ヴィクトル・ユゴー「(一七)九三年」
大革命を描く――ヴァンデの反乱を背景に

 ユゴーといえば「レ・ミゼラブル」で有名だが、フランス革命をテーマとした「九三年」も又、前者に劣らない偉大な傑作である。1793年といえば、89年に始まるフランス大革命が頂点に達した年であり、「全ヨーロッパがフランスに闘いをいどんだ年、全フランスがパリに闘いをいどんだ年」、「息づまるような年」(岩波文庫上183頁)であった。
 小説の舞台は革命と反革命の死闘が展開されていたヴァンデ(ブルターニュ)であり、それと同時に、当時革命の意志であり、頭脳でもあったパリと国民公会(革命家たち)である。
 主人公は、反革命を代表する、この地方の古い貴族のラントナック侯爵であり、革命側を代表するのは侯爵の甥のゴーヴァンであり、さらにはゴーヴァンの師であるシムールダンである。
 ゴーヴァンは貴族の出でありながら師シムールダンによって――彼は「僧侶から哲学者になり、さらに闘士となった」(上181頁)男で、革命をすでに老年にありながら喜びをもって迎え、「革命と共に若がえり成長しはじめた」ような人間である――「人民の魂」を流し込まれ、一個の若くかつ有能な革命家として登場する。
 この二人が、ヴァンデの反革命を指導するラントナックと対決し、打ち破る。だが、革命と法の支配を絶対視する師と、敗者に対する寛容に思いをはせる弟子は深く愛し合い協力しあいながらもお互いに一つになることはできない。敗北したラントナックは、三人の幼児の命を救うために自らを犠牲にし、この行為を目前にしたゴーヴァンはラントナックを助け、師によって死刑を宣言される。そしてギロチンの刃が弟子の首をはねると同時に、師も又ピストルで自らを射って愛する弟子のあとを追う。
 だがこの小説を偉大にしているものは、おそらく、ユゴーのヒューマニズムを伝えるこうしたプロット(筋)にあるのではない。むしろそれは、彼が単なる“小説家”でなく自らナポレオン三世のクーデタと闘った思想家であり政治家であって(といってもマルクスはユゴーの告発を「言葉だけだ」と余り高く評価していないが)、フランス革命を一そう深く理解しているからであり、それを全体として同情をもって扱い、その本質や重大な一局面を生き生きと再現しているからである。
 彼はヴァンデの乱がなぜ、いかにして反革命であったかをきわめて説得的に語っている。革命やマラその他の革命家や国民公会への彼の愛情は限りない(例えば、「国民公会」の最初の部分を見よ。「国民公会は人類史の頂点」であって、「人類史の地平線上に、いまがかつてこれほどの峻峰はあらわれたためしがない」云々。ユゴーはまた、公然と革命派に味方し、日和見主義者=「平原派」「沼沢派」をとことん軽蔑してやまない!)。
 ゴーヴァン自身、ラントナックを逃がすことは虎を野に放つ行為であり、反革命が再び首領を得て蠢動を開始することであって一種の裏切りであることを自覚しており、また師は弟子の“甘さ”を許すことができない。だが、ゴーヴァンの師シムールダンへの批判も又、師の“痛い所”をついている。弟子は、“自然”や“権利”や“法”を絶対視するブルジョア革命に抗議し、「自然より偉大な社会」、「人間の社会」(社会とは自然よりさらに偉大なもの、「昇華された自然」である)を夢み、「現在の世紀は市民的なものを完成し、次の世紀は人間的なものを完成する。現在問題になっているのは権利ですが、明日、問題になるのは賃金です。賃金と権利とは根本的に同じ言葉なのです」(下348頁)と主張する。彼は、権利とは労働者にとって単なる「賃金の権利」にすぎない、と言っているのだ。
 ゴーヴァンの言葉は、プルジョア的“政治的”(市民的)解放に“人間的”(共産主義的)解放を対置した若きマルクスを私に思い出させる。こうした言葉は、それがもし1783年に言われたのであれば、ある意味で進歩的であり、予言的であったろう。(しかしこれは実際には1873年の小説である)。
 いずれにせよ、この本の意義や内容をかくも狭い欄で書きつくすことは不可能だ(H)

1983年6月12日『火花』第593号