真剣な議論がくり広げられた08年労働者セミナー
―― 5月31日〜6月1日 静岡/ろうきん富士センターにて ――
ギリシャ・ローマ社会の位置付け
労働者セミナーの議論を踏まえて
エンゲルスの『家族・私有財産及び国家の起源』の「根底的な再検討」を課題とした労働者セミナーは、基本的にその任務を果たして終わったと言っていいだろう。もちろん、エンゲルスの見解を直接に、あるいは間接的に擁護する見解も表明され、報告者の理論に対する多くの疑問や批判も出されて活発な議論が展開されたが、エンゲルスの『起源』が本質的ともいえる問題をもつということはおおよそ確認されたように思われる。もちろん、このことは多くの理論問題がいわば“未解決”のままに残されたということを否定するものではない。例えば、鈴木(半)氏は、マルクスの『資本主義的生産に先行する諸形態』の立場から、ギリシャ・ローマの位置付け、あるいはギリシャ・ローマの生産様式とゲルマン的生産様式の関係について、報告者の見解に異議を唱えたし、また女性の解放(その論理)という視点からエンゲルスの理論にも正当性があるとする論客も現われた。アジア的専制は国家ではない(したがって、エンゲルスの国家『起源』論もしくは国家論でいい?)という意見も出された。しかし、基本的な対立は、結局はエンゲルスの理論と歴史観に異議を唱えるのか、それを擁護するのかという点に集約されたといえよう。そしてその一つの焦点は、ギリシャ・ローマの社会をどう評価し、位置付けるか、そしてギリシャ・ローマの社会とゲルマン社会及び封建社会――この両者は必ずしも同一の社会ではない――との関係をどう理解するのか、という問題であった。
ギリシャ・ローマの時代(社会もしくは生産様式)について議論が発展したのは、その社会を人類史の歴史の中でいかに位置づけるかで難しい問題があったからで、この点で、私と鈴木氏との間で一つの原則的な対立が生じた。
問題は、鈴木氏がマルクスの『資本主義的生産に先行する諸形態』に依拠しつつ、私の見解はそれに反しているとしたことにある。しかし私は、『諸形態』の理論を直接当てはめたのでは実際の歴史が“素直に”理解できないからこそ、それとは別の考えを提示しているのであって、『諸形態』と違うから問題であるという批判には答えようがないのである。
鈴木氏は、スターリン主義の学者たちの中で言われてきた一つの“解釈”、つまり『諸形態』によれば、ギリシャ・ローマは生産様式としては奴隷制というより、共同体(国家)によって規定された私的所有の社会として位置付けられており、その意味で、アジア的生産様式の後にあり、またゲルマン的生産様式に先行するものとして規定されているという理屈を持ち出したのである。
すなわち、ゲルマン的生産様式とは、ギリシャ・ローマの生産様式よりも一段進んだものとして、つまり共同体的関係が私的所有者としてのその成員の補完として現われているところにその本質がある、といった理論である。自立した人格を可能とする生産様式として、ゲルマン的生産様式の方が、ギリシャ・ローマの生産様式よりも一歩前進しており、かくして、ギリシャ・ローマの時代の後に封建的な生産様式がやってきたのである云々。
しかし、“文明化”されたギリシャ・ローマに対して、“野蛮”の代表としてのゲルマン(こうした言い方はモルガン・エンゲルスの言い方を借りたにすぎないが)が、なぜ、ギリシャ・ローマよりも進んだ社会であり、進んだ生産様式だ、と言えるのか。
鈴木氏は、ギリシャ・ローマの時代の後のゲルマン、封建的社会に移行してのゲルマンに限ってのことだと言うのだろうか、しかし果たしてマルクスは、『諸形態』においては、“野蛮の”時代のゲルマンとヨーロッパの封建的社会をそれほど明確に区別して論じているだろうか。鈴木氏自身がセミナーで語ったように、共同体とその成員の関係として語っているとするなら、“野蛮の”時代のゲルマンと、より“文明化”された(?)封建的時代のゲルマンと明確に区別されているとは言えず、むしろ区別されるとしても、封建的な関係は、“野蛮の”時代のゲルマンの関係から引きつがれ、そこから出てきた関係といった意味でしかないように見える(言ってみれば、両者は“二重写し”になっている)。
だから、『諸形態』の“公式”にあてはめて、「生産様式」として、ゲルマンが進んでいた、ギリシャ・ローマが遅れていたという形で問題を立てるのは(こうした見解に、マルクスの文章を口実に固執するのは)、おかしな“権威主義”であり、一つのドグマ的立場にしか見えない。
スターリン主義者たち、その理論家たちは、『諸形態』についても恣意的な“解釈”をほどこして、一つのドグマを発展させてきた(というのは、『諸形態』は「草稿」でもあり、そのままではなかなか単純に理解できない面があったので)。
つまり、原始的共同体の諸形態と、それに対応する生産様式の諸形態というわけで(共同体所有の“本源的な形態”と、それに対応する、その現実的、歴史的な形態という、かのドグマである)、アジア的生産様式(アジア的共同体)に対応するアジア的奴隷制、ギリシャ・ローマ的共同体とそれに対応する奴隷制、ゲルマン的共同体に対応する封建制、という時代区分であり、鈴木氏が依拠するのもこうした“スターリン主義的な”概念であった(鈴木氏がどれだけ自分の観念がスターリン主義と不可分であるかを自覚していたかどうかは知らない、ただ鈴木氏は我々がこうした理屈を知らないから間違っているのだと、事実上論じたのである。我々はただそんなドグマに組みしなかっただけである)。
エンゲルスは確かに『起源』において、ギリシャ・ローマの時代的段階は奴隷制に帰着するといったことを書いており、あたかもスターリン主義の『諸形態』の解釈を正当化しているように見えるが、しかしギリシャ・ローマ的な「原始共同体」的関係が、どういう必然性で奴隷制に帰着するのかというのは、少しも説得的ではないし、またゲルマンの原始共同体的な関係が封建制度の基礎となったなどと言うのは、何ら必然的な因果関係として規定されえないだろう。
そしてこんな形で、ギリシャ・ローマの奴隷制社会から、ヨーロッパの封建的制度への歴史的な移行を説くことに、どんな意味があるというのか。移行の契機さえはっきりして来ないのである。原始共同体からの生産者の自立の問題であるというのか。とするなら、ゲルマンの社会よりも、ギリシャ・ローマの社会の方がはるかに進化していたのであって、ゲルマンの生産様式をギリシャ・ローマのそれより進んでいたかに説く理論など全く混乱と一貫性の欠落でしかないではないか。
鈴木氏は私が抱いていたこうした問題意識を欠いていたのであり、また私が『諸形態』を知らないから『起源』を批判するのであるかに主張したのだが、しかし問題は『諸形態』の理論であり、そのスターリン主義者のような解釈では実際の歴史の発展も過程も理解できないということでもあったのだ。
ここでも事実が重要である。歴史的には、ギリシャ・ローマはゲルマン社会に対して、圧倒的に“先進的な”社会として登場しているのであって、マルクスの『諸形態』を当てはめ、それで歴史を裁断すればすむという問題でない(それですむならことは簡単だが、そんな形でマルクス主義を理解する――そして利用する――のは問題で、悪しき教条主義でしかないだろう。一方における「解釈主義」、他方における「当てはめ主義」「裁断主義」は、もうやめるべきである)。
私的所有の関係の深化ということからするなら、圧倒的にギリシャ・ローマが先行しているのであって、ゲルマンはまだほとんど共同体的関係のもとにあった。そして封建的段階のゲルマンについて言っても、“動産”の面での私有はギリシャ・ローマに対して圧倒的に貧弱であり、後退しているとさえ言えるのであって、その点でも、ギリシャ・ローマに優越するとは言えない(封建的社会の末期、絶対主義の時代になればもちろん別だが)。
私が異議を唱えたのは、まさにこうした“伝統的な”スターリン主義的観念であって、だから『諸形態』と一致していない――それが事実か、正当な批判かはさておくとして(というのは、スターリン主義者や鈴木氏の『諸形態』の解釈もまた必ずしも妥当とは思われないから)――と批判されても、それは批判にも何もなっていないのである。問題は鈴木氏が『諸形態』の理論を――というより、そのスターリン主義者的な解釈を――いわば“絶対化”しているのに対し、私がそれをむしろ“相対化して”いるところにある。
『諸形態』に対する鈴木の解釈によれば、ギリシャ・ローマはゲルマン社会よりも遅れた社会ということになるが(鈴木は事実上、そのように強調した)、しかしゲルマンは歴史的には――実際には――ギリシャ・ローマに対してはるかに遅れた社会として、むしろれっきとした部族社会として歴史に登場しているのであって、そのことはタキトゥスの「ゲルマニア」やシーザーの「ガリア戦記」を読んでも明らかである(もちろん、読まなくても明らかだが。私自身、これらの本は“ゲルマン”のことをより知るために、最近読んだにすぎない。シーザーらは明白に、ゲルマン社会――といっても、当時ヨーロッパ領域に先住していたケルト人の社会が中心だが。ゲルマンはケルトよりさらに後進的な部族でしかなかった――を“未開の”社会、“文明化”されたローマ社会に対してひどく遅れた、“野蛮な”社会として見なし、また実際にそのように扱っている)。
そしてゲルマンから(あるいはギリシャ・ローマ時代から)封建的中世の間には、フランク王国といった王国支配の体制が何世紀も続くのであって、この王国の歴史的な位置づけや総括さえ、エンゲルスは(またスターリン主義者たちも)まともにやっているようには見えない。簡単に、ゲルマン社会と封建社会とを同一次元で論じられないのは明らかなように思える。
ギリシャ・ローマの“生産様式”は奴隷制ではなかったと言うが、それなら鈴木氏は生産様式という言葉で、何を理解するのか。マルクスは生産様式として、「アジア的生産様式」の後を、ギリシャ・ローマ的と呼んでいるが、ここには奴隷制という観念が入っていないと断言していいのか。きわめて疑問であるように思われる。
マルクスはしばしば奴隷と封建的農民を比較して、中世の農民は奴隷よりも解放された存在であると主張しているが、その面から言えば、明確にギリシャ・ローマの時代から封建的時代への進化を言うことはできる、しかし他方では、ギリシャ・ローマの「市民」について言えば、それは中世の支配階級よりもはるかにブルジョア的な存在であって、中世の騎士たち(日本的に言えば「武士」たち)の方が、ギリシャ・ローマの「市民」よりスマートな存在とは到底言えないだろう。鈴木氏は「生産様式」として、ゲルマンの方がギリシャ・ローマよりも進化していたと強調したが、その「生産様式」で何を理解するのか、それが問題であり、『諸形態』を引用すればいいという問題ではない。
ギリシャ・ローマの「生産様式」は奴隷制ではないと主張されたが、マルクス自身いくらでもギリシャ・ローマの時代の生産様式として奴隷制ということを言っているのであって、『諸形態』では言っていないと言うだけでは“マルクス権威主義”が泣くというものだ。そもそも封建的な生産関係に対して、ギリシャ・ローマが区別されるのは奴隷制的な生産関係としてであるというのが、マルクス主義の一般的な理解ではないのか。
鈴木氏の言うように、ギリシャ・ローマの社会が奴隷制で特徴づけられないとするなら、それはいかなる社会だったというのか、“市民”たちの一種の共同体的社会だったとでも規定するのか、その“市民”はいかなる“市民”だというのか。“都市住民”ということで制約される共同体的“市民”だと言うことか、そもそも共同体の成員を“市民”などといったブルジョア的概念で規定し、呼ぶことは正しいのか、そしてもし成員をそう呼べるというなら、その共同体は果たして原始共同体的なものなのか。
『諸形態』をおかしな形で絶対化すると、こんな理論的袋小路に入り込みかねないように見えるのである。
そして、そんなことを言っていくと、封建的社会さえも階級社会としてでなく、共同体社会として規定され得るのであって、鈴木氏にとって、ますます具合の悪いことになりかねない。そして、資本主義もまた“企業(会社)共同体”の社会と言えないこともない等々。
むしろ、鈴木氏はギリシャ・ローマの支配階級が「市民」となぜ呼ばれ得たのかを反省すべきなのである。鈴木氏はギリシャ・ローマ社会の方が、ゲルマン(原始のゲルマンにせよ、封建的ゲルマンにせよ)よりも遅れた社会であるということを、マルクスのあれこれの言葉によってでなく、事実の問題として明確に展開すべきだったと思うが、そうした発言がセミナーではほとんどなく、ただマルクスがこう言った、あるいは言わなかったという形で議論が展開されたことこそが問題であろう。
もし事実を軽視もしくは無視して発言するなら何でも言えるのであって、そうした“理論”が勝手きままで、恣意的な議論、無意味な議論――つまりおしゃべり――に堕し、新しい“理論”をでっちあげることで終わるのは一つの必然であろう。
対立の根底は、“スターリン主義的な”一切のドグマと断固として手をきるのか、それにも何らかの意義があると認めて、その擁護に留まるのかに還元されるように思われる。
セミナーにおける、系争問題になった最も重要な議論の一つを取り上げてみたが、それだけでも、セミナーの意義は明らかで、今後さらに我々の理論的な深化の重要な出発点とも方向付けともなったと言えよう。
もちろん、これ以外にも、国家や私有財産の「起源」の問題、「家族」やその「形態」の問題、人類の社会史をいかなる観点から論じ、一貫したものとして理解すべきか、その点と関連して唯物史観の意義やそれを現実の歴史理解の中で活かしていくのかという問題、そして“スターリン主義者”がどんなに大きな害悪を流してきたか、そして今にいたるまで流し続けているかという問題――不破らの空論を見よ――等々、さらに多くの得るところがあったことも確認することができるだろう。
(林 紘義)
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