スタインベック「怒りの葡萄」
資本のジャガノートへの告発――滅ぼされた農民たちの姿を描く

1983年10月23日火花611号

 29年の大恐慌と、33年から2年間も吹き荒れた砂嵐――テキサスからカナダ国境にまで及んだといわれる――による大凶作は、中部アメリカの古典的な開拓農民をそれこそ根こそぎ滅ぼしてしまった。彼らはみな金融奴隷になり、土地を奪われ、ルンペンプロレタリアートの大群と化して、カリフォルニアなどへ賃仕事を求めて流浪していったのである。
 だが、彼らの没落は自然的な災告、天災によったのではない。天災であれば、彼らは野鼠を食い、木の根をかじってでも土地にしがみついて生きていっただろう。
 「誰でも食べて税金を払っていくことさえできれば、土地をもっていられるんだ。人間なら、できるんだ。/そうさ、それはできますだよ。作物が不作になって銀行から金を借りなければならなくなるまではな。/しかし!いいかね、銀行や会社は、そういうことができないんだ。なぜって、ああいう生きものは空気を呼吸するわけではないし豚の脇肉を食うわけでもないからだ。あの連中は利益を呼吸しているんだ。金にくっついた利益を食っているんだ」
 だが追われた先に天国があったわけではない。労動力は突然生まれたこのルンペン・プロレタリアートのために過剰となり、賃金は資本家の意のままに切り下げられた。
 最初、「彼らには理屈もなければ組織もなく、数の多いことと困っていること以外には何もなかった」、だが「突然機械が彼らを駆逐し、彼らは国道に群がった。この大移動が彼らを変質させた。国道道端のキャンプ、飢餓への恐怖と飢餓そのもの、それらが彼らを変質させた。夕食を食わせられないことが彼らを変質させ、絶え間ない移動が彼らを変質させた。彼らは移住民である。それからまた、敵意が彼らを変質させ、彼らを結びつけ、彼らを団結させた――小さな都市が一団となり武装して、まるで侵略者を駆逐するように人々を駆りたてる敵意、居直り百姓は鶴嘴で勤め人や商店主は短銃で、自分たちと同じ国民に対して土地を守ろうとする敵意」
 「会社や銀行も、自分たちの破滅のために働いていることを自ら知らずにいる。田園には果実が実り、道路には飢えたる人々が働いている。穀食は満ち、しかも貧しきものの子らは佝僂病となり、紅斑病の小膿疱が彼らの脇優にふえてゆく。大会社は、飽えと怒りとのあいだには、かぼそい一線しかないことを知らぬ。そして、賃金となって出て行くべき金は、催涙ガスに、小銃に、代理人やスパイに、ブラックリストに、練兵に費やされる。国道では人々が蟻のように動いて職を求め、金を求めていた。そして憤怒が醗酵しはじめていた」
 スタインベックは、こうしたルポルタージュ風の描写を一章おきに挿入しながら、この没落農民の典型的な運命をオクラホマのジョード一家の姿において描き出している。それは、あの“原始的蓄積”の過程、農民たちが巨大な規模で狩り出され、労働力を売ることによってのみ生きていかなければならない労働者階級に転化させられていく過程に酷似している。
 ジョード一家に代表される労働者(今はこういってよかろう)たちは、資本に対して団結し、ストライキや時には武装してまで闘う術を学んでいった。しかし彼らは自分たちの闘いの輪を広げることはできず、「赤」のレッテルを貼られるままに、また職を奪うという恫喝に屈し、敗北していった。「人々の魂のなかに怒りの葡萄が実りはじめ、それがしだいに大きくなって」いったにもかかわらず。散発的な武装闘争は警官隊や自警団によって簡単に鎮圧されてしまった。
 スタインベックは、こうして30年代の農業における大不況によって滅ぼされた人たちに代わって、大資本の勢力を激しく告発している。だが、彼が結論したかったことは何だろうか。終章で、死産した「シャロンのバラ」が死にかけているジョン伯父に乳をふくませる有名な場面は大変感動的ではあるが、ここで彼は人間愛等々の安易な解決の道にすべりこんではいないだろうか。スタインベックの続作である「エデンの東」などのイメージを重ねれば、嘆息せざるをえないのである。(Y)