チェルヌイシェフスキー■「何をなすべきか」
レーニンも愛読
1983年1月30日「火花」第575号
近代文学としてのロシア文学はプーシキンから出発した、とはよく言われるところである。しかし、連載の最初にプーシキンの作品(例えば『エフゲニー・オネーギン』)ではなくて、チェルヌィシェフスキーの『何をなすべきか』をとりあげたのは、プーシキンがロシアの民衆について語っていないとか(とんでもない!)、あるいはプーシキンが彼の生産の後半には、あれほど批判していたツァーリに屈服したのに対して、チェルヌィシェフスキーは死ぬまでその節を枉げなかった等々の理由からではない。
「この小説の影響のもとに数百、数千の人々が革命家になった」(レーニン)というほど、『何をなすべきか』が当時のロシアの若いインテリゲンチャ(“雑階級知識人”といわれた)に大きな衝撃を与え――読者はこの作品をチェルヌィシェフスキーの“遺言”として読んだという――、ロシアの革命運動に「何をなすべきか」の答えを与え、また、“芸術のための芸術″の理論を全面的に拒否し、チェルヌィシェフスキーの後に、べリンスキー、ドプロリューボフ、レールモントフ、ゴーゴリ、ゴンチャロフ等々のきら星のような作家たち、文学者たち(さらに言えば革命家たち)を輩出させたロシアの革命的民主主義文学の源流となった記念すペき作品だから、我々はこの作品をまず第一にとりあげたのである。
だからといって、この作品に何か特別なプロット、特別な仕掛けがあるわけではない。ブルジョア批評家たちは、この作品をただの恋愛小説、それも芸術味の乏しい、平凡な小説とみなしたのだが、チェルヌィシェフスキーはまるでこうした批判を見通したように、要所に「慧眼な読者(いうまでもなくブルジョア的・反動的・自由主義的批判家をさす、あるいは“常識”にとらわれている世間一般でもよい)との対話」等々を織り込み、「芸術性の第一の要求はつぎの点にある。対象をえがくにあたっては読者はそれらの本当のすがたを想像できるようにえがかなけれはならない」と言っているのである。
「本当のすがた」――チェルヌィシェフスキーは、第一にこの作品のサブタイトルが「新しい人たちについての物語から」とあるように、登場人物を通して、ロシアに「新しい人たち」すなわちツァーリの専制に対して闘う人々が生まれてきていること、そしてそれらの人々が、かつてのデカブリストのような貴族階級からではなくてロシアの勤労人民(チェルヌィシェフスキーにあってはまだそれはインテリゲンチャなのだが)から生まれていること、さらにラフメートフのように革命運動に一生を捧げることを義務とも自身の快楽とも考えている革命家さえ現われていることを語り、第二にツァーリの専制社会ではなく共同体社会(この点ではチェルヌィシェフスキーはオーエンらの空想的社会主義を脱け出ていない)に進むべきことを説き、第三には、ヒロインのヴェーラの母や求婚者たちに象徴される専制の下での人民の虐げられた生活を暴露する。
もちろん、この作品は、チェルヌイシェフスキーが下獄して五ケ月後の1862年12月から執筆されたこともあって、多くのことが「イソップの言葉」で描かれ、今日の時代にあっては、我々にとってこの寓意や反語、象徴をなかなか形象的に理解することは困難であるかもしれない。また、チェルヌィシェフスキーが語る「新しい人たち」の「理性的エゴイズム」も、これらの人々がめざす「共同体社会」も、さらにはラフメートフに代表される非常にストイックでリゴリスティックな革命家像も、マルクス主義の立場からみれば、多くの難点があるのは当然であろう。だがこの作品は、その中でチェルヌィシェフスキーがツァーリの体制の打倒を呼びかけた――呼びかけられた人々にははっきりとわかることばで――ために、発禁になりながらも六百万部も流布したといわれ、一つの作品が革命運動の巨大な地歩を促したという意義を持っている。(岩波文庫)(Y)