ヴァスコ・プラトリーニ「貧しき恋人たち」
イタリアの民衆の抵抗……“前衛”の弱さも反映

1983年10月2日火花608・9号


 この小説は、ファシズム下のイタリアの“民衆”の生活や愛や闘いを描いたものである。時代は1925年から27年にかけてのわずかな間である。
 1920年の大闘争で労働者階級が敗北したあと、イタリア・ファシズムは1922年10月の“ローマ進軍”を脅迫の手段に“無血クーデタ”で権力を握るが、その特有の弱さのために1926、7年頃まではブルジョア民主主義的合法性とある程度妥協せざるをえず、ドイツ・ナチスのような強固な独裁体制を確立することができなかった。1924年の総連挙で多数派を得ようとテロルと不正の手段に訴えたが、これは社会党代議士マテオッティの徹底的に非難するところとなった。ファシストは彼を許しておくことができず暗殺したが、かえってそれは労働者人民の広汎な憤激と反撃をよびおこし、ファシスト支配は激しくゆさぶられ、数ヶ月間もの“体制危機”が生じたのであった。
 しかし生れたばかりの、しかも“極左”主義(ボルディガ主義)にわざわいされていた弱体の共産党はこの有利な状況を利用することができず、他方ファシストはこの教訓に学んで、あらゆる反体制派への弾圧を強め、強固な独裁体制へと移行していく。小説の背景となる時代はまさにムッソリーニ(小説では『彼』の名で呼ばれている)が反対派や共産党の弾圧を強めていったこの時期に重なる。
 小説の舞台となるのはフィレンツェの“コルノ街”というある労働者地区(下町)であり、「恋人たち」とは、この下町で“天使たち”と呼ばれて育った四人の娘たち(人夫の娘のクラーラ、駄菓子行商人の娘のビヤンカ、督税吏の娘ミーナ、掃除夫の娘のアウローラ)と、その恋人たち(鉄道員や印刷工や靴職人など)である。これらの恋人たちや夫婦の物語りがあやになり、全体としてこの時代のイタリアの生きた歴史となっているのである。
 これらの“民衆”は本能的にファシズムに対して敵対的であり、コルノ街の唯一のファシスト、計理士のカルリーノを恐れいみ嫌っている。コルノ街の“民衆”の闘いを自覚的に代表するのは、元人民突撃隊員のコルラード(愛称マチステ)である。人民突撃隊とはファシストのテロルと闘うために1921年に自然発生的に組織された労働者の戦闘隊である(ボルディガの共産党は労働者に、すぐにそれから脱けて“自分たちだけの”行動隊を組織するよう強要した)。
 マチステはファシストたちの“第二波”の攻撃に際し、暗殺の対象とされた人々の名簿を知り、サイドカーでそれらの人々に知らせてまわっているうちにファシストの“懲罰隊”と遭遇、ファシストに追いつめられて射殺される。しかし彼はこのことによって、コルノ街の住民の抵抗のシンボルとなり、彼の闘いはもっと若い人々にうけつがれていく。
 登場する人物は、決して「恋人たち」や自覚した闘士や単純な労働者たちだけではなく、身寄りのない“マダム”という奇怪な老女や、ネージという石炭商の不潔なブルジョアや、ファシストや娼婦もおり、要するに“下町”のすべてのタイプである。
 ファシズム下で抵抗を開始したイタリアの“民衆”の闘いの一断面として、この小説は貴重であり、意義あるものであるが、しかし自覚した労働者の前衛を描いたものとしては大きな不満の感じが残るが、これはまた、この当時の、そして現在のイタリア共産党の限界の反映であろうか。
 例えば蹄鉄屋のマチステについて作者はこういう。「マチステよ、おそらくおまえは『資本論』のただの一行も読みはしなかったろう。その本を見ただけでおまえは、いつも眠くなった。おまえが、かつて人民突撃隊員になったのは、剰余価値の理論のためか、それともおまえの心がうずいたからか?」。
 もちろん「資本論」を読んだ読まないは本質問題ではないがこのように問題をたてることはイタリア共産党の弱点である、革命理論の弱さの(従って実践的な動揺と日和見主義への移行の)正当化にしか行きつかないことは明らかではないだろうか。事実、このときに始まったイタリア共産党の非合法活動は、1943年頃からの労働者人民の偉大な蜂起と結びつきながら、ついには実りないものとして終ったのではあった。
 (至誠堂刊、上、下)(H)