金芝河(キムジハ)「五賊」
反朴闘争ののろし……金芝河を金芝河たらしめた詩

 ここでとりあげる譚詩(バラード形式の詩の意)『五賊』だけでなく、金芝河の詩作品、とりわけ70年から74年の間に逮捕され、入獄することをくりかえした時期の作品――詩集『黄土』の中の諸作品、譚詩『蜚語』、同じく『楼賄歌』など――には、硬質の抵抗精神を見事に形象化したものを圧倒的に見出すことができる。
 しかし、この『五賊』こそは、金芝河をして金芝河たらしめたものと言うべきであろう。この詩によって、全羅南道の小都市木浦に生まれた青年金栄一が金芝河として反朴闘争の先頭に登揚し、革命詩人、それも韓国におけるはかりでなく、国際的にも立派に他国の多くの詩人たちと比肩しうる革命詩人となり、またクリスチャンであり、民族主義的色彩が濃いとはいえ、革命の戦士となり、この詩に対する筆禍により逮捕され、韓国の反朴闘争の象徴となったのである。我々は、この詩のうちに金芝河のすべてのすぐれた精神を端的に見出すことができる(同時に、その消極面も)といっても言い過ぎではない。
 “五賊”とは、「ソウルのど真中」に住む「五人の盗っ人」である。全芝河はこの盗っ人に朴体制の腐敗を代表させ、仮空のバケモノとして象徴している。つまり、
●●(ジェポル=財閥)、●●●猿(クッフェイウォン=国会議員)、●●功無猿(コグプコンムウォン=高級公務員)、長(ジャンソン=将星)、ワ●●(ジャンチャクワン=長・次官)である。(※●=テキスト表示できなかった漢字)
 この連中には、人には五臓六腑しかないのに、「雄牛の金玉ほどの泥棒ぶくろがおまけについて五臓七腑」があり「盗みの業」は「日進月歩の妙技」の域に達している。
 金芝河は彼らの悪業の数々をまさに具体的に、しかもコミカルに、人民のことぱで暴露し、糾弾する。
 例えばジェポル(財閥)はこうである。
 「長官はこんがりと焼き、次官は赤くゆであげ/酢をかけ、醤油をさし、辛子ふりかけ、唐がらし味噌をまぜ、味の素までパッパとふりかけ、刻み唐がらし、ねぎ、にんにくをそえてペロリ/税金吸いあげた銀行の金、外国からの借金に、あらゆる特恵、分のよい利権は残らずごっそり/かわいい娘をだましておのれの妾に、夜昼なく子づくりにこれ余念がない/どっさり産ませた娘っ子たちは、そっくり剣つり男の妾にと、夜食がわりに進上し/耳うち情報得ては、随意契約で落札し、二束三文で土地を買いこみ、高速道路が新開すればぼろ儲け/千円の工事を五円でちょろまかし、労賃はいつも遅払い遅払い/変幻の術は孫悟空のじじい格、煮焼きの腕前、中国人コックも顔まけのてい」
 この一節にも明らかな如く一方では鋭い諷刺が次々にくり出され、他方では、高校時代に朝鮮の伝統的な民間演劇とりわけ仮面劇に強く魅せられたためか、劇的な表現が連なり、これら二者が朝鮮伝来の風謡の形式で語られているのである。詩として成功しているのは、技術的にはこの点にあるだろう。
 しかも、金芝河は日韓条約反対闘争から、朴によるクーデターと軍事政権に対する糾弾闘争の先頭に立っており、この闘いの内実の一切が彼の作品にたたきこまれている。それは、彼自身が「獄中メモ」や詩論においてくり返し語っているように、韓国の民族の自立、民衆の決起、祖国統一の課題を表現していくことであった。その限りでは、彼のスローガンは「農村からソウルヘ」であり、「学生に続け」であり、「キリスト教徒とマルクス主義の統一戦線」でしかないのだが。
 彼の詩は激しい。彼は「恨」を詩によってたたきつけ、「政治と文学」をみごとに結合し、それが、韓国人民の闘いのことばとなった。
 「この久しい慟哭/とめようのない慟哭/忘却も死も消せないこの悲しみの青白い炎/一日として酒なしには眠れず/一日とてたたかいなしには生きられなかった/生は恥、そして侮蔑、死ぬこともできなかった/跡形もなく焼きつくし、旅立つ大陸すらなかった」(『黄土』より『訣別』)。
 (Y)

1984年2月19日「火花」第627号