茅盾(マオトン)■『子夜(真夜中)』
資本家諸層の死闘――国民党支配崩壊の予感
作者は「後記」の中で「中国の社会現象を大きなスケールで描写してみたいと思った」と書いている。作者の意図どおり、これは1930年の上海のきわめて典型的な「社会現象」であり、中国の当時の社会を代表するすべての階級――産業及び金融資本家(これはある程度まで“民族”及び買弁資本家と一致する)、地主階級、労働者階級そして若干の知識人と学生(著者)である。
だが作者もことわっているように、「農村の経済状況、いなか町の住民の意識形態」は、はじめの計画にあったがこの小説でははぶかれており、また労働者階級のストライキ闘争にもかなりのページ数がさかれてはいるが本気では書かれておらず、作者が最も力を注いで描写するのは、当時の中国の資本家諸層であり、その対立と抗争である。
主人公は呉?帝という上海の民族産業資本家である。彼は外国資本に対抗し、“理想”にもえて中国の民族工業の創造と発展を追求するが、当時の政治経済状況のなかで挫折する。これはわずか2ヵ月ほどの間の出来事の話である。時は1930年――上海の反革命クーデタの3年のち――だ。1930年といえば、明瞭に反革命に転じた国民党が28年に表面的に“全国統一”をなしとげつつも、軍閥勢力との妥協の基礎の上での形だけの統一だったために、再び地方軍閥との大規模な内戦の開始を余儀なくされていた時期、しかも世界恐慌が勃発して外国資本の攻撃が激化し中国の資本を激しく圧迫し、商品の販路が停滞して在庫が山なした時期、地方では農民の暴動がもえ広がり、労働運動が高場し、共産党の“赤軍”が長沙などの大都市に攻撃をしかけた時期である。
これらのことは全てこの小説のなかに背景として、もしくは直接の状況として出てくる。
中国の“民族”産業資本家たちは、こうした状況の中で、その“理想”にもかかわらず、中国に資本主義的工業を興こし発展させることができずにみじめにも粉砕される。彼らは自らの失敗を総括して次のように言う。
「われわれのこんどの工場経営は時局不穏のためにだめになったが、こういう時局は、公債をやるには絶好の機会です。われわれは工場経営の資本を公債に振り向けましよう」(岩波文庫、下289頁)。
上海では投機的な金融業が異常にふくれあがり、ブルジョアジーは国民党が発行する公債の売り買いに熱中し、それに反比例して工業は衰退し破滅していく。
“官僚的”、金融的、買弁的資本がはびこり、優勢となる一方、民族的、産業的資本が破滅していくのだが、これは一体なぜだったのだろう?
国民党政権は形の上では“全国統一”をなしとげたものの、それは労働者人民の闘いを弾圧し、寄生的、軍閥的勢力との闘いを中途でやめ、それと妥協しての“全国統一”だった。このため、国民党政権はすぐに、改めて地方軍閥との内乱にまきこまれ、そのために途方もない軍費が必要となり、不可避的に巨額の公債発行にのめりこんでいく。それは民族産業の育成より、ただ戦争遂行と政権維持のために国民を収奪することしか考えず、こうした情況下ではただ“官僚”資本と金融資本のみが太り繁栄する。
そしてこうしたことはすべて、1925年にはじまる“北伐”(国民的統一と“民族革命”)が、ブルジョアジー(国民党)の裏切りのために中途半端に終った結果であり、またブルジョアジーの裏切りを助けたスターリニスト=共産党の日和見主義(国共合作=民主統一戦線の戦術)が決定的な契機となっていると結論せざるをえない。蒋介石を中心とする四大財閥は金融的、国家寄生的な財閥(「官僚資本」)として膨張したが、まさにそれはこうした寄生的な資本としてみずからのうちに破滅の種子を内包していたのである。国民党政権下では中国の真の統一もその国民経済の発展もありえなかったからこそ、1948年の中国革命は必然的であったのだ。
茅盾は資本家たちを実に生き生きと措いているが、他方労働者の闘いと失敗したゼネストや活動家については大して魅力のない紋切り型が与えられているにすぎない。これが作者の責任なのか、それとも当時の活動家や革命家の責任なのかは読者自身の反省にお任せしたい(H)
1984年1月1日火花第620・621号