ルイ・アラゴン■『レ・コミュニスト』
共産党員を理想化――混乱と動揺をものともせず
ルイ・アラゴンが、つい先日86歳で逝去したことは、読者諸兄も御存知であろう。筆者としては、時間が許せるならこの『レ・コミュニスト』も彼の大小説群である『現実世界』や、『断腸詩集』などの多くの詩作品とともに、アラゴンの文学活動の総括の上で論じてみたかったのである。
『レ・コミュニスト』――アラゴンによれば、女性共産主義者の意味である――は、ロマンロランの『魅せられたる魂』やエレンブルグの『パリ陥落』と殆んど同じ時代を、これらの作者と殆んど同じ精神で(やや極端に言えば)描いたものであるといえる。1939年2月、スペイン人民戦線派がフランコに放れて大挙してピレネー越えを行ない、フランスになだれこんでくる時から、45年の終戦までが、この小説の時代背景をなしている(邦訳されているのは40年のパリ陥落・第三共和制の崩壊までを扱った第一部だけのようである)。
当時は、ヒトラーに対する戦争は正義の戦争(決して帝国主義戦争ではなく!)であり、人民戦線は無条件に正義を行なう唯一の方法であると考えられていた。だから、この人民戦線のヘゲモニーを握る共産党もしくは共産主義者は、ロマン・ロランにおけるように、一個の理想として、また正義の象徴として絶大な信頼を労働者大衆から、あるいは急進的なインテリから集めることができたのである。ロマン・ロランが『魅せられたる魂』で、共産主義者を、現実の共産党員とは違って、かなり理想化して描いた(そしてそれが相当にリアリティを持つことができた)のは、このためであろう。
だがエレンプルグやアラゴンの場合には、党の動揺やクレムリン追随を――たとえいろいろな口実をつけて糊塗したにしろ――見ざるをえず、したがって彼らが措く共産主義者(というより共産党員)は、多くの場合、何か紋切型になって生気を失なったものになるか、あるいは、彼ら自身の動揺を、党員以外の人物に託して語るしかなかったのである。
だから、『レ・コミュニスト』のセシール、マルグリート、イヴォンヌ、ミシュリーヌといった共産党員もしくはシンパの主人公たちは、『魅せられたる魂』のアンネットに比べればはるかに自信なげであり、またどこか棒を呑んだような印象を受ける。とりわけ、第一巻の山場である独ソ不可侵条約締結の突然の発表以後は、彼女らの活動は共産主義者というより、祖国防衛主義者そのものと言っていいくらいになる。スターリンがヒトラーと手を組んだことで、彼女らは、労働者の仲間に対して、革命を説き、帝国主義戦争に反対する闘いを説くことができなくなり、いやでも、ただヒトラーによるフランス侵略反対の一事しか語りえなくなるのである。
あるいは、アラゴンはこうした事情を暴落したかったのかもしれない。動揺している党員パトリスとゴリゴリのフェルゼルの会話は、いかにも確信的なフェルゼルに味方しないように描かれている。
「ぼくは、ヒトラーに反対なんだ。ロシアは、われわれの見解をきかずに、ヒトラーと手を握った。誰がストライキ破りかは明らかだよ……」(パトリス)。フユルゼルは両のこぷしをテーブルの上においていた。半分腰を浮かせて、自家製のパテの上に大きな図体をかぶせかけ「出てゆけ、さあ、出てゆけ……」
だが、これはほめすぎというものであろう。アラゴンにとって、この時代の政治と戦争はある意味で小説のはるか後景にしりぞき、むしろ共産党員もしくはそのシンパが、共産党の政治や人民戦線を、多少の動揺はあれ、最大の正義としてどのように受け入れ、ヒトラーとの闘いに加わっていくか(決して、労働者階級内の独自な闘いとしてではなく!)を、心理的に追求することが主な課題になっているからである。
そうである以上、例えばシンパであるガイヤールが、のちに、共和派の軍人に対して、「あなた方はヒトラーと戦わなかったのだ。あなた方は、コミュニストを、つまり労働者を敵として戦ったのだ」と何か共産党が反独戦争の担い手であったかに言ったとしても読む方は白々しい気がするだけである。(Y)
1983年8月7日『火花』第601号