主義』として排除しようとする反動派の策動を生み出すのであり、その温床になっている」と述べている。

 また、戦後憲法の制定以降、現在までの共産党の憲法“闘争”を論じた平岡正行氏の「日本共産党と憲法」は、「現憲法の全ての条項を厳格に守る」と宣言し、かつて彼らが否定してきた天皇制を認めたり、「自衛権はすべて国がもっている固有の権利」などといって自民党らと一緒になってブルジョア軍隊を認め、愛国主義を振りまく頽廃振りを暴露している。

 林紘義氏の「一八四八年のヨーロッパ革命と『憲法』」は、当時のフランス、ドイツの革命を背景に、マルクスの「憲法」についての思想と理論を検討している。筆者は、マルクスの“憲法戦役”の考察を通してブルジョア憲法の意味について、「憲法とはブルジョア社会の“最高の”法規であって、それは資本の支配を本質的に総括するものであり、そしてその規定は根本的に、それ自体としての精神的、道徳的な契機ではないし、ありえないのであると、ブルジョア憲法の本質を喝破している。読者は、論文からマルクス主義の憲法に対する理解を深めることができよう。

 山田明人氏の「現行憲法の成立過程を検証する」では、戦後の憲法制定当時の政治を暴露することによって、戦後憲法がアメリカ占領軍の「押し付け」であるという反動派の主張の欺瞞を明らかにしている。実際、当時、反動派が持ち出した憲法草案は、天皇の大権を承認するなどほとんど明治憲法を踏襲したものであり、「実際は天皇の大権を保持しようとする連中にとっての『押し付け』で」であったに過ぎないのであると、反動派がいう日本“固有の”憲法の本質を暴露している。

 その他、田口騏一郎氏の「経済大国から軍事大国へ」では、対日講和による日本独立から現在にいたる改憲派の策動を論じ、現在の改憲策動は戦後日本資本主義の発展や腐朽化、頽廃の過程を反映であることを明らかにしている。

 憲改憲策動と労働者は闘い抜いていかなくてはならない。そのためには、憲法とは何か、その意味、何故改憲なのかその意図と背景についての理解が不可欠である。本誌が、労働者の闘いの発展にとって意義あるものと確信する。多くの労働者、青年、活動家の皆さんが本誌を購読されるよう訴える。

(田口)