ジョージ・オーウェル■「動物農場」
スターリン主義を諷刺……動物たちに人物を重ねる
1983年8月28日「火花」第603号
スペイン内乱で、カタロニア地方におけるPOUM(反スタ“マルクス主義”党)に対する共産党の汚ならしいデマや弾圧(フランコとの闘いの最中にもかかわらず!)をまのあたりにし、『カタロニア讃歌』でこれを暴露したオーウェルは、負傷して帰国してからも、スターリニズムの権力主義を暴露する小説を、戦中、戦後に表した。それが『動物農場』であり、『一九八四年』である。後者がSF風の長編小説であるのに対し、前者は、ブタが主人公の寓話形式をとっている。
この有名な小説のプロットについては、多くを語る必要はあるまい。我々はロシア革命から第二次大戦を経て、ソ連が西側帝国主義列強によって東側の盟主として認知されるまでの過程を思い浮かべればいいのである。そして、登場人(豚?)物を歴史上の人物にオーバーラップさせてみればよい。例えば、メージャー爺さん=レーニン、スノーボール=トロツキー、ナポレオン=スターリン、その他、ナポレオンが手なづけた9匹の猛犬=GPU(KGB)、馬のボクサー=トゥハチェフスキー、ジョーンズ氏=ツァーリ、羊たち=コムソモール等々。そして事件も同様である。スノーボールの逃亡=トロツキーの亡命、風車の建設=五ヶ年計画、ナポレオンとフレデリック氏の取引=独ソ不可侵条約等々。
だがこの小説を、スターリン主義とその体制に対する革命的な批判と見ることはとてもできないであろう。オーウェルは、POUMに入隊していた経歴もあって、トロツキズムへの一定のシンパシーをもっていたかもしれないが、彼自身は決して社会主義者でも共産主義者でもない(どちらかといえば、自由主義=アナーキズムに近いだろう)。彼はこの小説において、ソ連とスターリン主義者に典型的にあらわれた権力主義、権威主義を痛烈に諷刺したのであり、だからオーウェル自身はソ連を念頭においてこの小説を書きあげたにもかかわらず、例えば開高健氏のように、この寓話をファシズムへの批判(ナポレオン=ヒトラー、スノーボール=レーム、ボクサー=ロンメル等々)と読むこともできるのである。
だが、一読すればわかるように、この小説は、スターリン主義を暴露し、その権力主義を糾弾しているにもかかわらず、どこかユーモラスで明るい。それはおそらく、オーウェルが「インテリ嫌いで、熱烈な大衆礼讃者」(解説より)であることに帰因しているのかもしれない。『一九八四年』においてもそうだが、オーウェルはスターリン体制のような権力主義的な体制もいつかプロレタリアートによって打倒され、社会主義の理想が実現されると考えていた。
「動物たちはけっして希望を捨てなかった。……メージャー爺さんの予言した動物共和国は、いまだにその到来が信じられていた。いつの日か必ずやってくるであろう。近い将来ではないかもしれない。今生きている動物たちが、みんな死んでしまった後かもしれない。しかし、それでも、やがては実現するはずなのだ」、という一節は、オーウェルのいわば信条告白ということができはしないか。
そしてまた、こうした健全さをもっていたからこそ、『動物農場』のような諷刺も可能だったといえよう。終章で動物たちのスローガン「四本脚よい、二本脚悪い」がいつのまにか「四本脚はよい、二本脚はもっとよい」にかわり「すべての動物は平等である。しかし、ある動物は、ほかのものよりももっと平等である」という戒律があらわれ、ナポレオンが二本脚で立って、服を着、ピルキントン氏(ドイツ皇帝)とビールで乾杯してトランプを楽しむという場面は、まさに今日の国家資本主義官僚の姿そのままである。そして最後にピルキントン氏の演説はまさに秀逸である。彼はいう、「みなさま方には、相手として戦わなければならない下層動物がおありだ、ということになりますれば、わたくしどもの方には、下層階級というものが、ちゃんと控えておりますよ!」(Y)