ショーロホフ■「静かなドン」
革命と内乱期描く――動揺する中農の側から
1983年4月10日「火花」第585号
「静かなドン」は革命後のロシア文学(ソビエト文学)の最高傑作であり、ロシア革命時代のコサックの運命を描いた大河小説である。ショーロホフは、実に1925年から40年まで15年もかけてこの小説を完成している。
主人公グリゴーリー・メレホフは、ウクライナのドン地方の中農コサックで、教養はないが強い肉体と激しくもえる優しい心を持つ青年で、隣家の若い人妻アクシーニアに熱い恋心を寄せている。
しかし、1914年に勃発した第一次大戦、17年の革命とその後の内乱の時代はグリゴーリーの一生を大きく狂わせていく。軍服を着た農民たるコサックたちは、8月のコルニロフ反乱軍の一部としてペトログラードへ送られ、革命と反革命のせめぎあいのなかで、はじめての動揺を経験する。
コサックたちはレーニンがコサックであることを信じて疑わない、というのも「ツァーリに刃向かって貧乏人どもを」たちあがらせたプガチョーフもステパン・ラージンもみなコサック出身だから、というわけだ。
ポリシェヴィキ政権が成立し、平和の交渉がはじまるとコサックたちはみな故郷へ帰る。グリゴーリーはポリシェヴィキをどう評価し、どのように生きていいか分からず、「曠野で吹雪に出あったときのように、まるで見当がつかねえ」(河出書房新社U70頁)のであるが、当初はポリシェヴィキと共に歩み始める。
しかし彼は、中農として一貫して革命の側に立つことができず、赤軍をはなれ、情勢の変化のままに(つまりコサックの動揺をそのまま反映して)白軍(反革命軍)に投じて猛威をふるい、さらにまた赤軍に転じて白軍をクリミアから(ロシアから)たたき出すために大いに奮闘する。
かくして内乱は終った。最後には赤軍の一人として闘ったが、しかし途中、白軍の有能で勇敢な師団長としてソビエト政権に大きな打撃を与えた経歴を消すことはできず、ソビエト政権もグリゴーリーを許すことができない。行き場もなく彼は匪賊の群れに投じ、アクシーニアをつれて遠くへのがれようとするが、かえって彼女の生命を失うハメになる。彼はついに匪軍からはなれ、帰っても許され生命が救われることさえあやしいのに、故郷へとたどりつくところで小説は終っている。
グリゴーリーの運命は、革命の時代のドン・コサックの、つまり中農の運命である。こうした人物を主人公とした「静かなドン」は、ある意味では労働者文学、革命文学とはいえないかもしれない。ショーロホフが描くのは、一貫したプロレタリア革命家ではなく、自覚もなく歴史の流れに対する見とおしもなく、革命と反革命の間でゆれ動き挫折し敗れ去っていく中農コサックの姿である。
しかし革命に味方し、また反革命に味方した農民を措き、革命と内乱の時代を共に生き生きと再現したが故に、「静かなドン」は不滅の文学になったのである。革命の時代において小ブルジョアの動揺は避けられない。彼はたくましい、正直な“直接生産者”として、貴族とか将軍とかブルジョアとかインテリとかとは本質的にハダが合わない。しかし他方では、革命的プロレタリアや貧農をつまりポリシェヴィキを理解することも又、できないのである。
グリゴーリーは魅力あふれる人間である――というのはそれが必然的な人格として描かれているからである。読者は動格する典型的な小ブルジョアの運命を通して、ロシア革命というものをより一そう深く理解することができるであろう。その意味で、これは立派な革命の文学であり、まさに“ソビエト文学”の最高峰なのである。ソ連文学は今もってこれを越えるものを生み出してはいない。
我々はこの小説の中で多くの共感をおぼえる革命家と出会うことができる。革命の何年も前にドン地方の農村にまで入りこんで細胞をつくり、革命のタネをまき、のちに悲劇的な死を迎えるシュトックマン、その教え子の何人かの貧農ポリシェヴィキ(主人公の妹むことなるミシカ・コシュヴォイ等々)、軍隊の労働者ポリシェヴィキのプンチューク、コサック下士官でドン地方の赤軍の最初の組織者で白軍に残虐非道に絞殺されるボドチョールコフ等々。(H)