ゴーゴリ「外套」
  あわれな小官吏の生活……作者は満腔の同情を注ぐ
1983年2月13日「火花」第577号


 チェルヌイシェフスキーやツルゲーネフのあとにゴーゴリをとりあげるのは、時代的遡(そ)行だが、しかし「労働者文学」について語るからには、彼の「外套」をぬかすわけにはいかない。というのは、この小説の主人公はまぎれもない労働者(下級官吏)だからである。
 この主人公をゴーゴリは次のように描いている。
 「背丈がちんちくりんで、顔には薄あばたがあり、髪の毛は赤ちゃけ、それに目がしょぼしょぼしていて、額が少し禿げあがり、頬の両側には小じわがよって、どうもその顔色はいわゆる痔もちらしいが……」云々。要するに風采のあがらないみじめな50代の小官吏である。
 とは言え、彼は自己の仕事(写字を職務とする文書係)にきわめて誠実であり、深い愛情さえもっている。
 「そうしたいろんなうるさい邪魔をされながらも、彼はただの一つも書類に書きそこないをしなかった」。
 「こんなに自分の職務を後生大事に生きて来た人間がはたしてどこにあるだろうか。……それどころか、彼は勤務に熱愛をもっていたのである」。
 この小役人の物語りには筋らしい筋があるわけではない。被が、たまたま外套を新調するハメになり、そこにしばらく生き甲斐と生活の意義を見出したが、しかし新調した当日にそれを強盗に奪われ、落胆と病気のためにアッというまに息を引きとってしまう、(そしてそのあと復讐のために亡霊として出没する)といった話がたんたんと書かれているにすぎない。
 しかしゴーゴリは社会の“底辺”に生活する、とるに足りないこの人間に満腔の同情を寄せ、この気の弱い小官吏が、もっと上級の、いばりかえっているくせに職務には怠慢な官吏たちより、はるかに人間的に誠実であり、勤勉であることを示している。
 この小品はわれわれの心を強くひきつけてやまない。この小品を読んで、一生それを好きにならない人は少ないであろう。
 例えば次のような話が、ふと語られている。主人公の同僚が主人公にいたずらをし、主人公を侮辱し、主人分がそれに抗議して、「かまわないで下さい!何だってそんなに人を馬席にするんです?」と言ったとき、その同僚の心の中に次のような思いが湧き上って来たという。
 「その胸にしみ入るような言葉の中から、『私だって君の同胞なんだよ』という別の言葉が響いてきた。で、哀れなこの若者は思わず顔をおおった。その後ながい生涯のあいだに幾度とな<、人間の内心にはいかに多くの薄情なものがあり、洗練された教養ある如才なさの中に、しかも、ああ!世間で上品な清廉の士とみなされているような人間の内部にすら、いかに多くの凶悪な野性が潜んでいるかを見て、彼は戦慄を禁じえなかったものである」。
 ドストエフスキーを夢中にさせたというこうした文章があるからこそ、我々はこの小説を愛さずにはいられないのだろう。まさに主人公アカーキイ・アカーキエウィッチは不滅であり、忘れえぬ存在である。
 主人公はたしかにみじめな存在であり、だからこそ外套を新調するといったことが彼にとっての一大問題となり人生の唯一の生活目的となったのであり、外套を奪われたとき彼の希望と喜びと誇りは失われ、彼は死ななくてはならなかったのである。
 実にゴーゴリの「外套」はロシア文学の“伝統”である貧しい、虐(しいた)げられた人々に対して真実の同情を寄せた最初の作品として、ロシア文学史上に(否、世界文学史上に)大きな意義をもっているのであり、ある意味で、労働者文学の一つの原型とも出発点ともいえるであろう。
 勿論1840年に書かれたこの小説に、プロレタリア的戦闘的自覚の要素といったものは皆無であり、その限り、ブルジョア・ヒューマニズムの水準を越えるものではない。だが労働者文学は、ブルジョア・ヒューマニズムの単純な否定ではなくて、その止場――肯定的なものを保持した否定――であることも我々は忘れるべきではないだろう。この時代のブルジョア・ヒューマニズムと、現代の偽善的な“人道主義的”おしゃべりを同一視すべきでないことは、いうまでもない。(H)