アンドレマルロー■「人間の条件」
中国革命の“悲劇”……1927年の上海を舞台に描く
スペイン内乱を扱った「希望」はたいくつだが、中国革命の「最も劇的な時代」を再現している「人間の条件」はマルローの最上の小説である。
この小説の芸術的な評価はむずかしい、というのはそのためにはマルローの思想や生き方を全体的に理解し規定すべきであろうが、このことは決して易しいことでないからだ。
例えば、テロリストの陳、主人公で共産党貝の清・ジゾール、そしてその父の老ジゾール(元北京大教授)その他の主要人物の思想や人生について述べるペきだろう。しかし私にはそれをやりとげる余裕もないし、能力もないように思われる。
ただ、一言いっておけば、陳にせよ清にせよ、かなり観念的に類型化されているとはいえ十分に魅力的な革命家であり、まさにそのことによって「人間の条件」は不滅の文学となり、また1927年の敗北した中国革命の生き生きとした証言ともなりえたのだ。
マルローは、“共産主義者”を高く評価し、その立場を肯定しているが、しかしスペイン内乱の時のようにべッタリではない。主人公清は、“公認の”共産党(スターリンの政策)に対する、真っ向からの批判者である。彼は、自己の闘いと経験からして、スターリンの政策(国共合作=民主統一戦線の戦術)がまちがっており中国革命を破滅に導くと確信している。
中国共産党の公けの歴史は認めたがらないが、1925〜7年にかけて、中国革命は未曽有の高揚を示し、何億もの人々をもつ「眠れる獅子」はめざめ、たちあがった。25年にはマルローが「征服者」で描いた広東の労働者の大きな革命的闘いが発展し、次いで強化された広東の革命政府による“北伐”が開始された。労働者、農民の広汎な革命闘争が全国的にも広がりはじめ、上海の労働者も共産党の指導の下に武装蜂起し権力を握った。
しかしまさにこの瞬間に国民党(“民主的”ブルジョアジー)は反革命に転じ、労働者農民の闘いに(従って共産党に)狂暴に襲いかかったのである。上海の労働者は蒋介石によって殆んど抵抗らしい抵抗もなく弾圧され、血の海に沈められた。汪精衛の武漢政府は国共合作を守ろうとしたが、3ヵ月のちにはやはり“反共”へと移り、かくして「国共合作」に革命の勝利を依存させて来た中国共産党は決定的に敗北し、中国の革命運動は解体した。そして労働者のヘゲモニーによる革命闘争はその後中国史の舞台から消えうせて決してあらわれないのだ。
なぜ、1927年に中国の労働者、農民は敗北したのか?なぜ易々と蒋介石の反革命クーデタを許してしまったのか?
清は反革命クーデタの直前、その危機を直感して武漢にワォロギン(スターリンの代理人のソ連人、中国共産党の指導のために来ている)を訪れ、政策の転換を必死で訴える。
「国民党から離れて、独立した共産党を組織することですよ。労働総同盟に権力を与えることです。とりわけまず武器を返さないことです」(新潮文庫、上186頁)。
勿論これは、「国共合作」政策によって国民党とブルジョアジーの統制と支配をうけ入れ、それが許容する限りで“革命”を前進させようというスターリンの政策、せっかく大衆の蜂起によって闘いとった権力を国民党にゆずりわたし、武器までも返還して蒋介石の反革命クーデタに道を開くスターリンの政策に対する批判であり血の叫びだ。
スターリニストの“戦術”は1927年も1983年も基本的に同じであり、革命的政策を犠牲にしての「民主的統一」の追求である。
「しかし、もし今、純粋にコムニスト的スローガンを掲げれば、結局、たちまち将軍連が悉く結託してわれわれに対抗することになる。二十万対ニ万だ。それだからこそ、君らは上海で蒋介石と巧く折合いをつけなくてはならないのだ。その手がなければ、武器を返したまえ」
「こうした考え方をしたら、ロシアの十月革命なんかやるぺきでなかったってわけになる。あのとき、ポルシェヴィキはどれくらいいたかね?」
「<平和>というスローガンが大衆を惹き寄せたのだ」
「他にもスローガンがある」
「時期尚早なものばかりだ。どんなものがある?」
「小作契約と債権の即時全廃。非妥協的な無拘束の農民革命。これだ!」(同189〜90頁)。
これらのわずかな引用からも、この小説がどんなに興味深いテーマを扱っているかが明らかになるだろう。(H)
1983年11月27日火花第616号