アプトン・シンクレア「ジャングル」
すさまじい“暴露文学”――資本の下でほろびる労働者群
1983年10月16日「火花」第610号

 1906年に出版されたこの書物は、アメリカで1902年の頃から8年頃まで続いたいわゆる「暴露と抗議の文学」の時代を代表する小説であり、前編ではシカゴの缶詰トラストのあくなき搾取と腐敗と非人間性を描き、後編では“民主政治”の本質と資本の政治のからくり及び資本の支配する社会全体をあばいて余すところがない。
 19世紀末から20世紀初頭といえば、アメリカ資本主義が急速に、飛躍的に発展し、金融独占トラストの寡占支配が形成された時代、資本による労働者人民の搾取が何十倍にも強められ、労働者人民の反抗が、人民主義(ポピュリズム)、革新主義(プログレッシィヴ)、社会主義等の運動として大きく展開された時代である。
 シンクレアは社会主義者としては余り信用できそうもないが(フェビアン主義を信奉していたといわれる)、時代的風潮の中で社会正義と人道主義を求めて、あくなき資本の労働者抑圧と搾取を告発し、この「ジャングル」をはじめ、炭坑ストをめぐる「石炭王」、新聞界の腐敗をあばく「真うち札」、ハーディング政府のスキャンダルを描く「石油」、そしてサッコ・ヴァンゼッティ事件をめぐるボストン社会の偽善を告発した「ボストン」、アルコールの害を描いた「酒」、そして戦後の大作「ラニー・バッド」など多くの資本主義批判の文学を残している。
 ヨウリスとオーナの結婚式にはじまる「ジャングル」はすさまじい小説である――二人は、リトアニアからの移民の一団の「約束された」一対ではあったが、シカゴについて結婚するまでにすでに多くの辛酸をなめ、結婚のあとも、ほんの短いしあわせのあとは、ただただ残酷な絶望の日々が残っているにすぎないのである。そして資本によってこの一団(二家族)のすべての人々がめちゃめちゃにされ、ほろぼされる。
 とりわけ、缶詰トラストの内情を暴露した「前編」の迫力はおそろしいほどであり、資本の貧欲さ、労働者を最後の最後までしぼりとることなしには存在しえない資本の無慈悲で非人間的な本性が執拗にあばかれている。
 「ジャングル」を読んで人は、はたしてこれは実際に小説であろうか、文学であろうかと疑うのである。これに匹敵するものはエンゲルスの「イギリスにおける労働者階級の状態」以外知らないほどであり、生ま生ましさの点ではそれ以上である。それは勿論、凡百の甘いだけがとりえのロマンスや興味本位の軽薄な推理小説とは全く異質の文学である。
 これは資本の“原始的な”時代の物語、現在の“文明化された”資本にはかかわりのない“物語”であろうか。しかし労働者はこのおそるペき暴露のなかに、労働者にとっでの普遍的な真理を認めざるをえないであろう。現在とはいくらか程度はちがうかもしれない、しかし本質的なものは全く同じである。
 「巨人のような体格の持ち主、健康は身内に張ち切れそう」(前編29頁)という主人公は、わずか一、二年ですっかり体を破壊され、資本の圧迫に敗けて妻のオーナはわずか18歳で悲しい死を迎え、家族もみなトラストの犠牲となる。主人公は家も奪われ、最愛の子供をなくすに及んでついに労働者からも脱落し――彼は希望と勝つ信念を抱いて“闘い”を開始したにもかかわらず――ルンペン・プロに転落し、反動の道具にさえなりはててしまう。こうした主人公を通して、シカゴの“保守”の政治や、“民主主義”や宗教や、いわゆるアメリカの“文明”なるものを暴露したのが「後編」であり、主人公は最後に社会主義運動と邂逅することで目ざめ、社会主義の闘士に生まれかわっていく。
 この有名な小説を私は久しく読みたいと思いながらはたせないで来たが、今回通読するをえて、とりわけ「前編」に強い感銘をうけた。「前編」と「後編」がバラバラで、必ずしも小説として成功しているとは思えないが労働者の健康のみならず生命までも奪っていく工場の実態や搾取のからくりを描く一語一語が我々の心をわしづかみにし、しめつける。おしむらくは、この小説の翻訳が戦前のものしかなく大きな図書館でしかそれを見つけ出すことができないことだ。(春陽堂版、S7年刊)(H)

●海つばめ第847号 2001年11月25日
【四面トップ】
20世紀米文学を語る――ブルジョア社会を告発した諸作品A
アプトン・シンクレアの『ジャングル』
狂暴資本と闘う移民労働者の姿
 今回、紹介したい『ジャングル』という小説は、前回の『女優キャリー』と同じく、およそ百年前のシカゴの物語である。しかし、アプトン・シンクレアの『ジャングル』は、『女優キャリー』と異なり、新興の経営者と販売員の階層(資本の機能を果たす人々)ではなく、労働者、特に移民労働者を描いた作品である。この小説において、シンクレアは、労働者は如何に貧しさから逃れられないかを明らかにしようとしている。
◎アプトン・シンクレア
 アプトン・シンクレアは、1878年にボルティモアの貧しい家庭に生まれた。彼は、宗教的な子供で、当時彼の最大のヒーローはイエスとシェリーだった。彼は十四歳の若さでニューヨーク市立大学に入学した。
 その時から、シンクレアは新聞と雑誌のために短編小説、連載小説、ロマンス、青春もの、おどけたものなどの分野で、三文文士として生活をした。シンクレアは、このような「大衆文学」の趣向だてと性格描写を完全にマスターし、17歳までにすでに独立し、両親を養っていた。
 この時期に学んだ「大衆文学」の技術は、『ジャングル』などの小説にも見られる。これは、シンクレアがアメリカの階級社会を暴露しながら、大勢の読者を得ることができたことと関係あるだろう。ジャック・ロンドンと同様に、シンクレアはベストセラーの「社会主義者作家」だった。
 実は、シンクレアはロンドンの『奈落の人々』などの影響のもとに、一九〇〇年代初期、社会主義者となった。ロンドンの著作と共に、シンクレアはフランク・ノリスの小説を愛読した。彼によると、「ノリスは、私に新世界を示し、それを小説に描写できることを教えてくれた」。
 このような文学的興味とともに、シンクレアはリンコーン・ステーフェンズなどのMuckraker(不正摘発者)という調査報道運動から強い影響を受けた。ステーフェンズらは、資本主義の「汚い」特徴を暴露したが、それは道徳的、一面的であった。要するに、彼らはただブルジョア改良主義者に他ならなかった。ステーフェンズらは、資本主義のある側面(政治の腐敗やひどい労働条件など)を暴露することによって、「正直な」政治家を説得できると信じた。つまり、彼らのメッセージはブルジョアジーに向けられたものだった。“不正摘発”運動の限界にもかかわらず、シンクレアは、積極的に彼らのジャーナリスティックな方法を文学に利用した。
 『ジャングル』において、この「不正摘発者」のやり方がみられる。実際に、もともとこの小説は、精肉業を暴露するために書かれたものであった。社会党の新聞“Appeal to Reason”(『理性への訴え』)の編集者フレッド・ホーランは、1904年、シカゴの精肉業の移民労働者についての連載小説をシンクレアに頼んだ。小説を書くためにシンクレアはシカゴ南部にある精肉業を、ほぼ2カ月調査した。
 1905年にシンクレアの小説は連載されたが、そのために社会党の新聞発行部数は17万部以上増えた。翌年『ジャングル』は、本として出版され、またたく間にベストセラーとなった。
 当時『ジャングル』が話題となったのは、この小説が精肉業のひどい労働条件と不衛生的な状態を徹底的に暴露したからである。読者は特に肉の調整過程を詳しく描いた(気持ち悪い)シーンによって、ショックを受けた(読んだ後に、菜食主義者となった人は少なくなかったと言われる)。
 当時の大統領ローズベルトは、精肉業の調査を命じた。大統領はシンクレアに会って、「資本家の無礼な、利己的な欲をなくすために、ラヂカルな行為は必要である」と述べた。もちろん、アメリカの大統領がそんなことを言うのは、まったくいいかげんな政治的ポーズでしかない。しかし、それはシンクレアの小説が世論に如何に巨大なインパクトを与えたかを教えている。
 シンクレアは、『ジャングル』に対する公衆の反応に少し不満を感じた。彼が述べたように、「公衆の心に入りこもうとしたが、ただ彼らのお腹に当たっただけだった」。シンクレアは単に、一つの工業を暴露しようとしただけではなく、幅広くアメリカにおける労働者の現実を明らかにしようとした。ジャック・ロンドンは、『ジャングル』を「賃金奴隷の『アンクル・トムス・ケビン』である」と述べたが、これこそシンクレアの意図であるといえよう。
 もし『ジャングル』が単にある時期の工業を暴露しただけであれば、今日この小説の価値は非常に限られ、歴史的な意義しか持たなかったであろう。しかし、現在も、シンクレアの小説がアメリカで読まれているのは、労働者、特に移民労働者が、資本主義のもとで、毎日けちな、惨めな形で資本家によって搾取されている結果、貧しさのままにとどまっているからである。この小説がまだ現在的な意味を持つことは、アメリカにおいて移民労働者の現実が百年前とそれほど変わっていないことを教えている(中南米系の衣料品業の労働条件を見よ)。
◎『ジャングル』のストーリー
 現在、日本で『ジャングル』を手に入れることはとても難しいから、以下にそのプロットを簡単に説明しておこう(私も日本語版がないために英語版から日本語に訳さなければならなかった)。
 『ジャングル』の主人公は、リトアニア農村から移民したヤルギスという人である。彼は、新妻オーナや親戚と一緒にシカゴへ引越す。小説の冒頭では、ヤルギスは非常に楽観主義であるが、それは自分の肉体の強さと労働能力に対する信頼に基づいている。「田舎者」のヤルギスは直ぐ精肉業(内臓を掃除する)に仕事を得る。彼は突然農民から工場労働者となるが、しかし彼の意識は相変わらず農民的である。
 例えば、ヤルギスは最初に労働組合に反対する。実は、ヤルギスは組合の存在理由を、まったく理解できなかった。組合の人は、「権利を守る組合に団結することが必要」と説明するが、彼は権利の意味さえ分からなかった。というのは、ヤルギスにとって、権利というものは、「仕事を探す権利と、見つかったらボスに従う」ことを意味するにすぎなかったからである。
 同じ職場の労働者は、ヤルギスに精肉労働者の崩壊についてのぞっとさせるストーリーを語ったが、彼は心配しなかった。健康なヤルギスは、まだ「破壊させられることの気持ちを想像することもできなかった」。
 シンクレアはヤルギスのような非常に強い楽観主義の移民労働者さえ「失敗」する、そしてその失敗がほとんど必然的であることを描こうとする。つまり、さまざまな意味で、ヤルギスに「不利になるよう札を切る」。
 最初にヤルギスは、比較的うまくいく。簡単に仕事を見つけ、自分の家を抵当に入れる。しかし、いたるところで、ヤルギス家庭の暗い未来の兆しが見られる。例えば、彼の(新しいと思った)家は、実際に四つの異なる移民の家族が住んでいた家であり、不払いのため、皆が立ち退かせられたのだ。
 重労働好きのヤルギスは直ぐ、労働者全員が精肉業の仕事が大嫌いであることに気づいた。「この気持ちの普遍性を知ると、それは奇妙である、あるいは恐ろしいとさえ感じる。しかしにもかかわらず、それは事実である――彼らは仕事を嫌い、またボス、所有者、すべての場所、すべての近隣、そして街全体に対しても、全体的な、惨い、激しい憎しみに満ちている」
 一年もたつと、ヤルギスは精肉業の厳しさを感じ始め、考え方が変わってくる。結局、彼は組合に参加し、これによってシカゴの腐敗している政治(投票を買うなど)も経験する。
 ヤルギスの生活は、最初の一年間で、だんだん困難となる。工場が忙しくない冬に彼の賃金が減ってしまう。そして、オーナが子供を産んだ後に、ヤルギスは職場で足をけがしてしばらく働けなくなる。この経験によって、彼の金と自信は完全に消滅する。
 彼はようやく仕事に戻るが、自分の優れた「労働力」は、「いたんだ商品」となっていた。ヤルギスは、会社のシステムが完全に分かってくる。「会社は、スピードアップと不注意によって彼をすり減らし、そのあと彼を捨ててしまった!」。そして、ヤルギスは、これは単に自分の不幸な経験ではなく、「労働者一般は同じことを経験している」と悟る。
 使い捨てられたヤルギスは、精肉業のひどい肥料工場で働くことしかできない。肥料工場の労働条件を描写する部分は、『ジャングル』の一番恐ろしいシーンである。地獄で働くヤルギスは酒を飲み始める。酒によってのみ、彼はこの「痛みを忘れる」ことができた。
 ヤルギスの生活はさらに悪化する。彼は、ボスが妻にセックスを強要したことを知る。ヤルギスは彼を殴って、刑務所に送られる。ヤルギスがやっと釈放されたとき、彼の家族はもうすでに家を立ち退かせられ、妊娠しているオーナは病気となり、間もなく死亡する。そして、とどめの一発として、ヤルギスの長男が道にできた泥沼で溺死する。
 長男が死亡した後、ヤルギスはシカゴから出て、農業の仕事をしながら田舎を放浪する。結局、彼はシカゴに戻り、刑務所で会った友達に勧められ、犯罪で食うことになる。ヤルギスは犯罪を通して、シカゴの腐敗した“裏社会”のちっぽけな一員として活躍する。
 しかし、最後にヤルギスは「救済」され、小説は「ハッピー・エンド」で終わる。つまり、ヤルギスは偶然に社会主義の党の講演会に入り、社会主義者のスピーチに感動し、社会主義運動に近づくというわけである。
 「この男の言葉は、ヤルギスにとって魂に落ちた雷のようだった。自分のなかに、つまり彼の古い希望、願望、悲しみ、怒りと絶望の中に、感情があふれた。ヤルギスは、社会主義者に会って、活動家となるシーンで小説は終わる。しかし、「社会主義者」といわれても、それは当時の社会党を意味する。小説の「社会主義者」のスピーチは、科学的社会主義より、宗教的な説教に近い感じがする。
 簡単に小説のプロットを見ると、それがちょっと機械的と感じる人がいるかもしれない。確かに、シンクレアは、ある程度、自分が紹介したいテーゼを「証明」するために、小説のストーリーを創造したともいえる。しかも、前半の「終わりのない不幸」は、結局、メロドラマに近づいたのである。
 しかしにもかかわらず、シンクレアは絶えずヤルギスの不幸の理由と「必然性」(その背景にある客観的現実)を明らかにする。この意味で、『ジャングル』のプロットがやや機械的であるにもかかわらず、この作品のリアリズムは非常に深いと思う。
 『ジャングル』は、百年前のアメリカを描くが、現在の欧米、あるいは日本の労働者は、この小説に描かれた経験の多くを共感できるにちがいない。
(Roy・West)