『プロメテウス』52号(2009年10月発行)
特集・鳩山政権の錯誤
自民党の“悪弊”を拡大再生産
民主党政権が誕生して始めての国会(特別国会)が開催された、まさにその時に合わせたかに、民主党政権とその政治、政策を根底的に、また批判的に検討した『プロメテウス』五二号(特集、「鳩山内閣の錯誤――自民党の悪弊を拡大再生産」)が発刊されたことをお知らせできることは、我々にとってもうれしいことである。
鳩山政権の化けの皮は今や急速にはがれ落ちつつあり、この政権に対する当初の期待や幻想は春の淡雪のように溶けて消え去りつつある。我々はこの偽りの政権に対する、徹底的な批判を継続し、状況に応じて、『プロメテウス』でも第二弾、三弾の特集を組むことを予定している。
鳩山内閣は成立してわずか一ヵ月余にして、すでに「内閣の体をなしていない」と言う声が上がり始めるほどに、支離滅裂で、混乱した様相を呈し始めている。
それはもちろん、この政権がたまたま自民党権力の頽廃と衰退に助けられて、ただそれだけの理由で成立したにすぎず、政権担当の能力はもちろん、その資格さえもないこと――小沢、鳩山に代表される金権体質を見よ――から、当然の結果として出て来たのであった。
一体鳩山政権とは何であろうか。自民党に代わる、「より増しな」政府であろうか、そんな風に評価するのは正しいのであろうか。
一見して、鳩山政権は麻生政権よりはるかに増しに見える。壮大なムダとなってきたダム建設や道路建設にストップをかけ、政治の対象を、カネを「コンクリートから人に」に転換させようとしているし、官僚と官庁の腐敗にメスを加えようとしている。どうして「より増しな」政権でないわけがあろうか。
しかし我々はこうした見解に断固として異を唱えるものである。
というのは、あれこれの政権の性格や意義を「より増しか、そうでないか」という基準で測ろうとするなら、不可避的に袋小路に入り込んでしまうからである。例えば、公共事業と子育て支援と、どちらが「より増しか」という風に問題を立てれば、それが行われる時代や時期、その政策対象となる人々、政策目標に対する効果等々によって異なり、簡単に結論を出し得ないからである。
景気回復にとって公共事業と子育て支援とどちらが「増し」か。即効性でいうなら、公共事業であることは多くの人が認めるであろう(もちろん、このどちらの方法をとろうとも、その“効果”といったものが極めて一時的で、狭い範囲、限定された意味でしか言えないことを確認した上での議論であるが)。
そして「少子化対策」としてはどちらが「増し」かと聞けば、大多数の人は、子育て支援と言うに決まっている。
そしてどちらがはたして、よりムダかというなら、議論が別れるだろう。民主党は公共事業の方がムダときめつけるのだが、しかし子育て支援はどんな高所得の家庭にも支給するというのだから、それが「ムダ」でないことを(少なくとも、大きなムダを含んでいることを)論証することは決してできないだろう。
公共事業と子育て支援の二つの政策を取っただけでも、どちらが「より増し」かを言うことはできないのである。そもそも民主党政権の方が「より増しだ」という共産党などは、民主党政権が自公政権をはるかに上回る規模とスピードで財政崩壊に向けてつっ走っていることをどう評価するのか。
共産党は、財政崩壊が労働者人民の生活破壊に、苦境につながっていないとでも思っているのだ。もしそうでないとするなら、どうして共産党は、国家財政を破壊に追い込むような鳩山政権を「より増しだ」などと評価できるのか。
それとも共産党は、ブルジョア国家財政を崩壊させた方が労働者革命を接近させる、とするなら、“財政健全化”を謳う政党より、そんなことを全く気にしないでバラまきにひたすら励む民主党政権の方が「より増しだ」とでも主張するのだろうか、そんな主張をしていいのだろうか。
そしてバラまき政治について言うなら、自公政権よりも民主党政権の方がはるかに大規模であり、徹底している。麻生内閣は一万二千円(もしくは二万円)の国民全体に向けたバラまき(国民給付金)を一回しただけだが、鳩山政権は子育て支援の名で、十数兆円という途方もないバラまきを今後毎年続けていくというのである。
諸政党をとっても一体どの政党が「より増しだ」というのか、自民党か、公明党か、民主党か、共産党か。問題がどちらが少し増しか、あるいは少し増しでないかではないことは余りに明らかではあろう。
労働者は、諸政党の政治を評価するに、「より増しか、そうでないか」という基準から接近してはならないこと、すべきでないことは、かくして明瞭になるのである。
我々が民主党政権とその政治を評価するのは「より増しか、そうでないか」と言った、自由主義的、共産党的な(プチブル的、“スターリン主義的な”)卑俗な方法論からではなく、マルクス主義的、唯物論的な方法からである、つまり諸政党とその政治の評価を一貫して階級的観点から、あるいは階級的に性格づけることによって行うのである。
自民党や民主党、共産党の政治はその階級的根源に還元され、規定され、評価されるのであって、基本的に善悪とか、より増しだとか、より劣っているとかの問題ではないのである。
かくして、我々が『プロメテウス』五二号で民主党の政治を評価するにあたって適用するのは、この観点、この方法論である。
そして我々は、民主党政権の具体的な実際の政策に基づいて、この評価を行うのである。
民主党政権の現実を見ても、鳩山は「政治主導」の掛け声ばかりは熱心だが、実際にはほとんど主導権を発揮しないばかりか、どんどんマニフェストの立場からの後退を余儀なくされている。そしてなお悪いことは、その後退を、国民が望んでいるからだとか、状況が変わったからだなどと正当化し、あまつさえ、マニフェストに背くことなど大した問題ではないかに語り始めている。
鳩山政権はすでに子供手当て政策でも、農家に対する戸別所得補償でも、米軍基地返還問題でも、郵政民営化の逆行でも、つまりいたるところで、その無意味さや反動性や自民党政権と何ら変わらない本性を暴露してきているのである。
我々は『プロメテウス』五二号で、鳩山政権を多くの側面から検討し、その本当の姿を、その階級的性格を、その諸政策がいかに反動的であるかを、またその党の体質がいかに堕落しており、金権的であるかを――自民党に優るとも劣らない金権ぶりを――暴露する仕事に取りかかったのである。
もちろん『プロメテウス』今号は、民主党の政治のほんの一部を分析し、批判し、告発しているに過ぎず、第二弾、第三弾も準備していくつもりである。
多くの読者の皆さんも、ともにこの仕事に取りかかり、自公政権ばかりか、民主党政権をも断固として一掃し、労働者の階級的闘いを発展させ、深化させて――労働者の最終的解放に向けて――行こうではないか。
その出発点として、『プロメテウス』を広く労働者の中に持ち込み、広げて行く必要があるのだ。多くの読者の皆さんのご協力を呼び掛けます。
(W・H)
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