『プロメテウス』57号(2013年8月発行)
特集・資本主義の下での社会保障の限界と欺瞞
同志会の「社会保障」論を特集
資本の社会保障批判を通して未来を展望
先頃、国民会議の報告書が提出され、「高齢者中心型」から「全世代型」に転換するとか謳われているが、実際の中身は給付の切り下げや労働者負担の増大にすぎず、「抜本的改革」とはほど遠い内容である。政府は「大綱」を決め、法案化を進めると言うが、「痛み」を強要するばかりで何の期待も持ち得ない。社会保障をどうとらえ、闘っていくべきかということは労働者、勤労者にとって大きな課題の一つになっている。
こうした中で今回の『プロメテウス』57号は、「資本のもとでの社会保障の限界と欺瞞――我々は労働者の社会保障をいかに論じてきたか」という特集を組み、我々が社会保障をどう論じてきたかを整理・編集し、その原則的な立脚点を明らかにしようとしたものである。
特集は、三編構成になっており、第一編は「社会保障の歴史と概念を問う」、第二編は「行き詰まる年金制度と闘いの方向」、第三編は「医療・介護問題を考える」である。掲載は発表された論文を時系列順に並べたもので、我々の主張の発展と深化をたどることも出来るようになっている。
第一編は社会保障の「歴史と概念」を扱っているが、「崩れゆく“福祉国家”幻想――“社会保障”の歴史と現実」では、福祉もしくは社会保障という概念は「ブルジョア社会の産物であり、その意味では全く歴史的な観念である」と規定している。
同論文は「前史」としての1601年イギリスの「救貧法」以来の歴史をたどり、近代的な社会保障制度は、19世紀末のドイツ、ビスマルクのもとで始まったが、「それはまさに専制政府の労働者への買収と懐柔と“体制内化”のための政策であり、その意味では徹底して欺瞞的なものであった」とする。
第二編は年金問題中心である。「負担増と給付減の強要だけ――年金“改革”問題と資本主義」では、社会主義においては「老後」という言葉自体が“死語”となり、また「年金」といった概念そのものが存在しないと喝破する。
「というのは、すべての人が“労働者”(つまり社会的労働の一環、その一部を担う直接に社会的な存在)になるからであり、そしてその労働に応じて分配を受けるからである。ここでは『働かざる者食うべからず』という原則が、自然のものとして存在しているのであり、従って労働能力を持つ人間である限り『老後』などという奇妙な概念は存在しないし、存在のしようがないのである」
こうした主張は、年金制度の技術的なあり方に拘泥して不毛な議論を繰り返してきた与野党(自公民や社共)に対する、さらには「世代間対立」を煽る維新の会などの主張に対する痛烈な批判であり、労働者勤労者の闘う方向を示している)。
そして冒頭の「巻頭言」、「ブルジョア年金制度を廃絶せよ」では、社会保障の矛盾を集中的に露呈する現行の年金制度は「今やその解体こそが問われる段階に来た」とし、不合理の固まりのような現行年金制度を解体し、廃絶すべきと呼びかけている。そこでは共同体の原則に改めて立ち戻りつつ、「自ら働くことが可能なのに、生活の保障を他人の、子や孫らの労働と負担に依存するのは卑しいことである」、「働かざる者食うべからず」の共同体的原則に立ち戻れと強調している。
第三編は医療・介護さらには生活保護や障害者福祉の論文が収められている。また、T・クーンの「パラダイム論」を批判した「科学の客観性を否定する相対主義的観念論」という哲学論文も掲載されている。
本書は、安倍政権による「痛みを伴う改革」が現実化しようとする中で、社会保障をどう位置づけ、どんな展望で闘っていくかを明らかにしている。
(全国社研社刊・800円+税) 全国の書店で注文できます。
(『海つばめ』1268号(2013年8月25日)掲載)