社会主義労働者党
綱領・規約

 目  次 
社会主義労働者党綱領
社会主義労働者党規約
【社会主義労働者党綱領】

 社会主義労働者党は、資本の支配・搾取及び一切の圧制から人類の解放をめざして闘う国際的な労働者階級の運動の一部であり、全世界の国々における労働者人民(とりわけその意識的要素である真の社会主義者、共産主義者たち)と連帯して、この目的を追求する。

 社会主義労働者党の究極の目標は全世界における社会主義の勝利であり、一切の民族的・国家的なしきりをなくして、人類が真に人類として出現する世界の実現である。しかし我々は、労働者の闘いが内容として国際的であっても形式では国民的であることを知っており、従って日本における社会主義をかちとることが我々の直接の目的である。

 社会主義労働者党は一切のプチブル的な日和見主義、急進主義に反対するとともに、以下の綱領を支持し、その理想を実現するために自由意思にもとづいて結集し団結した、闘う労働者の階級政党である。

 社会主義労働者党の綱領は、まず、資本主義の一般的特徴及び現代の資本主義のいくつかの基本的な特徴を示し、さらに進んで、労働者階級の闘いの課題、その性格、その道順、その方法を、そして同時に、我が社会主義労働者党の闘いの意義や性格や任務を明らかにする。


一、資本主義の一般的特徴

    一

 資本主義は、労働生産物を単なる使用価値――人間の欲望を充足させる有用物――としてでなく、商品として生産するが、これは資本主義もまた、私的所有と分業に基礎を置き、人々が、私的利益の追求と全般的競争から出発するからであり、人類が社会的生産と生活を自らの自覚した統制のもとに置いておらず、いまだ“経済”の盲目的な運動に従属し、「人類前史」の段階にとどまっていることを示している。

    二

 だが、資本主義は単なる商品生産の社会ではなく、「最高に発展した商品生産」の社会である、つまり生産物を一般的に商品として生産するが、このことは必然的に、直接生産者が生産の客体的諸条件から分離されて・自由・である――生産者は同時に、封建的、身分的束縛からも“自由”である――ことを意味する。すなわち、資本主義社会では、生産及び流通の手段の最も重要な圧倒的部分は一握りの階級に属しているが、他方、住民の過半は“無産の”賃金労働者に転化している。「資本」とはこうした社会関係を表わしている、すなわち生産手段の所有者が“自由”な労働者を“市場”に見出し、商品を生産して剰余価値(利潤)を取得する目的でこれを搾取するとき生産手段は資本となる。

    三

 労働力の販売以外に生活の方法を持たない賃金労働者は、工場・職場において、資本の専制支配下で、資本の奴隷として、資本のために働き、剰余価値を提供する(搾取される)ことを余儀なくされるが、その結果は、ますます増大する利潤と急速に進む資本の蓄積である。労働者の実質賃金は増加するときもあるが、しかしその場合でさえ、巨大化する資本に比べて労働者の地位はますます悪化し、労働者は一そう資本への従属を深めていく。

    四

 一般的競争の強制の下に、各資本は資本の蓄積と技術革新に狂奔し、その中で、他の資本をほろぼして大資本が生れ、成長する。小生産者は没落し、資本の集中・集積は進み、大資本は経済と国家の指導的勢力となる。

 かくして、資本主義は、一方で生産と労働の社会化を急速におし進め、生産力の驚嘆すべき発展をもたらすが、他方ではこの巨大な生産力は一握りの大資本によって所有され、大資本の利益のためにのみ利用せられ、生産の無政府性を激化させ、多かれ少なかれ深刻な恐慌を避けられないものにする。労働者大衆のますます広汎な層の生活の不安定や失業や様々な種類の困窮や災厄は増大し、資本と賃労働のへだたりと対立は一そう大きくなる。これらの事実は、資本主義のもとで形成され準備された高度な生産力を、生産者の社会的共有財産に移し、人類全体のために利用する必要性と必然性を決定的に明らかにしている。

    五

 資本主義の発展とその矛盾の展開は、同時に、資本に対する労働者大衆の怒りや不満を増大させ、労働者の団結――労働組合への、労働者政党への――を打ち固め、労働者の階級闘争とその意識的表現である社会主義運動を発展させ、社会主義の勝利の主体的条件を成熟させ準備していく。社会主義は単なる「選択の問題」ではなく、人類の歴史的必然であり、労働者の階級闘争はこの必然性の本質的契機である


二、現代の資本主義――独占資本主義、国家独占資本主義、国家資本主義

    一

 資本主義は十九世紀末から二十世紀初頭にかけて独占資本主義の段階に達し、さらに二つの世界大戦や大恐慌を契機にいわゆる国家独占資本主義の段階に到達した。他方、独占資本主義の世界に対抗しつつ、ソ連・中国等の後進的大国を中心に国家資本主義が発展した。

    二

 独占資本主義の時代は、資本の集中・集積が極端に進み、一握りの大独占が経済社会の全体を支配するようになったばかりでなく、資本家団体――カルテル、トラスト、シンジケート――が決定的意義を獲得して、資本主義に固有の矛盾が一そう激化して来た時代、資本が“個別”資本、“私的”資本としてでなく、株式資本として、つまり結合資本、共同資本としてあらわれ、所有資本家にかわって機能資本家が優勢になって来た時代、そして同時に独占資本の支配が世界的にもおし広げられ、商品の輸出にかわって資本の輸出が「とくに重要な意義」をもつようになり、少数の富んだ国が他の国々を植民地、半植民地として支配、収奪してこえふとり、さらに世界の支配と搾取領域等をめぐって世界的な戦争がひきおこされた帝国主義の時代、世界中のいたるところで反動と野蛮状態への逆もどりが見られ、労働者勤労大衆に耐えがたい災厄や惨禍や不幸が襲いかかった時代、従ってまた不可避的に、資本主義と帝国主義に反対し、その打倒をめざす世界の労働者勤労大衆の革命闘争と民族解放闘争が開始され発展した時代である。二十世紀前半の二つの大戦をきっかけに、全世界で多くの王制が倒れ、ロシアでは人類史上はじめて・プロレタリア国家・が生まれ、また中国をはじめ多くの植民地、半植民地国家でも「労農」革命が勝利し、あるいは民族解放がかちとられた。

    三

 しかし独占資本主義は、一九三〇、四〇年代に一そう高度な段階に、すなわち国家独占資本主義に移行した。

 我々の生きているこの時代を特徴づけるものは、大独占の一そうの発達及び独占と国家の結合・ゆ着であり、国家が大独占の利益のために大規模に動員されるようになったこと、“管理通貨制度”に移って価値=価格関係が一そうあいまいで不安定になり、インフレや為替関係の変動が恒常化したこと、財政と国家の経済政策が大きな意義を獲得して、“福祉”等の偽善的政策がもてはやされる一方で、独占が国家に寄生する軍需資本にますます転化し、軍国主義、帝国主義が発達し、反動と反革命が極端に野蛮で非人間的な形をとるようになったこと等々である。国家独占資本主義は、資本主義の最高の発展段階であり、これと社会主義の間にはどんな中間の経済体制もないような「社会主義の前夜」である。

    四

 帝国主義の時代は、後進諸民族を出口のない情況に追い込んだが、この矛盾は後進諸国における労働者・農民の革命(人民革命)を必然化し、後進諸国に先進資本主義国とは異なった形の国民経済的発展をもたらした。一九一七年のロシア革命、一九四九年の中国革命は、プロレタリアートの革命の刻印を強く押されていたとはいえ(とりわけロシア革命)、全体としては「労農」革命すなわち急進的ブルジョア革命であり、その限界を越えることができず、その結果、これらの国家は国家資本主義の道を歩むことになった。国家資本主義はソ連や中国のかつての半封建的・半植民地的社会に比べれば百倍も千倍も進歩的であり、これら大国の国民経済的発展を可能にしたが、しかし資本主義の一つの特殊な形態であり、何千万、何億の労働者人民に対する苛酷な抑圧と搾取、政治的無権利、粗野で原始的な専制政治をその必然的契機としたのである。“スターリニズム”とは、こうした国家資本主義の“上部構造”以外の何ものでもない。

 国家資本主義の本質的特徴は、資本の国家資本としての存在である。生産手段は国有化され形式的には共有化されているが、実際には資本として存在し機能しており、ますまその本性を明らかにしている。いわゆる“自由化”とは国家資本主義の資本の体制としての内的本性の発露であり、この体制の隠された内容を暴露するものである。“自由化”の意義は、公認の“社会主義”がいかなる意味でも社会主義でなく、労働者に敵対する一種の資本主義であることを明らかにすると共に、全世界の労働者に(とりわけ“社会主義”諸国の労働者に)、真の社会主義をめざす公然たる闘いの出発点を与えるところにこそ認められるのである。

 しかし最も進んだ国家資本主義国では、“自由化”は公然たる“資本主義化”の段階に到達しているが、しかしもちろん、この資本主義化は“自由競争”の支配する十九世紀的な資本主義への移行ではなくて、多かれ少なかれ国家的独占的な資本主義への転化であろう。そしてこの段階に到達するとともに、労働者階級の闘いも、自由主義的民主主義的闘争から、明白な階級的闘いに移っていくのである。

    五

 二つの世界大戦は世界各国の不均等発展を激化させ、世界の支配構造は大きく変化した。ヨーロッパのいくつかの帝国主義国と日本帝国主義が敗北もしくは大きく後退した結果、国家独占資本主義諸国の中ではアメリカが、国家資本主義諸国の中ではソ連が抬頭し、この二国を盟主にそれぞれ国家連合が形成され、人類の死滅さえもたらしかねない危険な大量兵器を手中にして、世界が二分され対峙するという「高度」帝国主義の時代が訪れ、相互に軍拡を競い合ってきた。

 しかし国家資本主義のブルジョア社会としての進化は、ソ連・東欧の解体と共産党(スターリン主義者すなわち専制的な国家資本主義官僚)の支配の終焉を準備し、ソ連・東欧は多くの民族国家に分解・分裂し、国家資本主義イデオロギーに代わって民族主義が台頭した。ソ連の没落は、アメリカを中心とする・自由・資本主義の世界的な勝利を実現し、資本主義的世界体制として、世界は再び統合されたかであるが、しかし欧州連合(EU)の発展、日本の経済的、政治的抬頭、中国の独自の政治的、経済的大国としての登場、そしてソ連没落後世界の唯一の帝国主義的大国として存在するアメリカの経済的な衰退は、この世界が決してアメリカ帝国主義の・一元的に・支配する、安定した世界ではなくて、現実には深い政治的、経済的危機を秘めた、覇権をめざす諸国家間の熾烈な闘いの場であること、新たな世界的闘争と再編成の時代が始まりつつあることを教えている。

 とりわけ中国の新たな大国としての登場は、世界史な意義を持っている。中国は表面は共産党専制の“社会主義”国を装っているが、本質的に資本主義国(国家資本主義の国)であり、ますますそのブルジョア的本性をあらわにしている。中国は近い将来、共産党専制の体制と自由な運動を求める資本との矛盾を爆発させ、その政治経済体制を激動させるだろうが、そうした中で、貫徹されて行くのはもう一つの帝国主義国家としての発展である。     六

 現代の世界が依然として帝国主義の支配する体制であり、資本輸出、貿易その他を通して後進諸国家・諸民族の収奪が貫徹されているために、一部では資本主義的発展が進みつつあるとはいえ(“中進国”)、今なお多くの後進諸国は古い政治経済体制――多かれ少なかれ封建的もしくは部族的な――と経済的停滞のもとにあり、先進諸国とのへだたりを拡大し、大きな困難に直面している。“中進国”では工業生産と労働者階級が成長し、先進諸国の労働者との共通な社会主義的闘いの意義が確認されるべきであるが、他方、多くの後進諸国では、なお労働者人民の革命闘争によって一切の古い政治経済関係を打倒し、まずもって国民経済的発展をかちとるなかで社会主義への道を見出していくという展望を持たざるをえない段階にある。これらの国に対しては、先進諸国の労働者階級の援助が大きな意義を持ちうるが、しかしそれは、彼らが自国の利己的な大独占の支配を粉砕し自らを「国家として組織」した後であって前ではない。

    七

 独占資本主義、国家独占資本主義、国家資本主義――これらはいずれも、現代が、資本主義が高度に発達し、資本の生産力と組織性が非常に高い段階に達して、人類の社会主義への世界的移行が現実的課題となった時代、そしてまた、資本主義の矛盾がますます激化して、もし労働者階級が適当な時期に勝利しないなら、人類の野蛮状態への逆もどりもしくは破滅さえも予想される、人類史の危機の時代であることを教えている。労働者階級は自らの階級闘争を発展させ、ブルジョアジーを打倒し、生産手段を社会的所有にかえ、社会主義的生産に移っていかなくてはならない。社会主義だけが何億の賃金労働者を真に解放し――そしてそのことを通して他の抑圧されているすべての階級も解放し――社会の階級への分裂と国家を止揚して一切の抑圧と搾取の条件をなくし、人類の「必然の王国から自由の王国」への飛躍を可能とするのである。


三、日本資本主義の発展と労働者階級の任務

    一

 各国の経済発展の程度と形式のちがいにより、各国の労働者階級のかかげる目標は異ならざるをえないが、しかし日本の労働者階級の目標は、日本の資本主義が高度な発達をとげて独占資本の支配が確立されていることからしても、また基本的にブルジョア民主主義が実現されて公然たる社会主義的闘いが保障されていることからしても、直接にプロレタリア社会主義革命であるし、そうでなくてはならない。

    二

 日本の資本主義は一八六八年の明治維新を出発点に、専制的な“藩閥”国家の保護育成のもとで急速な発達をとげ、すでに第一次世界大戦の前後には“財閥”資本を中心に独占資本主義として確立して来たが、特有の“前近代性”と脆弱性とあいまって、そのますます大きくなる困難からの脱け道を海外への帝国主義的膨張に、すなわち他民族の搾取と抑圧に求めざるをえなかった。この段階では“天皇制”は、すでに日本のブルジョア軍国主義、帝国主義の道具に転化した。

    三

 しかし、日本の帝国主義が一敗地にまみれたために、日本の独占資本の野望は挫折し、日本の独占資本は米占領軍の指導と保護のもとに政治経済体制を“民主化”し、資本関係を“近代化”することで延命を策し、社共の裏切りに助けられて敗戦後の“混乱期”、激動期をのり切ったあと、国家独占資本主義の機構と政策を最大限利用しつつ、世界でも一、二を争う急成長をとげて来、その結果、日本資本主義は非常に大きな生産力を実現し、社会主義の物質的条件を十分そなえるにいたっている。

 しかし、資本主義的発展すなわち資本の蓄積と生産力の上昇が急速であり、直接生産者(とりわけ小農民)のプロレタリア化及び労働者階級の搾取が大規模に進行し、無政府的生産が加速されたために、過剰生産、インフレーション、財政危機、大都市と農村との矛盾の激化、多くの公害と生活環境の破壊などの災厄がもたらされ、独占資本の頽廃と寄生性も深化し、労働者人民の生活は相対的かつ絶対的に悪化し、階級矛盾は激化した。

 いわゆる日本の労働者の“保守化”現象なるものも、日本資本主義の発展・繁栄の幻想と大独占による一部労働者の買収を客観的条件とし、社共の日和見主義的、ブルジョア的堕落によって助長されたものであり、恒久的なものではない。

    四

 戦後の急速な資本主義的発展のなかで、本来の小ブルジョアすなわち“旧”中間層は解体し(とりわけ農民)、社会的な比重を低下させてきたが、しかしなお大きな社会的勢力をなしている。国家独占資本主義の頽廃した体制自体が彼らを温存し、再生産しさえしている。

 彼らは大資本に抵抗し、それと闘いさえするが――ときには激しく――しかしうしろ向きに、自らの小所有と小経営を破滅から守るためにそうするにすぎず、労働者の資本に反対する階級的闘いとは本質的に区別される。

 彼らはただ、小ブルジョアとしての自らの立場をすて労働者階級の立場に移る限りで革命的たりうるのであって、労働者は小ブルジョアとしての彼らの要求や立場を支持したり、また小ブルジョアとしての彼らとの“統一戦線”を追求することはできないし、すべきではない。

    五

 明治維新後の“原蓄期”のなかで生まれ成長を開始した日本の労働者階級は、今では「総労働力人口」の三分の二をこえる圧倒的比重を占めるまでになったが、女性の繊維労働者や鉱山労働者が主力であった時代から、重化学工業の労働者が中核となった時代へ、さらにコンピュータや自動機械や電子工業の諸技術が支配する高度に単純化・抽象化された労働に従事する労働者が大きな勢力をなす時代へと移って来ている。

 そしてそれと同時に、独占資本とその組織性及び国家独占の発達は、ラジカルな技術革新の急速な進行とあいまって、その“管理”のために(多かれ少なかれ資本機能の担い手としての)膨大な“新”中間層を登場させ生産的労働者――物質的生産に従事する労働者――と対立せしめたが、しかし今では、この“新”中間層の概念は、やはり資本主義の高度の発達の結果としての様々な層の不生産的労働者に対して広く用いられている。

 彼らは直接に資本機能の担い手でない場合でも、きわめて“専門職”“技術職”意識が強く、また生産的労働に従事しておらず直接に資本に搾取されていないために非階級的であり、保守的もしくはおくれた労働者層を形成し、ブルジョア的小ブルジョア的労働運動の一つの有力な基盤であるが、しかし、その下層の地位は一般に生産的労働者に近く、また準生産的労働者と呼びうる広汎な層(教育・保育労働者、医療労働者等々)を含んでおり、この層はプロレタリア社会主義運動の一方の担い手である。

 最近の日本で不生産的労働者や純然たる寄生的“労働者”群の比重が上昇しつつある事実は、日本の資本主義が独占資本主義として爛熟、腐朽し、前進的・進歩的な側面をますます失って「死滅しつつある資本主義」に転化しつつあることの一つの顕著なメクルマール(指標)である。

 資本主義のもとで肥大化した寄生的、不生産的労働を一切なくしもしくは最小限に縮小し、生産的労働を合理的、計画的に再組織する社会主義は、何千万の生産的労働者、準生産的労働者にとって真の利益であり、解放である。

 社会主義はただこれらの労働者の自覚した階級的闘いとしてのみ可能であり、また必然であって、社会主義労働者党はまさに彼らの独自の、独立した階級政党であり、この階級のすべてのすぐれた、積極的な分子を結集して資本に反対する階級闘争を貫徹する。

    六

 資本主義国日本は、戦後の一時期米軍の占領下に置かれたとはいえ、 すでに一九五〇年代のはじめ“単独講和”によって“主権”を取り戻し、米国を盟主とする“自由主義”国家群の一員――すなわち国家独占資本主義の世界的体制の有機的一環――として自らを位置づけつつも、政治的には完全に独立国であり、従って日本の労働者の課題は基本的に“民族的”“国民的”でなく、資本家国家の打倒をめざす階級的闘いを発展させることである。

 日米安保条約に法的表現を見出す日米の同盟関係も一九五〇年以降大きく変化してきたが、その基本的内容をなすものは、「対米従属」の深化ではなく、反対に、この同盟関係のなかにおける日本独占資本とその国家の比重と地位の上昇であり、日本独占資本の帝国主義ブルジョアジーとしての登場である。

 従って日本の労働者階級にとっては――一般的にすべての帝国主義に無条件で反対なのはいうまでもないが――自国のブルジョアジーや反動の軍国主義、帝国主義に反対して闘うことがまず必要であり責務であって、ここにこそ日本の労働者のプロレタリア国際主義の核心がある。


四、社会主義労働者党がめざす社会主義の基本的内容

    一

 社会主義の概念が全く混乱させられている現在、社会主義労働者党の目標である社会主義の基本的な特徴と内容を明らかにすることはきわめて重要な意義を持つ。これを語ることは、社会主義社会において、資本主義的生産の矛盾がいかに解決され、またいかなる形で生産・分配が行なわれるかを示すことである。

    二

 社会主義労働者党の目標は、この社会の一切の生産手段――工場、機械、運輸手段、土地その他――の私有を廃止し、それらを社会的共有に移し、社会の全成員の福祉と全面的発展とを保障するために社会的生産過程の計画化・組織化を実施することである。

 生産手段の社会的共有化とは、単なるその国有化ではない。国有化が真の社会的共有化の内実をかちとるためには、ブルジョアジーの階級支配が廃絶されなければならない。

 小所有もまた廃止され、社会主義的共同生産のなかに止揚される。この過程は労働者政権及び大工業による支援のもとに小所有階級の自由意思と自発性に基づいてなされる。

 社会主義とは階級の廃止であり、従って本来の意味での国家――人類の階級分裂の結果としての国家――もまた「死滅する」。

    三

 社会主義的生産の実現と共に、人々が自分たちの消費と欲望充足のために、共同して自然に働きかけ、自然を改造して富(欲望の対象)をつくり出すという関係――人間と自然との関係、人間と人間との相互関係――は全く透明で分かり切ったものになる。今や人々は、利潤のために一つの職業、一つの仕事に一生涯を通してしばりつけられ、狭い視野におしこめられる「部分人間」であることをやめ、すべての方向に社会的関心と能力を伸ばすことが可能となる。資本への人間の従属がなくなると共に、機械への人間の従属も消滅し、人間がオートメ化された機械やロボットやコンピュータを使うのであって、その逆ではないことが明らかとなる。

 社会主義のもとでは、すべての労働可能な成人が労働に従事し、かつ各人は自己の労働(時間)に応じて――必要な社会的控除ののち――分配をうけることになる(これすなわち「働かざるもの食うべからず」の原則の実行であり、一切の寄生人口の廃止である)。これは「自分が一つの形で社会に与えたのと同じ労働量を別の形でかえしてもらう」という限りで、商品交換の法則と同じであるが、しかしこの場合、各人は社会と対立関係にある個人ではなく、社会的個人であり、社会と個人の分裂は止揚され、各人の個人的労働は事後的にでなくはじめから社会的総労働の一部分、その一分肢として存在するところが本質的にちがっている(どんな搾取もすでにないことはいうまでもない)。

 こうした透明な社会関係のもとにあっては、ますます急速に発展する生産力の利用と労働の組織化の結果、労働時間も直ちに二分の一、三分の一に短縮されうる。そして、さらに生産力が豊かに発展するにつれて、人々は階級社会による強制労働だけでなく生活の必要による強制労働からも徐々に解放され、自己の能力をあらゆる方向に、全面的に発達させることができるようになり、社会は、「能力に応じて働き、必要に応じてとる」という高い段階の共産主義へと接近していく

    四

 階級の廃止とともに、一切の差別――人種、民族、身分、出生、性、心身障害、宗教等々による――も廃止される、というのは、もはや一部の人々を他の人々と対立させて差別するどんな根拠もなくなるからである。差別の克服の出発点は、差別されて来た人々が他の人々と同じ条件で――必要な配慮のもとに――社会的労働を担うことである。

 社会主義はまた、労働者の搾取や生活不安をなくすという意味でも、全面的もしくは部分的な労働不能者への完全な社会的保障であるという意味でも、真の“福祉”社会である。こうした社会主義の展望からすれば、ブルジョア社会の“福祉”なるものは矮小なごまかし以外の何ものでもない。


五、社会主義の勝利と諸条件、闘いの手段及びその道順

    一

 労働の解放及び階級と搾取の廃止、一切の差別の克服や本当の“福祉”の実現というこれらの目標を達成する手段は、単なる宣伝や啓蒙ではなく、労働者の階級闘争であるが、しかし我々は新左翼などの急進主義者のように“暴力闘争”を自己目的とするものではなく、宣伝、啓蒙、組織化を階級闘争の発展の重要な契機として重視する。

    二

 賃金闘争、労働条件改善のための闘い、労働者の権利のための闘い――これらはみな労働者の階級闘争の出発点、その発展の諸契機であって、その根拠は資本の搾取と抑圧及び資本の不合理な体制にこそある。

 社会主義労働者党は、広汎な労働者を結集し、かつその先頭に立ってこうした闘いを闘いぬき、労働者の階級的力量を高め、党と労働者大衆との接近・結合をかちとると共に、これらの問題の本当の解決が社会主義の実現のなかにあることを明らかにし、日常的な階級闘争を社会主義をめざす階級的闘い(党的闘い)と結合し、そこに高めて行かなければならない。

 労働組合は労働者の自然発生的な階級組織であり、資本に対抗して労働者の経済的利益を守るところに本来的な役割があるが、しかし、労働者の政治闘争の発展とその解放のためにも労働組合の組織された力は利用されなければならない。

 しかし、労働者党は、労働組合を階級的に高めるために一貫して努力しつつも、 労働組合の本性を考慮して、 その“かこいこみ”や「一党支持のおしつけ」等の一切のセクト主義的、分裂主義的な組合政策に反対し、最も広汎なプロレタリア民主主義を要求し、かつ実現する。

    三

 “民主主義”のための闘いも、労働者階級の一つの重要な課題であるが、しかし労働者党にとってはそれは小ブルジョア党にとってのように絶対的なものではない。我々は“民主主義”もまた国家であり、資本の支配の一つの形態――資本にとって最も特徴的な――であり、それが何千万の労働者大衆に対する資本の大規模な搾取と何ら矛盾しないこと、すなわちその本質的な限界と欺瞞性を強調しつつも、それが労働者の公然たる社会主義的闘争を保障し、またこの政治体制のもとでのみ階級闘争が最後まで闘いぬかれるというその意義を確認する。

 ブルジョア民主主義の限界と欺瞞性は、それが自ら謳った「法の前でのすべての人の平等」さえ実現しえなかった――この顕著なあらわれは、人類の半数を占める女性への差別である――ところに象徴的に示されている。差別撤廃の要求は一般民主主義の課題であり、それ故に我々は差別の即時撤廃の要求を資本につきつけて闘っていく。しかしその完全なもしくはいくらかでも徹底した実現は社会主義の勝利と共にある。従って、我々は差別撤廃の要求を社会主義的要求と結びつけて提起し、かつ差別撤廃を求める闘いを階級の廃絶を求める闘いと結合していく。

 労働者階級は・民主主義的・要求を小ブルジョアとちがって抽象的にではなく、階級闘争の発展という見地から資本家国家につきつけ、政治闘争を発展させねばならない。

 しかし労働者にとっては、“民主主義”のための闘いよりも“民主主義”を利用した闘い――公然たる社会主義の宣伝と組織化の闘い、集会や大衆闘争の組織、選挙闘争、議会闘争への積極的参加等々――の方が一そう重要であり、一そう本質的である。とりわけ、議会=選挙闘争は“民主主義”国家の“公認”の公然たる政治闘争の舞台であり、社会主義の勝利はその徹底した利用なくしてはありえない。

    四

 労働者階級の闘いは、経済闘争、政治闘争であるばかりでなく思想闘争であり、社会主義労働者党は、一切の神秘主義的・観念論的イデオロギーや宗教的迷妄に対する断固たる、一貫した闘いを貫徹する。  しかし、現代においては、神秘主義や宗教の根源は、主として勤労大衆を圧迫する資本主義の諸力に対する勤労大衆の無力にこそあり、資本の諸力が勤労大衆に対して「暗黒の力」としてあらわれることにある。労働者党の任務は基本的に、労働者階級の闘いを組織し、そこに勤労大衆を引き入れることによって勤労大衆の無力を克服することであり、まさにこの闘いをとおして、また社会主義を闘いとることによって、広汎な勤労大衆をあらゆる観念的迷妄から解放することである。

 従って観念論と宗教に対する闘いは、資本の支配と搾取に反対する労働者の階級闘争に従属させられなくてはならず、政治的任務そのものに・高め・られたり、自己目的化されてはならない。

    五

 労働者の闘いは、国家権力の奪取をめざす特定の労働者政党の闘いになるに比例して、真の階級闘争になる。社会主義労働者党は、労働者が労働組合に団結して経済闘争を闘うだけでは自己の解放をかちとることができないこと、そのためには、自らを独立した労働者の階級政党にも組織し、資本の権力の打倒とプロレタリア権力の樹立をめざす政治的闘いを発展させる必要があることを公然と明らかにする。

 社会主義の勝利の条件をなすものは、労働者階級の権力である、すなわち、搾取者のあらゆる抵抗の鎮圧を可能とする政治権力を、労働者階級が闘いとることである。この労働者権力は、“民主的”(もしくは“国民的”)連合政権といったものとは本質的に別なものである。何らかの“民主的”連合政府もまた、社会の階級分裂を止揚するのではなくそこに基礎を置く政府、一つのブルジョア政府であり、資本と反動の勢力と権力を温存し、日和見主義的で矛盾した諸政策によって反動と反革命に道を開くのであり、従って労働者階級の任務はこの混乱した妥協政府を支持し擁護することでなく、階級闘争を最後まで貫徹してそれを克服することである。

    六

 プロレタリア権力(国家)は階級国家――官僚制、警察、軍隊、裁判機構、ブルジョア議会等々の支配機構と暴力装置――の否定として、労働者代表制にもとづく「半国家」であり、有産階級の抵抗がなくなり、社会主義が組織されるに比例して眠りこみ、死滅する。すでに本来の国家ではないこの過渡国家においては、すべての官吏や裁判官等の選挙制、リコール権、労働者なみの報酬という「コンミューンの原則」が厳格に実行される。階級の消滅と共に、政治的な意味での国家もなくなり――従って、どんな政治もなく、その結果「政治的自由」とか「権利」とかについておしゃべりする必要もなくなり――ただ、社会的生産及び分配の管理と統制の機関のみが残ることになる。プロレタリア国家は搾取者の妨害を粉砕して社会主義を実現することで自らをも止揚するのである。


六、他党派の階級的性格とそれらに対する社会主義労働者党の立場

    一

 自民党は、“国民的”政党としてあらわれようとも本質的に大独占の政党であり、この独占資本の支配と体制の護持を自らの課題とも任務ともしている。党内には反動派と自由主義派があるが、すでにその境界線さえあいまいであり、自由主義派といえどもそれにどんな幻想を抱くことも許されない。

 この党は、資本主義的矛盾の拡大・深化に対して財政膨張の弥縫策をとることしかできず、農業ではその場かぎりの保護主義に走り、労働者人民には一切の困難のしわよせをして経済的圧迫を強め、また軍事力増強には狂奔するが自らの金権腐敗政治の一掃のためには小指一本動かさない等々、すでにその反動性、腐敗、無能力をさらけ出している。

 九〇年代に入ると、自民党政権とその腐敗に対する批判が高まり、自民党の“一党支配”は崩壊した。そして自民党から分裂した分派と、えせ“革新”勢力(社公民等々)による“野党”連合政権ができたが、一時のエピソードとして終わり、自民党を中心とする反動政権が復活した。

    二

 労働者は“中道”政党――それがどんな形態やニュアンスをとってあらわれようとも――にどんな期待も幻想も持つことはできない。

 典型的な小ブルジョア反動政党としての公明党は、小所有階級の立場を体現する政党であり、大資本への批判と反対はこの立場からのものであって保守的でありうしろ向きである。小所有が大資本に絶望的に依存しているように、公明党の政治は本質的に自民党の政治への追随である。この党もまた資本主義の維持と繁栄に決定的な利害関係をもっており、労働者の革命的階級闘争とそのイデオロギーには深い敵意と偏見を抱いている。公明党は自民党と連合することによって、その醜悪で、ブルジョア的な本性を完璧に暴露した。

    三

 九〇年代、民社党と社会党の右派は新しく組織された民主党に吸収され、あるいはその一部分となった。民社党はブルジョア的労働運動に基盤を持っており、また社会党右派もますますそうなっていたが(つまり労働現場では資本に奉仕する「第二労務課」の役割を果たし、政治的には自民党の補完勢力をなしていたが)、彼らは自民党から落ちこぼれてきた、いくらかでも民主的、自由主義的な装いを凝らした連中と合同して、民主党を組織し、一つの政治勢力として新たに登場した。

 しかしこの民主党は、党を構成した諸要素の過去の素性を見ても分かるにように、れっきとした「ブルジョア第二党」であり、資本の勢力の「二大政党論」に触発されて登場したものにすぎない。この党が、公明党の後を追って、自民党と連合するのは避けられない。

    四

 社会党は九〇年代半ば、自民党との連合に走ったあげく、自民党に徹底的に利用され、その“復権”を許した後、敝履(へいり)のごとく捨てられ、解体した。右派は民主党に走り、“左派”もしくは市民派は新しく社民党に結集したが、しかしこの党は、かつての社会党にあった、労働組合運動との結びつきさえ後退させ、むしろプチブル政党として純化している。

    五

 戦前においてさえ小ブルジョア民主派に転落し、帝国主義戦争を資本家階級打倒のために利用できなかった共産党は、戦後十年間の混乱のあと、“宮本体制”のもとで、卑俗矮小な小ブルジョア民族派・民主派・改良派として自らを純化して来、今では資本の支配を支える一つの支柱にまで転落している。

 この党は、“スターリニズム”――ソ連、中国の共産党――の影響下に発展した党であり、“自主路線”を謳うようになった現在でもこの本性を変えるに至っておらず、ソ連、中国等の共産党(その国家)を批判するにも偽善的で中途半端である。

 この党は、小ブルジョア民族派・民主派・改良派として、また・スターリニズム・の党として、独特のセクト性、反動性をもっており、一定の段階で反革命に転化する可能性を秘めている。

 共産党は「民主連合政府」などの幻想を振りまいていたが、しかし今日では、自衛隊を容認し(国家には「固有の自衛権がある」などと主張して)、日米安保条約にも妥協的になり、さらには天皇制にまで“理解”を示し、あるいは国旗・国歌法を自ら求めるなど、際限のないブルジョア的堕落の道を歩んでおり、大資本の勢力との公然たる協調路線に移りつつある。

    六

 “左翼”政党の頽廃のなかで、多くの“市民”運動が組織されているが、“市民主義”とは、資本主義社会の階級的個人を抽象化されたブルジョア個人に解消するものであり、“無党派主義”を標榜するなど、労働者の階級闘争の立場とは本質的にことなっている。

 しかし、“市民”運動のなかには資本主義を批判し、階級的、進歩的方向性をもつものもあり、社会主義労働者党は、“市民”運動に対してはケイス・バイ・ケイスで臨み、階級的、進歩的立場に接近するものとは個々の具体的闘いにおいて提携する。

    七

 新左翼運動=急進主義運動が「社共の日和見主義に対する罰」としていくらかでも積極的な意義を持ちえたのは一九六〇年の安保闘争の頃までであって、そのあとはこの運動は小ブルジョア的反動性をさらけ出し、頽廃した。思想的混乱(もしくは極端な無思想)はいうに及ばず、“連合赤軍”の愚行、内ゲバ、無意味な個人(もしくは集団)テロル等々はみなこの腐敗の表現である。労働者は新左翼運動にどんな幻想も持てないし、持つべきではない。

    八

 以上の日本の諸政党、諸政治潮流の特徴づけから結論されることはただ一つ、労働者階級は自らの独自の階級政党を組織し、その闘いを断固として拡大、発展させていかなくてはならない、ということである。このことこそ、日本の(世界の)労働者の階級闘争の飛躍の中心環であり、また将来の労働者階級の自己解放の本質的契機である。社会主義労働者党は、わが党の何ものをもおそれない公然たる党派闘争の中からのみ、輝かしい日本の未来が生まれると高らかに宣言する。


七、社会主義の勝利と共に、或いは社会主義をめざす闘いの過程でかちとるべき社会主義労働者党の具体的な要求

 社会主義労働者党は、さいごに党の「具体的要求」をかかげるが、これはあくまで社会主義的綱領の一部としての、その有機的構成部分としての「具体的要求」であって、第二インター流の「最小限綱領」(単なる改良のための要求)やトロツキーの「過渡的綱領」(単なる便宜的要求)とは別である。それはまさに、社会主義をめざす闘いの中で提出され、この闘いを発展させるなかで、さらには社会主義の実現とともにかちとられていくべき目標であり、「要求」である。全体としては、これらの「要求」の実現は社会主義の勝利に依存し、従属しているが、しかし独自の階級的・社会的・政治的課題であり、社会主義労働者党はこれらの「要求」をかかげ、その実現をめざして先頭に立って闘いぬく。

                          (一九八四年五月五日社労党結成大会で採択)
                          (一九八六年九月第三回大会で一部改正)
                          (一九八九年十月第六回大会で一部改正)
                          (一九九三年十一月第十回大会で一部改正)
                          (二〇〇一年十一月第十八回大会で一部改正)


【社会主義労働者党規約】

前文

 社会主義労働者党は、自由意思にもとづいて結集し、資本の支配の打倒と社会主義の実現をめざして闘う労働者の政党であり、日本の労働者階級の最高の団結の形態である。

 社会主義労働者党は、マルクス・レーニン主義の発展をはかり、その原則をゆがめるあらゆる形の修正主義、教条主義と闘う。社会主義労働者党はまた、社会民主主義者、公認の共産党(スターリニスト)及び小ブルジョア急進派(新左翼)等いっさいの日和見主義者と、政治的、組織的に自らをはっきりと区別する。

 社会主義労働者党は、プロレタリア国際主義にもとづき、全世界の労働者階級と日本の労働者階級の兄弟的団結のために闘う。

 党の政治的、思想的な全国的統一は綱領によって保証されている。そして党の規律は、政治方針の正しさを基礎として各党員が革命への献身と自己犠牲の精神を発揮することなくしてはありえない。しかし、政治的統一と各人の自覚に加えて組織的な統一が必要であり、規約こそまさにそれを保証するのである。規約による組織的統一はある意味で形式である、しかし党が生き生きとした全国的に統一された、共同の闘い――これなくしては資本に打ちかつことができない――を行なうためには、単一の組織の諸形式、諸形態が不可欠である。


第一章 党員

 第一条 党の綱領と規約を認め、規定の党費を納入し、党の一定の組織に加わって積極的に活動する者は党員となることができる。

 第二条 入党は二名の党員の推せんを必要とし、原則として支部の決定ののち一級上の機関が承認する。

 第三条 党員は離党することができる。離党を望むときは、自らの所属する組織にその理由を述べ、承認をうける。党組織はその事情を検討し、説得しても意思の変わらないときは離党を認め、一級上の機関に報告する。

 第四条 三カ月以上特別の事情なくして規定の党費を納めないか、または党の組織的活動に加わらなかった党員は、その所属する組織が一級上の指導機関の承認をえて除籍することができる。


第二章 党の組織及び組織原則

 第五条 党は、大会、中央委員会、都道府県委員会、地区委員会、支部に組織される。ただし、情況に応じて、中央委員会のもとに地区委員会が、あるいは都道府県委員会のもとに支部が直接に組織されうる。

 第六条 党の組織原則は、民主主義的中央集権制である。その内容は次のとおりである。

 @、党の各級指導機関は選挙によってつくられる。各指導機関は委員長を選出し、その選出母体の承認をうる。場合によっては副委員長をおくことができる。
 A、党の指導機関は、それを選んだ党組織に対して定期的にその活動を報告しなければならない。
 B、党の各級機関及び党員は上級の指導機関に対して、その活動を定期的に報告しなければならない。党の各級機関及び党員は上級機関の指導と決定に従わなければならないが、それに同意できない場合には、任務を遂行しつつ自らの見地を保留し、上級機関に対し自らの意見を提出し、回答を求めることができる。また自らの見地を、党の機関紙・誌に掲載するよう要求することもできる。


第三章 大会

 第七条 大会は少なくとも二年に一回、中央委員会によって招集されるが、中央委員会は党員の三分の一以上あるいは都道府県組織の三分の一以上の要求がある場合には三カ月以内に大会を招集しなければならない。大会は組織から選ばれた代議員、中央委員によって構成される。中央委員会は大会の招集日時をおそくとも二カ月前に全党に知らせなければならない。

 第八条 大会は党の最高機関で、党の基本方針を決定し、中央委員の選出、綱領・規約の改正を行ない、財政報告を承認する。

 第九条 大会は大会構成員の過半数の出席によって成立し、出席している大会構成員の過半数の賛否によって議決する。大会代議員選出の方法と比率は中央委員会が決定する。

 第十条 中央委員会は党を代表する機関であり、大会から大会までのあいだ、大会の決定を実行し、党の全活動を指導し、必要に応じて中央の党機構をつくる。また大会の方針の範囲内で重要な決定も行なう。

 第十一条 中央委員会は中央執行委員会の招集によって年に二回以上開かれる。中央委員の三分の一以上の要求があった場合は二カ月以内に中央委員会がもたれなければならない。

 第十二条 中央委員会は、中央執行委員会と中央執行委員長一名及び同副委員長若干名を選出し、大会の承認をうる。

 第十三条 中央執行委員会は、中央委員会から次の中央委員会までのあいだ中央委員会の職務を行ない、日常的な指導を引き受ける。また中央機関紙・誌を発行し、必要な場合は編集委員を任命する。


第五章 都道府県組織

 第十四条 都道府県会議は都道府県委員会によって招集され、半年に一回は開かれなくてはならない。ただし、党員の三分の一以上の要求がある場合は、一カ月以内に都道府県会議が招集されなければならない。

 都道府県委員会は都道府県会議によって選出され、中央委員会が承認する。都道府県委員会は、中央機関の決定をその地方に具体化し、都道府県会議の決定を実行し、都道府県の党組織を指導する。


第六章 地区組織

 第十五条 情況に応じて、都道府県委員会のもとに地区委員会をもうけることができる。地区会議は、地区委員会によって招集される。ただし、党員の三分の一以上の要求がある場合は、二週間以内に地区会議が招集されなければならない。地区委員会は都道府県内の特定の地域の党組織を指導する。地区委員会の選出及び運営は都道府県委員会のそれに準ずる。


第七章 支部

 第十六条 支部は党の基礎組織であり、工場、職場及び地域において三名以上の党員によって組織され、一級上の機関によって承認される。党員が三名にみたないときは、付近の支部に所属するか、または支部準備会を組織する。

 第十七条 支部は支部長を選出する。必要な場合、支部委員会を組織することもできる。支部は原則として週に一回以上定期的に支部会議を開いて党の方針を具体化し、これを日常的に遂行する。


第八章 党の財政

 第十八条 党の財政は党費、寄付、及び党の事業収入によってまかなう。党員は可能な限り革命運動を物質的にも支えなくてはならない。

 第十九条 党費は原則として党員の収入の三%とする。しかし一時金等については、大会で定める基準に従う。

 第二十条 会計監査委員をおき、大会で選出する。会計監査委員は、党の中央財政を監査し、その結果を大会に報告する。


第九章 党の規律

 第二十一条 すべての党員は、革命事業と党の利益のために党の規律を固く守らなくてはならない。規約に違反し、党にいちじるしい損害を与えた党員は、規律違反として処分される。

 第二十二条 処分は、十分なる審査により、注意、機関からの罷免、権利停止、除名にわける。

 第二十三条 党員の処分は、その党員の所属する組織が行ない、一級上の指導機関の承認をえて確定される。また特別の場合には、地区委員会以上の指導機関は一級上の指導機関の承認をえて党員を処分することができる。

 第二十四条 処分をうけた党員は、不服の場合、再審を求めることができる。また、大会にいたるまでの各級機関に異議申立てができる。


付則

 第二十五条 中央委員会は、この規約に定められていない問題についても、規約の精神にもとづいて処理することができる。この規約は、一九八四年五月六日から効力をもつ。

                          (一九八四年五月五日社労党結成大会で採択)
                          (一九八五年九月第二回大会で一部改正)   
                          (一九八七年九月第四回大会で一部改正)